2013-06-09

あの頃のネット自然の中で秘密基地を漁ってるような感覚だった

http://anond.hatelabo.jp/20121209000955

自分ネットを始めたのは1999年で小3からだったけど、あの頃は自然の中で秘密基地を漁ってるような感覚だった。

特に個人サイトが消えてしまったのが哀しい。

個人サイトは、その個人がネットという世界表現したいリビドーが詰まっていたように見えた。

整理されていない雑多なサイト構成や、稚拙に濫用されたTABLEタグも、材木や廃品を用いたDIYによって作られたアジトみたいで楽しかった。

サイトを漁る時にはロボット検索エンジンは利用していたようにも思うが、登録型検索エンジンや、個人サイト同士のリンクから辿るのが主であり、それは草木の中で目当ての物を探す、面白い場所を求める冒険のようだった。

でも、気が付いたら、それまでとは異質で、均質な形をもった、ブログが目立つようになっていた。

つの間にかGoogleは、検索単語ダブルクオーテーションで囲まなければ、まともに使えなくなっていた。

Web2.0死語)の頃から、どんどん都市開発の波が押し寄せて、区画整理がはじまり個人サイト廃墟と化し、Infoseek楽天都市開発に買収されたまま打ち捨てられてしまった。

DIVタグにより整備されたサイト構成は、その見た目も、どこか没個性的無味乾燥としたものを感じるようになったと思う。

残ったのは画一的な建造物ばかりが建て並ぶソーシャルサイトブログWIKI都市圏で、そこではWeb1.0の頃よりも人間個人がクローズアップされるようになったけども、個人サイトは消滅した。自分は個人のウェブサイトとして作られ、サイト同士が繋がるネット上の表現物が好きだった。

あれだけ雑多で手作り感覚があった個人サイトは消えてしまったのに、個人サイト周りに巣食っていた、対人関係を消費するネットウォッチャーや、揉め事と言う名の床屋談義は、未だに息衝いているどころか、情報流通・蓄積を効率化していく流れに乗って、TogetterSBMまとめサイトを牙城に、ネットの娯楽として定着し、規模を肥大させたきらいすらある。

ネットにワクワクしないなら自分面白いのを探せ、作れ、本を読め、リアルに出ろ他のものに目を向けろ、というブコメ/TBが付いているけども、それは違う。

ネット以外でワクワクしても、ネットでワクワクしたかった感情とは関係がない。

自分2000年代前半までのネットが好きだった。

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書とかで語られるテキストサイト文化圏付近の諸処ではなく、それらについてはどうでもよく、全く無関係に、自分が見ていて、自分が好きだったインターネットの楽しさについて。

自分が見ていたインターネットの楽しさも、総体すればテキストサイト文化圏をも内包した2000年代前半の日本語インターネットとして言えると思うけども、今は時代によるサイト構造の発展と、均質性の中に取り込まれて、消えてしまった。

ようするに思春期を迎える前の幼児期に見た光景への郷愁かもしれないけど、今のネットよりもワクワクできたのは確かだった。

あの頃の世界が広く思える感覚と、乱雑で未整備だったインターネットが合わさることで目に映る光景だった。

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