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はてなキーワード: スーパーヒーロータイムとは

2019-01-08

Netflix聖闘士星矢プリキュア特撮の感慨と映画多様性の長いなんか

瞬を女性キャラ化した作り手のもう男だけで戦う時代じゃないという言葉に対して海外ファンセーラームーン画像をあげたって話を見てこの前の男の子プリキュアを思い出した

去年男の子プリキュアという話題に"子供価値観に影響するのに子供向け作品多様性のなさが続いてきた""やっとプリキュアから変わる兆し""女児向けだけじゃなく男児向けもそうなっていけば"的な戦隊ライダー比較しての内容が散見されてそれは普段偏見思い込みステレオタイプもの判断することの恐さや知ることの大切さでジェンダーを語る勢界隈のみなさまのツイートでもありそこに人間一種の業を見たようで軽くだけどもそこそこの衝撃を受けた

男の子プリキュアになれるようになったそのことに対して挙げられていたのが戦隊レッドリーダーサポート役にされるピンク弱い女性を守る男性としてのライダーといった特撮ヒーロー像でまた加えて女は魔法で戦う魔法は女が使うもの的な偏った女性像を今に残す(としている)魔法少女作品への苦言のようなものありさながらおっいつの時代の話してんだ?というような様相でそれらからそのみなさまが少なくともスーパーヒーロータイムテレビの前にいないであろうことは想像に難くなくそしてその自覚あられるはずでだけどもそんな自分の持つ子供作品像が像として客観的に語れるほどの経験に即したものではないという前提でもって"今に至るまでの子作品"をよく知らないはずの世界のことを主観による感想意見としてでなくそ世界の"事実"として嘆き"偏見の影響や知るということへのきっかけの重要さ"で説くその姿の皮肉さに人間どうにもならねえことはどうにもならねえんだなあというある意味人間への絶望のようなもの垣間見たようなそんな気になったし単純に興味深くも思った

恨み節ではあるけれどそれ自体が良い悪いという話ではない)

興味深かったのはそういえばと自分の一番古い戦隊記憶でさえ既に"女性ピンク"じゃなかったことに思い至ったからでもあり確認したら最初ピンクじゃない女性戦士が生まれたのは紅一点がシリーズではなく作品毎の個性となったのと同じ1985年女性戦士ピンクがいない戦隊1988年レッドじゃないはじめてのリーダー鶴姫が1994年シンケンジャー2009年でそして"女の子っぽさ""かわいらしさ"は弱さではないと示した桃園ミキちゃん1982年だった

ちなみにタックルちゃん1975年女性ライダーが生まれ龍騎2002年で15年以上前で当時映画館行ったけどそんな前でしたかね・・・というきもちに包まれ

彼女たちの存在はか弱い女性ヒーローが守るそれは"男性が強く""女性は弱い"なんて役割だけに駆られたものじゃなく"個"として大きな力を与えられたもの責任矜持からである証明体言し続けるものでありというかむしろ大きな力に対して正しくあろうと考え悩み倒れ打ちのめされたとえその力が手から離れたとしても確かに力強く立ち上がりより強くあろうとするそんな全てのヒーロー尊いと思うんですよ私は(早口

ただ好きなだけの自分の思い出とくわしくもない浅い記憶を照らしてもその程度は思い当たるところを考えると呆けたように口開けて見ていたブルースワットシュシュトリアンも多様性という面では多くの歩みの中のひとつとして少しずつでも前に進んでいるその象徴でもあったのかなあだとか魔法少女たちにしても思い返せば今では女の子定型として語られるそれらもその時代時代にして桃園ミキちゃんのように女の子という概念を強さとしてまたお転婆なんて気にしないわというような奔放な女の子像を投影して肯定的に強くキラキラと描くことで象徴としての姿を獲得して今に至るわけで家庭環境なんかの描き方や当然価値観も時勢において変化していて今回のプリキュアも劇的な快挙というより歩みを重ねての自然な結果だったのかもなあとかそんなことを考えていたのを聖闘士星矢の話で思い出したのだった

また性別においての役割に対する自分意識の薄さは子供の頃から作品によってどちらの性別が戦う姿も守られる姿も目にしていてそれが影響しているからかもしれないなんてことも思ってもいてそれは恐らく多様性が語られる上でここ最近名前あがりがちなブラックパンサークレイジーリッチオーシャンズ8が一方の肌の色や性別バランスだけから見るとむしろひと昔前の"白人""男性のそれと変わらないというようなそれとも関係していてそれは矛盾じゃなくそれこそが多様性におけるまさにカウンターパンチであり同時に今では偏っているとされる過去作品群をもそのまま個性として肯定内包し得る可能性を持ってもいて作品内をただ多様化することを是とするだけでは過去のまた例に挙げた作品でさえふるい落としかねないことからそこに加える形で全体の中で既存価値観ありきで同じ方法論をとることで多様性の雄となった認知と許容のパイを増やすそのやり方はいくらもたくましく見えるように思えるしそこでの聖闘士星矢に対するセーラームーンセーラームーンあげだまで同じチャンネルで続いて流れる戦隊ライダーなぎさほのかふたりはプリキュアニチアサなんじゃないのかと思ったのだった

問題なのは作品の中で一定立場人間が偏って役割につくことではなく作品を越えたところでの役割においての共通する偏りで必要なのは一方の価値観を描くことの優劣や是非を問うことではなくどちらもが個性として選択、許容されるということを示すことでだからこそ今回のプリキュア男の子が、イレギュラー的であっても戦隊レッド仮面ライダー女性でも"なれる"と示されたことはそれぞれのシリーズ史において前述したような主人公がその性別であることから役割だけではなく作品シリーズとしての"個性"として存在しているというのを改めて示すものでもありそれはきっと大きなことなのかもなあというようなことをぼんやり雑煮を食べながら考えたので記念に文字にしたのであった

雑煮白味噌だった

おいしかった

おしまい

リュウソウジャーとてもたのし

2018-05-17

anond:20180515145320

オフトピだけど

の子パーソナルデータとして「プリキュアとかの魔法少女が好き」ってあって

ニチアサが好きってのは見たが、「プリキュアとかの魔法少女が好き」というのは見たことがない(実際ゲームプレイしてみると、戦隊ヒーローに憧れてる描写がある)

なにかとごっちゃになっていないだろうか(あるいはニチアサと聞いて「スーパーヒーロータイム」のことではなく「プリキュア」と思い込んだのではないか

2017-11-08

アニメ範囲広すぎ問題

実際アニメってもっと細かく分類できると思うんだ。

教師が生徒に「本を読みなさい」っていうのはあくまでも図書室にあるような本のことをいうけど、「本」ってカテゴリーエロ本やらも含むわけじゃん。

コメンテーターが「アニメを見ているやつが犯罪を起こす」っていっても、多分コメンテーターは「ジブリ」とか「ディズニー」の事、また「君の名は。」みたいなのを含まないアニメのこといってるでしょ。

だったらもっと、細かく細かく分類した方がいいと思うんだよね。あれだ、主語が大きすぎる問題

とりあえずこれからアニメっていうとき時間帯かシチュエーション指定していおうぜ。

映画アニメジブリディズニー、「君の名は。」など)

深夜アニメ(萌オタ用)

ニチアサアニメスーパーヒーロータイム

夕方アニメ少年誌アニメ

こんなかんじで

2015-09-21

スーパーヒーロータイムならぬスーパー人生タイムですか

気付けばこんな歳になりました。まぁ、25も越えてやりたいこと見つかんねーとか言ってる間に無職です。今はバイトで食いつないでますね。全然シフトはいってないけど。

それでも何とか家賃ぐらいは支払えるレベルなのでやっていけてるわーなんて勘違いしてる。

まぁ、エリート増田からすれば『今すぐ死んだほうがいいレベル』なのかもしれないけれど、今すぐ死んでも後々死んでも一緒っていうか利益が発生してるなら後々死んだほうが良いかもなァなんて言いながら生きてます。ほぼ死んでます

どうしてこうなったんやろうなぁ、なんて底辺Youtuberとか見ながら思うけど、いずれ自分もそれと同じくらいどっちつかずな存在になるんだろうな。クソだなぁ。

今出来ることなんて無いよ、なんて頭の中の自分がぼやいてるけど、今できることなんて腐るほどあるんだってことは理性では理解してるんだなぁ。本能は「バイトの金入ったら競馬で一攫千金じゃ!!」なんて言ってるけど、絶対それも上手くいきませんし。

 

何がしてぇんだろ。人生さぼりてぇのかな。

こうなってくると人生は金じゃないっていうのがよーく理解できる。金、資産があれば人生選択肢は増えるけど、頭の中の自分はどの選択肢にもNOと言い出す。

芸術方面は稼げないから当然NO、でも現場で働くってのも出来るけどできるだけNO、パソコン関係仕事スキルが無いからNO、NO!NO!NO!

 

わかってる、今やれば多分どこへでもいけるんだって。最悪自転車に乗って日本一周とかかな。この歳になって自分探し。いいかもしれねぇ。

でも物理的などこへでもいくは昔からやってきた。その度に「俺何やってんだろう」って言ってきたんだ。

から、少しでも物理じゃない方のどこへでも行けるようにやっていこうって、今更思うんです。

 

この話のオチは数年してまた増田にでもなって書いてんじゃねえかな。

2008-11-30

今どき仮面ライダーを見るのは別の意味でみっともないと思ってしまう

はてダに、

という記事があったのだけれど、これを読んで、そう言えば平成ライダー見ている人は本当に少なくなったなあということに思い至った。

ぼくは、毎日サークルで新入部員とよくおしゃべりをしているのだけれど、最近は「昨日、キバで次狼さんがさ」なんて平成ライダーの話題を持ち出す人というのをとんと見かけない。特に若い人ほどそうだ。

よく出るのはやっぱりYouTubeとかニコニコ動画で仕入れてきた話題だ。一番はゴッドマンとか東映スパイダーマンの話だ。ハヌマーンがどうしたとか、ウルトラファイトみたいな円谷の話題を持ち出す人もいる。

次によく見るのが昭和ライダーの話で、ライスピかS.I.C.から入った人も見る。これはけっこういい歳をした大人も話題にのってくる。普通の勤め人が「ライダー必殺技キックしか認めない」「悪のライダーなんて論外」とか熱弁したりして、昭和ライダーの素晴らしさが広く一般に普及しているというのがあれを見るとよく分かる。

それからたまにゴジラの復活を望んだり牙狼などの深夜作品を例に出して本来特撮は大人のものだと語ったり、あるいは宇宙船バックナンバーを読んで知ったマイナー特撮の知識を持ち出す人を見かけるのだけれど、平成ライダーの話をする人というのはほとんど見かけなくなった。

かく言うぼくは、昔は本当に仮面ライダーを見た。特に学生の頃は、朝から晩までライダー漬けだった。

その頃のぼくは、ほぼ毎日、もう何百回も見たお気に入りのシーンをコマ送りで再生して、大野剣友会殺陣コピーするのが習慣となっていた。当時、ぼくはサークルの先輩と一緒に暮らしていたのだけれど、彼はどちらかと言えばライダー戦隊に否定的で、崇高な特撮ファンがジャリ番ばっかりを見るのは、みっともないと言って眉をひそめた。そうしてぼくには、この時代はまだロクにビデオリリースされてないからぎりぎり許されるけど、大人になってまでまさか「日蓮蒙古大襲来」や「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」を見ないようなことはないよね?と、遠回しに釘を刺してくるようなところもあったりした。

しかしその頃のぼくは、次世代メディアが普及して特撮オタク純粋な知識量が重宝されない時代になったらどうなるかなどというのはちっとも考えたりしなかったので、そんなふうに言われても、何かを思ったり考えたりすることはなかった。

それから長い歳月が過ぎて、東映はいつの間にか電王を三度も映画化していたのだが、気がついてみると、全くと言っていいほどライダーを見なくなっていたのである。つまり、先輩が望むような特撮オタに、一応はなれたわけだ。

ところで、ぼくがライダーを見ない理由は一つしかなくて、それは面白くないからである。ぼくは今、本当に見たい思える特撮ヒーローというのがほとんどなくて、最近の大人の鑑賞に堪えうる特撮ヒーローは「仮面ライダー響鬼」と「ウルトラマンネクサス」と「特捜戦隊デカレンジャー」だけだ。評論同人誌を作るなんて本当になくなった。だから、ネットや飲み屋で仮面ライダーディケイドのネタバレ画像を面白そうに語るオタを見かけると、「最近特撮ファンは……」とは思わないけれども、面白さの感性みたいなものは疑ってしまうのである。「どうしてあんなくだらないジャリ番に、貴重な時間を使えるのだろう?」と。

面白さなんて人それぞれという考え方もあるけれども、スーパーヒーロータイム視聴率は本当に落ちているらしいから、単純に「人それぞれ」で済まされる問題でもないと思う。どうひいき目に見たって、やっぱり今の平成ライダーは面白くなく、だから見る人が減ってるのだろうし、ぼくも見なくなったのだろう。

そういう意味で、いまだに平成ライダーを見ている人とか、そんなものを作るのに人生を賭けている人に対しては、「いい歳をして」という意味ではないのだが、面白さに鈍感な人だなあという意味では、やっぱり「みっともない」と思ってしまうところはあるのである。本当に便利なテンプレートだと思う。

関連

2006-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20060930172632

酒が入って目が覚めてきたのだが。

あと二時間は大丈夫かな。

その後仮眠して、スーパーヒーロータイムだよね(きらり

 
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