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はてなキーワード: 愛されたいのとは

2020-02-28

一軒家(借家だけど)に越したので犬を飼うことにした

俺は犬と猫が好きだ。嫁も猫と犬が好きだ。だからずっと犬を飼いたかったのだが住宅事情仕事関係でずっと飼えなくて、去年の暮に満を持してペット可能の借家を借りることにした。

家は多少ボロいのだがペットOKの条件で探したのでそこは文句なく、中村珠緒似の大家さんに犬を飼っていいか尋ねると「もちろんいいですよぉどぼぼぼぼ」と中村珠緒みたいに笑って許可してくれた。

果たして犬を(願わくば猫も)飼うべく俺たちがまず認識を共有したのは「保護犬(猫)にしよう」ということだった。ここでは生体販売がどうのとか言うつもりはない。ただ、可哀想な子を可愛がろうと思ったのだ。

いくつかの里親募集イベントネットで調べて二人で出かけてみたが、なんか色々と条件を付けられ「それ必要なのか?」って思うようなものまであって、いくつかのイベントを見送ってはめげずに別の里親イベントの予定を作っていた。

その犬に俺たちが出会ったのは、やや騒々しくある比較都市部で行われたイベントであった。その日は猫がやや多めだったが、それでも何頭かい子犬たちがせわしなく動き回り訪れた里親希望者や冷やかしに愛想を振りまいていた。成犬であるその犬、おそらくポインターとかゴールデンレトリバーとかの雑種とおぼしきその犬は子犬たちのケージから少し離れた位置で、子犬目当てで来た人たちに社交辞令的に撫でられては子犬ケージに向かう彼らを見送りながら静かに寝そべっていた。

俺たちも子犬が目当てであったが、とりあえずこいつを一応ひと撫でしようとしたら、俺たちを見るなりその犬は何故か突然ゴロンと仰向けになり腹を撫でるよう促してきた。俺も嫁もそうかそうかと撫でまわしてから子犬ケージに行ったのだが、どうにもその犬が気になる。吠えもしないし立ち上がりもしないでこちらをずっと見つめている雑種の成犬が。

子犬はどの子も可愛かったが、一つだけひっかかった(気に入らないとまでは言わないが)点は、どの子ポメラニアンとかダックスかいわゆる座敷犬系の犬で、どうも俺の中での犬好きメーターがレッドまでは行くが振り切りはしなかったのだ。嫁に意見を求めると「どの子可愛いけど、あなたはどう思う?」と返してきた。こいつがそう言う言い方をするときは「私はピンと来ないんだけどあなたがいいならいいよ私はピンと来ないけどね」と言うときなので、何となくだけどあの成犬が気になると伝えたらありがたいことに「あれね!あれも可愛いよね。それに成犬だからもしかして子犬より手かからいかな?」と好感触だった。

俺たちが再度あの成犬の所へ近寄ると、さっきの腹見せゴロンのときとは違い「え?え?また俺の所へ来た?もしかして俺のこと好き?!」と興奮気味に立ち上がり激しく尻尾を振りながら前脚を足踏みし、俺たちの歩みがもう待ちきれないとばかりに何度も上半身を上げ下げし始めた。(この上半身の上げ下げと言う表現で伝わるだろうか)

俺はもちろんだが、予想外に嫁が気に入ったので、この推定年齢3歳という犬を引き取ることにした。

引き取ると言ってもその場で決定ではなく、トライアルと言って数日預かって様子を見てから(予防注射などの経費を負担した上で)正式に引き取るというプロセスがあり、後日その犬が俺の家にトライアルに来た。とりあえずどこでトイレをしてもいいようにとペットシートと雑巾を手に持って家の中に犬を入れると、多少遠慮がちではあるがそれでも「お?お?ここはどこだ?これはなんだ?」と2DKの小さな家の中を好奇心旺盛に歩き回る。3周くらいしただろうか、手に持っていたそれとは別にバスルームの前に「ここにしてくれるといいな」と嫁が敷いておいたペットシートの上に犬がおしっこをした。トイレトレーニングは済んでいるとは聞いていたが俺と嫁が「えらい!えらい!」と誉めると「だろ?だろ?」と嬉しそうに寄ってきた。ちなみにこの犬がトイレで失敗したこと今日に至るまでない。

一緒に暮らし始めて気づいたが、この犬は常に俺か嫁を見ている。必ず目が合う。窓辺に寝そべっていてもこっちと目が合うとずっと見ている。そして次第にカーテンに隠れた尻尾がぱんぱんぱんぱんと床を叩き始めてやがて「そうかボールか!ボールを投げたいんだな?」とボールを咥えてこっちに来る。俺がいないときも犬は洗濯機の前に座って、洗濯をしている嫁を笑顔で見上げて「手伝おうか?」と言いたげに尻尾を振る。散歩に出ると(嫁のときもだそうだ)、俺の一歩か二歩前を歩きながら俺を見上げる。あまり激しく引っ張ろうとはしない。やや大きめの犬だから運動量必要だろうと自転車散歩すると今度は別人のように走る走る!「もっとだ!もっと早くこげ!何なら俺引っ張るぞ!」と言わんばかりに飛ぶように走る。そして飛ぶように走りながらもやはりチラッチラッとこちらを見上げる。

俺と嫁が食事していると(食卓構造上俺たちは並んで食事をしている)テーブルの向こう側から鼻だけが出てきて鼻の孔がひくひくしている。ソファに座っていると俺たちの間に飛び乗って来て俺に頭、嫁に腹を向ける。言っておくがこの時点ではトライアルである。とにかく「賢くていい子」なのだ職員の人は「トイレちゃんと訓練済みです」とだけ言っていたが、ここまでいい子なのは訓練によるものじゃなかったのか?持って生まれ性質なのだろうか?

そして俺たちはもうとっくに気づいていた。この犬は愛されたいのだ。愛されても愛されても愛され足りないのだ。事前に遠まわしに事情を聞いたがこの犬は山奥につながれて捨てられていたそうだ。つながれた理由はおそらくはついて来ようとするからだろうと。保護されたあとも、子犬たちと比べれば確実に成犬の自分里親敬遠する経験も沢山したのだろう。だから最初接触したときお腹ゴロンをしたのがこの犬にとっては毎回最初最後のチャンスで、一番可愛い所を見せなくてはいけない勝負ときだったろう。そして何度もその勝負に敗れた末に、遂に俺たちが現れたのだ。

俺は嫁にこの犬を引き取りたいと言ったら「というか私はじめからそのつもりだから」と返ってきた。嫁がこの犬を俺と同じように気に入ってくれて良かった。はじめから決定権が俺になかったのはこの際どうでもいい。

そんな日々の様子を適当写真に撮って(この作業約束だった)送るトライアルの期間が終わり、引き取りの意思最終確認とき、俺たちが当然のように正式譲渡希望すると、職員の人は「まあそうだと思ってました!」と笑った。俺たちの送り続けた写真がやたら多かったのと、写真うつる犬が一枚残らずカメラ目線だったのでこの犬は(もちろん飼い主としての俺たちも)大丈夫と早い段階で判断してもらっていたようだ。

一通りの手続き書類や経費の支払い)を済ませて正式にうちの子になったこの犬に名前をつけよう(トライアル間中施設で呼ばれてる名前で呼んでた)としたら、嫁がすでに決めていた。いい名前だ。俺の意見など無用だったみたいだがいい名前だ。

今日からお前はうちの犬だ。

2020-02-09

anond:20200209200402

始りが高尚なんだ。恋愛に悩んでる同士が、相手を身代わりに勝手憂さ晴らしするまでかな。

「こんなことしい」「こんなことされたい」。でもその相手を見てるわけでないから、相手意識しないし。

エロが幼稚か。エロいことだから受け入れて欲しいんだ、恥ずかしいことだから

女の子と裸で抱き合いたいなんてごめんね。みんなそうだし、私も抱き合いたいから。

ちんちんおっきくしながらキスばかりして変かな。おちんちん握ってる私をエッチだと思う?ううん。

なんとかさんも、こんなに、可愛いくて、気持ちがいいくて、エッチなのに、もったいない

彼女とはまだだっけ。あなたのも、おちんちんもこんなに気持ちがいいのにね。この指も、唇も、

実はコンドーム付けてなかったと思うんだけど、付けずに挿入するのもうだけど、

いく気配が感じられてから「中で出したら困りますよね」「それは困るなー」「ですよね」って、

外に出したのかな(膣外射精避妊では有りません)。でも僕は中で出さないだろうし、

妊娠してもお互い困ったことにはしないだろうって、相手を分かってたからかな。

相手がすることなら何でも受け入れるし、相手自分が受け入れられない非常識なことはしない、

なぜならそんなことしてもつまらないし、相手に嫌われるし、結局自分の欲しいものも失うし、

そうゆうことを全部含めて自分を全部知ってくれてしたいことをさせてくれて、

自分おかしくないまともな人間なんだっていう知る安心と、許されてる感が麻薬みたいに欲しいのかな。

女子想像して書けば、私も好きって大事にされて、少しわがまま言っても許されるくらいには可愛いよね。とか。

いつもは服着て恥ずかしいことしないでいるんだからエロは幼稚さ何だからと思う。

愛されたいの!(おちんちんいれたいの!)で、いいのよってわがまま聞いてくれる。

からせっくすした女の子は、僕から特別で、

だって僕の恥ずかしいおちんちん握られて舐められて、射精するところも見られて、

お茶してるときも(おっぱいさわりたいなー)とか思っても(そうそうもう見たし揉んだし、

手でいかされもしたんだっけ!)って気付くと、色々問題簡単になる。

仮定として、せっくすしたくてその女の子との関係性に色々考えるのなら、

せっくすした女の子ならそんなこと考えなくていいから、他のことを考えられる。

ここまで書いたことは全部僕の頭の中だけの話で、せっくすしたか相手を知ったふりとか、

欲求達成とか、我が物顔とかでは全然違くて、ちゃん否定しておかないと。

相手気持ちは全く関係なくて、僕が僕の中で自分のことは知られてしまった。

もうメロメロだよー。ってゆう負けから入れるからかな。

僕に「私のこと好きでしょ」って聞くなら、そりゃ嫌いなら目の前にいないからね。

なんだっけ?そうそう、僕のエロ幼稚だけど、僕には要なことなんだよ!

いつでもおっぱいもんでいいからね」って女の子と、大事にく続けたいよ!

こわれそうなものばかり集めてしまうよ

2020-01-06

anond:20200105100330

問題他人を愛するつもりが全くない事、他人からみれば自分他人なのにその自己視点から他人に対して愛されたいのではと想像することがないため他人から愛されることがなく、また他人の愛のかたちが多用であったとしても自分には都合がわるいことを受け入れるつもりがない事なんじゃないの?


自分は愛してくれたら愛し返すんだけどといっていれば愛をもってしてなにか得られるもの現実的に予定されていなければ、だれでもよい、誰であってもハッピーな結末に至る可能性はゼロではないってことになるでしょ。

またそれを同じこと思ってる他人がいるとすれば愛さないと愛し返してもらえないということなんじゃないの?

してほしいことを具体的に情報共有するのではなく、相手に行動を規制するよう指示することがコミュニケーション権利だと思っているなら排除することこそが最も望んでいる人間関係じゃないの?

能動的に自分に関わってほしいと思っているなら関わってもよい範囲や関わってほしい方法を褒めたり、黙ってろするなではなくどうしてほしいどうしたら好感がもてるというべきだと思うけどなんでしないの?

結局他人に対して自己中心的な愛し方という意見の仕方や嫌われる関わり方を親からしっかり受け継いだのでもしだれかいい人いたら僕の歪んだ成長の仕方をさせる子供を一緒に育てませんかパートナー募集中なんだろうなとおもうとそれがもしわかったならふつうにご遠慮願うと思うわ。

渇望って自分欲求だけは丸出しにすることは厭わないそんなご一家と一生付き合うことになるのに相当なメリット金銭的なりにもなければ好んで我慢をするために愛するようなまねができる人はそう多くはいないと思うし現にお金さえもらえたらそれに見合う数量では愛すよという人以外、身近にいないんじゃないの?

2020-01-05

29歳独身男性正月帰省して愛されたいという渇望を自覚した話

はじめに

この記事は29歳独身男性正月帰省して、家族とのやりとりから自分生き方の癖の原点と、自分慢性的な渇望を自覚した話を淡々と描くものです。過度な期待はしないでください。あと、部屋は明るくして、ディスプレイからメートルは離れて読みやがってください。

もちろんフィクションですので実際の人物団体とは関係ありませんし一部フェイクいれてます

母の言動自分の癖

回帰省で1日目は母方の祖母の、2日目は父方の祖父を訪ねる日程だった。実家祖母祖父が住んでいる家はすべて関東圏内で、車で1時間程度の距離である

今回祖父母の家を訪ねるにあたり、大学生の妹が練習のために運転して父が助手席監督するというかたちだったのだが、運転席の後ろに座っている母が運転中に車間距離運転速度、歩行者について大声で責めるような口調で口出しをするのがとてもいたたまれなく、つらかった。5分に1回以上のペースで「あぶない!!(どこに歩行者がいるのかなど具体性なし)」「(車間距離が)近すぎ!」「もっとスピード落とすようにしっかり指示しないと!(父に向かって)」と叫ぶのを聞くのが耐え切れなくなり、母に対しかなり強い口調で運転中に別々の人間から指示を出されるのは運転手にとってフラストレーションだし危険である、ということを伝えた。そうすると母はやや不満げにわかった、といいしばらくは黙っているのだが10分も我慢できなかったようで、またすぐに口を出すようになった。私が運転に慣れてなかった頃も同じように父に監督してもらったが、そのときも後ろに母が乗ると必ず口を出してくるためやめてほしい、と何度も伝えたのだったのが思い出された。

そこで私は、あぁ、母は本当に私や妹がどう思ってるか興味はなくて、自分の子自分の思い描いた通りに動くかどうかに1番の関心があるんだな、と諦めがついた。この車のエピソード自体はまあ大したことではないのだけれども、私にとってコップから水があふれる最後の一滴だった。私は自分感情欲望というものに蓋をするのが非常に上手で、他人の顔色を伺い、自分気持ちを表明せずに飲み込めば場がうまくいく予感がする場合、ほぼ必ず飲み込んでしまう。その原点のひとつがこの情緒不安定で話を聞き入れない母で、その対策として私の性格形成されたんだろうな、と納得した。とても寂しいけど、とても腑に落ちる納得だった。

母は非常に心配であるとともに、自分が正しいと思ったことは絶対に曲げない性格である。そして気分の波が激しく子供のころはそのことで随分苦しんだ。父は御三家中高→東大大手銀行、母も御三家中高→名門私立大学首席と大変立派な学歴であり私が中学受験するのは生まれる前から決まっていた。(私が生まれる前の時点でマンションを購入するとき判断材料ひとつ御三家に私が合格した場合に通学しやすい駅であることだった、というエピソードから色々察してほしい)。3、4歳から公文を習っていて、宿題計算プリントが終わらなくて家で泣きながらやっていたら強い腹痛を感じたため母にそのことを伝えたら嘘をつきなさい!と睨まれたのは今でも忘れない。自分のつらさを伝えても無視される無力感はいまだに生々しい。カリキュラムテストや公開模試の結果が返ってくることがとても憂鬱であったこともよく覚えている。専業主婦だった母にとって、私の中学受験、そして大学受験は一大プロジェクトだったのだろう、母のエネルギーと執着は私に注がれ続けた。

愛されたかった、いまでも愛されたい

母の狂気、そして父の経済力のおかけで私は予定通り御三家に進み、国立医学部に進学、卒業現在某県で四六時中働いている。普段はそこまで意識しないのだが、毎年年末年始はとくに情緒不安定になる。愛し、愛されていますか?と周りからいかけられているような被害妄想かられてしまう。別に目の前で夕飯の具材和気藹々と選んでいるカップルは私を追い詰めて孤独感をつのらせようとしているわけではないし、スーパーに鳴り響くクリスマスソングは今年も恋人と過ごせない私に意地悪して惨めな気持ちにするためにかかっている訳ではない。勿論そんなことはわかっている、わかっているが胸が締め付けられるし深呼吸できなくなるし、少しでも油断すると愛されない自分と、愛し合ってる幸福関係呪いたくなってしまう。こんなにも愛されたいのになんでこんな愛されにくい性格なのか、どうして愛されるのは私じゃなくてお前なんだ、と。

優しくて(どうでも)いい人、という評価

私は他者従順で、他者の顔色を伺うのがうまく、自己主張は激しくない。他の人が面倒がってやらない仕事もするため上の先生受けは悪くない(はず)し、患者病棟スタッフからは優しい先生だとどこの病院に勤めても言われる。病院を移るときに泣いて感謝されて別れを惜しまたことも数回ある。それは大変、大変ありがたいし私の数少ない生きる支えになっている。本当に感謝している。単に便利な駒と思われてるだけかもしれないけど、それでも身が粉になるまで働くね。が、一方で私の利他的言動の根幹に自己嫌悪人間不信が深く深く根付いていることに最近気づいた。

人を信じていないため、相手利益になることをしないと自分価値はないからすぐに捨てられるだろうという確信強迫観念がある。素の自分価値はないか勉強すべきだし、素の自分価値はないから他の人がやりたがらないことをやるべきだし、素の自分価値はないか他人のために生きるべきしそのために自分感情欲望に蓋をするのは当然だ、と。見せかけの自分偽装することが年々上手くなり、幸か不幸かその評判が職場では悪くなく、ただ自分気持ちに厳重に蓋をして他人軸で生きているため満たされなさ、慢性的空虚感、欠乏感がある。正直今なにかの拍子に即死したらお、ラッキーじゃん?と思う気がする。この欠乏感はどういうときになくなるか自分気持ち必死で感じてみると、心を許せる人と時間を過ごしているときだけはこの胸の裏をカリカリ引っ掻かれるような気持ちがなくなることに気づいた。ただ一人に誰よりも愛されたい、受け入れてほしい、という普遍的な、しかし切実な気持ちである

異性に縁がないのは私の空虚を見透かされているか

私はとにかく異性に縁がなく、人生唯一の交際していた期間は24歳のときの1年間で、それ以外は凪である。そのとき相手には今でも深く深く心から感謝していて、あの未熟でどうしようもなかった当時の私をいっときでも受け入れてくれたことは生涯忘れない。幸せにしてあげられなくてごめんね、幸せになってほしいといつだって祈ってるよ。その後職場婚活で何人かに好意を示したが、私の空虚がバレるのか交際まで至ったことはない。みなさん大変見る目がある。おそらく私にとっては2人の時間のおかげで心が安定するが、相手にとってはそうではなかったのだろう。包容力、余裕のなさよ。私は貯金もあるし料理もするし水回りの掃除は好きで家事機能付きATMとしてはそれなりに機能するのだがそれを差し引いてもお断りされるのだから笑ってしまう。私がなぜ愛への羨望、渇望があるのかと考えると、無条件に愛されているという実感を感じたことがなかったからではないかと思い至った。父も母も私を愛し育ててくれたが、それは条件付きの愛ではなかったか従順で手のかからない優等生"だから"愛していたのではないか。だからこそ勉強をやめようとするとじゃあ中卒でいいんだな、今すぐ家を出ていけと言われたのではないか患者スタッフから好意的に受け入れてもらえてるだけで本来幸せであるべきなのにそれでは全く足りず穴が空いたバケツに水を入れるような状態になっているのではないか

まとめ

私の魂の深いところに自己嫌悪人間不信があり、他人軸な生き方をしてきている。そのため満たされなさ、空虚さがあるがいままで自分気持ちに蓋をしすぎて、自分気持ちの詳細がわからなくなっている。様々なひとが私にうっすら好意的だが、私を誰よりも深く愛してくれる人はこの世界に1人もいない。親は私を愛してくれてはいるが、それは条件付きである。愛への強い渇望感があるが、渇望感があるため愛されない。

この記事を書いた理由と今後

このデッドロック言葉にできただけでもこの正月意味はあったはずである。いくつかの本(※)を読むと愛されるのを目指すのではなく愛せ、自分を愛せない人は他人を愛せない、と書いてあった。さすがに交際している人全員が交際から自愛できているとは思えないのでそうであったほうがより幸せだよね、と解釈しているが… …突破点として自愛が鍵になりそうな予感はある。自分を愛せるようになるにはまず自分気持ち欲望言語化すること、自分身体感覚を取り戻し快不快自覚することだろうと信じてこの記事を書いた。書いている最中はやや気が滅入っていたが、書き終わった今、かなりすっきりした気持ちでいる。

あと以前親からは酷く嫌がられたので諦めていたが、内緒はてブで有名な某結婚相談所に申し込んだ。万が一出会ってしまったら何卒よろしくお願いします。

つかこ記事を笑って読み返せる日がくることを願って、そして自分だけじゃなく他の誰かの心の整理の一助になれたら。

参考文献

※「愛する意味上田紀行、「生きる技法安冨歩、「アダルトチャイルド人生を変えていく本」アスクヒューマンケア相談室 など。どれもよい本でした。 

2019-07-23

笑いながら涙が出るんだ

朝起きて家族おはようと言って

にこにこと笑って心配させないように会社に行って

駅で肩を突き飛ばされてもへなへなと笑って

ゲーム中毒上司に無学全開な指摘をされても適当に受け流して

ポジティブシンキングしないといけないから嘘だとわかっても前向きに取り繕って

そんなもの人生ならば今すぐやめてしまいたいのだがどう思うだろうか

我儘だ、とよく思う

当たり前に権利の主張を声高にする

傷つかないために決めた強すぎる自我の発露がたくさんあって

そのせいで疎まれたり嫌われたり距離を置かれることはいざ知らず

仲良くなるのは大得意

見限られるのも大得意

大丈夫大丈夫、来るもの拒まず去る者は追わないよ、っていうけれど

最初からこっちに寄って来た人なんていなかった

拒絶すれば寄ってくる?最初だけだよ。みんな本当は話せる僕を見てたじろいでいくんだ。

いつからシニカルでいないと、息を吸えなくなったんだろう。

愛される真似をすればするほど、吐きそうになったのはいからだろう。

前はうまく演技できたのにな、演技してもしなくても人が去っていくことは変わらないけど。

絵を描くことが好きだった。

でも誰一人、私の絵がほしいわけじゃなかった。

みんなそうだ。そうだけどさ。

若さ。女であること。望むコンテンツエロティシズム。いろんな理由から、邪に私の絵は消費される。褒めてくれるならなんだっていいよ。自暴自棄に陥ったらどんどん、空っぽになっていった。本当に好きなものを好きと言って否定されることが怖かった。

でも媚びたところで、結局何にもならなくて、私は社会歯車として生きる一生のみを嘱託されてこの世に生れ落ちてきたのかと思うとこの上ない絶望に苛まれた。それはきっと、いい年してろくに恋愛セックスもこなしてこなかった虚しさと、学歴すら擲った自分の愚かしさにある。その上まだ過去虚妄に執着し美しい偶像をだれか一人に求めてはその個人を消費し、自分自身を優位化することでしか自我を保てない惨めさに打ち震える自己はなんて、なんて情けなく、醜く、地獄のような許されない存在なんであろうか。

私は私の作るものが全て大好きで、大嫌いだ。

正直、才能はないと思う。でもやりたい気持ちがあるから、ずっと下手の横好きを続けている。望まれない夢を描き続けている。「特別な何か」なんて幻想を諦めればすぐに普通に生きられるのに。でもそれはあまりにも、あまりにも苦しい選択だった。あの家に居続ける限り、家族はいつまでも優秀な私という過去の幻影に縛られ続けるだろう。私もその幻影を忘れることはできず、しか生活を迫られるだろう。母親はこの盛大な自己矛盾理解していながら、血縁という親が子供に振るえる最大の暴力でもって自己矛盾正当化し続けるであろう。祖母疲弊した私に思考停止を勧め、父は自立を促すであろう。最悪だ。本当に、最悪でしかない。

マジで何も面白くない。というか、自分空っぽさ加減に虫唾が走る。結局言いたいことなんか何にもありやしないじゃないか。単なる幼児のわめきだろ、構ってほしいだけだ。構ってほしいと言って許されるのは一部の才能を持って生まれた人々だけだというのに。愛されるべく生まれ、生きるべくして生きている人々。素晴らしい。本当に最高のことだ。そういった人間を生かし、この世に少しでも美しいものを増やしていくことが、われわれ人間に課せられた最大の使命なのではないだろうか。これは嫉妬などではなく、本当に心の底から思っている。対して、、、、自分の無力さ加減はどうだ。もう自分自身アイデンティティ価値を感じずに生きれるようになりたい。傷つくことに鈍感でありたい。自分自身所詮この世を回遊するために与えられた必要最低限の肉体であり、利用されるべきコンテンツなのだ

はい。寂しさの根底あなたが構ってくれないことです。

だれか一人に期待したり、何度も神を掲げたり、忙しすぎていやになる。

美しくなければ存在意義はゼロなので、こう考えてしまう限りは私は美しくあるための努力が足りないのだな。何でもできる人間になりたいが、未だ私にフィットした「できること」が発見できないのはどういうわけであろうか。

仕事にできるほどのことが何もないのに事務職金銭を傍受しており、そしてまたそれがないと生命を維持できず、いつもなんだかんだ「本当にヤバイところ」には飛び込まずにのうのうと生活をしてしまっているのはどういうわけなんだろう。

インド哲学はこの世は全部幻だという、若き日のロバート・M・パーシグはそれに絶望して履修を停止したと自伝で読んだが、絶望しすぎた生活の中でその考え方に何度救われたことか。あ、これを教えてくれたのは私の随分と年上の友達です。優しくてスピッてて適度に狂ってて怖くて面白い人。近づくと逃げてくのに時々追ってくる謎なひと。でも、愛される人だ。いいなあ。私はいつになったら人に愛されるに足る人間になるのだろう。

もうちょっと学をつけて、自分を好きになれたときだろうか。母の言うように「女の子らしく」なれたときだろうか。初対面で大好きな音楽の話や、SF小説の話をしなくなったときだろうか。それはもう私ではない。

SNSに美しいモデルビフォーアフター写真を載せたとき、よく「前のほうがかわいい」「前のほうがよかった」とリプライを送る人間たちのことを想う。本当にそうだというのなら、その時可愛いと言ってくれれば良かったのに。きっと彼らは彼女普通女の子だったころは見向きもしなかったに違いない。純粋に標準体型の女子を賛美し、きちんとパートナーとして選択するだけの度量があるならばすごい。本当に尊敬する。私は考えに考えた結果この世には美醜しかないという結論に至ってしまたから。美醜というのは顔かたちの美しさに限らず、その人の持つ輝けるばかりの才能や、声、スタイル頭脳など、あらゆるもののことを指す。パーシグに倣うなら「クオリティ」だろうか。結局唯美主義に落ち着いてしまうのだ、空しくなるほどに。

もう携帯ゲームオタクコンテンツ思考停止して分かり合ったふりをするのには疲れてしまたから、私は今度こそ哲学心中しようかな。本当に無理です。さようなら音楽理論化された数式でしかないなら、私は多分いま理解できない時点でたいして好きではないし、漢文英語思想を頭に詰め込むだけで救われた気になりたい。本当に仕事なんかやめてしまいたいよ、たとえ後がなくても。出来てしまうことは最悪だ。狂っているのに気づけないから。逸脱しているのにしていないよ、ってふりして生きるから辛いんだ。はみ出してしまうのだ。あなたのことが好きだという気持ちが最大にして最悪のノイズから、どうか勉強して勉強して一般化することで濾過しきって永遠に浮かび上がらないように細かくして細かくして細かくして葬り去ってしまいたい。限界になって君に好きと言ってしまたことが、ものすごく汚くて情けなくてどうしようもないことのように思える。君がそばにいてくれないと辛くて気が狂いそうなのに、君にはきっと僕以外のほうが相応しくて、君自身もそれを渇望していて、だがしかし私は私にできる最大限の力でもってそれを捻じ曲げ君に愛されたいのだ。もう、それがかなわないのならこんな地獄のような生活世界、どう期待して生きろというのだろう。調べたらユニテリアン教会だけは信仰できそうなので、私も私なりに信頼できる哲学教会に身をおけるようにもっと思考を研ぎ澄ませたい。頼むから救い出してくれよ、知性の神様よ。もうこりごりなんだ。息が苦しいんだ。

この前渋谷新興宗教勧誘されたとき論破してやろうと思ったらまだキリスト教知識が薄くてできなくて、本当に惨めだった。こんなことではダメなんだ。ちょうどオウムが台頭していたころに生まれたから、幼少期はサリン事件指名手配ポスターを目にすることが多くて、新興宗教に騙されたくなくて宗教学に興味を持ったんだろう?ああもう本当に情けないよ。生きているのが、つらい。

2018-08-06

anond:20180806172503

帰ってきた

父親はまだ母親に言っていない様子

父親母親、ここ半年くらいまともに会話してるの見たことないからこのまま言わないでいてくれないかなぁ 父親にバレても母親にバレるのがきつい なんでだろうね 一番愛されたいのかな、母親

とにかく今日最後の晩餐だと思って楽しみます 今までありがとう母親

2018-07-11

冷笑系マウントマンの行き着く先なんて

増田はこの世の全てが憎くて軽蔑してるけど

かに発達障害だとか顔が人間じゃないとか可哀想だと思うが

からって世界を見下して斜に構えたって最後自分すら否定して自殺するしかなくなるじゃん

かに愛されたいのかこの世の全てが憎いのかハッキリしなよ

2018-07-05

虚しい

もうおばさんなのに

たまに昔遠距離恋愛の末に別れた夢をよくみる

別れなくないってごねて、泣いて。

トラウマなんだろうね

今は旦那に愛されてないから虚しい。

子どもが小さいうちは子どもに手間がかかってるし、虚しいなんて思う暇なかったけど

最近死んじゃった友達は愛されて死んでいったんだろうな

愛されて引き裂かれるのも辛いよね

もともと排卵期とか生理前とかナーバスになりやすいけど、更年期いから余計にナーバスになりやすいな

そもそもあの人に愛されたいのだろうか疑問だな

2018-03-22

自分発達障害だと思う。

病院とかへ行って、検診してもらったことはない。けれど、思い当たる節だらけなのだ

そして、親もおそらくうちの子発達障害を抱えていると思っているであろう、というところがさらに胃の痛いところなのである

この前置きで察すかもしれないが、異常に人からどう思われているかが気になる性質である。大体ネガティブ想像してしまう。臆病になって、言いたいことが言えなくなる。

これはおそらく中学いじめられていたせいのところもあると思う。小中ではいじめられていじめられた。恐らくコミュニケーションに難があったのだろう。(まあ難があってもいじめる側が悪いと思う)

今は当時いじめてきた側とも仲良しで、表向き人間関係問題は抱えていない……が、人との距離感の取り方が異常に下手だ。静かに輪の外にいるタイプである。そーいう奴って、ハブられないけど相手にもされない。

おごられるのとかが異常に下手で、誰かに頼るのも下手だから抱え込みがち。

同時に二つをこなす器用さがない。よく慌てて失敗してしまう。異常に飽きっぽく、課された課題スムーズにこなせない。アドリブに弱い。

こういう色々が細かく重なっていて、一つ一つは些細で、誰でもよくあることなのかもしれないが、発達障害の気がしてしまう。

幼い頃に、母に言われた。「できないことは出来ることでフォローするしかないのよ」

その通りだと思って素直に受け入れてきた。けれど大きくなってからキッチンでホコリを被ったADHDの子供への接し方の本を見つけた。そこにそのまんまのことが書いてあって、わかってはいても気が重くなった。

やっぱり自分は、普通の人にできることができない人間なんだ。それがひどく苦しい。末の妹と仲が悪いのだが、それさえ、そんな愚かな自分バカにしているんじゃないかと思えて、一人で勝手に落ち込んでしまう。

人は誰しもADHD気質があって、それが色濃い人のみがそう扱われるのだとよく言う。そうだとおもう。けれど、人より劣っていると言葉にすることは本当に苦しいことだ。

今後もこれに向き合わなくてはならない。だからどこかに文に吐き出してしまたかった。

自分は人より劣っているところがある。けれど、自分自分を好きでしかたがない。楽しいと思えることをしている自分が大好きだ。

からといって、自分欠点で人を傷つけたり、人と上手く接することができないのは良くない。できないことが多くても、私は人に愛される自分でいたい。誰かを愛して、誰かに愛されたいのである

かい合わなくてはならないことはわかっていて、だからこそ強く生きていけるように、この文は私の願掛けかもしれない。

2018-03-20

anond:20180320001419

わかる。

しか結婚はしたい、いや、結婚がではなく、愛し愛されたいのだ。

2018-02-15

性について思う事 03

こんばんは。

前回01と02に関してコメントブックマークを入れて頂いた模様。有難う御座います

私信になりますが。

SHUFFLEって2004年だそうで、14年前って何してたでしょうか。

山本直樹。懐かしい名前を聞きました。上げて頂いた作品、読ませて頂きます

デッキが無いといいますか、撮影編集側にもビデオデッキ再生する為の機材、今となっては化石の様な機器使用して編集する必要がありそうですね。

親しい、大事女性が堕ちていく様と云うのは私事ですが、まったく興奮しません。その時点で他人汚物になります。なりました。

さて、この速筆習練は寝る30分前より行っている。寝る前に日記を書く。と云った体なのだが、書くのに時間が掛かった場合、その分寝るのが遅くなる。

01と02は結局40分前後時間が掛かってしまった。もっと早く文章化出来る様になりたいし、ならなくてはならない。この意味不明な決意も、如何せんまったくの思い付きスタートであり、いつ私の事情で取りやめになるかも分からないのだが、まあそれは之を読んでくれている方には関係の無い話ではある。

今日も取り留めなく性について思った事を記載していくとする。

それはそうと、誤解が無い様に記載するがニッチ性的嗜好否定する気はまったく無い。私自身もニッチな性嗜好だからと云うのもあるが、01に記載した通り様々な性的嗜好があるのだ。何かを攻撃したい訳では全く無い。

私自身がああ、こういう性的嗜好があるのだなぁ。とラベリングしたいだけなのだと云う事を改めて記載しておく。

4.愛される事について

昨今、創作物の影響かそれとも時代の流れなのか”愛される事”に飢えている諸兄を見かける気がする。

性的嗜好と云うか人間、否さ動物としても勿論愛される事とは重要ではあるのだが、それでも此処まで愛される事に貪欲であっただろうか?

愛される事。と記載したが、それは愛では無い。愛とは得るものが無くとも与える物だ。と云うのが年寄り臭くも私の考えなのだ、確固たる信念でそう言い切る。

愛とは利益を受ける事と関係無く、注ぐ物だ。

愛が足りないぜと歌っているのは、自分自身愛情が足りないぜといっているのだ。

だが、この愛される事。と云うのはそもそも様相が異なる。愛する事でなく、自分自身がどうであっても愛を注いて欲しがる。

自分自身は何も変わらない、変化もしない。だが、自分を愛してくれる存在はそんな自分自身がどの様な存在であっても愛を注いでくれる。そんな存在を欲している様に感じた。これは私自身も全力を持って賛意を表明したいのだが、そもそもそんな愛情を注いでくれるのはヤンデレか、父なる神のみである、仏にはお門違いの願いだ。

かに愛してほしいという感情自体は、決して疎まれものでも拒絶される物でもない。なのだが、この無償の愛のみを求めるのはいささか勝手が過ぎるのでは無いだろうか。

この考えに至ったのはとある成人向けゲーム所謂エロゲ―をやってみた事で益々強い考えになった。

実のところ、友人に勧められたのだ。強力に。アガペーを求める私向きだと言う、求めた事は無いのだが。

甲斐も無く、ワクワクしながらゲームプレイしてみた。こういうジャンルがあるのかどうかは分からないが”甘やかし”とでもラベリングしようか。

で、やってみた感想としては”違うよクソ!”である。私は赤ん坊に成りたいのでは無い。こんな愛の押し付けは私が望んだものでは無いのだ。

まあ、この作品所謂ヌキゲーらしいので、プレイ内容を煽情的に見せるのが目的であって、こういうシナリオなのだろうと無理やり納得した。

しかし、冷静に考えるとこれがフルプライス販売される世の中なのだから、こういう愛を望む者も多くいるのだろうか。だがこの歪んだ愛され方と云うのは少し気になる流れだった。

このゲーム固執する訳では無いのだが、愛情表現が男女がする物では無く、大人子供に向ける、云わば庇護欲、母性愛を性欲と一緒くたにして求めると云うのはまるで性的嗜好が歪に歪んでいる様に感じたのだ。可愛くてヒロインから愛されて当然だからこっちは勝手にやる。俺の性欲もママが処理してね、と。

昨今、創作物の中でも愛や恋は不変の人気ジャンルとして成り立っている、男性向けでも女性向けでもだ。

しかし、こういった作品の中でも所謂ハーレム物と謳われる作品がある、こういった作品流行るのは時代でも何でも無い、誰でも愛されたいのは当然だ。

中々捻った作品もあるし、面白い作品もある。だが愛され具合はちょっとした宗教を感じる作品も見受けられる。名付けて主人公教だ。

他の作品の中には納得出来たり、いたたまれない理由主人公と共にいるパートナー達も居るが、そういった作品では主人公がどういう立場なのか表明されている場合も多い。つまり失恋前提の物もある。それが分かっていてもヒロイン主人公に惹かれるのだ。

だが、私はハーレム物で主人公が愛されて当然と、主神の様に崇め奉られている事に恐怖と違和感を感じる。その愛に応えない、愛する事もしない、優柔不断神様気取りの主人公の何処が良いのだと。

ハーレムヒロイン同士で約束協定など結び出した日には目も当てられない。結局一人しか選ばれないのに、その気持ち悪い約束事は何だ。

世界観一夫多妻制?サブヒロインハーレムに入った瞬間出番が無くなったりしていないだろうか?それは主人公教のハーレムに入る事が目的になってしまって、ハーレムの中でどう生きるかが適当しか描写されていないのでは無いだろうか。

作者は、そして物語の中で主人公サブヒロインヒロインと同じだけ愛せて無いのではないかサブヒロインハーレムに入れた事で彼女人生への責任は誰が取るのだろう。

こういった作品ではこの責任という事を極力嫌がるか、表現しない作品が多い。人間人生無責任では負えないだろうに。

その主人公よりこっちのサブキャラクタの方が良い男だよ?と言いたいヒロインも居れば、キャラクタの愛を強調する為に登場した元初恋の人(どっちの思慕だったにせよ結局フラれる)等、不憫でならない。そのキマってギリギリヒロインよりイイ女いっぱい居るから大丈夫と、酒でも奢りたい気分にさせる。

これが酷い物になると、異性に限らず、別世代、同性、動物、神、敵、など皆主人公を愛して止まない世界になる。主人公がやる事なす事、諸手を上げて肯定する。分かり合えない敵も居るには居るが、そういうのは主人公が来るまで、トラブルが起きなかったのが不思議レベル気持ち悪い犯罪者になって断罪されるか、主人公の実力を認めながら消えていくか、味方になって主人公教に入信する、全肯定なのだ。正に狂気世界である

こんな主人公のみに優しい世界は気味が悪いとは感じないだろうか。私が主人公なら日記狂気を記録しながら外なる神とコンタクトを取って、死体も残さず消えるだろう。

主人公タイプ創作物が好きな方は勿論沢山いらっしゃるだろう。そういったファン作品を支えて市場を作っている。つまり売れ筋なのだ

だが、私は主人公教の信徒にはなれない。

大いなる力には大いなる責任がある。とある作品では主人公の行動をそう制した。主人公にも人としての責任があるのだと私は思う。

愛は注がれ続ければやがて溢れるか尽きる。どれだけ貴方自分が愛されたい性的嗜好でも、相手はそうとは限らないのだ。

之にて今日ペンを置こうと思う。キーボードだが。

2018-01-18

トイアンナ氏の恋愛障害について雑な解説

トイアンナ氏について特に詳しいわけじゃない。

ただ、「クリスマス4℃アクセサリーを貰って喜ぶ女はチョロい」というブログホットエントリーしたときにはカチンときた。

この記事魚拓が残っている。

http://megalodon.jp/2016-1221-2320-10/toianna.hatenablog.com/entry/2016/12/21/222010

何なのこの人?と思って当時ほんの少しだけ調べた。

トイアンナ氏は歴代彼氏に「愛されたいのに愛されない」扱いを受けてきたらしい。

このことを「恋愛障害」と呼ぶ。

何をどうしたのか知らないけど、「恋愛障害」を見事克服して結婚

恋愛障害解決・克服方法書籍にして販売

https://www.amazon.co.jp/dp/B01I2W9M4W/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

読んでないけど、レビューを見た感じ「自分を好きになれ」ってことらしい。

さら恋愛オンラインサロンを開設。

このサロンについては、はあちゅう氏のTwitterスクショが残っている。

https://twitter.com/ha_chu/status/747583386449903617?ref_src=twsrc%5Etfw&ref_url=https%3A%2F%2Flineblog.me%2Fha_chu%2Farchives%2F62457495.html

タイトルは「恋愛障害保健室」、副題に「愛し愛されるあなたになるエクササイズ」。

2,000円/月で100人募集したようだ。

ちなみに写真は本人じゃないらしい(知らんけど)。

トイアンナ氏は別居婚を大絶賛している。

https://tofufu.me/toiannna_16/

今回のブログを読むと、離婚しても元夫とは仲良しらしい。

なら別に何の問題もなくね?って思うじゃん。

トイアンナ氏が何にダメージを受けたかというと、「夫に愛されていなかった」ってことにつきる。

だけど友達やら取引先の人やらの愛があるので、「離婚をしたけれど、私の世界には愛しかない」わけ。

恋愛障害、治ってなかったじゃん。

ゲスの勘ぐりだけど、この人が愛されない理由って、男を見てくれで選んでるからだと思うね。

2018-01-09

結婚したいのか愛されたいの

30目前にして友人たちも次々と結婚していき妙に焦りがでてきたんだけどこの焦りって「結婚したいから」じゃない気がする

友達には「世界で1番自分を愛してくれる人」がいて国にも認められた結婚という制度でまで結ばれたのに、自分だけ取り残されて誰からも愛されてないからなだけな気がする

遡れば小さい頃から同じデブでも妹はぱっちり二重で柳原可奈子似、親戚一同からも「おモチみたいでかわいい」「あんたはモテる」と言われていたのにわたしは一重クソブスだから無視されてきたし 実際妹には彼氏が途切れず普通に結婚した

道を歩いていて「クソデブ」「今の女スゲーブスじゃね」「あんデブスでよく生きれるよな」とか主に男から暴言を浴びせられことも多数

結婚したいというより誰かに愛されてみたいのかなーと思うけど現状自分のことが嫌いなので自分のことを褒められたり好かれたりすることに慣れておらず不信感でいっぱいになるし こうしてる間にも友人たちは楽しく旦那彼氏と過ごしてるんだなと思うと目の前が真っ暗になってきた

このまま眠って目が覚めなければ楽なのにな〜

2017-12-25

anond:20171225124821

メンヘラ女性ダメだよ。

強い男性一方的に甘えて愛されたいの彼女らの望みだから

最も助け合いから遠いタイプなんだよ。

しろしっかりした女性で、庇護欲の強い人と出会えればいいのだけどね。

そういう人だってパートナーに何らかのメリットは求めてるだろうし

彼女精神的なメリットを満たすことができればご縁はあるかもしれないよ。

2017-06-26

オタク男性キモいと言う時そこに嫉妬があるのか

オタク男性ポジティブだ。

オタクキモいと言われたら

「俺らが二次元に夢中で惨事相手にしないから怒ってる、二次元に勝てない惨事嫉妬

ロリコンキモいと言われたら

ロリコン相手にされない婆が幼女嫉妬してる」

処女厨キモいと言われたら

処女厨相手にされない中古以下略

と大概のキモいを、俺らに愛されたい女の嫉妬と受け止めている。

彼らにはキモいと言う=愛されたいのにかなわない嫉妬という謎の思考回路がかなり強固にある。

イケメンですら許されなさそうなキモい性癖キモい発言を振りかざしながらよくぞそこまで自信たっぷりに…と感心してしまう。

まり彼らがキモいと言う時、例えば「腐女子キメェ」などと言う時、彼らの脳内にある感情腐女子二次元に夢中でオタク男が愛されない事への嫉妬なのだろう。

とか言ってみたけどオタク男に愛されたい腐よりは腐に愛されたいオタク男のが普通に居そうでキモいな。

2017-05-21

じゃあ何のアイコンならいいんだよ

アニメキモイ

自分の顔→キモイ不細工、汚い、不潔感、不快感

友人とのプリクラ自分に自信がない

似顔絵アバター自己主張したいのに自分に自信がない

動物愛されたいの自分に自信がない

風景自分に自信がない

アイドルドルオタ

デフォルト→閉鎖的

食い物→デブ

国旗キチガイ

2016-04-16

愛を下さい。

愛されて育ちたかった。そうすればもう少し

生きやすくなったんかなと思う。

甘やかすでもなくてただ認められたかった。

からしたら育てにくい人間だったのかな。

いうことは聞かないし、癇癪は起こすし勉強はできない。

まやかしたらしょうもない人間になると思って。

事実そうかもしれないけどさ。

そんでもって親も親で親(おれからみたらばーちゃん)

から受けた教育や生育環境のせいで自分

受け入れられていなかった。だから子供もそのまま

で受け入れられなかったんじゃないかと思う。

愛されなかった思いで何かを成し遂げて

成功した人間は多いという。

才能のある人間はそうだと思う。

でも、愛されなくて才能の無い人間死ぬか、

認めてくれない社会を憎んで反社会的

行為を起こして社会的死ぬのだと思う。

それに、才能があって成功した人も常に頑張り

続けないと認めてくれないと思うのが辛くて

どっかで自殺して人生をご破産にしたいという思うが消えないんじゃないかと思う。

何が言いたいかというと、愛されたいので、この雑文ホッテントリ入りさして

私に愛を下さい。

2014-11-18

わたしはおんな

選ぶ側の方が明らかに有利なのにどうして女は愛されたいの

いつその手を離して別の女を選ぶかしれないその男の手におてて握られたいのか

はいつもえげつない

選ぶ男の方はあくまで、今日夜ご飯なにがいいかなと店を選ぶのと一緒だ

無邪気で純粋だろ

それをめちゃくちゃ悪いことみたくいうなよ

手渡されたものを男が目の前からいなくなっても

大事に持って忘れないくらいの心がなきゃ女は

やっていられない いちいち遠くの海に投げ捨てては

安い話にして周りに聞かせてくれちゃうんなら

女やめろよ もう

卑怯だし汚いよ

エゴとその身勝手不埒な体を割り切れ。

ふらふら仕草に惹かれて好き勝手しろ

それが本望の癖にあいだのこいだの言うんじゃねえ

2013-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20130819192241

元増田です。ありがとうございます

後出しにはなってしまますが、私なりに、彼のことは愛しているつもりでした。

ダイエットを頑張ったり、メールとかもマメにしたり…

でも、そのTwitter発見してからは、笑顔優しい言葉も嘘なんだと思うようになってしまって。

その程度の愛なの?と言われたらそうなのかもしれません。

今の彼氏についても、そういう意味では本当に愛していないのかも。

人を愛するって、具体的にどんなことでしょうね?

自分愛されたいのに、いまいちよくわからなくなってきました

今まで自分のいいことを愛だと思ってしまっていたのかもしれません。

色々な思いとかを乗り越えることが、愛なのでしょうか?

2013-08-08

そっと、やさしく、抱いていて。

この世に生まれてから今まで、彼女というものができたことがありません。よくよく考えてみると、友人らしい友人も、できたことがないようです。というか、他人と仲良くなった、という経験が、ほとんど、いや、思い出せる限りでは、まったく、ありません。

中学校に通っていたような頃までは、なんとかそれでも生きていけたのですが、高校に入って、しばらく経った頃には、なんだか耐えられなくなってきて、途中で学校へ行かなくなったわけですが、問題は解決するどころかますます酷いことになっていきました。ひきこもりになったことで、ただでさえ少なかった、他人との会話が、激減したのです。ほぼ、ゼロになりました。たまに、親に連れていかれて、カウンセラーと話す以外は、全然、人と会話をすることがなくなりました。そのカウンセラーとの会話というのも、向こうが話すだけで、俺のほうは全然喋らないので、最早会話の体をなしていませんでした。俺は来る日も来る日も、ずっと部屋にこもっていました。当時のことを思い出そうとしても、うまく思い出せないのは、それほどに、日々何もなく、毎日が同じことの繰り返しであったせいだろうと、そう思います

病院でもらった薬も、睡眠導入剤以外は、なんだか飲む気になれなくて、狭く薄暗い部屋にこもりきりの生活は、一向に終わりが見えませんでした。そのうち、空想上のパートナー彼女でも、友人でも、ましてや天使妖精でもない、自分パートナーを、頭の中に作って、会話するようになりました。時に慰められ、時に励まされ、きっと俺は、このパートナーがいたおかげで、なんとか日々を渡り歩いていくことができていたのでした。

やがて、時が経って、俺は、再び、外に出て、そうして、学校に通うようになりました。当然のように、留年はしてしまったわけですが、それでも徐々に、ゆっくりとではありますが、他人とコミュニケーションをとることができるようになり、しばらくして、俺は、無事に、高校卒業することができました。

今は、普通に、人と会話をすることができている、と、そう思うし、特に、直面しているような問題もなく、普通に生活しています。たぶん、昔から、たいした問題など、一度として抱えたことはなかったのだと思います。ただ、うまく、人と親しくなることができず、それでたぶん、寂しかったのでしょう。寂しい、という言葉は、なんとなく、あまり安易に使いたくはないのですが、でも俺の、今までの、よく意味もわからない人生を振り返って、その馬鹿らしい道のりを、たった一言で言い表すとしたら、それはきっと、「寂しい」という言葉が、ぴったりなような気がします。

最近、また、この寂しさに、耐えられなくなってきました。人と、親しくなりたいのです。人と、触れ合いたいのです。欲を言えば、人を愛し、また人から愛されたいのです。多くの人が、当たり前のようにしているこれらのことを、なぜ俺は、一度足りともできないのでしょう。原因が、わかりません。わかりたいとも思いませんが、でもわからなければたぶん、何も変わりません。

運命の人。いればいいなと、心から思うのですが、おそらく俺にはいないような気がします。

きっと俺は嫌なやつなんだと思います。だから友人もできないし、恋人もできない。嫌なやつに、運命の人なんて、いないでしょう。嫌なやつは、永遠に嫌なやつなまま、嫌われて、避けられて、生きていくのです。

近頃は、例のパートナーは、ほとんど、姿を見せてくれません。でも、昨日、久し振りに、夢に出てきました。俺とパートナー、二人きりで、手をつないでいました。夢の最後に、パートナーが言った一言が、妙に耳にこびりついて、離れません。

「そっと、やさしく、抱いていて。」

何もかもを忘れて、諦めて、そうしてこの空想上のパートナーをそっと、やさしく、抱き締めたなら、そうしたなら、きっとそのとき初めて、俺は寂しさを忘れ、幸せになれるのかもしれません。

2011-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20111121165116

非モテを改めて定義したいけど、

自分なんかが愛されるはずがない」

という思念に囚われてしまってる状態なんだよね。

スペック時代失恋やその他の要因で、恋愛に関するかなり基礎になる所がぶっ壊れてる。

童貞をこじらせるというのもこのこと。

例えば、一人の女性を好きになる。

付き合い始める。

でも、思うんだ。

自分なんかが愛されているはずがない」

と。

どんなにスペック改善しても、やっぱり自分を好きになれないし、彼女の愛(本当にあったかどうか疑わしいが)は非モテに届かない。

カネ目当てなんじゃないかと思うし、他の男性がみなハゲデブばかりになってるせいなんじゃないかと思う。

そこに、「さかのぼり嫉妬」というものが加わる。

歌人エッセイスト穂村弘はこの「さかのぼり嫉妬」を人間感情の中で最も不毛ものと評してる。

頭ではわかっている。

過去があって今がある。

どんな過去があろうと、その過去が今の彼女を形作った。

彼女を愛するということは、彼女過去も受け入れることなのだ。

…だが出来ない!

意思に反して、彼女過去恋人嫉妬する。

あいつより僕を好きなことを証明しろ!

君が人生で一番キレイな時期を捧げた相手より、僕のことが好きだっていうなら、じゃあなにを捧げてくれるんだ?

と、心のなかで叫ぶ。もちろん声には出さない。

もし、声に出して聞いたなら、彼女は、前の恋人に捧げたものなんかよりも大きなものを捧げるつもりだと言うだろう。

このあとの人生、つまり結婚」と言うんだ。

冗談じゃない!

喜びよりも、重圧と負担のしかかるじゃないか

責任と失敗から逃げ続け、不器用と要領の悪さをペーパー試験の点数の良さでなんとか逃げきってきた僕に、結婚だと!

僕が欲しいのは、一方的に愛されたいのだ。無限愛されたいのだ。

僕の歳では、そろそろ結婚視野に入れない恋愛というのは不可能になりつつある。

楽しいだけの恋愛は、10代まで」

と言われたことがある。

恋人に求めるもの完璧過ぎるのはわかってる。

自分自身が不完全すぎるのに。

というよりは、僕は大人になりきれてない。

他人よりちょっとくらい年収があっても、体力があっても、大切ななにかが欠けているんだ。

2011-10-16

メンヘラとの恋愛に憧れる

http://d.hatena.ne.jp/ogiuetan/20111005/1317812079

http://twitter.com/ogiuetan

このへんの文章を見てるとすごいドキドキする。

VIPで定期的に立つ「メンヘラとの恋愛体験談スレ」を見てると「こういう彼女が欲しい」って本気で思う。

病的に愛されたいのかもしれないし、あまりにも空虚でつまらない日常生活に刺激が欲しいのかもしれない。

どうやったらメンヘラと付き合えるんだろう。

どうやればメンヘラ出会えるんだろう。

すごい知りたい。

2011-07-18

愛されたい

だいぶ印象が悪いだろうけど、俺は色々な女性に愛されていたい。

そして、一度愛してくれた女性にはずっと愛していてもらいたい。

一度愛してくれた人が、自分を好きじゃなくなる状況を想像すると胸が締め付けられる。

たとえ、俺自身がその人をそこまで愛していなかったとしても。

しか日本では一夫一妻制で、いずれ一人の女性を選んで一生を捧げなければいけない。

この倫理が俺をまた苦しめる。なぜならそれは、一人の女性しか愛してもらってはいけないということだから

こんな捻じ曲がった思考が生まれたのは、幼少の頃にさかのぼる。

から両親が共働きをしていて、俺は典型的なかぎっ子だった。

一人っ子なため家に人が居ることが少なく、ご飯も作り置きのものを一人で食べることが多かった。

しかし幼く、なおかつ体の弱かった俺は母の手を煩わせがちで、時々「あんたがすぐ病気になるから」だとか

「ご飯作らないといけないから」など、俺の存在邪魔して満足に仕事ができない様子だった。

もちろん母に悪気は無かっただろうし、ついポロッとこぼすような感じだった。疲れてたんだろうな。

当時小学校低学年の俺は、自分邪魔者で、必要とされていないんじゃないか、と思っていた。

さらに、昔から仲がいいとは言えない両親は俺が中1のころに別居を初め、高2のとき離婚

父は生活費をよこさず、中1から今(大学3年)まで母は女手一つで俺を食わしてきた。

口に出すことこそ無かったが、自営業を始めた母にとって、働く上で俺が足かせになっていたのは察していた。

深い意味ではないだろうけど、「あんたが居るから」とよく言っていたのを覚えている。

から親に対して異常に「遠慮」をする子どもだった。それは自分が重荷だと感じていたから。

いつしか俺は、自分恋人母性を求めるようになっていた。

息子のように護ってほしくて、世話をやいてほしくて、甘えさせてほしい。

そして、無条件に愛していてほしい。

しかも、複数人に愛していてほしい。

幸か不幸か俺はわりとモテるほうで、同時に何人かの女性にせまられることもある。

しかし、最終的には誰かを選んで、誰かを蹴らなければいけない。

俺は自分を愛してくれる人全員に愛していて欲しいのに、最後は誰かを悲しませなければいけない。

自分を愛してくれる人が悲しむ顔を見たくない。

そのくせ、彼女が居ても女性と話すときは「彼女はいない」とウソをつく。

その人が自分を愛してくれる可能性がなくなるからだ。矛盾しているのは分かっている。

自分が愛されるに値する人間では到底ないことも、分かっている。

浮気がしたいだけだろう」と言われるかもしれないが、少し感覚が違うように思う。

俺の感情の根源は、「愛されていたい」「愛してくれる人の悲しむ顔を見たくない」「だから求められたら断りたくない」。

そして、彼女よりももっと好きな人が現れたとき、フりたくない。

しませたくないし、愛されなくなるのが嫌だから

愛されたい。必要とされたい。だけど複数人に愛されると辛い。

いっそ消えてなくなってしまいたい。

愛されたいのに、愛されたくない。

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