ゾーニング論争はエロ嫌いvs.エロ好きの戦いではないし、さらに言うならオタク嫌いvs.オタクの戦いでもない。少なくとも私にとっては。
エロ絵そのものはいいんですけど、エロ絵を日常に持ちこむ人、それを当り前だと思っている人の感性が怖いですよね。たとえば猫虐待してる絵が表紙の本が本屋にずらっと並んでたらどうですか。ツイッターで「猫いじめさいこー」とか盛り上がってる人たちがいたらどうですか。猫の飼い主、怖くならない?
以下、個人的な話なんですが参考までに読んでみてください。
私はかつて小学生だったとき、ネットを彷徨い偶然エロテキストサイトをみつけてしまい、最初はあまりの衝撃に速攻ブラウザを閉じたけど徐々に好奇心が湧いてきて一通り読み漁ったという過去があります。
ここで良かったのは私が元々本好きでフィクションに慣れていたので、『これは架空の物語であり特定の欲望を満たすための都合のいい展開である』ということを認識できたことと、文字媒体なのでどぎつい描写もモヤモヤ~とした映像しか頭に浮かばなかったこと。
小学生が明らかに18禁の小説を読むのはよろしくないことですが、ともかくそんな感じで私は『女性が性的に辱められる』『極端に男性に都合のいい設定』『とにかくエロだけを追求した話』『びっくりするほど下品であけすけな隠語』というものに嫌悪感はなかったのです。だってそれはそのサイトにいかなければ読めないものだったし、自分が読みたくないときは読まなければいいのだし。
それは刺激的で、斬新で、背徳的で、ジャンクフードのような中毒性がありました。普段は見ないけど、たまにひたすら頭の中の興奮ボタンを連打したくなったときに一気読みして、はー楽しかった、終わり、ってすっきりしてました。
しかし同時に、私はネットでしばしば予期せずでてくるエロ広告を嫌悪していました。私はあくまで刺激が欲しい時にエロを摂取したいのであって、いきなり飛びこんでくるエロはお呼びでないのです。むしろ「女を都合よく辱める創作を女に見せつけてもいいと思ってるんだ」と屈辱的な気持ちになりました。
おわかりになるでしょうか? 「私が見たい時だけでいい、あとはいらない」と言うとわがままのように思う方もいらっしゃるかもしれません。
これも本音なんですが、本質はもうちょっと深いところにあります。
エロテキストサイトとどこにでも湧くエロ広告の違いは、受け取り手の能動性の差です。
エロテキストサイトを見る場合、私は「荒唐無稽で現実離れしてる刺激的なエロい文が読みたい」と意識してから、サイトを開きます。私がそう思って行動しない限りサイトは開かれません。そして、サイトにはエロい話ばかりが集まっています。エロくない話の中に騙し打ちのようにエロい話があるわけではないので、そもそもこれはエロくてヤバい話を読みたい人向けのサイトだとわかります。つまり、「今から読む話では女性の人権が滅茶苦茶に蹂躙されてるけどみんなこれが架空だってわかった上のお遊びだから大丈夫」という安心感があります。
ところがエロ広告は、求めてもいないのに突然バン!と現れます。しかも絵なので防ぎようがありません。日常のなかに現れたドギツい描写にこちらは面くらい、そして、「こんなヤバいエロを日常のなかに放り込むなんて、この発信者はもしかしてヤバいエロと日常を別枠だと思ってないのでは?」という恐怖を味わいます。
まぁ、今思うとエロ広告はむしろ不意打ちをこそ狙ってるんでしょうね。エロのなかにあれば目立たないエロも、日常のなかにあれば目立ってありがたがられますからね。ジャンプで過激化するお色気系漫画とかもそうなんでしょう。エロ漫画としてはそこそこでも少年誌の枠内では超エロ、っていう。
でもね、人間、慣れるんですよ。
嫌がってる人はなかなか慣れませんが、好きな人や特に気にしてない人は普通に慣れます。ロリコン公言とかハイエースとかね、最初は「俺たち過激なこと言ってるぜ」っていう昂揚感、ヤベー奴スゲーみたいなとこから始まって、今ではすっかりネットミームでしょう。
小学生を恋愛対象に想定するタイトルとか、女の子がめちゃくちゃ露出してるとか、そういうのがありふれ過ぎて、日常に浸食している。意図せず目に入ってくる。そういう状況は怖いです。
ラノベは昔からエロ絵あったとかいう意見もわかりますが、さすがにここまで多くも露骨でもなかったですよ。ホライゾンの表紙はラノベの中でもわりと異色だったように思います。少なくともエロい絵として喜ばれるぐらいには。今、特にオタクの中で話題にならないじゃないですか、エロい絵の表紙。もう当たり前になっちゃったんですよ。
露出の多い女の子が恥ずかしそうにしてるとか、乳首が浮いてるとか、パンツ見えてるとかの絵、女の子を性奴隷に、だの、ロリがなんちゃら、だのいうタイトル、が『女性が性的に辱められる』『極端に男性に都合のいい設定』であり、『日常とは隔離された架空のおままごとである』という認識が薄れてきています。だって日常にあるんですもの。
大人になってから触れた人はまだいいですよ。それなりの分別はあるでしょうし、もし影響されて何かヤバいことしたとしても本人の責任です。それが大人ってものです。
でも子供のうちにあれが日常と地続きにある環境は確実に問題があります。ただでさえ子供のうちは架空と現実の境目が曖昧なんです。自分で言うのもなんですが私は特殊例で、ヤバいエロに触れるずっと前に親から子供の生まれ方や性的に気をつけなければいけないことを教わっていましたし、架空の物語との付き合い方をわかっていました。だから『女性の人権が滅茶苦茶に蹂躙されているエロ』という箱を脳内に作り、これは日常とは絶対に交わらないものとして区分けできたのです。
でも無視できない程度に日常にヤバいエロが浸食していくようになるにつれ苦痛を感じるようになりました。エロ広告ぐらいならまだ対処しようがありました。ネットを使って行くうちに、なんとなくエロ広告が出そうな場所を察知するようになり、それを避ける術を身に付けたので(もちろん取りこぼしはあります)。
でもアニメ、漫画、ラノベ、ツイッター、動画サイト、ありとあらゆるところに蔓延るヤバいエロ思想。オタクをやってると避けて通れない、どころか今やオタクじゃなくても目に飛び込んでくる数々の女体エロ絵。
かくして私は『女性の人権が滅茶苦茶に蹂躙されているエロ』を読めなくなりました。もはやそれは日常の地続きにあるからです。「お話の中ではとことんヤバいけど私は安全」とは思えないからです。
何故ヤバいものを日常に持ちこみたがる人がいるのか、私にはわかりません。まぁ彼ら怖くないんでしょうね。女体持ってないから。でも、自分達にとって『日常にあっても怖くないし楽しいもの』が他人にとって『日常にあったら怖いもの』だということはわかって欲しいです。
言われそうなので先に書いときますけど私は少女コミックとかもどうかと思ってます。今は知りませんが数年前に読んだときは「え~……?」と思いました。エロ描写自体はたいしてないですが、安易に性行為に突入する展開が多く、さすがに注意書きとかレーティングとかがいるのでは、と。あれは表紙は無難なのでその点はラノベエロ表紙よりはましですが。
BLの表紙も、扇情的すぎるのはキツいです。中身はエロくていいから表紙はやめてくれ。私はBLも嗜んでるんですがやっぱり日常に現れるエロは嫌です。エロ広告とかも最近はたまにBL系のやつをみかけることがあり、エロ広告の常として過激なとこを抜き出してくるので無理矢理描写とかが多いんですよね。日常に人権無視の思想を入れて来ないで欲しい。私は心構えをして、人権無視した話が読みたいと思って、自分で専門の場所にいったり専門の書籍を買い、そして初めて人権無視創作を楽しみたい。
要は「これは人権を無視している」という認識を確かに持った人々が愛好する人権無視創作じゃないと、「ひょっとしたら人権無視だと思わないでこの創作を楽しんでいるのでは?」という恐怖に苛まれるんです。被害妄想じゃないですよ、私結構な数の「ロリとつきあって何が悪い」って言ってる人見ましたからね……思い出すだけでキッツい。
だからゾーニング(○歳以下禁止、表紙にエロやら辱められてる人間やら未成年との恋愛を示唆する内容は出さない、コーナー作る)したいんですよ。日常とごっちゃになってるのほんと無理。殺人事件の本はあるじゃんとか言いますけど、本の表紙が首絞められてるとことか眼球に針刺されそうなとこのアップとかだったらぎょっとするでしょう?
「えぇ……(大丈夫かな)」
でしょうけど
とかになりかねないわけで、この人らが内心「もちろん冗談だけど」という気持ちだったとしても字面だけ見れば既に倫理は崩壊してるんですよ。正直眼球刺されそうな絵より可愛らしい絵柄の「ロリが俺のこと好き」みたいなタイトルの本の方が怖いです。これ(https://twitter.com/traductricemtl/status/1039259936453283841)の「今日から俺はロリのヒモ」ってやつ、さすがに萌え絵のエロ本かと思ったらMF文庫でヒィッってなりました。マジか……。
元ラノベ読みなので別にラノベみんなこうなわけじゃないのは知ってますが、各社サイト行くと恥ずかしそうな顔で露出したり胸と股強調された服の女の子の絵ほんと多いなぁと思いますしMF文庫特にヤバいな。
露出過多で恥ずかしがってる女の子可愛いって言うのぶっちゃけいじめっ子の感覚だし、纏足して足が小さくなったせいで転んでしまう女の子を可愛いって言ってるのと同じですよ。
「猫の飼い主、怖くならない?」がダイレクトに「だから排除していいよね?」とイコールなの怖すぎるぞ。 「怖くなる」「見たくない」「ぞっとする」から「ゾーニングで排除」まで...
その「見たくない」→「排除」の直結は元ネタであるフェミのパロディでは?
よく見かけるので女性には共通の感覚なんだろうけど、 「顔を赤らめている=恥ずかしがっている=性的な服装の強制による羞恥」 と短絡されているのは何故なんだろう。 MF文庫の表紙...
自分は市場の論理でオタ向けポルノ風表現がどんどん表に出てくる現状に爽快感を覚えていて、もっとやれもっとやれ、と思っているから明確にあなたの敵だな。 リアル書店は本当に他...