はてなキーワード: ダビとは
以前は(今もかも知れないが)レンタルビデオ屋からCDやDVDを借りてひたすらダビングしまくるという行為は非常に一般的な行為だった。
なぜならダビングされた方は商品にコピーガードを施すことが出来るだけでダビングされたことをは感知出来ずノーリスクだったからだ。
違法DLも同様にアップロード側にさえ回らなければただひたすらノーリスクで『ただ』で手に入る。
モラル的にどうなんだという話もあるが世の中はバレなければ軽犯罪ぐらいは平気でする人がいっぱいいるので
結局のところ警察が本腰を入れて取り組むか業界団体が見せしめ的に裁判をふっかけなければ永遠に解決しない。
コミケですらあそこの同人はどうせネットで上げられるから他のサークルへ資金を投入するなどという話が公然と行われている末期状態なのだ。
母親が入院したんで父親とふたりきりではなくにぎやかだった五夜目!
仕事終わりに直接散髪へ向かう!
予約時間まで少し時間があったので近くの大型スーパーで時間をつぶす!
その間に母親へ今日散髪後お見舞いに行く予定だと連絡を入れる!
散髪へ行くと雑誌一冊流し読みできる程度に待たされた!三連休前だからだろうか!
シャンプーを担当したアシスタントはどうやら新人で!ややしばらくシャンプー台に仰向けになっていた!
髪を切ってもらいながら現在味覚がわからない話をすると担当者は大笑いしていた!そういう反応でいいのだ!!
担当者はなぜかわからないが何度か作業を中断しどこかへ消え!散髪が終わったのは1時間40分後だった!!
カットのみなので長くとも一時間で終わると思っていたためお店を出てからウソだろ!!と声がこぼれた!
これから母親の病院へ向かったところでエレベーターに乗って降りて終わりだろう!
お見舞いを断念する!!
携帯電話を見ると母親と姉から着信があったので!まず姉に電話をかける!
ダビングを頼んでいた母親の観たがっていたドラマを持ってきてくれるようだ!
家に父親がまだいなかったため私に連絡を寄越したらしい!!
明朝!旅行へ出発する前に行けたら行くと言うと!無理しなくていいよとのこと!!
母親の声を聞いただけで涙が出そうになった!
もう大人なのに自立がほど遠く情けない気分になりながら帰路につく!
家に帰ると父親は帰ってきており姉と甥と姪が来ていた!
私の準備した食事は昨日ちぎったレタスしかなかったが!姉があまった煮物をくれた!!ありがたい!!
シングルマザーで大人の喋り相手に飢えている姉と!話したりない私と父親とでしばらく話した!!
甥や姪は早く舌なおるといいねと言ってくれる!いい子たちだ!!
姉たちの帰ったあとすぐに父親も寝た!父親もなんだかんだで疲れがたまっているのだろう!
風呂の水がまだ少し余っていたので洗濯機をまわしながら茶碗を洗う!
家事を終え!旅行の準備をしようとするが脳がまったく回らず!カバンや洋服を広げたまましばらくフリーズする!!
少し動いてフリーズ!少し動いてフリーズ!というのを繰り返す!!
睡眠が7時間を切るとパフォーマンスが劇的に落ちるタイプのため!ここ数日の普段より1時間遅く寝て30分早く起きる生活が響いているらしい!!
眠たいのに寝てはいけないことがすごく苦しい!!
洋服を叩きつけて大声を出したい気分になる!
なにかやってやりたいのになにもできずその場に座り込み床の一点を見つめる!
思っていた以上に疲れがたまっている!!
もうやだだめだむりだと呟いていたが!呟いても現状は変わらないだけだと自身を叱咤し風呂掃除をする!
風呂場の窓を開けたために流れ込んでくる外気と!大好きな塩素系洗剤の匂いに少し正気を取り戻す!!
旅の同行者が出発は昼からでいいと連絡をくれたので!持っていくものと明日やることをリストアップし寝ることにする!
泣くひまがあるなら早く寝たほうがいい!!
はてなブックマークのホッテントリでは「おすすめな◯◯十選」だとか
まあそんな感じの記事を頻繁に目にする。
なぜだろう。
一見すると、「節ごとに小分けしてある分、リストアップ形式の記事は読みやすい」というのはなんとなく妥当性がある気がする。
はてして本当にそうか?
短さとわかりやすさが比例するのであれば、俳句などは究極的に読みやすい文章のはずだ。
百歩譲ってリストアップ形式が究極的に読みやすい記事の形式であったとしても、可読性が高伝導率を保証してくれるとはかぎらない。
ひとつは「オススメな◯◯」の◯◯に該当するブツを一つずつ並列に紹介していく拡散方式、
もうひとつは「△△が□□である理由」の□□を並べて△△を説明していく収斂方式だ。
後者は「結論を先に明示して後から理由を説明する」という論文の執筆作法に則っている。常に「何について説明されているか」が明白なため、比較的わかりやすい。欠点はエンタメ性の欠如だ。結論部が先に来てしまいサプライズが期待できないのもあるが、構造そのものが説明のためのものであるので、書いてる側の意識も自然、事務的に、説明的になりやすい。
万人が興味を持つような題材を取り上げているという自信を持てない場合は、刑事コロンボのように折々にフックを作ってスリリングさを保つしかない。
一方でリストアップ形式の大半を占める拡散方式は書いてる側の意識が足らないと、記事に一貫性を欠く。ダメなNAVERまとめやtogetterが読みにくい原因がコレだ。
「私の好きな◯◯10選」といった貴様の好きなものリスト系は特にこの罠に陥りやすい。
とはいえ、たとえ記事に一貫性がなくとも読者は10選のなかから勝手に自分にフィットするブツを見つけて言及するものだ。
たとえば、映画のリスト記事だったら、他の九作品が読者の琴線にまったく触れずとも、最後の一個で言及したくなるようにさせればそれでブクマがつく。
そう考えると、ブログの記事には有用性もリーダビリティも一貫性も必要とされていないのかもしれない。
あるいは記事に書いてあることの一割も理解してもらう必要すらないのだ。
ブクマ界隈において特に重要なのは、ブクマカが一言口を挟みたくなるフックが用意されているかどうかだ。
リストアップ形式の記事がホッテントリにあがりやすいのは「フックの数が多い」の他に、
ためであると思われる。
お笑いバラエティで「笑いどころ」にテロップや笑い声が示されるようなもので
ついさっき田舎者の災難にあったところ。
映像は経費が発生するそれなりの仕事だったが、地元の小学校に寄贈するというので公益性を考慮し格安(15000円)で納品した。
女は2年前に納品した映像を小学校に寄贈せず店に放置していたという。
その映像を、こんど新築した土産物屋でタダで流させろ、さらに名前と目的は明かせないがダビングさせろ、音声データをよこせ、プレゼンにつかわせろと言ってきた。
早急に小学校に寄贈すること、営利施設での無料使用はみとめられない、使用するならあらたな契約が必要、意図が不明なダビングは許可できない、音声データは渡さない、内部プレゼンで資料として1回程度上映するのかかまわない、と伝えた。
ほんとにもう、田舎は低脳で非常識で恥知らずの寄生虫みたいなのばかりだ。
痴呆創生。
アホみたいに散らかってる
もちろんホコリは積もり放題
買ったマンガも積みっぱなし
新しい物が乗っかっていつの間にかまたななめになってる
ちまちま買われたフィギュアもガシャポンもやっぱり出しっぱなしだよ
私がこういうの嫌いなのは、
全然目に入ってないの?
どうせ使うのは2割がいいとこ
貰い物ってむずかしいよね
お礼の品物送り出しても、もらった物は放置プレイ
食べない物は賞味期限切れ待ち
そのプチプチとっておくの?
もうダン箱ひと箱分あるのに??
饅頭怖いどころじゃない
「丁度良さそう」と思われるとつぶされずにどんどん溜まってく
空のままだから、あっと言う間に嵩んでく
「片付けに使うんだ」
「なにかに使うかもしれないから」
その調子10年は聞いてるかな
でもダン箱捨てたって文句言われてないってことは気づいてないのかな
私も気づかれないよう、ちょっとづつ捨ててるけど
あれは失敗だったかな
箱の上にまた物を置くんだね
TVガイド誌たまってる
パッと見一年分はあるよね?
そこにあるのは去年のジャンプ?
紙ゴミ毎月出してるよ
切り抜きしないと捨てられないの?
新聞も片付けたら、切り抜くつもりだったって言ってたね
まだまだまだまだまだ溜め込みたいんだね
でもやめたら二度とはしないからね?
ラストまで観てないアニメ作品、数えきれないけどもうすぐまた新シーズン
観たい映画がたくさんあるんだね
ドラマもずっと好きだね
いつ観るの?いつ観るの?
考えただけでめまいがしそう
一枚はあんなに薄いのにどんどんどんどん山になってく山山山
沢山容量入るはずなのに、どんどんどんどん……
嵩張って嵩張ってHDDの前がふさがってリモコンの電波が届かない
そういえばそのブルーレイそれっきり観てないな
なんだか観る気がなくなっちゃった
ホコリ被るのが嫌だったんだもん
履きつぶした部屋履きどうする?
この冬履いてなかったよね
2年はそこに置いてある
あなたのいい所はモノを買うのにためらいがないところ
私は欲しい物も迷ってなかなか決められない
そうしてるうちになんだか買い逃しちゃう
除湿器はまあまあ使ったけど
前に使ったのはいつだっけ?
た ま - に使うのにいきなり回すから驚くよ
そのホコリ全部飛び散ってる
クッション型の筋トレグッズ
2回くらい使ってたかな?
買ってきたけど置きっぱなし
まんがしまうんじゃなかったの?
そっちにもこっちにも積まれた本は形が崩れてななめになってる
あなたに本が貸せなくなったのは
貸しても返ってこなくなったし
私は本が大事なんです
あなたの悪い所は物を捨てられない所
再生は多分できるかもだけど、
こんなのいる人いないでしょ
捨てるしかなくない?
こないだ洗ったの去年の夏物
勝手に洗っちゃっおうか
今年もゴキブリ出たね
「散らかしててごめん」
だから私は何も言わない
あなたも初めのうちは私と一緒に言ってるよね
「信じられない、汚い」って
全然罵れないじゃない!
そのうちあなたはポツリいう「ひとの事言えないけど」
一緒に楽しくののしろう!
そこまで言うか?っていうくらい蔑みたいの!
私の邪魔をするくらいなら、
反省しないで黙ってみててよ!!
まっすぐにいこう。 全15巻セット (集英社文庫―コミック版) きら
☆コミュニケイションのレッスン 鴻上 尚史
クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫) 若桑 みどり
日露戦争、資金調達の戦い―高橋是清と欧米バンカーたち (新潮選書) 板谷 敏彦
山本五十六 (下) (新潮文庫 (あ-3-4)) 阿川 弘之
心の力の魔術―驚くほどの富と幸福が得られる成功法則 ダビッド・J. シュワルツ
食卓からの経済学―ニュービジネスのヒントは「食欲」にあり (ノン・ブック―先見サラリーマン・シリーズ) 日下 公人
もろい青少年の心―自己愛の障害 発達臨床心理学的考察 (シリーズ 荒れる青少年の心) 上地 雄一郎
「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中―精神科医がおススメ 自殺予防のための10本の映画 高橋祥友
モテないのではない モテたくないのだ! ! (アクションコミックス) カラスヤ サトシ
もっと! Vol.4 2013年11月号 (増刊Eleganceイブ) 水沢悦子
ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944〈上〉 アドルフ・ヒトラー
しろうと理論―日常性の社会心理学 アドリアン・フランク ファーンハム
グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉 (ハヤカワ文庫JA) 飛 浩隆
☆ドイツ・フランス共通歴史教科書【現代史】 (世界の教科書シリーズ) ペーター ガイス
ドイツの歴史【現代史】 (世界の教科書シリーズ) ヴォルフガング イェーガー
ポストモラトリアム時代の若者たち (社会的排除を超えて) 村澤 和多里
☆言葉にして伝える技術――ソムリエの表現力(祥伝社新書214) 田崎真也
滅びの風 (ハヤカワ文庫JA) 栗本 薫
大日本サムライガール (星海社FICTIONS) 至道 流星
☆少女マンガの表現機構―ひらかれたマンガ表現史と「手塚治虫」 岩下 朋世
マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫) イタロ・カルヴィーノ
スティーブ・ジョブズ(1) (KCデラックス Kiss) ヤマザキ マリ
カリガリからヒットラーまで (1971年) ジークフリート・クラカウアー
物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン (朝日文庫) 大塚 英志
ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書) 荻上 チキ
アメリカの中学教科書で英語を学ぶ―ジュニア・ハイのテキストから英語が見えてくる (CD book) 林 功
☆☆「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか 鈴木 涼美
ぬばたま (新潮文庫) あさの あつこ
果てしなき渇き 深町 秋生
「わからんな」
「わかりませんか」
「わからん。犯人が『なぜ被害者の部屋にある本棚の本をすべて抜き取ったあと、また戻したか』についてはさっきの君の説明で納得いった。しかし、それでは肝心の犯人がわからんじゃないか。だれにでも出来る殺人だ。被疑者が絞れん」
「それがですね、実はこの本棚こそ犯人をピンポイントで指し示す、最大の証拠品なのですよ」
「どういうことだ」
「それを今から説明します。まずはこのプリントをご覧ください。これは被害者の読書履歴をリスト化したものです。読書メーターからとってきました」
「なかなか残酷なことをする……。なるほど、ミステリ好きという話は嘘じゃなかったみたいだな。翻訳ミステリの有名作がならんでおる。だが、これで何がわかると?」
「注目すべきはこの本です。江戸川乱歩編『世界短編傑作選3』」
「シリーズの三巻だけ読むのが奇妙だと? それはキミ、素人の浅はかだよ。アンソロは続き物じゃない。別に順を追って読む理由などないぞ」
「いいえ、警部。『三巻目であること』それ自体が重要なんです。これが『傑作選2』や『4』だけなら単なる被害者の気まぐれですんだでしょう。しかし、『3』だけ、となるとそうはいかない」
「何が言いたい?」
「もう一度、リストを点ではなく線で眺めてみてください。被害者が読んだ順に」
「『モルグ街の殺人事件』、『白衣の女』、『シャーロック・ホームズの冒険』、『ブラウン神父の童心』……傑作揃いだな。何の変哲もないミステリ読者だが……」
「"新潮文庫"の『モルグ街』、"岩波文庫"の『白衣の女』、"創元推理文庫"の『シャーロック・ホームズ』であることが重要なんです。それにしても、この並び、どこかでご覧になったことがありませんか?」
「ふむ、言われてみればどこかで……『お楽しみの埋葬』、『ジェゼベルの死』、『兄の殺人者』……『切断』? ああ、ポーターのか…………あ!!!」
「お気づきになられたようですね」
「こ、これは……法月綸太郎の『ミステリー塾 海外編』のマストリードリストとまったくおなじ……!」
「いかにも。被害者は法月先生のマストリードリストを律儀にも頭からなぞって読破していたのです。ほら、もっとリストをさかのぼってみて。妙に再読が多いでしょう。古典的名作ばかりなので最初はそれも然りと考えていましたが、種が明かされてみればなんてことない。
『東西ベスト』、『ミステリ・ハンドブック』、『海外マストリード100』……各所のマストリード、オールタイム・ベスト本のリストを手当たり次第に読み漁っていただけなのです。それも、きちんと順番を守ってね。ベスト本のメンツは、特に上位や定番ともなると重複しがちです」
「そうか、やけにホームズやポーやチェスタトンばかり何度も読んでるわけだ。旧訳の『ブラウン神父の童心』を短期間に繰り返し読むなんて、都筑道夫でなけりゃ修行僧くらいのもんだからな」
「もはやパラノイアの域に達していると言ってよいでしょう。ところで、おかしいとは思いませんか? こんな強迫症的な几帳面さを備えていた被害者なのに……この本棚は統一性に欠けている」
「そうか……綺麗に整頓された部屋に、きっちりと収まった本棚だったから一見しただけでは気付きにくかったが……」
「同じ列にポケミスとハヤカワのトールサイズと講談社文芸文庫と普通の単行本をいっしょくたにぶちこむなんて、ぼくですら怖気をおぼえますよ」
「部屋に入ったときの違和感……背筋を伝った悪寒の正体はこれだったのか」
「まともな美意識をもつ読書家なら耐えられない蛮行だ。被害者の性格を考えればなおさらです」
「となると犯人は、A.『被害者が几帳面な整頓好きであることを知っていた』。B.『しかし、読書家の生態には疎い』人物――」
「被害者の交友関係は属していた読書サークル関係に限られていました。本棚にむとんちゃくな読書家はいくらでもいますが、被害者の生態を知ったうえであえてこういう現場を残しはしないでしょう……ただ一人を除いて」
「……恋人、か」
「動機は容易に推察できます。事件当夜に聞こえた罵り合い、あれはおそらく、本を捨てようとした恋人とそれを止めようとした被害者の口論だったのでしょう」
「そうして揉み合ううちに……か。殺意はなかったんだろうな」
「ええ、事故です。恋人も恋人で日頃から被害者にアイドルオタ趣味を揶揄されてストレスが溜まっていたのでしょう。自分の世界に閉じ籠もって、本当の人間を理解しようとしなかったカップルの悲劇ですね」
「やれやれ……本棚にはじまって本棚に終わる、か。嫌な事件だったな……なあ、思うんだが」
「もし、この部屋に本棚さえなかったら、ですか?」
「そうだ……紙の本……大量の書物を収納するための本棚……。なあ、なぜ人は積ん読を犯してしまうんだろうな? なぜ文字を、知識を物理的に重ねて誇ろうとするのだろうな。
バベルの塔を知らぬわけでもあるまいに……」
「罪であるとわかっていても手をださずに入られない。それが人間の業です。アダムとイヴを知らぬわけでもないでしょう?」
「そうだな……わかっている……わかっているが……くそっ! やりきれない……」
「ぼくも同じ気持です……もし彼らがアレさえ持っていればと思うと」
「アレ? なんのことだ?」
「フフフ、これのことですよ(バッ」
「あ、黒いシルエットを燦然と穿つ青白い光!!!それは、君、『kindle voyage』じゃないか!」
「そうです! 『kindle voyage』は名機『paperwhite』の後継機かつ上位機種!!! この艶かしい小さなボディに数千冊を収納することが可能なんです!!!
さらに300ppiの高解像度ディスプレイを搭載! 紙の本と遜色ないリーダビリティ!!」
「なんてこった! 被害者もそれを買っていれば本棚なんていらなかった……事件も起きずにすんだ」
「起こってしまったことはもう変えようがありません……。しかし、新たな悲劇を防ぐことはできるはずです」
「そうだな。本好きを名乗るものならみんな『kindle』を持つべきだ。わたしもさっそく、注文するよ」
「僕たちは前を向いて歩いていかねばいけません、それと、オススメはwifi+3Gモデル。どこでもいつでもストアにアクセス&ダウンロードできて本体価格29180円と超お買い得です。充電アダプタは別売りなので注意してください!」
「アーティストは政治的主張を行うべきではない」、「作品で語れ」。
なにもかも職人偏重文化のせいだとおもう。与えられた枠内で技術を研ぎ澄まし、寡黙にプロダクトを作り続ける「職人」への憧憬。それをアーティストにも適用してしまったことがそもそもの悲劇だ。
日本のアーティストは根っこの部分で表現者であることを求められてはいない。製造者たれ、ということだ。なんだってプロダクト扱いしてしまうのだ。美術品は金銭に還元できるものであり、究極的にはコンビニで売っているヤマザキのクリームパンと等質であると信じて疑わない。
なので、先日のオリンピックエンブレム問題を見てもわかるとおり、高度に訓練されたデザイナーやデザインはリスペクトされない。
日本人の美意識は今後百年、楽天の通販サイトから一歩も前へ出ないだろう。
ところで「アーティストなら作品ですべてを語れ」という言説は一見かっこ良く、筋が通っているように思われる。
ひとつは、表現活動はストレートに言語化できない領域を扱っている場合が多い、ということ。
明確なテーマや社会的政治的なメッセージやイデオロギーが作品内で直截的に説明されている作品や作家も世の中にはある。
しかしエンターテイメントの分野においてはリーダビリティの都合上、そうした主張は糊塗されていることが多いし、アート作品ならばそもそも既存の言説言語では語りえない(表現者自体の言語能力はさておき)ことを表現したがったりする。
ありきたりな言葉でいえば、数行のセンテンスで説明できる内容ならそもそも小説や絵や漫画や映画や写真や音楽などにせず、論文なりtwitterなりで発表するはずだ。そして、現にそうしている作家も少なくない。政治的なアーティストたちは、単に媒体ごとで最適かつ合理的な伝達形態を選択しているにすぎない。
だというのに、バカは不合理を強いるのが好きだ。
もうひとつは、作者にはテーマが選ぶ自由がある、ということだ。
あなたが政治的なレベルでピーマン嫌いだとして、戦国時代を扱った作品でピーマンの栄養学的劣位を述べる必要はまずない。
表現者の義務は自分のすべてを伝えることではけしてない。むしろ、自分の要素のうち何を削ぎ落とすかが重要になってくる。これも伝達における最適化の問題だ。さきほども言ったように、簡単に言語化できる政治的言説を人びとに伝えたいのであれば、それはそのまま作品を通さずに主張するのが合理的なのだ。
ぎりぎりまで絞った作数を重ねるうちに、全体を通じてひとつ芯の通ったテーマが浮かび上がってくることもある。その芯は作家性とも呼ばれる。だが、残念なことに作家性はたいがい作家個人のコンプレックスやトラウマに直結している。社会性などない。
選ぶのは自由なので、もちろん、社会的なメッセージ、政治的なメッセージを作品を通じて生に近い状態であれオブラートにうまく包んであれ発信する作家も多い。それは彼らがそうした方が受け手に伝わりやすいと判断したからだ。やはりそれも作家個人における選択の問題であって、乱暴なアフォリズムで普遍化されるべきものではないんですよね。
自殺しようと思った。首吊り用に太いロープと大人のおむつを買った。だけどどうしても出来なかった。
だから今度は飛び降りようかと思ったけれど、周辺の高い建物はみんな屋上立ち入り禁止だった。
電車に飛び込もうかと思ったけれど、賠償金のことを考えると出来なかった。
富士の樹海まで行ってみたこともあるけれど、ヘタレだから奥まで行けずに逃げて帰って来てしまった。
そんな時だよ。同じメンヘラ仲間が面白いお店を見つけたんだって。『リング』って知ってるよな?
あの話は実は都市伝説に基づくものであって、本当に「呪いのヴィデオ」ってあるらしいんだよ。
ツテを辿って店主と交渉したら、今頃ヴィデオ・テープなんて珍しいから二十万もふんだくられたよ。
まあ仕方ないよな。このテのヴィデオ・テープなんてそう滅多に転がってるもんじゃないからな。
おれはそのヴィデオ・テープを観たんだ。ダビングされまくってるから砂嵐状態だったけれど。
そしてそのまま何ということもなくあっという間に一週間が過ぎた。
おれは風呂上がりだった。突然ついてないはずのテレビの電源がついたんだ。
来たな、とおれは思った。貞子様さま登場だ。これで終わりだ、ってね。
果たして貞子は現れた。画面に井戸の映像が流れた。粒子の粗い画像だった。
井戸からゆっくりと這い出して来たんだ。待った甲斐があったと思った。これでゆっくり死ねる。
貞子は画面越しにおれの方に現れて来た。前髪が長いので顔面が見えない。
瞳を見たら最期だ、そう思ってワクワクしていた。貞子はそっと呟いた。
「……怖くないの? 私が?」
おれは言った。「怖くないよ。ずっと待ってた」
そう言うと貞子は前髪を振り乱して叫んだ。
「なんでよみんなして!! 私がどれだけこの世を呪って死んだのか分からないの!?」
壁ドン。
「……ごめん、ここ壁薄いんだ」おれは謝った。
「でもそうじゃない」そう言って貞子は泣き出した。「最近だと『貞子3D』なんて上映しているじゃない」
「そうだな。おれは観たことないけど」
「画面から飛び出せないのが前提で私は飛び出すのよ? 『3D』なんて邪道じゃない?」
そう言って貞子はふと、おれの首筋をクンカクンカ嗅いだ。
「お風呂、入ったのね?」
「そうだけど」
「あの、迷惑じゃなければ、私も入らせて……汚しちゃうけど掃除はきちんとするから」
「いいとも」
その版おれたちは手を繋いで眠った。忌野清志郎の歌みたいに。
非モテのおれにとっては天にも昇る心地だった。だけど幸か不幸かおれは地上に居る。
ビニ本は買ったことはないが、普通のエロ本もコンビニのそれじゃない。
大きいけど少し汚いような本屋にあるようなマニアックなエロ本だ。
お尻倶楽部とかSMなんとかとか。
そういうのが好きだった。
そしてやはりAV!!AVもあった。
完全無修正などをうたったAVが半分くらいを占める。
店の裏はヤクザが経営する雀荘だった。多分ここのオーナーもヤクザだろう。
高いがAVを買ってみた。無修正、小沢まどか。初めて買ったAVだ。
定価1万5000円のところ3000円。(当時は何故かやたらと定価だけ高いAVが多かった)
その後は友達の家に行ったので見れなかった。
って喜んでいた。
で、家帰ってから見た。
「……………。」
あの、ふつうにモザイク入ってるんですけど…画質悪いんだけどこれダビングだよね。ジャケットもコピーっぽいし…
少し大人になった。
ようで全く大人になっていなかった。
無修正と聞けば飛びつき、騙される。
変な裏ビデオのチラシが入っていれば電話して取り寄せる。こういうことの繰り返し。
飯島愛などたくさんあった。
こういうことを若い内に経験しているおかげで、無修正には嫌悪感がある。
今の海外の無修正サイトは画質、女優ともにマシにはなったがメーカーが作るAVとはクオリティに雲泥の差がある。
ただモザイクが無いだけだ。
ぼくは小さいころお金が好きだった。母子家庭で家が貧乏だったからだと思う。電気やガスを止めたり、おやつをうちだけ少なくしたり、母に徹夜で内職をさせる。不憫だ、子どもが不憫だと時おり、母を涙させる。そんなお金の力に引き寄せられたのかもしれない。
小学校二年生までのぼくの趣味は、おこづかいや、数少ない親戚から年に一度もらえるお年玉、たとえば数千円。それを両替機で崩すことだった。全部10円に。お金が増えるのがすきだった。受け皿に硬化が落ちてくる、あのジャラジャラッ、という音もすきだった。全部10円玉になると、店のおばちゃんに数十枚の銅色の硬化を渡した。きびすを返し両替機に銀色の硬化をまた突っ込んだ。繰り返し。迷惑なはなしである。
小学校三年生に上がると、その行為がまったく無意味だと悟った。今度は本当の意味でお金を増える方法をかんがえはじめた。勉強にも友達にもそれほど興味はなかった。
最初のぼくのビジネスは、自販機の小銭と落ちている空き瓶をあつめることだった。今はどうかしらないがその頃、一本あたり10円で特定のビンを買い取ってくれる駄菓子屋があった。たとえば、コカコーラ。スプライト。
二週間後には町内の自販機地図をつくり、近所の子どもたち数名を組織化してビジネスを拡大した。上がりは折半だ。軌道に乗った矢先、浮浪者のボスに一喝されてそのビジネスはご破産となった。
次は自販機ビジネスの資本をもって、今でいう「せどり」に挑戦した。カメレオンクラブ、キャンプ、わんぱくこぞう、遊コン。情報化前夜の昭和末期。ゲームカセットの買取価格と販売価格が逆転している商品をしらみつぶしに探しては、他の店に売りとばした。これも仲のよい同級生を組織化した。仕入れの費用がない場合はぼくが肩代わりした。が、ただ、店舗が密集しているわけではなかったので、仕入れの問題であまりうまく行かなかった。そのうち同種のカセットの買取に制限つきはじめた。息の短い商売だった。
中学生になってやったのがパソコン通信のログ取得代行する、というサービスだった。今思うととこれは犯罪だったかもしれない。Nifty-serveやPC-BANの規約はもう見れないので許してほしい。日夜マニアックな議論が繰り広げられる大手パソコン通信サイトのログをダウンロードしては草の根BBSで知り合ったおにーさん達に高値で売りつけた。ただのテキストが垂涎の情報となる時代があったのだ。
小さな商売としては、ビックリマンシールの仲買。発売日前に週刊少年ジャンプが並ぶ店を見つけて手に入れ時間貸し。CDのダビングを手伝ったりした。もちろん牛乳配達や新聞配達もやった。
最後にやったのはパチンコだった。本当はアルバイトをしたかった。が、中学生を雇ってくれる福祉的なビジネスマンを当時のぼくにみつけることはできなかった。ぼくの世代には一時期これで食べていた人が多いと思う。といってもぼくが中学生の頃なので、羽根物・権利物・フィーバー機など釘の甘い台をみつけては打ち止めにする。という同世代のパチスロプロより1つ前の世代だった。あからさまな中坊がパチンコ屋に来ても見て見ぬふりをしてくれる、牧歌的な時代だった。LUNA SEAが有線放送でよく流れていた。軍艦マーチももちろん流れていた。
そうしてぼくは晴れて16歳になり、まっとうに労働を金銭と交換し、またそれの再生産を繰りかえす立場となった。
ぼくはなるべくして中卒になった。1つも願書を出していない。
義務教育、学校に行く理由がまったくわからなかった。お金を稼ぐ事以外世界に意味がないと思っていた。だれも勉強をする理由を教えてくれなかった。貧乏な家の親、多くの市井の公立小学校の先生にはそれを子どもに説明する能力が、ない。ぼくも30をすぎてようやく勉強をする理由を先人の言葉を使って説明できるようになったくらいだから、無理もない。
高校へ通うには学費が多くかかると知った。これも進学しなかった理由の一つだ。さすがに15歳の僕にもわかる。母親の稼ぎだけで四人の年子が高校に行くのは不可能なことを。ぼくが行けても下の弟二人はきっと中卒だろう。
中学三年の担任は、進路相談でぼくが進学しないというと、とりあえずその場をなあなあで済ませた。その後、考えをあらためさせるべくぼく親友、山根を狩り出した。ぼくの説得を試みたのだ。まったく進学しない中卒は珍しかったらしい。無論、とりつくシマもなく断った。二人の目には、ぼくの事が、世界中を敵だと考え怯える、野生児のように見えたと思う。そんな目をぼくはしていた。
その後、労働でお金を稼ぐことより、お金を作る仕組みのほうに興味を捨てられなくて、自分で商売を始めるんだけど、それはまた別の話。
いきなり浅田次郎の『お腹召しませ』の跋から引用するんだけど「貴き母国語の司祭たる小説家は、その記す言葉の一句一行に責任を負わなければならぬ」って、これなかなかカッコイイこと言ってるけれども、浅田次郎の文章だってたいがいひどいときはある。語彙は豊富だけど脂っこすぎるから格調が損なわれちゃって、なんだか下品だなーって思っちゃう瞬間も多いよねってわりと共感してもらえると思うんだけどどう?
で、こういう話をしてると必ず横から口を出してくる手合いがいて、言うことには「最近の小説家は文章のレベルが低すぎる」。こういうやつには気をつけなきゃいけない、なにしろこいつはそんな侮蔑的なことを言いながらむかしの小説をあんまり読んでないからだ。たしかに百田尚樹はおそろしいくらい下手な文章を書くし、現在まで残ってるむかしの小説家の作品の多くはたしかに文章が上手くて、そのうえたとえば川端とか百閒とかの異常な怪物がぐーんと平均値を上げちゃってるもんだから勘違いする。ひどい文章を書く作家の作品は当然のように消費されただけで現在まで読み継がれてるものは本当に少ないってことくらい考えればわかるんじゃないの? 面白いことは否定しないけど、三十年後の子供が『永遠の0』とか『ビブリア古書堂の事件手帖』とか『容疑者Xの献身』とか読んでるわけないじゃん。だいたい残ってるひとでいってもひどい文章の作家ってのは残念ながらちゃんと存在していて、ほら太宰治とか田山花袋とか小林秀雄とか超ひどいじゃん。あ、でも内容は面白いと思うよ、田山花袋以外の2人はね。
まあ浅田次郎は「小説家なら上手な文章を書け!」とは言ってなくて、素直にちゃんと読むと「小説家の文章は日本語を使うひとにとってはお手本なんだから、せめて間違いのないように書かなきゃいけないなあ」って意味でしかないんだよね。だから話はもうとっくに逸れてるんだけど、なんか言いたいこと思い付いたから文章のうまいへたの話を続ける。
そもそも無機的な文章と小説の文章のうまいへたってぜんぜん別問題で、都市伝説レベルの話で好きなんだけどさ、三島由紀夫ってもともと官僚だったんだけどすぐ辞めたのね。ちゃんと東大出てたくせにぜんぜん仕事できなかったんだって。なんでかっていうと三島の書く文章がかっちりしすぎてて、官僚にとっての必須スキルである「余地を残す」文章を書くってことがまったくできなくて、まあ言ってみれば文章がうますぎて向いてなかったんだってさ。これはさすがに誰かが作った伝説というかいたずら話だと思うんだけど、三島の文章って異常に人工的でみっちりしてるから何となる「あーわかるー」ってなっちゃう。改めてなかなか好きな作り話だ。
たとえば誰だろう、最近でいうと朝吹真理子って年齢のわりに文章がうますぎてサラブレットってこういうことかあって感心するんだけど、このひとがふだんの小説やエッセイで使ってる文章で書いた報告書ってたぶん読みにくいよね。いや、なんでそこでひらがなつかうんだよって苦笑いしてる上司の図ってめっちゃ想像できてかなり笑える。だいたい文章(文学)ってのは芸術なんだから美しくなければ嘘でしょう? ってみんな大好き古井由吉先生も松浦寿輝との往復書簡でさらって書いてたけれど、まあそこまで大上段からカッコイイことは言えないけれども、まあ言ってることはわかるじゃん?
芸術なんだから判断は割れちゃうんだよ。日本人はフェルメールが好きってよく言われるし、高校生はなぜか「はしか」のようにラッセンを好きになっちゃう時期を迎えるものだけど、美醜の基準なんてひとによって違って当たり前なのよ。モーツァルトとサリエリの格付けは「アマデウス」がしちゃったけど、ヴェートーベンとシューベルトのどっちが上って難しくない? って書くと「おまえさっき太宰が下手だって言ってたじゃん!」とかひどいのになると「山田悠介! 山田悠介!」なんて連呼されちゃうんだけど、山田悠介はうまいへたじゃなくて「間違ってる」からダメだよ。とかいうと「保坂和志! 保坂和志!」って返ってきそうでキリがないのでいいわけをやめる。
何が言いたいかって実はまったくの逆で、それでも文章のうまいへたって、きっと存在してるんだよね。いや少なくとも自分のなかでは間違いなくあるんだよ。同じことを何回も言わないで済ませられるかとかね。何気ない言葉の選び方とか、リズムとか句読点の位置とか改行のタイミングとか語順とかセンテンスの長さとかほんといろーんな要素が絡み合いすぎてて、たとえばリーダビリティって文章のうまさに入るのって言われちゃうともう答えはまったく出ない。でも個人的には入らないと思ってるって結論だけはちゃんとあるんだ。
そろそろみんな気付いてると思うけれども自分なりにうまい文章を書きたくて書きたくて、読み返して「わあ、おれって文章うめーじゃん!」って思いたくて自分なりに努力してきたんだけどまったくダメで、下手でどうしようもない文章なんだけど文章を書くのは好きで、だから深夜にこんな下らない長文を書いてストレスを発散しているんだけど、まーまず間違いなくこの文章は読み返さないよね。ひどいから。
文章書くのってなんていうか心地よい行為だと思うし、こんなところに文章書いてるくらいだからみんなもきっと文章を書くことが好きで、だからさー、なんていうのかな、小説家とか関係なくってこうやって日常的に文章を書いているおれたちなんかはさ、上手な文章を書きたいなっていう欲求を誰しも持っているんじゃないかって思うし、その欲求には忠実になってもいいと思うんだよね。
あー、文章うまくなりてーなー。