はてなキーワード: 希薄とは
私は一応Mを自称していますが、あくまでこれが一般的なMのオナニースタイルではないということにご注意ください。一般的なMのオナニースタイルについては私もわかりませんが、恐らく各々自身の求める快楽を十分享受できるような、世界に一つだけのオナニーになっているのではないかと想像します。
好きな子や身近な子を想像して致す、ということは私はしません。
まず好きな子、というものがそもそもできたことがありません。幼稚園の頃に好きな子がいたらしいと親から伝え聞いているのですが、ほとんど記憶にありません。周囲とは希薄な人間関係しか構築しておらず、恋愛感情を抱くという機会を生み出していません。そういった感情に憧れこそすれ、自ら追い求めたことは今までありません。かわいい女の子を見ればかわいいな、とは思いますが、好きだと思ったことはなかったです。何となくそれはそれ、これはこれというか、かわいいから付き合いたい、というような思考のシナプスは私の中では弱いように思われます。私はここ数年うつに類似するような精神状態で過ごしているのですが、それ及びそれ周辺の思考の偏向に何か関係があるかもしれません。
身近な人間ではまず勃ちません。知人を見て性的に興奮するだとか、性的にどうこうしたい、と思ったことはないです。
3次元で勃たないというわけではありません。3次元の性的な画像や動画を見れば普通に勃ちます。ですが3次元で致す、ということはもしかしたら中学生以来していないかもしれません。
私は周囲の指摘からどうやら他人に興味がないらしく、そのことをぼんやりと自覚しており、あまり自分と関わる女性、というより人間に意識が人並みに向いていないのかもしれません。
当時、学長であった哲学者・鷲田清一教授は、一通りの -文字数として数えると
原発の問題の有無や、テレビで流れる「亡くなった方」の数字の桁こそ違えど、
そしてなにより、
近しい人を亡くされた痛切さが伝わってくるという点で、
今回の2018年7月豪雨、ぼくは、3.11と同質のものを感じています。
今回の豪雨、ぼくは降水量としては3番目に多かった神戸に住んでおり
確かにいままでにない雨の降りかたでした。
加えて、徒歩にして500mほどの場所で土砂崩れが発生していましたが、
それでも、「災害に巻きこまれつつある」という意識は希薄でした。
被害地域が広域であったこと、下手に現地取材を行えば自身も被害者になってしまうマスコミのリスクに加え、
もしかすると「雨の災害」だと、心のどこかでラベリングをしていた(し続けている)人も多くいたんじゃないかなあ。
現在は、豪雨災害のニュース一色、現地からの報道ばかり、といった感じですけれど
実際の雨が降っているときの映像は、ほとんどが京都の嵐山だったり
それらのニュースをみて感じたことがあったので、書いておきます。
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ご家族を亡くしたお父さんの後ろには、画面を通じて確認できただけで
お父さんの後を追うように、20人ぐらいの「マスコミの人」がいました。
よく「心ないマスコミが!」という意見は目にするけれど、ぼくは今回
「このお父さんは、ひとりでこの時間を過ごすことにならなくてよかったんじゃないか?」
ご家族を亡くされた苦しみ。
自宅が浸水し、心の支えを失ったなか、
いったいなにを支えに生活を取り戻していくんでしょう。
想像するだけで胸が引き裂かれそうになるよ。
「だれにも見向きもされず、ひとり」だったら、どうだったのだろう。
だから一部の人たちから「クソマスコミが!」と呼ばれるのでしょう。
けれど、人間みんなが「苦しみをひとりで耐え忍ぶ」ことをできるように
デザインされているとは思えないのです。
ぼくだったら、どうだろう。
そんなときに、それがたとえ気遣いからでの「ひとり」であったとしても
カメラをかつぎ、マイクを握ったマスコミのみなさんではあるけれど、
きっと、しぼりだすように、されているお父さん。
受け止めることができるか、それを試されているんじゃないかなあと思うよ。
ああ、痛い体験ですね。強くなろう。
3.11、多くの人がそうできたように、また今回も。
そう、3.11です。ぼくはニュースで水につかった西日本の街を見るたびに、三陸を思い出します。
ぼく以上に思い出すよなあ。
逃げているように思わないで。
あれだけの傷をうけてまだ7年です、
「みんなが生活してくれている」それは奇蹟だし、
みんなが絶望していないんだよ。それは、みなさんが、
すっごいワガママを言うと、
「ただ、いてくれること」そのことがどれだけぼくらを救うか。です。
いつもありがとう(^_^)
みなさんがそういてくれるんだもの。
きっと、ぼくらにできないはずはない。
もう、寝る暇もなく働いてるって。
そんな皆さんに敬意を持って過ごせたらいいよなあ。
そして、それが原因で心を痛めるかもしれないけれど、
「関心」が向けられていること、
さっきのお父さんの話のように、間違いなく支えになるから!
FIGHT BACK!
みんなの状況が少しでも良くなっていきますように。
FacebookやTwitterといったSNSが普及し始めて、卒業したらなかなか会うこともないであろう人とも簡単に繋がれる世の中になった。
関係が希薄になるといったデメリットもあるがなによりまたお互いの存在を認識しあえるというメリットはかつてにないものだと感じている。
そんなある日
ふとFacebookを見ていると、
A美は幼稚園から小学校まで同じところへ通い、家も近所だったため仲が良かった。
A美の家は小さなアパートに母親と弟の三人で住んでいた。母親が水曜日と金曜日は仕事で家にいなかったのでその日はその子から家に招かれまだ小さい弟の面倒を見ながら遊ぶ日になっていた。
一年生の頃は家でご飯を食べたりゲームをしたり、その下の弟と三人でA美が好きなままごとをしたりしていた。
2年になると、弟は保育園に行ったので2人で近くの山に木で建てた小屋を秘密基地としてそこで日が沈むまで2人きりでいろんな話をした。
昨日見たテレビの話やA美が好きなアイドルの話、大人になってからの話
サバサバした性格だったのでよくある大人になったら結婚してねっていうようなタイプではなかったものの、少なくとも僕としては2人で過ごす時間が幸せだった。
小学校3年生になった春、A美は突然母親の再婚でシンガポールに行くことになった。
A美「いつかまたここに帰ってくるよ。帰ってきて大きくなったらあの部屋で一緒に住もうね」
僕「うん。なにかあったら、なにもなくても手紙でも電話でも必ず連絡くれよ」
旅立ちの日、あまりに悲しくなってどうしていいかわからなくなった僕は父親に頼み込んで地元から成田空港まで送ってもらった。
何時発なのか聞いてなかったため、向こうより早く着いてしまったけど、
A美に昨日徹夜して書いた手紙を手渡しそこでお互い無言で握手をして別れた。
そんな過去のことを思い出して今彼女がどうしているのか気になった。
個人ページを開いた瞬間
愕然とした。
(下記英文)
2016/08/02
A美の弟です。
25歳で亡くなりました。
急にいてもたってもいられず東京から地元へ車を飛ばし、実家にあるアルバムに記載されていたシンガポールの彼女の自宅の電話番号に電話をした
弟が電話口に出て、事情を話すと弟は近々用事で日本に来るということだったので翌月都内で会うことになった。
弟は向こうも僕を覚えていてくれて
僕は何も声に出すことができなかった。
そして弟は
「実は来年、姉は日本に帰る予定だったんだ。日取りが決まったら真っ先にあなたに連絡したいと実家の電話番号が書いてあった冊子をよく探してたんだ。前にもらった手紙にあなたもずっと待ってるって書いてくれてたからそれが姉は嬉しかったみたいでずっと大切に持っていたよ。だから向こうに帰ったらあなたにあって、まだ約束を覚えてくれてたらあのアパートで一緒に暮らしたいと言ってたよ。」
胸が苦しくなった。
僕も約束を忘れてたわけではない、むしろいつもどこかに引っかかっていた。
シンガポールに旅立ってから僕は様々な人とお付き合いをした。今まで付き合った人たちは皆彼女にどこか似ていた。
今の彼女も5年の交際期間になりもうすぐ結婚しようとも思っていた。
A美は忘れてなかった。むしろその約束を守れなかったのは僕だった。
彼女がもうこの世にいないという悲しみと
僕は目の前の弟とその傍であの時と同じあどけない笑顔の彼女の写真にひたすら謝ることしかできなかった。
墓は地元に納められた為、命日の日は墓参りに訪れ、彼女が好きだった白い花を備えてそこでゆっくり墓石に話しかけている
昔秘密基地で語り合った話をしたように。
今回はせりふが聞き辛かったな。
途中から耳が慣れて聞こえるようになったけれど
野田さんや橋爪さんが聞きづらいなんて事なかったのに。
で、肝心の舞台ですが 重いです。
なので ちょっとまじめに書こうと思う。
昨日からずっと考えてた事。
好き勝手に書くのでご容赦を。
なぜ それをわざわざ触るのか?
といいたくなる題材。
きっと何か意味があるはず。
なんとはなしに感じてた事だけど
十把一絡げ に書いて申し訳ないけど
今の若めの世代の人たちって ちょっと 危ういなって思う事がある。
興味ないことへの興味のなさ度があからさま。
逆に興味があることへの 距離感が近すぎっぽい。
頭でっかち感。
現代の閉塞感のせいもあると思うけど。
「解った上で」って事がない人が多くなっている気がして怖い。
「解った上で」やっている人とそうでない人。
「カチッ」と ハマってしまって
あるんじゃないのかなって ちょっと思ったりする。
で、舞台の話。
なぜ今 この題材なのか。
野田さんもそういった今の危うさを感じていているからなんじゃないかなって思う。
幼子だった子も含めれば
そしてその子達の大多数は
どうして 暴走していく事になったのか。
目の前にぶら下げられる都合のよい作り話を
これらをみて 感じて「考えて」欲しい。
こういうものは 「カチッ」とハマっていい代物ではないんだ。
「忘れるために祈るのよ。でもね、忘れきれないものが残るでしょう。
そのことを忘れないために私は祈るしかない」
でも忘れてはいけない事が残るはず。
その事すら忘れる事がないように私は祈る。
このせりふが それを物語っているのかな。
決して 他人事ではない。
渦中に立った時に あっち側の人間になる可能性が誰にでもある。
私にも。
そして、その可能性の濃度が濃くなっている
今の危うさに気づいて何かを感じて考えて欲しい。
そんな野田さんの祈りにも似た想いなのかもしれない。
いや しかし 重かったなぁ。
いつもは戯曲とか買わないけど
そういえば、観客にエライでかい声で独り言を言ってる人がいました。
ああいう人は始めてだったな~。
50. 名も無き哲学者 2018年07月03日 03:47 ID:kCoxK.Pb0
古代のインド人が発見してヨガや仏教にも取り入れられた瞑想修業であるが、現代人はこの瞑想というものをあまりにも知らない
深い瞑想によって自分と外界の境界が希薄になり、宇宙との合一感を得られるという
しかし瞑想による「神秘体験」は実は催眠術と同様にオカルトとは関係がない
感覚を遮断して深い瞑想状態に入ると脳の方向定位連合野の活動が極端に低下するらしい
でも現代人は催眠術を知っていても瞑想を知らないから、瞑想修業による「神秘体験」にショックを受ける
そしてもし、この「神秘体験」を教えてくれた指導者がカルト教祖だったらどうなるか?
オッス!オラBBA!
先日、「恋愛映画って面白いの?」的なエントリが上がっていたので主観的独善的に面白い恋愛映画を上げてく。
80年代の「こうだったらかっこいいのに!」を全部詰め込んだ映画。臆面もなくて恥ずかしい。でも素敵。
流れ者の男が誘拐された現在はロックスターとなった元カノを暴走族から奪還する映画。最後に元カノは「天使を見つけられなかっから街へイカス男の子を探しに行こう。」と歌う。曲はかっこいいのに何この歌詞。7月にデジタルリマスター版が映画館で公開されるので興味がある人は見に行ってほしい。
2.「ターミネーター1」
何故か日本人のルースターズの「どう仕様もない恋の歌」がセルフBGMでかかってしまう。
この二人の思考回路や行動原理は全くわからないのだがなぜか惹かれる。
ジョニー・ロットンが全く似てないので彼のファンの人は見ないでほしい。
これはピストルズの映画ではなく、バカで這いつくばっているような男と女の恋愛映画なのだから。
4.「そこのみにて光輝く」
これもただただ暗い、どうしようもない社会で生きている女の恋愛映画。
いいラブシーンだった。
池脇の有名なちっぱいもこの映画では生きてる。あれが豊乳だったら惨め感が希薄になる。
池脇はずーっと映画で活躍してほしい。テレビなんかに降りてこなくていい。
でも、男性は見終わったらグッタリしちゃうから見ないほうがいいよ。
6.「お嬢さん」
原作は「荊の城」。
日本人のお嬢さんを騙して財産を強奪しようとする詐欺の少女と仲間たち。
でも、お嬢さんと少女にはいつしか恋のようなものが芽生え始める。
構成と映像と衣装&舞台装置が秀逸で二人のラブシーンも耽美で涎でる。
お嬢さんはフェロモン系で少女はアイドル系の容姿で配役もバッチリ。
番外編「人斬り」
絶対勝新はエッチうまいはず。画面を通してねちっこさが伝わってくる。
玉緒が離婚しなかったわけだわ~。
基本的に労働者の言うことなど気にしない。黙って働けと思っている。労働者などすりつぶして利益にするべきだと考えている。個々の問題は気にせず、企業を存続させることが第一目標。経営者同士の仲間意識が強い。だめな仲間が辞めてしまうと自分にも被害が来るので死なせず防波堤にする。
経営者に文句を言うが、自分が経営者になって頑張りたくはない。経営者などすりつぶして労働者のために働けばいいと考えている。個々の問題点が気になる。そのためには企業がつぶれても平気。仲間意識は希薄。だめな経営者は辞めさせるべきで代わりに誰かがちゃんとやってほしい。
https://anond.hatelabo.jp/20180627070704
https://anond.hatelabo.jp/20180626172902
だから、彼の所業はともかく、彼をネットリンチが取り巻いてたって認識には嘲笑と共に否定を突きつける
だって彼は喜んでたんだよ、と
んで、いつの間にか「いいひと」にされた件の人のしたことは、粛々と通報しただけになっていて
件の人に襲われる理由があったのかなかったのかごちゃごちゃになってきてるんだけど
あったとしてもそれは普通の行動で、件の人が殺されたのは事故であるとの主張もある
・ヲチという行為自体の是非はともかく、彼は喜んでいたのだから、はてな無罪
・彼は喜んでいたのだし、彼は攻撃者なのだから、イジメなど存在していない
最近、子供の頃の、母親との辛い思い出がフラッシュバックする。
事前情報として。
私は三人姉妹の長女で、割と大人には気に入られやすい子供だった。いわゆる「いい子」。先生からも信頼され、友達の親からも行儀の良さを褒められることが多かった。友達は多くもなく、少なくもなく。父は仕事で忙しいながらも休日はしっかり子供にかまい、平日母に負担をかけてるからと、家にいる日には率先して家事もこなしていた。専業主婦の母は優しくてきれいなお母さんと評判だった。妹たちは年が近いせいで喧嘩も多かったけど、仲良くしていた方だと思う。成人した今でも、一緒に出かけたりする。普通に大学を卒業して、普通に就職して、普通に結婚した。
本題に入る。
日々子供と接する時間の中で度々自分の子供の頃の辛い思い出が蘇る。
その一部が以下の通り。
=====================
●幼稚園
・毎昼のお弁当は冷凍食品だらけだった。友達のお弁当が美味しそうで羨ましかった。その事を母に話すと、母は「妹たちの世話でこんなにも忙しいのに」と不機嫌になるので、まずい冷凍食品を我慢して、息を止めて食べていた。(昔の冷凍食品はまずかった)
・真冬の寒い日、ストーブ1つを母と子供達で使って過ごしていたが、母がど真ん中に陣取って、昼寝をしていた。母に触れて起こしてしまわないよう、端の方からそっとストーブに手を当てて暖をとった。
・妹がテレビを観ながらご飯を食べていたので、椅子から突き落とされ、外に追い出された。妹を助けることはできなかった。
・母が怒ると謝っても許してもらえないし、無視される。なぜ怒られているのか分からない時も、ひたすら謝り続けるしかなかった。「なんで怒られているのかわかってる?」と聞かれるのが怖かった。その点妹は賢く、母を笑わせる事で事なきを得ていて、羨ましかった。
・体調が悪くて小学校を休みたいと訴えると、母は不機嫌になった。ある日「やっぱり今日は給食が美味しそうだから学校行こうかな」と言ってみると母が喜んだ。それからは体調が悪い日には母から「でも、今日の給食美味しそうだよ」と振ってきて、そう言われた日には頑張って学校へ行った。(38度くらい熱が出たら流石に休めたし、優しくしてもらえた。高熱が出るのが嬉しかった)
・小学校高学年で転校して、なかなか学校に馴染めず、誰もいない部屋の隅でぬいぐるみを抱えて泣いた。その泣き声を聞いた母が部屋に入ってきて、「泣いたって何にも解決しないんだからね!」と叱られた。メソメソしているのが、鬱陶しいのだなと思ったが、泣き止めなかった。
・友達と遊ぶ約束がないと、ため息をつかれた。友達が少ない自分は母の理想の子供ではないと、頑張って友達を作り、約束を入れた。
・他人から私や妹たちが勉強について褒められると、「勉強しなさいなんて言ったことないんですよ」と言っていた。確かに「勉強しなさい」とは言われなかった。でも「勉強しなかったら、将来苦労するよ」等、明らかに勉強する事を望む言葉を聞かされていた。他人から「優しいお母さんでいいね」と言われると心がざわついた。
・私を恥ずかしがらせることが好きだった。好きな人や小さな失敗を囃し立てて、顔が赤くなるのを見ては「かわいい」と喜んでいた。
・男性芸能人や偉人に憧れると、その人の悪い面を教えたり、「面食いなんだねぇ、私はイケメンって苦手」と肯定することはなかった。憧れるという気持ちがかなり希薄になった。(最近ようやくイケメンに対するあこがれを罪悪感なく持てるようになった。楽しい。)
・色気があると褒められたと伝えると、「全然ないよ」と否定される。これは何度もあった。私は、自分には魅力がないと理解するようになり、異性から誘われても、自分のどこに価値を感じているのだろうと邪推するようになった。
(父は単身赴任の多い仕事で、長いと年単位で他県や国外に赴任し、家族と離れている時間が多かった。そのため母と子供達だけの期間がかなりあったのだが、その期間は特に母のアタリが強かったように思う。父が家に帰ってくる日は母が優しいし、怒っても父が宥めてくれるので本当に嬉しかった。)
=====================
私は、私は母の望むような自分でないと価値がないと思うようになり、自分自身への自信をなくしていった。そして、子供が産まれるまで母は普通の親だと思っていた。むしろ、難しい子供だった自分を育ててくれてありがとうと、感謝の念でいっぱいだった。
でも子供を育てている今、必ずしもそうではないと思い始めた。
ニュースの報道なんかを見ていると、自分は全然恵まれている方だと思うし、母も1人で3人の子供を育てるのは大変だったと思う。私の経験は、誰でも経験する、小さな出来事なのかもしれない。でも、私にとっては辛い経験で、小学校高学年〜高校あたりまではうつ病の気があったのではと思う。毎日家のベランダや学校のテラスに出て、飛び降りたら死ねるかな、楽になるかな、と考えていた。
昔の思い出を伝えて、母を責め立てたい。
数年前妹が摂食障害を発症し、親子共々カウンセリングを受けた結果、母は変わったからだ。
摂食障害は親子間の問題から発症することがあるらしく、その問題を追及していった結果、母は自らが間違っていたと、自分を変える努力をし、その結果かなり寛容な人間になった。今の母のことは好きだ。
でも、子供と過ごしているとふとあの頃の辛い思い出が蘇る。もっと優しくして欲しかった。私のことどういう気持ちで育てたのと、ひたすら辛い。
子供のことは好きだ。だから私と同じような経験はさせたくなくて、子育て本を読み漁っている。すると、私の知る子育てとは真逆のあたたかい子育てを知り、またあの頃の辛い思い出にフラッシュバックする。
夫には話を聞いてもらっているし、親身になってくれる。その瞬間は気持ちが楽になるし、本当に感謝している。
※著しく低い語彙力
※実話
受験も就活も平坦にあっさり進んできて、虚無感と心の中のもやもやとか性的に希薄だった過去が重なって、人肌に触れたいゲージが限界を超えたので半ば思いつきで見つけたお店に行くことに
よくもまあ人見知りな私が風俗に行こうって気になったなぁとも思うけど、就活で無駄に自信がついた行動力が背中を押してくれた
思い付きで某駅に到着したときに、指名できる女の子が一人しかいなくて、しかも写真では正直よくわからなかったので、部屋で女の子を待っているときが一番緊張してたかもしれない
それでも、入ってきた女の子は写真より可愛くて、第一声で私に可愛いって言ってくれて、恐縮しながらも安心できた
過去にしたおざなりな性交や普段の適当な自慰から今回、射精しようなんてことは最初から考えていなくて
触れ合っている過程でお腹いっぱいになれればいいと思っていたんだけど
はじめて目の当たりにしたおまんに夢中になっちゃったりとか素股の破壊力とかがすごくて知能指数が下がり気味になってしまった
でも、それよりも、話しているうちに今まで誰にも言えなかった弱音とか心のもやもやとかが止まらなくなっちゃって
それでも女の子がぜんぶおっぱいで受け止めてくれて、頭をよしよししてくれて
今までされたことないやさしさにただただ甘えることしかできなくなった
最初は可愛いって言われても恐縮しちゃってたのに、いつの間にか可愛いって言われることが嬉しくなってる自分がいて
私の中でのピークは、目があいながら手をつなぎ素股されたときで、メス化してイってた感覚になってた
「この関係」だからこそのプレイだったけど、「この関係」だったからこそ自分の弱みを出せたのかもしれないし、「この関係」限りの好きに近い何かは私を救ってくれた気がする
追記
たまには「まとまらない考え」を書いてみるのも良いのかも知れない。
イスラエルでは、妊娠も出産も誰もが当たり前に通る人生の過程である。「子どもかキャリアか」という問いの立て方は確かにあるが、とにかく誰もが子どもを育てることの重要性を確信しているので、育児のために仕事に影響が出ても多少は仕方がないという暗黙の前提が社会全体に共有されているのだ。例えば私は、博士課程を修了させるために夫と上の子と共に日本に四年滞在した後イスラエルに戻ってきたとき、妊娠していた。しかし夫は、すぐに大学での就職活動を始めろと言う。大きなお腹を抱えて面接に行って果たして職が見つかるのかと思ったが、夫は「妊娠期間がいずれ終わるのはだれもが知っている自明の事実である。明日から働きたいと言っているわけではないし、今妊娠しているということは仕事を始めてすぐにまた産休を取ることはないとの判断材料になる」と言うのだ。
確かに一理はあるが、半信半疑のままハイファ大学とテルアビブ大学に直接電話をかけて関係する学科の責任者たちとアポイントを取って会った。どこでも出産後いつから働き始められるのかを聞かれ、適当に答えているうちにテルアビブ大学での職が見つかってしまった。また働き始めたら、バギーに乗せて赤ちゃんを大学に連れてきている学生がけっこういる。大学と幼稚園や小学校では休みが微妙に違うので、ベビーシッターの見つからなかった教員が自分の子どもを授業に連れて来ることもある。私もずいぶん連れて行ってクラスの後ろに座らせておいた。
産休は三ヶ月なので、生まれたら早急に預ける所を見つけなければならない。公立や私立の保育園、保育者が自宅で数人の子どもを預かるミシュパハトン、個人のベビーシッターなどがその選択肢である。親も保育者も、とにかく子どもに「温かさ」を感じさせるということをその基本方針としている。「冷たい」とか「乾いている」というのは、イスラエル人にとって徳性とは最も相容れない要素であり、逆に「温かい(直訳は「熱い」)というのは最優先事項である。抱き上げ、頬ずりし、キスをするという身体接触を重視するだけでなく、絶えず話しかけたり歌を歌ったりする。少し大きくなると、分かっていてもいなくても本を読み聞かせる。その一方で、哺乳びんやおしゃぶりからの卒業はそれほど重視されない。日本の保育園でよく聞く「自分のことは自分で」という衣服の着脱等に関する自立教育もあまりない。イスラエルでは四歳になってもおしゃぶりを離せない子も珍しくないが、大人たちは「二〇歳になる頃には大丈夫」と言ってさほど気にしない。確かに日本とイスラエルの二〇歳の若者を見比べた際に、日本の「自立教育」がさほど効果をあげているようにも思えない。
(山森 みか. 「乳と蜜の流れる地」から 非日常の国イスラエルの日常生活 (スマートブックス))
陰謀論ね~、と思わないでもないが、イスラエルはアメリカの黒幕の一つとされている訳だが、トランプも含めた保守も、ハリウッドやシリコンバレーにも多大な影響を持っているからかリベラルも頭が上がらないように見える。
それはともかく、上の文章の前提として、イスラエルはユダヤ人の民族主義の国だ、という点はあると思う。
(ユダヤ人というと、金融やITに強いというリベラル的なイメージもあるが)
それ故に、「産めよ増えよ地に満ちよ」と妊婦や小さな子供を抱えた母親に対して寛容なのだろうと思う。
少なくとも、「女性の権利」の主張の延長上にある、ということではないし、セクハラ問題に厳しい人達も、シングルマザー問題に対しては冷淡だよな、とは思っていたが、「思想的に反対」と考えると色々腑に落ちるものもあった。
「では、(妊婦が肩身の狭い思いをしている)日本でも民族主義を勃興させるか!」という話でも無く、何かうまい落とし所があれば良いね、という話なのだが。
反面教師と言ったら良いのかは不明だが、北朝鮮があれだけしぶといのも、民族主義が根底にあるからだろうし。
ちなみに日本だと、チラッと聞いた感じだと、自衛隊内でも「民族主義派」というのはほとんどいないらしいし、安倍首相にしても、その経済政策が左気味であるように、思想にしても世界基準で考えると左の人だと思う(逆に、日本から不自然なほど「民族主義」の匂いが除去されている、とも言えるし、その結果としての個人主義、個々の分断、同胞意識の希薄化、他人への冷淡さ、みたいなことにも繋がっているのかも知れない)。
ちなみにアメリカでは、「子供を沢山育てることは国への貢献である」という価値観がキリスト教の影響の強い保守の一部では残っているが、白人のマイノリティ化が進む現在、その美徳がどこまで残るかはやや疑問が残る。
イスラエルの場合、周囲の国が全部敵性国家である故にそれが国民の団結に繋がっている部分もあるのだろう。
繰り返すが、別に「民族主義」を推奨している訳ではないし、合わない服を着ても死ぬ確率が上がるだけなので、日本は日本なりのサバイバル方法を見つけ出せればいいのかな、とは思う。
かつては今ほど高学歴 == 高年齢で子育てを開始することはなかったよね。
子供もたくさんいたから、何人か死んだりヤクザになったりしてもかまわなかった。
そもそも、子供の世話をするのは子供の仕事だった。どの家庭でもそうだから、何の疑問も持たずそれが当たり前だった。
親戚同士で近所に住んでたから、ちょっと子供を見ててもらうなんてことも普通にできた。
今は親戚関係も希薄で核家族化してそのどれも無いし、子育てはノーミスクリアしないといけないものになったから、子供や親戚に散らしていた仕事を自分でやらないといけなくなって仕事が増え、少子化によるノーミスクリア要求からその練度も高いものが要求されるようになり、それを前より体力がないところから開始することになったから大変になったということじゃないかね。
似たような話に、かつては家事をしてくれる機械なんてものはなかったが、家事の要求水準も今よりずっと低かったから別に困らなかったって話があった気がする。一日三食、一汁三菜なんてここ最近のことでしょ?
これは、「自己承認の不足」ゆえの「他者承認ゾンビ」だと思うよ。
自己認識が希薄な分、それを埋めるための他者承認を求め続ける。当然、性質が違うから埋まらない。
ビタミンやミネラルをバランスよくとっても、カロリーがないと生きていけないよね?
これは完全にバランスが悪い。というか、極端すぎるわ。
もちろん、「無条件にほめる」のも悪バランス。「マイナスの承認」もある程度は必要だ。
褒めるのも叱るのも半々だったとしても、罪を犯す奴は存在する。
これもそうだけど、このバランスというのは
その時のメンタル状況やそれまで摂取した承認の種類によって変わってくる。
基本的には自己調整できるものだけど、それがあまりにも偏ってる(=環境に恵まれない)と、
「壊れる」人が出てくる。
これが鬱だったり、あるいは病名のつかない他のものだったりする(インセルもそうか)
2.全員が他者への極端なマイナス承認、悪意あるマイナス承認をしないようにする。
上記2点は両方、無い。
つねに受け身で指示待ちの姿勢
②向上心がない
覇気やヤル気が感じられず周りに流されている
③自分で調べない
困難があった時に自分で調べずに人に聞く
④すぐに落ち込む
⑤友人が少ない またはいない
やる気ないならやめれば?向いてないよ?
おそらく彼らは、「自分たちは○○○によってすでに権利を阻害されてきたのだ」と思い込んでいる。自分は全く納得はしないし頭がおかしいんじゃないの?と思うが、彼ら差別主義者の言い分や行動をみているとそうとしか思えない。
(本当は誰かの権利を踏みつけてきた結果不当に得ていただけでしかない)「自分たちが奪われたものを取り戻している」、というのが、彼らの差別を肯定する理由であり原動力なのではないか。
彼らが「自分が奪われた権利」だと思っているものは、自分の力で得たわけでもないし他者の権利を侵害する形でしか成り立っていなかったものでしかない、所詮は"砂上の権利"でしかない。だが、彼らに限らず人間というものは、それが不当で不法で不公平なものであれ、持っていたはずの権利を奪われると腹が立つものだ。
ダイエット的に考えると、「奪われたと思ってる権利」がそもそも明らかにカロリーオーバーだったというか、「権利の肥満状態」だったものが正常に近づきつきあるだけだ、と言ったところで、権利デブのライフスタイルはそう簡単には変えられないだろう。
彼らが主張する自分たちの権利は、本来的には不当で不公平の下敷きがあって成り立ってたものでしかないことや、そもそもキミカロリー取りすぎやからそんな権利デブなんやで?というのを気づかせるには、この「持っていたのに!」という思い込みをまずは何とかしないと、どうしようもない。しかし、そもそも人権という概念が大変希薄なうえに、自分の手に持っているものが減っていることだけには敏感である、それが元々自分じゃない誰かが差別されていた結果得られていた砂上の権利であることに気づくのは難しいだろう。
そういう彼らに人権を説いたところで、自分はすでに腹ペコペコだと思っているわけで(実際は権利デブが過剰カロリーを摂取してただけだが)、池田弁護士の手紙は、パンがないならブリオッシュ食べたらいいじゃない的なものにしかなってないのではという気がする。
「現実」を理解しないまま現実に特攻仕掛けてしまった罰を受けるのは仕方がないことではあるが、よりぐつぐつと不満が煮詰まって先鋭化する層も現れるだろうなぁという暗い気持ちもある。
常識は便利で貴重なものだけれども、同時に常識は頼りにならない。常識は社会生活を営む上で便利なものではある。しかしそれ以上に怖れるべきところがあって、それは己の行動を意識の深いところから縛ってしまうものでもあること。
常識の中には根拠のあるものもあり、また同じくらいに根拠の薄弱なものがある。不確かな、非合理的な常識というものが少なくない。常識と呼ばれるものについては全てを疑ってかかる位でちょうど良い。常識だからといわれてそこで思考停止してしまう人のなんと多いことか。普通の人は、常識ということばの前に思考を止めてしまう。それが普通である。普通であってはお金持ちにはなれない。
やたらめったら非常識になれと言うのではない。他者に害を与えることなく、常識に囚われない考え方をし、行動をとること、それが知性である。
常識の枠内で生きている人々は普通である。普通の行動をとっていれば、普通の人々と同じになる他ない。普通に生きるというのは尊い面もあるけれども楽ではない。
お金持ちになるには、普通の考え方や行動を超えてゆく必要がある。常識を超えた考え方、行動をとっていれば、普通の人々とは思考様式が異なってくるし、話題も合わなくなる。常識を超えた生き方をしようとする事は、これまで付き合ってきた常識的で普通の人々との関係を希薄にすることをも意味する。縁が切れる場合もある。
常識を超えた生き方、考え方、行動を採るには、相応の覚悟がいるという事でもある。
https://anond.hatelabo.jp/20180512184013