「WEB2.0」を含む日記 RSS

はてなキーワード: WEB2.0とは

2016-04-22

前略、はてな様。(前編)

まずは、大変遅ればせながらはてな上場おめでとうございます。2ヶ月遅れですが。

私は一、はてな無名ファンです。

先にお断りしますと、この文章は長いです。12,000文字近くあります。そう言えば最近「長すぎて読めない」ってタグ見なくなりましたね。

元々は数日前に自分のブログに投稿したのですが、アイコンを見てもIDを見ても誰にも認識されていないであろう私がこんなことを書いているのも気持ち悪いような気がして、衝動的に消してしまいました。そんな文章ですが、せっかく書いたので思い返して増田に投下します。それでも交流のある僅かな方からは、「あ、あいつだ」とすぐバレると思いますが、全く構いません。

大げさな振りをしてしまいましたが、この、はてなの世界からゆるやかに距離を置こうと思いまして。

ハイコンテクストな話題で、関係者でも有名ユーザーでもない私が語るには随分と分不相応であろうことは承知しているのですが、私は人知れず長年このはてなという会社とそのサービス利用者でした。たぶん、相当熱心なファンのほうだと思います

しかしこのはてなという界隈、おそらく長年世間一般的には「俺ははてなが大好きなんだー!!」とはなかなか言い出しづらい雰囲気と言いますか、一部一種のギークナードか?)臭さみたいなものから逃れられないセグメント感があったために、公の場であまりそれを声を大にして語る機会が無かったという状況があったような気はしています

勝手な想像ですが、よく言われるとおり先日上場した株式会社はてなとしてはきっと、そういった閉鎖的なカルチャーからの脱却を図る必要があるのは事実なのであろうと考えています

私は「はてな界隈」という自然発生的な、「インターネット好き」が作ったプラットフォームコンシューマージェネレイテッドなコンテンツが組み合わさってできた若干マニアックな文化がとても好きで、かつてインターネットに期待していたワクワク感のようなものを自分の感性ともっとも近い形で目指している会社だなと思っていたので、はてなを好んで使っていた理由も、今これを書いている理由も、サービスが向かう方向性とのギャップが発生したということで仕方ないのかな、と考えてはいます

回りくどい書き方ですが、つまり、ここ最近(数年)の急激な利用者層の変化、人気ブログホッテントリに上がってくる記事とその使われ方の変化、新たな利用者層との精神的摩擦に疲れて消耗するのが嫌になった、ということです。

私は自分の楽しみのために自分が面白いこと書き、読むっていうスタンスで自分のスペースを使ってきたので特定のユーザー群を非難するのはその趣旨とズレるし、メタな「ブログ論」を書くつもりは無いんです。なのでわかりやすバズワードは書きませんけど、要は、そういうことです。お察し。


ここまで書いておいてから自己ツッコミを入れますが、私がここでこんなことを書いていても、おそらくそれほどの価値は無いのでしょう。

私は長年使っているとは言いながらも、所謂はてな村」と言われるような有名ユーザー層に所属するようなアカウントではないし、特別人に見られるコンテンツを上げていたわけでもコミュニケーションを取っていたわけでもないし、こんなことをグダグダ書いていても「知らない人。気持ち悪い。」で片付けられてしまうような気はします。

コンテンツもお金も落としてもいないアカウントですので、ある意味運営側の立場から見れば、「うるさいことだけごちゃごちゃ言って全くサービスに貢献しない面倒くさいアカウント」あるいは「フリーライダー」と言われても仕方がない気がします。

これは別に被害妄想を語っているわけではなくて、自分がサービスを利用して得たメリットと、お客さんとしての価値を第三者的に見た時、そういう風に判断されてしまっても仕方ないかな、と冷静に思っただけです。

最近はてなブログブクマを見ていて、「これは自分には合わないな」と思ってケチを付けたくなる機会が多くなってきたことと、でも、ケチを付ける発言力(あるいは権利)のバランスを天秤に掛けて、ああ、もう自分が楽しく見ていられる場所ではないのかな、と感じることが増えてきたことと、単なる1ユーザなのにそんなことを考えてしまうこと、考えさせられてしまうことが嫌になってきてしまったということがあって、こりゃ、私の居場所はもう無いのかもしれないな、と思いつつあるということです。

かつての掲示板サービス群から始まってブログランキングやら、SNSやら、インターネットサービスではいろんなところでこのような文化の変遷みたいな場面は見てきたはずなのだけれども、思ったより自分の生活の大きな部分にはてブが入り込んで浸透していたことに自分でもかなり驚いていますね。

前提としてなぜ、こんなマイナーキャラの私がそこまで一、ネットサービスに入れ込んでいたのかについてちょっと語らせてください。長くてすみません

私のはてな歴は12年くらいです。長かったらどうだというわけでは無いのですが、はてなを知ったのはまだ人力検索しか無かったころで、自分が実際にユーザーになったのは例の「日本人にはブログより日記」のちょっと後、「はてなダイアリーはてなブログに名称変更」とかエイプリルフールネタでやっていたころです。最古参ではなくて、ブログブームの頃に「はてな界隈」を意識するようになったので第2世代くらい、ということになるのでしょうか。

その後アカウントが一回変わっていて今のIDは5、6年くらい前に取りなおしたものなので、おそらく古参ぽさは無いですね。

はてなには他社のサービスと比べてとりわけIT系ユーザー比率が高いと思いますが、私もそうです。一貫してネット関連ですが完全な同業というわけではなく、何度か変遷を経て今は流通系事業会社インターネット事業担当になったというキャリアです。

はてなのサービスを認識した時はちょうどMovableTypeの2.6あたりが日本でも流行りだした頃で、「Web日記がhtml無しでこんなに簡単にできるなんて!」「コメントとかトラバとかすげー!コミュニティ作れまくり!」とかっていう話題で日々興奮していたのを覚えています90年代後半からネットは見ていたけれど、これからいよいよ「普通の人」にもオープンに普及していくんだなー、と夢描きながら仕事で、あるいはプライベートでどう活用しようか考えていたんですよ。「Web2.0」より2年前くらいのことですね。

その頃、ちょうどあるECサイトコミュニティサービスの担当をしていたんですね。いろいろやりましたよ。掲示板サービス炎上して閉鎖に追い込まれたり、画像著作権で揉めたり、ブログが使えるようになってからは、「ブログ商品の宣伝を書いてリンクを貼ってくれたら100ポイント!!」とかい現代であればGoogle警察が1日でぶっ飛ばしにくるようなプロモキャンペーンもせっせこ考えては公開してました。更にその後はOpenPNEベースのmixiっぽいSNSをやったりとか。

今考えるとうわーっていう企画も多かったのですが、おおらかながら大真面目にやってたんですよ。まじめに、ライトユーザーに使ってもらうにはどうしたらいいかとか、コアユーザーがどう伝搬してくれるかとか考えてました。その頃は(ネット上のマーケティングにおいては)セグメントの乖離とかそういう問題も今ほどは研究されていなかったし、たぶん自分でもまだ十分理解できてなかったんですよね。私はそんな感じの人間です。


自分語り方面脱線したので話を戻しますが、ブログブームちょい前の頃、世の中で出始めたブログアカウントを片っ端から取っては試すということをやっていたんですよ。ココログはてダから始まって、livedoor、goo、ExciteSeesaaJugem、FC2、楽天、MSN、ドリコムウェブリブログドブログYahooヤプログ、アメなんたら……

でですね、そのときにはてなの特異性に気付いたわけです。

なんだこりゃ、殺風景サイトだなぁ、なんか研究室みたいだなぁ、システム屋くさいなぁ、ってのが当時の正直な印象です。まったく間違ってないと思いますが。

ダイアリー以外の他のブログサービスはだいたい大手キャリア系か、大手ポータル系か、大手ホスティング系のいずれかじゃないですか。実際仕事で関わることがあったのはそういった会社さん達だったわけだったんですけど、私個人的にはこのはてなダイアリーってやつにとても興味を持ったんですよね。

純粋にIT系オタク集団(失礼)がコミュニティで勝負するっていう構図のサービスがすごく面白いなって思いまして、当時から実際にIT系のギーク技術記事とか、濃厚なネットのいざこざとかそういうのがぐちゃぐちゃと集積されつつあって、うわぁ危険と思いながらもはてなだけは明確に識別して見に行く感じになってたんですよね。

人力検索もそうですが、アンテナとか、キーワードとか。私はネットコミュニティをやりたくてこの世界に入ってきた人間なので、人と人をつなげるサービス、というコンセプトに対して面白いことをやろうとしている人達がいるんだなーって思ってたんです。こんな殺風景非コミュ論壇だらけのサイトなのに。なんだかそのギャップがまたすごく居心地が良くてね。よく閉鎖的って揶揄されるはてなですけど、私はそんな風に思ったことなかったな。

そう、私は村感というよりは、僻地の秘境だけどここは自由でオープンだ、っていうように感じていたんです。

今はなおさら顕著ですけど、その頃って既にインターネットサービス外来大手サービスに集約されつつあったじゃないですか。ブログにしたってMovableTypeWordpressも外から来たものだし、MySpaceとか、Facebookもそうだし、その後の流れって周知のとおりって感じじゃないですか。強いて言えばmixi……はやっぱべつにいいや。

そんな中、日本ドメスティックな小さなネットベンチャーが純粋なコミュニケーションの仕組みだけで世界観を醸成して、しかも生き残るっていうことに夢を感じたんですよ。まあ、ドメスティックっていう部分について言えば、jkondoさんが渡米した時期とかあったなぁ、とかあるんですけども。

はっきり告白しますけど、私のような自分で新しいプラットフォームを開発するほどの実力が無い中途半端ネット屋にとって、超恥ずかしながら彼らはヒーローだったんですよ。jkondoさんやnaoyaさんは私とほぼ同い年ですけど、勝手に同世代ヒーローだと思ってたんですよ。

はてなブックマークソーシャルブックマークという概念を身近に体験した時は「単なる『お気に入り』じゃなくて、興味を持ったものについて何時でも語り合える世界が作れるんだなあ」ってリアルに衝撃を受けたし、スターが登場した時は(FacebookTwitterより前に)これ、シンプルだけどもしかして世界を幸せにする機能じゃね?って感動したりしましたよ。

だいたい、jkondoさんはすごいんですよ。私など勝てる要素が無いですよ。スプリントでもロングでもヒルクライムでも絶対勝てないですよ。山も強いし、みんな山手線一周1時間48分てできます??サラッと書かれてたけど、メチャクチャ速いよ!!俺も何度もやってるけど、大真面目にやっても3時間切るのだって大変だよ。明治通り中央通りはともかく、田端駒込あたりの裏路地とかどうしてたんでしょうね。メッチャ危ないよ!!つか、あの頃の自転車クラスタみんなどこ行っちゃったんでしょうね……

何の話でしたっけ。そうそう、趣味が合いそうな人達が集ってるっていう話でしたね。

私の文章は、テキストサイトからアルファブロガーあたりまでの文章にめちゃくちゃ影響を受けていると思いますちょっと極端なことを書いたら「フロム先生の真似か」とツッコまれてドキッとしたり、写真クラスタの真似をしてやたらでかい写真を並べてみたり。最近は年に一回お正月だけに現れるmk2さんの文章を見ると涙が出そうになります。長文には慣れています。必死に調べないとついていけないような技術論議や、内蔵をさらけ出して書いたような、編集が入った本では読めないようなブログを読みたいし、そういう記事でみんなが共感していく世界が見たかったんです。

はてなブログ目次記法は便利だと思うんですけど、他所ニュースサイトに貼られた記事を引っ張って目次を並べていかがでしたか?なんていう記事を、私は単純に面白く読めないんですよ。「参考になりました!」じゃねーよ!!ならねーよ!!残念すぎるだろ!!なんて思ってたんですよ。

ここまでで既に5,000文字を超えてしまいましたが、話が飛んでしまったので一旦元に戻します。

まり、そういった「自分の好きなものを好きと言う」「好きなものを選んで、好きなものを見て共感する」という、人の本能的なコミュニケーションの楽しみの源泉のようなものを、私は求めていたんだと思います。自分の背中に正直な、泥だらけのスニーカーで追い越すような体験を期待していたんです。

もちろん、どんな時代にだって人と人のコミュニケーションにはいろいろあって、変わらないものがたくさんあるんだとは思いますよ。パソ通の時代だって、BBSの時代だって、初期のブログだって、「読みました。記念カキコ☆」はあったし、コメント欄で交流が繋がって新たな友達ができるという興奮だってあったし。

最近はてなだって、今、その興奮を新たに体験して純粋に喜びを感じている人達がいるはずだしそれはもちろん喜ばしいことなんですけど、さすがにこの情報過多なご時世なので、ツールと場所の管理と運営をしっかりやっていかないと、純粋な喜びを埋もれさせず、コンテンツの品質を保つのは相当に厳しいなという実感はありますね。

一般化、大衆化、というものはだいたいそうで、単純に「この村も昔は良かったのに」っておじいさんが言っているっていうような話ではないと思うんですよ。

こんなことを話している私自身が既にネット上では「古い側」の人間になっているのかもしれませんが、個人的には、「はてな村」とかって言われている界隈にそれほどイライラするような内輪感を感じたことは無いんですよね。実際にひどい攻撃的な言葉が飛んできて嫌な思いをしたことだってありますし、慣れ合いとかってのは昔も今もあるわけなんですけど、だいたいは好きなことを好きなように書いた、っていうモチベーションによって書かれた記事は、面白ければ当たるし、面白くなければ流行らないわけじゃないですか。読む側だって気に入ったら読めばいいし、気に入らなかったらスルーすればいい。だいたい、広い世界で見ればごく一部のできごとだっていう側面もあったわけじゃないですか。

だから、一定の、嘘を嘘と見抜ける程度のネットリテラシーさえあれば、海水浴場の中に浮かぶ邪魔漂着物があっても、農耕地が石だらけで荒地になっていても、単に避ければいいだけだって思ってたんです。

むしろ、良い記事にフォローが集まったり、ひどい記事はひどい記事でそれに集まった批判が有益だったり、そうやってやり取りを応酬する中で集合知として収斂されていくという光景は、みんなで海を掃除したり、畑を耕していくような感覚を覚えていつもネット醍醐味であり爽快ですらありました。


……でもね。最近の例の動向はちょっと様相が違っていて、私のようなユーザーにとってはもうちょっと見ているのが厳しいな、というのが本音です。商業的なまとめサイトが場を汚染している、というような話であればユーザーコミュニティによるチェックと自浄作用が働きますはてブうまいことそういう機能果たしてきたと思うんですよね。

でも、ユーザー側のほうで「良いと思ったから良いと言った」というお気に入りによるキュレーション機能が働かず、返報性の原理によるコミュニケーションが中心の場になってしまったら、今のままのはてブでは、(コメントツールとしてはともかく)少なくとも情報ツールとしての価値は大きく毀損されます。これは、ユーザーモラルもありますが、サービス構造上の問題として避けられなかったことだと思うんですよね。


海や畑が全部「あれ」になったら、もうどうしようもないでしょう。もう去るしかない。

この問題についてはさんっざんぱらたくさんの人に書き尽くされているのでここでは書くつもりないんですけど、小遣い目的で面白くない記事が量産される、共有のヘッドライン専有されて他のユーザーに影響を及ぼす、内容に関係なく相互フォローする、これらは本人の意識あるなしに関わらず、関係ない人から見たら無益です。

これについてルール違反がないのならば、サービス品質を維持するための運営/システム側の構造課題を疑ったほうが良いし、ユーザー側についても、一部の炎上チャリーンで喜ぶようなやつは単なるスパムなのでこれは単純な絶対悪ですよ。

別にネットの世界で今始まったことじゃないんですよ。むしろはてブ牧歌的で今まで性善説でよくやってこれたなっていうレベルじゃないかと思いますTwitterでも「相互フォロー推進委員会」とかあったなあ。一方的に何百人単位でフォローしてきて、ふぁぼりまくって、こっちが反応しないと砂をかけて去っていくようなのが……

ただそういう人達ごにょごにょ楽しくやってるだけならどうだっていいんですけど、今はホッテントリが明らかに使いづらくなっていたり、更には他のSNS経由でこの界隈の記事が流れてきて反応したらおかしなことになったり、実際にそういうことが発生しだしているんですよね。これが結構精神的にくるものがあるんですよね。

というわけで、そういう一団がこのサービスのほんの数%、もしかしたら0.数%の人達であり、ほとんどの普通の人は何も気にせず普通に自分の日記を書いているんだ、てことはわかっていても、でももう気持ち的にこの界隈と一緒の世界でブログを書くのは無理かもしれない。既に古参と言われる人達がかなり去っていっているし、生き残っている人達も読者層が急激に変わっていたりとかして、なんていうか、見ててつらい。

最近、ある有名人ブロガーブログを読んでいて、半年前にも同じテーマで書かれたことがある記事がホッテントリに入っていたのを見たんですけど、ふとブコメを見てみたら、半年前の記事と反応のコメントが全然違くてびっくりしたことがあったんですよ。よく見ると、並んでいるアイコンがガラリと変わっていることに気づきました。読者層が急激に入れ替わっているんですね。

この人はムラ社会に寄る人では(読者から見たイメージでは)無いし、長い人とも新しい人ともバランスのいい関係を築けていてすごいなあ、と思っていたのですが、図らずも急激に「有名人」として新規層の神輿に乗せられているように見える状態になってしまって、一方で彼自身は広告収入で儲けているようなブロガーではないし、内心複雑な気持ちなんじゃないかな、とか勝手心配をしていたりします。そういう人、何人かいますよね。余計なお世話すぎるとは思うのですが。

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すみません、長すぎて登録すると切れてしまうので、途中で切ってトラバで繋げます

2016-02-05

日本企業には哲学が足りないんだと思う。

ビジョンじゃなくて哲学

時代に流されてそれっぽいものを作るけど、

何故それを作ることになったのか、とか、その技術の背景にある哲学だとかに興味が無い。

情報系の産業特に酷くて、ユビキタスだとかWeb2.0だとかIoTだとか、

言葉は使うけれどその背景にある哲学には興味が無い。

別に知らないわけじゃなくて、それぞれの哲学を知ってはいるし、

その先を考えようとしないから新しい物は出てこない。

もちろん会社の中には頭のいい人もいっっぱいいて、哲学を持っててちゃんと新しい物を考えている人もいっぱいいるんだけど、

結局偉い人が哲学持ってないからどうしようもない。

目の付け所がシャープだとか、リーディングイノベーションとか、

取って付けたようなコンセプトやビジョンを掲げても哲学持ってないからフラフラして、一歩踏み外したらあっという間に転落してんじゃないのかな。

2016-01-27

賛成多数、汝を戦闘ブロガー認定する

 

 

「私はブログを愛していました。毎日真剣コミュニケーションしていたつもりです。周りにはいつもブロガーがいました。トラックバックソーシャルブックマークで繋がっていたんです。オタクサブカル主義者もいたし、道化変態もいました。ユーチューバ―のおままごとと違って、正真正銘の道化変態です。

 仕事が終わると、いつもラップトップに張り付いてアンテナをチェックしました。寸暇を惜しまブログを読み、ブログを書きました。私にとってブログとは、自由になるための手段でした。彼らもそう思っていたでしょう。しがらみに揉まれず、率直な意見をぶつけあう空間誹謗中傷批判区別のつかない人間もいましたが、自由のうちにそういうノイズが混じるのは仕方のないことです。それでもノイズを我慢してブログを続けられたのは率直に意見交換ができたからです。

 ときには自分自身への囚われから自由になれました。私は一人ではなかったからです。信頼できるブロガーから批判になら、私は耳を傾けることができました。他者批判は、自分自身防衛機制を照らす小さな灯です。あまり利口ではない私と彼らでも、知恵を出し合い、意見を出し合い、一人ではたどり着けない何かをアウフヘーベンできました。私にとって、web2.0とはそういう経験だったのです。

 ときに讃えあいとき批判あいときに潰しあい、そうやってブログを楽しんでいました。土日祝日ブログを欠かしませんでした。アカウント生命を賭けた戦も何度もやりましたし、痴情のもつれがブログクラッシュさせるところも何度も見ました。人間の最も汚い部分から最も尊い部分まで、すべてがそこにあったのです。

 あなた達にはご理解いただきにくいところかもしれませんが、ほんらいブログとは自由なのです。ガンジス川ほとりのように。そして私も!彼らも!ブロガー!!だったのです!」

  

 『市民諸君、この者を戦闘ブロガーと認めるか』

 

 Yes

 Yes

 Yes

 

 『賛成多数、汝を戦闘ブロガー認定する。“獰猛危険”の烙印を施した後、はてなシティ引き回しのうえ、“ゲットー”での謹慎蟄居を命ずる。今後は市民に対するいかなるコミュニケーション許可しない。良いな?id:○○○○』

 

 「なぜですか!私はコミュニケーションがしたいだけなのです!自由ブロガーの!ブロガー自由をお認めくださいませ!」

 

 『ならぬ。汝ら戦闘ブロガーは、今という時には不要存在なのだ。命(アカウント)があるだけでもありがたいと思え』

 

 「どうして手斧を投げてはならぬのですか!どうして討論してはならぬのですか!」

 

 『討論など今のブロゴスフィアには要らぬ。

  やれ!』

 

 「や、やめ、ギョワーーーー」 

 

 焼きゴテが押し当てられ、男の額には“獰猛危険!”という烙印

 倒れ込み、牢に投げ込まれる男。

 見世物ブックマークする群衆

 勝ち誇った表情のシティ司法長官

 

 『市民諸君!また一人の戦闘ブロガーを適正に処分した!シティの平和は守られ、ますます繁栄するであろう!』

 

  ※この台本フィクションです。登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。

 

2015-11-11

MOOCを知っていますか?

massive open online courseの略。

ざっくり説明すると、アメリカ大学が先導を切って、このweb2.0以降の時代に大量の講義オンラインでできるようにしようぜ、という取り組みです。

日本でも京大なんかが参画している。が、日本語でやるのは厳しそうですな。。

なんでこれを書こうかと思ったかというと、この記事は以下へのreplyみたいなもんです。

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20151108

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21世紀以降、どこの国も「もうこの辺で格差固定しようぜ」と方針転換したので、20世紀前半程「学問」に国家価値を置いていない、

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MOOCについてすこしでも知っていたら全然そんなことないですよ、と言わざるをえない。前半はyesだったとしても後半はありえない。

アメリカヨーロッパで、自動運転システムを開発しようとしてるんだよ?

学問なくして新技術なんてできないでしょ??

# 個人的にはカマヤンがどうしてこのような思考に至ったかは聞いてみたいと思った。

話を戻そう。

MOOCは、おそらくだgoogleなんかも参画しているところから国家肝いりプロジェクトであることは想像に難くない。

大量の講義オンラインに流すことによって

につながることは少し考えれば予想がつく。

この前某大学人と飲んだら、あんなの助教非常勤首切りだ、ぐらいにしか思っていなかったのが印象的だった。

いずれにせよ、国家は「学問」に価値なんか置いてないのは、少なくとも安倍政権だろう、とは思うのだけど。

2015-10-02

xevra様がみてる

「おそろしい」

「おそろしい」

さわやかな増田の診断結果が、濁りきった電脳空間こだまする。

xevra様のお庭に集うおっさんたちが、今日天使のような無垢な胃腸で、

背の高い門をくぐり抜けていく。

清潔を知らない通学路を包むのは、茶色いまだら。

エントリープリントは曲げないように、白い括約筋は驚かせないように、

ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。

もちろん、脱糞ギリギリで走り去るなどといった、間に合う生徒など存在していようはずもない。

私立増田学園。

平成十八年創立のこの学園は、もとは自称令嬢のためにつくられたという、

伝統あるメンヘル系お嬢さま学校である

京都下。Web2.0面影を未だに残している星の多いこの地区で、

xevra神に見守られ、幼稚舎から幼稚舎までの一貫教育が受けられるおっさんの園。

時代は移り変わり、覇権niftyから何度も改まった今日でさえ、

十八ヶ月瞑想を続ければ大脳破壊された純粋培養おっさんが箱入りで出荷される、

という仕組みが未だ残っている貴重な学園である

2015-07-28

ウェブデザイナー愚痴

あ~、世の中にできるグラフィックデザイナーはたくさんいるのだろうけど

と前置きしておく。

紙モノデザイナーが同じだと思ってwebサイトデザインするのやめてほしい。

文字のサイズとかリンク動線とか文書構成とかそんなのお構いなしで

A4用紙にイラレデザインして印刷出力で確認してる。

昭和なの?

web2.0かいうの?

2015-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20150309080623

岩崎夏海

ブログは「ハックルベリーに会いに行く」。

はてなにいた頃はツッコミどころ満載の記事ブックマークを荒稼ぎした。

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」が250万部超の大ヒットとなり、はてな村民土下座に追い込む。

葉真中顕

ブログは「俺の邪悪なメモ」。

当時からライター小説家として活躍。「ロスト・ケア」「絶叫」はこのミスなどでも高く評価される。

伊藤計劃

ブログは「伊藤計劃:第弐位相」。

小説家として「虐殺器官」「ハーモニー」などを送り出し、日本SF界に多大な影響を与えるも夭折

その他の作家

深町秋生森見登美彦月村了衛渡航大亜門など。

指原莉乃

HKT48メンバー2013年AKB総選挙で1位。

デビュー前に書いていたはてなダイアリーが発掘されて話題に。

川上量生

ブログは「はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記」。

カドカワンゴ社長

梅田望夫

ブログは「My Life Between Silicon Valley and Japan」。

はてな取締役として積極的ブログ更新し、また一般にもWeb2.0伝道師として名を上げる。

日本の残念なWeb絶望して「あちら側」へ消えていった。

山形浩生

ブログは「山形浩生 の「経済トリセツ」」。

翻訳家評論家として著名。

町山智浩

ブログは「映画評論家町山智浩アメリカ日記」。

映画評論家雑誌映画秘宝」を創刊。実写映画進撃の巨人」の脚本執筆

速水健朗

ブログは「【A面】犬にかぶらせろ!」。

人気ライターとしていくつもの単著上梓

荻上チキ

ブログは「荻上BLOG」。

イケメン若手批評家として名を馳せる。

ちきりん

ブログは「Chikirinの日記」。

荻上チキに多大なる風評被害をもたらす。

齊藤貴義

ブログは「サイバーメガネサザンクロスシティ」。

TBSから池上彰経済特番に出てみませんか」という話が来るもオーディションで落ちる。

関連 こんな人も書いてます日記一覧 - はてなダイアリー

2015-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20150127233707

疎結合するにもAPI仕様とか決めなきゃで

システム間で必須データがないとかで項目追加したり

銀行の慣習で合わせられずに悩んでたりとか

疎結合で行きたいのにAシステムとBシステムで同時にデータを投入しないといけなくて

疎結合にできないから直接コード叩いたりするにしても

その調整もままならないから関係で待たされたり嫌がらせされたり

してるんじゃね?

疎結合ですべてがハッピーなんて絶対にないから

そもそもSOAなんてweb2.0と同じバスワードだw

2015-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20150119165738

ハルヒラノベ自体の知名度向上+ネットを使ったマーケティングとしても注目されたからね。

最近話題ラノベって何?」みたいな記事とワンセットで紹介されたし、「Web2.0マーケティングで大勝利!」といった記事でも紹介された。

それと比べると禁書は単なる大ヒット作でしかない。知名度は格段に劣るよ。

2014-04-06

ゼロ年代以前は、ネットギラギラしてたと思う。

エロ割れ、金儲け、欲望を満たそうとするエネルギーが集まる場所だった。

自分利益と、欲望と、興味を満たそうとするエネルギーが、推進力となってネットを巨大にしていった。

ゼロ年代に入った頃、ITバブルが弾け、ギラギラは一周して、ネットアイディア思想の討論の場になった。

自分利益を追求するだけでなく、「あったらいいね」を形にする場にもなっていった。

いつまでも続く学園祭のような、夢と未来の間にあるような空間、そんな気がしてた。

放送とインターネットの融合やら、日本初のP2Pネットワーク世界を席巻とか、本気で信じた時代があった。

Web2.0かい言葉流行って、これからは凄い飛躍が待っていて、国や企業じゃなくて、ネットが世の中を変えていくと思ったりもした。

結局、堀江貴文逮捕され、Winny違法ソフトのような扱いになり、テレビインターネットの融合なんてものはやってこなかった。

出る杭が打たれたあとのネットは、悪口と妬みだけの、ぜんぜん建設的じゃない世界になった。

主導権は企業と国に逆戻りした。

そして、2010年代、今に至る。

堀江貴文抹殺したあの頃は、国も

オタクこれだけ出来るんなら、俺らが本気だしゃ楽勝」くらいに考えてたんだと思う。

国産検索エンジンを作ろうとか、今考えれば狂気だ。

地上波デジタル双方向性とやらは、昔ながらのテレゴングと大差がない。

最近じゃ技術で攻めるのは無理とわかってきて、クールジャパンとか萌えとかゆるキャラとか、お手軽に金を稼ごうとしてる。

企業も完全に乗り遅れた。

ハードソフトも、完全に日本は負けた。

そいで、今のネットは、バカの自己顕示と、妬みや恨みをばかりだ。

あと5年後のネットは、今より楽しくなるのだろうか。

2014-03-01

Web2.0現在

Web2.0

既存の勝者が時代について行けず転落し、誰もが新たな勝者になることを夢見た時代

ウェブリアルが分かたれ、リアルの束縛がないために、ウェブで自由に振る舞えた時代

ユーザー無料サービスを利用し、コンテンツを生成し、その成果を社会還元していた時代

現在

世界GoogleAmazonAppleFacebookのBIG4に支配され、成功したスタートアップがいずれかに取り込まれていく、硬直したシステムが稼働する時代

ウェブでの振る舞いが、ウェブリアル双方の監視によって抑圧され、著作権が幅を利かせ、ユーザー情報アップロードを躊躇い、TwitterWikipediaが軽視される時代

ユーザーによる成果は運営企業に帰され、コンテンツ使い捨てにされる一方で、2ch転載を拒否して引きこもりBitcoinのような成果が社会によって潰される時代

2013-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20131213101947

いまのはてブホットエントリは、スポーツ新聞にも劣るゴミクソだけど、

これでも以前はITコンサルが「Web2.0で新しいフォークソノミー集合知人類の可能性を切り開く!」とか

煽ってたんだぜ・・・

なつかしいなぁあああああああ!!!(棒)

2013-12-12

コミュニティの栄枯盛衰は見たいと見てほしいのバランスで測れる

みなさんが、2ちゃんねるを今でも見るのはなぜでしょうか。

みなさんが、mixiを笑いのネタにしたのは何時でしょうか。

みなさんが、ニコニコ動画から一歩引いたのは何時ごろでしょうか。

2ちゃんねるという糞サイト日本インターネットにあります

ソーシャルサービスの先駆けであり、最も世界で何度も終わったと言われたサイトですが終わりません。

以前より終わった感がありますmixiより終わっていません。

2ちゃんねる観測していたときネットコミュニティとしての文化終焉に何度も出会えました。

2ちゃんねるは、時代によって中心となる板が代わり、中心が動くことを繰り返すことで不死性を持った謎のサイトです。

一番最初は、開始1年目ぐらいでしょうか。その時代の中心は、ロビーといわれる場所でした。

ロビーとは、日常違和感一般的問題化することで、無駄にしゃべりあうための場所です。

2ちゃんねる以前の掲示板文化をそれなりに継承してたもの

基本は今のニュース速報の様なものを考えて貰えば良いですが、取り扱う視点の広さは比べ物になりませんでした。

この時代を知っている人は、有名固定(笑)とか、その辺が懐かしい人もいるかもしれません。


さて、そんなロビーもだいたい一年ぐらいでダメになりました。原因は、マンネリ

抱え込むネタの広さがマンネリとくだらなさを加速させました。今の嫌儲みたいな感じです。

嫌儲以上にひどい部分は、慣れ合いです。

元々は斬新な視点提供できる人達でしたが、割に合わない思考を放棄するようになり

顔出しても知ってる固定同士でどうでも良い挨拶雑談を繰り返すようになりました。

そんな感じでロビー特筆するような最終回もなく、気が付いたら端にいる板になるようになりました。

その時代の結論は、慣れ合い禁止でした。

内輪ネタによる安易コミュニケーションは、興味の無い他人にとっては「見てほしい」ネタしかなく、「見たい」ネタではないわけです。

これを経験してる人やこの血を受け継ぐ人達は、内輪ネタや身内性に吐き気を催すように調教されています

今のサードブロガーとか言われる人達のそれが醸し出すあれや

mixi死亡が楽しくてたまらないという反応を示します。

ちょうど良いので話は変わってmixiです。

「見てほしい」ネタと「見たい」ネタバランスに対して、革命的な答えを提供したのがSNSです。

mixiのようなソーシャルネットワークサービスは、「見てほしい」ネタしかない内輪ネタ

興味のある人に限定公開することで、「見たい」ネタ昇華させたのです。

好きな人おなら臭いなら嗅ぎたい。それがSNS本質であり、勝因でした。

でも、強引に近づけてしまった距離感が、結果的に息苦しくなり、若者SNS離れを呼びました。。

mixiなので、四行ぐらいでどうでもいいです。

2ちゃんねる歴史に戻ろうかと思ったのですが、飽きました。mixiのせいです。

ネタマンネリ化を防ぐために、外部の時事性に依存したニュース速報

VIP。作り出すことに徹した姿勢や、「見たい」を拡散したまとめサイト、慣れ合いの回帰

ひろゆきが「まとめサイト」に対して好意的なのは「見たい」を拡散する効果なんですね。

2ちゃんねるの不死性は、少なからひろゆき空気の読み方も影響してたと思います。以前は。


で、最近話題のはてなブログマーケティングは「見てほしい」を拡散してるんですね。

「見てほしい」を「見たい」に「見せかける」ツールとして利用されたのが、はてなブックマーク

はてなブックマークは「見たい」に特化したか成功しました。

そこには「見たい」人達が集まる。なのに「見てほしい」人達を流れにのせる。

そんな風に利用されれば、反感を買うのはあたりまです。どちらの彼らのせいでもありません。

「見たい」の正体は、コンテンツです。Web2.0とかそんな時代でもそこが大事でした。

そして、コンテンツマンネリ化した場合、その打開策として利用されるのが

「見てほししい」の無理やりなコンテンツ化です。

なぜかって?新しいコンテンツを作るより、人の欲望を見える化する方が簡単なんです。

ユーザー同士の関連テーブルを作れば終わりです。

それを体現したのが、ニコニコ動画です。ここまで読んだ人には書かなくても伝わる気がします。

で、なぜここまでモチベーションがあがらないかというと、このネタ10年前にみたとか地獄のミサワレベルからです。

本来その先に時に生まれた異端児ストリーム論があるのです。Twitterですね。

そのネタもかなり古いですが。ストリームコミュニティの衰退を定義化されてるのはまだ見たことない気がします。

まだ、衰退してないからか?

なんでこんな古いをネタを書いたかというと、はてなブログから、すんごい古臭い匂いがするんですね。

田舎の押し入れにしまってある布団の匂い

「見てほしい」「見てほしい」文化。下手すると、テキストサイト時代レベル

なんつうか、うちらの世界によるtwitter隔離閉鎖理論が、コミュニティ論そのものを衰退させて

臭い「見てほしい」論に回帰したように感じるのは、僕の観測範囲の狭さでしょう。

時代遅れブログでどうするか、無理やり考え出した古臭さこそ、nextネットコミュニティはてなブログ

なんかすんごい古い感じの、時代遅れな感じで、ループモノは飽きた。

昔なら衰退のトリガになる「見てほしい」のコンテンツ化が、この時代にどうなるか、というのはなんか少しだけ見守りたいけど。

どっちかという、こんなマンネリ論より、新しいコミュニティ論が見たいです。

下を読んでて思いました。

http://anond.hatelabo.jp/20131211152656

2013-09-03

時代についていけてない俺がWebサイト作ったら、やっぱり地味になった

時代についていけてない

最近時代についていけてないことを感じる。

スマホを持っていないことが一番の原因かな。

実は2006年ぐらいにX01HTというスマホを購入して使ってみたんだけど、

自分には合わないと思ってガラケに戻してそのまま。

iPhoneが発売されて大流行するとは思わなかった。

バッテリーも絶好調だしあと5年はガラケで大丈夫そう。

音楽ソニーWALKMAN最初WALKMANを購入して、

変更する必要性も感じなかったので次もWALKMANを購入。10年以上使ってる。

OSはもちろんXP。こだわりは無いのだけど使い続けている。

ネット2chYahooブログTwitterかな。MixiFacebookアカウントは作ったけど

全く使用しなかった。

ふと気づいたら

そんな感じでも、TOEIC学習にはまっていた俺は、IT的に不自由を感じることなく

生活を送っていたんだけど、TOEICにも飽きてくると興味が少しずつITに戻ってきた。

Webサイト作成したいと思ってネットを見て回ったら、自分が知らないメジャーサービスや、

知る以前に終了してしまったサービスが多く存在することに気づいて、

自分が完全に時代に取り残されているという事実に気づいてしまった。

これじゃマズイと思って、さらネットサイトを見て回ったり、

図書館に走って役に立ちそうな本を数冊読んでみた。

時代Web2.0なんだと思ったら数年前の本だった。くそおおお。

今はキュレーション時代?もうこの時代も終わってる?まだギリ大丈夫だよね。

そして、遅れを取り戻すべく、今さらなんだけどSBMRSSリーダー、まとめを使ってみたりして、

自分がつくるサイトはどのようなサイトにすれば良いのか考えてみた。

RSSリーダーみたいな能動検索より、だらぁ~と情報を集めるような

受動検索ができるサイト、速報系やリアルタイム系ではなくて、

もう少し落ち着いた感じのサイトがいいなと思った。

ただし受動的であっても強制的情報を見せられている感じは少し嫌だなと思ったので、

何か良い方法はないかなと考えたら、ひょっとしてシンプルリンク集Webディレクトリ

良いのではないかと閃いた。

う~ん、それは無いかなぁ。Webディレクトリなんて使わないよな。

実際、そういったページは開いた瞬間に閉じるし。

Webディレクトリは復活するか?

どうしてWebディレクトリを使わないのか

1.情報が古いし、更新されずリンク切れが多い

2.良サイトとは言えないサイトが多く登録さている

3.無料情報が少ないサイトが掲載されている

4.カテゴリが多すぎて、フォルダ階層も深すぎ

5.単純なリンクなので、クリックする楽しさが無い

6.画面がごちゃごちゃしてる

7.サイト目的検索じゃなく、SEO対策

これらを一つずつ解決すればそれなりのサイトができるのかも?と思い、

地味になりそうな予感はしたけど、Webディレクトリに決定、作成してみました。

とりあえずベースとなる機能データが登録できたので公開してみます

http://www.sitegle.com/

予想通りなんだけど、地味なんだよね。

まあ、地味なんだけど、使っていくうちに少しずつ素敵に見えてきたけど。不思議だね。

想定ユーザーPCだね。俺がPCしか持ってないからね。

最後に、はてな匿名ダイアリーも地味だよね。

地味だし、浮かれてないし、画像ないし、テキストベースだし。

好きだよ。このサイト

俺好みだね。

2013-08-02

WEB集客2.0時台


WEB集客2.0時台、到来

http://www.sekinet.jp/web2/

いまどきWEB2.0とか言ってるわ、titleで誤変換してるわ、「せきねもん」とか名乗ってるわで、なかなかすごい。

わざとなの?

2013-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20130716120516

状況として、GoogleFacebook現実に膨大なデータを抱えていること、

そして膨大なデータの解析に莫大な投資をしていることがあり、

大規模データを解析するための手法がいろいろと開発されて、

新しい潮流が生まれていることは間違いない。

別に天変地異が起こったわけではないし、

分かりやすブレイクスルーがあったわけでもなく、

ビッグデータ」という単語自体は多分にバズワードなんだが、

それがバズワードとして機能しているという背景自体に注目する必要がある。

バズワードの偉大なる先輩たるWeb2.0だって技術的には枯れたものばかりだったが、

とにもかくにも、あの時代ひとつの変革期であったことに変わりはないわけでな。

2013-06-25

2007年当時のはてなブロゴスフィアの最盛期だったなあと思う

マネタイズさえしなければキャズム関係なく誰も彼も思うようにエントリブックマークしてシェアしてたのに

色気出すためにデザインリニューアルというモヒカン差別策のせいで元から住み着いてたはてな村の住人たちが皆離れて行ってしまった。

フォークソノミーソーシャルを軽視するとか本当に本末転倒だと思う。

その意味2007年当時のはてなWeb2.0体現してたなと思う。

今は色んなブログサービスレッドオーシャンでかろうじてロングテールしてて何だかなと感じてる

昔のような揉め事や新しい村民ヲチする心はもう無くしてしまったんだなあ

http://anond.hatelabo.jp/20130625084705

2013-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20130619180016

地元にいるITリテラシーなんてのとはかけ離れてるがアプリ結構使う内勤の人の言葉

iPhoneGmail検索できなくてキライ」

だそうだ

でも実際はメール一覧の最初検索はある

フラットデザインUI低下って言われるのは、フラット部分が機能なのか装飾なのかわからないトコだと思う

これは想像だけどWin8もそういう経緯でスタート復活させたんじゃないかなーと

確かにフラットな四角のなかに細いフォントメールって書かれててもクリックできる感じはしない


iPhoneでよくあるアイコンのように質感出したもののほうがイイと思うんだよね

なんかとりあえず触りたくなるからタッチする

フラットにはそれがない

あとYahooトップフラットっぽくなったけど、いかにも大失敗しててWeb2.0前のデザインにもどってる

フラットデザインレイアウトから変えないと機能しないのを理解してない感じ。

フラットデザインは容易に作成できるものじゃない

デザイナーはその制作物のわかりやすから門外漢でも批判できる

フラットデザインは余白を大きく取らないと見栄えがしないが、スマホ主流の小さいディスプレイで余白作るとか至難の技だと理解されにくい

結果、クソみたいな管理画面ができあがる

いっとき流行からデザイン根本を変えるとだめだね。

システムサービスユーザーを結ぶのためのものなのに

UIというかデザインの見た目だけで良くして流行りのUIです。

とか言って表面だけ繕うのは辞めて欲しい

企画もディレクターデザイナーも。

UIて使いやすから離れたらダメなんだよ

遷移率も離脱もみて、そもそもサービスの説明になってるかも考慮しようよ

以上、WebUIデザイナーの悩みでした

2013-06-16

煽動』の時代

最近、『煽動』の時代が来てるなと思う。

橋下もそうだし、乙武もそうだし、上杉もそうだし、ノビーも、きっこも、

ブラックじゃないと言い張るワタミ会長も、クソみたいなまとめブログも、正確な情報を流さないマスメディア煽動者だ。

知恵袋とか小町で活動してる釣り師も、煽動者と言えるだろう。無害なほうだが。

今はキュレーション時代じゃない。『煽動』の時代だ。

人々を煽り自分の意のままに動かす時代だ。

Twitterが普及して、誰でもほいほい情報発信・情報共有ができるようになったことが大きい。

個人の情報発信は、まあ昔からされていた。

Web2.0とか言われた時代もそうだった。

当時は新たな時代の幕開けとかなんとか言われてた気がする。

でも、あんなのはサイト管理者ーサイト利用者間か、サイト利用者ーサイト利用者間のツールでしかなく、

そもそもそのサイトを使っていないと意味が無い。

大量の人々を煽動するためには、そこに興味がほとんどない人にも目に入らないといけない。

ブログなんて作っても熱心なファンぐらいしか見ない。

個人の意見を述べたWikiなんて作ってもだれも見ない。

煽動』のためには、ツールの力が足りてなかった。

ただ、ネットの力はその程度のものじゃなかった。

Twitter煽動者に力を授けた。

煽動は数だ。

発信する情報が誰かに見られることこそが重要だ。

見られない情報ゴミだ。

メトカーフの法則では、ネットワーク価値はその利用者数の二乗に比例すると言われる。

煽動者の価値は、煽動者が持つ人的ネットワークに含まれる二乗に比例する。たぶん。

ブログならPV数かURLツイート数、Twitterでいうならフォロワー数だろうか。

フォロワー数が多ければ多いほど、はたから見れば酔狂ともバカとも言える信者を、ファンネルのように動かせる。

敵への攻撃でも、自らの金儲けでも、『俺に一票入れてくれ』でも、布教活動でも、信者を動かしてなんでもできるようになる。

煽動者は行動し、Twitterでつぶやけばいい。信者勝手解釈してやってくれる。

煽動者にとって必要なのは、人々に自らの無謬性を信じさせることだ。

煽動者が発する情報の質は問題ではない。

それが正しかろうが間違っていようが、善であろうが悪であろうが、どうだっていい。

正しさが金を産むとは限らないし、むしろ正しい情報よりも間違った情報人を動かす

人の気持ちを煽り、自らの利益となる行動を取らせることこそが煽動者の目的だ。

不安人を動かす

情報不正確さは不安を呼ぶ。

怒りは人を動かす

善と悪は人の怒りを呼ぶ。

煽動者は絶対的であればあるほどよく、少しでも多くの人に、「私は正しい」ということを洗脳させられば、煽動者の勝ちだ。

アンチの数は問題じゃない。むしろアンチは多ければ多いほどいい。うまくやれば無謬性への洗脳を強められる。

批判者に対して、「あいつらは間違っている。我々が正しい」と攻撃し、それを信じさせればいい。

そういうのはTwitterでやればいい。フォロワー勝手に広めてくれる。

いま、「煽動」の時代が来てる。

ネットde言ってるあの人が真実を伝えてくれる』

ネットde言ってるあのブログ真実を伝えてくれる』

『あの人なら信頼出来る』『あの人なら一票入れる』『あの人が言ってたから〜』

ということを無自覚に考えている人が多くなってきている気がする。

煽動する者が勝つ。

より多くの者を煽動できたものが勝つ。

批判するものは、煽動者に容易に負ける。戦いは数だよ

静観せざるを得ず、煽動者たち、煽動された者たちはより、急進的になっていく。

それが害をもたらさなければいいと思う。

忘れ去られ、消え去れればいいと思う。

ただし、煽動者とその信者たちに、いつ巻き込まれるかはわからない。

煽動から、自衛しないといけない。

声高な煽動者が正しいのかどうかを自らが問わなければいけない。

騙されてほいほい付いて行ったら負け。

煽動』の時代は、とても面倒で、大変な時代な気がする。

2013-06-09

あの頃のネット自然の中で秘密基地を漁ってるような感覚だった

http://anond.hatelabo.jp/20121209000955

自分ネットを始めたのは1999年で小3からだったけど、あの頃は自然の中で秘密基地を漁ってるような感覚だった。

特に個人サイトが消えてしまったのが哀しい。

個人サイトは、その個人がネットという世界表現したいリビドーが詰まっていたように見えた。

整理されていない雑多なサイト構成や、稚拙に濫用されたTABLEタグも、材木や廃品を用いたDIYによって作られたアジトみたいで楽しかった。

サイトを漁る時にはロボット検索エンジンは利用していたようにも思うが、登録型検索エンジンや、個人サイト同士のリンクから辿るのが主であり、それは草木の中で目当ての物を探す、面白い場所を求める冒険のようだった。

でも、気が付いたら、それまでとは異質で、均質な形をもった、ブログが目立つようになっていた。

つの間にかGoogleは、検索単語ダブルクオーテーションで囲まなければ、まともに使えなくなっていた。

Web2.0死語)の頃から、どんどん都市開発の波が押し寄せて、区画整理がはじまり個人サイト廃墟と化し、Infoseek楽天都市開発に買収されたまま打ち捨てられてしまった。

DIVタグにより整備されたサイト構成は、その見た目も、どこか没個性的無味乾燥としたものを感じるようになったと思う。

残ったのは画一的な建造物ばかりが建て並ぶソーシャルサイトブログWIKI都市圏で、そこではWeb1.0の頃よりも人間個人がクローズアップされるようになったけども、個人サイトは消滅した。自分は個人のウェブサイトとして作られ、サイト同士が繋がるネット上の表現物が好きだった。

あれだけ雑多で手作り感覚があった個人サイトは消えてしまったのに、個人サイト周りに巣食っていた、対人関係を消費するネットウォッチャーや、揉め事と言う名の床屋談義は、未だに息衝いているどころか、情報流通・蓄積を効率化していく流れに乗って、TogetterSBMまとめサイトを牙城に、ネットの娯楽として定着し、規模を肥大させたきらいすらある。

ネットにワクワクしないなら自分面白いのを探せ、作れ、本を読め、リアルに出ろ他のものに目を向けろ、というブコメ/TBが付いているけども、それは違う。

ネット以外でワクワクしても、ネットでワクワクしたかった感情とは関係がない。

自分2000年代前半までのネットが好きだった。

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書とかで語られるテキストサイト文化圏付近の諸処ではなく、それらについてはどうでもよく、全く無関係に、自分が見ていて、自分が好きだったインターネットの楽しさについて。

自分が見ていたインターネットの楽しさも、総体すればテキストサイト文化圏をも内包した2000年代前半の日本語インターネットとして言えると思うけども、今は時代によるサイト構造の発展と、均質性の中に取り込まれて、消えてしまった。

ようするに思春期を迎える前の幼児期に見た光景への郷愁かもしれないけど、今のネットよりもワクワクできたのは確かだった。

あの頃の世界が広く思える感覚と、乱雑で未整備だったインターネットが合わさることで目に映る光景だった。

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