はてなキーワード: 決断主義とは
【読んだもの】本を購入しようと思ったら、リアル書店やネット書店、最近では出版社による直販(弊社もやってます)などさまざまなあるかと思いますが、今回ご紹介したい『アーギュメンツ#3』という評論誌は「手売り」、つまり関係者による直接販売というきわめて珍しい流通チャンネルを選択した書籍です。売り方の時点でかなりチャレンジングな企画なのは明らかで、魅力的な論稿も多数収録されているのですが(レイ・ブラシエ(佐藤正尚訳)「脱水平化―フラット存在論に抗して」や、大前粟生さんの小説「断崖」もすごかった)、その中の波勢邦生さんの論考「トナリビトの怪」が本当に本当にすばらしかった。ので、今回はそれについて書きます。
当該論考のテーマをおおきくまとめると、理性的で自己判断できる存在としての近代的主体(いわゆる「強い主体」)の淵源にあるものとしてのキリスト教という一般的なイメージに対して、ハワイ・日本・沖縄におけるキリスト教受容史をふりかえることで別の可能性(本書でいう「隣人」)がたちあがる場としてダニエル書・イザヤ書を読みかえすという試みといえます。
いろいろ論じたい点はあるのですが、とくに筆が冴えるのは、小原猛『琉球奇譚 キリキザワイの怪』に紹介されている怪談「ジーマー」の話です。曰く、ある男性が「ジーマー」という老婆に「神様の用事の手伝い」を頼まれる。それは波上宮という砂浜で、彼女の三味線に合わせて民謡を歌うというもの。そこで事は起きる。
知ってる歌は歌い、知らない歌は手拍子をうつ。適当にこなすうちに背後の砂浜に人が集まりはじめるが、おしゃべりの中に英語やうめき声が聞こえるなど、奇妙な何かがそこにあった。徐々に不審なおもいにかられたその男性は後ろを振りかえる。「すると、そこには誰もいなかった」やがて夜も明けて、ジーマーの三味線も鳴り終わったあとに砂浜をみてみると、声が聞こえた場所には子どもをふくめた無数の足あとが残されていたという。こうした情景に、その男性は戦争(太平洋戦争のことか?)の傷跡を読みとり、波上宮の鳥居を抱きしめて泣く。「みんな死んでしまった。父親も、幼馴染の友達も、学校の恩師も、みんなみんな死んでしまった。自分は生き残ったが、果たしてこれは良いことだったのだろうか。自分のようなくだらない人間が生き残って、優しく勇気のあった友達や、才能のあった人々が死んでしまう。この差は何なのだろうか?」(30ページ)
この「ジーマー」は沖縄固有の物語ですが、波勢さんはここに「死者との交換可能性」という「怪談の本質」を見ます。生者と死者の想像力が同時に起動する場所、そこに怪談という物語は立ち上がる。そして同論考にとって重要なのは、この「怪談の想像力」はキリスト教のテクストにも見出されるという点です。
(「怪談として聖書を読む」というこの箇所は本稿でもっとも屈折し、そして読みでのある所なのですが、そこはあえて飛ばします。気になる方は「アーギュメンツ#3」をお買い求めください)
この怪談という想像力からみて、「西洋近代的自我による主体的区分による解釈は、恣意的でグロテスクな切断」(34ページ)となります。しかしバベルの塔の神話が示すように、神は常に「言語と文化を奪われたものの側に立ち上がる」。つまり強き主体の側にではない、という点が重要です。
「神は奪われ排除されたものの側に立ち上がる。歴史と非歴史の境界で『主体』と『弱い主体』を隔てる壁は消失し、ありうべからざるものが現れた。」「ぼくはそれを『隣人』という言葉に求めたい。なぜなら聖書において隣人とは、まさしく自他の交換可能性を示す言葉だからだ。」「隣人が現れるとき、『神を愛せ、己を愛するように隣人を愛せ』というイエスの声が、聞こえ始める。隣人は、神の赦しを伝達するぼくらの似姿であり、またぼくらの赦しを待つ異形のものでもあったのだ」(35ページ)
ここで提示された「隣人」は、大仰で圧倒するような<他者>、私たちの理解を拒む絶対的な<他者>ではないでしょう。どこにでもいるあなたであり、わたしであり、そして誰かです。これはブルーハーツの歌に出てくるような、といっていい。そう思います。(すこし恥ずかしいけれど、いや、しかしそう言ってしまっていい)
「隣人の思想」、波勢さんの論考が到達した地点をそう呼んでいいと思うのですが、ここで示された思想の内実とともに、この思想に至る論述があくまでもキリスト者としての波勢さんの信仰に貫徹されている。ここに本稿のもうひとつの傑出した点があります。
たとえば「昨年11月、九三歳で祖父が死んだ」ではじまる本稿は、「キリスト教信仰を告白せずに死んだ祖父が天国でないどこかへ行ったのではないかと不安になった」という文章が地の文で、鍵括弧抜きで出てきます。たぶん信仰をもたない人にとってこの一文は、理解の遠い、「向こう側の人」の言葉に聞こえるのではないでしょうか。(本稿の最後、註のラストの文章も「神に栄光、地に平和、隣人に愛と怪。感謝して記す」です)
「聖書を怪談として読む」という本稿の試みをもし信仰をもたない人がするならば、さじ加減をまちがえたとき即座に「他者の信仰否定」になるでしょう。でも、波勢さんはあくまでも信じることで聖典を読み替える(またはこれまで読まれなかったものを読み解く)という姿勢を貫く。そこにこのテクスト独特の緊張感と救いがあります。
イスラーム法学の中田考先生や、このたび『トマス・アクィナス』でサントリー学芸賞を受賞された山本芳久先生などもそうですが、これまで護教論や宗学として避けられがちだった信仰者自身による学問的考察のいくつかには、相対主義と決断主義のあいだでさまよう私たちの課題を乗り越える何かがあるように思います。私にとって本稿はまちがいなくその一つです。そう断言していいものがこの論稿にはあると考えます。
以上、編集Aは自社本を紹介していないどころか本すら紹介していないのではないか疑惑もあるのですが(広報誌とか、雑誌の特集号の論稿とか)、これにて「トナリビトの怪」の長文の感想を終わります。ご清聴ありがとうございました。
10年前にDEATH NOTEやコードギアスをさんざ決断主義と煽っておいて今度はこれとかご都合主義にもほどがある。
この成功の要因については様々な説明がなされており、どの説明も面白いものばかりだった。
新海自身は、この100億円突破について、かつてインタビューで「怖い」と述べており、
これまでの新海誠作品を振り返ると、反省と改善を繰り返しつつ、自らの作家性を活かして新作の制作を行っていることがわかる。
今回は、多くの人々が指摘するように、物語のプロットや脚本の作成に第三者の目を強く意識したことが、功を奏したといえるであろう。
特に、客観的な意見を募るも最終的には監督のやりたいことを重視させた東宝の川村元気の功績は大きかったのではないだろうか。
新海誠という監督は、作家性の強いクリエイターではあるが、今回の一件からわかるように第三者の意見を柔軟に取り入れることのできる監督である。
そして、観客が自分に何を期待しているのかについても自覚的である(これは、「星を追う子ども」の経験から得たものであると思う)。
したがって、物語の内容に関しては、面白いかは別にして、下手なものは作らないだろうと思うのである。
さて、では私は何を不安視しているのか。
新海誠作品は、その物語に特徴がある一方で、美しい映像、編集も評価されている。
今作も、これまでの新海作品同様、美しい風景の描写が惜しげもなく用いられていた。
そして、今作では、これまで新海誠作品の弱点とも言われていた「人物」の描写に関して、スタジオジブリ出身の安藤雅司が作画監督として参加し、もはや敵なしといった布陣になっている。
前回の増田にも書いたが、どうもアニメ業界の保守本流たる安藤と新海は相性が良くなかった。
それは、新海の出自や経験不足に起因するところであり、仕方のないことでもある。
安藤のインタビューからは、アニメーターとしてのこだわりが強く感じられるが、新海はそのこだわりが理解できていない。
しかし、「次回作は観客として」、「次回作は若い人と」などの発言から、今作での苦労が垣間見えるのだ。
今作で、新海誠はアニメ業界の保守本流とあいまみえることとなった。
新海誠は作画に関する多くを安藤に任せる形にしていたようである。
アニメーターとして確固たる地位を築いている安藤を、畑違いの新海がコントロールするのは難しい(前回の増田に対するブコメでも指摘があった)。
おそらく次回作でも、安藤とは限らないが、アニメ業界のいわゆる大物と組むことになる可能性は高い。
新海は、今作の反省をどのように活かすことができようか。
物語については、「星を追う子ども」で多くの批判を受けた。そして改善した。
私は、「星を追う子ども」で起きたことが、絵作りや編集に関して生じるのではないかと危惧している。
アニメーターに任せすぎることで、新海の良さを殺してしまうのではないかという不安がある。
安藤の「次は若い人と」という発言は、このままでは絵作りの点で新海が安藤(アニメーター)の作家性に喰われてしまうという意味もあったのではないか。
随分と適当なことを書き散らしてきたが、私は新海誠の大ファンだ。
中学生の時に、「雲のむこう、約束の場所」の予告を死ぬほど見て、本編が公開されてからは小遣いをやりくりして何回も見た。
それ以前から新海誠に注目していて、毎度マウンティングしてくる友達が、「君の名は。」のヒットに泣いている。
「俺の新海誠が~」とか言ってるので本当にどうしようもない。でも気持ちはすげー分かる。
遥か遠いところへ行ってしまった。
うれしいような。哀しいような。
セカイ系の彼方へと、ゼロ年代を引き連れて、あずまんと宇野が決裂する以前、あの震災の影響のない世界線に旅立ちたい。
でもね、奇跡はおきないんだ。
あずまんと宇野は変わってしまった。ネットの世界も変わってしまった。
震災が起きなかった、なんて有りえないんだよ。
震災は起きたんだ。
かといって、秒速みたいじゃ駄目なんだ。
以上
追記:誤りを訂正しました。ブコメにてご指摘ありがとうございます。
追記2:「前回の増田」とはhttp://anond.hatelabo.jp/20160921161913です。
追記3:誤りを訂正しました。ブコメにてご指摘ありがとうございます。
宇野常寛「南京大虐殺が捏造か実在か、戦後民主主義が虚妄か否か、 好きなほうを信じればよい」 (宇野常寛『ゼロ年代の想像力』50ページ)
宇野常寛は南京大虐殺について、大きな物語が失墜したから捏造か実在か「好きなほうを信じればよい」と書いた。
意味不明である。大きな物語云々という話と、歴史学における個別の実証研究に、何か関連があるのだろうか?
加えて宇野は、自身の利益に直結する論争ともなれば、東浩紀を「嘘つき」だと批難する、実証主義の立場から反論した。
wakusei2nd:
嘘をついて自分の罪を後輩になすりつけ、それを彼我のフォロアー数の差を利用して論点をずらし、ストーリーをでっちあげてのりきろうとする人には無論ライダーの資格はない。無論会社社長や文学者の資格も。
東浩紀のツイッター論争テクニックは、とにかく自分の捏造したストーリーをフォロアー数の差を利用して喧伝する、というもの。だから今回も読者に証拠まで突きつけられているのに、そこはスルーして全力で別の話題にシフトしようとしている。もう誰もそんな手には乗らないし、呆れてものも言えない。
自身の利益保護についてだけ「実証研究」を求めるのは、明らかにアンフェアだろう。
youtubeに上げられた動画を見れば、宇野は笑いながら東浩紀に相槌を打っている。
東「知ってる?黒瀬が俺に言ったの。カオスラウンジのメンバーの一人は年収7000万なんですよ」
http://www.youtube.com/watch?v=qyV1okRD1rU
よく読めばわかるけど、この文字起こしは「宇野が黒瀬の年収は7000万と語った」などと書いてないよね。
そして東浩紀は、「宇野が黒瀬の年収は7000万と語った」などと責任転嫁していない。
宇野のいう「自分の発言を本気で僕(及びその友人筋)のせいにして押し通すつもりだった」という東浩紀像は、どうみてもフェアじゃない。
それに、あなたもustreamで「7000万ちょっと黒瀬君名言すぎるよそれはw」と参加しているじゃない。
自身も制作と流布に関与しているのに、<東の7000万発言がデマだとは知らなかった>という自分の(法律的な意味での)「善意(・知らなかった)」だけは絶対の前提にする。
しかし東が「善意」から“カオスラウンジのメンバーの一人”の年収を間違ったり忘れていたりしたかもしれない、という可能性は全否定する。
これはフェアな思考じゃないでしょう。
流布における瑣末な間違いを、さも論敵の能動的で極悪非道の悪意のごとく、繰り返し執拗に印象操作するのはどうなんだ?
どうやら、宇野常寛自身の「小さな物語」だけは圧倒的に正しいようだ。
しかも、東浩紀に対してだけではない。これまでも宇野の信じる小さな物語を害する『小さな物語』を語る相手には、高圧的な恫喝をくりかえしている。
「宇野常寛の想像力とかの批評」批判として成り立っているのかいないのか
はあ? そんなこと言った? あなたこそ勝手に人の主張を誇張して批判して悦に入っているだけでしょ?
RT @teramat セカイ系好きな連中はオタクのマザコン野郎でレイプ願望もってる、って冷静に考えるとありえないでしょw
wakusei2nd 2011/01/19 00:09:58
挙句の果てに「トンデモ」認定されました。批判する対象の主張を適当なイメージに基づいて罵倒して、ご満悦の人に。うわー。
RT @teramat 【結論】宇野さんはコンスタティブに読むとトンデモ。しかし「あえて」やってるのだとしたら、つまりパフォーマティブに読めば、これほど影響力のあ
↓こんな雑で恣意的なマッピングで無数の作家や読者を貶めてきた奴が、よく言えるよ。
http://nariyama.sppd.ne.jp/comment0707b.html#070722
これでも宇野常寛の自己イメージは「適当なイメージに基づいて罵倒して、ご満悦の人」ではないんだろうな。
どうやら、宇野常寛自身の「小さな物語」だけは圧倒的に正しいようだ(大切な事だから二回言いました)。
これらの振る舞いって、どうみても彼が批判する「決断主義者」そのものでしょ。
東浩紀氏は、「自分の思い通りにならない玩具は床にたたきつけて壊す」という人で、周囲に対してそんなコミュニケーションを繰り返してきた。しかしそれでは仕事仲間からも、読者からも信頼されない。僕はそのことを彼から反面教師的に学んだ。
wakusei2nd 2011/06/12 13:17:49
その結果が、今の「裸の王様」的な「東浩紀3.0」で、挙句の果てに堂々と嘘をつき、他人を陥れ、それが追求されても誤魔化すようなことを平気でやるようになってしまった。震災以降、言動が以前にも増しておかしくなってきたが、ついにここまで墜ちたか、と思う。
wakusei2nd 2011/06/12 13:19:40
そう思って周囲(僕含む)が、「東さんはそういうキャラだから」と彼の横暴と嘘と卑劣さを結果的に承認してきた。それがこのような事態を招いているのだと思います。RT @soujibucho: @wakusei2nd 東さんが子どもっぽいところがあるのは今に始まったことじゃないし
「結果的に承認してきた」とか言って、宇野は全ての罪悪を東浩紀に押しつけているけど、
例えば↓大澤信亮を東浩紀が批判したとき、宇野は 主体的に大澤バッシングに便乗している。
「責任を仕事で取る方法を探すつもり」)なんて曖昧模糊とした事を言う前に、まず公然と大澤信亮などに謝るのが、
もしも反省しているなら自然な感情だと思う。( http://twitter.com/wakusei2nd/status/79915073577025536 )
吉六会/AZM48による 大澤信亮+文芸誌へのクロスカウンター
大澤信亮: 枝葉末節をつっついて本題をなし崩しにする汚いやり口はよくわかっています。僕はべつにあなたたちを憎んでいない。
ただ、誰かに釣られて振るってしまった暴力をなかったことにせず、内省してほしいと思うだけです。
叩けそうなものを叩いてすっきりする敗北の人生や、子分として忠誠を示し続ける惨めな生き方を克服し、個として生きてほしいだけです。
要するに、全然信頼できないんだよこの人の言動。
決断主義批判していて自分が決断主義者だし、東と宇野というホモソーシャルな関係でとんでもない言葉の暴力の応酬に発展した点で、
同性間の友愛をもちあげてみても説得力が無いし。
宇野氏はまた、
「今回の震災で明らかになったのは、こういう事態が起きたときには、今あるリソースをどう活用するかが問われるということ。そういうときには、原理論ばかりをふりかざして、テンプレ的な批判を繰り返しても話はまったく進まない。中間的なものを考える想像力の不足を感じる」
これもね。
さっさと相反する2つの批評家をつなぐ「中くらいのもの」への想像力とやらを発動してくれよ。
議論における寛容さを。
口だけかよ。
まだ宇野氏が「善良な市民」というHNを名乗り、ウェブサイトで萌えオタ批判に熱心だった頃、私は彼の言説と2ちゃんねらーの煽りとの区別がつかなかった。批評家っぽい言葉を使う2ちゃんねらーだな、と思っていた。その後、東浩紀批判を展開し、「東浩紀の劣化コピーがうんたらかんたら」と言っているときは単なる喧嘩屋だと思っていた。
今でも彼の言葉選びや論説には意地の悪さを感じるときがある。性格が悪いなあ、と思わず呆れる。
しかし、それでも彼とブログで息巻いているだけのほかの凡百の批評家気取りは違う。彼は「ゼロ年代は決断主義の時代だった」と主張し、その正当性は確かに認められ、コンテンツ批評の刷新に成功した。その際、展開したエロゲー批判、萌えオタ批判はいささか強引ではあったが、デスノートや仮面ライダーなどを俎上に上げ、「数字」という誰の目からも明らかな根拠でもって想像力の主流が変容したことを浸透させた。
また、批評の対象にジャニーズドラマやNHK連続小説を持ってきたことも見逃せない。これらの作品は大勢に受容されながらも、批評家たちのあいだでは「ないもの」とされてきた。コンテンツとしてまともに認識されてなかったのだ。宇野氏の活動が批評の対象を拡げたことは、確かな功績だ。
ほかの批評家気取りが有名な批評家の言葉を真似てしか語らないのと違い、彼は自分の言葉でほかの人間が語っていないことを文章にした。彼の作った言葉には「レイプファンタジー」「サークル貴族」などいまいちなコピーはあるが、「ゼロ年代」「サークルクラッシャー」は、これらの言葉が出てきたことでずいぶんと語りやすくなっただろう。そして、それら自分の言葉、自分の考えを雑誌にしたり、商業媒体に売り込んだりする努力を怠らなかった。
評論家宇野常寛は論壇ヤンキーである。のほうが、合ってるかも。
俺はさ、現代思想とか文壇とかは、よくわからんが、ただ、彼らの行動を見ていると面白いんだよね。
で、「彼らのやっている事を、ああしてこうすればゲームにできるな」と思い、それを作ろうと思って、「ああプログラマどうしようかなあ」とか思いながら、仕事してたんた。
で、ふと思った。宇野センセと島田紳助の行動パターンって、似てるんだよね。
・挑発的な口調と行動
・勝ち負けに対するこだわりが強い
・(仮想)敵が必要
・古いものを否定し、新しいものを性急に欲しがる
・やたらと群れたがる
ま、こんな感じ。
宇野センセのいっている事はよくわからん(というか興味が無い)が、行動パターンとしては、「勝てる相手にケンカ売って論破して勝利宣言」ってのが、多い気がする。
決断主義だっけ? でもさ、ゲームのパラメーターで考えたら、そういうものよりも、「挑発」や「破壊」の能力の方が、はるかに大きいんだよね、センセは。
芸能界と違い、サブカル・おたく村は、彼のような人物を受け入れるには狭すぎてもてあまし、宇野センセは、他の世界に行くには小さすぎる、という、微妙なパワーバランスが、すごく面白い。
彼程度の連中を飼いならせないギルドっちゅうのも、情けない気もするが。
嶋田大
二日たってもある物言いが頭から消えない。フラッシュバックし続けるのでもう我慢は止めることにした。これはどうしようもなくこの発言に僕が憤りを感じていることを意味する。それゆえ相手の真意を確かめ、反論することにする。関係ない方のTLには不愉快なノイズに映るでしょうが、お許しください。
こういう切り返しを受けたわけですが。RT @sakiaruto: 困るんだよ。周りと当事者がね。RT @simada_net: 僕が明確に悪だ」と思っているのは「引き篭もっているやつは外へ出て元気にしろ」と言う人と、「元気にしているのは無駄だから静かにしろ」という人。
sakiaruto これってどういう意味なのでしょうか。僕から聞きたいのは「この切り替えしをすることで、結局何が言いたいのですか?」ということです。(以下@での直接のリプライは省略してあります。)
つまり、「だから引き篭もりは周りにい迷惑かけてるんだよ」なのか、「だから善悪について語るなんて無駄なんだよ」。先のRTのような指摘をわざわざするということは、僕にはそういうメッセージに聞こえました。
(以下そういう僕の解釈に基づく異論です。 @sakiaruto あるとさんの真意が異なっていたら申し訳ありません。僕の誤解だったということです)
僕にしてみれば「困るんだよ。周りと当事者がね」という話こそ、「するだけ無駄な話」です。なぜか。
実際に「引き篭もってないで外へ出ろ」ということを言われて、引き篭もっている人は耐えがたい苦痛・圧力を感じている。
また同様に、なんとか完全な引き篭もり状態から脱して元気にしようとしていると、「元気にしているのは無駄だから静かにしろ」と言われ、「じゃあ一言も発せず、部屋でじっとしていなくてはならないのか」とまた葛藤を与えられる。
僕はだからそういう「放っておけばよいこと(人の生き方)に口出しをすることこそが悪だ」と言った。それが分かっていない人が多いと思ったから。これってそんなに不当で無駄な発言なのでしょうか?
だいたい僕は指摘を受けたような「原因」はそもそもわかっている。そして、そんな原因が分かったところで、意味がない、と言うことも分かっています。
なぜなら、「周りと本人が迷惑するんだよ」という原因説明を受けたところで、「引き篭もってないで外へ出ろ」と言われて苦痛を感じている人や、「元気にしているのは無駄だから静かにしろ」と言われて葛藤を抱えている人たちの、その「苦しみ」「葛藤」は解消されないからです。
大体「周りと当事者が困る」という、その「困る」ということ自体が僕にいわせれば不当な申し立てです。
僕は好きで生まれてきたわけでもない。皆そうでしょう。無論、自分で死んでもいいのですがその瞬間の苦痛は怖いし、失敗したときのリスクも怖い。そんな状況を作り出しておいて「周りが困る」とはどういうことか。
親は勝手にセックスして生んでおいて「困る」と言う。誰も頼んでないです。生んでくれなんて。しかも待っているのは苦痛しかない「社会」です。そんな社会にしておいて世の中の皆さんは適応できないと「困る」と言う。
どっちが理不尽なのかは明白でしょう。こっちが「困る」と言いたい。
僕が言いたいのは、「引き篭もっているやつは外へ出て元気にしろ」と言う人と、「元気にしているのは無駄だから静かにしろ」という人の「困る」というその物言いこそが「不当」だということです。本来、原因になりえないことを原因に仕立てている、という主張です。
だって実際困らないじゃないですか。他人なんて関係ないんだから。人の生き方でしょう。ほっといて何が悪いんですか。僕に言わせれば不当でない言い方は次の一パターンしかありません。「元気にしていて良い。また、引き篭もっていて良い」これだけ。
本当の問題はそこなはずです。発言が起きる「原因」が問題なのではない。僕が言いたいのは「苦しみ・葛藤」の原因が問題なのであって、それは不当に「原因」を作り出すことによって引き起こされている。それが悪だ、という当たり前のことを言っているだけです。
ということで、もう実際僕はここ暫くの間で非常に疲れました。「外へでろ」「外へ出るな」「下らん主張をするな、黙れ」婉曲的にこういう圧力をかけて来る様々な物言いにうんざりです。
また、「共感する」と口では言っておきながら、その実行動では全く逆、僕の立場を否定するような態度を示し続ける人もたくさんいる。そういう矛盾した態度はいちいち読み解かなくてはならず、理不尽で、僕を非常に疲れさせる。
現在僕は、たった一つのワンアクションをするだけなのに体が動かせない、起き出すのにも非常に気力を要する状態になってしまいました。昔に逆戻りです。
ということでツイッターから撤退することにしました。一応アカウントは残しておきます。ひょっとしたら復帰するかもしれないので。(というかそうできることを僕自身が本当は望んでいるということなのだと思います)
本当はこんなことをいちいちここで発表すること自体に後ろめたさ、引け目を感じます。「自己顕示欲だけは強いんだな」「誰もお前の動向なんか知りたくないよ。止めたきゃ勝手に止めればいい。それがツイッター」という声が頭の中に浮かぶからです。
「止めるんだったら、完全にアカウント消せよ。はっきりしない奴だな」という批判も自分の頭の中から聞こえます。
TLなどでいろいろ「やる」と言ったことについては、約束を反古にする形になって申し訳なく思います。その僕の申し訳ないという思いだけはせめてお伝えしたかった。それだけです。そしてやはり「申し訳なく思うんだったら止めるんじゃない」という批判も聞こえます。
一人(もしくは少数のメンバー)で静かにやって、成果が出たらまたどこかで発表するかもしれません。しかし発表することで、また今回うんざりした「婉曲Dis」みたいなものに触れる可能性もあるので、そのときの僕の気分次第ということにさせていただきたく存じます。
僕がすること、僕の発言を楽しみにしてくださっていたという奇特な方がいらしたら、そういう方に対しては誠に申し訳なく思います。また、今回のことや単純にこちらの発言を楽しんでくれていたフォロアーの方々にも申し訳なく思います。お許し下さい。それでは。
@sakiaruto こんにちは。突然失礼します。TLで騒ぎたててしまい、申し訳ありませんでした。あるとさんの真意に関しては頂いたお返事から、だいたい理解できました。婉曲Disに関してはこちらの勘違いだったようです。すみませんでした。丁寧に対応していただいて感謝しています。
@sakiaruto ただ、婉曲Disなどについてはあるとさんの発言に関してだけ感じたわけではなく、TL上のいたるところではびこっていて、今回のような「僕の勘違い」ではなく、事実上人を殴りつけておいて「俺シラネ、反応する奴がバカじゃん」という言い訳がまかり通っている。
@sakiaruto ですからどっちにしろ僕がツイッターから撤退することは確定だったのかもしれません。これ以上耐えるのはどちらにしろ限界でした。
@sakiaruto ただ、そちらの発言が撤退のきっかけになる形にしてしまい、あるとさんにとって非常に理不尽なことだったと思います。こうして最後にお詫びだけでも申し上げたいと思い、「一度はこれで終わり」と宣言したツイッターに再び書き込みました。
@sakiaruto いろいろと不愉快な気分にさせたと思います。お許しください。それでは失礼します。
もうどうせ最後なので方々へぶちまけてしまおう。
@wakusei2nd 宇野常寛さんへ。はじめまして。僕は決断主義的に承認?ゲーム(僕自身はゲームとは思っていませんが)を各所で展開しました。ツイッターでもそうですし、SNSもやっていた。一般の水準から見たらどうかは分かりませんが、自分なりに一生懸命やったつもりです。
@wakusei2nd その結果、逆に人々の無神経な言葉に大量に晒されることになり、ストレスばかり増えて、一度はよくなりかけたうつ状態が再発し、過眠、頭痛が再び酷くなってどうしようもありません。
@wakusei2nd 「病院に行け」と僕をあしらわれるでしょうか?多分それすらなく、単に無視かブロックされるだけだと思います。お話を聞いていると宇野さんはとても高い対人スキルをお持ちだと分かるので。
@wakusei2nd ラジオなどでも自己啓発的な体裁を採って発言・振舞いをされておられたように思います。その上で「病院に行け」といわれるだけでは到底納得できません。
@wakusei2nd この世にはそもそも「生きていくのに向かない」性格の人もいる、ということです。僕からすれば碇シンジは内向的な少年などではない。彼は十分に無神経な人間です。内向的なフリをしているだけの。そんなキャラクターと一緒くたにされて扱われたくはありません。
@wakusei2nd 現実に、僕のような真性の社会不適合者が実在するという事実を、次回以降の著作の糧にしていただけたら、と思います。失礼します。
@wakusei2nd 「お話を聞いていると宇野さんはとても高い対人スキルをお持ちだと分かるので。」この部分は余計な皮肉でした。申し訳ありませんでした。それでは。
今回のことだけでなく、これまでいろいろ反応を返してくださったみなさんに感謝します。さようなら!
ここをご覧の方々へ。僕は僕の行動の原因を宇野さんに帰したいわけではないです。宇野さんの発言を受けて、ふんぎったわけではないのでそういう責任を求めているわけではありません。誤解を招くような表現だったことは謝ります。
僕が言いたかったのは、単純に宇野さんの言っているようなこと(「手を伸ばす」)をやったら逆に苦しくて死にそうになる場合があるよ、そういう人もいるよ、と言いたかっただけです。つまり実存の問題を扱ってはいるが、彼の言説は実存の問題に役に立たないのではないか、と単にそういうことです。
「病院へ行け」「コミュスキルを上げろ」どちらも居酒屋で飲んでいるサラリーマンでもいえる台詞じゃないでしょうか。
実存の問題をフックにしたメディアでの語りから入って、結論が単なる一般論・マジックワードでしかなかった…って、普通に考えて 「大して効果のない言説」なんじゃないのか、と疑念を抱くのはそうおかしなことでもないと思うのですが。
僕は、「コミュニケーションスキルが高くない人は苦しんで当然で、彼ら(無論僕も)の頑張りが足りないのが問題なのだ」こういう問題の認識の仕方に異論を唱えているわけです。本当に最後の手段として社会と距離をとる必要があって、それで引き篭もっているのだとしたら…
手を伸ばそうとして無神経なメッセージにさらされ、それによって我慢不可能なストレスが破壊的な衝動が世の中へ向かう(無差別テロ)、もしくは自分自身へ向かう(自殺)。引き篭もることでそれが回避できるのなら、ずっといいじゃないんでしょうか。
というか引き篭もることこそがユングの言っていた「内向型」の人間が世の中に適応する(ほぼ唯一の)手段だったのではないか、とも思います。コミュニケーションできなくたって、生きていていいはずです。
追記;先方がこちらへ返して下さったリプライを黙って削除しておられたので、一応こちらで上げておきます。
t.uno ……僕は別に決断主義的な承認ゲームがすばらしいとか、ガンガン突っ込んでいけ、みたいなことは言った覚えはありません。このゲームは不可避なので、引きこもっても逆効果だとは言いましたが。" 2010/04/29 19:32:00
t.uno 果たしてあなたは本当に僕の本を読んだんでしょうか。「ゼロ想」はどう考えても「決断主義批判」の立場で書かれています。" 2010/04/29 19:33:05
t.uno "うまく行かないことは世の中にはたくさんあります。誰かのせいにしたくなることも多いでしょう。しかし誰かを責めるのだったら、最低限相手の意見や立場を正確に把握する努力をすべきではないでしょうか。" 2010/04/29 19:34:24
t.uno "@simada_net 対人関係でお悩みのようですが、まずはこうしたコミュニケーションを改めて、慎重に行動されると若干状況は良くなるかもしれません。" 2010/04/29 19:35:16
僕の発言、「決断主義的に承認?ゲーム(僕自身はゲームとは思っていませんが)を各所で展開しました」という部分の「決断主義」の語用法は宇野さんの指摘されるとおり間違いでした。失礼しました。ただ、それによって僕の主張全体が無効化されるとは思えません。
嶋田大
二日たってもある物言いが頭から消えない。フラッシュバックし続けるのでもう我慢は止めることにした。これはどうしようもなくこの発言に僕が憤りを感じていることを意味する。それゆえ相手の真意を確かめ、反論することにする。関係ない方のTLには不愉快なノイズに映るでしょうが、お許しください。
こういう切り返しを受けたわけですが。RT @sakiaruto: 困るんだよ。周りと当事者がね。RT @simada_net: 僕が明確に悪だ」と思っているのは「引き篭もっているやつは外へ出て元気にしろ」と言う人と、「元気にしているのは無駄だから静かにしろ」という人。
sakiaruto これってどういう意味なのでしょうか。僕から聞きたいのは「この切り替えしをすることで、結局何が言いたいのですか?」ということです。(以下@での直接のリプライは省略してあります。)
つまり、「だから引き篭もりは周りにい迷惑かけてるんだよ」なのか、「だから善悪について語るなんて無駄なんだよ」。先のRTのような指摘をわざわざするということは、僕にはそういうメッセージに聞こえました。
(以下そういう僕の解釈に基づく異論です。 @sakiaruto あるとさんの真意が異なっていたら申し訳ありません。僕の誤解だったということです)
僕にしてみれば「困るんだよ。周りと当事者がね」という話こそ、「するだけ無駄な話」です。なぜか。
実際に「引き篭もってないで外へ出ろ」ということを言われて、引き篭もっている人は耐えがたい苦痛・圧力を感じている。
また同様に、なんとか完全な引き篭もり状態から脱して元気にしようとしていると、「元気にしているのは無駄だから静かにしろ」と言われ、「じゃあ一言も発せず、部屋でじっとしていなくてはならないのか」とまた葛藤を与えられる。
僕はだからそういう「放っておけばよいこと(人の生き方)に口出しをすることこそが悪だ」と言った。それが分かっていない人が多いと思ったから。これってそんなに不当で無駄な発言なのでしょうか?
だいたい僕は指摘を受けたような「原因」はそもそもわかっている。そして、そんな原因が分かったところで、意味がない、と言うことも分かっています。
なぜなら、「周りと本人が迷惑するんだよ」という原因説明を受けたところで、「引き篭もってないで外へ出ろ」と言われて苦痛を感じている人や、「元気にしているのは無駄だから静かにしろ」と言われて葛藤を抱えている人たちの、その「苦しみ」「葛藤」は解消されないからです。
大体「周りと当事者が困る」という、その「困る」ということ自体が僕にいわせれば不当な申し立てです。
僕は好きで生まれてきたわけでもない。皆そうでしょう。無論、自分で死んでもいいのですがその瞬間の苦痛は怖いし、失敗したときのリスクも怖い。そんな状況を作り出しておいて「周りが困る」とはどういうことか。
親は勝手にセックスして生んでおいて「困る」と言う。誰も頼んでないです。生んでくれなんて。しかも待っているのは苦痛しかない「社会」です。そんな社会にしておいて世の中の皆さんは適応できないと「困る」と言う。
どっちが理不尽なのかは明白でしょう。こっちが「困る」と言いたい。
僕が言いたいのは、「引き篭もっているやつは外へ出て元気にしろ」と言う人と、「元気にしているのは無駄だから静かにしろ」という人の「困る」というその物言いこそが「不当」だということです。本来、原因になりえないことを原因に仕立てている、という主張です。
だって実際困らないじゃないですか。他人なんて関係ないんだから。人の生き方でしょう。ほっといて何が悪いんですか。僕に言わせれば不当でない言い方は次の一パターンしかありません。「元気にしていて良い。また、引き篭もっていて良い」これだけ。
本当の問題はそこなはずです。発言が起きる「原因」が問題なのではない。僕が言いたいのは「苦しみ・葛藤」の原因が問題なのであって、それは不当に「原因」を作り出すことによって引き起こされている。それが悪だ、という当たり前のことを言っているだけです。
ということで、もう実際僕はここ暫くの間で非常に疲れました。「外へでろ」「外へ出るな」「下らん主張をするな、黙れ」婉曲的にこういう圧力をかけて来る様々な物言いにうんざりです。
また、「共感する」と口では言っておきながら、その実行動では全く逆、僕の立場を否定するような態度を示し続ける人もたくさんいる。そういう矛盾した態度はいちいち読み解かなくてはならず、理不尽で、僕を非常に疲れさせる。
現在僕は、たった一つのワンアクションをするだけなのに体が動かせない、起き出すのにも非常に気力を要する状態になってしまいました。昔に逆戻りです。
ということでツイッターから撤退することにしました。一応アカウントは残しておきます。ひょっとしたら復帰するかもしれないので。(というかそうできることを僕自身が本当は望んでいるということなのだと思います)
本当はこんなことをいちいちここで発表すること自体に後ろめたさ、引け目を感じます。「自己顕示欲だけは強いんだな」「誰もお前の動向なんか知りたくないよ。止めたきゃ勝手に止めればいい。それがツイッター」という声が頭の中に浮かぶからです。
「止めるんだったら、完全にアカウント消せよ。はっきりしない奴だな」という批判も自分の頭の中から聞こえます。
TLなどでいろいろ「やる」と言ったことについては、約束を反古にする形になって申し訳なく思います。その僕の申し訳ないという思いだけはせめてお伝えしたかった。それだけです。そしてやはり「申し訳なく思うんだったら止めるんじゃない」という批判も聞こえます。
一人(もしくは少数のメンバー)で静かにやって、成果が出たらまたどこかで発表するかもしれません。しかし発表することで、また今回うんざりした「婉曲Dis」みたいなものに触れる可能性もあるので、そのときの僕の気分次第ということにさせていただきたく存じます。
僕がすること、僕の発言を楽しみにしてくださっていたという奇特な方がいらしたら、そういう方に対しては誠に申し訳なく思います。また、今回のことや単純にこちらの発言を楽しんでくれていたフォロアーの方々にも申し訳なく思います。お許し下さい。それでは。
@sakiaruto こんにちは。突然失礼します。TLで騒ぎたててしまい、申し訳ありませんでした。あるとさんの真意に関しては頂いたお返事から、だいたい理解できました。婉曲Disに関してはこちらの勘違いだったようです。すみませんでした。丁寧に対応していただいて感謝しています。
@sakiaruto ただ、婉曲Disなどについてはあるとさんの発言に関してだけ感じたわけではなく、TL上のいたるところではびこっていて、今回のような「僕の勘違い」ではなく、事実上人を殴りつけておいて「俺シラネ、反応する奴がバカじゃん」という言い訳がまかり通っている。
@sakiaruto ですからどっちにしろ僕がツイッターから撤退することは確定だったのかもしれません。これ以上耐えるのはどちらにしろ限界でした。
@sakiaruto ただ、そちらの発言が撤退のきっかけになる形にしてしまい、あるとさんにとって非常に理不尽なことだったと思います。こうして最後にお詫びだけでも申し上げたいと思い、「一度はこれで終わり」と宣言したツイッターに再び書き込みました。
@sakiaruto いろいろと不愉快な気分にさせたと思います。お許しください。それでは失礼します。
もうどうせ最後なので方々へぶちまけてしまおう。
@wakusei2nd 宇野常寛さんへ。はじめまして。僕は決断主義的に承認?ゲーム(僕自身はゲームとは思っていませんが)を各所で展開しました。ツイッターでもそうですし、SNSもやっていた。一般の水準から見たらどうかは分かりませんが、自分なりに一生懸命やったつもりです。
@wakusei2nd その結果、逆に人々の無神経な言葉に大量に晒されることになり、ストレスばかり増えて、一度はよくなりかけたうつ状態が再発し、過眠、頭痛が再び酷くなってどうしようもありません。
@wakusei2nd 「病院に行け」と僕をあしらわれるでしょうか?多分それすらなく、単に無視かブロックされるだけだと思います。お話を聞いていると宇野さんはとても高い対人スキルをお持ちだと分かるので。
@wakusei2nd ラジオなどでも自己啓発的な体裁を採って発言・振舞いをされておられたように思います。その上で「病院に行け」といわれるだけでは到底納得できません。
@wakusei2nd この世にはそもそも「生きていくのに向かない」性格の人もいる、ということです。僕からすれば碇シンジは内向的な少年などではない。彼は十分に無神経な人間です。内向的なフリをしているだけの。そんなキャラクターと一緒くたにされて扱われたくはありません。
@wakusei2nd 現実に、僕のような真性の社会不適合者が実在するという事実を、次回以降の著作の糧にしていただけたら、と思います。失礼します。
@wakusei2nd 「お話を聞いていると宇野さんはとても高い対人スキルをお持ちだと分かるので。」この部分は余計な皮肉でした。申し訳ありませんでした。それでは。
今回のことだけでなく、これまでいろいろ反応を返してくださったみなさんに感謝します。さようなら!
ここをご覧の方々へ。僕は僕の行動の原因を宇野さんに帰したいわけではないです。宇野さんの発言を受けて、ふんぎったわけではないのでそういう責任を求めているわけではありません。誤解を招くような表現だったことは謝ります。
僕が言いたかったのは、単純に宇野さんの言っているようなこと(「手を伸ばす」)をやったら逆に苦しくて死にそうになる場合があるよ、そういう人もいるよ、と言いたかっただけです。つまり実存の問題を扱ってはいるが、彼の言説は実存の問題に役に立たないのではないか、と単にそういうことです。
「病院へ行け」「コミュスキルを上げろ」どちらも居酒屋で飲んでいるサラリーマンでもいえる台詞じゃないでしょうか。
実存の問題をフックにしたメディアでの語りから入って、結論が単なる一般論・マジックワードでしかなかった…って、普通に考えて 「大して効果のない言説」なんじゃないのか、と疑念を抱くのはそうおかしなことでもないと思うのですが。
僕は、「コミュニケーションスキルが高くない人は苦しんで当然で、彼ら(無論僕も)の頑張りが足りないのが問題なのだ」こういう問題の認識の仕方に異論を唱えているわけです。本当に最後の手段として社会と距離をとる必要があって、それで引き篭もっているのだとしたら…
手を伸ばそうとして無神経なメッセージにさらされ、それによって我慢不可能なストレスが破壊的な衝動が世の中へ向かう(無差別テロ)、もしくは自分自身へ向かう(自殺)。引き篭もることでそれが回避できるのなら、ずっといいじゃないんでしょうか。
というか引き篭もることこそがユングの言っていた「内向型」の人間が世の中に適応する(ほぼ唯一の)手段だったのではないか、とも思います。コミュニケーションできなくたって、生きていていいはずです。
追記;先方がこちらへ返して下さったリプライを黙って削除しておられたので、一応こちらで上げておきます。
t.uno ……僕は別に決断主義的な承認ゲームがすばらしいとか、ガンガン突っ込んでいけ、みたいなことは言った覚えはありません。このゲームは不可避なので、引きこもっても逆効果だとは言いましたが。" 2010/04/29 19:32:00
t.uno 果たしてあなたは本当に僕の本を読んだんでしょうか。「ゼロ想」はどう考えても「決断主義批判」の立場で書かれています。" 2010/04/29 19:33:05
t.uno "うまく行かないことは世の中にはたくさんあります。誰かのせいにしたくなることも多いでしょう。しかし誰かを責めるのだったら、最低限相手の意見や立場を正確に把握する努力をすべきではないでしょうか。" 2010/04/29 19:34:24
t.uno "@simada_net 対人関係でお悩みのようですが、まずはこうしたコミュニケーションを改めて、慎重に行動されると若干状況は良くなるかもしれません。" 2010/04/29 19:35:16
僕の発言、「決断主義的に承認?ゲーム(僕自身はゲームとは思っていませんが)を各所で展開しました」という部分の「決断主義」の語用法は宇野さんの指摘されるとおり間違いでした。失礼しました。ただ、それによって僕の主張全体が無効化されるとは思えません。
嶋田大
二日たってもある物言いが頭から消えない。フラッシュバックし続けるのでもう我慢は止めることにした。これはどうしようもなくこの発言に僕が憤りを感じていることを意味する。それゆえ相手の真意を確かめ、反論することにする。関係ない方のTLには不愉快なノイズに映るでしょうが、お許しください。
こういう切り返しを受けたわけですが。RT @sakiaruto: 困るんだよ。周りと当事者がね。RT @simada_net: 僕が明確に悪だ」と思っているのは「引き篭もっているやつは外へ出て元気にしろ」と言う人と、「元気にしているのは無駄だから静かにしろ」という人。
sakiaruto これってどういう意味なのでしょうか。僕から聞きたいのは「この切り替えしをすることで、結局何が言いたいのですか?」ということです。(以下@での直接のリプライは省略してあります。)
つまり、「だから引き篭もりは周りにい迷惑かけてるんだよ」なのか、「だから善悪について語るなんて無駄なんだよ」。先のRTのような指摘をわざわざするということは、僕にはそういうメッセージに聞こえました。
(以下そういう僕の解釈に基づく異論です。 @sakiaruto あるとさんの真意が異なっていたら申し訳ありません。僕の誤解だったということです)
僕にしてみれば「困るんだよ。周りと当事者がね」という話こそ、「するだけ無駄な話」です。なぜか。
実際に「引き篭もってないで外へ出ろ」ということを言われて、引き篭もっている人は耐えがたい苦痛・圧力を感じている。
また同様に、なんとか完全な引き篭もり状態から脱して元気にしようとしていると、「元気にしているのは無駄だから静かにしろ」と言われ、「じゃあ一言も発せず、部屋でじっとしていなくてはならないのか」とまた葛藤を与えられる。
僕はだからそういう「放っておけばよいこと(人の生き方)に口出しをすることこそが悪だ」と言った。それが分かっていない人が多いと思ったから。これってそんなに不当で無駄な発言なのでしょうか?
だいたい僕は指摘を受けたような「原因」はそもそもわかっている。そして、そんな原因が分かったところで、意味がない、と言うことも分かっています。
なぜなら、「周りと本人が迷惑するんだよ」という原因説明を受けたところで、「引き篭もってないで外へ出ろ」と言われて苦痛を感じている人や、「元気にしているのは無駄だから静かにしろ」と言われて葛藤を抱えている人たちの、その「苦しみ」「葛藤」は解消されないからです。
大体「周りと当事者が困る」という、その「困る」ということ自体が僕にいわせれば不当な申し立てです。
僕は好きで生まれてきたわけでもない。皆そうでしょう。無論、自分で死んでもいいのですがその瞬間の苦痛は怖いし、失敗したときのリスクも怖い。そんな状況を作り出しておいて「周りが困る」とはどういうことか。
親は勝手にセックスして生んでおいて「困る」と言う。誰も頼んでないです。生んでくれなんて。しかも待っているのは苦痛しかない「社会」です。そんな社会にしておいて世の中の皆さんは適応できないと「困る」と言う。
どっちが理不尽なのかは明白でしょう。こっちが「困る」と言いたい。
僕が言いたいのは、「引き篭もっているやつは外へ出て元気にしろ」と言う人と、「元気にしているのは無駄だから静かにしろ」という人の「困る」というその物言いこそが「不当」だということです。本来、原因になりえないことを原因に仕立てている、という主張です。
だって実際困らないじゃないですか。他人なんて関係ないんだから。人の生き方でしょう。ほっといて何が悪いんですか。僕に言わせれば不当でない言い方は次の一パターンしかありません。「元気にしていて良い。また、引き篭もっていて良い」これだけ。
本当の問題はそこなはずです。発言が起きる「原因」が問題なのではない。僕が言いたいのは「苦しみ・葛藤」の原因が問題なのであって、それは不当に「原因」を作り出すことによって引き起こされている。それが悪だ、という当たり前のことを言っているだけです。
ということで、もう実際僕はここ暫くの間で非常に疲れました。「外へでろ」「外へ出るな」「下らん主張をするな、黙れ」婉曲的にこういう圧力をかけて来る様々な物言いにうんざりです。
また、「共感する」と口では言っておきながら、その実行動では全く逆、僕の立場を否定するような態度を示し続ける人もたくさんいる。そういう矛盾した態度はいちいち読み解かなくてはならず、理不尽で、僕を非常に疲れさせる。
現在僕は、たった一つのワンアクションをするだけなのに体が動かせない、起き出すのにも非常に気力を要する状態になってしまいました。昔に逆戻りです。
ということでツイッターから撤退することにしました。一応アカウントは残しておきます。ひょっとしたら復帰するかもしれないので。(というかそうできることを僕自身が本当は望んでいるということなのだと思います)
本当はこんなことをいちいちここで発表すること自体に後ろめたさ、引け目を感じます。「自己顕示欲だけは強いんだな」「誰もお前の動向なんか知りたくないよ。止めたきゃ勝手に止めればいい。それがツイッター」という声が頭の中に浮かぶからです。
「止めるんだったら、完全にアカウント消せよ。はっきりしない奴だな」という批判も自分の頭の中から聞こえます。
TLなどでいろいろ「やる」と言ったことについては、約束を反古にする形になって申し訳なく思います。その僕の申し訳ないという思いだけはせめてお伝えしたかった。それだけです。そしてやはり「申し訳なく思うんだったら止めるんじゃない」という批判も聞こえます。
一人(もしくは少数のメンバー)で静かにやって、成果が出たらまたどこかで発表するかもしれません。しかし発表することで、また今回うんざりした「婉曲Dis」みたいなものに触れる可能性もあるので、そのときの僕の気分次第ということにさせていただきたく存じます。
僕がすること、僕の発言を楽しみにしてくださっていたという奇特な方がいらしたら、そういう方に対しては誠に申し訳なく思います。また、今回のことや単純にこちらの発言を楽しんでくれていたフォロアーの方々にも申し訳なく思います。お許し下さい。それでは。
@sakiaruto こんにちは。突然失礼します。TLで騒ぎたててしまい、申し訳ありませんでした。あるとさんの真意に関しては頂いたお返事から、だいたい理解できました。婉曲Disに関してはこちらの勘違いだったようです。すみませんでした。丁寧に対応していただいて感謝しています。
@sakiaruto ただ、婉曲Disなどについてはあるとさんの発言に関してだけ感じたわけではなく、TL上のいたるところではびこっていて、今回のような「僕の勘違い」ではなく、事実上人を殴りつけておいて「俺シラネ、反応する奴がバカじゃん」という言い訳がまかり通っている。
@sakiaruto ですからどっちにしろ僕がツイッターから撤退することは確定だったのかもしれません。これ以上耐えるのはどちらにしろ限界でした。
@sakiaruto ただ、そちらの発言が撤退のきっかけになる形にしてしまい、あるとさんにとって非常に理不尽なことだったと思います。こうして最後にお詫びだけでも申し上げたいと思い、「一度はこれで終わり」と宣言したツイッターに再び書き込みました。
@sakiaruto いろいろと不愉快な気分にさせたと思います。お許しください。それでは失礼します。
もうどうせ最後なので方々へぶちまけてしまおう。
@wakusei2nd 宇野常寛さんへ。はじめまして。僕は決断主義的に承認?ゲーム(僕自身はゲームとは思っていませんが)を各所で展開しました。ツイッターでもそうですし、SNSもやっていた。一般の水準から見たらどうかは分かりませんが、自分なりに一生懸命やったつもりです。
@wakusei2nd その結果、逆に人々の無神経な言葉に大量に晒されることになり、ストレスばかり増えて、一度はよくなりかけたうつ状態が再発し、過眠、頭痛が再び酷くなってどうしようもありません。
@wakusei2nd 「病院に行け」と僕をあしらわれるでしょうか?多分それすらなく、単に無視かブロックされるだけだと思います。お話を聞いていると宇野さんはとても高い対人スキルをお持ちだと分かるので。
@wakusei2nd ラジオなどでも自己啓発的な体裁を採って発言・振舞いをされておられたように思います。その上で「病院に行け」といわれるだけでは到底納得できません。
@wakusei2nd この世にはそもそも「生きていくのに向かない」性格の人もいる、ということです。僕からすれば碇シンジは内向的な少年などではない。彼は十分に無神経な人間です。内向的なフリをしているだけの。そんなキャラクターと一緒くたにされて扱われたくはありません。
@wakusei2nd 現実に、僕のような真性の社会不適合者が実在するという事実を、次回以降の著作の糧にしていただけたら、と思います。失礼します。
@wakusei2nd 「お話を聞いていると宇野さんはとても高い対人スキルをお持ちだと分かるので。」この部分は余計な皮肉でした。申し訳ありませんでした。それでは。
今回のことだけでなく、これまでいろいろ反応を返してくださったみなさんに感謝します。さようなら!
ここをご覧の方々へ。僕は僕の行動の原因を宇野さんに帰したいわけではないです。宇野さんの発言を受けて、ふんぎったわけではないのでそういう責任を求めているわけではありません。誤解を招くような表現だったことは謝ります。
僕が言いたかったのは、単純に宇野さんの言っているようなこと(「手を伸ばす」)をやったら逆に苦しくて死にそうになる場合があるよ、そういう人もいるよ、と言いたかっただけです。つまり実存の問題を扱ってはいるが、彼の言説は実存の問題に役に立たないのではないか、と単にそういうことです。
「病院へ行け」「コミュスキルを上げろ」どちらも居酒屋で飲んでいるサラリーマンでもいえる台詞じゃないでしょうか。
実存の問題をフックにしたメディアでの語りから入って、結論が単なる一般論・マジックワードでしかなかった…って、普通に考えて 「大して効果のない言説」なんじゃないのか、と疑念を抱くのはそうおかしなことでもないと思うのですが。
僕は、「コミュニケーションスキルが高くない人は苦しんで当然で、彼ら(無論僕も)の頑張りが足りないのが問題なのだ」こういう問題の認識の仕方に異論を唱えているわけです。本当に最後の手段として社会と距離をとる必要があって、それで引き篭もっているのだとしたら…
手を伸ばそうとして無神経なメッセージにさらされ、それによって我慢不可能なストレスが破壊的な衝動が世の中へ向かう(無差別テロ)、もしくは自分自身へ向かう(自殺)。引き篭もることでそれが回避できるのなら、ずっといいじゃないんでしょうか。
というか引き篭もることこそがユングの言っていた「内向型」の人間が世の中に適応する(ほぼ唯一の)手段だったのではないか、とも思います。コミュニケーションできなくたって、生きていていいはずです。
追記;先方がこちらへ返して下さったリプライを黙って削除しておられたので、一応こちらで上げておきます。
t.uno ……僕は別に決断主義的な承認ゲームがすばらしいとか、ガンガン突っ込んでいけ、みたいなことは言った覚えはありません。このゲームは不可避なので、引きこもっても逆効果だとは言いましたが。" 2010/04/29 19:32:00
t.uno 果たしてあなたは本当に僕の本を読んだんでしょうか。「ゼロ想」はどう考えても「決断主義批判」の立場で書かれています。" 2010/04/29 19:33:05
t.uno "うまく行かないことは世の中にはたくさんあります。誰かのせいにしたくなることも多いでしょう。しかし誰かを責めるのだったら、最低限相手の意見や立場を正確に把握する努力をすべきではないでしょうか。" 2010/04/29 19:34:24
t.uno "@simada_net 対人関係でお悩みのようですが、まずはこうしたコミュニケーションを改めて、慎重に行動されると若干状況は良くなるかもしれません。" 2010/04/29 19:35:16
僕の発言、「決断主義的に承認?ゲーム(僕自身はゲームとは思っていませんが)を各所で展開しました」という部分の「決断主義」の語用法は宇野さんの指摘されるとおり間違いでした。失礼しました。ただ、それによって僕の主張全体が無効化されるとは思えません。
彼女と別れてもうすぐ2ヶ月。
負け惜しみかもしれないが、ほんとに別れてよかったと思う。あんなわがままで不安定な女を抱えつづけるのは苦痛だったろうし、世界狭い女だからそのうちつまんねーって思っちゃったろう。また、現実的にも場所の問題とかいろいろ制約が多すぎる。いろいろ選択肢があるなかで彼女ルートを選んでシナリオを進めてみたが、エンディングまでいかなくてよかった。バッドエンド万歳だ。いや、あるとき彼女ルートを選んでしまった時点で、本来選ぶことができるはずだった選択肢と、CG・テキストを見逃しちゃってるんだけど(ということを最近えらく痛感。損したー。エロゲーと違って、同じ時間をもう一度やり直すことはできない。)、これからだ。まだまだ終わらない。
でも、初めてあってからずっと、絶対この子しかない、これまでの自分のすべてはこの子と会うためだったのだ、とか真剣に思っていたんだよなあ。思い返すと、公式には一目ぼれということにしているけど、最初はちょっとかわいいなと思っただけで、超軽いノリで好きとかいってたけど、自分の中でそれを信仰に無理矢理変換するプロセスがあったように思う。信仰は一度できてしまえばあとは簡単、自己増幅のサイクルにのせていくだけだ。なんでそんなことをしたのか? 直前の危機が次の危機を準備する。躊躇がつねにまとわりつく自分を脱するため、自覚的に、彼女に対し一直線に気持ちを向けることを選んだのだと思う。決断主義というのかなんというのか。
その根拠なき確信をそのまま貫いていくこともできたし、もし状況が許せば、そのままずっと人生を過ごすこともできただろう。そして、それなりに幸せだったはずだ。それしか見えていなければ、それがすべてだから。
しかし終わってしまったものは終わってしまった。次こそは、いい恋がしたい。
DENPA!!!行って来ました。
ここ5,6年で一番いいpartyでした。
掛け値なしに楽しい!!!
昼間っからやってるのも健康的(←こう書いて「おっさんに優しくて」と読む)で◎。
内容、客層、ロケーション、料金すべてに満足できる、レベルの高いイベント。
ここまで"熱い"のは昨今ではかなり珍しい。マジおすすめ。ちょっとでも興味のある人は、一刻も早く行くべき。
とまぁ、ここまで書いて小休止。
自分は↓これ書いた人。
http://anond.hatelabo.jp/20081223011009
自分語り(補)
http://anond.hatelabo.jp/20081223215937
自分語り(転)
「良いイベントだなー。こんな良いイベント久しぶりだー」と強く思ったのですが、
どうも悶々とするものがあり、それをこの2日間考えてました。
んで、marquee ( vol.70「次世代ファンタジー特集」に電刃の特集あり) とかユリイカ増刊号『初音ミク』とか買って
まだわからなくて悶々としてたんですが、主催者の"点と線"さんのブログを見つけてちょっとわかった気になったのでコメントします。
以下はアリバイとして書き残したい文章。もしかしたら読む人によっては不快に感じるかもしれません。
でも、申し訳ないけど気分を害すような文章をアップします。
(なので過去の『自分語り』で不快に思った人は読まないで下さい。)
冒頭の佐々木渉氏へのインタビュー『生みの親が語る初音ミクとアングラカルチャー』が抜群に面白い。
これだけで1,200円出す価値があります。今現在、初音ミク関連の資料として最も価値のあるものじゃないでしょうか)
きちんと書いてる暇がないので。
では先に進みましょう。
//////memo//////
[前提]
自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説
http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html
慟哭 (3)
http://web.soshisha.com/archives/otaku/2006_1019.php
栃内新,左巻健男 編『新しい高校生物の教科書』講談社ブルーバックス,71頁より
[目次]
1.「慟哭 (3)」を読んで
3.人類知に帰ろう
4.あなたはどう思ってるの?
6.参照元
------
1.「慟哭 (3)」を読んで
慟哭 (3)
「あー、デュシャンか。理解理解納得納得」って感じです。
こう言ったら失礼(ネタバレ)かもしれないけど、電刃はデュシャン - ウォーホール - 村上隆のラインの音楽・ファッションverなのねと。
この流れだとたしかに「○○論」は確かに意味を成さないっす。「意味を成さないように働く機構」という罠・舞台装置だから。
(便器語ってもしょうがないし。まぁ、人類史上もっとも「すごい」便器なんだけどw)
次のエポックメイキングな事象はアキバのホコテン復活の時かもーとか妄想しちゃいました。
(補)
レディ・メイド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%89
「泉」に関する個人的な解釈は、「心のヒダへの"effect"を芸術とするなら、
便器にサインして展示会に出しても芸術作品として"アリ"なんじゃね?」と提案している作品。
デュシャンは「美術を"effect"とするなら、『美しい』でも『怒り』でも『恐怖』でも何でもいいじゃん」と
「美術(芸術)」を「拡大解釈」できる素地を作っためっちゃ偉大な人。
(それまでは「真善美」を追求するファインアートが主流だった)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
ウォーホールは「キャンベル缶も芸術作品じゃね?」と言った人。
(余談ですけど、村上隆は美術史的「文脈」をきちんと押さえてるから海外で評価が高い。
美術史をちゃんと踏まえ、理論として一貫しており、装置として実際に働くから「海外の美術界」では評価されています)
ガイジン「あー、そうかもそうかも!!」
(電刃は村上隆と違って商売っ気が今のところなさそうに見えるから、反発(というか"やっかみ")も少ないかもしれないですね。)
(ニコニコではちょっとあるみたいだけど)
(補の補)
電刃は「オタク等々を拡大解釈させる"装置"である」と言いたいだけ。
電刃を「芸術作品だ」とは言ってない。「芸術作品」という評価は「解釈が拡大する運動性」において無意味。
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
はてな民に対しては「気持ち悪い」かもしれませんが、
ホントは「パラレルワールドで幸せそう?に学校に行くシンジ(を描いた庵野監督)」が正解じゃないですか?
(「気持ち悪い」は悪い意味ではない。↓参照)
映画エヴァンゲリオンの最後、「気持ち悪い」ってどういう意味?
http://news4vip.livedoor.biz/archives/50801624.html
俺は電刃行って目の前ですんげぇかわいい長門がぴょこぴょこジャンプしながら踊ってて、
それ見ながらガン踊りできる幸せに絶頂を迎えそうになったけどなー。
「現実」を住みやすくする手立ては、陳腐な言葉(≠「仲良く」)の中にすでにあるのになぁと。
「アメリカヲチしようぜ!!」でいいような気がする。オバマ的な意味で。
(別にEUヲチでも構わない。もちろん)
3.人類知に帰ろう
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
正直なところ、その違いって、テクノウチ君の考察のように参加者が共通してポジティブかどうかじゃないかなとw
それで終わりじゃ駄目なの?むしろw。
(中略)
僕や参加者がそうだと言ってるんだからそれでいいじゃないと思うんだけども、
それでも解釈(知的経験の枠)の媒介を人は要求する社会学の囚人なので、
僕なりにそれ用の答を探求してみたんですが、もとよりそんなつもりはないので嘘はつけないなあというどうしようもない始末。
庵野監督が『気持ち悪い』でEVAを終わらせた心境から遠くはないです。
(関係ないけど社会学部だった僕の卒論は「社会学は永遠に社会そのものを追い越せない」というものでした)
(中略)
これは大変ありがたいことですが、DENPAはアカデミックな言説に幽閉されるよりも、ただ好きなものを好きという幼児的で野蛮で原始的な本能に基づいているのも事実です。それもコンプレックスをいだかず堂々と。
僕らは学論の探求ではなくエンターテインメントの探求をしている。
不恰好でも感動はほんものだ。
そのシンプルな行為がこんなにもやりにくく、珍しがられる時代になってしまったんだなあ
と感慨深くなりました。
marquee(vol.70)「次世代ファンタジー特集」より
文字打ちが大変なので割愛。
「アート(引用者注:「学問」という意味も多分に含まれてる)はどこに行き着くために問い続けてるかわからない」というインタビュアーの質問に対し
点と線さんが社会学のフレームで世の中をすっきり見れるように、
若い子にもその手段をゲットできるような仕組みを作ってあげたいなーと思ってみたり。
年下の子に「学問楽しいよー。いや、むしろキモチイイとすら言える!!」としか俺はまだ言えてないけど。
(カウンターカルチャーであるはずの「学問」が、「幽閉」する機構として働く日本の異常性がアレなんだよなぁ)
学生運動とか創価学会とかオウムとかプロザックとかと変わんない気がします。
最近は「死なない程度の失敗ならおk(死なない程度に納めよう)」という考えの人多し)
鶴見済ですら
http://tsurumitext.seesaa.net/category/3920016-1.html
と言ってるのだから、たとえ手詰まりでも「ポジティブであればいい」とは言わない方がいいんじゃないかなーと思ってみたり。
まぁ、アメリカとかEUは全然手詰まりに見えないので、「手詰まり」こそが共同幻想な気がしますが。
(個人的にはバンクシーみたいな手法が好き。愛しつつコケにする系。音楽だとBUBBLE-Bさんとか)
バンクシー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC
BUBBLE-B / アムロケット
4.あなたはどう思ってるの?
オタクって何?
オシャレって何?
疑問に疑問でお返しします。
----------------------------
「面白い」とか「なかなかのもの」とか言ってくれた人ありがとう。
全レスすると「キモイ」とか言われちゃうので、指摘してくれたコメにのみ応答。
clonicle 言っていることはまっとうだが、「ジャンクフード」(=人によっては取るに足らない虚像)だと発言することでテクノウチを決断主義者に仕立て上げるのは悪質
「決断主義」って言葉の意味を調べましたが、よくわからなかったです。
fuldagap「「ジャンクな物でも『おいしい』と感じる人が大半になったよ』って書いてあるだけだよ?」が微妙に誤読な気も。「化学調味料うめえ」じゃないかなーとか。総じて現役/引退オタクの自己正当化合戦に見える
そうです。たしかに「化学調味料うめえ」なのですが、
化調まで抽象化しちゃうとかえって伝わりにくいかなーと思い「ジャンクブート」にしました。
(「化調」に対応するのが「ビート」だけになっちゃうので。音楽的広がりが欲しかったので「ジャンクフード」と表現しました)
fuldagap 「全員「アツイ」から、濃淡は金・環境・時間の差でしかなかった」ってのは「アツ」くない人が見えにくかった時代がゆえの偽史だと思うなあ
「『おたく』とアイデンティファイされるようなファナティックな人々」が母集団ですから。
y_arim ぼくの知る限り、昔だってヌルいひとはいた。だけど時間の経過とともに彼らは「卒業」し、一貫して熱かったひとのみが生き残った。すると「昔は誰もが熱かった」という言説が生まれる。「元ヌルオタ」をどう語るか?
(『タイム・マシン』のエロイ的な意味で)幸せで「語り」に対してモチベがない人々に無理に語らせなくていいのでは?
ジャンプの発行部数見れば、「いた」ことはわかりますから。
mkd5 オタク 「おたく」のうち岡田氏の守備範囲が「オタク」となったってことかなあ/「(淡から濃に行かない奴は、そもそも「おたく」と呼ばれていない)」これがヌルオタなのでは
「ヌルおた」は言語矛盾を引き起こしますが、「ヌルオタ」は新語なので好きに定義しちゃってください。
『竹熊健太郎氏との対話(1)』での解説が一番しっくり来るのかなぁ。
「おたく全般」にまで広げちゃっていいのかどうかはまだ自分として決めてないです。
6.参照元
は文字数制限を避けるために↓こっちに移動。
http://anond.hatelabo.jp/20090115000935
おまけ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1756156
フック
(追記)
ああ、そうかそうか。書きたいこと書き殴ってたらレポ忘れてた。
"DENPA!!!"に行ってきたよ。
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20090113/p1
お三方とそう変わらない印象。
3Fではアニソン流してカラオケノリでオイオイって感じ。2Fと3Fの交流はぼちぼち。曲や3Fの込み具合次第かな。
ロンドンナイトは行ったことないけど、普通のライブとか新宿で昔やってたグルービー・ロックキャラバンとかと相似。
僕は2Fで「普通に」踊って楽しんでました。
テクノウチさんの時間は、3Fのお客さんが大挙していらっしゃいましてまったく踊れなかったので、僕的には一番…w
NHKの方(ETVのカメラマンさん)は「アンディー」かなーっとちょびっとヲチしてました。
(こっそり追記)
metamix きちんとオーガナイズされてる良イベントだっていうのは分かったけど、
その先があるのかどうかをもっと知りたい/クラブピーポーには文化考証なんてどうでもいいんですよ。
要はその現場があるかどうかだから。
「その先」「現場」ってのがどんなものをイメージしてるかにもよるなぁ。
「Dir en grey」なのか「RYUKYUDISKO」なのか「初音ミク/ニコニコ」なのか「third summer of love」なのか。
「超ライトオタク」や「越境」云々は主催者も意図してない(?)「バズワードでのプロレス」(@inumashさん)なんで、
どの層がたくさん「ひっかかる/ひっかかってる」かにもよるかと。
(まぁ、お客がみんな「かっこいい/かわいい」と書かれているってことは、
ちょっとキモ目の"いわゆる"「おたく/オタク」はあまりいないってことでもあるような気がするのはきっと気のせい。)
(昔に比べて非寛容な人が減っただけのような気がするのもきっと気のせい。)
【佐々木渉】 三年くらいしたら「初音ミク?そんなのもあったね」で良いんですよ。(中略)
まあウチも営利団体なのでもしかしたらヴァージョン・アップ版とか出すかもしれませんけど(笑)。
ただ、引くタイミングは考えないといけませんね。初音ミクにまで泥を塗って、
グダグダと退いていくようなやり方は、やっぱり不味いので。
ユーザーさんからも「『ぷよぷよ』を作った会社(株式会社コンパイル)が辿った末路を、よく調べておいて下さい」という
(独り言)