はてなキーワード: ぼんやりとは
・子供の頃、猛吹雪の中で親が運転する車の助手席に乗っていたときに車が豪快にスリップして対向車線にまっしぐら
・小学校高学年の頃、親に連れられて川釣りに行った時、気がついたら川の向こう側にいた。川の流れは早く足元は藻でぬめぬめ。コケたら死んでた
・高校2年の時、起きしなにゲップしたら何かが食道に詰まって呼吸できなくなった
・高校3年の時、お布団の中で寝れないなあと思いながらぼんやり天井を見つめてたら腹の方から白い手が伸びてきて首を締めてきた
・一人暮らしの部屋を探しに不動産屋に行き、物件の説明を受けているときに東日本大震災
・20歳の時、急性胃腸炎かなんかでおなかピー。ピーすぎて病院に行けなかった。10分毎にクソが出た。しかも当時は酷い手湿疹があったため、手足の湿疹全域からネバネバした液体が出てきて大変だった
そうか、もう何年も死にかけてないんだなあ…
文具メーカーA社がシャープペンシルの新商品を開発し、販売した。
販売開始してしばらくすると、消費者からシャープペンシルが爆発するという苦情が届いた。
A社は自社内で製品の調査をするので、消費者センターや警察への通報は待ってほしいと顧客に伝えた。
1ヶ月が経過しても、A社から顧客への説明は無い。それどころか、爆発するという事実を隠蔽したまま販売を続けた。
痺れを切らした消費者はSNSで事の顛末を発表。瞬く間に拡散し、A社は自社HP内で言い訳じみた声明文をアップ。肝心の爆発の原因については不明瞭なままで、製品の仕様の調査結果についてもぼんやりとした書き方をしている。当該製品はこれからも販売を続けるらしい。
今回のNGTの一件を企業の行動として置き換えてみたけど、結構難しい。いろいろ我ながらツッコミどころはあるけれど(被害者を消費者に置き換えてしまったこととか)、もっといい表現を思いついた人は是非教えてほしい。
アイドルって、すごく乱暴な言い方をすると商品そのもの。メーカーは商品に問題があったときに嘘の調査報告するんだろうか?そんなの許されるんだろうか。
問題があったのに、責任逃れに徹するなんて企業としてありえないと思うけれどね。
刑事事件にもなりうるし。
ってとこまで書いてたところ、サンジャポで須田亜香里が今回の事件について言及してるのが目に入った。
必ずしも運営側だけの責任ではなく、アイドルとして品格に欠けるメンバーの責任でもあるって言ってた。
確かになーと一瞬思ったけど、よく考えたら品格に欠けるメンバーを世に送り出してるのが運営。アイドル一人ひとりが独立して自営業みたいに活動してるなら話は別だけど、NGTは運営会社が挟まってる。
須田亜香里が言ってるのは、悪いのは会社側ではなく粗悪な商品そのものってことでは。
それってどうなの。
大人(≒インターネット)は嘘つきだ。悪意があるかどうかは知らない。無能なだけかもしれない。
「努力が足りない」だの、「成功には努力が必須」だの言った口で「完璧を求めなくていい」とか「6割で良しとする」とか言ってるわけだけど
それをいちいち真に受ける僕のような純真な子供はそういう言説を見るたびにストレスと苦悩で人生を塗りつぶしていく。
偉い人の説教に従わなければ不幸になると思っている従順な子供は大人の思いつきに振り回されることについていけず、そのことを思いかねて自ら命を断ってしまうかもしれない。
結果だの努力だのそういう問題じゃない。僕はムカついているんだ。大人のいい加減な説教に支配されることに。
そしてタイトルに見合わない内容をついつい書いてしまう未熟な自分自身に。
それはさておき、結果と努力という言葉がありますが、この言葉だけに拘泥するのはやめよう。もっと原始的なこと、つまり、金が欲しいという高次の欲求ではなく、生きたい、生活したいというのもまだ高次。もっと低次元の、目の前の事柄を自分の裁量でコントロールしたい、これだ。努力して結果を出すというのもコントロールの一種だが、努力というものが何なのかぼんやりしすぎていて結果をコントロールできない。タイトルに沿っていえば、仕事は少ないコストででかい利益を出すことが肝要だ。努力をこれでもかとぶち込んで利益をひねり出すようでは話にならないのである。ブラック企業が労働者を使い捨てにする分にはいいのだろうけど。
例えば自分の手を見る。指を曲げてみる。曲がった?じゃあコントロール成功だ。その指は君のコントロール下にある。喜びに打ち震えてびっくりするほどユートピア。
ものすごくざっくり丸投げしておいて、とりあえず返したら違うっていうタイプいるよね。
自分の中の「当たり」のイメージを説明できないくせに、こっちがひたすらその本人すらぼんやりした「当たり」を返すまで数だけ投げさせる総括者のやつ。クリエイターの仕事のくせに消費者タイプっていうのか。
このタイプの反論はこうだ「そこまで自分が決めるなら君に頼む意味ないじゃん。自分でかけってこと?」
手に負えないよね。そのやり方が不可とはいわないけど、その場合、時間と経費がいくらでも構わない、って条件でないと無理だ。
こういうタイプには深く考えて返すだけ無駄で、ひたすら思いつきを雑に数だけ返しておいて、本人が締め切りでギブアップするのを待つしかない感じ。
「そうじゃないって言われても、明日締切ですよね。いまから関係各所に確認とって調整できますか?もうこれでいきますよ。これ以上はこちらでは無理です。」「…OK」
こんな感じ。
良いことした気になってるから、だらだら長いけど聞いて欲しい。
増田で書いたことあるけど、私乳がんの既往があるから定期的に検診受けてるんだ。
再発しにくいタイプだし、新しく出来ることはあっても手術したがんについてはそんなに不安ではない。
がんのせいで治療が出来ない不具合が出てしんどいけど、乳の病院で出来ることはないから、先生にしんどいよーって話をするだけのために病院行ってる。
先生楽しい人だし、お喋りたくさん聞いてくれるから待ち時間は長いけど大好きなんだ。
だからその日もぼんやりスマホいじりながら待ってたら、少し離れたところで告知されたてほやほやの女性が看護師さんから治療の説明受けてるのに気付いた。
こんな外待合で話すの?と思わないでもないけど、気になってチラチラ見てたんだ。
相づちは打つけど、心ここにあらずな感じ。
あれは数年前の私か。そう思ったらすごく苦しくなってきて、励ましたくなってきた。旦那さんも一緒にいるのにそんなお節介にも程があるようなことを思ったんだよ。
告知されたてのころの私、患者とのなれ合いとか反吐が出るぜと思ってたから。
誰にも奥まった部分での苦痛は言わずに終わらせてやるってどこかに思ってた。
抗がん剤を打つためにプチ入院を2回したんだけど、その2回とも親くらいの年齢のおばさんに話しかけられて、すごく癒されたんだ。
共感してもらえることはすごく励みになることに気付いた。
医師や看護師にこの薬の副作用は~って質問しても、そういうのはあんまり聞かない、とか、みんなこう言ってる、としか返ってこないの。
本人が病気になって同じ治療してるわけじゃないからわからないことも多いの。仕方ないけど。
患者も、不具合あるけど大変なことから順番に言ってたらついつい言い忘れたりとか、治療のせいと思ってないから言わないでいたりっていうことが多いから伝わらないのよ。
だけど、患者同士だと妙にわかり合えることが多くて、すごく勉強になった。
だから、その女性を見てあのおばさまたちに励まされたことを思い出して、何か私にも役に立てるんじゃないかってすごく胸がザワザワしたんだ。
いきなり知らない人間から傷心の時に話しかけられるの鬱陶しいかなってすごく葛藤した。
でも、でも、あれは私なんだ。
そう思ったらいてもたっても居られなくなって、つい近寄って声をかけてしまった。
私も、同じ病気なんです。術後数年経ちます。他人事と思えなくて声をかけてしまいました。すみません。
向こうも驚いてたけど、お話ししていくと段々顔が明るくなってきてね。
旦那さんも途方に暮れてたような顔してたのが、何だか安心で泣きそうになっちゃってて、うんうん、って何も言わずに頷いてくれてるの。
奥さん、今の気持ちとか、仕事はどうしてたかとか、どんどん質問してきてくれて、私が答える度に噛み締めるように受け止めてくれて、元気が出てきたってお礼言ってくれたんだよ。
お節介かな、鬱陶しいかなって躊躇したけど、思い切って声かけて良かったなあ。
私と同じ主治医にかかるみたいだから、あの先生優しくて良いですよって言っておいた。
その患者さん、先生と看護師さんに、私と話して気持ちが楽になったし、前向きに治療する元気が出たって言ってくれたらしい。
私の診察の時に、先生と看護師さんからすごく感謝してもらっちゃった。
若い女性の方からって聞いたから絶対〇〇ちゃんや~んって思ったよ、ありがとー、と先生はいつものゆるゆるな感じでお礼言ってくれた。
看護師さんには結構真面目な感じで、どうしても医療従事者の説明は伝聞でしかないから上手く届かない、話しかけてくれてありがとうって感謝された。
私今もずっと体調悪いから全然幸せじゃないんだけど、それ聞いてひとときの充足感が得られたよ。
相手が好意的に受け取ってくれたから良かっただけって思わないでもないんだけど、彼女の苦痛をほんの少しでも和らげることが出来たんだと思うと少し誇らしいの。
ちなみに、一番良いアドバイスできたなって思うのは脱毛について。
周りからまた生えてくるよって慰められるの、鬱陶しいんだ。また生えてくる云々は理解してるけど、フサフサなとこなら一気にいくと、今生えてないことが悲しいし惨めな気持ちになるんだ。
だからウィッグを良いものにしてると自尊心が保たれるし、事情知ってる周りからウィッグすごいって褒めてもらえて嬉しいよって言っておいた。
脱毛については何言われても鬱々とするんだけど、上司(頭髪が残り少ない)に「お前生えてくるかも知れないけど俺はもう二度と生えねーんだからな」と、言われたときだけは逆にすみませんっつって元気になっちゃったんだよ。
このエピソードを伝えたら、彼女めっちゃ笑って、元気出たって言ってた。
回復不可能な人も良い医療用ウィッグおすすめする。最近のは本当にわからないよ。
こんなとこでしか言えないから自慢させてね。私の自己満足なお話。
お目汚し失礼しました。
ただ、何をして働くべきか思案している。
私の好きな友人たちや私の好きなものたちは、私に学歴や高収入を必ずしも要求しないのだ。
私は食や職人の技術が好きだ。だからそれに関わるのであれば今の大学院というキャリアはあまり必要ない。
もっと早くに自分を見つめて、その道へはいるべきだったのではないか。
その道へ向かう友人たちに私は嫉妬している。
その勇気、その才能、その判断を取りうる環境のすべてに、私は嫉妬している。
私にもそれの環境がなかったわけではないはずなのに。
不安定な人生を恐れるがあまり、本当に好きな物から遠ざかりすぎた・・・ような気がしている。
ぼんやり、ぼんやりとした人生への不安の冷気が胸の奥からこみあげて、心臓を握りつぶそうとしている。
こう見えても私は一見しては人当たりがいい方で、誰の目にもこんな不安を感じているタイプには見えないだろうし、だれもこんな姿を知らない。
別に今のまま予定通りにいくならば、会社員になる事くらいなら困ることはないだろうとは思う。
だが、そんな私を、私の愛したものたちは、ただの会社員になった私を、愛してくれるのだろうか。
夢に向かってリスクを負い続ける彼らに、私は笑われないだろうか。
彼らと同じ目線でいられなくなったり、彼らと対等に話せなくなってしまうことがものすごく恐ろしい。
あんなまぶしい友人たちに恵まれた私は、もうすぐ、置いて行かれてしまうのだろうか。
ただ、ただ、そんなことが不安で、今日も一人で冷えた飯を食うしかできない私を、私は少し嫌に思った。
はきだし
瞬を女性キャラ化した作り手のもう男だけで戦う時代じゃないという言葉に対して海外ファンがセーラームーンの画像をあげたって話を見てこの前の男の子プリキュアを思い出した
去年男の子のプリキュアという話題に"子供の価値観に影響するのに子供向け作品は多様性のなさが続いてきた""やっとプリキュアから変わる兆し""女児向けだけじゃなく男児向けもそうなっていけば"的な戦隊やライダーと比較しての内容が散見されてそれは普段偏見や思い込みやステレオタイプでものを判断することの恐さや知ることの大切さでジェンダーを語る勢界隈のみなさまのツイートでもありそこに人間の一種の業を見たようで軽くだけどもそこそこの衝撃を受けた
男の子がプリキュアになれるようになったそのことに対して挙げられていたのが戦隊のレッドがリーダーサポート役にされるピンク弱い女性を守る男性としてのライダーといった特撮ヒーロー像でまた加えて女は魔法で戦う魔法は女が使うもの的な偏った女性像を今に残す(としている)魔法少女作品への苦言のようなものでありさながらおっいつの時代の話してんだ?というような様相でそれらからそのみなさまが少なくともスーパーヒーロータイムにテレビの前にいないであろうことは想像に難くなくそしてその自覚もあられるはずでだけどもそんな自分の持つ子供作品像が像として客観的に語れるほどの経験に即したものではないという前提でもって"今に至るまでの子供作品"をよく知らないはずの世界のことを主観による感想や意見としてでなくその世界の"事実"として嘆き"偏見の影響や知るということへのきっかけの重要さ"で説くその姿の皮肉さに人間どうにもならねえことはどうにもならねえんだなあというある意味人間への絶望のようなものを垣間見たようなそんな気になったし単純に興味深くも思った
興味深かったのはそういえばと自分の一番古い戦隊の記憶でさえ既に"女性はピンク"じゃなかったことに思い至ったからでもあり確認したら最初にピンクじゃない女性戦士が生まれたのは紅一点がシリーズではなく作品毎の個性となったのと同じ1985年女性戦士にピンクがいない戦隊が1988年レッドじゃないはじめてのリーダー鶴姫が1994年シンケンジャーが2009年でそして"女の子っぽさ""かわいらしさ"は弱さではないと示した桃園ミキちゃんは1982年だった
ちなみにタックルちゃんは1975年女性ライダーが生まれた龍騎は2002年で15年以上前で当時映画館行ったけどそんな前でしたかね・・・というきもちに包まれた
彼女たちの存在はか弱い女性をヒーローが守るそれは"男性が強く""女性は弱い"なんて役割だけに駆られたものじゃなく"個"として大きな力を与えられたものの責任や矜持からであると証明し体言し続けるものでありというかむしろ大きな力に対して正しくあろうと考え悩み倒れ打ちのめされたとえその力が手から離れたとしても確かに力強く立ち上がりより強くあろうとするそんな全てのヒーローが尊いと思うんですよ私は(早口)
ただ好きなだけの自分の思い出とくわしくもない浅い記憶を照らしてもその程度は思い当たるところを考えると呆けたように口開けて見ていたブルースワットもシュシュトリアンも多様性という面では多くの歩みの中のひとつとして少しずつでも前に進んでいるその象徴でもあったのかなあだとか魔法少女たちにしても思い返せば今では女の子の定型として語られるそれらもその時代時代にして桃園ミキちゃんのように女の子という概念を強さとしてまたお転婆なんて気にしないわというような奔放な女の子像を投影して肯定的に強くキラキラと描くことで象徴としての姿を獲得して今に至るわけで家庭環境なんかの描き方や当然価値観も時勢において変化していて今回のプリキュアも劇的な快挙というより歩みを重ねての自然な結果だったのかもなあとかそんなことを考えていたのを聖闘士星矢の話で思い出したのだった
また性別においての役割に対する自分の意識の薄さは子供の頃から作品によってどちらの性別が戦う姿も守られる姿も目にしていてそれが影響しているからかもしれないなんてことも思ってもいてそれは恐らく多様性が語られる上でここ最近で名前あがりがちなブラックパンサーやクレイジーリッチやオーシャンズ8が一方の肌の色や性別のバランスだけから見るとむしろひと昔前の"白人""男性のそれと変わらないというようなそれとも関係していてそれは矛盾じゃなくそれこそが多様性におけるまさにカウンターパンチであり同時に今では偏っているとされる過去の作品群をもそのまま個性として肯定し内包し得る可能性を持ってもいて作品内をただ多様化することを是とするだけでは過去のまた例に挙げた作品でさえふるい落としかねないことからそこに加える形で全体の中で既存の価値観ありきで同じ方法論をとることで多様性の雄となった認知と許容のパイを増やすそのやり方はいくらもたくましく見えるように思えるしそこでの聖闘士星矢に対するセーラームーンでセーラームーンとあげだまで同じチャンネルで続いて流れる戦隊でライダーでなぎさとほのかでふたりはプリキュアでニチアサなんじゃないのかと思ったのだった
問題なのは作品の中で一定の立場の人間が偏って役割につくことではなく作品を越えたところでの役割においての共通する偏りで必要なのは一方の価値観を描くことの優劣や是非を問うことではなくどちらもが個性として選択、許容されるということを示すことでだからこそ今回のプリキュアで男の子が、イレギュラー的であっても戦隊レッドが仮面ライダーが女性でも"なれる"と示されたことはそれぞれのシリーズ史において前述したような主人公がその性別であることからの役割だけではなく作品やシリーズとしての"個性"として存在しているというのを改めて示すものでもありそれはきっと大きなことなのかもなあというようなことをぼんやりと雑煮を食べながら考えたので記念に文字にしたのであった
おいしかった
馬鹿な恋だった。恋といえるかもわからない。私はまだ高校生で、思春期にありがちな思い込みとか憧れを恋情に取り違えてるだとか人付き合いに慣れてないから感情の整理がついていないのだとか、そういう理屈付けなんていくらでもできてしまえる。
私は今すごく落ち込んでいて、突発的にツイッターで見かけた匿名ブログを思い出してここに登録してこんなものを書いてるくらい気持ちが混乱しているから、きっと文章もぐちゃぐちゃで長くなると思う。時間泥棒。ごめんなさい。
よくある話。相手は同性だった。高校一年の時、本当に最初。入学式の列に並んでいるときに私から話しかけた。振り向いて、その目の大きいのと日に焼けた肌とポニーテールがかわいいのと、一目でころんと恋に落ちてしまった。
声が掠れてて低いこと。背が私より13センチも低いこと。誕生日もこっそり知ってる。同じ中学で絵が上手くて、メガネで華奢な幼馴染によく甘えている。好きな人にはスキンシップが激しい。ズケズケとものを言って、態度がはっきりしている。そこが、可愛くてしかたなかった。
高校一年の時の私は、正直友人がいなかった。グループには居たけれど、ギャルを気取る中間グループでなんとなく馴染めなかった。放課後、バスで皆が話してる中ひとりでうつむいて携帯をいじってるのも嫌で、図書室でぼんやり過ごして、部活のある生徒以外はほぼ帰宅したであろう頃合いに帰る。なんかもうひたすら中学の頃に戻りたかった。親友と遊ぶ約束でも取り付けようかな。そう思ったとき。
「あ、ばいばい!」って、バスケ部のマネージャーだったあの子が声をかけてくれた。
彼女と私は同じグループじゃない。あまり話したこともない。私がただ一方的に見てるだけ。
幼馴染に甘えてる姿に嫉妬した。私があの子だったらいいのに。クラスメイトの女の子にも寄りかかっていた。私があの子だったらいいのに。私と仲良くなって欲しかった。ろくに会話したこともないくせに。会話に耳をそばだてて誕生日とか好きな漫画とか把握して、本当、一歩間違えればストーカー。自分でもキモいと思う。
でも女なんてこんなことよくあることで、女友達の女友達に嫉妬とかは私だって何回もあった。だからもう、本当にこの気持ちがなんなのかわからない。ぐちゃぐちゃ。便宜上、恋って呼んでるけど、混沌としててわけがわからない。認めたくない。
高2になってクラスが離れた。それでも選択授業が一緒で、机が近かった。すこしだけ、週に二時間しかないその授業の間。私は彼女と話せた。同じ趣味を持っていたから、ちゃんと話すことはできたしそれなりに会話も弾んだと思う。
ただ私が勝手に緊張してしまって変な応答をしてしまって、どうにも上手くいかなかった。
高3。またまた選択授業がかぶった。彼女と話すのに緊張しなくなった。ううん、緊張するけど、その緊張にも慣れてきた。
このあたりから、じつは私のこの感情は恋ではないのでは?と思うようになってきた。緊張が消えたから。女が女に恋をするなんておかしいから。世間一般だと偏見はよくないって言われてるし、皆それに賛同するけど、それが身近になったら話は変わってくるでしょ?
彼女に、初めて誕生日プレゼントを贈った。賞味期限切れのゴディバ。ゴディバなんて重いけど、賞味期限が近かったのと従業員割引で500円だった。だからいいかなと思って、贈った。彼女は笑いながら受け取ってくれた。
九月。文化祭は忙しくて会えなかったけど、体育祭では話しかけられた。私はこのとき初めて、ツーショもどき(彼女は写真嫌いなのに、私が無理やり写真撮った。光が差し込んでるしちょっとブレてる)を手に入れた。彼女と好きな漫画の話をした。幸せだった。
10、11。最高に幸せ。今までで一番よく話した。私の誕生日にくれたのはアニメのグッズを手に入れるために買ったコンビニのチョコだったけど、それでもいい。嬉しい。私の受験の時には頑張れって言ってくれた。うれしい。しあわせ。
12月は特にない。飛んで今。きょう。始業式。
「あけおめ。3学期もよろしく。今年もよろしくはしない。高校卒業したら縁切る。ラインもブロックするから」
そんな感じの内容の、笑いながらの冗談。冗談。私も「薄情だなぁ」って笑った。かなしい。かなしい。悲しくてしかたなかった。
彼女の発言に傷ついたのもある。ああ、高校を卒業しても友人でいたいと思えるほどの仲じゃないんだなって。冗談だとしても。
ううん。冗談じゃない。本当だろうなと思った。彼女が私のラインをブロックしようがしまいが、私と彼女の人生が交わるのはあと一ヶ月だけだ。
そんで高校を卒業して、大学生になって忙しくなっていつのまにか一年とか二年くらい経ってて、ふとあんな子いたなって思い出すだけの存在になるんだ。それも、私の方がきっと強く鮮烈に覚えているんだ。彼女はきっと、私のことを忘れる。思い出しやしない。
悔しい。悲しい。意味がわからない。泣きたくてしかたないのに、誰にも話せない。
あのときばいばいって言ってくれて嬉しかった。本当に嬉しかった。
横からしか見たことなかった笑顔を、真正面からみれて嬉しかった。
掠れたハスキーな声が好きで、笑うと普段より高くなる声が好きで、私よりずっと低い身長がすきで、すきで、サバサバした性格もすきで、好きなのに、なんかもう怒りに似た感情すらでてきて。
私は馬鹿な恋をした。距離を三年かけて縮めて、三年後にリセットされて終わり。馬鹿だった。可能性があったら告白するのに。縁を切らせてやらないのに。忘れさせてなんてやらないのに。
でも私は彼女の好きなタイプを知っている。天然でおっとりした、声の低くて運動神経抜群の男の人。正反対。くそったれ。
友情だったらよかったのに。尊敬を取り違えてるんだったらよかったのに。私が彼女の幼馴染だったらよかったのに。
私が女でよかった。
とても寝れないので月の爆撃機について書かせて欲しい。
俺はブルーハーツの月の爆撃機って曲がめちゃくちゃ好きだ。この曲の歌詞は(個人的な解釈だが)絶対に譲れない男の中の一線を歌っているようでたまらない。古い表現かもしれないがシビれる。
歌詞の中の「薄い月明かり」は、個々の持つこだわりや譲れないポイントなんだと思う。
そういう心の中の明確に表現しえない「自分の在り方」をぼんやりと照らす月明かりになぞらえているんだと思う。
だから、「友達も恋人も入れない」譲れない一線を照らすのが「薄い月明かり」で
だから、「どんな風に逃げようか、全ては幻と笑おうか」と諭す自分の思考が「薄い月明かり」なんだと思う。
普段の自分は、自分の深淵にある白い月に照らし出された影なんだと思う。
だからこそ、普段の自分がどんなに悩んでも、そのルーツとなる「薄い月明かり」が不変だから「僕らの行く道は変わらない」んだと思う。
それは俺たち皆に適用されることで、色んな選択肢に苦しめられても、取るべき答えは自分のやりたいことでいいんだぞって訴えてるんだと思う。
自分の人生に向き合って、色んな選択肢に悩まされた時、「手掛かりになるのは 薄い月明かり」なんだと思った。
寝ます。
突然湧き上がる疑問。
ツイッターでタイムラインが盛り上がってる時、デパートで買い物している客をぼんやり眺めている時、なにもせずベッドに寝転んでぼーっとしている時。
誰かに必要とはされてないだろうし、自分が特別な技能を持っている訳では無いから、多分答えはNOなんだと思う。
でも、私はここにいるから不思議だ。意味が無いのにここにいる。無駄だなあ。
ここにいるのをやめるには命を絶つのが1番なんだろうけど、残念ながら私にはその度胸がない。無駄な存在がいるなあと思いながら生きるしかない。
これを書きながら、私は誰かに「貴方にはここにいていい理由がありますよ」と言われたいだけなのかもしれないと思った。
40代の女性が書いた文章がTLにホッテントリとして流れて来たので読んだ
筆者は1度結婚は経験されていて(離婚している)記事を読んでも結構モテる人のようだ
自分はというと結婚の予定もなく一緒に暮らしている相手とはほとんどルームメイトのようになっている
結婚せず独り身でいること、他社と生活をともにできないことは社会の迷惑らしい
それなら例えば40で独身で社会的に価値がない(医者とか仕事で価値がある人は除く)
人は片っ端からころすようなルールにしてほしいなとぼんやり思った
今30だが多分結婚して子どもを産むという未来は自分には来ない気がするから
北大の人がいたので懐かしくなって自分も書いてみたが、どうやら消してしまったらしい。勿体ない。
だがまぁ見かけたので僕も自分語りなどしてみようと思う。もう20年は前の話なので話半分程度に聞いて欲しい。あ、とくに受験に役立つ話とかは無いです。自分語りのみです。
成績は良い方だったが先生にウケがいい方だったかというと別にそういうわけでもない。虐められていたわけでもないが、自分にはよく分からない理由でからかわれることがあった。
当時は少し不思議がる程度だったのだが、今にして思えばクラスの中でも割と、いやかなり浮いていたのだとは思う。
成績はトップクラスで運動もできた(サッカー部で足が速かった)から大事に至らなかっただけで、先生にも同級生にも興味が無く、他人を不快にさせても気付かず、いつもぼんやりとしていて一人遊びが好きな子供だったらしい。昔、母親に「あんたは自分が虐められていても気付かなそう」と言われたことを今でも覚えているが、つまりはそういう子供だったようだ。今でも他人の心が分からないのは変わっておらず、割と苦労することが多い。
暢気な性格であり、行く高校も学区内で近くて偏差値が高いところ(親が文句を言わないところ)であればいい、と思っていた。滑り止めも受ける気がなかったので調べもしなかった。今なら分かるが、そういうとこやぞ。
その上適当でも受かるのが分かっていたので真面目に受験勉強もしていなかったところ、みかねた両親からとにかくお前はもっと偏差値の高いところを一校受けろ、と言われ学芸大附属高校を受けることになった。
自主学習では限界があるということで近くの塾にも行ったが、バイトの大学生の先生に過去問を見せても的確な解説が帰ってくるでもなく困った様子だった。そこで使っていた教材とのレベル差も大概だったしまぁ仕方ない。というかそこはあくまで学校の授業について行けない生徒の補習的な個人塾だったようで、よく考えれば筋違いである。高難易度受験校に受かろうとするならそれ相応のところに行く必要があったはずだ。まぁ当時は僕も両親もそんなことはよく知らなかったし、塾ならどこでもいいだろう、という程度の発想しか無かった。
学芸大附属高校には当然かすりもせず、第一希望の公立高校に入学する。
世の中には自分と似たレベルあるいはそれ以上で勉強が出来る奴がいるんだなぁ、というのをようやく理解するが、この頃でも生来のぼんやりした性質は変わらずにのほほんと学校生活を過ごしていたらしい。変人の多い学校だったのであまり浮いていなかったようだがたぶん中学の時と余り変わっていなかったはずだ。
今でも覚えているのだが、廊下ですれ違った先生に挨拶をしながら「この人どこかで見た顔だな……」と思っていたが、よく考えたら一年間世界史の授業をしてくれた先生だった、という事があった。他人の顔や名前を覚えるのが苦手だと思っていたが、そもそも他人に興味が無いのだ、という事に気付かせてくれる出来事であった。今でも仕事で会う人の顔と名前が一致せずに苦労しているし、これはどうにもならないのだろう。
といっても例によって「まぁどこでもいいかな……」という感じだったのだが、両親から「国公立」「一人暮らし」「浪人は一回まで」という条件を出され、紆余曲折合って北大を志望することになった。
学校に進路相談をするでもなく、成績とのギャップに悩むでもなく、軽く決めたので相変わらずアレな性格だったらしい。
友人に東大を受ける奴がいて、そいつが天才だったので自分の分というのはよく分かっていた。数IIIの定期テストで理系コースの学年平均点が30点くらいだった(僕もそんなものだった)のに、そいつだけ満点近くを取っていたし、暇つぶしに数学の高難易度問題集をやるような奴だった。世界が違うなぁ、というのが正直なところだったから妬むこともなかった。
受ける模試はいいとこD判定(一度だけCが出た)、予備校には行ったが授業が身になった気はせず、もっぱら図書室や自習室でひたすら自習する日々であった。
どこに自信があったのかは知らないが、センターは何となく取れると思っていた。実際目標ラインの点数を取れた。
過去問を解いていても2次試験がイケる自信は全くなかったが、恐ろしいくらい焦ることがなかった。他人事のように淡々と勉強をし、まぁなんとかなるでしょ、と楽天的な構えを取っていた。……もっとも、この性質のツケは後で受け取ることになるのだが……
試験から帰ってきてから溜まっていたエロゲー(年齢がアレだがもう時効だと思うので勘弁していただきたい)をプレイして春休みを過ごし、ネットで合格通知を見ることになった。合格祝いに買って貰ったノートPCで月姫をプレイしたことを良く覚えている。
勉強法自体は特別なことは何もしなかった。テキストを読んでもよく分からなかったのでひたすら過去問を解いたことくらいだろうがそれだって目新しいことではないはずだ。
まぁ、北大程度の人間だから画期的な物を期待されても困る。そういうのは東大や京大に行った人達に任せておきたい。
【その後】
入ってからものほほんと過ごしていたところ、4年の時に8割受かるはずの院試に余裕で落ちて途方に暮れるという事になった。人生適当に過ごしていたことのツケをここで受けることになった……が、結果的には塞翁が馬という奴で何が幸で何が不幸かは分からない。
冬の再試験を受けるかそれとも今から就職活動するか、と教授に言われたが、どうやら自分にはアカデミックな才能は無さそうだ、というのに薄々気付いていたので就職活動をすることにした。人間にも物事にも興味が薄く執着の無い人間にとって研究の道はあきらかに向いていないのでこれは正解だったと思う。
といっても時期は既に秋、適当に一社だけ受けてダメなら就職浪人でもするか、と思っていたところを拾って貰い、そのまま就職して今に至る。
適当に選んだ会社だったが気付けば海外を飛び回ることになり営業のような技術のようなよく分からない仕事をしている。しんどいはしんどいしさっさと仕事辞めたいとは毎日思っているが、給料がそこそこいいので未だに辞められていない。
ソーシャルゲームに課金し、声優を追いかけ、両親に「あんた結婚は」と追い立てられる普通のヲタク人生を送っている。誰か結婚して下さい(
自分用まとめ。今年は力作が多かったけど、飛び抜けてヘンテコな増田は少なかった印象。
04/03 昨日の夜 ちょっと気がかりなことがあって、 ぼんやり家を出て家族との待..
06/04 ファミマのフラッペ飲んで泣いた話
08/08 台風おじさん
09/01 35000人の前で人生最大のピンチに陥ったB'z稲葉氏を見れて良かった。
11/27 昨日、吉野家で横に座ったおっちゃんに声をかけられた
12/07 糸偏がヘタクソだった
2016/05/10 大腸内視鏡検査日記・う○こを漏らす君に伝えたい事
2017/05/10 卵巣のう腫の手術から1年経ったから、経過と感想をダラダラ書く。
03/06 貧血で倒れた
05/18 素人だけど倒れた人に心臓マッサージしたから知見を共有する
07/05 自然派の友人のアソコ
09/03 長年連れ添ってきたバイブが、溶けた。
増田文学100選
http://nogreenplace.hateblo.jp/entry/2018/12/20/183000
上級国民や上級労働者の家庭以外で過保護はある種「虐待」なのかも知れない
せやで?
ただし貰えるものはもらいましょ
障害枠で入ってたか、一般枠で入ってたか知らんがいずれにせよ、「労働裁判で勝てるヤツ」やね
仕事ができなかった故人
・・・なんておらんかったやん?
本日は12月31日。残念ながらカウコンには席はご用意されず自宅のコタツでぬくぬくの大晦日、そんな何てことのない一年の終わりのはずだ。
でもその胸のうちは少しだけ違う。終わりが近づいているのである。
正式に発表されたのはいつだっただろうか。確かニート×3の公開一週間後だったはずだから11月の末、それはとても突然で、でもなんとなく覚悟していた内容だった。その内容とはみゅーとを含むLove-t全員の退所報告だった。正確に言えばニート組以外の5人の当日をもっての退所報告とみゅーとの今年をもっての、安井の年度末をもっての退所予告であった。
すぐに悲しいという感情は湧いてこなくて、やっとかという印象とJr.でもちゃんと発表されるんだという驚き。そちらの感情が先行してきた。なんならやっとらぶが潰れたと思ってしまう自分もいて底意地の悪いやつだと自分で自分にがっかりする。でもそれが正直な感想。
結局わたしは最初から最後までらぶが好きになれなかった。ずっと怖かった。わたしは渡辺担でトラジャのみゅーとくんを応援してきたから。
そう思って好きになれなかった。むしろ嫌いだった。
もちろんメンバー個人個人を見ればむしろ好きなメンバーの方が多かったけどどうしてもそう思ってしまっていた。でもそういった感情が生まれてしまうのはらぶができた経緯を考えれば致し方のないことのようにも思う。もちろんそれを攻撃材料にするとこは許されないけど。
これを書きながら思うことはやはり私のなかでの森田美勇人は去年の夏に終わっていたんだなということ。
それはそれで悲しい。
発表されてからしばらくなるべく別の方向に気を向けて考えないようにしていたような気もする。どんな風に踊るかもどんな風に歌うかも少しずつ忘れていくんだろうとぼんやり思っていたけれど、先日のYouTubeでわたなべくんがひかるのことをいわもっちゃんと呼んだり、8時だJで翼のバックで踊るトラジャをみて、思わずみゅーとくんのことを思い浮かべた。ああ、みゅーとくんの呼び方だ、なんで翼のバックに居ないの?って。
たぶんずっと忘れないんだと思う。些細なことできっと君のことを思い出す。
思い出す度にきっと悲しい気持ちにはなるけれどそれはわたしがみゅーとくんが好きで応援してきた証だ。
12月30日、年内最後のジャニアイの見学にみゅーとくんが来たようだ。
とらじゃもすのーまんもみゅーとくんに構っていたようでわたなべくんやひかるにいたってはステージ上から合図したりしていたらしい。もういわみゅもなべみゅものえみゅも見れないんだなとまた悲しくなった。レポでいつもの大口あけて笑ってたってかかれていてその表情がそのまま思い浮かべることができて嬉しいんだか悲しいんだかわからなかった。
結局文章を纏めることもできないまま大晦日、森田美勇人、ジャニーズとして最後の日を迎えてしまった。退所の発表からこの日まで本当にあっという間だった。まだ素直に次のステップで頑張って何て言えない。出来ることなら事務所に残ってよ…って思ってしまう。でもきっと本人は気持ちを切り替えているんだろう。
頑張ってとは言えないけど君の幸せを心から願っています。事務所に入ってから13年、長い間お疲れ様でした。ありがとう。大好きだったよ。
出産は大変です命がけですって言われる度に、では出産を望む事の正しさとは一体何だろうと考えてしまう。
自分の命、あるいは自分にとって大切な存在であるはずの女性の命を危険にさらして、
血を流し、体にダメージを負わせて、一体何を欲しているのだろうか。
産むのが当たり前であるという同調圧力とか、ぼんやりとした幸せな家族のイメージとか
子どもが可愛い(自我の発達しておらず、時には残酷な行為をする(例、虫を殺して笑う等)生き物を可愛いと思う感覚は私にはわからない。
人間の本質を見せつけられてるようで怖いとすら思ったりもするが...)
といったなんとなくしたイメージで産んでるだけで、
みんな自分が何を欲してるのかさえよくわかっていないんじゃないだろうか。
何を欲してるのか、何が手に入るのかさえわからない中、
資源や命を犠牲にてこの生殖という名の戦争を続けるくらいなら、私は無条件降伏したい。
(生殖をやめると言うのはあらゆる可能性も奪うことでもあるから、生まれてきた子どもが可哀想、(=未来永劫不幸であるだろう)