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はてなキーワード: 看板とは

2023-11-18

ワンピース → 2年以内に完結

呪術廻戦 → 1〜2年以内に完結

ヒロアカ → 1年以内に完結

次の看板候補 → SAKAMOTO DAYS、逃げ上手の若君、キルアオ、夜桜さんちの大作戦、アオのハコ

終わりだよこの雑誌

2023-11-17

ワンピース → 2年以内に完結

呪術廻戦 → 1〜2年以内に完結

ヒロアカ → 1年以内に完結

次の看板候補 → SAKAMOTO DAYS、逃げ上手の若君、キルアオ、夜桜さんちの大作戦、アオのハコ

終わりだよこの雑誌

2023-11-16

anond:20231116122820

単に正義看板で下々をバカにして叩きたいだけだからなあ

と学会とかニセ科学批判とかリフレ派とかずっとそんな感じよ

心に重りを抱えるってこんな感じか

ブクマカは何に対しても茶化す否定から入るけど、こうやって名指しで自身否定されてどう感じているんだろうか。

https://sizu.me/about

はてなブックマークコメント非表示機能

俺は暗い持ちになったし、こんなサービスに見切り付けるほうが良いと思ったよ。

コメント機能はいらないって意見もあるだろうけど、そもそも使ってる人が酷いという証でもあるわけで、切ったところで問題ない質の低いサービスってことだろう。

ポケGO位置ゲーブームになった当時、ご当地スポットに群がる有象無象に外部の人が忌避感を覚えたというのは記憶に新しいと思う。

今でもお寺などではポケGO禁止看板をたまに見かける程度には根付いている。

これだけじゃなくインスタグラマーなどあるサービス利用者等が無関係な外部の人に影響することは珍しくない。

ここにはてなブックマークも加わるってのはちょっと悲しい。

ポケGOの時はコミュニティの多さ故に「赤信号理論」で強引に乗り切った感がある。

はてなにはそんなコミュニティ機能はない。

けれど使っている側はサンクコストのためか帰属意識のためか、はてぶを無理に肯定している気がする。

そもそもはてブを使う意義って何だろうか。

RSS2chやかとゆー等が情報収集に一役買っていた時期ならば、はてブはそこの一角に食らいつくことができていたと思う。

ただ、現状ではてブしか得られないものって増田日記くらいなんだよね。

というか増田専用のSNSになりつつあるし、そうでなければいつもの過激コメントか、ごくごく一部のテクノロジー関連の項目しか役に立たない。

テクノロジー関連だけ必要ならそれ専用に自分で何とかすれば良いし、そうなるとはてブを使う意義ってのが本当になくなっている。

ニコニココメントの方がまだ面白い

惰性で使うにしてももう潮時なんだろうな。

せめてはてぶを実用的に使っている人たちのコミュニティがあればまだマシなんだろうが。

ハローマックと靴流通センター

運営元が同じだったのか

かい看板で視認性を高めるって発想は一緒だな

2023-11-15

住宅街駅前大麻由来成分を使ったキャンディ店ができた

ギリギリ合法なのは分かるけどさ、駅前の誰でも通る1階の道に「子供も欲しがるキャンディーもご用意しています!」って看板たてるのは勘弁してほしい。

最初、本当のキャンディ屋さんかと思ってCBDってなんだろ?HHCHってなんだろ?ハイドロバブラー?って検索たか履歴が汚れてしまった…。

お店やるのはもう仕方ないとしても、看板文言だけはなんとかならんもんかなぁ…と思って交番相談したら「警察官は何も出来ないので、自分で苦情を言いに行って揉めたら110番してくれ」ってさ。

たぶんSNSに書いたら炎上するかもだけど、関わりたくないので。

2023-11-14

新鮮なら生肉大丈夫

有機栽培から安全

無添加から健康

このへんの思考停止食品衛生管理上極めて危険なので、看板にこれ掲げてる店は警戒したほうがいい

ボーカロイド音楽論」(ぱてゼミ)は何故あまり批判されないのか

追記そもそも「何故もっと批判されるべきなのか」については、【最後に】の後に追記した(2023/11/15)。

【背景】

 東京大学東京芸術大学では、鮎川ぱて氏(以後、ぱて講師)による「ボーカロイド音楽論」という講義が開講されている。東京大学の方の講義はぱて講師による著書『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』においてその過去の内容が公開されている。このダイアリーの筆者(以後、「筆者」)は「ボーカロイド音楽論」の元受講生であり、書籍を購入し一読した。同講義Twitter(現X)での実況が推奨されておりTwitter上で一つの活発な動きを毎年見せているが、「ぱてゼミ 批判」「ボーカロイド音楽論 批判」などと検索しても同講義に対する明確な批判ツイートはヒットしない(Twitter検索システムが悪いという可能性は保留する)。書籍についても、これに批判的な書評Amazonレビューやブックメーターにわずかに存在するのみである講義内容全体のレビューはそれらに譲るとして、本ダイアリーは、この「批判の少なさ」の原因について仮説を立てることを目的とする。

 本ダイアリーは直接の筆者の特定を避けるため匿名形式をとっている。内容について「そんなの当たり前じゃん」「その仮説は的外れだ」と思う読者もいるかもしれないが、このように書き残さなければ何も始まらないということでご容赦願いたい。また、筆者は全ての年度や東京芸術大学講義を聴講したわけではないこと、このダイアリーの内容は主に『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』の初版第一刷(以下、書籍)に基づいていることを断っておく。

【本論】

まず結論として、 「ボーカロイド音楽論」に対する批判の少なさの原因として、筆者は次の4点を提唱する。

1. 媒体:現地で行う音声形式講義では記録に基づく批判が困難であるという点。

2. 受け手資質講義対象となる学生や読者のほとんどはその議題についての非専門家であり、しか批判に割くだけのリソースを持っていないという点。

3. 内容:この講義の内容が批判を先んじて封じてしまうように作られている点。

4. コミュニティ:この講義ボーカロイド音楽が好きな東大生のうち一部を迎え入れるコミュニティ形成する役割を同時に担っており、コミュニティ批判との相性が悪いという点。

以下、これらの点を順に見ていく。

1. 媒体

 書籍が発売される前、「ボーカロイド音楽論」(以下、この講義)は大学の構内の教室で開講されているのみであった(初回の何回かこそニコニコ動画配信されたが)。そこではぱて講師の口頭でのみ内容が話され、レジュメは一枚も配られることなく、板書も最低限であった。言われたこと全てを紙に書きとるのはほとんど誰にもできないだろう。従って口頭の講義に基づく批判は、言った言わないの水掛け論になってしまやすい。現に筆者がこのようなダイアリーを書くことができるのも書籍が発売され、何を書いてあり何を書いていないかを把握し見直すことが可能になったかである

2. 受け手資質

 この講義は主として東京大学教養学部学生に対して開講されたものである。その多くはこの講義で取り扱った多くの思想概念の(多くとも)全てについて専門家であるというわけではない。またぱて講師自身もそれら全ての専門家でないことは講義中に明言している(85ページ脚注5など)。従ってぱて講師によるそれらの援用が妥当でない可能性は常にあるが、そのような観点から検討をすることは学生にとって難しいだろう(勿論専門家のみがそれらを扱うべきだという立場をとることは避けなければならないが)。さらに言えば、進振りのための勉強で忙しい学生にはわざわざこの講義批判するためだけに捧げる時間も体力も残っていないということ(そしてこの講義のもの大学が門を閉める時間まで延長していることもそれらのリソースを奪う一端となっていること)を指摘しなければならない。これは書籍の読者の多くについても同じである

3. 内容

 ここでは書籍でぱて講師が用いた概念の内容が批判を先んじて封じる性質を持つことと、ぱて講師が「論じるべき内容を論じなかった」ことが批判すべき点を覆い隠す機能を持っていることを指摘する。

 まず、ぱて講師はテマティスム(テーマ批評)に則ってボカロ曲評論するとしている。ぱて講師の言うテマティスムとは、以下に抜粋する通りである

「テマティスムは、作家メッセージをその意図の通りに読み取るということではありません。そうではなくて、むしろ作家作品の細部から作家自身も気づいていなかったかもしれないテーマ抽出し、作品価値を読み替えていく。それがテーマ批評という手法です。」(40ページ14行目-41ページ1行目)

さらに、この講義の鍵となる概念の一つとして「アンチ・セクシュアル」をぱて講師提唱している。以下に書籍抜粋を示す。

「本講義の当面のキーワードは『アンチ・セクシュアル』です。性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱う感性が、ボカロシーンには多く見られ、そして支持されました。なにに比してかというと、いわゆるふつうのJポップに比してです。Jポップのチャートを見れば瞭然でしょう。ラブソングばかりです。」(42ページ8-12行目)

「『アンチ』といっても、それは必ずしも単純な否定のことだけを指しません。性愛を疑ってみたり、気持ち悪いもののように言ってみたり、ときにそれは、米津玄師において見られたように、アンビヴァレントな愛憎を差し向けるというかたちをとることもあるでしょう。」(43ページ2-4行目)

 つまるところ、「テマティスムを用いれば、性や愛をめぐる通念を自明とせずに扱う感性(単なる否定に限らない)をボーカロイド音楽から読み取ることができ、そのような音楽がシーンの人気を博した。一方で「いわゆるふつうのJポップ」からはそのような読み取り方のできない曲が人気を博している。」という主張をぱて講師はしているということになる。この主張に当たって用いた「テマティスム」と「アンチ・セクシュアル」の二つの概念は、この主張に対する批判として想定される「作者はそこまで考えていないと思う」型の主張や「この曲は性や愛めぐる通念を否定しているとまでは言い切れない」型の主張を先んじて封じる機能を持つ。このため、読者がすぐに思いつく形での批判ができず、ぱて講師の主張に対する批判が少ないことに寄与していると考えられる。

 もう一つ批判封じに寄与しているのは、「論じるべきところを論じていない」ということである。「いわゆるふつうのJポップ」についての記述に注目すると、ここでぱて講師が行わなければならないのは、

①「いわゆるふつうのJポップ」を「『アンチ・セクシュアル』な感性を持たないJポップ」以外の形で定義すること

個別楽曲評論を通じて「いわゆるふつうのJポップ」に該当する曲に「アンチ・セクシュアル」な感性が備わっていないことを論じること

③それが「Jポップのチャート」に非常に多く見られることを指摘すること

であるしか書籍の中で「いわゆるふつうのJポップ」についての言及があるのはここのみで、上記3つ全てを行っていない(ぱて講師言葉を借りれば、「瞭然」という「感覚思考俎上に載せ」ていない)。それもそのはず、「テマティスム」と「アンチ・セクシュアルな感性」を用いた読解だけではこのようなことは到底不可能からである。「テマティスム」は確かに「作者の意図」に縛られない自由評論の基礎であるが、それは同時に評論者次第でどうとでも言えてしまうことを意味する。同じ曲が違う評論家によって「アンチ・セクシュアル」であったりそうでなかったりする。もし「そうは言ってもこじつけってものがあるでしょ」と思うのであればそれは「良い評論」の基準として「テマティスム」以外の何かを想定していることになる。さらに言えば、「アンチ・セクシュアル」という概念の幅も広い。同じ言葉賞賛にも皮肉にもなる世界で、「性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱」っているかどうかを「テマティスム」のみで確定させるのは不可能だ。つまるところ、ぱて講師が「いわゆるふつうのJポップ」を論じないことは「テマティスム」の持つ脆弱性、あるいは、「何でも言えてしまうが故に何も言うことができない」性を(本人の意図とは無関係に)覆い隠し、批判を予防することに寄与していると言える。

4. コミュニティ

現地での講義に付随する活動として、コンピレーションアルバム作成ちょっとした食事会など、ボーカロイド文化が好きな東大生のためのコミュニティ積極的提供する姿勢をぱて講師は見せている。それ自体マイノリティたる若者鼓舞するという目的からすれば妥当であるが、評論の面ではこれが裏目に出ている。余程肝が据わっていない限り人間は、自分を匿ってくれるコミュニティの発起人の言うことに盾突いたその先を恐れる。発起人自身が何とも思っていなくても、同じコミュニティの仲間から邪険に扱われるかもしれない。仲間が何とも思っていなくても、内なる自分が責め立てる...。こうなれば講義批判するのは難しい(批判したとて有耶無耶に言いくるめられるだけだ、という疑念もあろうが)。「肝を据わらせろ」という主張はマッチョイズムなのでしないが、しかコミュニティ形成するとはそういうことなである

最後に】

 「ボーカロイド音楽論」の講義書籍化されたことは、この講義自身にとって、そしてボカロシーンにとっての大きな一歩であると筆者は考える。内容の巧拙政治的立場はともかく、書籍化されたことによってこの講義は「亡くなったボカロPを悼み、内輪でボカロ曲をべた褒めする会」になってしま未来を脱して、元受講者やボカロ関係者を含む全ての人の衆目に晒され、批判され、検討され、洗練され、時に新たな論を生み出していくことができるようになった。後は実際にそうしていくだけである。筆者よりもっと優れた批判をできる人は多くいるはずなので、後は彼らに託してこのダイアリーの締めとする。

追記:何故もっと批判されるべきなのか】

 強い言葉で言えば、

「『ボーカロイド音楽論』などと大層な看板を出しながら、その実著名な学者の業績を形だけ借り"正しい"思想を添えた類推だらけの持論を『教養』と称し、[『教養』]と[『教養』を並べ立てた個別楽曲評論]を弱い脈絡の下で繋げただけの、部分を詳細に語っただけで全体を語った気になっている、評論と呼ぶべきなのかもわからないものが、まともに批判されずに学生の間や世の中に広まることが許せないから」

である(「まともに批判されずに学生の間や世の中に広まる」という心配杞憂であってほしいが)。

 筆者がこの講義書籍の内容が批判されるべきであると考えている理由は3つあり、これらを以下に簡潔に説明することで追記とする(注あり)。

1. タイトル詐欺:「ボーカロイド音楽論」を名乗りながら、その大部分は個別作品の読解に費やされている上、それらを踏まえて「ボーカロイド音楽とはなにか」をまとめて論じている内容が存在しないこと。

2. 「思考俎上」に載せる「感覚」の選び方の恣意性:本論で述べたように、思考必要なぱて講師感覚があるにも拘わらずそれを思考した形跡が存在しない箇所が見られること。

3. 「思考」の粗雑さ:「感覚」を正当化する目的しか思考」が用いられていないこと。「思考」に用いた「教養」の内容もそれぞれの分野を専攻した読者から見れば的外れものになっていること(注1)。「類推」や「テーマ批評」などのいくらでもこじつけることが可能手法を用いているのに、何故その手法を用いるべきなのか、その手法限界はどこにあるのか、といった説明がされていないこと。

注1:少なくとも一つの例として、筆者が専攻していた生物学に関連した部分を挙げる。リチャード・ドーキンス書籍利己的な遺伝子』に言及した後、「しかしこれらのような個体利他行動も、種や遺伝子主語にすると、自らを温存するための利他行動にすぎない。」(54ページ8-9行目)と段落を結び、その後「性はこのように、種の都合のための機能主義的なプログラムであるという言い方もできるわけです。」(54ページ18-19行目)と主張している。結論から言えば、この言い方はできない。生物学を学んだことがある人物なら絶対にこのような主張はしない。進化の結果としてある個体Aが(同種とは限らない)他個体Bに利他行動をする形質を獲得する条件はあくまで「それが後に個体A自身生存繁殖に有利となる可能性が十分高い」あるいは「個体Aと個体Bで利他行動に関連する遺伝子を共有している」であり、そこに「種」の概念は一切関係しないかである。(遺伝子自然選択対象となり得るのに対して)「種」という概念は観察者が生物を分類する際の線引きのツールであって、自然選択対象として観察可能ものではない以上、「性は種の都合のためのプログラムである」ということを(観察によって)事実として得ることもできない。つまり「種」を全体と見立て個体」を部分と見立てるような類推は成立しない。百歩譲って「利他行動に関連する(種を問わず)同じ遺伝子を持つ全ての個体」を全体とみなす形で類推を成立させるとしても、それは「類推を成立させるためだけに拵えた全体」であることを指摘しておく。

2023-11-13

anond:20231113104027

俺が街中を走ってたら

春夏冬って書いてある看板を2回も見かけたか

秋がなくなる傾向にあるのは確かといえる

2023-11-12

エロ抜きで付き合いたいのに当たり前みたいに3大欲求に性欲があげられる世界マジアンチ

大学生の女だけど、マジでセックスしたくない。

性欲がない所謂アセクシャルというわけではない。恋愛対象性的嗜好?も男性だし、普通がどんなものかはわからないけどそれなりにムラムラしたりすることもある。濃厚なキスシーン見てエロいエロいって友達と騒いだりすることもある。ただ、世のカップルがおそらくみんなセックスしてることと、いい大人浮気不倫人生台無しにしてしまうほど性欲に狂わされていることが理解できない。一生童貞処女のままの人も普通に各々満たされた人生を送っているはずなのに、なぜみんなそんなに性欲に支配されたりセックスに夢中になるのか。

高校生の頃の彼氏とはキスはしたけどそれ以上はしてない。可愛い恋愛だったと思う。

大学生になってバイト先の男の子と付き合って、そういう流れになったけどくすぐったいのが苦手だったのと、ガツガツこられてビビってしまって前戯の段階でストップをかけてしまった。結局なんか気まずくなって、何よりもやりたがっている彼に応えられないのが苦しくて別れてしまった。

最近マッチングアプリを始めてみた。経験豊富友達に協力してもらって誠実そうな人を見極めて、何人かとやり取りをしたり出かけてみたりもした。その中で1人だけ3回会った人がいる。すごく優しくて紳士的で顔もタイプで、少し奥手でシャイなのかな?とは思うけどそこもガツガツしなくて好印象だった。今日3回目のデートで初めて手を繋いだ時に、あー私この人と付き合うのかなと思った。まあ元々マッアプで出会ったんだし。

でもこの人とセックスしたくない。そこまでの性欲も自信も勇気もない。手を繋ぐだけで楽しいし、こうやって普通にお昼を食べたり、見つけた看板をどっちが早く逆から読めるかゲームとかしてぶらぶらしたり、明日の朝食べるパンをお互いに選びあったりしてるだけで十二分に楽しいし嬉しいし幸せで満たされていると思う。でも彼はきっとセックスしたくもなるんだろうなと思う。私はそれを受け入れられる自信がない。好きになればなるほど、彼の欲求に応えられなくなる自分が苦しいし申し訳なくなる。3回もデートしたし、次は夜景の見えるレストランを予約してくれるらしいからもしかしたら告白されるかもしれない。彼はセックス抜きでも私と付き合ってくれるだろうか。可愛い自慢できるような彼女になる努力も、一緒に過ごしていてよかったと思ってもらえるように楽しませる気概も、誕生日を盛大に祝う準備も、遠距離になってもずっと好きでいる覚悟もある。ただセックスだけはしたくない。怖い。触らないでほしい。いくら好きな人でもあんもの体内に入れられたくない。ずっとそのことばかり考えて泣きそう。なんでこの世界セックスデカデカとあたりまえみたいな顔して居座ってるんだよ、もしもボックスにこの世から生殖目的以外のセックスがなくなりますようにって電話してただ純粋に彼のこと好きだって思いたい。

2023-11-11

左派野党合併って何があかんの?

メリットしかないだろ

例えば、過去共闘したりっけん、共産社民れいわを合併したとしようや

実際、この共闘では議席が伸びたわけで、看板ひとつにした新党結成ブースト選挙区候補者調整で更に議席伸びるぞ

しかも、共産共産看板失うことになるし、志位による独裁も終わる

この政党は嫌いってやつもいるだろうけど、投票するとき新党〇〇のりっけん派、共産派、れいわ派を支持してるって意味投票すればいいし、気に入らない派閥には支持者として申し入れすればいい

実際、お前らが敵視してる自民党はそれで票集めてるんだから、敵がやって成果出してることをやりたくありませんってなると子供わがままレベルの話だぞ

政党がやりたがらないからと言いだすやつもいるけど、有権者が望んでることをやりたがらない政治家問答無用で退場でしょ

それでも嫌だと言うなら、お前ら何か対案出してみろよ?出ないならお花畑って言われてもしょうがないぞ

2023-11-09

anond:20231109120700

女性に対しては批判コメに飽き足らず募金で集めた金で訴訟したり女性救助カフェバスを阻害するため付きまとい行為までしてやめさせましたよね?

そのパワーがなんでカード会社にむけらんないの?

やっぱり強いものにはまかれて弱い女性だけXで寄ってたかっていじめて盾に使ったあとやり捨てしたいの?

今回実効的にうごいてるのニコ運営だけじゃん

雑魚がXで騒いだところでなにもおこらんのはわかり切ってるし

どっちかというと「カード会社なら見逃して」だんまりしつづけてるのは表自戦なんだよ

以前からDMMやBOOTHでもカード会社表現規制してるのに今回にいたるまで批判ふくめてなんにも行動してないんだから

おまえのいう「批判コメント」とやらでなにがおこるか?カード会社のものが見逃してるんだから何も起こらんにきまってるだろ 

弱くて困らせやす女性相手じゃなきゃなにもできない表自戦は看板おろせ ちゃんコンテンツ乞食改名しろ

anond:20231109112720

首謀者暇空がしつこく「温泉娘立て看板表現規制したことを諦めないかぎり夢乃いやがらせする」って表明してたしカフェに出没したやつも賛同者じゃん なに歴史改変してんだ

薬味増田薬味に挟まれたいタレ正はにミクや出す間ミクや(回文

おはようございます

ちょっと笑っちゃうけど、

今度のスプラトゥーン3のフェス

回転焼きか大判焼き今川焼きかってシリーズ対決になるようで、

それはそれでいいんだけど全部絵柄が一緒って言うのが笑っちゃったわ。

わざとよね。

今川焼きと他の違いは私分からないけど、

回転焼きは巨大平リボルバーみたいな装置

じっくり回転して焼きあがる回転焼きなので、

焼き方は違えど回転焼きが一番違うのかしら?って思うけど

実際のところはよく分からないわ。

大人になったら違いが分かるかと思ったけれど案外そうでもないみたいね

大人になったらって言えば、

そう私麺類のさ薬味って意味からなかったんだけど。

麺だけを楽しめば言いじゃないって思っていた時代が私にもあって

急にいつだったかしらね?

ちょうど1年前からだったかしら、

虎舞竜じゃないけれど

薬味と仲良くなったのよ!

そんでざる蕎麦で添えてくれる薬味ワサビってあるじゃない。

あれは好みでその時使うか使わないか絶対に言わないよ絶対にって槇原敬之さん方式でやるんだけど、

店員さんがせっかく小皿に盛ってくれたのを形を崩さずに残しちゃう

使ってくれなかったのかな?ってガッカリするから

ちょっと箸で崩して使ってないけど使った形跡を残しておく季節もあったのよ。

でも全般的薬味は好きになって

私も大人階段登るシンデレラ形式のそれなんてエイチツーオーさん?って思っちゃうほど、

ネギ生姜ミョウガ錦糸玉子まあそう言った薬味の類いを

しろ麺と薬味割合を逆転させてもいいぐらいな感じの

それがちょうど1年前!

カモン!薬味!カモン!って感じの

うまいラーメンうまい!のネタしかない「うまい」で挟まれた表の看板ラーメン屋さんがあるようにそう

私もカモン!薬味!カモン!って

薬味に挟まれても嬉しいぐらいな感じがワクワクなのよね。

でも未だにあんまり私が好んで食べようと思わないものがあって、

めんまなのよね。

食べられないわけではないけれど、

好んで食べようとは思わないぐらいの感じ。

あってもなくても私はどちらでもいい女性専用車両4コマの人のように思うの。

きっと多分美味しいメンマ出会たことがないか

しかしたら

メンマ運が開運して急に私はメンマメンマ!って

メンマ!私!メンマ!って挟まれても嬉しい季節が到来するかも知れないから、

ここでメンマ全否定するわけにはいかないのよね。

いつなんどきメンマと仲良しになるか分からいから。

でもあのラーメンのあの

メンマ以外にも刺して盛ってやって来る板海苔あんまりよく分からないけれど

いつかきっと私もラーメン屋さんに盛ってやって来る板海苔が好きになる季節が到来するかも知れない、

ラーメン刺し板海苔!私!ラーメン刺し板海苔!って挟まれてもいい感じなぐらい、

あとラーメンどんぶりの器を一周する丼からひらひらと垂らして盛ってくるチャーシューもいつか好きになる季節がくるかも知れないので

ひらひら1周盛りチャーシュー!私!ひらひら1周盛りチャーシュー!って囲まれても

いつ過去価値感が理解できるときがくる

それなんてエブリトルティング?って信じ合える喜びをいつか感じるときがくるかも知れないので、

何事も全否定することを全否定するわけにはいかないことも無いことも無いなとは思わないのよ。

嫌い嫌いをアピールしても何も得することがないじゃない。

饅頭以外は!

あれは饅頭大好きだけど、

じゃ落語登場人物の人たちがあいつに意地悪して嫌いな饅頭差し入れしてやろう!って

饅頭嫌い!って言いながら逆を行く饅頭大好きで

嫌いって言っておけば良い作戦なのよ。

でもあいつに意地悪してやろう!って思われるぐらいあいつも嫌なやつだってそのベースが悲しいので、

そもそもとして嫌われない行動を常日頃に持っておいて

人当たり良く過ごすのが

今日の私の新聞紙占いの一位に書いてあった私の星座ではない良さそうな占い結果だったの。

から

あんまり嫌い嫌い!って言っておくと

嫌がらせネギたくさんばんばん持ったものがやって来るから

私は一切今までネギ嫌い薬味嫌い!って発表してこなかったか

薬味攻撃は受けなかったのよね。

少しぐらい言っておくべきでも良かったのかしら?

なにしろもっと薬味必要な人に行き渡った方がいいのよね。

隣の席の薬味を使わない人を見るともったいないなーって思っちゃうの!

私はそっとその人が薬味開運開けることをお祈りして

薬味!その人!薬味!って

いつもそばにいたかったってエムみたいなことを言って

薬味好きになって欲しいなって思うの。

うふふ。


今日朝ご飯

スクランブルエッグタマサンドしました。

ベーコンのスモーキー

カールスモーキーじゃない方石井さんのベーコン香り香ばしいわ。

なかなか食欲をそそる感じがして

ふわふわエッグタマゴのスクランブル加減もよいわ。

温かかったらもっと美味しいかも知れない鴨鹿よ!

そんな鰯気に鳴ってなくて今度温めてみようかな?って

私をチャレンジングステージに誘うのよ!

デトックスウォーター

ホッツ緑茶ウォーラー

今朝ちょっと寒かったので

ホッツ緑茶ウォーラーしました。

急須で淹れるとたくさん出来るので

水筒ボトルいくらか詰めて持ってきて出先でも楽しめるホッツ緑茶ウォーラー!ってところかしら。

今日の私のラッキーアイテムはホッツだったのでちょうどいいわね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-11-07

最近の売上とか全然知らないけど、USJ凋落の気配を感じた

この前(11/4)、10年以上ぶりにUSJに行った。以前行ったときとだいぶ印象が変わってたり、ちょうどやってた期間限定ものがだいぶとお粗末だったりで、「これは先が暗いんじゃないか……」と感じてしまった。

そう感じた理由の1つ目は、看板コンテンツの大半で体験内容が似たようなものになっていたことにある。

具体的に言うと、概ね2種類に大別できてしまって、いわゆる絶叫マシンと、いわゆる4Dものだ。

定義上、4Dと銘打っているのは3D眼鏡をかけさせられるやつだけだったのでそこまで多くないが、実質的には「正面のスクリーン映像投影されて、座席乗り物がその映像と同期して動く」ものは全部同じジャンルに括っていいように思う。

そう括るとしたら、上記の2つの定義に収まらないものハリー・ポッターの街歩きと、ジョーズと、ジュラシックパークの濡れるやつくらいだと思う。(あと、乗れなかったけどヨッシーのやつもそうなのかな)

もちろんそれぞれの映像クオリティは高いんだけど、アトラクションの大半が似たようなものになっているというのには2つ問題があると思っていて、1つには、「その手のものが苦手な人」を完全に切り捨ててしまっていることにあると思う。

というのも、これは自分自身がそうだからこの投稿には私怨も入っているのだが、いわゆる「三半規管が弱い人間」にとっては、先の定義で言う4D系のアトラクションは全部キツい。

自分最近ではVRゴーグルではそう酔わなくなる程度に慣れて来ている。だが、USJアトラクションは、皆で大きい画面を見るスタイルなのが原因なのか、最初に浮遊する演出があった時点でもうダメだった。(ほぼすべてのアトラクションで浮遊演出があった)

幸い自分は絶叫系は平気なので、そちらを楽しむことはできた。だが、これら2つのジャンルの両方が苦手という人だって、そんなに少なくないように思う。(というか、どちらかというと片方だけ平気な自分イレギュラーな気がする)

もちろん、「そんなやつはそもそも来なければいい」は正論なのだが、10年前に来たUSJは、「次これ乗るの?じゃあ自分は苦手だからこっちに並ぶね」で一日が成立する程度には多様な体験ができたと思う。(自分バックドラフトが印象深い)

しかし、4Dも絶叫系もダメな人が、子供や友人について現在USJに迷い込んでしまった場合、割ともう全くどうにもならない。ニンテンドーワールドの再入場がめんどくさいというのを踏まえると、モンスターズ・インクライブリピートしまくるとかしかないんじゃないか

似たようなアトラクションばかりになることの2つ目の問題は、「どこに行っても似たような体験になる」ことになると思う。

これは「4D系」とくくれてしまうことからも明らかな通り、それらのアトラクションでの体験は、「浮いてるみたい」「ぶつかりそう」「風が出る」「匂いがする」「水がかかる」「熱い」のいずれかに分類できてしまうし、悪いことに、どのアトラクションでもこれらのほとんどすべてが体験できてしまう。

から有り体に言ってしまえば、「キャラと設定が違うだけでだいたい全部一緒」の体験になってしまうのだ。ついでに言うと、無理なくこれらすべてを体験させるために、ストーリー展開もかなり似たようなものになっている。

1つ目の理由は「ターゲット層を絞った結果」であり仕方ないところもあると思うが、こっちはテーマパークとして結構問題がある気がする。

乱暴に言えば、「さっきとほぼ同じような内容だったから、これなら並ぶことなかったな」と感じてしまうようなことになっていて、体験多様性という意味で言えば、パルケエスパーニャとかみたいなB級(と、させて頂く)テーマパークの方がずっと満足感があった。

「好きな作品世界に没入できるんだからキャラが違うなら様式は同じでも全然違う」という主張もあるかと思うが、以前のUSJ作品ごとに体験も多様だったように感じる。懐古かもしれないが。

もう一つのダメさを感じたポイントで言うと、これは期間が先日終了したから言うのだが、呪術廻戦4D作品としての出来がどうしようもなかった。

これも4D系のコンテンツで、3D眼鏡をかけて飛び出す映像を楽しみつつ、作品の展開に沿って水がかかったり風を感じたりするというものなのだが、これがもう、「VRコンテンツはこう作ってはいけない」の見本のようなものになっていた。

設定や展開に無理があるのは置いておいたとしても、例えば作品序盤の戦闘シーンは、固定の背景の上を二次元キャラクターがぽんぽん飛び回るという画になっている。

アニメ戦闘シーンは臨場感表現するため、カメラワークのように色んな方向から描き出して演出する、というのは素人が語るまでもなく皆さんご存知の通りだと思うが、この作品は、「それぞれのキャラクターが奥行きも使って飛び回る」というのを見せるのを狙っているのか(あるいはコスト納期問題か)、同じ方向から同じ場面を写した状態のまま、キャラクターの絵だけが移動する。

もちろんこれは「キャラの躍動を座って見ている客」と作品を写すカメラ視点を一致させる意味では正しい演出だと思うのだが、しかし、見て感じる印象としては「素人Unityで作った格ゲーみたい」だった。

これについては、さすがに各キャラ3Dモデルを作るわけにもいかないので、絵を背景の上で動かすことになる以上どうしょうもないという面はあるのかもしれない。

ただ、それを踏まえると、主人公が決めのシーンで放つ一撃に用いられた演出がどうしても気になる。

というのも、このシーン、直前に主人公こちらに背を向けて飛び上がり、雄叫びを上げたところから切り替わるのだが、ここで、「正面から写した視点」「画面上が黒く切り取られたような背景」で主人公攻撃描写される。

せっかく(インディーズUnityゲーみたいになるという犠牲を払いながら)客とカメラ視点を一致させてきたのに、クライマックスのシーンでそれを投げ捨ててしまうのだ。

たぶん、この演出自体は悪手ではなくて、アニメ的なタッチで迫力を出すためにはい方法なのだと思うのだが、それまでの視点と一致しない演出であるがためにかなり唐突感があり、実際、シーンとしてはシリアスで格好良い場面なのに、周りから何人かの吹き出す声が聞こえたりもした。「おもしろく」なってしまっていた。

この他、「水がかかる演出を使うシーンがマグマみたいなものがかかる場面で没入感が削がれる(多分ない方がマシ)」という演出問題があったり、「敵役主人公対峙した瞬間に立場から狙いまで全部名乗るのでイオンモールヒーローショーみたい」という展開上の問題があったりとまだまだいくらでも文句を言いたいところがある。

ただ、まあ恐らくだが、呪術廻戦のキャラを使う以上、これの制作リードしていたのはユニバーサルスタジオ側ではないだろう。

から、この作品USJのせいで低クオリティになっているという訳ではないと思う。

でも、自分のところの目玉コンテンツの一つになるものクオリティコントロールが利かない状況になっているというのは、かなり危険兆候ではないだろうか。

この呪術廻戦4D、枠としてはエルモとかシュレックの同じような作品がやっていたところでやっている。そしてそれらの作品はけして低クオリティものではなかった。

から、今回の問題は、4Dシネマという形態が抱えている問題ではないということだと思う。ユニバーサルスタジオちゃんと絡んで(この辺事実関係はわからないので曖昧に書いている)作れば、ちゃんと良いものになる。

にも関わらず、この呪術廻戦という大型コラボものクオリティがこうなってしまうのは、どっちが依頼したコラボなのかみたいな力関係があったり、公開時期を急ぐためのスケジュール的な問題があったりしたのかな、と邪推してしまう。

そして、そういうものが持ち込まれアトラクションクオリティが下がるというのがある状況なのだとすると……やっぱり、それは良くないことなのではないかと感じるし、テーマパークとして魅力を失うことに繋がるのではないかと思う。

少なくとも、自分は今回行った結果、「もうしばらくUSJはいいかな」という気分になってしまった。日本でも2番目のテーマパーク(だと思っている)だから、行ってガッカリするポイントがあるなんて思ってもみなかった。今後子供が産まれて大きくなって行きたがっても、今回の経験を踏まえて一旦は反対すると思う。(それでもいずれ流されて行くことにはなるのかもしれないけれど。)

以上、長文での愚痴でした。

2023-11-06

>こども家庭庁が「子ども若者4000人が参画」とPRの看板政策、実際は最大533人にとどまる

6000万人に使われているはずのPayPay

なぜか4000万人が本人確認できない問題

2023-11-05

週刊少年ジャンプガチガチガチ終了のお知らせ

ワンピース → 2年以内に完結

呪術廻戦 → 1〜2年以内に完結

ヒロアカ → 1年以内に完結

ちなみに次の看板候補はSAKAMOTO DAYS、逃げ上手の若君、キルアオ、夜桜さんちの大作戦

終わりだよこの雑誌

2023-11-04

anond:20231104124548

性犯罪被害告発に対しては、セカンドレイプという主張が濫用されすぎだと思う。こんなん「時と場合による」としか言いようがないよね。

被害を疑ってはならない場所心療内科の診察室やカウンセリングルームなど

この場では、とにかく「被害者」の言うことが真実であるという前提で接するべき。仮に「被害者」の言うことが疑わしいのだとしても、ダイレクトに伝えるのではなく、治療者として適切な言葉遣いで伝えたりそれとなく適切な治療に繋げたりすることが求められるだろう。カウンセラーは知らんが、医師国家資格があるわけで、そういう配慮も当然要求されるだろう。「嘘なんじゃないですか?」とか直截に言うような心療内科医やカウンセラー看板を下ろすべきだ。

被害を疑って構わない場所法廷や取調室など

刑事裁判は、圧倒的強者である国家権力が、無力な弱者である市民被告人)に対して、罰を科すかどうか決める場である。当然、被告人は、全力で自らの身を守る権利がある。被告人は身を守るために、「その日はアリバイがありました」とか「そんなことをする動機がありません」とか「踏み間違いではなく車の欠陥ではないでしょうか」とか「ドラえもんに助けてもらおうと思いました」とか「被害者の証言はここがおかしいと思います」とか、ありとあらゆる反論国家権力に対して行うことが許されるべきだ。

実際、今回の事件会津若松虚偽告訴事件のように虚偽の被害を訴えた事件だけではなく、「本当にレイプ事件はあったのだが、被害者が被告人犯人勘違いした」事件もある(氷見事件)。「本当の被害なのだから、その証言を疑ってはいけない」などという原則採用することは、刑事裁判原則から考えてありえない。たとえどれだけ悲惨被害に遭い苦しんだ被害者の証言であったとしても、疑われてしかるべきなのだ。なぜなら、被害本当にあったのだとしても、被告人犯人ではないのかもしれないのだから

ケースバイケース:一般社会

たとえば、仲の良い善良な女友達が泣きながら被害に遭ったという話をしてるときに、何の根拠もなく「それほんと? 嘘なんじゃないの~?」と言うのは割と人の心がない所業だと思うし、周囲のやつらからドン引きされ絶交されたりしても、まあ仕方ないだろう。

逆に、隣近所では評判のウソツキ女が被害に遭ったという話を吹聴していたら、何の根拠もなく「それほんと? 嘘なんじゃないの~?」と言っても、まあ、仕方ないだろう。日頃の行い、オオカミ少年、ってやつで、こういう場合被害を疑うのは社会で生きていく上でなんら問題ない。

もちろん、善良な女友達が実は痴漢冤罪カツアゲ犯であり、評判のウソツキ女が実は本当にレイプ被害に遭っていたということもあり得るわけだし、実際の社会にはこのあいだに広大なグレーゾーンが広がっていて、「新聞で短く報道されたヨソの県のヨソの市での性犯罪」なんて、実際のところはどうだか全くわからないだろう。というか性犯罪だけじゃなくて、殺人だって詐欺だってだってそうであって、つまり本当に大事なのは「それ、わざわざ話題に出す意味ある? あなたコメントする意味ある?」ということだろう。友達や近所の人なら意味必然性もあるかもしれない。友達が泣き崩れてる横で「僕はノーコメントで」とか言うのは(よほどの事情がない限りは)人でなしのすることだ。しかし、「新聞で短く報道されたヨソの県のヨソの市での性犯罪」にあなたコメントする意味はあるのか?

さらに言えば、そのコメントを公開の場でする必然性もあるのか? もし「草津町ってひどいところだよね~」とか「絶対草津には行きたくないわ~」みたいなことを家族や友人のあいだでだけ喋っているなら、たとえばSNS発言をめぐって訴訟リスクを抱えるようなことには基本的にはならない。草津町長は名誉毀損で何人もの人たちを訴える意向だと聞いているが、彼ら彼女らが身内の飲み会でそういうことを言っているだけだったら、町長は何の手出しもできなかっただろうし、フェミニスト学者の人たちが謝罪を求められることにもならなかったはずだ(cf. anond:20221117054344; anond:20221118212515; https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/okisayaka/status/1592551751072509953)。

もちろん、自由社会には「表現の自由」という大原則があり、意味必然性もなくとも表現自由であって、それを否定するとあいトリエンナーレクジラックス弾圧される世界になってしまうからSNSなどのオープンな場で自分にとって縁の薄い場所で起きた犯罪についての論評を行うのは自由であるべきだ。だが、天皇アートロリ漫画と違って、実在犯罪への言及には「冤罪に加担してしまう」というリスクが常につきまとう。「七色のおっちゃん」である(単なるざまぁ物かと思って読み始めたら期待値よりは面白かった)。義憤を燃やすはいいが、それは後に訴えられるリスクを負ってまで燃やすべき義憤なのか? はよくよく考えた方がいいだろう。別に黙れとは言ってない。たとえば加藤智大のように現行犯で取り押さえられた人物については、冤罪危険はそこまで大きくないので、言及しても比較安全かもしれない。しかしもちろん、四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件のように、現行犯であっても冤罪があり得、取り返しのつかない結果が起きていることも忘れるべきではないだろう。そういうリスクを織り込み済みで、公的な場で義憤を表明したい、というならそれはもちろん表現の自由なので、どんどんX(旧ツイッター)で呟かれたりはてなブックマークブクマコメントを残されたり、たまに裁判を起こされたりすればよいのではないかと思う。

2023-11-03

実は弊社社員って優秀で需要高いのでは?

この前、上司たちが転職エージェントの話をしていたのだが、うちの管理職ってだけで2000万クラスオファーがじゃんじゃん来るらしい

ただ、うちの会社の上の上の人達は「会社看板がなくなったらお前たちは仕事ができるのか?」(意訳:会社が強力だからお前たちは仕事ができているだけだ)と機会があればしつこく言ってくる

これ、自己肯定感を落とさせてるある種の洗脳ってだけで、実際うちの管理職たちってかなり優秀なのでは?

今までもうちからたくさん転職した人はいるはずで、うちの管理職たちの実力もある程度他企業は知っているはずなのに未だに高給オファーが飛んでくるんだから

かにうちの会社デカくて、その看板発注の物量で他社が従っているところはあると思う

ただ、経営陣の「お前たちはデカい井の中にいる蛙に過ぎない」という言葉を真に受け過ぎるのも自分価値を見誤ってしまうだろうな

本当は大海でもスイスイ泳げる蛙かも知れない

まぁ、弊社もそこそこ払ってるらしいかリスクを犯してまで転職する気はないって結局上司たちは言ってたけど

でも自分価値を知るために転職する気なくても定期的に自社以外に評価してもらうのは大事だなと思った

2023-10-31

生涯でマンガ10000冊以上読んできたんだが異端か?

2005年ファイル共有ソフト覚えてから本格的にマンガ読み始めるようになった

金払いたくないので基本はネット上に落ちてるマンガ読んでる

コロナ前までは立ち読みマンガ雑誌も読んでた

PCに保存してるマンガだけで7500冊くらい

雑誌で読んだりPCに保存してないマンガカウントすると10000冊超えてると思う

自分で買った漫画もあるけど合計100冊以下で最後に買ったのは5年以上前

そして20年近くマンガ読んできて気付いたのは、最近マンガは平均レベルが高いということ

昔だったらジャンプで後ろに載ってるようなマンガはとても読めたようなもんじゃなかったけど、最近は後ろに載ってるマンガでも絵もストーリーもしっかりしてて普通に読める

ただ、一方で看板レベル作品はどっかで見たようなものが多くて作者の個性が見えないし「こうすれば読者にうけるでしょ」な優等生的狙いが透けて見えて作者の個性や爆発力のある作品が減ってきたと感じる

2023-10-30

ハロウィン禁止された!!許せねええ!!」って言うけど

実際やられたことって、

「ここはハロウィン会場じゃねーんだよ」っていうお気持ち看板

わかりやす警察が立ってただけでしょ?

しかも今のところ警察がして目立ったことって裸に近い女コスプレイヤーに職質かけてただけでしょ?

これで「祭り禁止された!!日本老害国家!!!」って雑魚過ぎない??

2023-10-29

駅に近づくと、「ここはハロウィン会場ではありません」と書かれた横長の看板が見えた。20メートルほどの長さはあろうか。看板の前ではオレンジ色ウインドブレーカーを着た坊主頭の人々が立ち、ハンドスピーカーから「ここはハロウィン会場ではありません。立ち止まらないでください」と連呼していた。

その一人に「ハロウィン会場はどちらでしょうか」と訊いたが、男はこちらを見ない。もういちど「ハロウィン会場はどちらでしょうか」と訊くと、その人はハンドマイクスイッチを切り、「ここはハロウィン会場ではないことを知らせる業務ハロウィン会場そのものを知らせる業務を含んでいません」と早口で喋った。

それも一理ある、と思い、今度は駅の改札から出て来る人々に片っ端から訊いてみた。やはり訊いてみるもので、「ハロウィン会場に私も今から行くところですから、一緒に行きましょうか」と声をかけてくれる男性が現れた。ひょろ長い身体つきをしたその人の頭部はきれいに剃り上げられていて、写実的アライグマ入れ墨がほどこしてあった。頭頂部からアライグマが覆いかぶさるようなデザインで、ちょうどもみあげのあたりに前脚が片方ずつ垂れていた。

アライグマさんの後ろについて歩くと、雑多な飲み屋が並ぶガード下に来た。看板も出ていない入口の前に立ち止まると、アライグマさんはすりガラス引き戸を開け、中へ入っていった。中華料理屋にありがちな赤いカウンターがあり、上には古新聞が乗っていた。私たちの他に客は一人だけだった。

ハロウィンで」とアライグマさんが言うと、カウンターの奥に立つ店主は「ハァロウィン一丁」と答えた。同じのでいいですかとアライグマさんに訊かれたので、思わず、あ、はいと答えた。「ハァロウィン二丁」と店主も応える。

カウンターの上に丼が置かれた。オレンジがかった茶色い汁の中に、くたくたになった白い麺が入っていた。

うどん、ですかね。

ほうとうですね」とアライグマさんは割り箸を割りながら答えた。

かぼちゃコーラ味噌で煮崩してスープにしてるんですよね、やっぱハロウィンはこれじゃないですか」

一口すすると、酸味とコクの入り混じった中に不思議なまろみがあった。野菜たっぷり入っていて、今日はまだほとんど何も口にしていなかったせいか、すぐにたいらげてしまった。

店を出た後、これから仕事だというアライグマさんに礼を言って別れた。高架沿いに駅の改札へ向かって坂道を下っていくと、酔いつぶれた人々があちこちに倒れていた。スーツを着たまま駐車場いびきかいている人。自動販売機の間にはまりこんで俯いているセーラー服。失禁したのか、スカートの尻の部分を濡らしたまま、ゴミ袋の山に頭を突っ込んで動かない人もいた。

駅に近づくと、「ここはハロウィン会場ではありません」と書かれた看板が再び見えた。その前ではオレンジ色ウインドブレーカーを着た坊主頭の人々が、ハンドスピーカーから「ここはハロウィン会場ではありません。ただいまハロウィン限定ドリンクサンプル無料配布中です」と連呼していた。その傍にある長机にはビールの小瓶のようなものがぎっしりと並んでおり、通り掛かる人々が次々に手にとっていった。どうみても中学生以下だろうと思われる男女も小瓶を取っていった。

自分も手にとって瓶のラベルを見ると、アルコール度数40と書かれていた。「ハロウィン会場でもないところでお酒を配ってよいのでしょうか」と訊くと、その人はハンドマイクスイッチを切り、「ここはハロウィン会場ではないことを知らせる業務ハロウィン関連商品プロモーション業務排除しません」と早口で喋った。

駅の反対側のビルに設置された巨大なスクリーンジャック・オー・ランタンが映ると、その上に大きな☓マークが入り、「ここはハロウィン会場ではありません」というメッセージが表示された。BGMのドュットゥクドュットゥクドュットゥクドュットゥクいう音に合わせて、小瓶を持った人たちがいっせいに頭を振りはじめた。

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