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2022-11-05

大黒の芝

私は歴史が好きなのでトリビア的な歴史エピソードはだいたい知っているしそれにいちいち心を動かされることはなくなった。

ただそんな中でも「大黒の芝」のエピソードは時々思い出してグッとくることがある。

710年に造られた平城京は、その後長岡京平安京遷都の中で主役の座を譲り、810年平城太上天皇の変以降は周囲には水田が広がるばかりになっていた。

時は流れて明治時代関野貞という人物平城京の跡地を探していたところ、付近農民たちが「大黒の芝」と呼ぶ小高場所があることを知った。

関は「大黒って大極殿がなまったんじゃね?」と考え、実際に朝廷の中心である平城京大極殿がばっちり発見され、現在への史跡整備につながっていく。

1000年以上よく農民が語り継いだなぁと思う。

大極殿意味は失われたが、音だけが残り、近い言葉信仰でも身近な大黒になった。

それでも残ったわけだ。実際の建物がなくなっても、言葉意味が分からなくなっても、それでも残った。

藤原道長とか足利尊氏とか織田信長とか西郷隆盛とか色んな有名な日本史を彩ってきたけど、その一方で誰もしらない農民たち誰もその重要性を鑑みず、ただ土地を示す言葉としてひたすら1000年語り継いできたとものなのだろう。

もちろんここは水田地帯で、おそらく遺構部分は水田造成に不向きのため芝生として残ったという現実的な考え方もできる。

それでも、世の中失われるものはいくらでもある中、なぜか語り継がれ、明治考古学者のヒントになった。

このエピソードから思うに、自分何気なく喋ったり伝えたりしているものの中にも、何か未来へ伝えるべき内容(未来の人が知りたい内容)が僅かながら含まれているのかもしれない。

何も知らない農民と同じで、私はそれに気づくことはできないだろうけれども。

 
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