はてなキーワード: 茂木とは
社会人になって趣味で世界史をだらだら勉強してるもんなんだけど、youtubeで世界史授業の動画探したらこんなのでてきた。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLdG31GUo-My-kgENYDal25CJtarSwk7CD
https://www.youtube.com/playlist?list=PL10Gth9S1y6UsjC7frDds4xH3-mWbfTPR
二つとも登録不要で無料。その他にもN予備校っていうのに登録すれば茂木誠という有名な世界史受験講師の動画も70-80個ただで見れる。
あとはCMでやってる月額900円で教科問わず見放題のサービスがあるのはご存知通り。
今の子はこういうのが当たり前でスマホ片手に勉強してるんだよなあ。
こんなわかりやすい授業をただで受けられるなんて羨ましい。
そりゃ学校の授業なんて聞かないよな。
今までは個人個人・素人が単発でクオリティ無視でyoutubeに挙げてたけど、こういうプロが体系だった授業をフリーで提供する時代になったことにちょっとした感動がある。
僕らはそういう恩恵は受けられなかったけど、社会人勉強としてはタダで教材が整ってきたといえるし、敷居はずいぶん低くなったと思う。
今更ではあるんだけど、なんか人に伝えたくなって書いてみた。
去年の都知事選の言いたいことを言うニコ生を見て以来東浩紀がめちゃくちゃ好き。彼の本は一冊も読んだことないけど。
都知事選の時に鳥越に投票した津田大介のことをボロクソになじってて超好きになった。政治の話でバカみたいな冗談言ってる姿ってあんまり見たことないから新鮮でよかった。
先週の証人喚問を受けてのニコ生も茂木が嫌いだから最初はクソつまんなかったけど、茂木が帰ってからの津田大介と二人でインターネット昔話とか男子校やばいって言ってる姿がよかった。40代のインターネットで嫌われてるおじさん二人の童貞卒業の話きもくて良い。
東浩紀が言ってることはズレてるとか何も分かってないって言う人たくさんいるし、その人達が言ってることも分かるけどそれでも話が面白くて好き。エンターテイメント。批評家とか哲学者とか思うからこいつ何言ってんだってなるけど、ちょっと政治の話好きなおじさんと思うと可愛くて仕方ない。
一昨日も自分の著書のサインを2000冊くらい延々とサインするニコ生見てたら、最後の方はなぜかサーバルちゃんの絵を描かせられてたり、火がついた紙飛行機を描かせられてたりしてバカバカしくてよかった。本人は見てないからインターネットで検索して必死に描いてたwあと自分の髪が薄くなったことに対して嘆いてたり。見た目がきたないってみんな言うけどそこ含めて超良いよな。東大出てるのに「左翼は白髪で右翼はハゲだから俺は頭髪的には右翼のはずなのに!」とか言っててさ。
茂木健一郎のTwitterが盛り上がっている。(一番盛り上がっているのは茂木自身だ)
なにやらTVに出ているコメディアンの国際的水準に満たない陳腐な笑いに辟易してるらしい。(笑い話では無いようだ。)
しかし、なにやら今回の主張は違和感がある。なぜ、コメディアンの国際的水準に合わせないと日本の芸人がオワコンになるのだろう。ネトウヨがこの論理を使えば国際的に見たときに日本の憲法は国際的水準を満たしていないからオワコンだ、となりそうなものである。(実際にあったよね。)
冷静に見て、明らかに今回の茂木の主張はその国固有の文化に対する感性が発揮されていない。
本来、茂木の日本のマスメディア、殊にテレビ報道に対する姿勢が、今回の主張のような論理であったはずだ。この先茂木は、政治、報道、お笑い、映画、音楽、小説、コラム......と続いてついには日本人の精神構造は欧米人に達していない、キリストを崇拝すべきだ、とも言いかねない感じもある。(あるいはない。)
私の診断はこうだ。マスメディアに対する積年の恨みを書いていたら突然テレビで日本のお笑い怪獣が東大生と仲良く馬鹿をやっていた。茂木は東大生の劣化を憂いつつトランプに代表されるような、各国のナショナリズムの高まり、および人種差別運動の拡がりが駆け巡り、アカデミー賞での気の利いたユーモア(少なくともアメリカでは気の利いたという事になる)と、こんな日本が不安に苛まれている時に実に緊張感(ここで言う緊張感とはお笑い芸人の芸に関するものではなく、政治に関する鋭い批評の事である)のない笑いに、、、キレたのである。
日本のお笑いの真っ当な批評は別にあるはずだ、と思わせるくらいに茂木の主張が陳腐なのはこのような理由からだろうとしか思えない。(陳腐というのは日本のコメディアンと一括りにする乱暴さと、先述の固有の文化に対する感性の薄さである。)
お笑い芸人達が鎬(しのぎ)を削って作り上げた真っ当な日本の笑いが今後も、例え憲法が改正され日本が何処かの国と戦争しても、ヘイトがますます勢いを持っても、茶の間にあり続ける事を願うものである。
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ぼくはバカだったので、SEALDsの国会前デモに行って、キヨシローさんの「FM東京」の替え歌を歌いました。ぼくはバカだからはんせいなぞしない。利口な奴はたんと反省してみるがいいぢゃないか。
…だったら評価した。
ぼくはバカだったので、SEALDsの国会前デモに行って、歌いました
昨日、堀江貴文さんとのラジオの収録があった。ぼくの大好きな堀江貴文。彼は偉大である。
そしたら、台本に、「SEALDs」って書いてあったから、おいおい、オレと堀江を喧嘩させる気か、と思った。まあ、作家の狙いはわかったけど(笑)。
それで、ぼくが、台本を見ながら、「SEALDsねえ」と適当にごまかしていたら、堀江が、さっそくど真ん中に突っ込んできた。
「そもそも、茂木さん、なんでデモに行くんですか?」って。それで、とっさに出た回答が、案外本質を衝いているような気がするので、そのことを書く。
「あのさあ、堀江ちゃんさあ」とぼくは言った。「オレ、90%は賢いんだけど10%はバカなんだよ。バカだから、デモ言って、キヨシロー歌っちゃうんだ」。
そう、本当に賢いやつは、恐らくデモ行かない。だって、今回の安保法案だって、おそらく自民党が通しちゃうだろうことは見えていたから。
あの日、SEALDsからツイッターのDMで「デモ来てください」と連絡がきて、「じゃあ、いくか」と判断するのに、数秒もかからなかった。
その時、後先とか、その意義(笑)とか、何も考えていない。現場に行って、「じゃあ、キヨシロー歌うしかないな」と決めるのも、数秒しかかかってない。
要するに、後先考えないバカなのである。それ以上でもそれ以下でもない。
SEALDsの連中だって、「絶対に止める」なんて、止められるはずが本当はないって、本人たちもきっとわかっていて、同類のバカなのだろうと思う。そして、ぼくは、「ある種の」バカにやさしい。「すべての」バカではない。
「オレは10%はバカだから」デモに行った、という答えに、堀江貴文さんが納得したかどうかはわからない。今考えると、10%じゃなくて、30%とか、50%バカ、と言った方が、より正確だったかもしれない。
というわけで、ぼくはバカだったので、SEALDsの国会前デモに行って、キヨシローさんの「FM東京」の替え歌を歌いました。それ以上でも、それ以下でもありません。申し訳ありませんでした。以上。
https://www.facebook.com/kenichiromogiqualia/posts/781962988597027
あんなのを「若者」って言って一括りにされちゃそりゃ反感買うって。
その上SEALDsって、活動の様子の動画をネットに上げまくってるみたいだけどさあ。
http://www.youtube.com/watch?v=aFH3btaaktA
http://www.youtube.com/watch?v=Spi71ArYwTQ
仮に興味持ったとして、検索してこんな動画出てきたら引くだろ普通・・・。
俺は、若者が~ってのと、SEALDsはヒップホップ/ラップでデモ云々みたいな話聞いてこの動画見たワケだけど。
コールアンドレスポンスの体だって事は分かるけど、新興宗教かよとしか思えんわ。
茂木とか津田みたいなのにつられて、今回メディアもなんとなく囃し立てちゃったじゃん?
「若者が~」とか「オシャレな~」っていうのを強調というか、セールスポイントにして。
結果として「ダサいじゃん」「胡散くせえ」ってなった若者、結構いると思うんだよねえ。
彼らはオッサン向けの「若さ」を評価されたんだろうけどさ。(そういうのかなり需要あるしね。)
統括するにはまだ早いと思うのだけど覚書。
【1】一連の騒動について
【2】デザイン的に見てどう思うか
【3】佐野氏に同情できるか
【1】一連の騒動について
サノケンのエンブレム取り下げまでの一連の事件を振り返ってグーグル会長が書いたエリック・シュミット『第五の権力』を思い出したので書いておく。
まず第五の権力とは何か。
行政、司法、立法の3つの権力に対して今まで報道を第四の権力となぞらえていた。それを本書でエリックは第五の権力のことを、全世界の人がオンラインでつながったことで手にする力と言っていて、つまりインターネットをもった我々のことで、有体にいえば『炎上』のことである。
で、サノケンの炎上だけど、これまでの炎上と明確に一つ違う点があることを留意しておきたいと思う。
海外のデザイナーやフォトグラファーらとニュースを通じてオンライン上で繋がり、情報が次々と提供され、外堀を着々と埋められてしまって国はもう言い逃れできなくなってしまった。
恥の文化がある日本人にとって、海外のリアクションはすごく耳が痛かっただろうなと思う。
で第五の権力、つまり『炎上』についてまだまだ日本で過小評価されているような気がする。
佐々木俊尚氏に限っては、いまだにネット民の自制が必要みたいなナイーブな話をしているし、茂木健一郎氏は、権威者層に対する下位層による妬み、対立みたいな話になっている。
いやいや、デザイナー・広告業界からのタレコミが多かったと思うけどな。政府関係者の中にもサノケンのエンブレムが気に入らなかった人は大勢いたんじゃないかなと思うし。
ていうか、妬みの力だけで国は動かないし、動かせるわけがない。もし妬みで国を変えられるのなら、Gakut何人必要なんだよって話だよね。
トートバックの事案、過去のデザインの掘り出し、原案の意匠の発表と、無視できない事案が重なってエンブレムが取り下げになった。
もしかしたらデザイン業界ではコピペ(盗用)・改変(剽窃)は、慣例的に、普通に行われていたのかもしれない。
でも、もうそれは許されることではなくなった。
どうでもいいけど、茂木氏がクオリア(死語)的にデザインが受け付けないと語った時にはこれはギャグなのかなと思った。
【2】デザイン的に見て
素人目に佐野エンブレムのデザイン的に悪いところを個人的に挙げておく。
1:デザインが堅苦しい。
スポーツの躍動感がない。
祭典のイメージがない等
2:パラリンピックの白黒反転ロゴが、『T』に見えず、『U』に見えること
佐野的にはパラリンピックは『=』(イコール、平等)をイメージしたらしいがパラリンピック関係者は、それを
聞いてどう思っただろうね?
まだ『U』でUNITE(結合)とした方が良かったのではないか。せっかく26文字作ったんだからさ。
3アルファベットイニシャルが、日本人にはそもそも受け付けないものであること。
なんでTOKYOのTなんだろうね?
たぶんあれは原案を元に作成されたもので、意匠変更を経て発表できなくなったものなんだろうなと推測。
素人目には、ここまで悪いところを挙げられる。
あとプロと素人の境界は職務に対して『批判的』になれるかである。
批判的になれないのは『商売人』であって、『プロフェッショナル』ではない。
【3】佐野氏に同情できるか
はっきり言って、どうでもいい。
同情は彼の仲間が(同情)するべきことで、無関係の我々がすることではない、よね?
著作権を軽視してトレパクすることは、他人の住所を勝手にネットに書き込みすることに等しい犯罪であることを認識してほしい。
とりあえずインターネットウィルスによる情報漏えいと同クラスの対策を取らないと自社、取引先の企業価値を大きく毀損する結果になるとだけ忠告しておく。
TPPによって著作権侵害の非親告による摘発が可能になればさらにこの流れは加速するはずだ。
むしろ、このことによってオリジナルのクリエイターの権利が守られることを望みたい。
そういえばトートバックの件でで剽窃したと思われる猫のデザインはいつになったら取り下げてくれるのだろうと思っている。
佐野デザインと名前を付けている以上、名前に大きく責任を持つべきだと思う。
盗用されて被害を受けているデザイナー、フォトグラファー、クリエイターが実際にいることを忘れちゃいけないと思う。
クリエイトすることによって飯を食っている人たちであることを忘れちゃいけない。
佐野氏より、五輪提携企業より先に、こちらに対して、まずどう補償していくのかが今後のこのサノケン事件の焦点になるのかなと思っている。
才能があるのに無名で売れないクリエイターってたくさんいるんだからさ、これを機に還元される流れになってほしいな。
以上です。
数年前から「社会学者」という古市某という人が、若手の論客として幅を利かせているのを、よく見かけるようになった。
「学者」というからには、どんな研究をして、いかなる学術論文を発表されているのかと思ってCiNii Articlesで検索をかけてみたが、
ざっと見る限り、いわゆる総合雑誌とかの記事が多くて、しかるべき査読を経たような学術論文はほとんど発表されてないようだ。
参考までにwikipediaを検索してみると、この人は「大学院生」だとなっていた。
なるほど。
学者というのは、やはり、研究成果を世に問い続けてこその存在であって
既存の知見を上手く組あわせて、ただかみ砕いて説明したり、
ちょっとした思い付きで、複雑な問題を分かったったような気にさせたり、
ちょっと斜めからなんか気の利いたようなことを言って場を盛り上げる人たちとは違うと思う。
古市某のような感じでテレビにでているのだけれど、「○○学者」じゃなくて「○○評論家」という肩書を使っている人たちもいる。
まあ、評論家といえば、どこまで裏付けがあるのかよくわからないけれど面白げなことを放言して「ホンマでっか?」と言わせる人たちだという印象が、
ここ数年でついてしまった感じがあるのだが、個人的には、本当の評論家というのは、たとえば「現代美術が全く分からない人」にたいして、
15分で「現代美術とは何か」説明してくださいといわれたら、とりあえず、「魅力の一端」くらいを伝えてくれて
「なるほど、ちょっと面白そうだな、今度、そういう目で現代美術を見てみようかな?」とか思わせられるような人のことじゃないかと思っている。
「○○漫談の人」というのは、
以前、番組のゲストにきた杉村太蔵に対して、有吉が「アナタ、今、本業はなんなの? 政治漫談の人?」と言っていたのを見て、
「やはりうまいこと言うなあ」と感心して以来、個人的に使っている。
この言葉を使い始めて以来、世の中を見回してみると「脳科学漫談の人」とか、「生物学漫談の人」とか、「国際関係論漫談の人」とか、いろんな漫談の人が活躍していることに気付いた。。
なお、巷には、脳科学をネタに、なにかと「Aha~」と言っている茂木某のことを「アハ芸人」と呼んでいる人もいるが、
お笑い好きの自分としては「芸人」という言葉を安易に使ってほしくないという気持ちがある。
やはり笑いにそれなりに命を懸けている人たちこそが「芸人」なのであって、「アハの人」は、自分の中では「脳科学漫談の人」という棚に整理している。
マスメディアは、「学者」「評論家」「漫談の人」をちゃんと区別してはくれないようなので、したり顔で何かを語っているタレント以外の人を見かけると、
自分の中で「こいつは学者」「こいつは漫談の人」と整理しているのだが、気が付くと「漫談の人」の棚ばかりが溢れんばかりになってしまっている。
特に、粘着された結果消耗して、という引越のしかたが一番モッタイナイと思う。
そこで、夏休みに親戚のちびっ子連中に教えたネットリテラシーの中から、いくつか対処法を書いておこうと思う。
一応、「匿名の場合、書いてる相手は全員小学生だと思って対応するのが良いよ」と言ってある。
勘違いしやすいが、知識が無い事と、罵倒することは別のことだ。
同じ意見に固執してしまう(意見を変えない、指摘を受け入れない)相手と、
正しい意見だからと罵倒する相手であれば、固執する相手の方と付き合うべきだ。
だから、「右が正しい」と書いたら「いや左だ」と言われ、
「左でも良いかも」と訂正したら「いや右だろう」と言われ、
「真ん中かも」と書くと、「いや真ん中の選択肢は無い」と言われるコトがある。
2chなんかで良くあることだけど、何をやっても批判される状況というのは、結構ある。
右向いても左向いても、下手をすると「なにもしないこと」を批判されたりする。
なにか「これだ!」と思って書き込みをした後で、フルボッコになることがある。
そう言うとき、冷静になって以下のどのパターンか観る必要がある。
1番なら、気にしすぎだったり、意見の届かない人だったりすることがある。
2番なら、「ある特定の人達」をボコらせに走らせる書き方をしていないか見直してみる
3番なら、どんなに自分が正しいと思っていても、見直してみる
大抵の場合、自分が間違っていることが多いが、そうじゃないことも多い。
海外ドラマのすばらしさを言うために、日本のドラマはアイドルばっかりだ、と言ってしまうとか
トップギアのおもしろさを伝えたくて、NHKのドキュメンタリーを馬鹿にしてしまうとか
自分の買ったスマホが嬉しくて、他のスマホの不備や欠点だけあげつらってしまうとか
バトルシップを熱く語りすぎて、うっかりジョン・カーターに触れてしまうとか
前半だけ言えば良いのに、というパターン。
気をつけていてもやってしまうのが人間なので、指摘してくれたことに感謝して、謝罪しよう。
これはモヒカンたる村民なら別に問題ないんだけど、子供達にはちょっと早い話題がある。
「放射能」「原発再稼働」「EM菌」「日韓関係」「アベノミクス」等々
読んで良く判らないようなことを言う人が大量にやってくる話題があって、そう言うときは
「自分はまだ良く判ってなかった、勉強する」とだけ書いて、忘れなさい、と伝えてある。
単発で相手をすることはあっても、連続してやりとりをしない。
この場合の匿名とは、IDで追いかけられない(連続性が不明)な相手と、という意味だ。
(IDで追いかけることが出来ても、連続で相手をしない方が良い場合もある。2chとか)
これは、相手は急にいなくなることが出来るし、さっき言ったのは自分じゃないからその議論は意味がない、とか言われて消耗するからだ。
匿名だからと言って無視しなくても良いけど、連続してやりとりをしてはいけない。
「正しい意見なのだから、伝え方はどんな方法であっても構わない」というのは正しいので、
「罵倒を混ぜず、普通の伝え方で、意見を伝える」人とだけ、対応するようにする。
たまに、意見が正しければ罵倒も正しい(罵倒することでしか意見を伝える事が出来ない)という信念の人もいるけれども、そう言う人とは距離を置こう。
足を捻挫しているときに遊園地に行っても楽しめないのと同じで、実は精神的な傷も行動に影響が出る。
ソレは目に見えないほど小さな傷かも知れないけれども,蓄積すると結構な重荷になる。
だから、「罵倒をする」「口汚い言葉遣いをする」相手は、一切無視する。
(これは「以後一切やりとりをしない」という意味ではないのがポイントだ)
それ以外の人と普通に議論をしたりやりとりをするのを観れば、相手は去っていくか、対応を改める。
例えば自分は「腐れハゲが」と書いてあっても気にしないが「茂木某が」みたいな、相手の名前をワザと知らない風に書く場合は罵倒だと判断してる。
親戚のちびっ子は不思議そうにしていたが、「自分にとって嫌な気分になる単語」を使っていれば無視でOKだと言ってある。
対応する場合としない場合をキチンと分け、自分が嫌な気分になる言葉遣いをする相手は無視する(返事をしない)のが一番良い。
(読んで楽しむのは下世話な趣味で、それ自体は良いと思うが、対応するのとはまた違う)
世の中には罵倒を混ぜずに、誤りを指摘する人や、その意見とは見解が異なると言ってくれる人もいる。
そして、そう言う相手とだけやりあっていても、モヒカンにはなれる。
なお、親戚のちびっ子には言っていなくて、親にだけ伝えてあることだけど、
ネットは無職で暇な粘着質の人もマレにいて無視してもしつこく罵倒を続けたり、個人情報を暴こうとする人がいる
(例えば、天気や日没、電車の遅延、テレビの話題など、気にせずに出てしまう個人を絞る為の情報は相当数ある)
そう言うときは、発信者情報開示請求を使うと最近はすぐ判るし、ヤバいな、と思ったら弁護士立てると示談まではスムーズに行くよ、と伝えてある。
30〜50万くらいなら必要経費だろと思って裁判で負けても良いやと考えて書いてる人もたまに見かけるけど、それはまた別のお話。
幸せの絶対条件?思い込みと幻想が幸せになれない理由かも - 能面ヅラ美
「あなたは自分が40歳になった時、結婚して子供がいるのと独身でいる事、どちらが幸せだと思う?」と問いかけていた。
その質問に対し女性タレントは、視聴者を意識しているのか少し遠慮がちに「うーん。でもやっぱり…結婚して子供がいる方が幸せかなぁと思いますね」と答えた。当時私もそう思い、ひとりでテレビに向かって頷いていた。
それに対し、茂木先生は「ほとんどの人がそう考えてしまうのだけど、本当は結婚していても独身でも、どちらも"幸せ"は同じなんですよ」と言った。「40歳の時に結婚して子供がいる方が幸せ」と思ってしまうのは脳の勝手な"思い込み"であり、本当はどちらも幸せに変わりはないのだと。
危ない!
これは、問いが誤っている。
正しい問いは、
「あなたは自分が40歳になった時、結婚して子供がいる幸せと、独身でいる幸せと、どちらの幸せを望む?」
だよ。
20代、30代は、独身のまま気ままに遊ぶのが楽しい。それが楽しければ楽しいほど、(結婚という)変化を先延ばしにしてしまう。
就職活動の面接で3回以上聞かれたこととhttp://anond.hatelabo.jp/20130928103801へ返信。このためだけにはてなアカウントを作成した。企業側がなぜこういう質問をするのか、そのモチベーションのようなものを理解しておくのは損にならないのではないか。
一般にこの類いの質問に対しての自分の理解は、真剣に自分の数年〜数十年を過ごすことを考えたか、またそのために準備をしているか、を確認するものだと思っている。30社受けていると、1社あたりへの集中の配分が薄くなるのは当然だと思う。しかし、だとしても、その中から内定をもらい、在籍中の人生の10%強(8h*5 / 24h * 7)を過ごすことになるのだから、よく準備するのに損はないのではないか。社畜になる、ならないでなく、10%というのは思ったよりも本当に大きなものになってくる、というのが実感。
会社側も選びたい。したがってこれらの質問があることは必然。中途採用の場合はこの項目が経歴説明でカバーされる。選んでもらうには何らかの特徴を印象づけるのが効果的。
この質問は企業側からしたら致し方なくしている質問かもしれない。中途であれば経歴を聞くことで、能力や担当可能範囲を見極めていくことができる。しかし新卒には経歴がない。したがって、高校時代や大学1, 2年生頃の決断にも質問を及ぼさざるを得なくなる。これらの決断時点で、整理された判断ができた学生なんているんだろうか。
この質問群。バイトって必須なのか? サークルって必須なのか? これらの質問の背景は、いわゆる「コミュニケーション能力」や「チームワーク」のポテンシャルを見極めたいということではないのか。もしバイトやサークルの経験がないのであれば、面接官に次のように聞くなどできないか:「直接の回答としては経験がない。ただ、この質問の意図を確認させていただきたい。コミュニケーション能力や、チームワーク経験、そういったものを確認されたいのか」。当然、このように切り込むからにはそれなりの材料を揃えておく必要がある。
【その他】
終わり。
質問がカテゴライズされており、回答しやすかった。元増田は分類力、分析力をアピールしていく手もあるかもしれない。具体例を出せることが前提だけど。面接を、というか就職活動を、先が見えないかもしれないが楽しんでみてください。あるいは、楽しめるポイントを見つけられるよう、日々を過ごしてみてください。
まーたF1ファンの他競技disかよ。INDYが危険性を楽しむスポーツだったらどうしてダンの死亡事故の後でレギュレーションが変わったの?あのダサいタイヤカバーもF1における段差ノーズと同じように、見た目より安全性を重視した結果でしょ。二輪のMotoGPでは鈴鹿は安全基準を満たさないとされ日本GPは茂木でやるようになったけど、どうしてF1では今も鈴鹿で開催し続けてるの?複数のF1ドライバーが鈴鹿はエスケープゾーンが狭すぎるって危険性を指摘してるけど、何か重大事故が起こるまで無視するつもりなの?
どのモータースポーツ競技だって与えられた条件内でどうやったら安全になるのか検討され続けてるし、死亡事故が起きて嬉しいモータースポーツファンなんてめったにいないんだよ。F1だけが特別みたいな言説はもううんざりだ。
少なくともテレビや他の分野での発言は、全くもって無意味、と言うかむしろ悪。
ちょっとテレビが絡んでたんで講演会みたいので何故か茂木が来て話をしてたが、
驚くほど的はずれな話ばかりしてた。
素人質問するのは別に構わないし、そのために呼ばれてるんだろうけど、
ちょっと知ったかするから一般の人にも意味ない内容だし、専門の学生からしてもどうでもいい内容。
(それもつたない英語で。
教授の方も内容が意味不明なのか英語が意味不明なのか分からない、と言った感じで、
なんとなく差し障りの無い内容で答えてたが...
もっと一般の人が知りたい答えを引き出せるしよっぽどマシ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その後、空っぽになった僕は地元に連れ戻され、予備校の寮に叩き込まれて今に至る。休憩時間にこつこつと書き続け、ようやく回想が終わった。
結局、どこで間違えたのか。学校を選び間違えたのだろうか。何かのイベントや団体を組織しなかったのがいけなかったのか。そもそも東京に行ったこと自体が間違いだったのか。
皮肉にも夢破れて地元に帰り、死人のように予備校で勉強しているうちに、今更ながらわかったことがある。
「何事も基礎が大事」ということだ。W塾の先生が言ってた「前提」がそれだ。
勉強も、基礎がわかっていないのに発展問題をやろうとしてもそれは無理があるのと同じで、一高校生の身分で大学生や社会人の真似事をやろうにも所詮限界というものがあるのだ。
ここまで読んでもまだ、「いや、コイツは残念に終わったけれどオレはビッグな高校生になれるはずだ!」とか、「何言ってんだ、マークザッカーバーグやスティーブジョブスを見ろ。彼らは皆学校を蹴って新しく起業したんだ」とかいまだに思い過ごしている学生がいるかもしれない。
断言する。お前には無理だ。
「何を言う!まだわからないだろう!」と、画面の向こうから叫びが聞こえてくるが、言い分としてはよく分かる。かつての僕も同じだったから。
だがな、じゃあ何でそんなに崇高な志を持っているのに呑気にPCしてこのダイアリー見てるんだ?
本当の意味で「突き抜けている」学生は、たいていの場合自分が突き抜けていることにさえ気がついていない天才肌なのだ。確かに、「これこれこうで、こうしたいから自分はこうする」と、自らの情熱を制御して結果的に周りから見て突き抜けている学生も、いるにはいる。片手で数えられるほどには。
それ以外は、「気がついたら自分は周りから持ち上げられていて、テレビや雑誌からも取材を受けて、なんか大学にも推薦で合格していた」ってタイプだ。
これは起業とかにもいえるだろうが、どちらにしろ、本気で高校生時代に才能を開花させ、抜きん出ることのできる学生はほんの一握りだということを肝に銘じておいたほうがいい。あくまで僕の予測だが、そんな人は興味を示し集まってきた中で一万、いや十万人に一人いるかいないかだろう。
それでも自己顕示欲、フロンティア・スピリットとやらを押さえつけられないのならば、それは仕方ない。どうぞ自己責任でご存分に持ち前の力を発揮してくださいとしか言いようが無い。
今更になるかもしれないが、僕はそのとてつもないエネルギー自体は否定していない。成功して世の中のためになることもあるからだ。だけど、たいていの場合よく分からない方向へ向けられて、結局エネルギー切れになって方向性もうやむやになり没落する、それをもう見ていられないのだ。そもそもそれは今やるべきことなのか。
W塾でのあの一件以来なんとなく考えていて、地元に帰ってくる羽目になってようやく気がついたことがある。
何事もやはり学力が大事・・・なことももちろんそうなのだが、どうやら僕がそれに気づかない「空気」の中に3年間ずっと浸り続けてきたのだ。
例えば、脳科学者の茂木健一郎氏が、自身のblog上でこんなことを言っている。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2013/03/post-cfd5.html
然るに、「偏差値という縛りから日本の大学は早く抜け出すべきだ」とでも言いたいのだろうか。
しかし、その茂木氏のWikipediaを見てみると何だ。出身校に日本の最難関大学の名前が出てきているじゃないか。
これはどういうことなのか。
もし茂木氏が偏差値30の大学を出て、「僕もこんな大学出たけれど、それなりにつつましく生きています。日本は偏差値教育をやめるべきだ。」というのなら、まだ話は分かる。
茂木氏のほかにも、日本のオピニオン・リーダーと言われてる言論人や政治家、経営者のほとんどが難関大に入っていた。例外としてとらえるべき人は、GMOグループの社長で、放送大学卒の熊谷氏ぐらいだろう。
そんな偏差値70もあるような人が、「偏差値教育は悪い」と言う。抜けているんだよ、「前提」が。そりゃ彼ら自身は一流校を出て、そしておそらくその後も努力して今のポストにいるんだから、それは注目されてしかるべきだろう。そこは当たり前だ。
だが、その言葉を真に受けて結果BF大にしか通らず、企業の学歴フィルターに引っかかって無職やブラック企業、フリーターにしかなれなかった人たちには、どう説明するつもりなのだろうか。
そして、この僕も数々の講演会で彼ら言論人の言うことを純粋に真に受けて今の身分にまで堕ちた人間だ。責任をとれとは言わない。勉強を全然して来なかったのは僕自身の怠慢だからだ。
でも、「学生よ、もっと海外に出ろ」とか、「いい大学に入って、いい会社に入って、それで終わるつもりか?」とか、「安定を求めるな」とか言う前に、「当たり前だけど、勉強は大事だよ」という「前提」ぐらいは、講演会や学生向けの集会なんかでも言って欲しかったな、と。
これでは、自分のポジションを守るためにわざと偏差値にとらわれるべきではないと吹聴していると感じとってしまう人がいても文句は言えないだろう。僕は騙されてしまったのかもしれない。彼等だけでなく、自分自身にも。勉強もすればよかったのだから。
僕も、偏差値は人間性とか社会性とかは含まれていないのだから、偏差値至上主義にはもちろん反対だ。けれど、高い偏差値というのはしっかりと努力して勉学に励んだ証拠でもあるということも、決して忘れてはいけないと思うのである。
同じ事は、読書にも言える。よく読書週間などで読書が世間でも勧められている。書店に行けば「もっと本を読もう!」とあるし、大抵の大人も読書を勧めてくる。
しかし本来は、「自分のやるべきこと(僕の場合は勉強)もした上で、本を読みましょう」と言うべきではないのか。
僕のように新書などを何十冊何百冊と自らの興味のあるままに書籍を読んだって、大学に入れなければ先はないのだ。恐らく、就活とやらにも同じことが言えるだろう。
こんな所にも「前提」が抜けているのである。
最も、「こんな本を脇目もふらず何千冊も読みました。でも勉強はできませんが入れさせてください」「はい合格」という大学や企業があれば話は別であろうが。今のところ、聞いたことはない。
本を否定はしないが、本に逃げたり本に溺れたりして他に何もしないのもいけないのだ。
結局、この約3年間の時間は何だったのだろうか。
それも綺麗事を言って。これが世間でもある程度は通用するからよほどたちが悪い。
こんなんだったら、授業中は寝ててもいいから毎日学校に行くべきだった。その分、今償わされているのだろう。
だが、3年という長い期間のハンデは、そう簡単に取り返せる代物ではない。それでも、地道にやるしか僕の前に道は残されていないのだ。
おまけに先週、風のうわさでかつて僕が通っていた高校、つまりこの地元の高校から同じ学年の生徒が自己推薦でとある大学に入学していた事実まで耳にした。いよいよ、僕のこの3年間にわたる行いの無意味さが証明されたのであった。
さて、長らくに渡った懺悔の文も以上で終了である。本当に、多くの方々に迷惑をかけた。
ここを読んでいる方には、間違っても僕のような判断ミスを犯してほしくはない。
そしてもし中学生や高校生がこのエントリーを見ていたら、直ぐにPCや携帯電話から離れて、一心不乱に勉強して貰いたい(最も僕が言える立場ではないかもしれないが)。
ちょwwwww
「私はトラックバックもブクマも何も読んでないので、貼ってくれたら助かります。」
って。
何で私が貼らなくちゃいけないの。貴方がレスするから返してるんでしょう。私が立てた場所だから、返さなくちゃいけないなと思って。
茂木健一郎さんが、
「@kenichiromogi 茂木健一郎
ふしぎなのは、「ハム速」とかのまとめを鵜呑みにして、原文にあたらないで文句をいってくる人が多いこと。まあ、だから、「炎上」という「商売」も成立するんだろうけど。」
仰っているのを知りませんか。
まあ貴方は私の一番最初原文を見て評価しているので上記の茂木さんのコピペは私の此れとは語弊がある&間逆かもしれないですけど、あの後のトラバもブクマも見ずに、最初のこんなにブクマが付くとも思ってなかった支離滅裂な文面に対してのツッコミをずっとしているとは思っていませんでした。
トラバもブクマも読んで、それでも私の事が理解出来なくて仰っているのかと。
昔先生が
「東大に行く人は頭は良いけど、雨の日に花に水をあげるような常識の無い人が多かったりします。だから勉強が全てじゃないです。」
って言ってました。
貴方は此れですね。私が言う立場では無いですが、常識も教養もない。勉強しか出来ない。特定の人としか話した事が無い。友達いなさそう。居ても向こうは友達と思ってないっぽい。
だから此処で弱い者いじめして無様な優越感に浸っているような印象を持ちました。ファビョらせたくて言ってるんじゃなくて素直な感想です。貴方の職業も何も知らないですから。
『@kenichiromogi 茂木健一郎
ツイッター上で、特定の人にしつこく絡んでくるひとがときどきいますが、ぼくは基本的に無視をしています。
でも、そういう人があまりにも多くなると、ツイッターがすみにくい空間になるので、ほどほどにしてほしいな、と思う次第です。』