はてなキーワード: 外食産業とは
そうめんが売れなくなっています。厳密に言うと美味しい『手延べ』そうめんが売れずに、リーズナブルな『機械麺』や流水そうめんが売れています。手延べそうめんが売れないと手延べそうめん職人の後継が何年後にはいなくなるのが現実です。少しの値段の違いで大きな味の違いがわかります。
https://twitter.com/somenjiro/status/1000957706868473856?s=19
このツイートを見て思ったが、少しの値段の違いと言うが値段は2、3倍違う。
業務スーパーのプライベートブランドなど真の底辺そうめんとは6倍ほど違う。
流水麺は茹でた後の重さで考えると手延と比べても安くはないが、暑い中で熱湯でグラグラ湯がく手間が省ける。
手延そうめんの危機は、時間と手間と金をかけても美味しいものが食べたいと思う余裕を国民から奪った結果だ。
そうめんは夏の昼ごはん需要が大きいだろうから働くお母さんが増え夏休みの昼に家でそうめんと言う家が減ったのもあるだろう。
外食産業にまだ根付いてないそうめんで切り込むなど対策も取れず、買ってくれないと滅びると訴えるだけでは、手延そうめんは滅びるだろう。
そして国も経営者も奪おうとばかり動いている。
外食産業で提供される食品は、そのほとんどが塩分過多だ。なぜか?
おいしい、と一回で思ってもらえなければ、もう一度来てもらえない。
では、それを文化に置き換えるとどうなるか。
面白いと思ってもらうには、サスペンスものならスリルや驚きを、コメディなら笑いを、
子供がかわいい作品ならその魅力を「わかりやすく」表現しなければならない。
そして、そういったわかりやすい表現をしつつ、写実的であることは非常に難しい。
なぜなら、日本人のリアルはハイコンテクストで、直接的な表現を避けるからである。
フィクションはフィクション、リアルとは別物になってしまうのは、金銭が絡む以上仕方のない事だ。
私は大学1年で、今は帰省してて、高校時代から勤めている回転寿司店でバイトしている。私は軍艦・一部にぎり、デザートポジションを担当している。寿司屋のバイトは一人当たりの仕事が勤続年数を重ねるたびに内容が多くなる。マルチタスクというべきか?
もっと詳しい仕事内容は、ポジションごとに一人~二人、三人で、にぎりは別部署で内容は異なるが五人、六人。軍艦は三人程。私は軍艦配属になることが多い。軍艦は一人はオーダーといい、客から直接注文を受けた寿司を作る。注文内容はディスプレイに表示される。あとの一人~二人はサンプル・補充・持ち帰り寿司の担当をする。このサンプルがタイトルの食料ロスに関わる。サンプルというのはレーンに寿司を並べることである。よくプレート(正式名称わからぬがレーンによくあるやつ)の後に寿司が二皿程度ある。誰が食べてもいい。これらはオーダー担当の負担軽減や販促の意図がある。または今日期限の食品を使い切るためにサンプルが使われる。しかし食べられないものもある。一定時間流れたものは全て廃棄である。店側の従業員が食することもない。すべて残飯となって捨てられる。たとえ大トロだろうが、高級ネタだろうが関係ない。せっかくサンプルで作った寿司が食べられず廃棄、そしてまた作る。この繰り返し。繁忙時間帯になると、社員からレーンを寿司で埋めなきゃいけない。サンプルが溜まると社員に注意される。その時間帯は捨てられる寿司がめちゃくちゃ多くなる。プラスで食べ残しやオーダーキャンセルした寿司も大抵廃棄。あまりにも無駄を重ねている。ほかの飲食業界がどうなのか知らないがファミレスでも食べ残し程度くらいではないだろうか。寿司屋の廃棄は多すぎる。それに比例して発注も必然的に多くなる。金も食料も労働も無駄である。しかしこんなこと言うと回転寿司という大義名分がない。しかし沼津魚河岸寿司(静岡県全域・神奈川県一部・東京羽田空港などに店舗がある)では客がタッチパネルで注文して、レーンに流れて寿司が流れる。サンプルは一切ない。オーダーのみ対応という業態である。これは無駄な食料が発生しない。これこそ回転寿司ではないだろうか。(当の沼津魚河岸寿司は回転寿司ではないと公言している)このサンプル制度はかっぱ寿司はあまりない。時間帯にもよるが、プレートだけ流して、タッチパネルで注文する。夜遅いと、オーダーのみ対応となった。はま寿司、スシロー、くら寿司はガンガンサンプルがながれている。外食産業の食品ロスはあまり問題にはならないが、もっと問題にすべきではないだろうか?
気づけば中年のオッさんだ。
俺も経験を書いてみたいと思う。
「会社で無能扱いされたら自分の能力を悲観するより、会社に合ってない」
と考えたほうがいい。
ここからは、そういう考えに至った
この言葉が届いたら良いなと思っている。
たぶん、君が輝く職場はどっかにある。
15年前は超就職氷河期。
同時にブラック企業が大学新卒を食いつぶし始めた時代でもあった。
大学時代、何も考えていなかった俺は、
店を持って自立すべしという話は、
当然、考えるよりも手と体を動かす仕事。
終わらない仕込みの山と料理長の怒号。
風俗に通うが勃つこともできず、
嬢の胸で泣いて過ごす日々であった。
「お前のような奴は何をやっても続かない」
「根性のない奴は一生負け続ける」
2社目:WEB制作会社
1社目を辞めてから3年間、自宅療養になった。
手伝って欲しいと言われた。
話してて賢いと思ったからとの事だった。
取り扱ってる会社だった。
先輩と1つ案件を回し終わったら、
次からは一人で全部やらされる事になった。
この仕事を支えた。
求められれば面白くなり、みんなの期待に応えたくなってくる。
完全に身バレるので書けないが、
気づいたら社長の次に高給取りになっていた。
この職場では、明らかに俺は有能であった。
3社目:広告代理店
もっと大きい仕事、もっと社会にインパクトのある仕事がしたかった。
そこで待っていたのは、
繰り返される板挟みと調整。
「鬱病持ちとか人事なにやってたんだよ」とか
「部門結成以来のババを引いた」とか
妻子がいたので1社目の時のように長期休養は取れなかった。
地味なBtoBや自治体や役所のWEBコンサルを専門でやっている会社。
クライアントが定時なので、
常駐勤務ならは同じような勤務体系でいけるでしょう。
と、勧められての事だった。
実際、朝は9時に出社。18時には全員退社する職場だった。
前職や前々職で作った人脈やノウハウは、
代理店の使い方も慣れていた。
発注される側の苦悩を味わっていたので、
先回りしてキーパーソンに見せるなど根回しなどを行った。
時代感ともあっていたのか、
案件受注額は毎年倍倍と膨らみ、
本社の規模は3年で5倍以上に大きくなった。
この職場では、俺は再び有能になった。
5社目:個人事業主
好きなことだけをやっていける。
やりたくない仕事は受けないこともできる。
全然稼げてないし、
そこそこ貯金したので5年くらいは
収入なくても食っていける。
ここで結果をあげられるかどうかは解らないが
もう会社に振り回される事はないだろう。
もし、今「無能」と言われて苦しんでる人がいたら
色々と動いてみたら良いと思う。
無能と言われるような状況に身を置くのはやめたらいい。
外食が好き。上げ膳据え膳最高。
でも、分量が多すぎ。
「ご飯半分にしてください」というと三分の二くらいになる。
最近は「四分の一」でお願いしている。
ダイエット始めたのだ。
ご飯を減らしても、おかずだけで色々オーバー。
お店の方は残してね、と仰ってくださるのだが。
私は私のせいで発生する廃棄を容認しがたい。
安くならなくてもいい。
分量減らしてほしい。
もしくは、注文方法によって、減らす工夫ができるようにならないかな。
コストパフォーマンスなんてくそくらえ。
追記及び謝辞。
-------------
・堂々と残す勇気を持て、とのお言葉。ありがとうございます。
仕事都合でランチ時等のピーク時にはごはん行けないし、そういった場合は残すことも多いです。
・王将さんのジャストサイズメニューは初めて知りました。ありがとうございます。
・お店によってグラムで伝えられるのも初めて知りました。ありがとうございます。
今回の件をうけて、腐女子の側は一方的に被害者とか、弱者という立場を維持するのだけでなく、
自分たちの慣習を、腐女子コミュニティの外の人たちにもわかるような形で
また、腐女子だけでなく、コミュニティ独自のローカルルール抱えてるオタコミュニティの人々は
今回の件は、他山の石となるんじゃなかろうか
・まず、主張自体への支持について述べるなら、私自身の立場はこの中で選ぶのならBが近い。しかしBそのものではない。AとCについても一定の妥当性のある主張だと思う。
・Dの主張にはいろいろ誤解がある。著作権の枠組みで主張をするのであれば「無許可な転載」は確かに問題だが、著作権上、正当な「引用」は許可を求める必要はないし、求めるべきでもない。また親告罪云々という話も「転載」と「引用」の違いが把握できていないものと思われる。
著作権法基準(A)の人が、ローカルな慣習(C)のありようを把握していなければ、両者の対立はどこまでいっても平行線である。この人達にずっと不満がたまり続けるので、互いの正当性を主張し続けて炎上は終わらない。また、基準Dのような勘違いを含んだことを言うひとも大量発生していて、これを基準Aの世界にいるひとからすれば「バカじゃねーの」という感じになるし、そう発言してしまう。基準Bの世界にいるひとも人によっては「それはちょっと、落ち着いて整理しましょうか」とたしなめる。なので、またしても火がよく燃える。これが今回の炎上の基本的なメカニズムだと思う。
炎上は「誰かが決定的に間違っている」から続くのではなく、「ある立場の人からみると、別の立場の人のやっていることが極めて無作法に見える」ということによって起こり、その行為が「別の立場から見たときには実は何の問題もない」場合に、火が消えるタイミングというのは失われてしまう。
・基準Bの態度を採用することは、全体的に見通しがよく相対的に中庸な温度感のある態度だということになるだろうし、この立場を表明している人は、おおむね良識的に火消しをしているという感じだと思う。
・基準Bは、基準Aないし基準Cのみで完結して争っている人々の立場より、バランスのとれたものであろうとしているのは確かだろう。しかし、私は別の基準Eが必要だと思う立場である。
基準Eは、明文化されていない慣習を、きちんと取扱可能にすべきだという方法である。明文化するなりプログラム的に制御するという方法だ。以下に、なぜそのような立場を採用するべきかを述べる。
法がどうであれ、運用の水準で、実質的に慣習法を作り上げるということはいくらでもできるということはよくある。そして、ローカルな場にいる人たちは、その場の慣習があたかも普遍的に適用可能な「常識」であるかのような主張をはじめることが多い。だが、そうローカルな商慣習や、コミュニティ内の慣習は多くの場合、炎上の温床となってしまう。今回の件だけでなく慣習と法の間での齟齬が「炎上」を生んだことは数多くあった。
「様々な慣習に対して、可能であるのならば配慮すべきである」という主張は正しいと思う。可能であるのならば配慮するに越したことはない。
しかし「様々な慣習に対して、常に配慮すべきである」という主張は、どうか。わたしは難しいのではないか、と思う。単純にそれは人間にとって不可能なことを要請しているように思うからだ。
たとえば今回、火の手があがったのは、801界隈だったわけだけれども、オタク界隈どころかゲーマー界隈に限っても「同人ゲーマー界隈」「格闘ゲーマー界隈」「シューター界隈」「MMO界隈」「東方界隈」「レトロゲーマー界隈」など、細かなコミュニティがそれぞれの慣習をもっていて、自分が属していない界隈での慣習がどうなっているかというのは正直なところ把握しきれない。「私はオタク界隈のほぼ全てのコミュニティの慣習について把握しています」と自信をもって言えるという個人はいないだろう。まあ、それでもオタクコミュニティ界隈のことであれば、長くオタクをやってる人なら「ああ、これだったら何とかさんに聞いとけば温度感わかるっしょ」という人脈による解決はできなくはない。
ただ、それが、もっと遠い界隈のことになってくると、限界が出て来る。芸術・コンテンツまわりでも、現代芸術とかならまだしも、古典芸能の世界でのセンシティヴな話題とか言われても、細かなことはさっぱりわからない自信がある。手芸とかもわからないし、動物園のこともわからないし、外食産業のこともわからない。わからないことがいっぱいある。
で、まったく知らない界隈に飛び込んで、そこで見つけたものをよかれと思って引用しようとしたら、当事者からいきなり激怒されるなどしたら、私はビビる。めっちゃビビる。超うろたえる。
そんで、まあ、たぶんゴメンナサイすると思うけど、なぜキレられたのか、理解が追いつかないだろう。正直、ぜんぜんわからんと思う。小心者なので、とりあえず反射的にゴメンナサイをするでしょう。
「よく知らないものに言及しない」というのが重要だという人もいる。まあ、特にやる気がないなら、あんまりセンシティブそうなものには言及しないほうがいいかもしれない。
ただし「よく知らないものを知る」ということ自体は、世の中に多様な人々がいるということの相互理解をすすめる上では実は非常に重要なことでもある。たとえばLGBTや人種の問題というのは、言及の仕方についてしょっちゅう諍いが起こっているが、まったく言及されないよりも「善意に基づく無理解」のような言及は、議論をよびながらも、なされていったほうがいいだろう(まあ、場合によっては無視されたほうがマシということは少なからずあるにはあるだろうが)。
私としては、「同じ文脈を共有しない人にも、慣習上、重要な点を共有できるようにする仕組みづくり」を行っていくしかないと思う。
その仕組みづくりにはいくつかの段階があるだろう。
以上。STEPと書いてあるが、コレ全部やれという話ではない。まあ全部やれたらすごいとは思う。
もっとも、慣習によっては標準化が難しかったり、明文化しないことによってこそ意味をもっているような慣習などもあるだろう。そういうものを取り扱うのは確かに難しいが、すべての慣習が取扱い不可能ということもないだろう。
明文化できる慣習は、明文化して、可能な限りで、コミュニティの外部にいる第三者にも把握可能な形にするというのは、決して無意味なことではないと思う。お互いの不幸な行き違いをなくす基本的な方法だとも思う。
もちろん行き違いをなくすという方法自体を、腐女子コミュニティがいままで模索してこなかったとは思わない。
腐女子コミュニティ内部にいる人達同士ですら、行き違いはあったのだろうし、そのなかでの行き違いをなくすために、R-18タグは付けることで「ひっそりとやってます」ということを暗に伝えるという慣習が成立したのだろうと思う。その慣習の成立はとても重要なことだったと思う。
少なくとも腐女子コミュニティの内部では、この慣習はかなり機能していたはずだ。
そして、今回の事件はその慣習が、実は一般的な著作権法の枠組みと整合的なわけではないということによって起こってしまった。コミュニティが大きくなれば大きくなるほど、考慮すべき文脈の多様性は広がってくるのだから、近年の腐女子コミュニティの拡大とともに、こういった事件が何かしらの形で起こることはありえたことだろうとは思う。
それにもう一点付け加えておけば、私は「【基準B】:法的問題はない。しかし、当事者たちにとってセンシティブなことへの配慮が足りなかったという点で、研究倫理上の問題はある。」という態度だけを強調することは、一見、配慮をうたっているようでいて、そこまで素晴らしい態度というわけでもないと思う。
基本的には、この論理だけを強調せざるを得ないシーンというのは「対話することが難しいほど弱っている人たち」とか「西洋文化基準でもって踏み込むべきでもない人たち」、「複雑すぎる背景をもっているので相手に明文化とかをそこまで期待すべきでもない人たち」に対する場合ではないだろうか。
つまり、言及をする側からの一方的な配慮である。鬱でほんとに今にも死にそうな人とかに対しては確かにそういう形でのコミュニケーションしかできないから、そういう場合は仕方がない。
もちろん、言及をする側は可能な限り配慮すべきだ。しかし、だからといって、言及をする側だけに配慮を要求するというのは、言及される側を馬鹿にした話ではないだろうか。配慮は相互になされてよいと思うし、腐女子の方々は、一方的に配慮されるだけの弱者とかではないと思う。
多くの腐女子のお姉さまがたは、尊敬すべき人々であると思っている。ぜひとも腐女子コミュニティの今後の拡大にあたって、より受け入れられやすいコミュニティの形成をしていっていただければ幸いだと思う。
また、今回はたまたま腐女子のコミュニティと一般法との間の問題であったが、これは見えにくい慣習と一般法の間にズレがあるケースでは、似たような問題は何度も起こるタイプの話だとも思う。ローカルなライセンスのようなものが増えすぎたら、それもそれで面倒だということもあるとは思うが、何もないよりは、だいぶよいだろうとは思う。
「慣習は、法の前には下位の基準でしかない」という話についても簡単に触れておきたい。
基本的には法のほうが重要だとは私も思う。ただし、それは慣習と、法とのガチンコ対決が回避できないという事態が訪れた場合、法が優先するということであって、ガチンコ対決が回避可能な場合や、慣習が公序良俗に反するというわけでもない場合は、別に回避してやってけばいいのではないか、と思っている。
今回、腐女子コミュニティで「引用」に関わるルールが特殊な形で扱われていたが、もし腐女子コミュニティにおける「引用」ルールを、一般社会全体にまで拡大させようという動きにつながることがあるのならば、これは断固ととして反対する。
「引用」の自由は、研究にとって重要という以上に、自由な言論、政治、社会にとって重要なものだ。たとえば、それを政治的な言論(たとえばヘイトスピーチ)をやっている人たちが「引用」ルールの除外適用を求めてきたとしたら、それは素人の文章だったとしても、まったく受け入れられない。「公開した俺の政治的発言を引用しないでくれ」などありえない。それを引用して批判する自由を奪われれば、政治的なことについて公共の場で議論することに多大な支障が出るだろう。
今回の場合は(1)性的プライバシーの問題であるということ(2)腐女子コミュニティの内部で、そのコミュニティに属する人々の合意において特殊な「オープン/クローズ」概念が実効力をもった慣習である、という前提があって、はじめて「それは配慮しましょう」という話がありうるのであって、著作権における「引用」そのものを捻じ曲げるような話であってはならない。
この著作権における「引用」を捻じ曲げていいかどうか、というの話はすべての人にとっての言論の自由の確保という意味で、致命的に重要なポイントである。これを安易に捻じ曲げるような権利主張は極めて危ういとも思う。
STEP3、STEP4とかはアクションの担い手が限られるだろうとは思う。ただ、腐女子コミュニティもだいぶ拡大しているわけなので弁護士、研究者、経営者などの腐女子の方などが行動すれば決して不可能な話でもないのではなかろうか。
腐女子の人たちについて「二次創作やってる人たちはダブスタなんじゃねーの」問題。この件はダブスタとわかってて、恐縮しながらも、言うべきことは言おうという人と、なんもわかってない人が両方いると思う。
後者の人たちについては、わかってくださいね、というしかないと思う。自分たちだけが弱者で被害者という立場でないことは理解してほしいとしか。
#あと、二次創作でも「作者公認系」とかもあるので、全てがアウトというわけでもないだろうが、今回問題になったものがどっちだったかまでは調べていない。まあ、おそ松さんとかは、公式も問題にしないタイプだから、公式との関係では、まあどうといった問題もないのだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20170527202448
流通プラットフォームが変わるごとにちょっとずつ腐界隈の慣習と、
実態との関係性もちょっとずつ変質していっているという話だと思う。
その変化にあわせてぼんやりした慣習だと、運用に失敗しました、というのが今回の話なんだと思う。
オタ界隈は、かなり基盤技術の変化がはやいので、この変化に対応できるような基準が成立しないと、この手のことは何度も起こるのだろうなと思う。
3月だからというのは関係ないが、本当のことを話すと狩られるのがジャップクオリティなので、増田なのである。
さて、栄養の塊なのにきょうびなかなか食われていないものに、豆腐というものがある。豆腐の味は大豆でほぼ決まるが、食感は凝固剤の種別、消泡剤(乳化剤、界面活性剤)の有無に左右される。近年は、人日を削るために、凝固剤を花王かどっかから買おうとしたり買ったりしているようだし(乳化剤を混ぜたにがりだと高温で固まるので早いため)、消泡剤を入れたり(待たないでも泡抜ける)、凝固剤を大量に入れて輸送中に固まるようにした相模屋とかが得意げな充填豆腐というエセ絹ごし豆腐もある。(ちなみに、ヨーグルトにしても同様で、輸送中に発酵させるものがほとんどで、出荷前に真面目に発酵させたもののほうがプレミアムである。)
それで、にがり(海水産の塩化マグネシウム)で固めたものが、元来普通であるのにもかかわらず、プレミアム価格である。ちなみに、人間が手寄せした豆腐は人件費が掛かるのに売れないから、豆腐屋の多くは潰れた。
しかし、この「にがり」というやつも、どうせ棄てるゴミであった。つまり、製塩で出るゴミ。
塩というのはそもそも、ミネラルのことだ。だが、海水から塩をつくったときに、塩化マグネシウムは食味が酷い。だから、塩化マグネシウムの殆どを採って棄てる。
だから、豆腐というのは、このゴミを活用して少しばかりは食べ、必要なミネラルを多少は摂れるようにした、アイデア商品である。この豆腐はなにせ、江戸時代なんて最近からのものではなく、古代からある。和人は、昔はいくばくかまともであったのだろう。
塩である。きょうびの日本人と称するファッキンジャップは、塩の摂り過ぎが健康を害すると妄信している。
しかし、塩というのは本当はミネラルのことである。ヒトは、ナトリウムやカリウムやマグネシウムやカルシウムなどのミネラル(塩)が生きていくために必須だ。
しかし、霞ヶ関か誰か、おかみが、立釜と称するプラントで精製し乾燥させた工業製品の、いわば無水塩化ナトリウムを「食塩」と定義してしまった。そうしてながきに亘って、無水塩化ナトリウムが食塩のマジョリティとして君臨し続けた。「国産塩」はこの無水塩化ナトリウムでなければならぬ年月がずっと続いていたから、御存じのとおり、「伯方の塩」は輸入塩からつくられているし、(平釜でつくった普通の塩である)「沖縄の塩シママース」(青い海)でさえも今でも輸入塩が原料の大半を占める。和人が無水塩化ナトリウムを信奉するようになったのに対して、沖縄人は、味が変わるのをきらったのか、民族の伝統だからか、平釜焚きの塩にこだわりつづけた。そしてその沖縄人が「日本人」の平均寿命を押し上げている。(たぶん普段から「ヨネマース」でも摂っている。ヨネマースは「内地」(笑)ではなかなか手に入らない。)
さて、未だに、塩化ナトリウムを「食塩」として、外食産業であれ、加工食品であれ、そして多くの「家庭」の料理でさえも、用いられているだろう。
身体を害して当然である。ナトリウムばかり摂るから、身体が壊れる。
同様のことが、例えばコレステロールのバランスとかでもいえるだろう。善玉悪玉とかいうのがあるわけではなく、バランスがおかしいあんたらが悪いのである。
みなさんは、「塩の摂り過ぎは身体に悪い」とデマにつられて洗脳されて妄信して、減塩だのなんだのといってみたりもするが、実際に減塩なんかしたらきっと、カリウムやマグネシウムの摂取不足になる。つまりどうすればいいかというと、単に、「毎日使うからシンプルがいい」をやめて、「沖縄の塩シママース」でも「石垣の塩」でも摂る。とにかく、無水塩化ナトリウムをやめればよいのである。
日本と自称するものは、どうせ棄てるものがむしろ価値をもつような、顛倒した国家である。実に実に不可解で滑稽だ(笑)。
塩化マグネシウムが高く市販されていたりするし、おからも市販されている。同じように、どうせ棄てるものであった米ぬかが、いまどきは漬物が漬かる米ぬかのほうがレアで、高価で売られている。ちなみに、漬物用の塩は、「まいにちつか(略)では勿論いけない、うまく漬からない。
天かすがなぜか、市販されているのも不可解だ(笑)。どうせ棄てるものである。何故か江戸では天かすを入れると「きつね」とかいうらしいが、天かすはどうせ棄てるゴミなんで、それでカネを取るほうがおかしい。天かすというのは、具を天ぷらにしたときに出る、ゴミである。
一生奴隷として働き続けるか転職するかしか道は残されていないのです。
そんなにしんどいものなのか?って疑問が湧くと思うのですが相当しんどいですよ。
人手不足による具体的な影響についてですが休みが取れなくなります。
働き手がいないと休みが取れなくなるのは当然ですよね。
ブラックバイトがよく話題になりますけど、あれは経営者が楽をしたいからバイトに押し付けるんです。
じゃあパートアルバイトが不足している大手や弊社のような準大手はどうなるのかというと現場社員に押し付けられます。
休みも5日あれば良い方でしょう。
特に売上の高い店舗よりも悪い店舗に配属された時にキツくなります。
売上の高い店舗の場合は本社もそれなりに人件費を出してくれるし対価もあるので人数を投入出来ます。
売上の低い店舗の場合はたとえパートアルバイトの人数がどれだけ居ようが本社は無駄な人件費を出してくれないので投入出来る人数が限られます。
たとえば売上が高い店舗は18時から21時頃までずっと忙しいので10名分×3時間の人件費が出ます。
売上が悪い店舗は忙しいのが19時から20時の一時間だけなので10名分×1時間+6名分×2時間のように調整されます。(もちろん座席数は同じですよ)
でも現実的にはバイトやパートに一時間だけ働きに来てもらうのなんて不可能です。
私が配属されている店舗では19時から20時の一番忙しい時間、注文受付から提供までの平均時間がついに25分になりました。
25分もお待たせするとお客様はお怒りです。
「他の店舗のほうが繁盛しているのにこの店はなんでこんなに遅いんだ?」
「お客さんほとんど居ないのに遅すぎるよ」
「一生こんなお店来ないからね」
当然のことですね。
本社に言いつけるってクレームは脅し文句のようによく言われるのですが本当は現場ですらそれを望んでいます。
でもお客様は極めて冷静。
お怒りだったお客様もご自宅に帰ってからは落ち着きを取り戻して同情してくださるのでしょう。
直接本社へのクレームを出してくださるお客様はほとんど居ません。
しかし店長であれど現場社員に出来ることはあまりにも少ないです。
しかもパートアルバイトは長期休暇のような一番入ってほしい時期に入ってくれません。
少し前にパートアルバイトに出勤を強要させるような記述の張り紙を出してそれをTwitterに載せられて話題になってましたね。
あれは弊社ではありませんが基本的に本社は味方をしてくれるどころかなんであんな張り紙を出したのか怒るでしょう。
現場社員はお客様や上司、そしてパートアルバイトの全方向から追い詰められる存在なのです。
それを耐えて約3年後、店長に昇進してからは精神的な辛さから辞めていきます。
そのうちの1割は飛んでます。
無理しないでね。
今回敢えて奴隷という表現をしたけれど間違った表現とは思ってまいません。
外食産業とは底辺である。これはさすがの温室育ちのはてなーでもわかることだろう。
底辺とは育ちの悪い人間が集まる。馬鹿なはてなーでもわかることだろう。
しかしあの文章を酷いという。育ちが良くても理解できないものがあるという。
外食産業とは育ちのいい人間も利用するが、接客するのは底辺、すなわち躾も教育もできていない育ちの悪い人間なのだ。
この非対称性のもと、企業は利益をあげるためにしっかりと従業員を再教育=躾をしなくてはいけない。
そうしなければ異なる階層に位置する、育ちのいいお客様にご満足いただけないからである。
というか、底辺の連中にとって外食利用客は殆どが自分より上の階層に位置する人間なので、それこそ本当に「お金を落として」いるし、躾も最低限ではなく最大限しなくてはご満足いただけないのだ。
そういう連中にとって、話題の会報は「ナメられないために武装したイチモツ」である。
何故こうも皆(少なくとも口頭では)向上心高く、かつ攻撃的なのだろうか。
なぜ内から刺されなければならないのだろうか。そりゃ注意されるのはわかる。それ以上の人格否定、罵声が飛び交う楽しい職場がここにはある。
飲み会になれば今度は意識高いトークが飛び交う。「俺は〇〇さんのようなキャリアパスを歩みたい」「〇〇さんからご指導いただいたおかげで今がある」云々。もうげんなり。
ここまで書いて、多分に偏見を含んだ物言いをしてしまうと、まるで外食産業系のブラック企業みたいだなと思ったけれど、そんなことはない。一応東証一部上場だし、プレミアムフライデーの採用企業だ。おかげで今日は19時に帰れた。
なんだか悲しくてとりとめのない文章になってしまった。何が言いたいかというと、なんでそんなに怒ったり意識高い発言をしたりするほど、こんなしょうもない業務に情熱を持てるのか、ってことです。それだけです。
気づけば中年のオッさんだ。
俺も経験を書いてみたいと思う。
「会社で無能扱いされたら自分の能力を悲観するより、会社に合ってない」
と考えたほうがいい。
ここからは、そういう考えに至った
この言葉が届いたら良いなと思っている。
たぶん、君が輝く職場はどっかにある。
15年前は超就職氷河期。
同時にブラック企業が大学新卒を食いつぶし始めた時代でもあった。
大学時代、何も考えていなかった俺は、
店を持って自立すべしという話は、
当然、考えるよりも手と体を動かす仕事。
終わらない仕込みの山と料理長の怒号。
風俗に通うが勃つこともできず、
嬢の胸で泣いて過ごす日々であった。
「お前のような奴は何をやっても続かない」
「根性のない奴は一生負け続ける」
2社目:WEB制作会社
1社目を辞めてから3年間、自宅療養になった。
手伝って欲しいと言われた。
話してて賢いと思ったからとの事だった。
取り扱ってる会社だった。
先輩と1つ案件を回し終わったら、
次からは一人で全部やらされる事になった。
この仕事を支えた。
求められれば面白くなり、みんなの期待に応えたくなってくる。
完全に身バレるので書けないが、
気づいたら社長の次に高給取りになっていた。
この職場では、明らかに俺は有能であった。
3社目:広告代理店
もっと大きい仕事、もっと社会にインパクトのある仕事がしたかった。
そこで待っていたのは、
繰り返される板挟みと調整。
「鬱病持ちとか人事なにやってたんだよ」とか
「部門結成以来のババを引いた」とか
妻子がいたので1社目の時のように長期休養は取れなかった。
地味なBtoBや自治体や役所のWEBコンサルを専門でやっている会社。
クライアントが定時なので、
常駐勤務ならは同じような勤務体系でいけるでしょう。
と、勧められての事だった。
実際、朝は9時に出社。18時には全員退社する職場だった。
前職や前々職で作った人脈やノウハウは、
代理店の使い方も慣れていた。
発注される側の苦悩を味わっていたので、
先回りしてキーパーソンに見せるなど根回しなどを行った。
時代感ともあっていたのか、
案件受注額は毎年倍倍と膨らみ、
本社の規模は3年で5倍以上に大きくなった。
この職場では、俺は再び有能になった。
5社目:個人事業主
好きなことだけをやっていける。
やりたくない仕事は受けないこともできる。
全然稼げてないし、
そこそこ貯金したので5年くらいは
収入なくても食っていける。
ここで結果をあげられるかどうかは解らないが
もう会社に振り回される事はないだろう。
もし、今「無能」と言われて苦しんでる人がいたら
色々と動いてみたら良いと思う。
無能と言われるような状況に身を置くのはやめたらいい。
ジョイフルの社長が自民党の議員さんで、長時間労働の規制に取り組んでいるという話。
ホッテントリしていて、自分も説得力のあるいい話だと思ったのだけれど、心のどこかで、今の世の中、きれいな話にはウラがあるぞセンサーが働いてしまって、ほんのちょっとだけ引っかかった。
そしたら、少しずつ疑義を呈するエントリもあがってきたみたいではある。
増田にも、こんなのがあった。
(ファミレス経営の国会議員のところでバイトしてたけど http://anond.hatelabo.jp/20161228001948)
1つ目は、「あれ? この議員、どこか別件で聞いたような?」と思ったからだ。
あのどうみても支離滅裂な教義(って、外部からわかる一般的なことをしらんけど)やら、教祖のうさんくささとか、次々出てくる霊言シリーズとか、真っ当で合理的な思考の持ち主がもつ信仰とは考えにくい。
一方で、カルト(いや、幸福の科学がカルトかどうかは知りません! あくまで一般論)の信者って、本心かくして外部には共感を呼ぶ正しいことをとく場合があるからなあ、とか。
外には民衆のための民主社会の実現をとく組織の中身が、めちゃめちゃ独裁的だったりするのも似てるかもしれない。
引っかかった理由のその2は、なんっていうか、この社長さん、長時間労働という「ルール破り」とか「マネジメントの欠如」のせいで、自分の会社の改革が進まないし、同じ土俵で戦えないといいたいみたいだけど、それって、本当にそうなのかな?ということだ。
富士そばとか、サイゼリヤみたいに、外食産業でも、そんなにブラックって叩かれなくて、成功している会社あるよね?
サイゼリヤなんかは、本部に頭いい人たちが寄ってたかって、業務の効率化に知恵を絞っていると聞く。
店舗の掃除はどういう風にやったら効率的か?みたいなことも、必死でオペレーション考えているらしい。
もし、「うちの会社が儲からんのは、他社が長時間労働させてるからだ! よし! 政権党に入ってライバル企業に規制を加えてしまえ!」という人がいたら、あんまり優秀な経営者とは思えん。
先にあげた増田によれば、社員を自分の選挙に駆り出しているみたいだけど。
2,3年前から、既にレッドオーシャンっぷりは囁かれていたんだけど
もうバブル崩壊したよね、というあたりからゴリ押しで伸ばしたのがパレットだと思う
実際伸びしろはあったわけだけど、レッドオーシャンで無茶すれば大抵痛いしっぺ返しを食らう
今後はそういう無茶はできないけど、事業としてはやるしかなく、ギリギリ撤退せずに踏ん張れるところだけが生き残るのかもしれない
もはや外食産業に近い
皆苦しい状態で、でも皆退かない、そのうち皆倒れていく
こういう状況が生まれると、今度はそういう困った奴らを救った上でプラットフォームを作ろうとする奴らが出てくる
ここからもう一弾苦しい話になるんだろうか
本当に業界全体で限界が来ると、レッドオーシャン業界のプラットフォームもレッドオーシャンになってくる
これからどうなるんだろう
新しいメディアはまだまだすごい勢いで増えていっている
それらが跡形もなくなるのなら、それはまだマシな結末だと思う