はてなキーワード: ドラえもんとは
アフリカ出身女性のAさんは都内にある外部の病院で糖尿病と診断されている。病院からはインシュリン注射が渡され、自らそれを打たなければならない。事件があった日、Aさんは自分で注射を打つと、急に体が熱くなり、我慢ができなくなって服を脱ぎ棄て全裸になった。そして、自分自身のコントロールが効かなくなり、壁に頭を打ちつけたという。
インスリン注射を打つと血糖値が低下するのに体が熱くなる???
精神的な疾患があるように見せかるため暴力的に振る舞っているだけのような。
Gブロックは3畳ぐらいの窓のない部屋で、天井からは監視カメラがぶら下がっている。トイレはただ単に床に穴が開いている状態で、自分で流すレバーなどはない。ここに入れられた人はトイレを流したい時、職員にお願いしなければならない仕組みになっている。
突起物や破壊した陶器などで自傷行為をしないための部屋じゃないの??
ニヤニヤ笑っていた、手を振っていたというのは一方的な証言でしかないのを簡単に信じれる人って陰謀論にも騙されそう
そもそも難民の認定を受けるための身元保証人って外国人でいいの??
いやいや、国内の難民に関する法規を理解せず難民として認定?? 勝手にあとから悲劇と。
Aさんの暮らしていたアフリカでは、女性の人権が非常に軽んじられていた。農場などで長時間の重労働を押し付けられ、町の人から性被害を受けることも当たり前。常に危険な環境に置かれていた。両親や親戚などから強制的に結婚相手を押し付けられることもあり、拒否することは決して許されない。そんな場所から逃げ出したいと考えたAさんは母国を離れ、日本に来る決意をした。
そして最後に......
彼女は安全と平穏のある生活を求めている。どれだけの苦しみを耐え抜けば幸せになれるのだろうか。
辛い人生から逃れたくて遠い日本まで来たというのに、入管は更に追い打ちをかけるかのようにAさんを辱め、侮辱し、心をズタズタに引き裂いた。
いやいや、こういうオーバーステイから国外へ移送させられないようにあとから「難民」と言い訳にするのが認められたら法律いらないじゃん。
本当に迫害で苦しんでこの国に逃げてくる難民の人たちを何だと思っているんだろう?
「乳児の首を締めたのは、ちょうちょ結びをしてあやそうと思っただけ。よって殺人ではなく傷害致死である。」
「精子が人間を復活させると信じていたことによる魔術的な復活の儀式であり、助命行為をしようとしていた。
https://twitter.com/CqaNaRn0ipKsKHS/status/1294222634368946176
女性の方々には、「もしあなたの身体がある日突然男性の身体に変えられてしまったら、あなたが男湯に入らされることに納得できますか」ということを考えてほしいです。
なぜ当事者である女性たちより、男性である自分の方が思慮深いとでも考えてるような物言いなのか。
「僕のこの問いかけで女性たちが何かハッと気づいてくれるに違いない」みたいな空気感を出してるけど、どこまで浅はかなのだろう。
当然男湯に行くでしょ。他に選択肢はない。
というか私、ある日突然男の身体になってたら、その状況を面白がって「おっさんである自分」を楽しんでしまうんじゃないかという気がするんだよね。それくらいいい加減な人間だから性自認なんて本当にあるのどうか疑わしいと思っている。
はっきり言うけど、非トランス・トランスを問わず、男性身体者の女性専用スペースに対する執着って相当に異常だと思う。たぶんドラえもんの風呂覗きとか少年ジャンプのラッキースケベとかも全部同じ文脈に乗ってるんだろうね。
逆に、身体女性だけど男湯に入りたいという声がほとんど聞かれないのはなぜなのか考えてみた方がいい。女性専用スペースって特権的な場所でも何でもなくて安全を確保するためのシェルターみたいなものなんだよね。
そんなもの。男湯にゆくに決まってるだろう。女として生まれ育ったなら、男の体で女湯に入ることの恐ろしい暴力性は骨の髄から理解している。
そんな許しがたい犯罪を犯すくらいなら入浴自体諦めるか男湯にゆく。男の体で女湯に入ろうとするのはあらゆる意味で女ではない。
間違ってor親に連れられて男湯に入った時の恐ろしさ(や他の性犯罪の理不尽さ)を知る女性にこんな質問する?
突然男の体になれば男湯に行く。
突然なったわけではないなら変換した側の気持ちがわかるでしょ。
分からないなら心は前の性のまま。
等々、他にも女性からも男性からも「普通に男湯に入る、もしくは銭湯に行かないのが当たり前だろう」という意見が多数寄せられていた
多くの意見に共通したのは「女性しか居ない空間に男の体をした人間が入ってくる事自体が恐怖であり女性を傷付ける」という物だった
女性にとってトランス女性は「自分の性自認は女性である」と主張する男性であり、いつ自分に加害してくるか分からない恐ろしい存在なのだ
女性はこれまで長い間が男性から虐げられてきた被害者としての歴史があり、男性は過去と現在の加害者であり未来においても潜在的加害者なのだ
性自認が女性である自称「トランス女性」も女性からすれば、男性の中で育ち男性の価値観に染まった男性の体を持つ存在でありそれはもう「男性」以外の何者でもない
彼女らにとって「トランス女性」とは自分を女性であると偽り女性専用のスペースに押し入り女性の権利を侵害しようとする悪質な加害者男性でしかなく、
トランスジェンダーの社会運動は女性から自衛の権利すら奪う差別に他ならず、自称心が女性の男性のために心身ともに女性である存在の権利が害される事があってはならないのだろう…
たしかに、ウルトラマン(80とアニメのやつ)、仮面ライダー(スカイライダー)が失敗し、続編が作られなくなった。
その一方で、TVではファーストガンダム、ドラえもん、ジャンプ発のアニメ(北斗の拳やキン肉マン、アラレちゃん等)が人気を博し、
TVの外ではゲームウォッチ、ガンプラ、ファミコンが大ヒット。
その後、スーマリ、ドラクエを経てTVゲームが子ども向け娯楽の主役になった。
やっぱり、1980年前後に子ども向けエンタメに大きな世代交代があった感じがする。
根拠は全くないけど、小さなころからゴレンジャー、ガッチャマン、タイムボカンを観て育った世代には、ウルトラマン、仮面ライダーという一世代前の子ども向け番組は単調で受け入れられなかった、という気もする。
障碍とは何なのか。我々が障碍と呼んでいるものは進化の可能性かもしれません・・
映画を見るか迷っている人は予告動画をみれば話の筋がだいたいわかると思います。
今作はお涙頂戴要素はほとんどなくて終始ワクワクしながら見るタイプです。
両腕には羽がありドロマエオサウルス類かトロオドン類のような外見ですが、未発見の種で名前がないため劇中では「新恐竜」と呼ばれています。物語が進むにつれ彼らが鳥類の起源のひとつであることが明らかになっていきます。新恐竜は高所から飛び降りることで滑空飛行をするようです。一方で多くの鳥類は羽ばたき飛行ができます。彼らはどうして羽ばたき飛行を獲得したのでしょうか?
キュウは新恐竜の中でも脆弱な個体です。彼の体は小さく空を飛ぶことができません。障碍のせいでいじめられ仲間にいれてもらえません。
強者と弱者、健常者と障碍者。これらは環境の変化で簡単に逆転し得るのです。
のび太の落ちこぼれ描写はいつも以上に執拗です。同級生たちからバカにされてものび太は怒ることすらしません。のびたは自信を失い、自分自身を見捨てているかのようです。
作中しずかは自暴自棄になっているのび太にあなたはやさしい人だと語りかけます。「のび太の結婚前夜」から続くおきまりのフレーズですが、今作ではそれとは異なる特別な意味を持っています。
物語ラストにおいてキザなお兄さん(名前なんだっけ?)が人類の進化について言及します。彼の語る「やさしさ」とはのび太のことでしょう。現代の社会において落ちこぼれにみえるのび太もまた、人類の進化における無数の鍵のひとつなのです。
恐竜!恐竜!恐竜! 恐竜が3DCG なんだけれどもね、恐竜もカメラもめっちゃ動くの!映画館で見ると大迫力!すごくいい!!
冒頭にでてきた博物館は!恐竜キッズの聖地!福井県立恐竜博物館だーーー!!
のびたくんが調べている図鑑は! 小学館の図鑑 NEO 「恐竜」だーーー!!
あれ持ってる!あれ知ってる!の連続なんですよ。うちの恐竜キッズも大興奮です。
1作目「のび太の恐竜」はフタバスズキリュウを当時中学生の子供が発見したことが元ネタで、「裏山を掘って恐竜の化石を発掘」は多分当時の子供達のリアルな夢だったはずなんですよ。今では「福井県立博物館の化石発掘体験で恐竜を発見」が現代の子供達の夢なんでしょうね。福井でたくさん新種の恐竜が発見されているとか近年中国で羽毛恐竜がたくさん発見されたとかそんなところ全部拾ってつくった夢なんですよ。
みんなだって子供のころ夢見たでしょ?化石発掘体験で新種を見つけて学芸員さんに「こ、これはーーーー?!」とか言われるのワクワクして妄想したでしょ?身近な夢から壮大なスケールで大冒険ですよ。これがドラえもんですよ。大好きです。
ふつうは恐竜映画つくると安易にティラノサウルスとかだしちゃいそうでしょ?この映画はそういうことしないの。
舞台は過去の日本なんですけれども、映画に出てくる恐竜もみんなアジアの恐竜なんです。
劇中では「ティラノサウルスの仲間」みたいな呼ばれ方をするのですが、映画館で配られる小冊子に恐竜図鑑が載っていて彼の本当の名前がモンゴルで発見された「タルボサウルス」であることがわかるのです。劇中でもドラえもんが「この時代日本はまだなくて大陸とくっついていたんだよ」と解説していてバッチリです。恐竜キッズって設定にうるさいじゃないですか。こういうのって素敵です。
子供向けなのに全然手を抜いていないのすごいね。逆かな?恐竜キッズ相手だからこそ真剣に考えて作ったのかな?
秘密基地みたいなやつ。あれの設定・元ネタはたぶん「ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ」から。
●●●●●●●●はなんでドラえもんやのび太を見逃しているの?なんて我々おたくが100回くらいネタにしてきたじゃないですか。
この作品は真正面から取り組んでいるんですよ。のび太くんが●●●●ところが個人的ハイライトです!めちゃめちゃワクワクしました。
この部分だけでも小一時間語りたい感じなんですけれども完全ネタバレトークが許されるのっていつ頃ですかね・・・?
のび太って過去で未来で世界を救いすぎもはや手を出せないんでないの?みたいな話ししたいんですけれどもだめですかね・・?
うちの恐竜キッズが喜んでいたから100点満点中10000点です
よかったです
今朝は寝ているときに緑茶を床に大量に溢してしまっていて、今日は布団干しは必須であった。
NHKの天気予報は夕方まで晴れ。アレクサが表示している天気予報は正午が雷。
アメッシュで確認するといつもにわか雨が降りがちな遠い山の方が雲が沸き立ち振りだしている。雲の流れはこちらに来る可能性もなくはないが遠い。平野部を通るうち萎み未到達に終わるはず。
NHK天気を信じ全て干したまま外出。
映画が終わり外に出ると、来たときは快晴で眩しかった日差しが今は薄暗く、地面にはうっすら濡れた跡が。
賭けに負けた…ッ!今夜布団に寝られるのか…?布団巻きジローに行くことになる?凄い出費だ…と暗い気持ちに駈られつつもアメッシュを二時間巻き戻してみてみるとなんと、家の周りだけ雨雲は華麗に避けて流れているではないか…!
急いで帰る帰り道、家の方角は暗雲立ち込めて稲光がビカビカ紫に迸っている。
アメッシュのレーダーは相変わらず何故そこだけ避けるのか家の辺りは降っていない。アメッシュを信じている。しかしタイムラグはある。
はらはらしつつ家に戻り強まる風に布団がふっ飛んでいないことに安堵しつつ急いで布団と洗濯物を取り込んだ。
安心すると現金なもので雷を見たくなる。ゴロゴロ音はし、辺りは薄暗い。
からからに乾いた喉を麦茶で潤しながら何度となくレーダーを見る窓の外を見るが一向に降らない。
降りそうで、降らない…
帰宅してからかれこれ一時間半、雷はゴロゴロ聞こえるが未だ降らず。
15時になってしまった。
FFIIIがなぜ子供時代に楽しかったのか、それは主に舞台設定にあるように思えた。
小さな洞窟から始まり、巨竜に出会い、従者と姫のラブロマンスを知り、ここがちっぽけな世界だと知る。そして浮遊大陸の脱出がある。
浮遊大陸の脱出を体験した当時の子供達は一様に鳥肌が立ったという。
自分は巨大飛空艇インビンシブルが水中から出てきた時もかなり問い肌がたったくちだ。
バブル好景気を反映するかのように思い描いた希望と欲望が無限に拡大してゆく。
見たこともない森林や島々、古代遺産や革命的な発明、小さな洞窟から始まった少年の冒険は空も海底もどこへでも行ける広がりを見せ、やがて二元対立を中和へと戻す、勇気の闘いへと変貌する。
そこにあるのは少年たちという存在を通した国の成長記であるようにも思えた。
少なくとも当時の日本に資本主義の拡大性に対する信心があったことはうっすら伝わってくる。
経済はわりとどうでもいい話だ。
問題はいつまでも広がっている大空、どこへでも行ける機械、果てしない宇宙などを連想させるサブカルチャー作品が激減したことだ。
SAOやデカダンスのような箱庭型の作品、日常系の作品、リアル志向のゲーム、萌系。
自分が思いつく限り、胸いっぱいの果てしなさと躁状態を延々と維持できる作品が思い浮かばない。
あるかもしれないが、メインではない。
今の子供達が思い浮かべる世界は、どこかと繋がっている空や未だであったことのない人々や国々ではなく、ネット端末なのだろう。
だから物語世界で事件が起こるとき、ネットを起点にして起こりがちになる。
都市伝説も謎の組織も、異世界に転生したあとも何がしかの端末が顔を出す。
子どもたちにとって世界は既に判明したものでしかなく、探求するものではない。
少なくともそうしたふうに感じているのではないか。
インフラ内で物語は起こり、インフラ内の隙きを縫うようにして問題が起こり、インフラ内で完結する。
広がりが感じられないので、今ある可能性の中でトップに立つには、という思考が先鋭化してYouTuberが人気になる。
かつては空の広がりが感じられたのだろうか?
少なくとも70~80年代のドラえもんにも、世界は探検し尽くされてつまらなくなった、とのびたがぼやくシーンがあった。
未開発地域は今でも広がっている。
はたまた経済が悪いのか。
それでも空は狭くなっている。
昔からの大ファンから言わせれば、正直作品の出来不出来が激しいと思っている。
いくつかの大傑作を生み出してもいたことが魅力となっている。
自分が傑作選を編集するなら、異論は多いだろうが以下の作品になるだろう。
「ミノタウロスの皿」
「ノスタル爺」
「イヤなイヤなイヤな奴」
「ヒョンヒョロ」
自分のなかでは「ミノタウロスの皿」「ノスタル爺」が飛び抜けて名作。
20年以上繰り返し読んでいるが、読むたびにその凄さにため息が出る。
(追記)
印象としては、1970年代前半が駄作と傑作の振り幅が大きく、
1980年代以降は良くも悪くも作品の質が安定するようになっている。
手探り状態で試行錯誤を重ねていた70年代のほうがやはり魅力的かな。
ラストの締め方に強い違和感がある(あれがいいという人も多いのだろうけど)。
個人的には藤子F短編は途中まで凄くてもラストがイマイチだなと思うことが多い。
その点「ミノタウロスの皿」「ノスタル爺」はラストが神がかっている。
「クレパトラだぞ」も非常に好きな作品だけど、ラストが若干の不満。
「僕はゆるせないぞ!自分がそんなにみにくく老いていくことを!過去の自分をせめること以外なすこともなく・・・」
のセリフに鞭打たれる日々。
子供の頃の思い出ありきだろう、昔のドラえもん映画を改めてみたら
いくらでもイマイチな点を言える、けど子供のころ楽しめたという事実の前には
どうでもいいんだよ
さっきまで日本誕生を観ていて思った
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 159 | 25927 | 163.1 | 36 |
01 | 134 | 22210 | 165.7 | 60 |
02 | 55 | 7698 | 140.0 | 54 |
03 | 47 | 3688 | 78.5 | 46 |
04 | 42 | 6002 | 142.9 | 44.5 |
05 | 44 | 4609 | 104.8 | 55 |
06 | 54 | 7040 | 130.4 | 68.5 |
07 | 62 | 8446 | 136.2 | 53 |
08 | 83 | 10540 | 127.0 | 45 |
09 | 139 | 21775 | 156.7 | 62 |
10 | 116 | 9692 | 83.6 | 49 |
11 | 182 | 17965 | 98.7 | 40 |
12 | 155 | 12494 | 80.6 | 37 |
13 | 131 | 16279 | 124.3 | 35 |
14 | 148 | 17028 | 115.1 | 40 |
15 | 212 | 20469 | 96.6 | 33 |
16 | 148 | 35322 | 238.7 | 52 |
17 | 132 | 13169 | 99.8 | 43 |
18 | 148 | 12298 | 83.1 | 29 |
19 | 134 | 10994 | 82.0 | 31 |
20 | 167 | 14825 | 88.8 | 36 |
21 | 179 | 11325 | 63.3 | 34 |
22 | 183 | 12648 | 69.1 | 26 |
23 | 151 | 28164 | 186.5 | 46 |
1日 | 3005 | 350607 | 116.7 | 40 |
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女性って子供の頃から恋愛対象以外の男性は眼中にないのかもしれない。
https://togetter.com/li/1573232
このまとめを見て思っていたのだけど、戦隊ヒーローものには女性メンバーがいて、ドラえもんにはしずかちゃんがいて、クレヨンしんちゃんにはねねちゃんがいて、
男の子用のマンガやアニメにはヒロインポジにしろ、かなり幼年向けの作品にも女の子枠があるのだよね。
セーラームーンのタキシード仮面とか、きらりんレボリューションだと男の子アイドル?とか、タキシード仮面男の子枠というよりは、イケメン枠なのではないかと。
NHK朝ドラ「エール」の主題歌「星影のエール」のMVが先日公開された。
曲も映像も素敵で、ストーリーも素晴らしいような気がして初見で泣いてしまった。Youtubeのコメント欄でも泣いたファンは多かったようだ。
それで立て続けに何回も観たが、見れば見るほどストーリーは分かるようで分からなくて、考える余地がたくさんありひどくハマってしまった。ストーリー重視のMVはたくさんあるけど、こんな刺さり方をしたことはなかったので、妄想したことをひたすら書いていきたい。
まず私について簡単に。
しがない社会人。かつてはこういうコンテンツに興味があって勉強をしていたこともあったし、なんならそういう職に就いていたこともあった。
くじけてそうじゃない職に移ってしまい、いまはただの消費する側になってしまった落ち武者。仕事しんどいと思いながら虚無になる前にコンテンツを消費することで救われている多くのうちの一人。
少しだけ作る側の現場や状況を知っているので、そのことに思いを馳せて敬意とか羨望とかを織り交ぜながら楽しませていただいています。
GReeeeNの明示的なファンではないけれど、めっちゃ有名な曲とかはスマホに入れてて、星影のエールは朝ドラの主題歌なんだーと思って買ってた。
星影のエールの作品世界を考察しながら、MVをリピートしまくっているところ。
〜〜〜〜
〜イントロ〜
〜1番〜
光る星と遠ざかる青い惑星
〜2番〜
星空を見つめるロボット
〜Cメロ〜
浜辺。流星群を見つめる男女
宇宙船内。眠っている老婆
それを見つめるロボット。窓外に青い星
〜大サビ〜
意を決するように胸のスイッチを押すロボット。激しい光があふれる
倒れるロボット
構成は「段階的に年老いていく女性」と「段階的に老朽化していくロボット」の変化が主軸。1番サビではロボットに庇護される赤ちゃんの笑顔、2番サビではロボットと少女の喧嘩と対置されている。怒っている少女はこの作品の芝居の中では最も感情が発露されるアクション上のピークだが、その直後には宇宙船内から回想へ移る展開の落差が用意されている。流星郡や星空を含め無数の星が描かれている作中で「誰よりも私には輝く星」の箇所では、青年はそれらの一切は眼中になく少女を見つめているのが印象深い。そのあとは老婆とロボット、宇宙船の行く末という作品の山場に雪崩れ込む。
宇宙船のデザインやロボットのデザインはレトロフューチャーなのであまりカッチリ考えてもというところではあるが、楽しいしその後の考察の手がかりとして重要なので考えておきたい。
つまり近未来か遠未来かという点だが、ロボットに人格や精神を転写したり、恒星間宇宙船を建造できるくらいには未来、ということになると思う。
宇宙船は、メインの舞台になっている広間の「大窓」がイントロのカットでも確認できるので、居住区を回転させて遠心力で擬似重力を得るタイプではなく、狭い範囲の重力制御とかを実現しているのかもしれない。
また、ラストで事実上船員がいなくなった宇宙船をオートバイロットで着陸させられる程度に進んだ科学技術がある。
超光速航行は実現していない、重力制御はできる遠未来、と考えたい。
眉間の間に指を持ってくる謎の仕草をたびたびするが、これが回想に登場する青年と同じ癖であることが描かれる。このことからロボットと青年は深い関わりがあると考えられ、「ロボット化した青年」もしくは「青年の精神や人格を引き継いだロボット」だと考えられる。この差はSF的には重要で繊細だけれど、これ以上判断材料は提供されていない。ひとまず設定上の同一人物として扱っていいと思う。
青年がロボットになった理由はなんだろう?宇宙船は恒星間航行ができるが、超光速ではない。生身の人間は保たない。だがそれでは「少女はロボットではない」理由にならない。
作中、そのボディは徐々に劣化していく。記号的にボロにしているといえばそれまでだけどあえて考えてみる。宇宙船内だけで活動している場合、こけて塗装がはげるくらいは起きるだろうが、大袈裟にへこむことは考えづらい。赤ちゃんの世話だけでなく、船外活動など宇宙船のハード的なメンテナンスも多いに請け負っていたものと考えられる。大型の飛来物は宇宙船を操作して避けるだろうが、小型の飛来物は当たってしまうのだ。天文学的確率で。(あたったらへこむどころでは済まないんですが、そこは主人公補整)
冒頭で産声を上げ、時にはロボットと喧嘩をし、回想後にはカプセル内で眠っている老婆。これらは同一人物として見ていいと思う。その後、ロボットがトリガーした謎の発光により、再び赤ん坊へと再生する。歳を重ねてから赤ん坊へ戻る仕組み(能力)の詳細は不明だが、トリガーはロボットのボタンと女性が握った星型のアイテムにある。
回想の中で登場する女性と同一人物かどうかは分からない。ただ、別人と考えた場合、回想の男女のうち男性はその後ロボットになったのに女性が描かれない、ただ数秒登場する男性の恋人ということになる。その二人の子供が冒頭の赤ちゃんだと考えてもいいが、それだと母親は乗っていないのか、乗っていないにしてもロボットだけで行けばいい(お子さんは連れて行かなくていいんじゃ?)という話にもなるので、そのすじは想像を膨らませすぎというか、素直に回想の女性=宇宙船の女性と考えていいと思う。少女時代の姿もとても似ている。
GReeeeNらしい緑色の星。作中たびたび光の強さが変わるが、冒頭は光っていない。赤ちゃんが嬉しそうに持ち上げている時にぼんやり光り、ロボットと少女が喧嘩した時には光が弱まった。回想には登場しない。終盤、ロボットが胸のスイッチを押すと激しく発光し、女性の体が薄く透けていく様子が確認できる。
このことから、女性の生命の様子に深く関係し、影響を与える(具体的には身体を若返らせる)。
また、ロボットと二人の関係に影響を受けることが分かる。若返り発動が「女性が星を握る」「ロボットがスイッチを押す」という両者のアクションで発動した(女性ひとりのアクションで発動しない)ことからも、星は両者に関係して動くのだと考えられる。
感情に感応する・若返り効果を発揮するといった現象が、登場する二人だけに生じるのか、人類全般に対して生じるのかは不明だが、「互い照らすその意味」を司るアイテムだと考えたい。
終盤、老婆になった女性が、ロボットがスイッチを押した途端発生した光により赤ちゃんへと若返る。途中、老婆の手が透けてうっすら星が見えることから、コナンくん的に身体が縮むというよりは、もっとファンタジックなものだと思う。なのでやっぱり、若返りというよりは転生という語が適当だと考える。
船員はこの女性とロボットの二名で、ほかの船員は描かれない(最初はいたのかもしれないが、空間に余裕のある船ではなさそうだし、二人だけだと思う)。となると、出発時点で赤ちゃんだということは考えづらいので、MV開始時は「旅路の途中で、女性が老婆から赤ちゃんへ転生したあと」ではないか。
なので、MVのクライマックスで描かれる発光と転生はMV開始時点で最低一回は行われていることが分かる。そうなると問題になるのは回数だ。何度もできるならロボットが最後に「意を決するように」押す必要もなく、気軽に押せる。おそらく回数制限があるし、多分MVラストのそれが文字通り最後だったのだと考えられる。
冒頭、転生直後のためか星は光っていなかった。ラストでは淡く光っており、ロボットすら転生する様子はまさしくキセキということだと思う。
回想シーンでは、夜空に流星群が飛来している。GReeeeNのキセキでも同様のモチーフが使用されていて、同MVがYoutubeに登録されたのは2010年7月のようなので、ほぼちょうど10年ということになる(10年前でももう少しグラフィカルな合成はできたと思うのでMV制作の厳しい予算のことなんかを考えてしまった。このフルCGアニメは仕上がり通りの潤沢な予算で作られていてほしいと流れ星に祈るなどした)。
流星群と言っても放射点がない?ので、この呼び方が適当かはわからない。
流れ星には「良いことの前兆」「悪いことの前兆」両方の伝承があるようだが、今回はどちらだろうか。流星の色、宇宙船内の星形のアイテムの色をみると、両者に関係があると考える方が自然で、もっというと両者は同一物だと思う。
悪い物を持ち込んで旅をするのは苦しいし、実際転生のアイテムでもあるので、ここは吉報の方の流星だと考える。カタストロフの前兆を描いたものではない。
そんな特殊なものが降っていると考えると、自然現象としての流星ではなく、人為的な何か(人工物は降っている、または軌道上にあった人工物が飛び散って降下している)ではないかという妄想も膨らむ。
そろそろまとめていきたい。
流星が飛来し、それに祈る女性とその女性にみとれる男性がおり、二人は姿を変えてすごく長い宇宙の旅に出かけた。その理由はなんだろうか。
彼女は、流星として降ってきた何かの作用を受けて、若返ることができる。ロボットはできない。では男性は、同じことができただろうか?
20xx年、宇宙から飛来したものに、一部の人類の身体を転生させる効果があることがわかった。
そして、なんらかの理由でそれを多量に行使する必要が出てきた。収穫するために、宇宙を渡る旅に出なければならない。
なんらかの理由とは、やはり人類が滅びるようななにかではないかと思う。その着想はYoutubeの考察コメントで見かけたものだが、細かい理由はMV内に描かれていないしなんでもいいのだけど、このご時世、どうしても強大な病原体による感染症を考えてしまう。
人類が滅びに向かう中、かつて流星群で飛来した物体に特殊な作用があることが分かる。それは使用回数に制限のある消費物で、できればたくさん欲しい。
一方で転生に耐えられるのは人類の全員ではなかったのだと思う。なので、適性が見られた彼女が、星を摘みに行くミッションを担うことになった。
男性は病魔に屈する(または、転生の適性がなかったのでやばいことになった、という想像もできる)が、ロボットとして彼女をサポートし続けることを選ぶ。
SFで恒星間航行といえば冷凍睡眠だが、設備が大きく収穫物を積むスペースはできるだけ確保しなければならない。冷凍睡眠設備は搭載されなかった。その意味でも、転生可能な人材はこのミッションに適切だったし、それをサポートできる誰かが必要だった。
一人と一機は地球のために旅立った。
どれくらいの旅路だろう?
回想で高らかに歌われる歌詞。普通に考えて2020年の現在からみて星座を眺めた数千年前(ギリシャ時代とか)を指した歌詞に違いないが、ここは妄想の翼を広げたい。この歌詞が流れる瞬間が千年前の出来事。作品が描いている時間と、回想とで、1000年程度の開きがあるという妄想だ。
片道500年以上の旅だ。光速の何パーセントの速度が出るのかはわからないが、計画の時点でわかっていた数字だと思うと絶望が深い。
宇宙船建造時点でも、現代より進んだ科学で人の寿命は伸びていると思う。それでも何度となく転生が必要だ。
MV内で描かれた赤ちゃん、少女、老婆は、それぞれが通しではなく、転生した時々の一コマ一コマであると考えたい。転生する度にロボットと喧嘩をしたかもしれないが、孤独な旅に耐えるために、おそらく女性は感情を抑制する精神改造か何かが必須だっただろう。喧嘩なんて起きない、そんな中での感情の発露。あの衝突は、数ある転生の中でもほとんど起こらなかった、非常に珍しく尊いといえるような出来事だったのではないか。
窓の外の星はどうだろう。冒頭、大窓の外には青い星が見え、子供が歩き出すころには遠ざかっている。
ただ、最低一度は転生を実行し、新たに産声を上げたにしては、地球が近い気がする。また、赤ちゃんの一人歩きは1歳三ヶ月で80%とのことだが(ググった)、それだけの期間が経過したなら、青い星はもっと遠ざかっていてもいいのではないか。冒頭に環のある惑星が写っているが、土星軌道から見た地球であれば遥かに小さいはずだ。
ふたつめの理由については、推進剤を節約するためにスイングバイしていたと考えることができる。
ひとつめの理由については、「出発時点=赤ちゃん」はSF的な筋立てを思い浮かばないのでここでは支持しないのだが、そうするとMVが描いているのは「行き>回想>帰り(到着)」ということになり、作品としての納まりはなんとなくいい。そうでない場合、あの星は地球ではなく目的地の星だと設定できる。MVは「帰り>回想>到着」という流れで、こちらは描かれているものの背景の勘ぐりとしては納まりがいい(と思っている)。冒頭の環のある惑星も、目的地近傍の土星ではない巨大ガス惑星だと考えると辻褄が合う。
最後の転生は、女性が自ら動けなくなるほど老いてから行われた。転生の回数券がいよいよ最後だと判明し、可能な限り老いてから実行することになったのだろう。目的の星での収穫物を使えればいいのだが、察するになにか使えない理由があったのだろう。
「時に私の後ろに光る星」
それまで暗い星空で埋め尽くされていた大窓には、いま青い星が大きく見渡せる!
安堵もある、悲しさもある複雑な美しさに目眩がする。
地上300〜400km程度の低軌道で、降下は始まっていただろう。時間がない。最後の転生の光に包まれながら、宇宙船を地上へ降りていく。
二人を迎えてくれるのは、二人を、あるいはほかの多くの収穫者たちを打ち出したかもしれないマスドライバー発射台。人類の残り時間が少ない中、限られたリソースで建造されたそれは、いまは朽ちて鉄骨を晒している。(そうではない頃に作られた灯台は、長らく無人の状態でもメンテナンス機構が行き届いているようだ)
地上に着いてすやすやと眠る赤ちゃんだが、誰一人迎えには来ない。滅びかけの人類は、おそらく地上設備では可能だった冷凍睡眠を実行し、ミッションの成功とともに目覚めるのだろう。
女性はロボットと喧嘩する前、空の絵を見ていた。その次のカットでは引きの絵になるが、反対のページにはほとんどなにも描かれていない。おそらく商業的な画集などではなさそうだが、船内スペースが貴重な中で持ち込まれたものなので、とても大事な、プライベートな冊子だと思われる。
「明日はきっといい天気/青き春もまた そうであれ」
青き春の時代に、白紙の状態から、誰と物語を描いていくのか、考えながら描かれた絵。回想に登場する二人にまつわる品、もっというと青年にとっての「輝く星」である女性を描いたものだろう。流星群を見る前の昼間か、「夜明け前の空」を見たあとの絵だ。そう考えると、右ページに見えるスケッチが回想に出てくる帽子に見えてくる。
そんな思い出の絵なのに、少女は空のみに注目して、暗い星空と見比べる。
ロボットの手を払いのけて、少女は怒りながらなんと言っただろうか。たとえば「こんな空を一体いつになったら見られるのか」。
自分が描かれていることには気づかない……転生しても、記憶は引き継がれないのだ。いま怒っている彼女は、だから青空は見られない。
答えられるわけがない。
ロボットの献身、ふたりの悲哀に残酷ささえ感じるが、それでも困難を乗り越えて互いに照らし続けた二人が、数百年の航海を終えてのちには青空の下で安らかに眠っている。
〜〜〜〜
だいぶ書きたいことは書けた気がする。
ここで明示しておきたいのだが、「公式はこう考えて制作したに違いない!」と当てようとしているわけではない。むしろ、私はここでこう考えたが、全く違う考えで作られていたのならその方が面白い。そうあって欲しい。
残念ながら、設定を徹底的に練りきった上で作られた作品なんて、それこそ恒星間航行でデブリにぶつけられるくらいの低確率で、どんな作品も多かれ少なかれ作りながら決めた・変えたことが無数にあり、特に理由もなく決めたことも無数にある、ということを私は想像してしまう癖がついている(そういうナイーブさはないけど「考えてなかったけど結果的に筋が通って見える」みたいになってる箇所には、謎のかっこよさを感じたりする。このMVにもそういう箇所があったら楽しいなと思う)。このMVの制作期間中には緊急事態宣言とか自粛とか、ままならないことがあったと思うし、その意味でも、隅々に渡って「ここはこういう考えで作られたに違いない」という考察態度でいることは難しい。
いや、そのあたりはなんでもいいけど、とにかく妄想が捗る作品に出会えて嬉しいってことです。
監督の森江康太さんは、ヨルシカやAmazarashiのMVもやってるひとっぽい。探したら観たことあった。
顔を出してない歌い手のMVをよく手がけているのかもしれない。
同じく8/7に公開が始まったドラえもんのポスターにも名前が載ってる。
誰にいうでもなく自前の発表の場があるでもないので、初めて匿名ダイアリー使ってみた。
誤字とか見つけたら直します。
(「地球を滅ぼすようななにか」の所ですが、SFに興味がある方は「天冥の標」(小川一水)を読んで思い浮かべるといいと思います
大学(私立理系)の各講義を受けた感想を、ランキング形式で発表します。講義名などは伏せます。
資料配布だけの形式にも関わらず、授業時間内にしか資料を配布しない講義
オンラインの良さの一つ「学生主体で自由な時間に学べる」を台無しにしていますね。教諭の意図としては、授業時間の間に学習してもらいたいのでしょう。ただ、そもそも講義をzoomでやるわけでもないのでこんな縛りは全く必要ないです。
この講義には次週までの課題があるのですが、授業資料を紛失してしまった時は、Google検索して出てくる他大学の講義資料に助けられました。名古屋大学、ありがとう!
私は悲しいです、このような講義が生まれてしまったことが。教諭いわく「自主学習の練習」だそうです。(3位の授業だけでも十分自主学習では?)
「練習」だけあって質問すれば丁寧に答えてくれるので、そこは''唯一''評価できる点です。しかし質問は他の講義でも答えてくれるので、自ずとこの順位になりました。
授業日にやってしまえと言われればそれで済む話なのですが、他の講義との兼ね合いでそれができないときにはこの管理のしづらさが牙を向きます。
これも上記と同じで管理のしづらさがあります。ただ、ほとんどの大学はポータルのUIが非常にわかりにくいです。担当教諭がインターフェースの授業も担当しているので、この使い勝手の悪さに耐えられなかったのかと憶測しています。
この講義は第2位の発展型(むしろ衰退型)です、ただ教諭は別の人です。
最も恐ろしいのが、この講義が自己啓発系の講義ではなく、理系の専門講義だということです。ありえないね。
(ちなみにこの講義では、期末試験にキッズラインのようなYouTube動画を見せられました、草)
授業料は低下していないにも関わらず、授業の質だけが落とされた授業も多く感じました。教授が慣れていないというのは言い訳にしかなりません。また、授業の質の低下は大学の価値の低下を意味します。これを防ぐため、大学運営側も教諭をサポートするべきです。