はてなキーワード: 公立学校とは
先天性心臓病患者の成人。要するに生まれつき心臓に奇形がある。100人に1人は自分みたいな先天性心臓病を持って生まれてくる。3クラスあれば、1人ぐらいはいる。
基本、子どもの頃に手術をしないと、寿命が短くなったりする。幼児期に手術をして直せば、「順調にいけば」健常者と同じ寿命が保たれるといわれている。が、一度手術をすれば、完全に健常者と同じというわけにはいかない。一生、「新型コロナウイルスの重症化リスクあり」の基礎疾患者になる。先天性心臓病で手術した子は、学校は健常者と同じ「普通学級」に通う。学力は普通の子と変わらず、日常生活は普通におくれるので「障碍」がなく、障碍者手帳も余程重度でないともらえないからだ。見た目は、健常者と全く区別がつかない。自分も小中高、全て健常者と同じ教育を受けてきた。つまり、基礎疾患リスクだけがある。
心臓というのは、基本的に一度、筋肉が弱ると治ることはない。だから、子どもの頃に手術直後の状態がベストで、その後の人生は、いかに「現状を保つか」が勝負になる。新型コロナウイルスに感染しても「治るから」なんていうのは、同じ土俵を踏んでいない健常者のたわごとだ。先天性心臓病患者で手術した子は、成人しても何十年経っても手術した病院の専門の「小児科」に定期健診に通う。子どもの頃に手術した影響が出るのは、手術から何十年も経ってからだからだ。手術した病院も、昔の手術が成功しているかどうかを追跡調査できるので、メリットがある。
さて、自分も最近、定期健診で小児科に行ってきた。子どものころから何十年も通った病院だ。が、様子が違った。延々と待たされる。いつもは待たされても1時間ぐらいなのに、2時間以上も待たされた。初めてのことだ。
医師の方に聞いたら、クラスの先生が「4月からマスクを外そう」という雰囲気になってしまい、怯えた子が親御さんと一緒に来院して学校提出用の診断書をお願いされるケースが続出していて、結果、遅くなったという事だった。
何というか、「やっぱりそうなのか」という感じだ。要するに、学校の先生にとって、我々みたいな見た目健常者にしか見えず、生活に支障が出るという意味での「障碍」も持たないのに、基礎疾患だけ持って社会で暮らすような人間は「邪魔っけ」であって、「社会のお荷物」で要らない存在なんだろうと思う。
学校の先生が口ではどのようにつくろおうが、内心はそのように思っているはず。マスクをつけずに感染したら、重症化したり人生が変わってしまうような子たちは、自分の仕事の上では「生まれてきてほしくない邪魔な存在」で、リコリス・リコイルみたいな先天性心臓病をダシに使った作品の中で、健常者に共感を与えるだけの存在として生きて、10代のうちに死んで社会に出てきてほしくない…と、学校の先生はそのように思っているのだろう。少なくとも、我々先天性心臓病患者は、教員を見たら自分を迷惑な存在だと思っているはずだ、と自衛して生きたほうが日本社会では幸福になれると思う。自分はそうやって生きてきた。
やはり、「先生は、私みたいな先天性心臓病患者は生まれてこないほうがいいと思っているんじゃないですか?」、「先生は、健常者の立場で命の選別をしている、差別主義者だったんですね」、「クラスでマスクを外して、クラスターが発生し、万一私が重症化したら、私は先生を一生恨もうと思います」、「マスク外して感染したら重症化するかもしれないのに、私にマスク外してほしいってことは、先生もクラスも私に重症化してほしいって思っているっていう事ですよね?」ぐらいの事は、学校の先生に言ってあげてもいいんじゃないかなぁ。できるだけ、学校の先生が、我々のような存在が、アニメの中だけではなく、現実にかなりの比率で「生きている」存在であると実感できるように。
タイトルに「リコリス・リコイル」をいれたのは、最近、主人公を心臓病にして売れたアニメだからだ。全話見た。まぁ、要するに百合×ガンアクションを、やりたかったのだろう。が、何だろうな、健常者が我々先天性心臓病患者に対して何を期待しているのかが、良くも悪くもよくわかアニメだった。
主人公の千束は、要するに銃の天才でありながら、人工心臓をつけて寿命を他者にコントロールされる存在だ。そういう話が実際に大ヒットしたという事は、脚本家や原作者の意図に関わらず、「先天性心臓病患者みたいに変な病気を持って生まれてくる人間は本来的に迷惑な存在だが、かわいくて才能があれば生かしてやってもよい、ただし、その寿命は健常者が管理してやる」というようなどす黒い差別感情や支配欲を健常者は心のどこかに持っていて、そういう心を持っているからこそ、あの話を楽しくみられるのだろう。
現実には、人工心臓をつけてあんなに激しく運動する事を仕事にするなんていうのはあり得ない。どちらかというと、リコリス・リコイルだとクルミの方が、先天性心臓病患者が目指すべき仕事に近い。
我々、先天性心臓病患者は、生まれた時から肉体労働には適さない体で生まれてきたが、大部分は回復して障碍者手帳を持てない。自分は、そういう例外的な存在が生まれてきて申し訳ないという気持ちをちゃんとずっと持って生きてきた。生まれてきたことで日本社会に迷惑をかけて申し訳ないとは思っているが、自分の手術の時点でいくらか日本社会から投資されてしまっているので、そのまま自殺したら日本社会に迷惑をかけたまま死ぬことになる。だから、将来は体を動かさなくてすむ仕事に就いた方が社会のためになると考えて、自分は、ちゃんと国立大学の工学部の情報系に進んで、大学院まで出て、ちゃんと働いて納税して結婚して子どももいる。ちなみに、先天性心臓病の多くは遺伝しないので、子どもは健常者。
でも、クラス全員のマスクを外そうとする「学校の先生」は、そういう我々、先天性心臓病患者まるごと、少数派だから日本社会にいらない、排除したいって考えなんでしょうね。まぁ、我々が少数派であることは否定しないし、何より、我々の手術法が開発されていない時代は、我々先天性心臓病患者は皆、幼児のうちに死んでたので、我々がいなければ日本社会が成り立たないというわけではないことは歴史が証明している。
が、これだけは言っておきたい。我々の多くは、手術しないと死ぬ体で生まれてきて、手術して我々を生かそうとしたのは日本社会。日本の手術の多くは、高額医療費制度を使って、公金を使って賄われてきた。日本社会は、一度は我々を生かして社会に役立てようとしたのですよ。
我々が要らない、厄介な存在なら、手術に補助を出したりせずに放置するだけで、勝手に幼児のうちに死んだのに、せっかくそういう体で生まれてきたのに、それをわざわざ社会の役に立つかもしれないと思って生かしたのは日本社会の方。
「学校の先生」は、特に公立学校の先生は公金で雇われているわけだから、日本の方針に従うのは当然。「学校の先生」が、我々、先天性心臓病患者に生きる価値がないと思って、クラス全員のマスクを外す施策をするのであれば、日本社会が一度我々を生かして日本社会のために役立てようとしたことと、ご自身の判断が矛盾していないことを証明してほしい。
このままマスクを外す判断が継続されれば、重症化しやすい我々先天性心臓病患者の子から先に感染して死にやすくなり、長期的には、我々のうちで成人してから長く生きるものは少なくなり、我々は淘汰される。「学校の先生」がクラスのマスクを外させるという事は、長期的には、我々先天性心臓病患者の子達を選択的に死にやすくして、消極的優生思想を実現させようとする計画に加担している事になることを、「学校の先生」には自覚してほしいと思う。それが「学校の先生」ご自身の考えであり、日本社会の考え方とも合致するとご自身で信じていて、大多数の健常者のために、我々先天性心臓病患者を長期的に淘汰させることが日本社会のためなのだと心から信じていらっしゃるなら構わないが、ご自身の倫理感と反するのであれば、かわいそうだな、と思う。ご自身の倫理観と合った、誇れる仕事を学校の先生にはしてほしい。
アーカンソー州は、トランスジェンダーの生徒が公立学校で自分の選んだトイレを使用することを禁止する法案を制定しました
アーカンソー州は、トランスジェンダーの生徒が公立学校で好きなトイレや更衣室を使用することを制限する 4 番目の州です。
エリザベス・プリチェット エリザベス ・プリチェット フォックス・ニュース
サンダースのスポークスパーソン、アレクサ・ヘニングは、アソシエイテッドへの声明の中で、「知事は、私たちの子供たちを教化するのではなく、保護と教育に焦点を当てた法律に署名すると述べており、私たちの学校は過激な左翼の目覚めたアジェンダの場所ではないと信じています」と述べた.プレス。「アーカンソー州は、一握りの極左支持者を喜ばせるためだけに生物学のルールを書き直すつもりはありません。」
新しい法律はまた、学校がトランスジェンダーの生徒に一人用トイレなどの合理的な配慮を提供することを義務付けているが、反対派は、この措置は学校にそのための資金を提供していないと主張している.(一応バランスは取っている)
禁止に違反した教育長、学校管理者、および教師は、州の委員会から少なくとも 1,000 ドルの罰金を科される可能性があります。新しい法律が施行されない場合、親は私的な訴訟を起こすこともできます。
日本のLGBT活動家はインチキ。G6の大使が言うこともめちゃくちゃ。
子ども作らないと後悔する系の論で一番気になるのは自分の子どもが障害持ちで一生世話見るだけの人生になっても同じこと言えるかどうかって話なんだよな
一見博打に勝ったっぽい、公立学校から東大合格みたいな子ども産んだとしたって、就職したらアスペだから使い物になりませんお払い箱ですってなってずーっとこどおじニートされたらどうするつもりなんだろう
あるいは一生寝たきりで喋ることもない、みたいな重篤な身体障害を持って生まれてきたとして、今その状態でも運が良ければ成人ちかくまで生きるんだよ?
その間ずっと喋りもしないのにでかくなるだけの肉塊に対して何万も払っても「子どもを産んでよかったなあ」って本当に思えるん?老後は生活保護みたいな生活になりかねないのに?
いくらなんでも博打がハイリスクすぎてきついよ。ハズレ引いたらその負債を生涯負わされなきゃいけないと思うと、途中で損切りすることができないんだからそもそも産むというリスクを取らないようにするしかない。
個人的に産んだ後の金銭的な補助とかより、そういうやべーやつ産んだ時に何歳でもそのまま引き取ってくれる施設がないと出産のリスクがあまりに高すぎてキツい。
家とかクルマと違って失敗した時の人生に対する損益が重すぎるんだよなあ。本当に取り返しがつかない失敗はやっぱできない、その責任は取れないし取りたくないもん。フェールセーフの仕組みを作ってくれれば産んでもいいかなとは思うけど。
・「児童・学生時代に教師が日教組だった(せいでなんらかの不利益を被った)」
・「○○(思想・信条的な何か)をしたら職員室に呼び出された」
というたぐいの話が広く出回っている。これらの話には大体、平和教育、人権・道徳教育、同和教育への批判的見解が含まれているようだ。
一つの例を挙げれば、「人権 ほんものはやたらにいわない」と描かれた人権ポスターと、それを描いたとされる小学生のエピソードが、たびたびなにかの機知のように出回っている。(参考:https://twitter.com/PatriotNewsJPN/status/170058241861103616)
極端な例えをしてみれば「平和教育の時間に日教組の教師が反自衛隊的な講話をした。それに対して冷静に反論する感想文を書いたら職員室に呼び出された」みたいな話だ(あくまで例えである)。
あるいは、別に「放送委員として給食の時間に彰晃マーチを流したら職員室に呼び出された」みたいなのでもいい。
私は90年代後半~0年代に、関東の一都市の公立学校で義務教育を過ごしたが、
教師が日教組であるとかそうでないとかを意識したことはないし、
あるいは何か「大人の建前に都合の悪い」ことをして職員室に呼び出された経験や、それを見聞きしたこともない。
(子どもらしい単純な悪戯や、非行、それに対する指導などは見聞きしたことはあるし、理不尽な教師の思い出もいろいろあるが)
もちろん、年代や、日教組の組織率など地域的な差はあるだろう。(一般的に東日本より西日本の方がその様な教育に熱心と言われているようだ)
しかし、そんなに、一言で言えば、アグレッシブな対立がしょっちゅう存在するのだろうか。
特に大きな疑問として「職員室に呼び出された」という話の場合、その職員室に呼び出された後の話がほとんど見受けられないのである。
それほど思い出に残る、思想的な挑戦の末に職員室に呼び出されたのなら、その職員室での対面の場で何か大きな教訓とでもいうべき体験がありそうなものだが。
2014年、横浜の中学生が、修学旅行先の長崎で、平和教育を行っていたガイドの被曝者に対し「死にぞこない」と暴言を吐いたという事件がある。(参考:https://hi-hyou.com/archives/1193)
これは学校という閉じた空間ではなく、学校外に向けて起きた事件といえるが、ネット上で見られるエピソードには当然これ程のインパクトがないし、裏付けもない。
普通のいたずらや非行とも違う、早熟ともいえる思想的対立を経て、「教師が日教組である」と喝破したり、平和教育などへの批判的精神を表明したはずの人々は、実際何を得たのだろうか。
もし、なにか、「担任教師が日教組だったから~」「〇〇したら職員室に呼び出された~」といったエピソードを経験した(起こした)り、見聞きした方がいたら、ぜひ反応を頂きたい。
できれば、大まかでよいので地方・年代とその時の歳・公立か私立か・職員室なり説教なりの対立で何が起きたのかなど当時の環境も添えてほしい。
「公立学校を動物園呼ばわりする」って話が2020年12月頃にはてなブックマークで話題になって、2022年11月頃にもまた話題になっていて
「道でぶつかってくる人」って話題が2020年12月頃にはてなブックマークで話題になって、2023年1月頃にもまた話題になっていて
偶然だろ→それはそう
偶然上記の2つが2年たってから再び言及されたことにたまたま気付いたので、他の2年前の話題も再言及されるかもと過度な一般化をして遊んでいるだけ
さて、与太話ではあるが今日からちょうど2年前である2021年1月19日にはてなブックマークで話題になっていたトピックはというと
はてなブックマーク - 人気エントリー - 総合 - 2021年1月19日
うーん……って感じの並びだ
独仏は参考にならなかったので英国や米国の学校内運動部方式を参考にした。
あくまで仕組みを参考にしただけで、英国のエリート養成学校のいわゆる嗜みとしてのスポーツという精神や、米国のスポーツ参加の平等性や公正性は無視された。
戦後の高度成長時期からは、学校の運動部活動は、一部私学のマーケティングとして利用され、公立学校では非行防止の一環と位置付けられた。
しかしそういった真の目的はウラの話としてささやかれるだけだったため、合理的で科学的なスポーツ環境は育つことはなかった。
十年以上前から、国民のスポーツする権利を保障するため、地域スポーツの強化が国の計画で打ち出され、ヨーロッパ型の地域総合型スポーツクラブを推進されてきたがうまくいかなかった。
そこに教員の労働時間短縮をカネをかけずにやり過ごしたい国が、教員の代わりに地域に押し付けようとという発想で生まれたのが、今回の運動部の地域移行である。
地域移行にあたっては、国民の健康や文化的な生活向上にスポーツを活かすという本当も目的がお題目として掲げられる。だが、真の目的が不純だからだ。
本当に地域移行しようとするなら、
本気でスポーツを国民に根付かせ健康や文化的な生活向上につなげたいなら、
まずは大学や実業団の運動部を廃止することから始めないといけない。
大学や大企業では、もっぱら一部の者だけが利用するために、体育施設や運動場が整備されている。
それらは、新法をつくり、無償で地方自治体に贈与させたらいい。
大学の運動部も結成自体は結社の自由があるから設立や活動自体は自由であるが、彼らのために特別な優遇措置を図る必要はない。いわゆる文化系サークルと同様の扱いをしておけばよいだろう。
私学にも国の助成金で運営されているのだから、運動部活動優遇措置を継続させたい私学には、助成金ゼロにしたうえで、固定資産税はじめ高額の税を課せばよい。
大学一般教養の体育の授業で利用するためだけなら体育施設の整備は認められようが、せいぜい大学共同利用施設として整備されれば十分だろう。
もっとも一般教養で実技としての体育の授業をすること自体に大いに疑義がある。なぜなら同年代の大学進学をしていない者は、年に24コマの体育をする権利が保障されておらず、大学生と職業人との間でスポーツ権に差が生じるからである。
大学で実技体育を必修科目とするなら、労働関係法を改正して雇用者に対して従業員のスポーツする時間を有給保障させる義務を負わせるべきであろう。
中学校の運動部活動は、中学校が義務教育機関であるため、大学や高校とは異なる視点が必要だろう。
12~15歳の者にとって、推奨されるべき運動量が、授業の体育だけで十分なのかは科学的に検証すべきであって、授業時間だけで不足するなら、それはやはり学校教育の場で対応するのがよいだろう。それも、運動部活動の形態を取るべきではないのは言うまでもない。
そして、推奨運動時間を超える部分は、学校が行うべきではなく、他の行政機関が社会体育として実施するべきものであろう。
高校や中学の運動部は無料で利用できたが、地域移行により保護者負担が増加することや、地域移行の受け皿に企業が進出することを懸念する声もある。
しかし、学習塾や進学塾にはカネを出すが、必要以上のスポーツ活動にカネを出さないのは理屈が通らないので、そういう声は無視すればよい。
企業進出については現状やむを得ないだろうが、企業と利用者(生徒・学生の保護者)が直接契約するのでなく、あくまで自治体の教育委員会社会教育部門が業務内容を決定し、それを企業に委託し、利用者は教育委員会に申込む、というスキームにすべきだろう。
そして、十年以上かけて、徐々に地域スポーツ指導員を育成し、市の正職員として雇用するなり、自治体出資のスポーツ振興事業団職員として採用するなりしていけばよい。
まあ、いままで無償で教員に押し付けていたものを、他のスキームでやるのだから膨大なカネがかかる。
そこはビッグデータやAIを活用して、国民の健康力がアップして医療費総額が何兆円減りますと計算させればよいし、米軍思いやり予算をゼロにして軍事費をGDP1%程度のままにしておけば何とか財源は確保できるだろう。
スポーツ科学不在の、このカネ儲けと浪花節と集団主義的運動部活動を眺めていつも思うのは
独仏は参考にならなかったので英国や米国の学校内運動部方式を参考にした。
あくまで仕組みを参考にしただけで、英国のエリート養成学校のいわゆる嗜みとしてのスポーツという精神や、米国のスポーツ参加の平等性や公正性は無視された。
戦後の高度成長時期からは、学校の運動部活動は、一部私学のマーケティングとして利用され、公立学校では非行防止の一環と位置付けられた。
しかしそういった真の目的はウラの話としてささやかれるだけだったため、合理的で科学的なスポーツ環境は育つことはなかった。
十年以上前から、国民のスポーツする権利を保障するため、地域スポーツの強化が国の計画で打ち出され、ヨーロッパ型の地域総合型スポーツクラブを推進されてきたがうまくいかなかった。
そこに教員の労働時間短縮をカネをかけずにやり過ごしたい国が、教員の代わりに地域に押し付けようとという発想で生まれたのが、今回の運動部の地域移行である。
地域移行にあたっては、国民の健康や文化的な生活向上にスポーツを活かすという本当も目的がお題目として掲げられる。だが、真の目的が不純だからだ。
本当に地域移行しようとするなら、
本気でスポーツを国民に根付かせ健康や文化的な生活向上につなげたいなら、
まずは大学や実業団の運動部を廃止することから始めないといけない。
大学や大企業では、もっぱら一部の者だけが利用するために、体育施設や運動場が整備されている。
それらは、新法をつくり、無償で地方自治体に贈与させたらいい。
大学の運動部も結成自体は結社の自由があるから設立や活動自体は自由であるが、彼らのために特別な優遇措置を図る必要はない。いわゆる文化系サークルと同様の扱いをしておけばよいだろう。
私学にも国の助成金で運営されているのだから、運動部活動優遇措置を継続させたい私学には、助成金ゼロにしたうえで、固定資産税はじめ高額の税を課せばよい。
大学一般教養の体育の授業で利用するためだけなら体育施設の整備は認められようが、せいぜい大学共同利用施設として整備されれば十分だろう。
もっとも一般教養で実技としての体育の授業をすること自体に大いに疑義がある。なぜなら同年代の大学進学をしていない者は、年に24コマの体育をする権利が保障されておらず、大学生と職業人との間でスポーツ権に差が生じるからである。
大学で実技体育を必修科目とするなら、労働関係法を改正して雇用者に対して従業員のスポーツする時間を有給保障させる義務を負わせるべきであろう。
中学校の運動部活動は、中学校が義務教育機関であるため、大学や高校とは異なる視点が必要だろう。
12~15歳の者にとって、推奨されるべき運動量が、授業の体育だけで十分なのかは科学的に検証すべきであって、授業時間だけで不足するなら、それはやはり学校教育の場で対応するのがよいだろう。それも、運動部活動の形態を取るべきではないのは言うまでもない。
そして、推奨運動時間を超える部分は、学校が行うべきではなく、他の行政機関が社会体育として実施するべきものであろう。
高校や中学の運動部は無料で利用できたが、地域移行により保護者負担が増加することや、地域移行の受け皿に企業が進出することを懸念する声もある。
しかし、学習塾や進学塾にはカネを出すが、必要以上のスポーツ活動にカネを出さないのは理屈が通らないので、そういう声は無視すればよい。
企業進出については現状やむを得ないだろうが、企業と利用者(生徒・学生の保護者)が直接契約するのでなく、あくまで自治体の教育委員会社会教育部門が業務内容を決定し、それを企業に委託し、利用者は教育委員会に申込む、というスキームにすべきだろう。
そして、十年以上かけて、徐々に地域スポーツ指導員を育成し、市の正職員として雇用するなり、自治体出資のスポーツ振興事業団職員として採用するなりしていけばよい。
まあ、いままで無償で教員に押し付けていたものを、他のスキームでやるのだから膨大なカネがかかる。
そこはビッグデータやAIを活用して、国民の健康力がアップして医療費総額が何兆円減りますと計算させればよいし、米軍思いやり予算をゼロにして軍事費をGDP1%程度のままにしておけば何とか財源は確保できるだろう。
民主主義は素晴らしい。何も決まらない。アメリカは民主主義カルトと言っても良いほどに民主主義民主主義言っていますね。民主主義じゃない国を毎回めちゃくちゃにこき下ろして戦争おっぱじめるほどに。今回はそんな素晴らしい民主主義のアメリカに残る古き良き風習を皆さんにご紹介しようと思います。
まずは何と言ってもヤード・ポンド法でしょう。素晴らしい単位です。10進法ですらない。天才的な単位です。1マイルはなんと丁度5280フィートなのです!覚えやすいでしょう!フィートはクソでかい足をしたおっさんの足の長さなのでクソでかい足のおっさんにはたまらない単位です。華氏温度も大変に素晴らしい。水が凍るのは32度です。素晴らしい。0度は昔のおっさんが頑張って一番寒いところを探し出して0度にしたんですね。だから本当はもっと寒いところがあるのに0度といったら一番寒いんだと勘違いする頭の良さです。100度は自分の体温にしたつもりだったのに結局ミスって大半の人の平熱は100度じゃないんですね。本当に素晴らしい単位です。1ポンドは16オンス。プログラマにはたまらないですね。16進数で20歳になったとかサムいジョークを言ってる人はアメリカに移住するべきでしょう。
公立学校は学区が金を出しているので金持ち地区は素晴らしい教育を受けられる反面、貧乏地区の子どもたちはボロボロの学校で最悪の教育を受けるハメになってしまうのです。日本みたいに先生が学校間をグルグル回るということもないのです。ずっと同じ先生で独自の教育ができるのです。素晴らしいですね。金持ち学区に頑張って住もうとする人が多いので金持ち学区はどんどん家の値段が上がります。公立学校にもレーティングがあるんですよ。私学に行かない限り受験は大学まで無いんですね。親がどこに住むかで全てが決まってしまう素晴らしい格差固定国家ですね。この仕組を壊したくないので大学がアファーマティブ・アクションなどと称して貧乏学区の子供、多くの場合は黒人やヒスパニックの子供、を優遇してガス抜きをしてるんですね。本質から目を背けて大学でアファーマティブ・アクションをする。企業がダイバーシティアンドインクルージョン!!!と叫ぶ。素晴らしい技術です。
民主主義の灯火を消さないために民に軍事力を授けているのもアメリカの素晴らしい点ですね。政府が暴走したら民が銃をぶっ放して殺してしまえば良いという発想ですね。政府は民に殺されないように民の顔色を伺うでしょうという仕組みを導入した素晴らしい国です。自衛の意識も高く自分の命は自分で守るという意識が息づいていますね。銃乱射事件が毎年のように数百件起きていますが関係ないのです。精神病患者が銃を乱射するのは精神病患者へのサポートが少ないことが原因ですから。銃は悪くないんです。自分達を徴兵制度のあるスイスと同じだと思いこんでいるのも素晴らしい点ですね。アメリカ人の頭は本当に素晴らしいです。
そして皆さんお待ちかね健康保険。なんと保険に入っていない人がいるんですね。そして医療費はバカみたいに高い。破産する人続出です。医療費が高いのでヤバくなるまで病院に行かない人も多い。素晴らしい最先端の医療を持っているアメリカはやはり違いますね。世界最先端の医療を維持するためには金がいるんです。貧乏人が医療破産するくらいの犠牲はしょうがないのです。資本主義とはそういうことです。素晴らしい医者は少ないです。何歳になっても学び直しができる社会は頭の悪い人も粘れば医師になれる社会です。医者だからって安心しちゃダメですよ。まともな医者は貴重なのです。
コロナワクチンの副反応が微妙にしんどくて気を紛らわしてたら変に思考が回ってしまい,最弱の男性のペルソナを思い浮かべてしまった.
もし小説など創作的なことをされている方がいたら自由に本設定のキャラを作ってください.
年齢:36歳
身長:165cm
体重:61kg
視力:裸眼視力は0.05であり,太い黒縁のメガネをしている.
容姿:思春期のニキビ跡により顔中穴だらけかつ苺鼻.表情筋は未発達でいわゆる不自然に幼いチー牛顔(かつタラコ唇).歯は歯石に満ちて黄色く出っ歯.6等身なほど顔が大きい.
服装:一張羅のスーツをクリーニングに出さず着続けている.休日は上下ジャージ.
家庭:
父親はアル中以外には疾病がない無職,いつもストロングゼロを昼から夜まで飲んでは中核派のような発言をして母親を叩いている.
母親はその実家含めカルト宗教の信者であり,専業主婦を自称しているがマルチ商法の会員として日々カフェで情報弱者をだまそうとしている(入会以降の収支は大赤字).
父親の実家については祖父が大日本帝国陸軍の軍曹でありシベリア抑留で死亡(遺骨無し),祖母は強度の認知症だが資金不足によりアパートで孤独に暮らしている.
父親は祖父の経歴を「アジア侵略に加担した者の当然の報い」だと息子であるMに幼少期の頃から言い聞かせており,安保闘争に参加して警察官にレンガを直撃させ後遺症を残したことに自信と誇りを持っている.
経歴:
中学まで地元の公立学校にて低いスクールカーストとして過ごす.一定程度の成績を残していたため自称進学校に進学するも落ちぶれる.1浪して地元のFラン大学に目的もなく入学し,第2種奨学金を借りた.
大学では単位取得をろくにせずに過ごし2回留年する.最終的には中退し,就職課の紹介で上記のような職場の非正規社員となる.
以後は人手不足に助けられて契約を更新し続けている.肩書こそシステムエンジニアだが社内雑用がメインであり,横展開可能なスキルは持ち合わせていない.
生活:
週休は不定期の1日で就業日は朝9時から夜9時まで勤務.自分は休みとボーナスを貰えるだけずっと良いと下を見て過ごしており,マクドナルドやコンビニの店員や介護士やAmazonの倉庫管理従事者を見下している.
特に店員が中韓の人であれば露骨に嫌な顔をし,日本人店員に対応されると聞き取れないボソボソ声で「やはり日本人が良いな」などとつぶやいている.
父の反動としてMはネトウヨと化し,今日も終業後はTwitter上で国士を自称して大日本帝国と大東亜共栄圏の復活を目指すと言いながら,排外主義的で支離滅裂な陰謀論をまき散らしている(ツイートの95%がRT).
毎日,朝ダチ処理と就寝前にマスターベーションをかかさない性豪.おかずは高校時代に3年間ずっと好きだったクラスメートの女性,或いはそれに似た女優が出演している制服モノAVで,レイプシチュを特に好む.
オタクの彼女がチャラ男やジョックに寝取られるシチュエーションは地雷であり,滅べと時々ツイートしている.度重なるオナニーにより男性ホルモンがやや過剰に分泌されており,腋臭はもちろん,朝に髭を剃っても夕方には無精ひげができるほど.
上述したような立場とスキルの無さから,業績不振になれば直ちに解雇される候補の一人である.にもかかわらず,一切の自己研鑽をせずTwitterにかじりついている.親の介護のことは一切考えていない.
温暖といわれているがその中途半端な温かさのせいで暖房設備が不充分なことが多く、冬は暖房無しで耐えなければならないことがたまにある。
おそらく公立学校で教室に暖房がない地域の北限だろう。冬の休み時間はみんな日の温かさを求めて窓に寄って日光浴してた。イグアナかよ。
西部だと遠州のからっ風と呼ばれる季節風(海風)が吹き、体感温度はさらに下がる。
そして県民のクズさだが西部(遠州)、中部(駿河)、東部・伊豆で方向性が全く異なる。
静岡県民の気質を表す言葉に「駿河乞食に遠州泥棒、伊豆の飢え死に」と言うものがある。
(参考: https://www.ssu.ac.jp/shizuoka-trivia/20211124/ )
西部の泥棒は生き延びるためならなんだってやるという気質で、「やらまいか精神」に繋がるところがある。起業家(特に製造業)が多い風土はこの精神性だろう。
このクズさは職人の気難しさを延長した方向というと理解しやすいだろう。
中部の物乞いは交渉によって生き延びようとする気質。大御所家康のお膝元として発展してきた商業都市の精神性だろう。
商人の狡猾さ、意地汚さというものの延長にある。京都のイケズにも通じるところがある。
伊豆はのんびりし過ぎてそのまま餓死してしまう、というふうに言われている。
が、自分はこれがちょっと違うと思う。伊豆の人間は謎のプライドの高さがありそれゆえ何もできないのだろうと思う。
このプライドの高さの由来は全く謎であり理解不能。しかも割と癇癪を起しやすい。