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2011-11-03

ネットイナゴの大群は夕日の美しさを奪えない

 ネットイナゴの攻撃から身を守るための対策を考えてみた。ここでのネットイナゴというのは、揚げ足の取りプロ矮小化天才炎上の愛好者で、でもあんまり賢くないので劣等感を抱えている人間を想定してみる。いるのかそんなやつ。

 

 まずは、真っ白で格式が高い権威格式が高いのが必要で真っ白が条件。脱税とかセクハラした経歴があるともうダメ。 噂でもアウト。そういうはひたすら突っ込まれる。主張がいくら論理性・妥当性の点で堅牢だとしても、人間的欠陥がある時点で却下される。そういうのあまりにもバカっぽいけど考えないためには便利な方法。というか、最強の詭弁の一つだと思う。権威に関しては、東大アレルギー人間がちょこちょこいるので、海外大学東大以外の高学歴だとなおさら良い。「海外大学」とかいってる時点で俺の知性が疑われてしまう。マカチューセッチュ……そういうのしらねーもん。自分で頭髪を整えているという茂木さんは典型的被害者美容室にいこうよ。まあ煙が立っているだけでも推定有罪で突っ込まれるから、むしろ有名人ネットイナゴを飼い馴らす遊びを覚えた方が楽しそう。その気持ちは百鬼久作。ケサランパサランなんていなかったんや!

 

 次に 、主張が分かりやすくないこと、隙のある大ざっぱなフレーズを使用しないこと。普通本質さえ押さえていれば分かりやすいことに越したことはないし、例えちょっと粗雑でも核心を突いたフレーズは良いことだと思うんだけど、ネットイナゴはそういった脆い部分を狙ってくる。「○○○だってよww」と説明がないと誤読されるような主張、三行以内でまとめられるな主張はダメ。ひたすら論拠と長文と数値とソースを読めで埋める。岩石の巨兵のように攻撃力を捨ててまで防御に徹するのだ。ゴブリン突撃兵の出番はない。例えが懐かしいですね。

 

 おまけに、はてなダイアリーか個人ホームページなどに引っ込む。匿名でのコメント欄は廃止する。でも、Facebookの社交的なコメントは目立つように表示する。twitterちょっとダメ。うかつに発言するとtogetter容赦なく編集してくる。晒される。石を投げられる。しかも、あそこはみんなと一緒ならデマでも踊れる愉快な人間が多い。赤信号は渡れないくせに! しかも、中にはフォロワー数を戦闘力として判断する過激な戦闘民がいたりするし良いことない。はてブは俺にとってはトラウマなので論外。由来、ネットでの論争は観客の「なんとなく」の印象で決まってしまうから、その印象を(俺にとっては)頭が良い人ばかりのはてな民に任せるのが良いだろう。大型掲示板原住民や話題に飢えているついったらーよりかは幾分かは公平な審判を下してもらえると思う。ピエルルイジ・コッリーナさんほどのジャッジは期待できないとしても。

 

 それと、あんま露出しない。露出するなら身だしなみに気を付ける。人間像は浮びあがらせてはいけない。ハゲてもいけない。仮想敵にすらなり得ないようにする。facebook活用してもfacebookに登録するな。あんなのリア充巣窟だ。全く批判されないような美男美女とかガッキーとか佐々木望とか向井理以外にはありえない。俺はというと、伊東遥が好きなのですがね。お世話になっています

 

 しかし、この防御策は大手まとめブログ扇情的にまとめられたら意味ない。そもそも扇情的にまとめられないことはあんまりない。だから敬愛する岩崎夏海さんはもう僕たちだけのハックル先生ではなくなった。まとめブログサーチライトに照らされてしまうと、ネットイナゴが呼吸ができないほどに周囲を覆い尽して、可愛い顔したハムスターが美しくない溝鼠を総動員させてくるから、そのときパソコンをそっと閉じてコーヒーでも淹れて飲むことにしよう。窓を擦る夕日はいつでも綺麗でその美しさを奪うような虫はそこにはいない。

2011-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20111008231541

好きの反対は嫌いじゃなくて無関心

ホントはみんな大好きだよ

ホリエモン茂木韓流アイドル小沢上地も、もちろん韓国もね^^

なんかみんな、他人のこと嫌いすぎじゃね?



ホリエモンとか茂木とか韓流アイドルとか小沢とか上地とか、みんな露骨に嫌いすぎじゃね?

2chでもはてなでもtwitterでもどこでも、「こいつ大嫌い」とか「韓国死ね」とか「人間のクズ」とか、あげく「諸悪の根源」とか、平然と言う人がたくさんいるように見えるんだけど、お前どんだけそいつのこと嫌いなんだよって感じがするのは俺だけ?

そいつに対して強い嫌悪感抱いてるとしても、黙ってればよくね?

匿名2chとかに書いてスッキリするのはまだわかるとしても、固定IDとか実名で、「私の立場は反○○です」みたいなことを堂々と言っちゃうのはどういう意味があんの?

そもそも、会ったこともなければ、直接自分がなにかされたわけでもない他人のことをどうして心の底から嫌いになれるのか、俺にはさっぱりわかんないわ。




あと、そういうひとって、右翼だの左翼だの犯罪者だの在日だの、それが確定的かどうかは別にするとしても、ある一部分の性質をみて、それをその人のパーソナリティのすべてだと思ってる(ように発言する)やつが多くない?

いわゆる『決め付け』とか『レッテル貼り』みたいなことなんだけど、「こいつは過去右翼的発言をしたことがあるから、きっとこの件についてもそういう意図が含まれているに違いない」ってな感じで、自分が知らない他の可能性なんかがまったく見えなくなっちゃうのも、わかんない。

人間なんだからさ、根っから二次元オタク三次元女性に恋をしてリア充になることだってあるだろうし、金ばっかり稼いできた人が本当の善意寄付したりすることなんていくらでもあると思うんだけど、なぜか「二次元オタク恋愛弱者で生身の女性のことなんて理解していない」とか「金持ち自分利益にならないことをするわけない」とか、本気で思う人がいて、更にそれをわざわざ糾弾する人がいるってのがふしぎ。

2011-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20110823063332

次に下らないことではない、公共放送なんだから云々という議論が白熱しやすい話題にうつるけど、これも俺からすれば「こんなこと複雑でもなんでもない」と思う。

なぜなら、NHK以外の放送局最初から「みんなに見てもらえるような番組編成」を第一に考えているわけではなく、その時間帯やテレビを見る人たちの流行や求めるものに応じて流すものを決めているのは誰の目にも明らかだから

いや、これは単純だと思う。(市場システムにおける)民間会社である以上、利益があがるプログラムを組むこと、これがNHK以外の放送局におけるプリミティヴな動機でしょう。

で、そうすると利益の追求によって倫理的な問題を起こしてしまう可能性を含む。これを内部から考えるのがコーポレート・ガヴァナンスの議論で、今回はたまたま外部から視聴者によって疑問がおこされただけだと思う。

したがって、

それが普通の態度なんだよ。それが岡村が言う「見たくない奴は見なきゃいい」なんだよ。彼がああいうことをわざわざタレントというデリケート言葉遣いが重要職業でありながら言ったのは、この状況がよほど「不自然」に思えたからなんだろう。つまり自分の好き嫌いを拡声器で街中に向かって叫ぶことを「正しい」と感じている人たちへの強烈な違和感があったということ。

それと、これでもう二回目のデモが起きたみたいだから言うけど、はっきり言ってあのデモ光景は、クレーマーモンスターペアレンツが一つの場所に集合してぎゃーぎゃーわめいてるのとかなーり近いw

クレーマーモンスターペアレンツ自分たちの行動が正しいと考える「自分勝手な理由」を持っているけど、韓流デモ参加者もおんなじように自分勝手な理由を持ってる。

やってることは同じだよね。クレーマー企業モンスターペアレンツ学校といういずれも自分を「お客様」として扱ってくれる人たちに対して傍若無人に振舞う。デモ参加者も、「視聴者」というお客様として視聴者に逆らえないテレビ局クレームをつける。俺はこれを弱いものいじめだと思うんだけど、こういうのやってて恥ずかしくないんかなぁとほんと思う。

というように個人の嗜好を主軸に行動を起こしているとは僕は思わない。

もちろん、個人の視点(perspective)によって意見を起こしているのは当然。私たちは一市民として声を上げる権利を有する。

振る舞い、行為を「どうやって」実現していくかの言説は良いと思う。

個人的には一回目に『散歩』といったのはカッコヨカッタなーと思うけど。

今回のデモは知らないけど、前回は韓国そのものを批判したりフジテレビ韓国に乗っ取られていると叫んだ人までいるようだ。ここまでくると、根底には単なる韓流批判だけではない何かがあるのでは?と思う。そう思う人たちがたくさん出てきたのも不思議ではない。

脳科学者の茂木がこのデモの真意を明確に人種差別表現したみたいだが、俺もその線が怪しいと思ってる。

もちろん、真実は分からないが、単に「韓流を流されるのが嫌」という理由で何千人も集まるほど日本人って恥をしのばない民族だったっけと思うとそういう風に考えるのも間違いではないような気がしてくる。

隣人とケンカするのはどこの国でもよくあること。互いのいいトコ、悪いトコよく見えてしまうし。

でも日本人排他的な態度が背景に透けて見えるのはそうだと思う。ただこれをメインにもってくると議論がよく分からなくなる。

痛快だったのは『チャングンソク(? ちょと名前しかでない…)誰だー』『誰だー』と叫んでいたと。

まりテレビ会社韓流というコンテキストを売っててコンテンツはちゃんと売れてなかったと。

そうするとコンテキストである韓国に反応するのは自然な流れかな。

http://anond.hatelabo.jp/20110823024723

うーん、偏った人が偏ってない人間のフリをしている、まさにネット○○と同じ感じがする。彼らより冷静っぽいのが救いだけど。

韓流デモ自分は批判的、というかあいつら馬鹿だろと思ってる立場から書くが、そう思う理由は一つ、

「何でこんなことでデモしてる自分正当化してんの?」ってこと。

これはあなたが書いているように、(1)「もっと重要な問題があるだろう」に当てはまる。それについてのあなたの批判も理解できる。しかし言わせてもらう。

これは批判者が「自分だって下らないことをしている」のはぜんぜん問題にならないということ。次元が違うから

この次元の違いを偏った視点からものを見ているあなたは理解出来ていないと思うよ。

それは、「自分の個人的感情デモを起こすような馬鹿ばかしさ」を批判者が批判しているということ。

あなたが思ってるような、「領土問題とかを棚上げしてデモしてる」のが問題ではないんです。ここが間違いなんだよね。

あなた論理で言う「どっちもどっち」は当てはまらない。なぜなら、デモしてる人は「くだらないことをデモをしてまで主張している」のに対し、批判者はあくまでも「個人的な声の届く範囲でくだらない個人の見解を発信している」から


まり、批判者をどっちもどっちとか五十歩百歩というように同じ舞台に引き摺り下ろすためには、批判者たちが「韓流デモに反対するデモ」をやらなければならない。そこまでやれば、はじめて「あいつら結局デモ馬鹿にしながら自分たちもデモしてんじゃん。馬鹿だなぁ」ということになるんだよ。

次に下らないことではない、公共放送なんだから云々という議論が白熱しやすい話題にうつるけど、これも俺からすれば「こんなこと複雑でもなんでもない」と思う。

なぜなら、NHK以外の放送局最初から「みんなに見てもらえるような番組編成」を第一に考えているわけではなく、その時間帯やテレビを見る人たちの流行や求めるものに応じて流すものを決めているのは誰の目にも明らかだから


俺はNHKばっかり見て民放ほとんど見ないが、その主たる理由は「テレビ局が流すもの自分が見たいと思ってない」からだ。以前マルモリダンスが話題になったとき、あの二人がたくさんの番組に出ていたが、俺はあのドラマを見ていなかったし主題歌に興味もなかったからあの手のインタビューや特集は一切見なかった(今はマルモリダンスにはまってるけどね笑)

それが普通の態度なんだよ。それが岡村が言う「見たくない奴は見なきゃいい」なんだよ。彼がああいうことをわざわざタレントというデリケート言葉遣いが重要職業でありながら言ったのは、この状況がよほど「不自然」に思えたからなんだろう。つまり自分の好き嫌いを拡声器で街中に向かって叫ぶことを「正しい」と感じている人たちへの強烈な違和感があったということ。

ここで話を戻すが、つまり、批判してる人が「そんな下らないことで・・」と言ってるのは、単に「領土問題とか他にもあるだろ」という風に言いたいだけではないの。

そのさらに奥にあるのは「自分韓流ドラマ嫌いなだけなのに何千人も集まってデモ起こして、領土問題とか政府隠蔽デモとかと同じような価値があるといいたげな態度が気持ち悪い」ということ。

批判者の声があまり強くないのは、彼ら自身も韓流ドラマにはあまり興味が無い、もしくは嫌いだからだろう。俺も最近個人的興味として録画してはいるが、以前は全く興味無かった。

デモをしてる人とデモを批判してる人には共通点がある、だから批判されにくい。でも、そこにはれっきとして批判されるべき理由があり、それが「そんな下らないことでデモなんか」ということなのだ。

これを理解しないと、いつまで経っても「くだらなくはない!公共の電波を使って韓国ドラマを垂れ流すのは云々」と外れまくった反論を延々と続ける羽目になる。

それと、これでもう二回目のデモが起きたみたいだから言うけど、はっきり言ってあのデモ光景は、クレーマーモンスターペアレンツが一つの場所に集合してぎゃーぎゃーわめいてるのとかなーり近いw

クレーマーモンスターペアレンツ自分たちの行動が正しいと考える「自分勝手な理由」を持っているけど、韓流デモ参加者もおんなじように自分勝手な理由を持ってる。

やってることは同じだよね。クレーマー企業モンスターペアレンツ学校といういずれも自分を「お客様」として扱ってくれる人たちに対して傍若無人に振舞う。デモ参加者も、「視聴者」というお客様として視聴者に逆らえないテレビ局クレームをつける。俺はこれを弱いものいじめだと思うんだけど、こういうのやってて恥ずかしくないんかなぁとほんと思う。

(追記)

最近ヤフーとかでK-popニュースがあると、コメントで「テレビ韓国ネタが出るとすぐチャンネル変える」と書いてる人がいるけど、

それでいいんだよ。それが本来の態度。自分に興味がないことを見る必要は無い。チャンネルを変えるか、消せばいいだけ。

デモをしてる人たちってのは、それだけではダメだと思ってる。それだけではなく、「街中でデモを起こしてみんなに俺が韓流いであることを知ってもらいたい」と思ってる。

今回のデモは知らないけど、前回は韓国そのものを批判したりフジテレビ韓国に乗っ取られていると叫んだ人までいるようだ。ここまでくると、根底には単なる韓流批判だけではない何かがあるのでは?と思う。そう思う人たちがたくさん出てきたのも不思議ではない。

脳科学者の茂木がこのデモの真意を明確に人種差別表現したみたいだが、俺もその線が怪しいと思ってる。

もちろん、真実は分からないが、単に「韓流を流されるのが嫌」という理由で何千人も集まるほど日本人って恥をしのばない民族だったっけと思うとそういう風に考えるのも間違いではないような気がしてくる。

韓国嫌いの感情がかなり昔からあるのは以前ネトウヨだった俺が調べて分かってる。バカチョンもその名残だしな。

から韓国と個人的感情が結びつくとデモすら起こってしまうということを今回の例は示しているんじゃないだろうか。つまり日韓友好のためにはうわべだけでは到底ダメだということ。

2011-08-02

テレビ業界はなんであんなに下手うったんだろう

高岡の発言もネットデモ計画も

冷笑や無視で応じてれば絶対被害は軽微で済んだのに。

茂木や淳がネットに対してやった反論は騒いでるやつらに手ごたえや実感を与えただけ。

テレビ高岡を袋叩きにしたのは世間にまで問題の存在宣伝しただけ。


しらーっと「とるにたらないこと」として無視黙殺さえしてれば良かったのに。

なんで昔は出来てたそういうことすら出来ず、あんな下手な反応しちゃったんだろう。

やっぱり体力や余裕や知恵がだいぶ落ちて来てるんだろうか。

2011-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20110731233424

茂木経済合理性原理主義者がいう市場原理だけに任せたら、

記事に見せかけた広告であふれちゃうの目に見えてるよね。

これを経済合理性のお題目で許してたら駄目なのは誰でもわかるはずだけどね)

自社関連の宣伝規制の厳格でない今の状態はそういう状態(記事に見せかけた広告であふれ」た状態)になってるってこと?

うーん、具体的にどういう事象のことを指してるんだろう。

どうも規制派の主張って漠然としてよくわからない。

何人釣れました?

高岡なんとか

  

茂木

  

ロンブー暑し

  

  

高岡なんとかとロンブーの主張は意外と合致してると思うんだよな。あつしは見なきゃいいじゃんって言うし、高岡マジで見ないって言ってるから

一番ズレてんのが抗議とかする人たち。見ませんボイコットキャンペーンとかならわかるんだけど、やめろって言うのはまた違う話。それが良い悪いは別として。

2011-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20110519181105

茂木さんを擁護するつもりは全くないけど、一般向けの啓蒙書に論文ネタを書くようなことは普通無いんじゃないの?

失敗と向き合ってるのは自分だけ

http://anond.hatelabo.jp/20110519020819

忘れたい具体的な明確な失敗みたいなのって、俺はそんなにないんだけど。

たまに、過去のちょっとした失敗を1人思い出して、「あーっ」て叫びたくなってる。

恥ずかしすぎて半笑いになってる。

会社でも、山手線の中でも、おかまいなしに急に来るから困っちゃう。

あれ何なんだろうな?俺だけ?

きっとじいさんになっても、1人「あーっ」ってなるんだろう。嫌だな。

元増田の忘れたい失敗がどんなレベルかわからない。すげえ重いレベルだったらごめん。

俺は「脳」の奴が原因だと思う。

こんな事言うと、茂木とか言う人の本とかテレビかに影響されてそうだけど、一切見てない。

これまでの人生を考えると、感覚的に脳から「失敗」についての情報を忘れないように、連絡がくるイメージを持ってる。

携帯アラームみたいな機能が、脳には組み込まれてんじゃないかな。

それが、スヌーズ機能のように一定期間で、警鐘をならし続ける。

あんな嫌な思い、お前またしたくないよな?」と脳から言われてる気がする。

PKした選手だってすげえ悔しくて、次のPK外さないように練習するんだ。シンプルに考えると。

こうやって、人は成長していくんじゃないかな?

何度も脳が警鐘を鳴らしても、それを上回る欲望があったら、クスリとか常習犯なっちゃうんだろうけど。

後は、「他人の脳」に元増田の失敗が残っているかどうか。これも重要だな。

失敗を思い出したとき、一見、すげえ色んな人からクスクス見られてるような辱めにあってる、嫌な気分なんだけど。

結局「脳vs俺」みたいな「俺天下一武道会」だと思うんだ。

俺の失敗って、他人にとっては大きな存在じゃないんじゃないかな。

だって他人はその人の脳からまた、辱めを受けてるんだから

で、時間が経ってたら尚更、他人の脳の中では元増田の失敗は

「他人が元増田と同じ失敗をしないための情報」として処理されているんだと思う。

そこに付随していた辱めてやろうっていう他人の感情は時と共に無くなって、ただの情報に変わって行く。

から元増田が思ってるほど他人にとってはたいした事ないものなんだ。

俺くらいおっさんになってくると、むしろ寂しいけどね。他人の中でただの情報なっちゃうなんて。

「俺天下一武道会」の対戦相手は脳が作った過去の失敗達。

ニヤニヤ見ている観客なんてひとりもいない。

作者は俺なんだから、相手の弱点だって全部しってる。

めんどくさくなったら、富樫先生みたいに休載しちゃえば良いんじゃない。

2011-02-04

茂木健一郎氏による連続ツイート連帯保証人制度世界の恥である」 について

http://togetter.com/li/94785

オレが日本法律関係者に訴えたいことは、民法の「連帯保証」に関する条項の一日も早い削除。銃よりも多くの人の命を奪い、鎖よりも多くの人の自由をうばっている。こんな前近代的制度放置しているのは、国際的な恥である

なぜ「条項を削除」?

民法から連帯保証の条項を削除しても

銀行等が同内容の合意を求めることは止められないだろー。

その合意がただちに無効になるわけでもない。

茂木サンの主張に従うなら、求めるべきは「条項の削除」ではなく「規制条項の追加」じゃないか

つの混同

 連帯保証債務を類型として定める、という意味での「制度」と

銀行不動産貸主の多くが、契約時に連帯保証人をつけることを求める慣習が存在する、という意味での「制度」は

別個のものだ。

 その2つの制度」を茂木サンは混同しているように思う。

 加えて、「連帯保証人制度を批判している割に

連帯」のつかない保証人との差は論じられていない。

 とりあげられている問題のうち、「連帯」のつかない保証なら回避できる問題が、どの程度あるんだろう。

 連帯保証と単純保証も混同して扱われてて、無駄ツッコミどころを増やしている。

 茂木サンは「連帯保証人制度は~」という重々しげな論じかたをしてるけども、

言いたいことは「貸し手は(連帯だろうが単純だろうが)保証人を求めるな」ってだけなんじゃないか

貸し手が悪いのか(放棄)

 この点について思うのは、

保証人を求める貸し手」よりも「保証人になってくれと頼む借り手」の方が悪質だということだ。

・・・という書き出しで、

貸し手批判ロジック

保証人になることは、保証人にとって何のメリットもない。

②そんな保証人犠牲の上でリスクを免れる貸し手はズルい。

と単純化して、

①と②はつながらないんだよー、ってことを書こうと思ったけど、

自分の直感とあまりにあわないので、続ける気力がわかないや。

借り手側に「保証人を頼むときは、友達でも身内でも、保証委託料を払おう!」って提言で締める予定だった。ムリ。

2010-07-19

ヒーーーハーー中心の生活


彼女にも振られて、今後、どうやって結婚すんだと

いう切実な問題とともに、人生を見つめなおす必要がでてきた。

年も若くない。31になった今後どうやって生きてくんだ。

三連休、寂しさもあいまって鬱々とした気分でいる。

自分人生ビジョンを考えても、中途半端に年を

重ねて、心が明るくなるようなビジョンが出てこない。

先日、ソフトバンクの孫さんが、30年ビジョンの中で

熱い志しを語っていた。

すげぇよ。すげぇビジョンだ。でも、あんたにしか描けない。

何も積み重ねてこれてない、自分には当然、そんな

ビジョンなんて描けない。

そんなビジョンを仮に掲げても、これっぽちも自分で信じる

ことができない。

「事を成す」ことが人生だと孫さんや、偉人はいう。

でも、一般ピープルが「事を成す」ことなんてできるのか?

その人のサイズにあった「事を成す」でいいのかもしれないけど、

自分のサイズにあった物をビジョンに描いても、

もうひとつテンションあがりませぬ。

俺になんかできるのか?

・人を救うような革命は起こせない。

・人の生活を便利にするような革命を起こすことができない。

がんばれば、近所のおばあちゃん達の介護を頑張って

人の役にたつことができるかもしれないけど、

もう一つテンションがあがらない。

幸せな家庭を築いて、まぁ楽しく生きるのが積の山か。。

立派な人が語る、人生の熱さとは無縁の生活だ。。

むなしいぜ、俺の人生

しょうもない映画を最後まで見てもしょうがない、

前半の20分でやめときゃよかったという糞映画

・そんな中、いろいろ考えてた時に思いついたことが、

今後の自分人生の中の軸にできるのではないかと

少々、ハイになってきた。

 それは、日常の中で「ヒーハー」を求めて生きるということ。

「ヒーハー」とは、ブラックマヨネーズ小杉テンションあがった

時に上げる雄叫び。雄叫びとともに、脳みそにはドーパミン

ドット出る。

自分の生活でも、心の中で「ヒーーーハーー」が適切な瞬間がいくつも

ある。その瞬間、テンションがあがり、脳みそ快感が走る。

あの体験が「ヒーーーハーー」だ。

「ヒーハーー」が起こるには、2パターンある。

一つは、偶発自分のまわりの状況がいい状態になり、

自分にとっては快な状況になり「ヒーーハーーー!」

これは、まわりの環境による偶発的な環境によるものなので、

いつ勃発するかわからない。

もう一つは、偶発的ではなく、

自分から発動できる「ヒーーハーーー!」だ。

それは、少し挑戦的な事柄をやり遂げたときに「ヒーハー!」が

発動する。

 脳科学者の茂木さんがいう

  「自分ができなかったことができると、脳内ドーパミン放出され、

 強化学習が成立する。」ってやつ。

フロー理論でいうところの、自分が能動的な姿勢で、自分能力を駆使して、

チャレンジングな課題にむかっているときに、人間は喜びを

感じるというのにも繋がる。

日常のなかで、この「ヒーハー」を求めて行動するようにする。

「ヒーハー中心の生活」を目指す。

「ヒーハー」が多い人生はきっと実り豊かな人生なんでないかな。

「ヒーハー」がなされるのは、挑戦的な課題クリアされた時な

わけで、挑戦的な課題をいくつもクリアされた人生は、

結果としておもろいものになっているのでは?

さて、僕は女の人のコミュニケーションが苦手でコンプレックスでも

あるのだけど、「ヒーハー」の視点から見れば、そこには

潤沢な挑戦的な課題があるわけで、潤沢な「ヒーハー」資源

埋蔵されまくっていることになる。

TO BE HeaaaaaaHA!!!!!!!!

2010-07-14

http://anond.hatelabo.jp/20100713221958

だね。

「後で読む」と思ってブックマークしたページは、後になっても読まないよね。何だかんだで。

だから僕も「後で読む」タグはつけない。その場で読んだほうがいい。

茂木さん的に言うと「意識の鮮度が高いうちに読む」て感じか。

2010-06-30

茂木健一郎氏のエントリー日本大学入試は「プロクラステスのベッド」である”の的外れな点

茂木健一郎氏のブログエントリーで気になる点があったので指摘したいと思います。

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/06/post-9d62.html

まず、前提として私は茂木氏の主張には賛成です。

茂木氏は、日本での行き過ぎた標準化の弊害として、突出した能力が育ちにくいと述べています。それの対照的な例として、アメリカの個人の得意な分野を伸ばせるシステムに言及しています。茂木氏の要点としては『学力における個性と、標準化バランスをどのように見るか。この点においてアメリカ日本大学入試は、異なる思想に基づいている。』(本文より)ということです。

しかし、茂木氏の説明にはあまりにも説得力が欠けており、この人は実はあまりきちんと考えずにこのエントリーを書いたのではないかと考えてしまいます。

その理由は、日本大学入試問題アメリカSATという試験比較対象にしているところです。

SATとは、日本でいうセンター試験のようなものです。「ようなもの」と書いたのは、SATセンター試験とは大きく異なる点がいくつかあるからです。

SATセンター試験のように大学入学のためだけの高校範囲の理解度をはかるものではなく、言語能力数学の基本的な能力をはかるものです。

センター試験大学入試の前の一発勝負ですが、SATは何年生からでも何度でも受けることができ、大学に応募するときには一番高い得点採用することができるので、どちらかというとTOEFLTOEICによく似ています。

東京大学というのは言わずと知れた日本の一番学問的な偏差値の高いところですから、学生に高い思考能力を求めるのは当然です。東京大学以外の大学では一問一答式のお粗末な入試問題を出すところも多いのですが、そのことには触れられていません。

ですから、個別の大学大学入試問題SAT比較し、求められる思考能力レベルに言及し悦に入るのは明らかに的外れなのです。

日米どちらのシステムがいいというのは一概には言えません。教育を受ける個人によっても違うでしょう。

日本は多岐にわたる教科すべてで高いレベルを求め、いわゆる知識的にはAll roundedな人間を育てようとしますが、アメリカでは得意な分野の教科を重点的にとれるなど、個人の特性にあわせた教育が行われるよう配慮されています。私の感覚では思考能力を育てる教育をしているのはアメリカのほうです。アメリカでは小さいときから著述式問題を解かせ、表現能力を養うほか、学年が上になると論理的な文章を書くトレーニングを繰り返し行います。知識を吸収し、正しく物事を理解するアプローチを取る日本より、批判的な視点が養われると思います。どちらにもメリットデメリットはあるのです。

茂木氏の指摘に、日本のやり方では高校の範囲で足止めされてしまい、能力が伸ばせない学生が出てくる、とありますが、果たして本当にそうでしょうか。

アメリカには国で統一された標準のカリキュラム、というものはありませんが、この分野ではここまで理解しているのがふさわしいとされる基準はあり、高校でそれ以上のレベルの授業をオファーしているところはほとんどありません。必修の科目も多く、レベルの高い高校では学生日本学生のように日々勉強に追われています。大学入試日本のように一発勝負ではなく、課外活動も含めた高校生活すべてが見られるので、アメリカ学生いい大学に行くために日本学生以上に多忙です。茂木氏の『アメリカSATは簡単だが、同時に、高校生の時から非可換代数無限集合論精通した学生をつくるかもしれない。』という主張の根拠はどこにあるのでしょう。

確かにアメリカは才能を伸ばす教育をしているので、数学が良くできる生徒は大学講義をとれたり、夏期の数学キャンプに参加したりして自分能力を伸ばすことができます。それはあくまで自主的に自分時間にしているのであって、日本学生だって趣味で高等数学勉強しようと思えばいくらでもできます。

茂木氏は学校というものに期待をしすぎているのではないでしょうか。優秀な学生は、特に高校生にもなれば、人の手を借りなくても自分でさっさと知識を探し吸収していくでしょう。日本教育比較的受動的な学生を育てるので、どうやって自分自身で次のレベルに進むか分からない、という問題があるかもしれませんが。

今まで茂木氏の著作を数冊拝読して、いいことを言う人だと思っていたのですが、このエントリーには少し疑問を抱きました。

2010-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20100626161007

まあ落ち着きたまえ。気に障ったのならすまん。ごめんなさい。

なんか日本制度のほうが優れてるって読めたから、書いてみただけだよ。茂木の話とは分けるべきだな。

ごめんね、喧嘩売るつもりはなかったんだ。

ただ、はてな民とかを中心に「日本大学アメリカ様から見ればカス」みたいなことを言う奴が多くてイライラしてたもんで、そういう奴の言い分と似てるように見えたからつい噛みついてしまった。

そういう奴って何か、ちょうどワールドカップやってるからサッカーにたとえて言うと「自分は高校の部活レベルでもサッカーやったことないくせに、ヨーロッパの威を借りて日本サッカー馬鹿にしてる自称サッカーファン」みたいに見えるんだよね。他人事なら「痛い奴」ですむんだけど、自分が「Jリーガー」の立場だからちょっと頭に来るんだよね。「確かにレアルバルサには勝てないかもしれないが向こうの二部よりも下みたいに言われたくはない」「お前らどんだけ選手の良い悪いがわかるんだ」とか思うわけよ。レベル的な意味ではサッカーより野球の方が多分たとえとしては近いと思うけど(日本プロ野球にも超一流選手はいるけど数ではメジャーに圧倒されてるし、資金的な面が主な理由で人材を引き抜かれ気味という意味で)。

そういうこと言ってる奴に限って、自分が高校や大学勉強してなかったことの言い訳に「日本大学受験が悪い、大学教育が悪い」とか人のせいにしてるからね。どう考えても日本アメリカ大学の差を客観的に評価できるほど(たとえば自分の専門分野の世界的な状況を把握した上で、同じぐらいの見識を持った他分野の人の話を聞けるほど)能力ないだろと思うことが多いから。

サッカー場合ワールドカップとかで勝てばその手の自称ファンとか評論家を黙らせられるけど、学問世界場合ノーベル賞とか、そういう一部の分野に限られた、しかも多分に人脈とかがつきまとう賞の数ぐらいしか一般人には判断基準がないわけで、そう思われても仕方はないと思うんだけど、未だに昔の「ゴーマン・リポート」なんて信憑性の低い資料の印象がつきまとってるんだから、つくづく日本人は舶来信仰が強いんだなと思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20100626152457

まあ落ち着きたまえ。気に障ったのならすまん。ごめんなさい。

なんか日本制度のほうが優れてるって読めたから、書いてみただけだよ。茂木の話とは分けるべきだな。

ただ、

大学院ってのは指導教官で選ぶべきものだし、そのために東大の学部から地方大の大学院に行くという選択肢だって普通にあるんだよ。就活で不利になるかもしれないというのだけがちょっと問題だけど。

指導教官で選ぶのはリスクがあるのでは? 移っちゃうかもしれないからね。

だったら、その大学院が目指す研究分野の拠点になってるかどうかのほうが重要だと思う。

だから、

ただし、化学生物実験系みたいに金やコネが強力にものを言う世界(有り体に言えば生臭い世界)では米国の方がいいという話も聞くね。そもそもネット内外で「日本大学ダメ米国に行け」と言っている人はその分野の人が多い。

というのは、十分理にかなってると思う。

2010-03-13

ttp://twitter.com/monado/status/1831432544

茂木センセーがおかしくなっちゃったのは、必死で書いた本がぜんぜん売れないのに、テキトーに書いた本やテキトーな対談本が馬鹿売れしてしまったからだと思う。

2010-01-23

首相は4文字熟語に弱い? 朝三暮四と朝令暮改を混同

ttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100122/plc1001221034007-n1.htm

鳩山由紀夫首相は22日午前の衆院予算委員会で、「朝三暮四の意味を知っているか」と尋ねられ、「よく知ってます」と前置きした上で「朝令暮改」の意味を説明、とんだ赤っ恥をかいた。

自民党茂木敏充幹事長代理が、麻生政権が昨年4月に成立させた平成21年度第1次補正予算の一部を鳩山政権が執行停止した一方で、第2次補正予算案に停止した事業を盛り込んだと批判する狙いで、朝三暮四の意味をただした。

ところが首相は「朝決めたことと夜決めたことがすぐ変わるという意味で、あっさりと物事を変えてしまうことだ」と自信満々に語った。

朝三暮四は、猿にトチの実を朝に3つ、暮れに4つ与えると言ったら猿が少ないと怒ったため、朝に4つ、暮れに3つやると言ったら喜んだという中国の故事。茂木氏は「朝と夕で数を変えることでごまかすということだ」と政府を批判した。麻生太郎首相漢字の読み違いを連発し、「漢字が読めない首相」として内閣支持率低下の一因になった。

2010-01-06

斎藤×茂木賭博

2010年にしてまさかの展開に!!

「そのうち返事ぐらいは有るんじゃね?」に張って良かった(笑)

しっかし2年半も寝てたのかいっ!斎藤氏初回完封逃げ切りならず!(大爆笑)

http://sofusha.moe-nifty.com/series_02/2010/01/2-2eeb.html

2009-09-24

ニコニコ動画削除問題 - デジタルコンテンツの真の問題

インターネットの発達で、紙の本や雑誌は滅びる――そういわれてから何年たつだろう。そしてそろそろ事態が動きはじめたかと思われる節がある。まずグーグル世界的にすさまじい量の書籍電子化に乗り出した。コンテンツはこれでかなりの蓄積ができた。またリーダー機器の面では、日本では未発売だがアマゾンコムキンドルという電子ブックリーダーを発表し、一定の成功を収めている。流通も、アマゾン電子ブック販売や、アップルiTunesストアなどが手法をほぼ確立しつつある。

だがその過程で、電子メディア特有の問題も次第にあらわになりつつあるようだ。それを示す事件が最近立て続けに起きている。

アマゾンコムキンドル用に、オーウェル1984年』『動物農場』の電子ブックを買った人は、6月に驚愕した。版元に問題があったから、としてこれらの本が手元のキンドルから勝手に消し去られていたのだった。いったん買った本や雑誌ソフトが、自分本棚パソコンから勝手に消し去られるなんて、これまでは物理的にもありえない!

アマゾンは、この対応について平身低頭し、二度とやらないと宣言した。が、そもそもそんなことができるということ自体に多くの人が戦慄した。そしてその舞台がまさにそうした情報統制社会の恐怖を描いた『1984年』だったとは、なんたる運命皮肉か。

一方アップルは、オンラインiTunesストアで販売されるiPhone/iPod用のソフト健全性に、たいへん神経を使っている。わいせつ語が入っているソフトは、軒並みアダルト指定を受ける。先日、なんと普通英語辞書がこれを理由に改変を要求され、ストアへの出店を拒否された。アップルは対応のまずさを認めたものの、方針にはいまのところ変化はない。

わが国では動画投稿サイトニコニコ動画が同様の問題を示した。酒井ノリピーの昨今の騒動を受けて、彼女替え歌を歌唱ソフト初音ミク』に歌わせた動画が投稿された。ところがなんとその歌唱ソフトメーカーであるクリプトン・フューチャー・メディアが、そんなことに使われたら自社ソフトイメージダウンだ、と称して削除を要求したのだ。

当然ながら彼らはそのコンテンツについて何の権利ももっていない。が、信じられないことに、ニコニコ動画を運営しているニワンゴは、この無根拠な抗議にあっさり応じて、問題の動画を削除してしまった!

ニワンゴ経営陣でもある西村博之がこの対応に疑問を述べ、その後同社は、問題の動画を復活させた――投稿者に対する自主検閲を促すコメントつきで。

ネット著作権無視の違法コピーが横行する面ばかり取りざたされることが多い。でもじつはデジタルコンテンツの真の問題は、コントロールができすぎてしまうことなのだ。今回取り上げたケースが如実に示しているように。

これはネット法学の第1人者ローレンス・レッシグの10年前からの主張だが、それが急激に現実味を持ち始めている。紙媒体では物理的にできなかったことが、デジタル媒体では平気でできてしまう。そのとき、いま当然と思われている権利や自由があっさり破壊されかねないのだ。

いま多くの日本コンテンツ運営業者は、抗議があればそれが正当なものだろうと不当なものだろうと、人に不快感を与えてはいけません、といった低級なお題目の下に問題のコンテンツをとりあえず消して、ほとぼりが冷めるのを待つ、というのがありがちな対応だ。ニワンゴの対応はその好例だろう。ブログ罵倒合戦くらいならそれでもいい。

だがデジタルメディアが紙媒体を置き換えるなら、紙媒体で建前にしても重視されている規範をどう維持するのかも考えるべきだ。目先の個人的な快・不快なんかより重要なことが世の中にはあるんだから。デジタルコンテンツも、それを考えざるをえなくなりつつあるのではないか。そしてそれを私企業倫理だけに任せられないとしたら、どんな規制がありうるだろうか?

じつは今年、そのヒントになりそうな出来事がもう1つあった。脳科学者の肩書で各種メディアに頻出している茂木健一郎が、ネット上のボランティア執筆による百科事典ウィキペディアでの自分に関する記述に文句をつけ、それをかなり我田引水なかたちで大幅に書き直した。それに対して項目執筆者たちはひるむことなく、ウィキペディア執筆ルールに基づいて茂木の苦情に形式的には対応しつつ、ほぼ従前の記述を復活させて、誠実な対応とメディアとしての中立性を見事に両立させたのだ。

こうしたネット上の自主的な倫理規範も多少の可能性があるのでは? むろん、それがどこまで公的な権利保護規制を補完代替できるかとなると、まだまだ考える必要はあるのだが。

http://news.goo.ne.jp/article/php/life/php-20090919-02.html

2009-08-05

茂木氏の文章

茂木健一郎氏の本はどうも読んでてひっかかることが多い印象だったのだが、きょう「思考の補助線」という本を読んでてその理由が少しわかった気がした。

たとえば96ページに

「ITがネットワーク化の拡張メルクマールとして発展していく中で、必然的に標準化の事態が進むという状況がある」

という文があるのだが、これは

ネットワーク技術標準化が進んでいる状況がある」

で充分なはずである。また同じページに

今日において、世界の多様性を握りつぶすことにつながると懸念される契機には、さまざまなものがある」

と書いてあるが、これは

世界の多様性を妨げかねない状況が最近は多い」

という意味なのだろうか。

どうも、難しそうな文を書くことによって自明な話をわかりにくく記述しているように見える。内容についてはともかく、茂木氏は文章は上手なのかと思っていたのだが、とんだ誤解だったのかもしれない。

2009-07-21

平川哲生「川の光リアルタイムtwitterコメンタリーまとめ (1)

Mon, Jul 20
  • 07:59 幸か不幸か起きていますので、アニメ川の光再放送に合わせてtwitterコメンタリをやります。どこまで書いていいのやら、なにを書いたらいいのやら……。タイピング速度もあるので、ちょっと下準備をしておきます。
  • 08:00 remove覚悟の上で連投します。最初にあやまっておきます、すいません。
  • 08:30 ニュースの放送中ですが、のんびりと、アニメ川の光』のtwitterコメンタリをはじめます。原恵一さんには「すべて正直に言え/書け」と言われているので、たぶん、ぶっちゃけ話もします。
  • 08:31 アニメ川の光』は、6月20日の本放送、28日のBS再放送今日は再々放送になります。本放送の視聴率はふるわなかったのですが、反響の多さから、このような短いスパン再放送になったと聞きました。涙がちょちょぎれるほどうれしいです。みなさま、ありがとうございます。
  • 08:32 まずはじめに、演出未経験の私がなぜ監督に抜擢されたか? メディアでは「原恵一さんの推薦」と語られていますが、本当は茂木プロデューサーの推薦です。原さんは「茂木が言うなら」という感じだったとのこと。私が言うのもなんですが、無謀にもほどがあります……ありがたいことですが……
  • 08:32 演出協力の原恵一さんは何をしたのか? シナリオ打ち合わせに出席して、私の絵コンテをチェックしました。通常のコンテ・チェックは監督が絵・セリフト書き消して直しますが、原さんはメモを残す。たとえば「こんなセリフはどう?」とか「アオリの構図がいいのでは」など。
  • 08:33 その後あれこれ相談して、私がコンテを清書します。全930カットのうち、原恵一チェック後に修正したのは、だいたい50カットほどだったと思います。放送後、私が「作品に原さんのテイストを感じた人が多かったみたいですよ」と伝えたら、原さんは複雑な心境だったようです。
  • 08:34 とはいえ原恵一さんの役割は小さくありません。私はチェックに通るコンテを意識したので。1カットだけ流背(専門用語です)を使おうと思ったら、「これキライ」とメモが書かれていて笑いましたw。キライって……。あとNHKエンタープライズ・廣岡篤哉さんのコンテチェックにもお世話になりました。
  • 08:35 脚本吉岡たかをさんが第三稿まで、私が第四稿を書きました。第四稿は絵コンテを想定して、プロット整理やセリフ改変など、大幅に書き換えたため、部分的にシナリオ打ち合わせの内容を無視する形になってしまい、いろいろ申し訳なかったです。この作品台詞ミス(後述)は私の責任です。
  • 08:35 はじまった!
  • 08:35 冒頭から音楽がいいですねー。レコーディングに立ち会いましたが、栗原さんはその場でがんがん楽譜を修正するんです。音のニュアンスもどんどん変える。楽器奏者はそれに柔軟に対応する。鳥肌モノでした。私は8トラックMTR宅録少年だったので、夢の現場でした。
  • 08:36 原恵一さんも言ってましたが、この作品シナリオ打ち合わせは、とても良かったと思います。アイデアがたくさん出て、それを可能なかぎり活かすようにしました。私は初監督なので知らないのですが、生産的でないシナリオ打ち合わせも多いとのことです。
  • 08:36 動物といえば「丸くなる」作画! でも、これは実は原作どおりだったりします。
  • 08:36 75分の作品なのでB級の系譜は少し意識しています。シーゲル、リュイスなどですね。結果、フォードホークスへのいびつな愛情のしみこんだ作品になったと思います。宮崎駿さんへのいびつな愛情もあり、お父さんのヒゲいじり癖は、これです http://tinyurl.com/kmxl8z]
  • 08:37 こういうところは演出家にとっては大問題ですが、視聴者の方はぜんぜん気にしなくていいと思います。いちおう、せっかくなので、書いておきます。ただ、やっぱり、この作品の演出は映画っぽくはないですね。当時の私は、CMなしのテレビ75分を見せきることを意識していたんだと思います。
  • 08:38 いやあ、声優が豪華ですねー。お父さんの台詞「お前が食べ過ぎなきゃね」は原さんのアイデアですよ。
  • 08:38 ペットボトルあたりの美術男鹿さんです。ふつう背景は美術ボードに似せるものなんですが、もう完全に男鹿流ですね。すばらしい。ありがたや。美術監督稲葉さん、日野さんは「男鹿さんの絵はまねできない」とか「あの絵は、音楽ライブみたいに、再現不可能」と言ってました。
  • 08:38 うう、書いてると見れない。見ていると書けない。コメンタリってむずかしい……
  • 08:39 画面がロングショット主体なのは理由があります。アップ主体のネズミ目線は、地面などの一部しかフレームに収まらず旅の感じが出ないこと。ネズミ目線が面白いのは20分が限界ということ。『ガンバの冒険』の手法を避けること。作画が楽なこと。結果的に美術の負担が大きくなってしまいました。
  • 08:40 金田朋子さんの熱演が! 人差し指くちびるにあてて、ぶるぶるさせて「ぶくぶく」の声を出してました。
  • 08:40 滝に落ちたチッチが浮かび上がって、タミーに助けられるあたりの原画は、加藤寛崇さんです。制作さんに「ちゃんとチェックしてください」と笑われ、私は「完成画面で楽しむからいいのだ」と答えたほど、ノーチェックで通せる、すばらしい原画でした。作画マニアは要チェック。
  • 08:41 現実のタミーは来客に頭からどーんと突っこんでくるお転婆な犬なのですが、平野綾さんはその感じをうまく出してますね。かわいい。タミーは最初・中ごろ・最後と短い出番ながら、印象に残ってもらう必要があったので、華のある平野さんにぴったりだったと思います。
  • 08:42 レイアウト、アイレベルが変だったりしますが、わざわざ変な感じに描いてください、と指示した結果だったりします。数えてませんが、レイアウトは6割くらい自分で描いたと思います。
  • 08:43 Aパート絵コンテの軸がぶれてます。まだスタイルというか、基調というか、トーンというか、そういうものを模索しているような印象。旅立つまでに14分しか使えなかったので、詰めこんでるのは仕方ないとしても、構図、カット割り、いま見るとつらいです。出発したBパートからマシになるような……
  • 08:44 山寺さんのお父さんはいいですねえ。少し頼りないけど、やさしいお父さんの感じがすばらしい。山寺さんは、あっという間に指示に対応できて、プラスアルファで演技を加えてもらえるすごい方でした。私は、山寺さんなら『御先祖様万々歳!』の多々良伴内の役が好きです。
  • 08:45 「川はタータの母だった」と原作では地の文で直接描いていますが、どうやってアニメ化すればいいのか、迷いました。結果、ごうごうという母体のような音にしてみました。こういうのってむずかしいですね。
  • 08:45 木が切られるあたりから、夕方まで、原画は黒柳トシマサさんです。若いし、うまいし、イケメンだし、まったくもってけしからん原画マンです。ありがたや。
  • 08:46 爺さんネズミ役は青野武さんですよ! なんという贅沢! マイケル・ペイリン! 青野さんの声は「きこりの歌」つながりで、この直後の切り株の場面に進む伏線なのです(嘘)。
  • 08:47 環境破壊はいま、たくさんの説が入り乱れている状態で、とてもアニメでは扱えません。もし扱うとしたら、ロンボルグ的な視線も入れて「近視眼的にならないよう、真剣に考える必要がある」くらいの主題になると思います。問題意識は高まっていくでしょうし、これから扱われるべき大きな主題でしょう。
  • 08:47 護岸工事環境破壊か? 答えはNOだと、視聴者の私は思います。監督の私は、巣が壊されるショックを描くために、悪者あつかいする必要があると考えていたようです。
  • 08:49 折笠富美子さんのタータはいいですねー。原作はタータが主人公なんですが、アニメはチッチの活躍が増えてます。が、折笠さんの演技で、タータが前に出てきたように感じました。
  • 08:49 三匹が並んで走る場面(3カット兼用)と、イタチに襲われる場面の原画は植村淳さんです。ありがたや。ネズミの走りは、急ぐときは2コマ中2枚、通常は3コマ中2枚。動物の走りはパターンが少ないので、ガンバに似ています。植村さんのところは2コマ中3枚で、空中ポーズが入ります。
  • 08:49 ちなみに原恵一さんは、当初、このイタチを中心にした物語を考えていたようです(原作にもある)。それじゃガンバになってしまう、という理由で、いまのような形になりました。それくらいガンバは恐ろしい作品なのです。アニメ史に向き合うなら、これ以外の選択肢はなかったと思います。
  • 08:49 夜、根で三匹が寝ているカットは、写真をそのままレイアウトに使ってます。写真レイアウトに使ったのは、自然物では、ここと冒頭の川の3カットのみ。バス車内はさすがに写真レイアウトが多いですが、ほかは基本的に写真は参考程度にしました。
  • 08:50 自転車のかげに隠れて走り、猫を避ける部分は、某映画からアイデアをいただいてます。
  • 08:50 チッチの「え~、もう旅行おしまい?」という台詞は、原恵一さんのアイデアをいただきました。前述の「お前が食べ過ぎなきゃね」といい、なんか、原さんらしいですよね。
  • 08:51 ドブネズミたちに会ってから、チッチが転ぶまでの原画は、石井邦幸さんです。丁寧な仕事ぶりで助かりました。かなり立体的に描く方で、ほかの原画とは耳の形などがちがいます。
  • 08:52 ドブネズミたちについて、原恵一さんは「聞き分けのない乱暴ものが良い」と考える。私は「話せば通じるやつらであってほしい」と考える。ここらへん好対照ですね。いろいろ話し合った結果、原さんの方のプランにしました。
  • 08:53 クマネズミは、人間を利用して、レストラン自動ドアを出入りするみたいですよ。能力が高すぎる。
  • 08:53 つるや食堂は、松浦さんの小説半島』から名前をいただきました。『半島』に登場するつるや食堂はもう少し小ぎれいだと思うんですが、アニメではネズミが出てきてもおかしくない、時代がかった建物にしました。
  • 08:54 ドブネズミがトリモチにかかるアイデア原恵一さんのものです。
  • 08:55 赤い郵便ポストあたりは、レイアウト、BGの兼用を考えて脚本を書いてます。涙ぐましい……
  • 08:55 まあ、ぶっちゃけホークスです。
  • 08:55 子供たちが排水溝を泳いだり、グレンに誘われるまでの原画高野登さんです。私は高野さんの原画が好きなんですよ。ベテランの風格といいますか、シンプルかつ的確で、まちがいようのない原画、撮影指示、タイムシート。完成画面では伝わらない部分ですが、とても頼りになるうまさです。
  • 08:56 ベテランの風格は、この作品では、山内さん、高野さん、山崎さん、小野さん、寺田さんの原画で見ることができます。ありがたや。作画マニアの方々は、作画の実作業を経験してないと判別がむずかしいのですけど、ぜひこういう原画のうまさにも注目してみてください。
  • 08:57 横向き歩きのリピート作画、スライドは、単純ながらいちばんのリテイク回数でした。前足にあわせると後足がすべり、後足にあわせると前足がすべってしまう。むずかしいもんです。
  • 08:58 図書館のCパートは、鏡・ガラスモニタピアノ、逆さまの本『川の四季』、逆卵型の下水道。ねちっこく反転・反射を描く画面構成です。主人公たちが屋上に上がるまで、カメラ建物の外に出ません。図書館は窓ガラスポイントになるので、モデル杉並区図書館にしました。
  • 08:58 グレンの登場から別れまでが約11分です。テレビシリーズの半パート分。短い場面ですが、大塚明夫さんの演技がすばらしく、印象に残るキャラクターになったと思います。ちなみに原作のグレンは、ソシュール以後のポストモダン社会に生きる人間の苦悩を理解しているような、賢者ネズミです。
  • 08:58 収録は一日で終わらせる強行軍でした。お昼の弁当休みも早くすませよう、「30分くらいか?」と話していたところ、大塚さんがあのいい声で「15分だ!」と勇ましく叫び、笑いをとってました。大御所声優さんたちは、技術も一流ですが、現場の雰囲気づくりもすごいんですよね。勉強になります。
  • 08:59 大塚さんマジでかっこよすぎるぜ……
  • 08:59 鏡やモニタに映るグレンは、やっぱりアングル的におかしいですね。絵コンテに「おかしいですが堂々とやりましょう」と書いたのは自分ですが…。当時の私は、リアリティに足を縛られて窮屈な演出をしてはならぬ、などと考えていたんでしょう。視聴者の私は全体的にそういう傾向を感じました。
  • 09:00 原作のドブネズミ帝国が削られてしまったので、いちおう「なかにはいいやつもいるんだ」という台詞を入れました。ここらへん、面白いところなんで、ぜひ原作もお楽しみください。
  • 09:01 グレン大塚さんと、タータ折笠さんのからみは抜群ですねー。いいわー。
  • 09:01 「そうなんじゃないか」とか「そういうことなんじゃないか」は、松浦寿輝さんの作品にたびたび登場するので、グレンの台詞にしてみました。
  • 09:03スネークならダンボールに隠れるはず」という感想に笑いました。勉強不足でしたw。ただ、ハンカチに隠れるのは、バスの場面でタオルに隠れる伏線です。
  • 09:04 チーズケーキ番長なのに、ショートケーキを出しちゃって申し訳ありません。チーズケーキって絵にならないんですよね……。まあ、食べるほうとしてはそこがいいんですけど……
  • 09:05 給水機は原作になく、水の音、母の音、抱きつくタータ、川への思い、みたいなことをまとめて表現しようとした結果です。ここらへんはコンテを描いてうまくいったかも、と思いました。
  • 09:06 大塚さん……。
  • 09:07 シンメトリーの構図は、右を描けば左は反転してトレスできる、一枚描けば裏返しトレスで別カットも完成、という効率重視のために採用してます。みみっちいですね……
  • 09:08 図書館からの大俯瞰のBGは5回くらい兼用します。大変なカットはとにかく使いまわす。エコロジーであります。
  • 09:09 逆卵型の下水道、ここの背景は稲葉さんの担当です。描きこみすぎ!ありがたや。
  • 09:10 「あの雫が落ちたら」あたりは原作にありません。原恵一さんに「別れの場面をもっとじっくり」と言われたので、あれこれ迷って、こうしてみました。
  • 09:10 下水道プラットフォームあたりの背景は草薙の方が担当です。とくにマンホールがかっこいい。「クオリティが高くて驚いた」と美術監督の若いふたり、稲葉さんと日野さんも言ってました。私も上がりを見て驚きましたね。ありがたや。
  • 09:11 鉄砲水あたりの作画は、4カットほどが沓名さんの原画です。ここらへんは担当原画がとびとびなので、作画マニアの方でも見分けるのは難しそうですね。
  • 09:13 下水道のDパートから、ブルーのEパートまで、クレジットにないですが虫プロダクションが作画を担当しています。が、かなり原画がこぼれたので、手分けして描いてます。私も少し原画を描きました。
  • 09:13 下水道マンホールから煙草が落ちる場面。原恵一さんは喫煙者ですが「こんなことする人はいるのか? このシーン必要か?」と言ってました。私は「する人もいる。闇にぼわっと浮かぶ光は面白い、水の勢いを表現するため、またカップ容器で流れるくだりの伏線になる」と言い張って、入れた場面です。
  • 09:14 原恵一さんに口ごたえするとは、なんとも生意気新人監督であります。しかし、ひとつの作品にふたり監督は立てないので、仕方ない。
  • 09:14 カップ容器で流れる三匹、脚本ではお父さんの「しっかりつかまってろ!」という台詞が二回連続していました。が、山寺さんは何も言われずとも的確に判断して、二回目を「ちゃんとつかまってろよ!」に変更していました。これは収録中にいちばん驚いたことです。すげえ。
  • 09:14 こういう台詞が二回連続してしまうミスは、実はけっこうやってます。すべて私のミスです。次から気をつけます(もし次があるのならば)。
  • 09:14 カップ容器からチッチが落ちてしまうあたりは、石田慶一さんの原画です。暴れん坊ですねー。びっくりするくらい枚数の多い原画で、タイムシート等もひじょうに複雑、完成するまで画面がどうなるかわからなかったんですが、ど派手で面白い感じになったと思います。
  • 09:15 ブルーのEパートは、手水鉢・猫ベッド・染料鍋と、凹のような形のものを3つ。瓦屋根と鍋蓋で抜けている上の面を覆う、という画面構成。最後に、指輪が鍋蓋の上に置かれていたのは、構成上の理由があります(レイアウトを兼用する目的もあります)。
  • 09:15 少佐ーッ!
  • 09:16 けっこう小さい紙で作画しているので、大きいテレビで見ると粗が見えますね……。
  • 09:17 ブルーの家あたりは、美術監督日野さんです。上品な感じですね。
  • 09:18 内田百間の『ノラや』をやろうとして、やめました。ちょっと後悔してます。
  • 09:19 ブルーが「白を受け入れよ」とさとすくだりは、汚れたチッチを手水鉢に落とすところ、汚れたチッチを舌でなめるところ、瓦屋根の上の場面で計三回くり返されます。ここらへんはアニメオリジナルで、原作にない場面なんですが、好き放題やってるなぁ、と視聴者の私は思いました。
  • 09:19 ブルー役の田中敦子さんの演技がまたすばらしいですね。なんというか、包容力があって、長台詞も説得力をもっています。こんなに豪華なキャスティングなら、もっと台詞を増やせばよかったですねえ。尺が厳しいため、一文字二文字の単位台詞を削ったので、仕方ないのですが……。
  • 09:20 ブルーは友達がいない、必要ない、という原作を少し意識して、野良猫を追い払う場面を入れてみました。
  • 09:20 猫ベッドで寝ているお父さんに、タータが言う「ちょっと待ってね」の芝居が、実に折笠富美子さんらしくて、すばらしいですね。ここだけくり返して見たいほど。私は『あたしンち』のみかんファンなのです。
  • 09:21 ブルーの家の台所、染物の機材がならんでいる場面の背景も草薙の方です。とても丁寧な仕事です。たくさん描きこんじゃって、ほんとすいませんでした。山本二三さんは公演で、「平川監督空間フレーム内の何も描かれていない場所)恐怖症だ」と言っていたようです。ほんとすいません。
  • 09:22 染料鍋に入ろうとするチッチをブルーがはじくところ、絵コンテでは前足だったんですが、担当原画の方がしっぽに変更していました。ブルーはしっぽの雄弁なキャラクターだったので、私は「それだ!」と思い、すんなり変更しました。
  • 09:22 私のぬるい絵コンテを適宜変更していただいた、ありがたい原画は、小野隆哉さんです。またしてもベテランの風格! 原画は演出の領域に踏み込まざるを得ない、という好例ですね。
  • 09:22 私はブルー屋根のところの劇伴が大好きなんですよ。栗原さんの曲は、楽しげなものもいいですが、せつない曲がたまりません。
  • 09:23 「やさしさのない職場だぜ……」
  • 09:24子供がいるとそれはそれで」は原作どおり。こういうユーモラスな場面、いいですよね。
  • 09:26 原作動物病院アニメでは出せないので、ネズミたちがピアスを見つけるくだりを指輪に変更して、ブルーの場面に入れました。ピアス指輪に変更した理由は、丸いこと、尻尾に通せること、いろいろあります。動物病院は登場させたかったですねえ。残念。
  • 09:27 ジョン・フォード! でも真似することにも失敗している!
  • 09:27 公園のFパートは、高低差、3の均衡、人工的な自然、という画面構成。少し欲張りすぎたかもしれません。「3の均衡」は、1・2・4のときにバランスが崩れ、何かが起きる、たとえば3人の親子が座るベンチ下にネズミのお父さんが入ると、蹴り出されてしまう、など。うーん、ややこしいですね。

増田の文字数制限にひっかかったので(2)へ続く

2009-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20090607174615

2ページの3段目って何?

手元にないから詳しく言ってくれ

ガチでやり合ったなんて印象じゃなかったよ

とりあえずテレビで言ってたことを突っ込まれてアワアワ言ってて笑ったよ

専門家を前にするとすぐこうなるんだよ茂木

生命哲学ってなんだよwwwってかんじだった

こいつの基本は、媚びて、相手に取り入った方法、これが通用しないと逃げるw

インチキだって自分で思ってるからかな

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