はてなキーワード: リアル書店とは
anond.hatelabo.jp/20181114164030から自分で再掲するね
横さんにはすまないが、こいつは常識がないのでどれもつまらないと思う。
・まず表現の自由が「表現者の自由」でなく「表現を受け取る側の自由」と思い込んでた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1 表現の自由は作品発表するがわのためのもの。
・そして、BL本には有害図書指定はおこっていないとおもっていた。
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/dms/ss/bukai/H28yugaitosyo.pdf 拷問本、BL本もエロ本同様規制対象だ。
・一般女性が指摘したことで規制本が増えるとおもっていた。実際は発売前に議会などで決定されている。
・で、いままでに一般女性が指摘したことで規制がかかった作品のリストはあるのかと尋ねたら
https://anond.hatelabo.jp/20180927093435
CMという棲み分けできない(子供が目にする可能性がある)ものだけを挙げてきた。そりゃそうだ。
指摘した側は原作レイプとか現実認識を曲げるものはフィクションとして棲み分けしろっていってるだけ。
子供が目にしてはいけない作品が女性用に存在していないわけではなく(2つ上のリンクの指定図書リストにあるとおり)、
書店ではなく電子書籍かネット通販で買えばいいだけで、成人女性はたいていそうしている。
なら子供のくせにエロ本をリアル書店で好きなだけ買いたいなんてワガママなだけだろといったら発狂して最初から表現の自由ガー(受け取る側の自由よこせ)と繰り返し始めた。
黒子のバスケ脅迫者事件https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%AD%90%E3%81%AE%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%B1%E8%84%85%E8%BF%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
プライズのフィギュアを求めに中古屋に行ったんだがちょっと興味本位で18禁コーナーに入ったんだよ
いやー、びっくりしたね
何がってまず二階があることにびっくりした
そこの店は何回か訪れていたんだが一般のところしか見てなかったから二階があるって気づかなかった(二階はすべて18禁)
次に規模!
別な店で18禁コーナーに入ったことも何回かあるんだけど一般のスペースの5分の1位しかないけど今日いった店は一般と同等かそれ以上の規模で「え!こんなに、こんなに広いの!?」っていう
圧倒的物量で何か買いたい!と思わせられた
マイナーってだけでなくDMMにないようなのもあった(別な通販サイトでは売っている?)
俺はDMM(今はFANZA)がAVの中心だと思っていたからそういう意味ではかなり衝撃だった
また、物量が多いということは様々なAVが目に入る
そうするとネットでは目につかない、これは!っていう作品と出会える強みがあることに気づいた
電子書籍では目当ての作品しか買わないがリアル書店では思わぬ作品をみつけられるのいいよね!っていう意見あるけどAVも例外ではないんだね…
買ったAVがさぁ…
その、がっかりっていうか…
今そのAV見ながらこれ書いているんだけどパッケージと違って顔と腹がすげーだるだるなんだよね
いや!俺もパッケージにフォトショ×ぐらいの知識あるのは知ってるけどその考えに至らないくらい良く見えたんだよ!
でもいざはじまって「あれ…?なんか顔違くね…?」ってなってもうダメだね!勃たん!
男優が温水さんに似てるのも気になるし!頭もしゃべり方も似てる!姿が映るたびに似てる!
女の子はよく笑ういい子な感じだからあんまり悪く言えないし!なんかじゃっかん癒される感じ!
いやー怖いはフォトショ
角度によってはパッケと同じように見えるんだけど全く興奮しない
最悪エロゲがある
まだ勝負は終わっていない
俺たちの戦いはこれからだよね?
全てのエロに幸あれ!
彼のような発信力のある人がそんなこと言ったら、批判されるだけで何にもならないじゃん、という愚痴である。
著者が言うのは仕方ないかなとも思うけど、編集者の立場で言うのはナシだ。
まとめサイトとかで吹き上がれば外圧になる?ならないよ、版元の偉いさんの鈍感力舐めんなよ!
直近は男性向けラノベ。数年やって、最近現場を離れた。メディア化、中ヒットくらいまでは経験がある。
いまやっていることまでは黙っておく。
電子売上を逐一見れないというのはウソである。いや、平林氏は見れなかったのが本当ならウソというと語弊があるが。
Amazonはじめ、情報は取ればいくらでも手に入る(買うことも多い)。自分は週ごとくらいには電子売上を見ていた。
ではなぜ売上が見れないなどと平林氏ほどの人が言うかというと、会社によっては買ってなかったり、営業しか見られなかったりするからだろう、という問題の他に、
電子売上が見られても大した働きかけができない、というのがある。
ライトノベルで言えば、紙の書籍の売上数の10~20%くらいが電子書籍で売れている(モノにもよるがだいたいそんなに変わらない。売れたものでも売れなかったものでも似たような数字になる)。
10000部売れている本なら、それプラス1000~2000部の電子売上がある、と考えてだいたいよい。
そしてその2000部があったとしても、続刊判断とか重版判断の材料にはなかなかしにくい。というか、電子の利益は加味した状態で採算をとっている続刊判断なのだ。
この売上比率が50%を超えるくらいの外れ値をだしたら流石に考慮するに値するだろう、営業もバカじゃないので。だがそんな数字にお目にかかったことはない。
あと、紙の書籍は取次に納品すれば現金になるのでそこからイラスト、デザイン、DTP、校正とかの固定費を払うのだが、電子書籍は売り上げるまで版元に金が入らないので、固定費を捻出する別の財源が必要になり、それが中小だとそれがなかなか苦しく、紙である程度刷れない作品を出すのは難しくなる。
※実際いちいち取次と現金のやり取りをしているわけではない。念のため。
この辺、業界的になんとかならんかったんかと現場としては思うが、木っ端編集者としては何もできないので置かれた場所でやりくりするしかない。
紙で委託販売を維持するなら、電子書籍の納品でミニマムギャランティーとるとか?市場が死にそう。
委託販売がもう無理なんだろうな、とは思っている。取次の流通能力もかなり落ちていて、システムが崩れていく最中だというのは感じる。書店も体力ないし、その書店ならでは施策が上がってくることがどんどん減っている。
電子を毛嫌いする編集者とかもまだまだいるけど、全体の流れとしては、現場では電子軽視の雰囲気はなくなってきている。確実に利益になるし、個人的には紙の客を奪っているとも思わない。
ただ、印刷費がないから利益が増えるんでしょ、というほど簡単な話でもない。AppleやGoogleだと3割ぶっこ抜かれるし、Amazonも条件きついし。
電子書店用のプロモーション方法が確立されていないのも難しい。やっぱり欲しいものをピンポイントで検索して買うことが多くて、書店の店頭をざっと見るような買い方とは違ってしまう。でも頑張らねばならぬ。
平林氏は星海社だから、音羽基準の話かもしれない。音羽みたいにクソデカ規模になると、ランキングとかも追いきれないのかもしれないね。普通に仕組みの開発を怠っていただけだと思うけど。
自分は、作った本のアマランくらいは追っていたし、会社でもデータとっていた。だいたい悲しくなるから見たくないけどね、仕事だから。
だから平林氏もそういうこと言うのか……という(勝手な)失望があり、見る人がいるのかわからない無駄に長いこんな文を書いている。
ただ実際問題、初速が出なかった商品がその後売れるようになるかというと、少なくともライトノベルにおいてはほぼありえない。
いまの出版システムが、どんどん新刊をつくって納品して、書店の棚を回転させ続けるというかたちで成り立っているので、1ヶ月も新刊が書店に置いてあることが稀なのだ。
都心の書店を見ていると棚が充実しているのでわからないが、地方の中規模郊外店なんかだと顕著だと思う。
特に回転が早いのがマンガとライトノベルの棚で、もう新刊点数が多すぎる。一般の文芸文庫なんかはもうしばらく残るので、それなりにジワ売れもしたりする。
ラノベで初速が出なかった場合、あとから売れる例外は「このラノ」1位をとるくらいだろう。そういう意味では『錆喰いビスコ』は羨ましい。売上ランキングからはわからない埋もれた面白い作品を取り上げるという、「このラノ」のもともとの趣旨にもあってるしね。俺の編集した作品のほうが面白いと思ってるけど!
あとはマツコ・デラックスが取り上げるとか?そういう外部要因がないと難しい。
アニメ化でもない限り、新刊のタイミングが最も耳目を集めやすく、書店もそうでなければ置いてくれない。
紙で初動出なかったけど、電子書籍はめちゃめちゃ売れてます!というケースも寡聞にして聞いたことがない。少なくともライトノベルでは。
マンガは識者も多いし、映像化もじゃかすかあるから、埋もれた名作があとから売れることもあるかもしれない。ジワ売れもたぶんラノベよりはあるだろう。
初速が出なくても、そういうのを待って考えれば?と言いたくなることもあるかもしれない。ただかなりのレアケース、宝くじみたいなレベルだと思う。
版元に好意的に解釈すると、作家の人生を考えたときに、売れなかった作品を売れるまで待つくらいなら、次の作品で売れることに賭けた方がいいよね、という話だと言えると思う。
特にマンガは兼業でやるのが難しいし、並行連載ができる人も限られた一握りの筆の早い人だけだから、諦めて次にいく、という判断を早めにするべきだということなのではないか。
会社員の編集者は既刊が売れるまで待ったりそればっかり宣伝していても上司に怒られるだけで給料はもらえるが、その間、作家にはお金をあげられないわけで。
版元の本音を言えば、売れない作品にかかずらってないで別のやればいいじゃん、ということになる。これはまあ商売だからある程度仕方ないよな、と自分で納得するしかない。せめて続きが出ないときには、そう読者に言ってあげるのが誠実なんだろうな。
他の作品で売れたときに、過去作の続きを書かせてあげるご褒美システム的なものは電撃文庫などでやっていたけど、過去作の方の続きは結局売れないんだよね。
問題意識はあるのだが、目の前の本を作って飯を喰うので精一杯、業界的に旗振れるような立場があるわけでなし、独創的なアイディアがあるわけでなし……
無力感を覚えるので、業界構造について考えるのはしばらく前にやめてしまった。
一通り書いた結果、結局ユーザーに甘えていることを言い訳しているだけになってしまった気がする。
ただ初速で、というのを変えるのは難しいよなあ……。たとえば新発売のお菓子だって、初動の売上悪かったら生産量落とすと思うし。
統計ではラノベ市場が伸びていると言われることがあるが、数字上の話であり、実感としては縮小している。
点数・金額が増えているのは、いわゆるなろうモノをやるレーベルが増えており、合算しているから。
文庫市場は小さくなっている。特に新作を伸ばすのがめちゃくちゃ難しい。
B6、四六判市場も飽和しており、1作品あたりの売れ部数は少なくなっている。というか、読者の絶対数が少ないのに参入障壁が低いからってわらわらと各社レーベル作りすぎである。
ここ2年で四六判に参入したレーベルでマトモに売っているところはないので、もしなろう作家がいたら、悪いこと言わないから新しいところはやめておけ。
eb、カドカワBOOKS、GA、HJ、MFBあたりを狙いたい。アース・スターとGCとOVLもそこそこ。レジェンド、マッグガーデン、ツギクル、ドラゴンノベルス、サーガフォレスト、BK、プライムノベルス、Kラノベブックス、ガガガブックス、Dノベル、宝島社、ディヴァースノベルには自分が著者だったら渡さない(個人の見解です)。電撃の新文芸もアカンっぽい。というか四六判レーベル多いね……
他社のレーベルは早く潰れればいいと思っていたし、なんなら自分のいたレーベルもラノベ市場のことを考えたらやめるべきであった。会社員だから無理だけど。低クオリティのものが量産され過ぎている。
なろうはクオリティを低く妥協しようと思えばいくらでも妥協できるので……
現場としては何言ってんだだが、音羽一橋飯田橋の偉いさんには届かない。
思えば漫画村からブロッキングの時点で現場は「はぁ……?(呆れ)」みたいな感じである。
長くなったし疲れた。
思いついたらまた書く。
結局何が書きたかったかというと愚痴なのだが、冒頭にも書いた通り、ネガティブな業界問題をお客さんに押し付ける宣伝はしてほしくない。俺は怒っている。
みんなが不快な気持ちになって、よく知らない人には「出版ってこんなに駄目なのね」って思われて、従来のファンは「業界は進歩しないのね」って思われて、そのうち愛想つかされる。
もっとポジティブに、面白い!すごい!神!って言って楽しい気持ちで作品をひろめていこうと思っているし、みんなそうあってほしいです。
>昔は電子0%だった~
一理ある。でも同時に各作品の刷り部数も売れ部数もどんどん下がっているから、そして全体のコストは下がらない(たぶんほぼ人件費なのでそこまで上がってないとは思うけど)から、そこの穴埋めに充てちゃってる現状だと思う。
特に一部大手は編集者のコストが高すぎるとは思っている。給料も高けりゃ経費も使いすぎ。まだ90年代の頭してる。
ほんとうにござるか
ミニマムギャランティとかを仮に導入したとして、マンガ、ラノベ、ビジネス書のベストセラー、エロ以外の電子書籍は死ぬと思う。
マジで売れてないので、電子書店が入れたがらなくなってしまう。
返品同様、売れなかった電子書籍に対しては版元がお金返すとか?
リアル書店の仕組みとして良し悪し両面あるものの、返品できるから気楽に店頭に並べられるというのはあると思う。出版文化の多様性に寄与している。
電子営業やったことないし肌感覚が足りないので、あまりわからないことにこれ以上言及するのはやめておく。
これも一理ある。俺も期待している(誰か、もしくは未来の俺に)。
データに強い人、分析ができる人というのを版元は重視してこなかったから、そういうプレイヤーが業界にいない。
たとえばそこの売上5%の差違を分析する間に、『SLAM DUNK』の復刻版がめちゃめちゃ売れるわけだから、そっちの仕事した方が儲かるし高い評価になっちゃう。
経営層にもうちょい踏み込ませないと、というのは内部的な話なのでもっと頑張りたいところですね。
バズった!初めて増田書いたし普段はてブもホッテントリみるだけだったから、不思議な気分。仕事するふりして更新しちゃう。
みんな出版業界の話好きね。こういう関心持ってもらえるうちが華だから……
レーベルの話とか筆が走ってぶっちゃけて書きすぎたし、違法ダウンロードの話は要らんね。いま編集者の立場で発言するなら触れとこうかと思ってしまったけど。
文庫と四六判は別で考えてるし、人によって版元や編集者の良い悪いの条件は変わるから、話半分程度で。
基本的に、やったことのある範囲の話しか知らないし、大きくズレてはいないと思うけど他社の話はまた違うと思うので、絶対じゃないよ。
読んでくれてありがとう!
下手、読みにくいと思った人は、良かったら具体的にどこが読みにくいか教えてほしい。参考にする。
自分の書いた文章なので、読みにくさをなかなか感じにくいのです。
平林氏は若くてめちゃくちゃすごい有能な編集者で、ベストセラーたくさん出してる。マジですごい人。担当作もだいたい買ってる。
でも電子売上が見れないとかの主語が無駄にでかくて嫌で、初週売上とかでお客さんを脅迫するような言説も嫌で、星海社で社長と直接話ができるような立場にいた人が、手詰まりで必死な作家と同じような宣伝をするのに勝手に悲しくなって、勢いで書いた文章なので、触れざるを得ない。
ここ読みにくいね!
編集者ではなく作家に近い立場になったので、言いたくなる気持ちはわかるけど。
実名でやれって一蹴されたのも、そりゃそうだと思います。向こうは顔出してるんだから。
でも実名でこれ書いたり議論したりして、俺の担当作品が売れるようにはならないからね。
>お前ら内輪の事情なんぞ知らん、的な
その通りだと思う!
だからそういう暗くなること言って宣伝するのやめたいねっていうのが本義。余計なこと書きすぎた。
あと、電子でも紙でも好きな方で買ってください。売れればOK、ちゃんと数字は見てる。
そして読んで、面白かったら「面白かった」ってツイートしたり知り合いに薦めたりしてほしい。
KADOKAWAのブックウォーカー優先も終わって、大手ラノベレーベルはどこも紙と電子同発になったんじゃないかな。そもそも配信してないところを除いて。
業界のことは俺たちプレイヤーが考える問題、本来お客さんに押し付けるものじゃない。
でももし外から新しいことを考えられる人が来てくれるのなら、歓迎したい。そういう意味で、いま感じている実状を書いたので、提言してくれるのはすごく嬉しい。
なんで諦めてるんだ、偉い人はなにやってるんだってトラバにあるけど、結局頭が切り替わらないと無理なんだと思う。
古い体制にしがみつく編集者にはなりなくないから、自社内でチマチマ動くことや、社外でも同世代と意識を共有することは少しずつ。
自社だけ動いても意味がなく、せーのでみんなで変わらないといけないことだと思うので、大手を説得できるようになりたい。材料も能力も足りない。
【読んだもの】本を購入しようと思ったら、リアル書店やネット書店、最近では出版社による直販(弊社もやってます)などさまざまなあるかと思いますが、今回ご紹介したい『アーギュメンツ#3』という評論誌は「手売り」、つまり関係者による直接販売というきわめて珍しい流通チャンネルを選択した書籍です。売り方の時点でかなりチャレンジングな企画なのは明らかで、魅力的な論稿も多数収録されているのですが(レイ・ブラシエ(佐藤正尚訳)「脱水平化―フラット存在論に抗して」や、大前粟生さんの小説「断崖」もすごかった)、その中の波勢邦生さんの論考「トナリビトの怪」が本当に本当にすばらしかった。ので、今回はそれについて書きます。
当該論考のテーマをおおきくまとめると、理性的で自己判断できる存在としての近代的主体(いわゆる「強い主体」)の淵源にあるものとしてのキリスト教という一般的なイメージに対して、ハワイ・日本・沖縄におけるキリスト教受容史をふりかえることで別の可能性(本書でいう「隣人」)がたちあがる場としてダニエル書・イザヤ書を読みかえすという試みといえます。
いろいろ論じたい点はあるのですが、とくに筆が冴えるのは、小原猛『琉球奇譚 キリキザワイの怪』に紹介されている怪談「ジーマー」の話です。曰く、ある男性が「ジーマー」という老婆に「神様の用事の手伝い」を頼まれる。それは波上宮という砂浜で、彼女の三味線に合わせて民謡を歌うというもの。そこで事は起きる。
知ってる歌は歌い、知らない歌は手拍子をうつ。適当にこなすうちに背後の砂浜に人が集まりはじめるが、おしゃべりの中に英語やうめき声が聞こえるなど、奇妙な何かがそこにあった。徐々に不審なおもいにかられたその男性は後ろを振りかえる。「すると、そこには誰もいなかった」やがて夜も明けて、ジーマーの三味線も鳴り終わったあとに砂浜をみてみると、声が聞こえた場所には子どもをふくめた無数の足あとが残されていたという。こうした情景に、その男性は戦争(太平洋戦争のことか?)の傷跡を読みとり、波上宮の鳥居を抱きしめて泣く。「みんな死んでしまった。父親も、幼馴染の友達も、学校の恩師も、みんなみんな死んでしまった。自分は生き残ったが、果たしてこれは良いことだったのだろうか。自分のようなくだらない人間が生き残って、優しく勇気のあった友達や、才能のあった人々が死んでしまう。この差は何なのだろうか?」(30ページ)
この「ジーマー」は沖縄固有の物語ですが、波勢さんはここに「死者との交換可能性」という「怪談の本質」を見ます。生者と死者の想像力が同時に起動する場所、そこに怪談という物語は立ち上がる。そして同論考にとって重要なのは、この「怪談の想像力」はキリスト教のテクストにも見出されるという点です。
(「怪談として聖書を読む」というこの箇所は本稿でもっとも屈折し、そして読みでのある所なのですが、そこはあえて飛ばします。気になる方は「アーギュメンツ#3」をお買い求めください)
この怪談という想像力からみて、「西洋近代的自我による主体的区分による解釈は、恣意的でグロテスクな切断」(34ページ)となります。しかしバベルの塔の神話が示すように、神は常に「言語と文化を奪われたものの側に立ち上がる」。つまり強き主体の側にではない、という点が重要です。
「神は奪われ排除されたものの側に立ち上がる。歴史と非歴史の境界で『主体』と『弱い主体』を隔てる壁は消失し、ありうべからざるものが現れた。」「ぼくはそれを『隣人』という言葉に求めたい。なぜなら聖書において隣人とは、まさしく自他の交換可能性を示す言葉だからだ。」「隣人が現れるとき、『神を愛せ、己を愛するように隣人を愛せ』というイエスの声が、聞こえ始める。隣人は、神の赦しを伝達するぼくらの似姿であり、またぼくらの赦しを待つ異形のものでもあったのだ」(35ページ)
ここで提示された「隣人」は、大仰で圧倒するような<他者>、私たちの理解を拒む絶対的な<他者>ではないでしょう。どこにでもいるあなたであり、わたしであり、そして誰かです。これはブルーハーツの歌に出てくるような、といっていい。そう思います。(すこし恥ずかしいけれど、いや、しかしそう言ってしまっていい)
「隣人の思想」、波勢さんの論考が到達した地点をそう呼んでいいと思うのですが、ここで示された思想の内実とともに、この思想に至る論述があくまでもキリスト者としての波勢さんの信仰に貫徹されている。ここに本稿のもうひとつの傑出した点があります。
たとえば「昨年11月、九三歳で祖父が死んだ」ではじまる本稿は、「キリスト教信仰を告白せずに死んだ祖父が天国でないどこかへ行ったのではないかと不安になった」という文章が地の文で、鍵括弧抜きで出てきます。たぶん信仰をもたない人にとってこの一文は、理解の遠い、「向こう側の人」の言葉に聞こえるのではないでしょうか。(本稿の最後、註のラストの文章も「神に栄光、地に平和、隣人に愛と怪。感謝して記す」です)
「聖書を怪談として読む」という本稿の試みをもし信仰をもたない人がするならば、さじ加減をまちがえたとき即座に「他者の信仰否定」になるでしょう。でも、波勢さんはあくまでも信じることで聖典を読み替える(またはこれまで読まれなかったものを読み解く)という姿勢を貫く。そこにこのテクスト独特の緊張感と救いがあります。
イスラーム法学の中田考先生や、このたび『トマス・アクィナス』でサントリー学芸賞を受賞された山本芳久先生などもそうですが、これまで護教論や宗学として避けられがちだった信仰者自身による学問的考察のいくつかには、相対主義と決断主義のあいだでさまよう私たちの課題を乗り越える何かがあるように思います。私にとって本稿はまちがいなくその一つです。そう断言していいものがこの論稿にはあると考えます。
以上、編集Aは自社本を紹介していないどころか本すら紹介していないのではないか疑惑もあるのですが(広報誌とか、雑誌の特集号の論稿とか)、これにて「トナリビトの怪」の長文の感想を終わります。ご清聴ありがとうございました。
たまに本屋さんに行くと、
なんか不安を煽るようなタイトルばかりでなんか滅入っちゃうけど
食べ物の話の本に関しては、
でね、
とても表紙も可愛いのね。
ここは2冊重複してしまうことは絶対に阻止したいところなのよ。
わかる?
このわかりみ。
ネットならこの本以前に買ったよってデカデカと表示されて教えてくれるんだけど、
もしくは購入履歴とかで以前買った本がみれるじゃない。
この本買ったっけ?買ってなかったっけ?って困るわ。
あと
写真とかない本ならどちらかというと電子書籍で買っちゃいたいタイプでもあるミーなので、
本屋さんで本見付けたら、
その場で検索して電子書籍があるかどうかと言うことを調べる二度手間が二度手間だわ!
電子書籍レーベルでも取り扱ってるものの違いもあったりなんかするし、
こっちのサイトではない!
あっちのサイトではある!ってことが多々多発なのよ。
本を買ったら、
その同じ本が電子書籍版も併せて一緒にゲットできる仕組みがポケモンよね。
そういったところ整理して欲しいわ。
あとこれ前にも言ったかも知れないけど、
電子書籍の貸し借りも
まあ、
素直にバンバンたくさん本を買えなくなった事情は色々あるわよね。
トムハンクスって小説家か知らなかったけど、
たまたま本が置いてあって、
本として形を持っておきたいところもあるし、
手早く端末で読めちゃう便利さも捨てがたいのよね。
要は両方買えって事なのかしらね?
とどの詰まりは。
うふふ。
炊き込みご飯をしてみたので、
ぜひ自分発信のオリジナル炊き込みご飯も開発してみたいところ。
今日はなんか朝起きたらのど渇いたので、
我ながら冬のこの寒さで珍しい飲みっぷりだわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「表現者の自由」として「広く頒布する自由もある」とずっと言ってる。
ホント人の話読んでねぇな。
俺がいつそんなことを言ったんですかねー
それも言ってねぇな。
書店ではなく電子書籍かネット通販で買えばいいだけで、成人女性はたいていそうしている。
なら子供のくせにエロ本をリアル書店で好きなだけ買いたいなんてワガママなだけだろといったら発狂して最初から表現の自由ガーを繰り返し始めた。
「なぜ書店で売ってはならないか、根拠法は?」と聞いてるのに「書店ではなく電子書籍かネット通販で買えばいいだけ」は答えになってない。
オタク趣味も書店で売る権利はあるし、それを妨げてよい根拠は皆無。
てかお前のいってる「犯罪」ってこの場合何?脅迫事件みたいな急迫不正の問題があるの?
複数の増田を混同して同一人物扱い、論理的に自明でないこと(「子供に見せられない表現」等)を前提に据える、相手を貶すような妄想等
それで、一応もう一回聞いといてやろう。
横さんにはすまないが、こいつは常識がないのでどれもつまらないと思う。
・まず表現の自由が「表現者の自由」でなく「表現を受け取る側の自由」と思い込んでた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1 表現の自由は作品発表するがわのためのもの。
・そして、BL本には有害図書指定はおこっていないとおもっていた。
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/dms/ss/bukai/H28yugaitosyo.pdf 拷問本、BL本もエロ本同様規制対象だ。
・一般女性が指摘したことで規制本が増えるとおもっていた。実際は発売前に議会などで決定されている。
・で、いままでに一般女性が指摘したことで規制がかかった作品のリストはあるのかと尋ねたら
https://anond.hatelabo.jp/20180927093435
CMという棲み分けできない(子供が目にする可能性がある)ものだけを挙げてきた。そりゃそうだ。
指摘した側は原作レイプとか現実認識を曲げるものはフィクションとして棲み分けしろっていってるだけ。
子供が目にしてはいけない作品が女性用に存在していないわけではなく(2つ上のリンクの指定図書リストにあるとおり)、
書店ではなく電子書籍かネット通販で買えばいいだけで、成人女性はたいていそうしている。
なら子供のくせにエロ本をリアル書店で好きなだけ買いたいなんてワガママなだけだろといったら発狂して最初から表現の自由ガー(受け取る側の自由よこせ)と繰り返し始めた。
黒子のバスケ脅迫者事件https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%AD%90%E3%81%AE%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%B1%E8%84%85%E8%BF%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
があるのも知らなかった。犯罪がおこりそうなときは参加者全員が安全第一でやる。あたりまえだよな。
常識だと思うんだがなー
自分は市場の論理でオタ向けポルノ風表現がどんどん表に出てくる現状に爽快感を覚えていて、もっとやれもっとやれ、と思っているから明確にあなたの敵だな。
リアル書店は本当に他の本が売れないようで、二次元ソフトポルノな表紙が蔓延っている様にニヤニヤしてしまう。
職場で同僚が「なんか変なの印刷されてるけど無視して……」と苦笑いしながら資料を渡してきて、何かと思ったら、一番下に「萌え」って感じの肩を出した幼女がソシャゲの登録をねだるバナーがくっついていたのを見た時には「ブホッ」っ噴き出しちゃったよ。嬉しくて。
個人的な娯楽消費の損得で言えば、ラノベはもう飽きて読まないし、リアル書店でエロ本買うことも無いし、スマホ広告でソシャゲに登録したりBL電子書籍を買ったりしないので、書店やスマホでエロがゾーニングされようが撤去されようがどうでもいいんだけど、何なんだろうね、この解放された楽しい感じは。
自分の心で飼っているインナー「同級生に知られないように学区から離れた書店でこそこそラノベを買っていた中学生時代」チャイルドが「許された! 勝った! 俺たちの時代だ!」とはしゃいでいるのを微笑ましく眺めている喜びかな。
このままじゃヤバイと、かなりの人が言っていたと記憶している。
中国のファイアーウォールはクソだと言われ続けたが、結果を見てみると正解だったのではないか。
Googleは日本語での検索は力を入れなくなっている。サービスもアメリカ優先だ。アメリカ人がアメリカ人のために金と人をつぎ込んでいるのだから仕方ない。
広告収入があるからGoogleに反対もできない。ニュースサイトもGoogleを取り上げる。
Androidに振り回され、開発端末すら国内で入手できない状況もあった。
Amazonの影響で、リアル書店がなくなりアメリカの後を追っている。通販も日本はあまり力を入れていないように思える。
AWSのほうが影響は大きいのだとは思う。学生からするとAWSを習うほうがいいはずだ。
なんだかんだで、10年スパンで考えると、国内企業でなければ国内のことを考えないのだなと思う。
ビッグデータがアメリカ優位であり、その続きがディープラーニングだった。VR/ARもアメリカ優位だ。
これからコレが来るといったときには、アメリカ企業間の中で話がついている。
税金を投入しようにも、海外にお金が出ていってしまうのだから乗数効果が減ってしまう。
日本では、日本すげーと言われるのは1位を取ったあとでしかない。
クラウドファンディングが何かしようとしている無名の人のためではなく、有名人のものになったようなものだ。そもそも有名人なら他にお金の集める方法があるのにだ。
糞フェミはananも批判しろよと怒るよりも、ananだってやってんだから俺らだっていいだろがよ、と主張する方がポジティブだと思うんだけど。そうならないあたり結局のところ女憎いが原動力であって表現規制を許さないという高尚な話は後付けだったんですよね?と邪推しちゃうけども。
私は女だけど、水着グラビア表紙の男性向け雑誌やananセックス特集もSPA!とかと、明確におかずコンセプトの本やマンガと、それ以外、の3つのゾーニングがあれば一番快適かねとは思う。R12、R18、ノーゾーニングぐらいの。
そもそも男性はあんまり読まないだろうから知らないのかもだけど、ファッション誌とかでもananのようなライフスタイル誌でも、女性誌って下品で下世話な内容が何らか入ってるものが多いよ。多くの場合は読者体験談みたいなページとか。あとはanan的なものとか、医療的なものまであるけど、分量やエロ成分はその雑誌のコンセプトとか広告内容(CHANELの広告が表2に入るような雑誌では流石にやらない。それはまぁ男性誌でも同じだろう)。
ananセックス特集だめだろうと言うなら、それ以前に小学館の少コミとかBLとか、フェミ視点とは別に年齢ゾーニングが要るだろうよとは思う。BL、TLはリアル書店だと売り場分かれてたりするんかな、知らんけど。でも電子だと普通に読めちゃうしね。見えてなきゃいいってわけでもなかろう。
現役の書店員だけど先日バズった六本木TSUTAYAに暴言吐いてる人やその取り巻きがあまりにもアレなので暴言を吐きます。
あのさ、本って一年で何冊出版されるか知ってる?「読書好き」を自称するんなら当然知ってるよなあ。
七万冊だよ。七万冊。
それを365日で割ると1日200冊弱の本が出版されるんだよ。なあ、これ、タイトル出版社著者内容その全てを把握できると思うか?それに加え既刊本もあるんだぜ?社割でいくら本を買おうが一人の人間に把握できる量じゃないんだよ。口頭でタイトルだけ伝えられても、表記もなにもわかんないの。今までお前が口頭でタイトルを伝えただけで書店員が対応してくれてたんだとしたらそれは単に運が良かっただけだ。広い広い出版業界の観察範囲がその担当した書店員と偶然合致しただけ。
頼むから口頭でブワーッとタイトルだけ伝えてこっちが即座に対応できなかったらキレる前に、もう少しタイトルやISBNを紙に書くとか考えてくれないかなあ。
あと残念だけど六本木TSUTAYAのように純粋な書店としての機能以外を持つ書店って今後増えてくと思うぜ。
Amazonの登場で書店は半ば息の根を止められたような物なんだわ。「単に新刊買うだけだったらわざわざ書店に足を運ぶ必要ないなー」って書店員やってる俺も思うもん。「ほしい商品をすぐさま見つけて購入する」という利便性はどう足掻こうがリアル書店はAmazonに勝てそうにない。
利便性では勝てそうにないならどうするか。その他の価値を自ら創出して生き残るしかないじゃないか。
お前やお前の取り巻きが散々「オサレ()」と馬鹿にしまくってるTSUTAYAの店作りも、その生き残り戦略の一つなんだよ。
ひとつ聞くけど、TSUTAYAに足を運んだ客がお洒落な空間を味わいその雰囲気と気分の高揚の中で本を選んでお前らに何か迷惑かけたか?なぜ「意識高い系()」と自分とは異なる消費スタイルの客をそこまで嘲笑しまくる?なぜ自分とは解釈の異なる棚作りをしただけでそこまで発狂する?
お前らが嘲笑している六本木TSUTAYAに足を運んでいるその人達は、競合他社である俺達もほしくてほしくて堪らない、出版業界にお金を落としてくれるご新規様なんだよ。なにをきっかけにしても良い。とにかく「書店に足を運んでくれる人」をどんどん増やしていかないと書店全体の未来はないの。
そんな貴重な新規客を嘲笑するオメーらみたいなスノビズム拗らせた排他的な人間が市場の縮小に拍車かけてんだよ。「書店とはかくあるべし」「読書とはかくあるべし」と勝手に定義して業界を私物化してんじゃねーよ。書店はお前らのための空間でもあるけどお前らのためだけの空間ではないんだわ。「全てのジャンルはマニアが潰す」だとかなんだとか言ってた人いるよな。お前らまさに「業界を潰すマニア」そのものだぞ。
不毛な「暴言」なんて吐いてる暇があるんだったら他の書店に行ってどうかその店を買い支えてやってくれ。お前やその取り巻きはTSUTAYAのターゲット層ではないんだ。なにか本を買うんだったらダーウィンの「進化論」とかお勧めだよ。
最近の「本屋で手に取る気にさせられる本」というのは見た目と内容が比例してない、というのはホントその通りだと思う。
ネットの遠慮ない書評とか「全く本屋の思惑とは関係なしに自分がほしいと思ってただそれを見に行った場合」で買った本以外、最近リアル書店で購入した本は心底くだらないものが多かった。かつてはそれなりに信頼できたレーベルであっても、というか、信頼できたレーベルほど状況がひどいというか。「○○社のこのシリーズで、この見た目、この売り文句で、一応まともに見える著者で、こんなスカスカの本出すなんて!?」と驚く。自分が情弱なだけかも知らないけど、なんかもう信頼に値する出版社がほとんどない。
出版社の苦境も本屋の都合も一応わかるんだが、こういう自社ブランドの価値を毀損し「ネットの書評しか信用ならない」状況にしたことは、本当に問題だと思う。かつては、「ネットであんな本やこんな本みたけど、現物見ないとだし、ついでに気に入りのブランドでおもしろい本も買えたらいいしな」ってリアル書店に足を運んでいたわけだけど、その「ついで」の「おもしろそう」な本がことごとく糞、ネットの書評の方はおおむね信用できる(というか良くも悪くも期待どおり)であることが増えると、これもうそのままネット書店で買うのが一番相性がいい、ってなる。これリアル書店にとったら自殺。なのでマジで先がないと思う。
最近はかなりの配信サイトでブラウザで電子書籍が読めるようになってきたが、肝心要のAmazon Kindleが未だに 購入→配信先端末の指定→Kindleアプリ起動→ダウンロード の行程を踏まなくては書籍が読めない。最近この煩わしさがとみに鬱陶しいのだが、できるだけ電子書籍管理を一本化したいので、結局品揃えと継続性に最も信頼がおけるKindleでしぶしぶ購入しているのが現状だ。
他のサイトがAmazon KindleはUIの弱さが弱点だ!って思って頑張ってUI改善したりセールや品揃えを充実させても、客が「電子書籍を買うサイトは一本化したいし、それならKindleが安定でしょ……Amazonが一番潰れなそうだし、既にKindleでたくさん買ってるってのもあるし……」みたくなっちゃうんなら、他サイト虚しすぎる。
たとえばhontoとか、大日本印刷とドコモを母体に運営されてるし系列の丸善ジュンク堂文教堂あたりと連携してるくらいだから信頼性低くないだろうし、PCブラウザで読めるし、リアル書店で買った本の電子版は半額で買えるという独自サービスあるし、同一作者の新刊の通知機能もあって、時間帯や環境にもよるだろうけどPCにダウンロードする速度も以前よりはかなり早くなりKindleより早くて、まあ専用リーダとブラウザの利便性はKindleと五十歩百歩だけど著しく劣っちゃいないだろうに、注目されてない。
ロバート秋山が色んな職業の人になりきってそれっぽいこというコント、あれはhontoで作ってるフリーマガジンで始まった企画なのに、ロバート秋山のネタはみんな知っててもhontoのこと知らない人が多いっていう。
なんかもうhontoのダイマみたいになってるけど、とにかく「電子書籍各社への要求というていで言うけど、実際はAmazon Kindleしか使う気ないからKindleなんとかしてくれ」っていう消費者の意識がさあ……わかるんだけどさあ……健全な競争を阻害してるっていうかさあ……囲い込みとか規格争いってそういうもんだけどさあ……。
リアル書店にまんがを買いにいった。4月の下旬に出た新刊だが、どちらかというとマイナーな作家の作品だ。近所の蔦屋には入荷していなかった。仕方がないので新幹線が止まる駅前にあるジュンク堂まで行った。ここは無駄に在庫がある。その作家の棚を見つけたのだが、新刊はなかった。せっかくなので、検索機に書名を入力して在庫を確認してみる。1時間前には5冊あった模様。DBに記録されている棚にはなぜかなかった。店員さんを呼んで確認してみたが見つからないとのこと。その後、2店舗ほど回ってみたが結局在庫はなかった。4店まわって空振りとなるといろいろとリアル書店の立場がないと思う。結局3時間以上を費やして在庫を発見できないという徒労感。仕方がないので、帰ってからヨドバシに発注をかけることにした。
リアル書店の配本パターンは、取次の種類によるので、蔦屋はどこの店舗でも同じだ。ジュンク堂や紀伊國屋書店規模だと在庫が行方不明になっている可能性がある。結局のところオンラインによる注文と自宅までの配送にはかなわないのかもしれない。本を買う以外の目的や楽しみがあるのであれば、リアル店舗にも勝算があるようにも思える。ヨドバシレベルの店舗別の在庫確認システムがないと商売にならないような気がした。
結局のところ、今ある既存の施設やしがらみをなしにして、0ベースで書店や書籍の流通システムを考えないといけないはずなんだろうけど、戦前から脈々と続く出版社・取次・書店という既存のプレーヤーが変革できないまま、新規のプレーヤーに翻弄されまくっている状況なんだろうと思います。本の流通のしくみがない国で本を売ろうと考えたとき、最初からアマゾンさんやヨドバシさん並みの流通パッケージを投入して顧客も在庫の確認ができて2日から3日で手元に届くようなシステムになるだろうと思うと日本はどんどん過去の遺産に足を引っ張られて遅れていくのだろうとの考えに至ります。