はてなキーワード: 地帯とは
先日開催された冬コミに3年ぶりに参加した。コロナ対応のためチケット制になり、入場者数がかつてと比べて減っていることを、情報として知ってはいた。知ってはいたんだが…。
しかしそれがここまでダイレクトに売り上げに直結するとは思わんかった。具体的に書くと三分の一くらいになった。へこむぜ。
8年前から冬コミで新刊を出して、それをチャンスがあれば文学フリマなんかに持ち込んで…というサイクルで参加していた。
刊行をそこにあわせているのもあるんだろうけど、やっぱり数を頒布できるのはコミケ。目を引く表紙にしていたこともあって結構ジャケ買いっぽい人に手に取ってもらえてた印象がある。
そんでTwitterの知り合いの人が20~30人くらい毎回きてて、その人たちにも手にとってもらえたりする。
ありがたいことに、継続しているうちにだんだん部数がはけるようになり、コロナ直前のコミケでは新刊をxxx部くらい頒布できていたのよ。
これ大手サークルとかと比べればみそっかすもいいところの数だとは思うんだけど、体感としてはxxx部頒布するってなると(開場直後、大手サークルに長蛇の列ができる1時間くらいを除いては)断続的に人がきて、まあぼちぼち対応していると終了時間になっている、という感じなので、結構「売れている」感がある。うれしいことに。
今回もだいたいxxxxくらい刷ってコミケで頒布、その後文フリとかで残りを…というサイクルを想定していたわけです。
甘かった。見通しが。人が来ないことの影響をもろに被った。
物理的に人がいるということが、増田のような零細サークルにとってめちゃくちゃデカかったんだと再認識した。
2019年の冬コミの累計入場者数が75万人(4日間開催)で今回が入場制限の結果18万人(2日間開催)だから、一日あたりの入場者数はだいたい半分くらいになっていると思うんだけど、まさにそれがダイレクトにきた。
知り合いもたぶんいつもの三分の一くらいしか会場には来なくて、ゆるいオフ会みたいな雰囲気もだいぶ減った。
批評を読むような層にとっては優先度がコミケ<文学フリマなのかなあ。確かに文学フリマは入場料タダだし、人もめっちゃくるようになっているみたいだし、昨年5月の文学フリマ東京はたしかにゆるいオフ会みたいな空気が継続している雰囲気はあった。
今回ははじめてBOOTHで通販もはじめてみて、意外と売れてるんで驚くんですが、それでもかつてのコミケでの頒布数には到底およばない。
やはり増田のような零細個人サークルを支えていたのは、偶然目にとめてもらった結果のジャケ買いなのだ。BOOTHでジャケ買いは発生しようがないからな。
たくさん売るためにやってるんじゃない。自分の納得したものをかたちにできたか否かが大事なのだ。
それでも、終了時間になっても在庫の山がうずたかく残っているのは、やっぱりつらかった。
会場の様子をふりかえってみると、相変わらず成人向けのあたりはわりとたくさん人がいて、まあ評論島はいつものとおり真空地帯だったんだが、真空ぶりに拍車がかかっていたんよな。成人向けのところも以前のような芋を洗うような混雑ぶりではなさそうだったし、知り合いにきいたところ、11時ごろには人気サークルはほぼ完売御礼で、最速の入場時間以外だと消化試合もいいところだったそうだ。
コミケで数を頒布できていたのは、ある種のおこぼれにあずかれていたが故だと今回強く実感しました。
でもそのおこぼれこそが全体としての即売会を(特に評論のような非メジャージャンルを)活性化させていたんです。
今年からはまた準備会の対応も変わってくるんでしょうが、入場制限のある限り、コミケは大手サークル以外には厳しい場所であり続けると思う。
以上、一参加者からの雑感でした。やり場のない気持ちを書き残したくてはじめて匿名ダイアリー使ったわ。
ほかの参加者からコロナ禍のコミケがどうみえていたのか、わたし気になります。
(追記)
こんな読まれると思ってなかったんで部数だけ隠しました!恥ずかしい!
yakitori-siro この増田は儲からなくて辛いんじゃなくて、トラフィックがないから「ちょっと興味があるかも」な層に手にとってもらうことすらできない、同好の士になりうる相手にリーチできない辛さを言ってるんだよね
これはほんとにその通りで、意を汲んでいただいて涙出ました。あと人が来ないと暇な時間が増えるんすよ。それが切実につらくかなしい。
いや。凄いわかるよ。今は知らんけど、昔は告知らしい告知も自分のアカウントでだけみたいな弱小評論でも、それなりに通りがかりに面白いと思って買ってくれる人が居たし。そこにコミケの価値があったよ。
評論なんて手間考えたら、元々合理的では無いんだから。手に取ってもらえる人数が減った事がメインの話なのに。知りもしないのに「電子にしろよ時代遅れ!」みたいな茶々は本当にゴロツキの言い草でしかない。そういうヤツがでかい顔している所がはてなのろくでもない所だよなぁ…
おわかりいただけてとってもうれしいです。まじで、「手に取ってもらえる人数が減った事がメインの話」なんすよ。それが金銭とどうしても関係しちゃうからめんどくせえあれが発生するとは思うんだけど…
https://twitter.com/wind_steed/status/1609957333576351745
前回に比べたら今回相当人の流れあったんだけど、適度に空いてるからコロナ前の倍以上の速度で人が移動してたんよ。その速度で移動してるとサークルに目を向けるのは無理。ポスターとかあっても無理。
あー、これ意識してなかったけど人がいないと人間の移動スピードあがるというのは確かにそうかも。
他、コロナで運動不足→体力減退で巡回できなくなっているとかはその発想はなかったんでおもしろかった。検証できるもんでもないし流石に妥当な推論とも思えないけど…。あとなんでもかんでも少子高齢化に結び付けるのはちょっと安易すぎでは?と思いつつ、参加者の高齢化はたしかにあるよね。
razik C99〜101までマイナー島でサークル参加してるけど、おおむね同じ感想。島自体が閑古鳥なのに周りが早めに撤収するから、後半は尚更人が来ないという負のスパイラルに陥っている。
odakaho 2日間とも行ったけど、午後入場だと過疎島回る時間が全くないのよ。15時くらいにはみんな撤収始めてるし・・。
そうそう、書き忘れたけどご指摘の通りサークルの撤収がめっちゃはやいんすよね。体感、15時くらいにはほぼおしまいの空気になってる。
いままでは、打ち上げでサークル参加組と合流するために非サークル参加の人もだらだら居残ってたりしたんだけど、まあ気楽に打ち上げというのもまだちょっと厳しいし、それならだらだらせずにさっと帰るわな。
ka-ka_xyz "今回ははじめてBOOTHで通販もはじめてみて、意外と売れてるんで驚くんですが" 評論島、通販してるとこが他のジャンルと比べて少ない気が。もっと通販して欲しいの。
これまではTwitterの知り合いには自家通販してたんですけど、BOOTH使ってみたら思いのほか手に取ってもらえてるんで、なんかいままですまんかった…という気持ちです。正直ここまでインフラみたいになってると思ってませんでした。pixivがあんまり影響力強めるのもよくないなとは思いつつ、やっぱクレカ決済とかできると楽ですもんね。頒布するほうも金銭トラブルを避けられるし、そこらへんの安心を手数料分で買ってるとおもえば、まあ仕方ないのかなあ、という気持ちになりつつあります。
amunku この増田はまだ見栄張ってるかもしれなくて今やほとんどの島中は参加費1万だして一部もはけない。買い手も金がないから大手しか見ない。コミケはアマチュア作家の祭りではなくなり大手と芸能人と企業のイベになった
「ほとんどの島中は参加費1万だして一部もはけない」はさすがに盛りすぎでは?「ほとんど」のサークルが一部もはけてなかったらさすがにみんなのむせび泣きが会場に響いてると思う。
deztecjp 以前の1/3ならxxx部程度かな。それだけ売れていても「大手サークル以外厳しいと思う」といわれると、「あー、そうですかー」な感想を持つ。人間は、すぐ高い水準が当たり前になって、満足するということを知らない。
三分の一に減ったことをショックだったっつってんの!xxx部でたから売れてんじゃんとかそういうのではないわけ。
IthacaChasma ずっと参加してる人によると、一昨年の冬の売上が一番悲惨で、去年の夏で少し回復、この冬はこれでも大分回復してきたらしい。夏はもっと入場できるようになると良いね。
たしかに一昨年は去年より入場絞ってること考えるとマジでやばそうですね。私個人のことを書いておくと、一昨年はコロナでそもそも中止になるんじゃないかと思って申し込みせず、また開催時の感染状況から一般参加も見送りました。
いちばん苦しい時期に逃げ出しといてなにいまさらつらいつらいいってんねんみたいな論評をみかけましたけど、この判断自体が不適当だったとは今でも思ってません。自分や家族の命を危険にさらすリスクを負ってまで「場の継続」に奉仕することは、ちょっとできない。つらい時期を支えたことを誇るのはいい。でもそれを他者をくさす道具として使うのはくそダサいですよ。
gooeyblob チケット制となるとかなり億劫度が高くなるよね 自分も完全に行く気無くしてしまった/評論系でxxx部って相当売れてる方じゃない?
おっしゃる通り、どちらかといえば売れているほうだと思います。マジで表紙に気合い入れてジャケ買いしてもらえるようにしてたので…
ジャケ買い狙いのようなことやってるから参加者減少の影響をダイレクトに受けてるだけじゃないの
ジャケ買い狙いなのに増減に一喜一憂できるの本気で謎なんだけど
中身で勝負すれ、中身で
ext3 評論をジャケ買いさせてる時点でなんか詐欺臭くないですかね?今まで騙せてたのが騙せなくなって正常なレベルに戻っただけでは?
あのですね、「目を惹く表紙であること」は、書籍を手に取ってもらうための必要条件だと思います。たくさん本が並んでるなかでまず入ってくる情報って表紙だけでしょ?
「中身で勝負すれ」って、まず中身に触れてもらえなきゃお話にならんわけ。表紙で興味をもってもらい、手に取って中身をみてもらえるかがまず超重要です。これは前提。
加えて、わざわざ批評を本という物質にするんだから、その物質がなにかしらの批評性をおびてよいわけで、すなわち「どのような表紙にするか」というのも一つの批評なの。「目を惹くこと」・「批評の内容を端的に象徴するようなものであること」、この二つの緊張関係のなかで表紙を設定することはまさしく批評的実践なのであって、だから増減に一喜一憂するのは批評的実践のある部分の成否がそこに託されているからなんですねえ。だから表紙も「中身」の一つといえる。表紙/中身などという単純な二分法を自明のものとする素朴さにやすらっているうちは、もう少し謙虚な態度でインターネットをなさったほうがよいかもしれませんね。
刷っても損しかないんだからnoteにとうこうとかでいいじゃん。
なんならそこに有料記事入れれば印刷と違って赤字0だし、金払うやつが可視化されて承認も満たされるだろ。
なぜわざんざ刷る?
あのねえ、書籍として物質化すること、そしてそれを誰かに手に取ってもらえることのうれしさを舐めすぎ。
きみもわざわざ刷ってみたらわかるよ。
https://twitter.com/puyotaroh/status/1609816866356342785
この評論サークル主の発言も、「これまで当日の偶然買いの成功体験に頼りすぎてて、事前のSNSでの告知を怠っていたのでは。そもそも普段からどんな批評本を書いてるか発信してたの?」との感想にしかならないんだよなぁ。
インターネット軍師、乙です!!!!!SNSで宣伝しとらんかったらコロナ前にxxx部も頒布できるわけねえやろがい!
それを踏まえたうえで、入場制限のせいで偶然性がもろに縮減していることの厳しさをいってるわけ。
https://twitter.com/soramimi__cake/status/1609867980325937152
この増田自体は(特にブコメに反応してる追記)大変嫌らしい書き振りで、こういう自分のノリに合わせてくれないとあからさまに不機嫌かつ見下しモードになるような人が表現活動(笑)から撤退していくなら日本の言論はなんぼかマシになるんじゃないかと思いましたまる
おめえ、コミケが思わしくなかったところでお気持ち表明してみたら雑言及の雨嵐を食らってんだから「不機嫌かつ見下しモード」にもなろうってもんですよ。こちとら匿名だしここでしか反論できないわけだからね。「表現活動(笑)から撤退していく」ことはないんで、そこんとこよろしく。
気持ち悪くなってくれてなにより。お前はインターネットで文章読むの向いてないよ。
https://twitter.com/taka_humo/status/1609916648844308481
ボクの知り合いのサークルは大手でも何でもない所でもしっかり完売してたし別に大手だから厳しい・厳しくないとかでないんじゃないかなあ(しかも1人は評論島)
「あの場の空気を楽しむ」って、もし全然頒布できなかったら地獄みてえな空気になると思うんだけど、それを楽しめるのはいかれたマゾかサイコ野郎だけやろがい!まったく手に取ってもらえなかったけど、コミケの空気が楽しめてよかったなあ、ってなるわけあるか!皆目見当違い!
空気を楽しむためにも手に取ってもらうためいろいろやったりするわけだし、コミケ自体が人たくさんいたほうが偶然性が高まって手に取ってもらいやすいでしょ。
大手の苦労とここで書いてる「そもそも手に取ってもらえなくなってる」厳しさは別問題でしょ?でかいお金を動かすシビアさから生じる問題の話をしているわけじゃない。それを関連づけちゃうのが豊かな想像力ってわけね。ファックユー!
まあタイトルはバズ狙いであれしたのは認めます。結果アテンション集めたからセーフ!
https://twitter.com/yellow_0918/status/1609889858520240128
バズろうとして滑り散らかした事をここに堂々と書ける精神も凄いし、隅から隅までキモ過ぎる文章の書き方や中身も含めて過去の栄光に縋ってるだけの老害にいつ気付けるんだろうという哀れみしか出てこない
既に400もブックマークついてんだから、「バズろうとして」るんじゃなくて現にバズってんだよタコ。文体含めての芸だからね。それで狙い通りバズらせたわたくしの力量を素直に称賛なさいな。こんなことくらい誰でもできらあってんならやってみなせえ。「キモ過ぎる文章」に「哀れみ」を表明せずにはおられなかったお前が「キモ過ぎる」し「哀れ」。
その他、脊髄反射でろくに読みもせずコメントするやつわらわらで引くわ。本を読みなさいね。
せっかくですし、わたくしからは蓮実重彦『映画からの解放―小津安二郎『麦秋』を見る』をおすすめしておきましょう。
予備校生向けの講演を書籍化した短いパンフレットですけど、わたしたちがいかに映画を「みそこなっているか」がわかる、とっても啓蒙的な本です。
思った以上に拡散してしまいましたが、これはわたくしの出した本がコロナ前より手に取ってもらえなくて悲しいな~以上のことではないです。そして「厳しいと思う」のは気持ちの問題以上のことではない。でもその気持ちこそがやっぱり大事なのだ。しょせん戯れにすることなのですから。
適当に書き散らかしたやつが長年やってるはてなブログと比べてあまりに簡単にアテンション集めるのでビビる。ビビります。はてなブックマーク、ほんといやなサービス!
気に入らないやつらに全レスしたろうかと思ったけど正月休みの使い方としてあまりに不毛なのでやめます。が、安全圏から石投げられんのも気に入らんので、適宜こちらからもボール投げ返すわね。
貼れるリンクの数に制限あるみたいだったんで、コメント返信続きは以下のエントリで。一部をこっちに移しました。
みたいのをさ、
何のソースも確認せずに「0じゃないからアウト~~~~。0とか思ってる奴はばか~~~~」って藁人形論法だけかまして調子づいてる人見るとレベル低すぎて本当辛くなるよね。
そこは、
を調べて
②電気自動車を1km走らせるのに必要な電力を火力発電で産み出した時のNOX排出量
を比較しないと駄目じゃん。
「②が0だと思ってる奴頭悪すぎwwwwww」みたいな事言われても「それはそうですが、ソースも調べずに感想言ってるだけでひろゆきに論破されるレベルの貴方だって令和においては小学生未満ですけど?」でしかないやろ。
そもそも、「市街地で排ガスモクモク」と「工場地帯で排ガスモクモク」だと近隣住民の被害だって違うわけで、このへんはオンボロトラックが排ガスやばすぎて超ウザイ経験をした記憶とか思い出せば簡単に想像がつくのではと。
馬鹿でも殴れるレベルの超オオバカを想定して、ソイツを殴って見せることで自分の賢さアピールって、逆に「私はこの程度のレベルの人までしか馬鹿にできない程度の馬鹿なんですよ」ってアピールしてるだけだって気づいてくれよ。
本当ゲンナリするわ。
残っているのは自分を含めて2人だけ。
同じ系列の近隣施設からは「人手が足りないって言っても、〇〇(うちの職場)はもっと少ない人数でやっているんだぞ」と評判だ。
ちなみに自分は、親が職場の系列の上層部なのでぶっちゃけコネ採用で入職した。
(と言っても、常に人員が不足しているので、コネが無くても全然余裕で入れる)
とにかくモラル・ハラスメントがヤバい。
あまりに酷くてやめてくれ!と言うと口答え扱い。上司から喧嘩両成敗とのお叱り。(本当に両成敗してるの?)
さらに、年長者への態度が悪いとして注意を受けて自分が謝罪。(年長者への注意はしてないみたい)
「夜勤手当はありがたいけど、欲張って稼ぎたいと思ってない」と言ってるのに。
同僚には3,4回とかの人も居るんですけど......
ずっと我慢してきた。
幸い、友人達に恵まれてるお陰で、職場内では一番プライベートが充実しているからこそ、今まで我慢できていると思っている。
けど、もう限界だ。
断言しても良い。
これはコロナのせいじゃない。
職場は冬場の吹き溜まり地帯。働く人間もなんだか吹き溜まりみたいな感じなのかもな。
先月末、遂に我慢が出来なくなって、夜中に泣きながら親に電話した。
親が定年なる前に、転勤させてくれと根回しを頼んだ。
一応、自分で職場のトップに転勤願いを出した。(「直属の上司には言わなくて良い」と親からのお墨付き)
「業務に支障が出るくらいに職場での人間関係が悪くて、このまま働き続けると近い将来、仕事が出来なくなってしまう」って言った。
昨日、親に会ってきた。
親「まだ転勤の話進んでないのか?」
私「分からない。年末で忙しいとか、人手不足で(転勤が)却下されてる可能性もあるかも......」
親「分かった。後はこっちでやっておく。□□さん(うちの職場のトップ)はやる気の無い人だから」
これまで親の権力に頼らなかったのは、甘えだったのかも知れない。
正直どこまでが真に迫ってるのか…
マトモな判断力があれば、いつ捕まって殺されてもおかしくないような場所に、大した備えもせず捕まってしまったらそれまでって状況にノコノコ自ら身を投じるわけがない(と信じたい)。
なのであれは周到に安全が担保された状態で撮影したのではないかと思ってる。
実際はあのエリア内であの程度の散策ならまず目をつけられることはなくほぼ危険はない、そう現地スタッフと綿密にルート打ち合わせの上で行ったんだろう。
それを現地人に見られた=マークされた!みたいに煽って間一髪で脱出したかのように演出した。
小賢しいやり方だけど裏でちゃんとリスク管理してるならまだいい。
本当にノープランでノコノコ危険地帯に出かけていったんだとしたら、たとえ無事だろうが愚かすぎて目も当てられない。
だがもしかすると本当にそんなバカをしでかしそうな危うさも感じるから、ノープランの大バカよりはずる賢いヤラセであってくれと思うのだが、どっちなんだろう?
私は歴史が好きなのでトリビア的な歴史エピソードはだいたい知っているしそれにいちいち心を動かされることはなくなった。
ただそんな中でも「大黒の芝」のエピソードは時々思い出してグッとくることがある。
710年に造られた平城京は、その後長岡京〜平安京と遷都の中で主役の座を譲り、810年の平城太上天皇の変以降は周囲には水田が広がるばかりになっていた。
時は流れて明治時代。関野貞という人物が平城京の跡地を探していたところ、付近の農民たちが「大黒の芝」と呼ぶ小高い場所があることを知った。
関は「大黒って大極殿がなまったんじゃね?」と考え、実際に朝廷の中心である平城京の大極殿がばっちり発見され、現在への史跡整備につながっていく。
1000年以上よく農民が語り継いだなぁと思う。
大極殿の意味は失われたが、音だけが残り、近い言葉で信仰でも身近な大黒になった。
それでも残ったわけだ。実際の建物がなくなっても、言葉の意味が分からなくなっても、それでも残った。
藤原道長とか足利尊氏とか織田信長とか西郷隆盛とか色んな有名な日本史を彩ってきたけど、その一方で誰もしらない農民たち誰もその重要性を鑑みず、ただ土地を示す言葉としてひたすら1000年語り継いできたとものなのだろう。
もちろんここは水田地帯で、おそらく遺構部分は水田造成に不向きのため芝生として残ったという現実的な考え方もできる。
それでも、世の中失われるものはいくらでもある中、なぜか語り継がれ、明治の考古学者のヒントになった。
このエピソードから思うに、自分が何気なく喋ったり伝えたりしているものの中にも、何か未来へ伝えるべき内容(未来の人が知りたい内容)が僅かながら含まれているのかもしれない。
何も知らない農民と同じで、私はそれに気づくことはできないだろうけれども。
0079年11月に、連邦軍によるジオン軍への大攻勢である「オデッサ作戦」が実施された。
作戦の終わり頃になって、降下ジオン軍の指揮官であるマ・クベ大佐は連邦軍に対して「撤退しなければ核を使用する」と脅迫した。
連邦軍の指揮官であるレビル将軍はこれを黙殺し、結果的に核ミサイルが発射された経緯がある(その核はアムロが撃ち落とした)。
私は子供の時にこの作品を見ていたが、当時は「なぜレビル将軍は自軍に被害が出るのを承知の上で進軍したんだろう、おかしいんじゃないの?」と思っていた。
オデッサ作戦前のウクライナ・オデッサは、地球に降下していたジオン軍の拠点であった。
オデッサ自体が鉱物資源地帯であり、ジオン軍のユーラシア大陸侵攻の拠点であり、連邦軍はどんな手段を用いてでも奪還する必要があった。
作戦が終わりつつある時点で、連邦軍は大部隊をオデッサ攻略に使用していて、犠牲も少なくない。
ここで核脅迫に屈してしまうと、今までの連邦軍の犠牲が無駄になるし、大部隊を展開したことも無意味になってしまう。
レビル将軍にとっては、核脅迫を受けようが(政治的に)撤退の選択肢はない。
彼にとって一番怖かったのは、ジオン軍ではなく地球連邦政府や世論だったのではないか。
機動戦士ガンダムの作品に出てくる地球連邦政府とは、おそらく現実世界にあるアメリカ合衆国政府をモデルになっている。
アメリカは民主主義国家なので、世論の動向を恐ろしく気にするので、この問題点をあの作品展開に織り込ませたのだろう。
今のウクライナを見ていても、核戦争の一歩手前になって来ている。
素麺といえば、個人的には島原半島産のものということになっている。これは単に、同地に私の知己の人がいるので、贈答品として頂戴して食べる機会が多いからに過ぎず、別に他の産地のものが品質的に劣ると思っている訳では無い。なお、頂くだけでなく、ちゃんと自腹で買うこともある。
最近では、女優の満島ひかりが南島原市の公式PR動画に出演したことが、彼女の怪演技の甲斐もあって、ネットでも話題になっていた。ひょっとしたら、それを観たことがきっかけで島原手延べそうめんのことを知ったという人も、世の中には存在するかもしれない。
島原半島の素麺作り産業については、以前に聞いた話だが、島原の乱によって人口が減少した際、江戸幕府が肥前の国の外部から移住者を募り、その中に瀬戸内の小豆島出身の人々がいたことから、彼らが島原半島に素麺作りの技術を伝えたとのことであった。しかし、それはあくまでも民間伝承であって、確固とした史料が有る訳では無いとも聞いた。
史料の有無や民間伝承の真実性は、専門家ではないから判断する由もないが、この小豆島由来説を何とは無しに信じている。それは、小豆島由来説が語られる際に、同時に「島原半島は、瀬戸内海と気候が似ているために、素麺作りに適している」と語られることにも一因があると思う。
中央部にある雲仙普賢岳や高岩山(たかいわさん)、島原市のすぐそばに在る眉山(まゆやま)、これらを除けば開けた土地が半島の大部分を占めるように見える。そのために、気候がカラリとしているように感じられる。これで「島原半島は瀬戸内海に気候が似ている」と言われれば、一定の説得力を感じて小豆島由来説も信じられる気持ちになる。特に海岸線の近くではそうである。
この島原半島の南部を訪れた時、島原鉄道を利用したのは、ずいぶん前のことになる。これは、諫早市と半島の北部〜東部〜南部を結ぶ、左右反転のC字形に半島の外周沿いを走るローカル鉄道路線である。あった、と言うべきか。現在は、半島東部の島原市までしか列車が走っておらず、島原市よりも南の地域は部分廃線となっている模様である。
現在は市町村合併によって南島原市の一部となっているが、旧名・西有家町という町が半島南部には存在する。この町で島原鉄道の駅に私が降り立ったのは、別に観光などが目的という訳ではなく、不覚にも乗り物酔いになり、気分が悪くなって一休みしたかったからである。
「そうめんの町」という文字が建物の壁に掲げられた無人駅舎のベンチに少し横になり、冷たいジュースを飲んで落ち着いたは良かったのだが、あいにく、次に乗り直す列車を一時間は待たねばならなかった。手持無沙汰の時間をつぶすため、駅の直ぐ傍にある神社へと行ってみることにした。境内へと登る階段は、文字通り駅舎の目と鼻の先にあり、その長さは数十メートル程と短かったが、勾配はかなり急であった。島原半島の南側地帯には、海の近くで小高い丘陵や崖になっているような場所が、幾つもある。この神社があるのも、そうした丘陵の一つであった。
別に有名な神社とかではなく、少し田舎ならば何処にでもあるような、何の変哲もない小さな神社である。境内へ登る階段を跨ぐ鳥居は、その神額に「天満宮」の文字があったから、主たる祭神は菅原道真公で間違い無い。これは、グーグルストリートビューでも確認可能である。確認した。技術革新、すごい。
よほど小さなところでない限り、神社は大抵、主祭神だけでなく配祀神も同居している。その天満宮で私は、時間だけはたっぷりあったので、主祭神・配祀神のいずれの社殿にも平等に五円玉のお賽銭を捧げて「この後、乗り物酔いが酷くなりませんように」とゴニョゴニョ唱えながら参拝した。それを済ませると暇つぶしに、私以外には人の姿も無い境内を、気ままにぶらぶらしながら鳥居などを観察したりして過ごした。どの鳥居も、冠木・貫・木鼻に沢山の小石が降り積もっていた。素朴な民間習俗を今でも伝える地元民が、願い事の成就のために投げ上げたものであろう。
配祀神は、鳥居の神額に「大神」という文字があったと記憶している。「大神」は「オオミワ」と読むのであろうと思った。残念ながら、天下のグーグルストリートビューでも、この天満宮の境内の中までは確認が出来ない。「大神」の社殿は、主祭神との差を感じさせない程度の大きさはあったように思う。
神社でオオミワといえば、その大元へ遡れば無論、奈良県・三輪山であるが、その地は素麺との縁が有る。素麺の祖先は、奈良時代に唐から伝来した食物・索餅(さくべい、見た目はチュロスに似ている)とする説が一般的である。これを模倣して作ることが、最初に我が国で始められた場所が、他ならぬ三輪山の麓周辺なのだと言われている。「すべての道はローマに通ず」ならぬ、「全ての素麺は三輪山へ通ず」といったところか。
それらのことを知った影響で「移住者から素麺作りの技術が島原半島に伝えられたのに伴い、我が国内における素麺発祥の地・三輪山から神も一緒に来たりて、分祀されたものであろう」と考え、小豆島由来説を信じる気持ちも補強されたわけである。
しかし、素麺伝来の機会や小豆島経由以外の理由でも、この地に「大神神社」が分祀される何らかの歴史的な要因があったような気がしてならなかった。結論から先に言えば、これは単なる私の勘違いだったのだが、兎も角そのような気がして記憶を手繰り寄せたところ、風土記の一つである『肥前国風土記』にある、次のような記述を思い出した。
景行天皇が、現在の熊本県玉名の辺りに行幸した時、そこから有明海を挟んで島原半島の方を見て『あれは島か、それとも陸続きの地か』と疑問に思い、使いを送って調べさせた。すると、土着の神が、天皇の使いを出迎えて歓迎し、天皇に服属する意志を示したという。
この時に派遣された使いの名前を「大神宿禰」と、私は誤って記憶していた。この覚え間違いが、大神神社の島原半島に分祀される歴史的な要因があったような気になった原因であった。しかし最近、自分の記憶を頼りに人魚の話やら南斗北斗の話やらを書き散らしたところ、ブコメ等で鋭い突っ込みを受けて大恥をかいたため、今回は手持ちの岩波書店・日本古典文学大系版『風土記』を参照した。その結果、私の記憶違いに過ぎなかったことが判明したというわけである。確認は大事。
残念ながら、天皇の使いの名前は「神大野宿禰」とあり、読み仮名も「かむおほののすくね」としてある。しかも「他に見えず系譜不明。ミワ(神)氏の支族ではあるまい」とまで注釈が付けられている。これでは、妄想を膨らませる余地も無い。
もしも「大神宿禰」という記述だったならば、その時は大変であった。きっと私は「もしかしたら、三輪山の祭祀を司るミワの支族に連なる者が、古代に島原半島を訪れていたのかもしれない。この縁によって、大神神社が島原半島に分祀されたのではないか」とか何とか、思う存分に妄想力を発揮していたことであろう。間違いを防止できたから安心しても良いはずなのだが、その気持ちよりもむしろ残念な気持ちが強い。それほど、自由な妄想とは魅力的なものということである。
さて、私は雲仙岳には登っていないが、その直ぐ近くの高岩山には、地元の人の案内で登ったことがある(この時は、まだ火砕流などの火山活動が沈静化したと認められておらず、雲仙岳の登山が再開されていなかった)。登山ルートの途中にある樹林の中や山肌には、家屋ほどの大きさがある巨大な岩石がゴロゴロと有った。これほどの大きさの岩石群であれば、それらを見た昔の人々が、信仰の念を山や岩石に対して抱いても不思議は無いと実感した。その時の私は、或る種の神秘体験に近い精神状態にあったのかもしれない。高岩山に登って同じ光景を見た人にならば、私の実感にも同意してもらえるものと信じる。
件の神大野宿禰を出迎えたという土着の神は「高来津座(タカクツクラ)」と名乗ったと『肥前国風土記』には記されている。日本古典文学大系の注釈には「高来の峰(雲仙岳)を居所(座)とする神の意であろう」とある。この「クラ」というのは「イワクラ」などと同じく「カミの宿る座・場所」という意味であることに疑いは無いが、何が「クラ」であるかまでは断言されていない。しかし、高岩山への登山で巨大な岩石を見た経験から、おそらくは岩石もしくは山頂・山体そのものが、高来津座と名乗るカミの依代や御神体だったのではないかと私は思う。もしそうであれば、三輪山の神体山信仰と類似しているので、面白い話である。「タカク」に「高来」という字を当てたのは、単に高さを表現しただけでなく、天空の高みから山頂に降り来る垂直移動型のカミであったことの顕れであろうか。
このカミの名は、高来郡(たかきのこほり、たかくのこほり)の由来となり、市町村合併以前は、島原半島の地名「南高来郡(みなみたかきぐん)」として名残を留めていた。しかし、島原半島が島原市・雲仙市・南島原市へと統合され、旧来の地名が無くなったことで、熱心な郷土史研究家などを除けば、いずれ遠からず名を忘れられるのかもしれない。
しかし、名は失われても、島原半島中央部の山に登山する人が絶えない限りは、高岩山に登った時の私が俄に古き神の気配を覚えたように、雲仙岳一帯の山岳や巨岩に対する素朴な信仰そのものは、これからも人々の精神の地下水脈として生き残っていくのではないだろうか。
【2022/10/10】続きを書いた。anond:20221010212603
マンデ族は、特に西アフリカの西側に多く存在する。マンデ族は主に東マンデと西マンデの2つのグループに分けられる。
西マンデ族の一派であるマンディンカ族(マリンケ族、バンバラ族、ディウラ族)は古代西アフリカ最大の帝国を建国したと言われている。マンデ族には、ソニンケ族、スス族、リグビ族、ヴァイ族、ビッサ族などの小集団がある。
マンデ族は、沿岸の熱帯雨林からサヘル地帯まで、さまざまな環境に住んでいる。料理や文化、信仰も多様で、主に言語グループによって組織されている。現在、彼らはイスラム教徒が多く、カースト制度に従っている。
サヘル地域に住むマンデ族、マンディンカとソニンケは、個々の部族の所属を超越していると言われている。マンデ族の影響は、歴史的にすぐ近くの地域をはるかに超えて、サヘルとサバンナに住む他の近隣イスラム西アフリカのグループへと広がっていった。マンデ族はニジェール川を下るか、または陸路で貿易を行い、ガーナ帝国、マリ帝国、カアブ、ワスールーの拡大とともに軍事的征服を達成した。
マンデ語を話さないフラ人、ソンガイ人、ウォロフ人、ハウサ人、ヴォルタ人は、程度の差こそあれ、マンデ族の世界観、衣服、その他の文化財(共通の文字、建築、料理、社会規範)と密接に連携している。
1970年のボーラ・サイクロン(英:1970 Bhola cyclone)とは、1970年11月12日に東パキスタンのボーラ地方(今日のバングラデシュ)とインドの西ベンガル州を襲ったサイクロンである。ベンガル・デルタ地帯の標高が低い島々が高潮に襲われ、これを主な原因としてもっとも控えめな見積でも20万5000人以上、最大50万人と推定される人命が失われ、サイクロンとしては史上最大級の犠牲者を出した。近代以降の自然災害全般の中でも最悪のものの一つである。
迷っていることがある。
とある史跡の多い地域で育ったが、今はそこから車で1時間弱ぐらいの距離の田園地帯の中にある会社(工場)でSEやってる。(現在は自然豊かな場所にある賃貸で職住近接と言えなくはない生活を送っている。)
そこの社員は大半がいったん工場の近くから通う生活をするが、子供の進学を考えてどこかのタイミングで東西南北どっちかの方向の地方都市に移住する選択をする。
自分の出身地の付近もその選択肢の一つとして割と選ばれているような(というか自分もそうするつもりで働き始めた)のだが、
いざ移住先を検討し始めると、気持ちが他の候補地の方に傾いてしまいがちであることを発見してしまい戸惑いを隠せない。
昔は、「この町は史跡が多くてなかなか面白い風情だな」と思っていて
(いちばん長く過ごした場所ではあるが生まれた場所ではないし、物心ついた時は別の地方都市で暮らしていた)
将来またその場所で生活することを割と望んでいた。・・・が、勤務先との通勤距離のこともあって別な方角の地方都市を片っ端から比較のために調べてみていると、
出身地を積極的に選ぶ理由が意外と乏しいことが浮き彫りになってきた。
考えてみれば当然のことで、史跡まみれの町ということは大胆な都市計画ができなくて、さらに観光業っぽい地元の商店の既得権のせいで
郊外かごく限られた地域にしか新しめの商業施設が営業できない状態になっているし、鉄道や道路といったインフラも地元住民以外に観光客のためのものとして整備されていて
普通の生活が(そういうシガラミがない地域と比べると)なにげに不便なのだ。比べる対象を持っていなかった時には気にならなかったが具体的な比較をするとその弱点が際立ってしまう。
もちろん歴史上のエピソードに関連した場所が沢山あること自体はマイナスではないのだが、
その価値(すなわち日本の歴史を勉強する価値)は相対的に下がってきているのではないか・・・?という気持ちが沸くようになってきている。
端的に言うと、そんな優雅なことを守り伝えていく余裕は今後の日本にあるのか?という事への疑念が強くなってきてしまっていて、ただの不便な場所に見えてきているという話である。
(科学的な発見がされた場所とかならまだ良かったのだけど・・・)
いちおう土地勘があるとか友達も若干数いると言う利点はなくはないのだけど、
きれいな水と空気に囲まれた生活に慣れた後では、不便なくせに空気が汚い出身地に戻って住むことが大して魅力のない選択肢に映って仕方がない。
ただいずれ帰るという暗黙の了解のもと両親にはいろいろ支援してもらってしまっているし、今より実家が遠くなるのは良くないという認識はあるし、
地縁もないのに子供を会社周辺で育て続けることはとてもする気にならないので、どこかへの移住はすべきなのだと思っているが、
どうせなら合理的な街づくりができている所に住みたい気持ちがある。
通勤時間さえ長くて良いなら条件を満たす場所はなくはないが、通勤時間がかなり長くなるので即決できない。候補のバリエーションは以下のような感じで、一長一短である。
A:実家の割と近くで駅とショッピングモールの中間(古い住宅地で道路が狭く空気はよどみがち。通勤40分)
B:実家と同じ市町村の辺縁部でバブル後も開発が継続していた地域(商業施設が充実しており斜面が多いが道路は広くて空気も奇麗。通勤60分)
C:実家の隣の市町村で最近開発された大型分譲地(空気は奇麗で道路も広いが、切り開いた斜面であり地盤に不安。また将来ゴーストタウン化の懸念あり。通勤50分)
D:会社のあるところの隣の市町村(会社のある市町村よりはメジャーなチェーン店が多く来ていて道路も広い。人口は同等で実家からは30分ぐらい遠くなる。通勤30分)
E:実家とは別の方向の現在人口増加中の地方都市(大都市に近い場所であり利便性は格段に高いが、実家からの距離はやはり遠くなる。通勤40分)
F:実家とは反対方向の地方都市(県内の最大都市なので、利便性最重視の場所からゆったりとした郊外まで幅広い選択肢がある。実家からは当然遠い。通勤45分)
気持ちを整理するために書き出してみたが、やはり決心を付けづらい・・・。なお通勤はいずれも自家用車。体調的な理由で長時間運転は苦手なので40分以上かかるところはしんどいと思っている。
南米の選手はサッカーに生活のすべてをかけていたりしたので、何をしてでも試合に勝ったら勝ちということで、こういう文化が生まれたとかかと。
もちろんそれだけでは無く、密集地帯やダイナミックな展開があったときに審判から見えない部分での接触があったりもするから、アピールすることも大事という面もあると思う。VAR(ビデオ判定)なども入って来たとは言え、介入できるのは試合に影響を与えるような重大な場面だけなので、アピールが必要な場面というのはまだなくならないと思う。
とはいえ、リプライで滑稽なコロコロ見せられると興醒めするのは同意。ネイマールとかいくらプレーが上手くても嫌いだった。スアレスはなんか汚いプレーしてても好きだったが。