はてなキーワード: ファンタジーとは
「神様になった日」ネットフリックスでは見られるから見ようと2度目の挑戦をしたけど…心折れそう。
俺の中では高橋ナツコ以上に苦手やねん。
麻枝准とか新海誠って「ワケワカメ」じゃなくて「わからないわからせる気がないし、かと言って様式美や美しさを掴むこともできない人が脚本してる作品ってしんどいんだよなぁ…
絵がよかったり信者がいることが免罪符になりがちだけど、本当に新海誠と麻枝准だけは脚本だけならダメダメだと思う。
すべり芸の刑って感じでお前が悪い」みたいな感じのもんが兵器で出てくるからほんま苦手
頭の中でどこからがフィクションでどこからがリアルかの区別がおっそろしくつけにくいわけ。
核発射ボタンって一応実在してた(今もないとは言い切れん)のにさ
AngelBeatsのドナーカードについてもそうで、死後の世界ならファンタジーだけど、カジュアルにドナーカードってものが出てきた途端に
ファンタジーの割に切り分けが甘いなぁ…っていつも思う。もう10年以上前から。
ABとかCharlotteとかの話はもうめんどくさいからしたくないんだけど、神様になった日の1話でもにょるセリフ、痛々しくて見る気もわかない理由を言語化しようとすると
「あーこの人は10年前から弱点や合わない理由が変わってねぇわ」
ってとこに帰結するんだよなぁ…。
見た俺が悪いんだが
しっかし、神様になった日は…本当にプロの脚本家なのかを疑いたくなるぐらいにテンポが悪い。
説明の間にギャグが入りすぎて話が進まないし、そのギャグが系統としてワンパターンでつまんない。
麻枝准のせいでアニメが役者としてプロじゃない人気タレント使い倒す邦画と同レベルに堕ちてる印象
ADHDの人のブログ始めたてな文章とか、文芸作品好きな人の自己満足文章みたいに、話が進まないで脱線してわかりにくい。
脱線が悪いというよりも「今言う必要ある?」っていうギャグやチャチャが入りまくるだけだから
ってなっとる
地方っぽい風景の街で「ラーメン食べたい」というから違和感を感じて舞台調べたら、一ミリもラーメンのイメージがない山梨の甲府周辺…。
心が折れたから次回にしよ…
ちなみに、個人的に2回目の心折れたポイントは女の子の口から食べ物が出てるシーンがネタっぽく描かれてて
「うわぁ~滑りギャグの次は、吐き芸かよ…芸人がやっちゃいけないことから順番にやってんのかな?」
って思った。
あと、ネタとは別に整合性の話だけども…競馬場もない山梨県で昔ながらのラーメン屋のオヤジが競馬やってるもんかねぇ??
競馬場がある都道府県ならわかるけど、見に行けない県でラーメン屋のオヤジでしょ?
どうやって競馬にハマるんだか全く見えないから相当変わった人に見える。
と、書いてみたけど…舞台設定上全くありえないとも言い切れないのか…。
隣町に行くと、場外馬券場があるから、山梨で競馬にハマる人はごく限られた地域に限定すればいないこともない。
なんともしっくりこない設定だけどギリあり得るのかぁ…ギリギリを狙ってくるなぁ
タイトル本当は「生理ちゃんのパラレル同窓会はなぜ称賛され、神様になった日の天国からのビデオレターはただのパチモノ扱いで終わったのか」なんだけど入らなかった。
どっちもアイディアとしては割と陳腐なので誰が最初に出したかにそこまで価値を重んじたり特許的なものを見出す必要まではないと思う。
でも明らかに二番手以降なのに同じネタをただやるだけじゃ世の中に新しい価値は生み出してない無価値の作品って扱いは受けうるようね。
芸人が他の人とネタ被りしてそのままやったら、お前なんのためにいんのってなるのと同じ。
生理ちゃんはパラレル同窓会と同じことをやってはいるけど、それがどの人生を選んでも普遍的についてくる生理、そしてそれは生理であって生理以上でも以下でもないのは同じで、それはきっと時代を問わず多くの人にとってそうであるんじゃねえかなって話に繋げてる。
これは明確に新しい価値を世の中に生み出してるよね。
塞ぎ込んでた所から復活させることに物語上の必然性も今の所感じないしね。
霊界との交信って行為が何らかのメタファーや伏線として今後物語に関わるのだとしても、この話を単体で見たならただパクっただけの虚無回なわけで。
あと、1話限りの捨て設定で魔法という概念を絡ませてきたのが、この作品が元々持ってるファンタジーなのか騙りなのか分からないっていう立ち位置と変に混ざり合ってノイズが酷い。
同じテーマを扱うにしても自分なりに加工して扱ってない稚拙さが、やたらパクりって言われる大きな原因かなと思う。
とにかく細部の作りが粗いんだよね。
神様になった日という作品の中の1話として上手く固まってなくて、換骨奪胎しきれずにそのまま元をなぞっただけになってる。
大学生のコピペつきばき丸見えレポートみたいな歪さがあって、作品としてのクオリティが単純に低い。
結局ここだよね。
他の作品参考にするのが悪いんじゃなくて、それに引きづられて駄目な回になってるのが駄目なんだよね。
むしろ大真面目に考証してリアルヨーロッパに近づけようとしている方が恥ずかしく感じる。
他所の文化にどれだけ入れ込んでも肌が漂白されることはないのに。
中世風ファンタジーは(主にD&Dのおかげで)あらゆるジャンルの要素がごたまぜになった実に使いやすい舞台となった。
十分に残っている自然、都合によって調節できる技術力、あまり違和感のない服装、分断された国々・・・などなど。
これを使わない手はない。
ナーロッパ上等よ。
海外の有名どころも割とザルだし。
これドングリの部分だと思うんだけど
まずわたしは女で、ATSUGIのタイツやストッキングを愛用していたオタクです。
今回の炎上を萌え絵(と括るのも抵抗はありますが総称として)使用以前のディレクションという点でまとめたいと思います。
理由としては、主要顧客であった女性が引いてしまい同社の製品を手に取ることを躊躇う状況ができてしまったためです。
新規顧客を掴むためにうったPRでであれば従来の顧客にそっぽを向かれるのは本末転倒です。
性的か否かは個人の物差しなので、その目線は極力排除して、ディレクションという点で考えたいと思います。
2)商品が見えない
3)ファッション性
完全にディレクションされていないと感じた部分の1つです。
これは絵柄についてではなく、季節感やシチュエーションの統一についてです。
PRは11/2の「タイツの日」に合わせたもので、PR先はこれからタイツを購入する人たちです。
これが通年の「ATSUGIという社名・商品を知ってほしい」というPRならおおよそ合致しているとは思いますが、だとしたらむしろ秋〜冬のイラストが多すぎると感じました。
また、シチュエーションの貧相さも気になります。多くが「働く女性」か「学生」で、例えば友人と遊びに行く私服のイラスト、1人の時間を楽しむイラストなど、女性の私生活に寄り添ったイラストが少ないのが気になりました。
こんなに沢山のイラストラーターに発注するのですから、出来うる限りシチュエーションが被らず、いろいろな趣味・仕事・生活をしている女性を満遍なく配置したいと思うのがディレクションでしょう。
またツイート方法も違和感があり、ATSUGIアカウントではなくイラストレーターのアカウントでツイートする方法は会社のPRとしては不適切です。全て統括して企業アカウントでツイートするべきだったと思いますし、イラストには企業ロゴを入れ「企業の企画であること」を主張するべきです。
2)商品が見えない
次にこの問題ですが、イラストを見て商品の良さや特性が分かりにくい問題があります。
イラストを見て「この商品は電線につよい」「足が細く見える効果がある」「おしゃれにみえる」など、タイツやストッキングの付加価値が分からないのはファッションPRとして不十分です。
これは1で書いた「統一性」ともリンクするのですが、ほぼストッキングか黒タイツといつシチュエーションの少なさも問題だと思います。
商品・服装の指定をしたとの説明も見ましたが、ならば企画側が商品の見せたい部分・特徴をきちんと説明してその部分を見せられるイラストに修正しなければいけないと思います。
イラストレーターさんも商品が指定されていたのなら特徴部分を隠して描くとは考えにくいので、指定の有無についてはきちんと明言してほしいところです。
(今後、イラストレーターさんが「あの人は指定を無視して納品してくる人」と思われてしまうのはかわいそうすぎます)
3)ファッション性
これは声を大にして言いたいのですが、ファッションにリアリティがないものが多すぎます。
今年のトレンドを入れたほぼ皆無です。
たしかに今年のボトムスのトレンドはロングスカートやワイドパンツ、女子高生のスカートも長めなどのタイツが見えにくいトレンドですが、だからこそ「どうやって着たら良いのか」を提案するべきです。
全てを今年のトレンドにする必要はないと思います。これも色々なシチュエーションが欲しいです。
メイド服もメイド喫茶で働く方やコスプレをしたい方には刺さるでしょうし、タイトなミニスカートもショートパンツもその服を好んで着る方はいます。でもそればかりでなくロングスカートとカラータイツの色合いで楽しむイラストや、エキセントリックな色の組み合わせのイラストや外で子供と遊ぶお母さんのイラストなどがあった方がATSUGIの商品の幅も見せられてよかったのではないでしょうか。
イラストレーターさんの中にはもともと女性向けに描かれている方やファンタジー系の絵が得意な方もいらっしゃいました。その得意分野を活かしたイラストをディレクションしてあげられなかったのは悲しいなと思います。
最後にこの問題ですが、少し感情に訴えかける部分があり、わたしもまとめきれていません。
ただ、主要な消費者である女性はちぐはぐな季節感、使用方法、シチュエーションの少なさに対し敏感に「自社製品に対する愛のなさ」を感じたのではないでしょうか。
それは使用者のリサーチ不足や雑さを感じさせ、疎外感を覚えたのではと思いました。
タイツやストッキングは「仕方なく着用するもの」や「防寒着」であり「自分を美しく見せるもの」でもあります。
「自分を美しく見せるもの」は男性の目線を気にするということではなく(その場合もあるでしょうが)「自分のテンションを上げるため」という側面があり、それは仕事や通学以外にもいろいろな場面で発生します。
そのリサーチがされていないように見える企画に一歩引いてしまったという印象を受けました。
おそらく適切なリサーチ・企画・ディレクションをされていないために起きた問題だったのではないでしょうか。
広告は「美しいイラスト」だけでは成り立たず、運用方法や魅せ方がとても重要です。
もっと慎重に企画を練り打ち合わせを重ねてPRをして欲しかったと思います。
最初に言ったようにわたしは女でありオタクです。萌え絵もかわいいと思いますし今回のイラストをオタクとして見た場合は素敵なイラストだなと感じると思います。
この企画がうまくいっていれば「萌え絵とファッション」という分野が確立され新しい広告の打ち出し方が出来たのではないかと残念に思います。
肌感覚ですが、10代の方達は上の年代よりイラストに対して柔軟に捉えているとは感じます。
その若い年代にファッションを紹介するという点で、萌え絵と呼ばれる分野は武器になる場合もあると思うのでその方向が炎上してしまったのは悔しいです。
まとめきれていない上に長ったらしいですが、今回の炎上は広告屋目線で興味深い案件でしたので、メモとして残しておきます。
どこにも書けなかったけどタイツの売り上げをあげたいのならリモートで家からあまり出なくても着用したくなるようなPRイラストも欲しかったなぁ。
フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それから「ドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtubeで検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画を確認できる。
本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレスは基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまり、レオタード姿のソネットのCMはフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。
衣装ではなく、カンカンダンスそのものについては、日本語版のウィキペディアと英語版のウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。
両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパンの起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサーは娼婦やセミプロの役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズ・ロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパンが確認できる。これらのスターの生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌で財産を失い、寂しく亡くなっている。
さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からクロッチ部分が開いていたからである。要するに性器が丸出しになるわけである。もっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別な下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着の露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディアは普段は自然科学の記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧な記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。
ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性が10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代にアメリカで人気が出たスタイルを逆輸入したものでそうである。
実際、19世紀末からに20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスなものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキングの対照もエロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。
結論から言うと、当時のフランスに見せパンそのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現が自由でなかった当時のこと、そんなことを文学や絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界の起源」が1868年、ヌードでスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である。
パリにはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代の芸術や芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュで活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方に広告が載っていたと記憶しているものをピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレスの女性が旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。
学生時代にパリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である。
赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズ・ロートレックの作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。
ところで、ウィキペディアだけからはヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年の舞踏会に裸の女性がいたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国の劇場のように活人画、すなわち生きた人間で絵画を再現する目的としてならヌードは猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場にヌードが現れたとき、当局が1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップの記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。
これまたよくわからないのがゾラの1880年の小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸を披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事はカンカンについてなので劇場のヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。
1889年開業、1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。
モネの絵画、「フォリー・ベルジェールのバー」の舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Bakerが活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズムの流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好が人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード、黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女は黒人の人権活動家としても知られている。最近、グーグルが彼女の生涯を記念するドゥードゥルをトップにした。
1869年に開業、1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌードも披露されることで知られる。
映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画の公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。
ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものまである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうである。ヌードやトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術のヌードならOKなのか。フランス映画、年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。
1946年開業。1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。
「ストリップティーズ」の項目によれば1960年代に全裸のショーが行われた、とある。
現に、創業者であるアラン・ベルナルダンは芸術性を伴った女性のヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である。
とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業。
天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂のCMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者はCGの黎明期であったせいかサイケデリックな表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。
ところで、この曲は地獄のオルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話のオルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話のパロディ的なオペレッタだからだそうだ。なるほど。
こうしたレオタード姿のラインダンスはカンカンではないと述べたが、それではこれはいつからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団と関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版のウィキペディアのバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性の写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである。
あれだけ早く終わって欲しいと思ってたはずなのに、いよいよ寒くなってくると突然夏が魅力的に思えてくる
夏っていうか、俺の人生には存在しなかった「青春の夏」への憧憬がモリモリ湧いてくる
夏期講習の帰りにあの子と一緒になって、信号待ちをしているときにジっと横顔を見ていたら目があって、何見てんのと言われる、そういうやつ
あるいは夏休み中盤の何もない日にひとりチャリを漕いで近所の山腹にある神社に出かけて、蝉時雨を聞きながら水筒のお茶を飲む、そういうやつ
ファンタジーの夏じゃなくてもいいな
普通にあれだ 教室がメッチャ暑いってことをクラスみんなで愚痴ったり、体育から帰ってくるなり教室の扇風機を回し始めたり、着替えの時にシーブリーズを股間にぶち込んでる奴がいて不快だったり、そういうリアルな思い出も懐かしい
というか、30〜40人の同世代と同じ教室で一日中勉強してたんだなあと思うとなかなか感慨深いものがある
台風近づいて超天気悪い日に、窓に吹き付ける雨粒を見て帰り道のことを考えてブルーになった記憶がある
ぼちぼち皆が夏服に変わるくらいの時期のなんともいえない清々しさを覚えている そこから2週間も経つとガチで暑くなって何もすがすがしくはなくなるんだが
登校日、昼ごろに帰ると普段の通学路が妙に眩しかったな ちょっと通学路を外れたTSUTAYAを冷やかして帰ろうと思うが、あまりの暑さに断念する そういう妥協もよくあった
登録して3か月、全く出会えなかった。1か月半くらいは見てたが、やりとりは続かないし、人の写真を見続けるのが苦痛になり、その次の月くらいから放置。先ほど退会削除。
秋アニメもひととおりチェックが終わったし、おもいたったので覚え書き感覚で「個人的アニメの視聴基準」を書いてみる
まぁ、正直各シーズンの全アニメを6話くらいまでチェックするって実質無理っすよね
勢いだけの俺tueee系やコメディ系、コメディでもないのに奇跡の価値が安すぎるアニメ、なにかに特化しすぎて他に面白みがないアニメは基本的に見ない。
でも勢いだけのコメディでも笑えたら見る(ポプテピピックはついていけない上にドン引きした)
いわゆる食わず嫌いな感じで見ていなくて、これは見たほうがいい!ってのがあったら教えてほしいですね。
があります。
来年に予定されてるマブラブオルタネイティブも原作ゲーム大好きなんだが、地雷臭しかしない。
印象的なシーンのダイジェストでしか無い、いわゆる、とりあえずアニメ化してみたファンアニ的なもので原作知らない人は置いてけぼりなうえに、展開飛ばしまくりになる予感。
長くなったので別記します
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 85 | 12720 | 149.6 | 46 |
01 | 64 | 8254 | 129.0 | 44 |
02 | 27 | 3957 | 146.6 | 34 |
03 | 10 | 1190 | 119.0 | 67 |
04 | 5 | 554 | 110.8 | 39 |
05 | 4 | 3483 | 870.8 | 24 |
06 | 11 | 3857 | 350.6 | 110 |
07 | 12 | 1511 | 125.9 | 77 |
08 | 38 | 2363 | 62.2 | 36.5 |
09 | 40 | 3898 | 97.5 | 41 |
10 | 55 | 10279 | 186.9 | 52 |
11 | 48 | 5402 | 112.5 | 53 |
12 | 98 | 9592 | 97.9 | 30.5 |
13 | 95 | 8929 | 94.0 | 28 |
14 | 90 | 12657 | 140.6 | 48.5 |
15 | 107 | 10811 | 101.0 | 48 |
16 | 148 | 11299 | 76.3 | 45.5 |
17 | 180 | 18883 | 104.9 | 47.5 |
18 | 194 | 21074 | 108.6 | 56 |
19 | 121 | 15379 | 127.1 | 49 |
20 | 123 | 16657 | 135.4 | 47 |
21 | 158 | 17378 | 110.0 | 40.5 |
22 | 164 | 15129 | 92.3 | 36 |
23 | 159 | 23498 | 147.8 | 63 |
1日 | 2036 | 238754 | 117.3 | 47 |
手提げ(10), 国際規格(4), スラック(6), マングリ(3), 修士号(6), 空箱(3), objectification(6), バーベル(4), 手引(3), スラックス(6), アツギ(44), バイデン(24), TPO(16), タイツ(37), マーケティング(18), 股間(16), 担当者(14), 大統領(12), トランプ(29), モラル(10), 履い(16), 絵師(15), 倫理(14), 萌え絵(12), モノ(34), キャンペーン(17), 鬼(19), 企画(16), 誹謗中傷(15), 炎上(43), 野菜(19), 強調(12), フェミニスト(38)
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40過ぎたババァの話である。興味が萎えた方はお戻りください。
あれは排尿感0の尿である。
トイレに行けば出るだろうけどトイレ行くほどでもないなってレベルの尿意でセックスした。
正常位のあと騎乗位でアンアンしてたんだが、彼のほうが結構酔っててイかなかった。
立たされて、クリバイブツイてるタイプのバイブを突っ込まれた。
気持ちよかったんだが、なんというかメンタルブロックが強くかかってイけなかった。
気持ちよくて軽く足ががくがくして、背中にじっとり汗をかくくらいまで責められたがイけない感じだったので、バイブを抜いてもらった。
その瞬間スプラッシュマウンテン
は?
自分が体液飛ばしたことに無自覚で、何が起きたかわからなかった。軽くパニックになった。
特別気持ちよかった、ということもない。どちらかといえば快楽の山を越えて気を抜いていたかもしれない。いや、バイブ抜いてもらうまで、と緊張していた気もする。今となってはよくわからない。
おそらく体とか膀胱とか筋肉に力が入ってる状態で、バイブを抜かれたのが何らかの神経に触れ、筋肉の反射運動を促し、スプラッシュする羽目になったのだと思われる。
「え? 潮吹いちゃったの? イったの? イっちゃったの?」と妙に彼氏のテンションが上がって面倒だからイったことにしておいた。
男子は自分が気持ちいいときと同じような現象が起きたから、なんかこう、妙にテンション上がるようだが、ただの反射だっつーの!!(少なくとも私は)
時代劇時代とは言うが、あまりにも現代要素が強いとそれはもうベースの時代いらなくない? と思ってしまうんだ
まず私は水着を着てるファンタジーがあまり好きではない。物語や記憶を巡るような「ベースの時代がごちゃまぜの物」だったり、現代やSF路線だったら別にいいんだ。それでも治安が悪めだったり差別問題が云々って感じの重い設定でのバカンスはさすがに不安だが(ついでに言うけど、艦これやアズレンとかの海系ソシャゲ(一部誤用)はだいたい海にモンスターいる設定だろうしそもそも水着着るのはおかしいのでは? と思うんだ
あと遊び気分で戦うのが好きじゃない。元々そういうキャラなら大歓迎だけど)
しかし最近「世界観固定のファンタジー物キャラに“公式が”水着を着せること」に対する嫌悪感が大きくなっている
水着文化があるとしても、敵襲の無いリゾート地があるとしても、それはそれとして「なんか許せない」のだ
中世風ファンタジーとか重厚なファンタジーと謳っておいて、結局お前も水着をやるのかと思ってしまう。時代劇時代と言っても流石に限度があるのではないかと思ってしまう
「それハイファンタジーじゃなくてよくない? 現代路線でやった方が良くない?」と思ってしまう
一応私もオリジナルでハイファンタジーものを書いているのだが、周りのオリジナル(西洋風ハイファンタジー)やってる人が水着絵を描く度にもやもやしてしまう。私の方は現代寄りな(ノット西洋風の)世界観なのでいくらでも言い訳は出来るが、西洋風でやってる人とかを見ると非常にもやもやしてしまう。そのキャラの世界に水着があるとしても「私(描いた人)はファンタジーでも軽率に水着を描く人です!」と言ってるみたいでなんか嫌だ。その絵を描くために水着を取ってつけたのかと思ってしまうからかな、それともソシャゲやラノベの真似事に見えて「うわっ」てなるからかな
でも、季節の行事ごとにそれに合わせたキャラ描いてる人を見ると思うんだよな「私もそういう事が許されるファンタジーにしたかった」と
そこらの時代劇時代よりかはいくらでも言い訳は出来ると思うよ。でも「ファンタジーなのに水着描くってどうなんだ?」と思っている自分がいる限り描くことは無いんだろうな。だって描きたい子はファンタジー世界に住んでいるのだから
それで今日もキャラの誕生日祝いたい自分とファンタジーなのに現代暦なのはどうなんだって自分が戦ってるし、心の中でファンタジー警察がファンタジーの正解不正解を言い散らしている
ファンタジーってなんなんだろうな
子供が小学一年生の男児なんだが、どうやらサンタの真相に感づき始めてる。
一応、話は合わせてくれているが、見ず知らずの老人が無償で玩具をくれるという謎の行動に対して疑いを持ち始めてるのが伝わってくる。
だいたい、サンタからのプレゼントとか言って、社会全体で子供たちを欺(あざむ)くのはいいけど、それだったらバラすときの最適解も用意しとけよ。
各家庭に丸投げしやがって、現場研修とかOJTとか都合のいいことを言って、新入社員の教育を現場に丸投げするタイプの人事部か。
よく『戦争は、始めるよりも終わらせる方が難しい』なんて言うけど、サンタも全く一緒だわ。日本人は先の大戦から何も学んでない。
サンタクロースの設定は「満5歳までの子に〜」みたいな枕詞をつけて時限立法的な制度にしておくべきだったと思うんだよな。そもそものシステム設計に不備があるだろ、これ。
俺はこのあと子供になんて言えばいいの?
「サンタとは、世界の親たちが子供を想う気持ちの概念の象徴であり、概念ゆえに実態があるわけではないんだよ」
とでも言って煙に巻くか?
だいたい、どんな説明をしたとしても、息子から「だからと言って僕を欺いていい理由にはなりませんよね?」って言われたら完全に論破されるわ。
もう俺の能力では対応しきれないから、文科省あたりで事後処理の方針を打ち立ててくれよ。
もしくは、フィンランドとかサンタビジネスでガッポリ儲けてるんだろうから、責任とって後始末にあたれよ。
もうさ、この際、日本はサンタを廃止して天皇からのプレゼントってことにすればいいじゃん。
クリスマスプレゼントって言うのも止めて恩賜(おんし)って呼べばいいって。
辻褄を合わせるために、大日本帝国憲法の4条を復活させて「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬(そうらん)シ……」の「統治権」を、国民の財産までをも掌握する権利と拡大解釈すればいい。
これだったら親から子供に直接プレゼントを渡しても嘘にはならない。これぞ現代版の国体明徴運動や。
なんか最後は、サンタという赤の思想に対する極右思想家の妄言みたいになってしまったが、とにかく俺は子供を騙してきた落とし前のつけ方について真剣に悩んでいるわけよ。
似てる。
私の知る獣婚ファンタジーは、嫉妬の強い種である獣人と番いになった人間が、逃げられないように足を折られ痛くて疲労困憊するセックスを強要されるけど、デロデロに愛されてるから幸せ…みたいな、DVハネムーン期とストックホルム症候群の合わせ技みたいなのがわんさかある。
それを人間側の視点でメリーバッドエンドとして、愛され物語として楽しむ。
てことは、纏足文化を題材にしたフィクションで同じ趣向のものも楽しめちゃう。
もう新たに纏足をしてる地域はないんだったら、フィクションと現実を切り分けて楽しめちゃう。
読んだことはまだないけど、もう書かれてるのかもね。
纏足を愛でる男の視点のは昔からあるんだろうけど、纏足を昔の風習として知った現代の女が、纏足を受ける女の子視点で、女の子に感情移入しながら、幸せな物語として書いて読んで楽しんでいるのかもしれない。