大人(≒インターネット)は嘘つきだ。悪意があるかどうかは知らない。無能なだけかもしれない。
「努力が足りない」だの、「成功には努力が必須」だの言った口で「完璧を求めなくていい」とか「6割で良しとする」とか言ってるわけだけど
それをいちいち真に受ける僕のような純真な子供はそういう言説を見るたびにストレスと苦悩で人生を塗りつぶしていく。
偉い人の説教に従わなければ不幸になると思っている従順な子供は大人の思いつきに振り回されることについていけず、そのことを思いかねて自ら命を断ってしまうかもしれない。
結果だの努力だのそういう問題じゃない。僕はムカついているんだ。大人のいい加減な説教に支配されることに。
そしてタイトルに見合わない内容をついつい書いてしまう未熟な自分自身に。
それはさておき、結果と努力という言葉がありますが、この言葉だけに拘泥するのはやめよう。もっと原始的なこと、つまり、金が欲しいという高次の欲求ではなく、生きたい、生活したいというのもまだ高次。もっと低次元の、目の前の事柄を自分の裁量でコントロールしたい、これだ。努力して結果を出すというのもコントロールの一種だが、努力というものが何なのかぼんやりしすぎていて結果をコントロールできない。タイトルに沿っていえば、仕事は少ないコストででかい利益を出すことが肝要だ。努力をこれでもかとぶち込んで利益をひねり出すようでは話にならないのである。ブラック企業が労働者を使い捨てにする分にはいいのだろうけど。
例えば自分の手を見る。指を曲げてみる。曲がった?じゃあコントロール成功だ。その指は君のコントロール下にある。喜びに打ち震えてびっくりするほどユートピア。
頑張る意味のあることと、頑張る意味のないことがあって、それを見分けるのも能力。 頑張る意味がないから他人に押し付けよう、あるいは、ババを押し付けようというやつなんか世の...