時代劇時代とは言うが、あまりにも現代要素が強いとそれはもうベースの時代いらなくない? と思ってしまうんだ
まず私は水着を着てるファンタジーがあまり好きではない。物語や記憶を巡るような「ベースの時代がごちゃまぜの物」だったり、現代やSF路線だったら別にいいんだ。それでも治安が悪めだったり差別問題が云々って感じの重い設定でのバカンスはさすがに不安だが(ついでに言うけど、艦これやアズレンとかの海系ソシャゲ(一部誤用)はだいたい海にモンスターいる設定だろうしそもそも水着着るのはおかしいのでは? と思うんだ
あと遊び気分で戦うのが好きじゃない。元々そういうキャラなら大歓迎だけど)
しかし最近「世界観固定のファンタジー物キャラに“公式が”水着を着せること」に対する嫌悪感が大きくなっている
水着文化があるとしても、敵襲の無いリゾート地があるとしても、それはそれとして「なんか許せない」のだ
中世風ファンタジーとか重厚なファンタジーと謳っておいて、結局お前も水着をやるのかと思ってしまう。時代劇時代と言っても流石に限度があるのではないかと思ってしまう
「それハイファンタジーじゃなくてよくない? 現代路線でやった方が良くない?」と思ってしまう
一応私もオリジナルでハイファンタジーものを書いているのだが、周りのオリジナル(西洋風ハイファンタジー)やってる人が水着絵を描く度にもやもやしてしまう。私の方は現代寄りな(ノット西洋風の)世界観なのでいくらでも言い訳は出来るが、西洋風でやってる人とかを見ると非常にもやもやしてしまう。そのキャラの世界に水着があるとしても「私(描いた人)はファンタジーでも軽率に水着を描く人です!」と言ってるみたいでなんか嫌だ。その絵を描くために水着を取ってつけたのかと思ってしまうからかな、それともソシャゲやラノベの真似事に見えて「うわっ」てなるからかな
でも、季節の行事ごとにそれに合わせたキャラ描いてる人を見ると思うんだよな「私もそういう事が許されるファンタジーにしたかった」と
そこらの時代劇時代よりかはいくらでも言い訳は出来ると思うよ。でも「ファンタジーなのに水着描くってどうなんだ?」と思っている自分がいる限り描くことは無いんだろうな。だって描きたい子はファンタジー世界に住んでいるのだから
それで今日もキャラの誕生日祝いたい自分とファンタジーなのに現代暦なのはどうなんだって自分が戦ってるし、心の中でファンタジー警察がファンタジーの正解不正解を言い散らしている
ファンタジーってなんなんだろうな