はてなキーワード: double sとは
class Obj{ HashMap<String,Double> v = new HashMap<>(); public double distance(Obj o){ double s = 0; for(String k:v.keySet()){ s += (o.v.containsKey(k))?(Math.pow(o.v.get(k)-v.get(k),2)):(0); } if(s == 0)return 0; return Math.sqrt(s); } } Obj p1 = new Obj(); Obj p2 = new Obj(); p1.v.put("X",1.0); p1.v.put("Y",2.0); p1.v.put("Z",3.0); p2.v.put("X",3.0); p2.v.put("Y",4.0); p2.v.put("Z",5.0); System.out.println(p1.distance(p2));
ううううつくしい!
その昔2000年頃に、ドジ研という3D・プログラミング・ゲーム開発関連の緩いコミュニティがあった。その頃はインターネット黎明期で、ブログやSNSといったものはなく、各人がホームページを作って日記を書いている時代だった。そして、omo氏がドジ研アンテナという、ホームページの更新を調べるアンテナサイトを立ち上げていた(steps to phantasien t(2003-12-13))。その後、omo氏のアンテナは閉鎖されてしまったが、Imagire氏が引き継いでt-potアンテナというアンテナサイトが動いている。
このアンテナに登録されたページがどういう基準で選択されたかはわからないけど、今となってみると、それらのサイトのオーナーたちはなかなかにすごいことになっている。その昔、見始めた頃には無名(ないしは駆け出し)だった若者たちが、10年経って成長して活躍されているところを見るのは感慨深いものがある。
omo: Google.co.jp → Google.com ?
Imagire: バンナム, CEDECでIMAGIRE DAY開催, GREE
shi3z: UEI, 未踏・天才プログラマー/スーパークリエイター, enchantMOON
ABA: インディーゲームでコアなファンに大人気 → Wiiに逆移植
Kaneko: Winny
Bee: NVIDIA Fellowship, Siggraphで公演
Masa: Double STEAL, GDC・CEDECで公演, シリコンスタジオ
Mitani: MSR 日本情報学研究賞
kuni: ゲームの賞多数、Wii, DSや、その他プラットフォームでのゲーム開発
(他、あげてない方々も活躍されてることと思うが、把握している方々だけ列挙しました。また、もともと有名だった人は除外しました)
条文が削除されたのはデマではなかろう。意味がない、と言うが、意味がないなら削る意味もないだろう。意味がないということにしたい勢力がいるのではないか? と疑われかねない他の文言改正とあわせて読めばさらに。例えば人権が自由への努力の成果ではなく、「おカミによって与えられ(また奪われる)もの」としているように個人的には感じた(そしてそれは許し難い)。14条は差別の禁止しか言ってないし、11条はわざわざ「将来の国民」から権利を奪うことを明示しているとも読める。
その上、「公益及び公の秩序に反しない限り」だ。
例えば人権が自由への努力の成果ではなく、「おカミによって与えられ(また奪われる)もの」としているように個人的には感じた(そしてそれは許し難い)。
おカミて、神?上?紙?どういう意味で許し難いの?
法律専門じゃないけれど、人では無い憲法という抽象物から権利を与えられ、というのが世界的によくある形態。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
③ 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
自民党案
第十四条 全て国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
??差別の禁止だけでもないし、これ以上何を入れろと?
余計な文章を入れ込むことによって、裁判でおかしな判決で不利益こうむる人も出てくるんだよ?
それに、障害の有無を入れたあたり、評価すべきじゃないの?
侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
「永久に」が残っていれば将来に渡って、の意味も含まれているでしょ。
それより、「国民に」を削って国民以外も視野に置いた点で、在日○○人らには良かった改正じゃないの?
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
自民党案
(人としての尊重等)
第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。
その上、「公益及び公の秩序に反しない限り」だ。
公共の福祉、これは論争がある用語らしいね。面倒だからコピペ。
もっと明瞭な用語に変更して誤用や乱用を防いでいるように取れるんだが、具体的に何が「危険思想」なの?
公共の福祉の意味については、古くは争いがあった。尚、現行憲法では「公共の福祉に反する場合」国民の基本的人権(言論・結社・身体の自由等)を制限できるので、極めて重要である。
一元的外在制約説
公共の福祉という用語は、当初は人権の外にある社会全体の利益を指すために用いられ、公共の福祉を理由として人権を制約することが判例上広く認められていた。この説は、もっぱら人権の外部に「公共の福祉」なる概念が存在し、あらゆる人権保障に制約を加えることができる、という意味で「一元的外在制約説」と呼ばれる。
この説は現在では全く支持されていない。なぜならば「公共の福祉」を根拠にいかなる人権も制限可能であるならば、大日本帝国憲法の“法律の留保付き”の人権保障と全く同じ運用が可能になってしまい、個人の自由を最高の保護法益とする日本国憲法とまったく相容れなくなるからである。
二元的内在外在制約説
公共の福祉により制約が認められる人権は、経済的自由権(22条と29条)と社会権に限られ、12条・13条は訓示的規定に過ぎない、とし、右の権利以外は憲法的制約はなく、それぞれの社会・文化関係から自律的に制約されるのみとする説があり、これを「二元的内在外在制約説」と呼ぶ。
一元的内在制約説(通説)
宮澤俊義により主張され現在の通説とされる学説[1]。公共の福祉を人権相互の矛盾を調整するために認められる実質的公平の原理と解する。この意味での「公共の福祉」とは、憲法規定にかかわらず、すべての人権に論理必然的に内在しているとする。この「公共の福祉」原理は、自由権を各人に公平に保証するための制約を根拠付けるためには"必要最小限度の規制"のみを認め(自由国家的公共の福祉)、社会権を実質的に保証するために社会国家的公共の福祉として機能する、とする[2]。
例えば、憲法上保障される表現の自由は、同じく憲法上、幸福追求権の一種として保障されると解されているプライバシーの権利と衝突する。このような事態が生じる場合に両者の調整を図るための概念が「公共の福祉」である。
もっとも、このような理解に対しては、いかなる場合にいかなる程度の人権の制約が可能であるのか明らかでなく、結局「社会全体の利益」と理解した場合と同程度の不明確さが残るのではないかとの批判がある。このため、一元的内在制約説を人権制約に関する具体的な違憲審査基準の規準として準則化したものとして、「比較衡量論」(ad hoc balancing)や「二重の基準」 (double standard) の理論が提唱されている。なお、公共の福祉による人権制約は法令によってのみ行われ、法令による規制が合理的であるかどうかは違憲立法審査によって行われる。法令以外によっての公共の福祉による人権制約は許されない。例えば契約書や約款・就業規則等の規定が公共の福祉の根拠となることはない。なぜなら民法90条「公序良俗に反する契約は無効」とは全く異なる概念であるからである。
http://bakatumi.hp.infoseek.co.jp/ar_1.html
離婚前の話ですが・・・
私の子供食物アレルギーで小麦と卵がダメ。(蕁麻疹がでてしまう)
なのに義母は「甘やかせすぎだわ」と言って信じてくれない。
ある日、家族で義母の家に行ったとき、私の目を盗んでプリンとクッキーをあげようとしたので
「絶対あげないでくださいね」
と言ったらしぶしぶ納得してた。なのに!私がトイレに行った隙に、あげてしまった・・・。私が悲鳴をあげていると、
「ほら、大丈夫じゃない。美味しそうに食べてるわよ」
って意気揚揚。その後30分後に全身蕁麻疹で苦しみだした。にもかかわらず、
「私のせいじゃない」
と言ってる義母に対して
「孫を殺す気ですか?言い訳する前に救急車早く呼んで下さい!」
それに対して夫も
「おおげさだなー、落ち着けよ」
義母
「そうよそうよ」
と言ったので、
「こんな、子供の体を気遣ってくれないような家族とは、もう家族とは思いたくありません!」
と言って、そのまま一人で全身真っ赤&ブツブツの子供を病院へ連れて行き、そのまま離婚しました。
義母は何度も謝っていたけど、謝りながらも
みたいなことを言っていたので、
「頭おかしいんじゃないですか?」
といって
「もう●●(子供)には一生会わせませんよ」
と言った。泣いていたけど、自業自得でしょう。
ポイントは、義母の“アレルギーに対する理解が浅いor全く無い”こと。
「卵アレルギーの人に卵を食べさせるのは、その人の首を絞めるのに匹敵する」
少なくとも、↑こういう認識がしっかり出来ている人物なら、本人や母親が「アレルギーだ」といっているものを食べさせたり、「甘やかせすぎだわ」とか「アレルギーの子供を産んだあなたが悪い」とかいうセリフは吐かないんである。
要はこの義母、差別意識のカタマリなんである。普段は巧妙に隠しているのかも知れないけどね。果たして、「アレルギーの子供を産んだあなたが悪い」は嫁にとって“核地雷”だったわけで、当然過ぎる帰結として「生涯孫には会わせて貰えない」という報いを受ける事になった。
“アレルギーという物への理解が浅かったor全く無かった”ことは、この時点ではどうにかできる事ではなかっただろう。だが、「元気で何でも食べられる良い子」という理想の孫を追い求めるあまり、“全身真っ赤&ブツブツ”という想定外の事態に対応できずパニックを起こして下手を打った。このような場合の「私のせいじゃない」系のセリフは、「自分が知らない事・理解できないこと・気に入らない事は存在していてはいけない」という、肥大した自意識の裏返しだ。
なるほど、確かに「知らなかった事はどうしようもない」し、「理解が及んでいなかった事」自体を吊るし上げても何も生まないし何の利益も無い。この義母だって、生まれ着いての差別主義者ではなかっただろう。義母には義母なりの背景も歴史も事情もあって、そのような人格を形成してきたのに違いない。
「自分の血縁を健康優良児で固めたい」というのは、「そのように“価値の高いもの”で周りを固めていなければ落ち着いていられない」ということでもある。そのような人物の日常が、「こころ豊かで穏やかなもの」でありえるのだろうか?総合的に見て、一番気の毒なのはこの義母なのかもしれない。なぜなら、「やってしまった事への後悔や後味の悪さ」は、誰にも肩代わりはしてもらえないのだから。
さて、この件で“悪い”のはいったい誰だったのだろうか?
アレルギーをもって生まれてきた子供?そんな子供を生んだ嫁?何の役にも立たなかった旦那?それとも?
追記:「アレルギー離婚の何を知っているんだ?」という声が聞こえてきそうだ。もちろん、この件の当事者であったわけではないから、直接知っているわけではない。だけれども、
「蕁麻疹が出るから食べられない」といっているのに、「そんな甘えが許されると思っているのか!みんなと同じものが食べられないなんて許されるか!!」といってムリヤリ食べさせられる。⇒リアルで死に掛けて保健室or病院送り⇒「鍛えてやったんだから感謝しなさい」
みたいなことは、幼少期に2度3度ならず経験しているのでね。“自称”常識人や“自称”普通人に対しては恨み骨髄なんである。やっちゃった方は「知らなかったから仕方が無い」でも、こっちは2度も3度も殺されかけているわけだから、そういうことに関しては非常に採点が辛いんである。悪しからず。
卵アレルギーの人に卵を食べさせる事も、
ライナス・ヴァンペルトが引きずっている“薄汚れた毛布”を無理やり取り上げる事も。
http://anond.hatelabo.jp/20090402142657 ←これを書いた横増田。
id:cambrian (http://anond.hatelabo.jp/cambrian/)
マンナンライフ事件やアレルギーの件については id:Terra-Khan 氏のエントリーが詳しいのでそっちを参照してください。
http://d.hatena.ne.jp/Terra-Khan/20090310/1236615975
(Double Side ~こんにゃくゼリー問題について2側面からのエントリ~ 当直医の警告)
http://anond.hatelabo.jp/20090402172919の増田には悪いんだけれどもね?
アレルギー離婚(http://bakatumi.hp.infoseek.co.jp/ar_1.html)に出てくる子供のような目にあうのは、小学校低学年の頃までは割りと良く有ったのだよ。日常茶飯事とは言わないけれど、2回や3回じゃぁ納まらない。おかしなもので、蕁麻疹の出る食べ物というのが毎年ように違ったから、その度にアレルギーで蕁麻疹を発生させては寝込んでいたものだ。
最初が牛乳、次の年が卵、山芋(とろろいも)なんて事もあったっけ。
最初の1回は止むを得ないでしょ?誰も知らないし、分かってなかったんだから。だけれども、蕁麻疹が出るから嫌だと言っているのに、「アレルギーだなんて只の言い訳だ」「甘えてるんだ」「残していいと思っているのか」とか言われて無理やり食べさせられて、後で死ぬほどのた打ち回った事も2回や3回ではない。
担任が変わる度に、あるいは団体行動で監督する人間が変わる度に同じ事が繰り返されてきた。アレルギーで苦しんでいるのを見てきたはずの周りの連中が何かしてくれたかというと、黙ってみているだけだった。だから、「無知や無理解、無関心」が原因で人死にが出得るというのは、実体験としてよ~く分かっているともさ。
まぁそんなわけで、軽々しく「べき」や「教条主義」を振り回したがるような種類の人間に対しては恨み骨髄。おきてしまった事を今更如何こうしてくれとは言わない。そんなことは誰にも出来ない。
知らない事が無礼だなんて事がどこに書いてあるのかね?>http://anond.hatelabo.jp/20090402192746
繰り返しになるけれども、
「知らない事は理解しようがない。理解できていない事は実践できるはずも無い」
これが事実であり、真理。知らなかった事は防ぎようが無いけれども、それが原因で取り返しが付かない事態のトリガーを引いちゃったら、その罪悪感や後悔は「トリガーを引いちゃった人」が背負う事になる。
誰も肩代わりは出来無いでしょ?違うの?
ライナス・ヴァンペルトやアレルギー離婚については、いずれまた改めて書くことにしましょう。
追記:http://anond.hatelabo.jp/20090403000323
毛布を引き摺っているのはライナス・ヴァンペルトだよ。
指摘があったので修正しました。記憶違いで面目ない。