はてなキーワード: 喜劇とは
この二人の空手の動画を見て、川村さんに共感するという声がしばしば聞こえる。それは別に良い。
ただ周りが笑っているのは川村さんが不細工だからではないことは知っておいてほしい(川村さんの顔や表情が笑いの足しになっているのは否定しない)
動画を良く見よ。川村さんは、打ち返してこない相手にビビって腰が引けている。おっかなびっくりに打ったと思えば、終始「怖い」と嘆いている。打つ前から気持ちが負けている。いやだいやだと消極的だ。状況から逃げたくて堪らない。
一方の滝沢カレンさんはどうだろうか。最初からしっかりと打とうとしている。前に行って、競技に積極的に参加している。手数も多く、嘆かず、実直だ。どちらも同じように素人なりの柔柔な打ち方をだが、しかし、違いは一目瞭然である。これは滝沢カレンが美人だからそう見えるのではないのだ。
それが終わって川村さんの号泣である。もうそれだけでも十分に面白いが、男性陣に叱咤されたのが「不細工だから」と勘違いしているのが、ことさらに面白いのだ。違う。そうじゃない。臆病だからだ。男性陣は、特にノブコブは終始励ましていたのだが、それが叱咤に聞こえたのだ。
興奮している時というのは自分の体や動きを客観視しにくいものだ。だから滝沢カレンさんとの差を、川村さんは認識できなかったのだろうと思う。自分も彼女と同じようにしていると思ったのかもしれない。それで男性陣が滝沢カレンに肩入れしているものだと思ったのだろう。その乖離が、余計に滑稽なのだ
答えになっているかどうか微妙ですが・・・誤字脱字で書き散らしですみません。
40代後半のゲイです。一意見として読んで頂けたら嬉しいです。
「ラーメンズ」が好きです。アメリカドラマの「クローザー」が好きです。
単発の2016年物を当時見て、2018年物をアマゾンでさっき見ました。
日本のドラマはほぼ見たことがありません。テレビ自体も実は30年近くほぼ見ませんでした。
アメリカのドラマがクオリティが高いのとマイノリティに対する態勢が違うのでやはり
日本に漫画があるようにアメリカのドラマの裾野の広さはすごいです。
ジョークセンス、マイノリティに対する姿勢、作品のクリエイティブ度、それらのバランス。
2016年版では薄かったマイノリティに対する配慮はすごく感じました。
大多数がそーだよな。そーなるよな。と納得できるリアルさ。
おっさんずラブのレビューでも男性の絶賛レビューに枕詞のようにつく、
これがリアルな状況なんです。自分が同性愛者だと思われては困ると言う事。
それが、同性愛者の人を傷つけていると気が付いたと、コメントされています。
余談ですが、
同性愛に対する嫌悪感の一部分は、近親者同士の恋愛の嫌悪感に近いと思っています。
いけない事と言う感覚。
しかしこの感覚は実は曖昧だと思います。国や地域や宗教によって、ずいぶん変わります。
実際に血縁者でも事実を知らなければ、恋愛に落ちることもあるでしょう。
社会的な原因での嫌悪感は存在すると思います。もちろん、それで全て説明はできません。
例えば、なぜ私個人が女性との性的関係に嫌悪感を感じてしまうか?など。
ただ映像で異性愛者同士の性的なシーンを見ても嫌悪感は感じないんです。
これは本当にすごいことです。時代ですね。
多くのゲイがBLに対して思う「性的指向は変化しない」と言う思い。
しかし性的指向も100%変化しないものではないし、かつ恋愛と性的指向の関係も完全ではないです。
ずっと一緒にいたい=結婚したい!って話なら性的指向だけで決定するものでもないでしょうし。
ただこの問題はちょっと複雑なんです。性的マイノリティの辛さの原因の一つは、
当事者は、
時代とともに変わりますし、結果、失敗(自己否定)に終わる考察もあります。
色々な経験をして性的マイノリティ―と言う特徴が自分の全てではないと思った時期
当事者が今、どのような考え方なのかによって作品に対する評価も相当変わるでしょう。
この番組の当事者のメリットとデメリットで考えると、断然メリットが上回っていると思います。
ハッピーエンドで終わったこと。春田と牧がゴールだったことは大きいと思います。
あり得ない!っていう評価は、フィクションにたいしてナンセンス。
視聴者が、制作者の誘導に納得した作りで、かつ、ゴールが異性愛者同士じゃなかったのは感動しました。
箇条書きに他に気になったところをあげます。
(ジョークとしては品がない、まぁ結果的に想像も及ばない破壊神にやられてしまうわけですが)
黒沢部長の盗撮とパワハラとセクハラ(面白さとトレードオフですかねぇこの作品の掴みの肝ですから)
黒沢部長の恋がコメディリリーフ過ぎた・・・可愛そうな終わり方だったです。
でも、もっとコメディとして突き抜けてほしかったし・・・(笑)
武川正宗のトイレの視線(ちよっと偏見がきついですね、犯罪ですから・・・)
ロリでと言うセリフ(ロリの定義も含めて小児性愛者の問題は難しいです。)
上記の問題点もアメリカのドラマであれば、もっと突き抜けたジョークになりますし、
ポリティカルコレクトをしっかり守りつつ、フォローもちゃんとします。時勢に合わせてですけど。
それでも、おっさんずラブは、今までの日本のゲイ関係のドラマと比べて突き抜けたと思います。
偶然もあると思ってます。でも、ゲイを一つの設定として使い、純愛を描いた。
約40年前の漫画作品で竹宮恵子さん作の「風と木の詩」があります。
「つながりへの希求、他者による自己肯定の欲求」が少女漫画の「根底のテーマ」
拒否される愛としての少年愛は、「それ」を見つめることを可能とした。
究極のつながりとは何か?という純粋な関係性のみを問題視しえた。とおっしゃっています。
「おっさんずラブ」とゆうモダンホラー風の喜劇の中で使われました。大成功だと思います。(笑)
BL、やおい、少年愛、長く受け継がれ蓄積した少女漫画の資産。
それによって受け取り側が大きく変わったこと。
制作者側がどれほど意識したかは確かに微妙です。細かい設定では矛盾や無理解もあります。
ゲイの話とかじゃなく純愛なんです!(ゲイはマイナス要素だけど、いい話という理論)
だけではなく、
NHKの「弟の夫」は素晴らしい作品でした。感動して死ぬほど泣きました。
でも、異性愛者にとっては?と考えると、おっさんずラブは、エンターテイメントとして秀逸。
がゆえにゲイ要素のある作品が大勢の人に評価される。大事な事だと思います。橋渡しとして。
脚本家の素晴らしいセンス、それを映像化できる俳優を含めた優秀なスタッフ。
1つだけ。作中の音楽が好みではありませんでした。
テーマ曲の2曲は良かったんです。それ以外が一貫性がないと言うか・・・
当初、小児性愛者に関する記述に思慮が足らずいい加減な書き方をしてしまいました。
「小児性愛者関連はちょっと・・・」はあまりに言葉足らずでした。すみません。
読んで頂いてありがとうございます。
いや、人って、地下にもぐって、わからないと思うと、どんなすごいこともするんだなと思った。
今後、役職定年で、リタイアした人は、あまり具体的には書けないが、2,3段階の降格になるそうだ。
人としての倫理観の低下がすごいけど、自分たちの論理で、組織の為に正しいことしてると信じてるから、こういう
隠れた制度の延長線に、世間を騒がしている、スポーツ、大学などの不正(疑惑)に落ちていくんだと思った。
ちょっと前に、社員アンケートを入力させられたが、モラルハラスメントは通報しましょうなんていわれたけど
モラルハラスメントしている人たちに、通報するなんて、とんだ喜劇だ。
そもそも、役職定年などという、年齢で、その人の能力を差別する制度は、人としての倫理観を疑うが、、、
そんなことされて、誰が納得できるんだろうね。
どこかのWebの記事に、50代会社員が直面する「役職定年」のリアル 年収減に異動、モチベーション維持が課題
というのがあったけど、記事のピントがずれてる。役職定年の制度そのものがおかしい。
今は、違う。所詮、メディアも、企業からの広告収入で生きているので、企業よりの記事しか書けない制約があるので、ネットの発達した
今では、少し、哀れな存在だと同情する。
1~12話まで観たけど、とても刺さった。私なりの観測範囲でよく話題に上がっていた作品なので、便乗して感想を書く。まだ観てない人向けにネタバレなしレビューも書いたので、リアルタイムで13話を観るキッカケにでもなれば。
あと私はあまりリアルタイムでアニメを見るのが得意ではない方の人のだけれど、コレはコレで楽しいな、と思った。制作者のインタビュー探しやすいし、それに対するファンの反応見れたり、各話ごとに視聴者の反応をリアルタイムで知ることも出来てより深く作品を知る機会に恵まれてる。何より楽しい。この感想もそういう色んな人達の発信した悲喜こもごものお陰で書くことが出来たので、日々感謝するばかりだ。ありがとう。
2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その2
2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その3
ノゲノラスタッフによる作品というキャッチコピーだが、内容的にはいしづかあつこ作品「ハナヤマタ」に近いものを感じる。ハナヤマタが中学生たちの優しい世界とするなら、こっちはもう少し、冒険をするときのワクワク感がある作品。両作とも「ギャグのテンポが良い」「1話毎に話がまとまってる」「女の子がみんなかわいい」「すごく救いがある」と言う共通点がある。特に1話毎の完成度が非常に高く、好きな話を何度も見返したくなる作品だなぁ、と感じた。メインキャスト4人のメンツで既にざわざわしていたのだけれど、なんてことはない、高レベルの喜劇を演じられる実力者揃えたからっていう。
協力:文部科学省、国立極地研究所、海上自衛隊、SHIRASE5002(一財)、WNI気象文化創造センターとあるように、すっごい詳しく取材した上で作られているアニメ。「JKが南極を目指す」という触れ込みは軽くSFチックなんだけど、現実に即した物語と美麗な背景美術で描かれる世界はとてもリアリティがあって、それ目当てだけでも観ていて楽しい。小ネタも満載で、「昭和基地の施設内にある厨房の戸棚に書かれている落書き」まで再現していたりする。そういう世界の中で描かれるキャラクターたちは、監督がメインキャスト4人の演技を「それぞれのキャラクターが本当に生きている」と評したように(公式ラジオ第11回より、水瀬いのり談)すごく活き活きしていて、本当に生きた人間の成長過程を見ているようである。キャラデザも緻密に作られていて、鼻の形にまでちゃんと意味が込められているんじゃないかと思わせるくらいのクオリティに仕上がっている。バカみたいに表情豊かなので、同じ話を何度観ていても飽きない。そんな彼女たちの心の機微が徹頭徹尾とても丁寧に描かれている作品なので、非常に感情移入のハードルが低い。また絶妙な音楽による演出はより作品への没入感を加速させるので、そのうち彼女たちが何気ないことでヘラヘラ笑ってるシーンでさえつられて笑ってしまうくらいシンクロ率が高くなる。もはや音楽に心を委ねているだけで自然と、面白いシーンで笑い、悲しいシーンで泣き、嬉しいシーンで泣けるようになるので、そこら辺に意識を向けながら観てほしい。ただハマりすぎると「むせび泣きながら大爆笑する」という稀有な体験をすることになるけれど。
この作品を観ていて強く感じたのは「何度も見返したい」という点。一つ一つのシナリオが高いクオリティで完結している、というのもあるのだけれど、加えて本作では「4人の成長」が大テーマになっていて、各話には彼女たちの成長を如実に感じられるよう伏線をたくさん張り巡らせてあるので、話が進めば進むほど彼女たちの行動一つ一つに宿る物語を思い出しては強く感動する…という構成になっている。なので、「このシーンでこの子がこういう行動を取ったのって…」と気づく度に過去回を見返したくなるような、非常に完成度の高いエンターテインメント作品だと思う。
(物理)という意味もある。物理的に行くのが困難な場所を目指す物語としてすごく完成された作品だし、「リアリティがあって、かつほんとに行けるか分からないくらいハードルが高くてワクワクするような目的地」というつくり手の戦略はすごくハマってると思う。
一方で心因性の「宇宙よりも遠い場所」ってあるよね、というもう一つの意味も丁寧に描かれている。例えばそれは誰かにとって「メッチャ高い目標」、あるいは「何も変えられない自分から、何かを変えられる自分への転身」、「誰かに依存し続ける自分との決別」、「まだ見ぬ友達のすぐ隣」なのだけれど、大切なのは勇気を持って最初の1歩を踏み出すことだよね、ということを描く物語がこの「宇宙よりも遠い場所」というタイトルに込められていると感じた。私が1~12話全部が好きな理由は、すべての話が「最初の1歩を踏み出す物語」になっているから。ED曲「ここから、ここから」もそれを象徴している。ちなみにED曲タイトルは、作曲者が近所の散歩中に[ここから~]という道路標識を見つけたことが由来らしい(本人ツイッターより: https://twitter.com/higedriver/status/968006184413249536 )。
とにかく笑って泣ける作品なので、イッキ見をすると顔中が痛くなる。普段表情筋を使っていない私のような人は体調に気をつけて観たほうが良いかも。
上記の通り何回も見返したくなる作品なので、私なりに観る順番を決めてみた(数字は話数、その右にある()内は注目するポイント)。少しでも楽しむネタになれば。
4-1(キマリの想い)-2(報瀬、日向、観測隊の想い)-3(ゆづの想い)-
5-[1-2-3-4(キマリ一家)](めぐっちゃんの表情)-5-
7-1(キマリの想い)-3(ゆづの想い)-4(報瀬と隊長)-5(冒頭撮影シーンのつながり)-
8-1(キマリ)-4(4人)-5(4人)-7(4人)-
9-[1-2-3-4(報瀬と隊長)-5-7(報瀬と隊長)](ほんとに南極行けるの?だって南極だよ?)-9-
10-1(報瀬にとっての友達)-3(ゆづにとっての友達)-4(4人の仲)-5(4人の仲、めぐっちゃん)-6(4人の仲、報瀬と日向)-8(4人の仲)-10-
11-2(日向)-3(日向)-4(日向)-5(日向)-6(日向)-7(日向)-8(日向)-9(日向)-10(日向)-11-
12-1(報瀬)-2(報瀬)-3(報瀬)-4(報瀬)-5(報瀬)-6(報瀬)-7(報瀬、隊長)-8(報瀬)-9(報瀬、隊長)-10(報瀬)-11(報瀬)-12-
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私事になるのだけれど、ほぼおんなじことを言われた経験がある。何年か前に高校の同窓会に行ったのだけれど、その中に青年海外協力隊に参加した経験者がいた。元々興味があったのでかなり前のめりに話を聞いていたのだけれど、そんな私を見た彼が「じゃあ、行く?知り合いに話してあげるよ」と言ってくれた。けど私は行かなかった。その場であれやこれやと行けない理由を話した覚えはあるけれど、要はそういうことなんだろう。だからこうして一歩踏み出そうとして出来なかったり、そのくせ踏み出そうとしてる友達を応援してみたり、そんな自分が嫌いなったりしているキマリの姿を丁寧に描く1話は私に刺さりすぎた。
アニメを含むコンテンツに触れているとよく、「スカートで体育座り」というシチュエーションを見る。…けど、私は「そそそそのスカートで座ったらパンツ見えちゃうよ!?」ってなってしまって結構苦手である。最近のアニメ作品では絶対にパンツが見えないような工夫がされていることが多いけど、その多くは「神様視点では見えない(脚でパンツ隠すやつとか)」あるいは「重力を無視したスカート」のどちらかである。どちらの手法でも非常にもやもやしてしまうので、「どうやってスカート履いてる女の子が座る姿を自然に描くか」という表現技法にずっと興味があった。
そこで1話 14:05頃を見て欲しいのだけれど、キマリがスカートの下に手を回してる座り方がすごいかわいい。自然な仕草かつ可愛いだけでなく、キャラクター自身が見られないよう意識している事がわかり、それも含めて可愛い。とてもよく出来ているシーン。
この手法は、監督いしづかあつこが絵コンテを担当した作品「ハナヤマタ」(2014年)の1話 13:40頃でも見られることから、監督のこだわりなのだろう。些細な事だけど、私が監督を好きな理由の一つである(余談だけど、同氏が絵コンテを担当したノゲノラ1話ではワンピースを着た”白”が自室でベターっと座ってパンモロしていて、彼女のだらしなさを簡潔に表現している。座り方一つでキャラクターの性格を描くという点では一貫していてすごく好き)。
色んなアニメで登場する「放課後の学校の音」を比較するのが好きなんだけど、よりもい1話の放課後の音がとても好きなのでぜひ聴いてほしい。男子生徒の会話する声、吹奏楽の音、陸上部あたりのホイッスル等、非常に音が豊か。
15:05頃 「宇宙よりも遠い場所」を読むキマリがかわいい。
めぐっちゃんの「南極に聞いた?」を見た報瀬がムッとした表情になり、キマリの心配に対してつっけんどんに拒絶してしまうという流れから、今まで散々「南極」とからかわれたり、あるいは仲の良い人から諦めるよう説得されてきて、その度に彼女はどんどん強情になっていった報瀬の過去を思わせる。それでもすぐに和解できたことから、いかに二人が1~2話の間に信頼関係を築けたかが分かる。また、二人が言い合った場所が敢えて交差点であることも強い印象を残していて(作品を通して交差点が登場するのはこの時のみ)、非常に好きなシーン。
目まぐるしく変わるシーンの背景がいちいちハイクオリティ。その中を複数のキャラが、文字通り縦横無尽に走り回る本作で最も激しいアクションシーン。コマ送りで見ると楽しい。アニメ作品において、キャラが奥→手前のように奥行きのある移動をする際、作画が安定してるって結構すごいことだと思う。
奥→手前
右→左
奥→右と左に分かれる
奥→手前
右→左
手前→奥
奥→手前
手前→奥
右→左
奥→手前→右
右→左 …みたいな。3人が歌舞伎町に来るまでは夜道=街灯もない真っ暗な道という描写だったけれど、このシーンでは対照的に明るい歩道、きらびやかなネオン、往来する人なんかが強調されてて、キマリの心象風景が可視化されてるみたいで好き。
加えて疾走感の演出がすごく良い。キマリは最初、すっげー速い隊員と日向に比べてヘナチョコ走りなんだけど、挿入歌の盛り上がりに合わせてどんどんフォームが良くなっていく。たった一人だけ笑顔で走ってるキマリの高揚感がすごく伝わってきて、胸がいっぱいになる。
1話の100万円…報瀬の並々ならぬ覚悟を象徴する舞台装置、またそれに応えるキマリの覚悟の大きさ
2話の100万円…スポンサー料として提示した金額。ハッキリ言ってゼロが足りない。その申し出を断ったかなえからは、大人組が報瀬の「絶対に南極へ行くという想い」を超えるくらい強い意志を感じさせる。
だからこそ、追い返された帰りの電車内で報瀬がちっとも折れずに「こいつ、ポジティブちゃんだ・・・」ってなるやりとりが非常に効果的な演出になっていて好き。
これ以降も重要な舞台装置になっていて、ただの札束をここまで丁寧に描く作品ってすごいと思う。
17:40頃 「私の青春、動いてる気がする!」のキマリがかわいい。
特に2~3話は「さもありなん」と思わせるシナリオになっていて、非常に面白い。この作品にリアリティを感じた人はよりもい公式ページの「南極チャレンジ」や、観測隊の日記等を見て幸せになってほしい。
報瀬家ではリーダーを解任された報瀬が不満を漏らすのだけれど、お茶を出しているところを見て「お茶くみに格下げか」と気づいた人はどれくらいいるだろうか。また、後ろにそっとおいてある南極観測船「宗谷」にも気づいた人って最低でも30代だと思うのだけれど、そこらへんがこの作品のターゲットなのかもしれない、と思った。私もアラサーだし。
同じく報瀬家でのやりとりにおける報瀬(CV.花澤香菜)の演技が抜きん出て面白い。本当に素晴らしいキャスティング&ディレクション&演技だと思う。
「変な夢…」→夢と違い、殆ど開かない窓→スマホを見て目を細める結月→バッジのないSNSアプリ(前日送ったチャットの返信がない)→退出しましたx2→後ろ姿→\コンコン/→一瞬窓を見る→\コンコン/→「おはよー!」
この間セリフがないのに、それでも結月の心の浮き沈みが痛いほどわかる演出がすごい。本作の特徴である、丁寧な心理描写や伏線の貼り方を象徴しているシーン。
07:20頃 こんな事もあろうかと用意しておいた”二人羽織”(書・キマリ)の、”二人羽”に比べて小さい”織”
高校生が主人公のアニメや漫画では学力をテーマにした回が定番だけれど、この作品ではキマリ家での悲劇が描かれるのみ。なぜかといえば、4人のうちちゃんと学校に通っているのが2人だけだから。加えてゆづは通っている学校と学年も違うので、学力テストをテーマにしにくい。てかそもそも女子高生を描くアニメで学校に通っていない子をメインにするという発想に惚れた。でも4人のスペックについてはうまく描かれていて、
キマリ…部屋の片付けが苦手、一つでも赤点取ったら南極に行けない、コンパサー→基本はできない子
報瀬…キマリに説教する日向に同意する、慎重に測量の訓練をする→できる子?
ゆづき…学校に行けない分ファミレスで自習、数学のノート(図形の作画が非常に丁寧、字が綺麗)→できる子
南極での作業フェーズではそれぞれがいろんな作業をするので、できる子なのかできない子なのか分かるっていうのはそれなりに意味があるんだけど、それを「勉強の出来不出来を数字で表す」という無意味な評価軸に頼らない演出にしてて好き。
「ここじゃないどこかへ」というモチベーションでここまで報瀬に付いてきたキマリ。それだけでもすごいのに、そのうえ報瀬の想いや大人組の想いを知った上で「みんなで行きたい!」と言ったキマリの鋼メンタルが描かれている。報瀬たちと同等の覚悟がないとこんなこと言えないはずで、物語の縦軸を担う報瀬ではなくキマリが主人公であることを再認識した大好きなシーン。
16:35頃
色んなアニメ(時代問わず)見てて、なんかバッドエンドの作品が少ないなぁと感じる。もっとバッドエンドのアニメが見たい。ジョージ・オーウェルの「1984年」みたいな終わり方の作品無いのかな。
出来不出来のバッドエンドじゃなくて、悲しい結末の方のバッドエンド。バッドエンドの作品は「どうしてこんなことに…」とか「どこで選択を間違えたんだ」「あの時のあれはフラグだったんだ…」みたいな余韻を楽しむのが好き。一方ハッピー・エンドは「いろんな困難もあったり、選択を間違えたりしたけれど、とりあえず良い結末になってよかった」みたいに感じてしまって、そういう余韻を楽しむ気が起きないのが寂しい。ハッピーエンドもバッドエンドも、最後「登場人物の未来に思いを馳せる」という余韻は共通なのだけれど、それは作品を何度も見返すようなモチベーションに繋がりにくいところがあるので…。
アニメはマンガやラノベを原作として採用している事が多いけれど、そもそもマンガやラノベはハッピー・エンドの作品が多いのかも。ターゲットの年齢層が比較的若年で、彼らにはシリアスな作品があんまり受けない、みたいな傾向があるんだろうか。以前アニメのトークショーでとあるプロデューサーさんがおっしゃってたのは「アニメは明るい話からシリアスな話になると視聴率が下がる傾向にある」だそうで、アニメを見る人の多くは「観てて楽しいアニメ」を求めているのかな。
「クロノトリガー」「ディスガイア」「アーマード・コア」「Fable」「フォールアウト」なんかを遊びながら思春期を過ごしたのだけれど、こういうゲームのエンドはよくハッピーエンドともバッドエンドとも言えない感じの終わり方があって、「ほんとにこの終わり方でいいの?」とプレイヤーに訴えかけることで、何周も遊びたくなるように出来てる。ハッピーエンドもなくはないけど、それは大抵「あらゆるルートを攻略した人へのご褒美」みたいな形で用意されていて、一発で到達するのが難しい仕様なことが多い。そういう原体験を持ってるがゆえに、アニメがハッピーエンドを迎える度「えー、一発でそのルート引いちゃうの?」と思ってしまうのかもしれない。
機動戦士ガンダム0080 ~ポケットの中の戦争~(1989)
30年位前の作品。アルを演じる浪川大輔少年の演技がグロテスクに映える。登場人物がみんな身勝手で、とても悲しくなる。続編ではないけれど、DVDとBD発売時のCM演出がとても救いのある内容で、思わずガチ泣きしてしまった。
『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』 スぺシャルPV(バンダイチャンネル公式)
郷田に超法規的措置しなかったらバッドエンドだった。かといって良い結末を迎えられたわけでもなく。
「人生に劇的なことを期待してはならない」とは貝木泥舟の台詞だけれど、喜劇とも悲劇ともいえない結末を迎えるのが西尾維新作品の好きなところで、特に「しのぶタイム」「なでこメドゥーサ」「傷物語3部作」がとても良い。いや、悪い結末なのだけれど。
「どうしてこうなった」「ゆっくりバッドエンドに向かっていく物語」「幼女を愛でるアニメの皮をかぶった社会風刺」違う意味でもバッドエンドなのだけれど、それに目を瞑っても悲しい結末を迎えた作品。田舎創生をテーマにした作品はハッピーエンドが少ない印象。
近年まれに見るバッドエンド。劇場版として公開された作品だけど、映画館で観た人たちはどうなってしまったのだろうか。1期に至るまでの2年間に思いを馳せると非常に趣深い。
ろくでもない恋愛の末に以下略。音楽の先生が女優の遠野なぎこに見えて、まだまだ受難が続きそうな感じが良い。いや悪いんだけど。
最後、花火大会開けにおける学校シーンの解釈によってはバッドエンドではないのだけれど、あれはおまけみたいなもんなので。ちょっと調子に乗っちゃった子どもとちょっとマセた子どもの間に、何もなかった物語。
教えてよ、素敵なアニメの終わり方
追記
ブコメトラバ全部目を通してます。まず、お礼をば。こんな与太話に付き合っていただいて本当にありがとうございます。ここまで多様な作品を教えていただけるとは…。あとで可能な限り観てみようと思います。ありがとうございます。
mur2 そこにくまみこを入れてほしくない。
くまみこ原作をまだ読んでいないのだけれど「これ、作者に『これそういう作品じゃねえから!』って怒られないんだろうか?」って思いながら観てた。なので原作買おうと思ってる。
yuatast 高山文彦さんがお好きなのかな
高山文彦脚本の作品が好きなのか、好きな作品の脚本がたまたま高山文彦なのかまだ分からないので、一通り観てみようと思う。「アリスと蔵六」(ハッピーエンド)はいいぞ。
paradisemaker バッドエンドって作るの簡単だけど、「観てよかった」と思わせるのが難しいんだよね
正直言って、ゆゆゆなんて観なければよかったとか思ってる。とても好きだから勇者の章も観るけど。
minoton 主人公側の活躍でいったんイベントは解決するが、本質的な問題は残る体の "ビターエンド"が好み。エンターテイメント性とリアリティが両立できるから
俺たちの戦いはこれからだ!は続編も作りやすいしとても合理的なので、作品の数はバッドエンドよりも多いはず。がんばって探してみる。
liposo メリーバットエンドとかぞくって来て好きだけどアニメじゃ記憶にないな。
key_llow 20年二次創作畑のオタクを続けて辿り着いた結論は「バッドエンドは物足りなかったらいくらでも自分たちで作れるけど、推したちを幸せにしてやれるのは公式しかいない」です。ご査収ください。
逆転の発想。たしかにそうかも。そういう伏線を貼る作品ならなおさら楽しめそう。「Anotherだったら死んでた」メソッド。
LuneC「長編はラストは必ずハッピーエンドでなくてはならない。読者にそれだけの時間つき合わせたのだから作者には読んでよかったと思わせる義務がある。しかし短編なら後味の悪いものも自由に書ける」Jeffery Deaver
物語が長くなるほどに主要な登場人物が悲しい経験を重ねたとき、その経験量に応じて「救い」が最後にあって欲しいなぁ、とは思う。救いがあればバッドエンドでも良いのだけれど。救いのあるバッドエンドて。
twikkun ひたぎエンドの最後は最高だったよなぁ……あの余韻たまらんわ 僕と友達になってよ
例には挙げなかったけれど、大好きな終わり方の一つ。いわゆるダークヒーローモノのバッドエンドって、良いよね。
deep_one 「バッドエンドの作品が少ないなぁと感じる」いや、全くそう思わない。というか、そのタイムスパンでなぜコードギアスとかが入ってないんだ?単に視野が狭いだけだろう。
そう。実は以前最近のアニメはおもんないって言ったじゃん、嘘つき! 的なアレを書いたのだけれど、アニメをよく観るようになって1年とちょっとくらいなので、まだまだ観てない作品が沢山あって分からないことだらけなんだ。ここ1年ちょっとで観たのはせいぜい120作品くらい。なので、もっと色んな作品を知りたくて、この与太話を書いた。ちなみにコードギアスは近いうちに観る。
REV 「バッドエンドの作品は「どうしてこんなことに…」とか「どこで選択を間違えたんだ」「あの時のあれはフラグだったんだ…」みたいな余韻を楽しむ」 けもフレのことですか
はい。12話はバッドエンドになるのを期待してました。ごめんなさい。ちなみに実際の12話は大好きです。
nomitori ハッピーエンドがいいというよりもあんまり作品に引きずられたくないというか、感情を揺さぶられたくないという思いが年々強くなってきた。これが老いなのかな…
感情を揺さぶられるあの感じが大好きでバッドエンドを求めているフシはある。ちなみにそういう作品は大抵観ててくっそ辛いので、「大好きだけどサムネでさえ二度と見たくない作品」とかがあったりする。「四月は君の嘘」とか。
全部に返信できなくて心苦しいけど、こんなかんじ。
ガチャの是非について語られた記事がホッテントリにあがっていて、「あ~金銭のやり取りじゃなくても賭博になるのかあ」と思ったけれども、冷静に考えてみれば当然の話だった。
一般社会の貨幣だけを対象にしたら、いくらでも抜け道作れるもんなあ。
例えば金銭をカジノとかのギャンブル専用のチップに替えたら、賭けているのは貨幣そのものではないってことになってしまう。
くじ引きとか、貨幣じゃなくて品物が対象だからOKとなってしまう。
そもそも欲しい物を手に入れるための、等価交換の道具として貨幣があるわけで、それらが別のものに置き換わろうが賭けは賭けってのはまあ分かる。
これがソシャゲでいう“石”とかのポイントってことなんだろう。
さしずめ、くじ引きをギャンブルのチップでやっているわけだから、これを賭博じゃないというのは厳しい。
それを誤魔化すためにあれこれ工夫して、賭けているという意識を逸らしているのが現代のガチャなんだろうね。
たぶん、ギャンブル界隈だったらそこまで目新しい手法はないと思うんだけど、普段ギャンブルをしない層にまで普及したが故の悲劇(喜劇?)か。
一般社会の市場価値から隔離された状態で得られたものが、正当な価値として扱われた歴史なんてそうないだろうしね。
好きなものを好きな値段で好きなだけ売れるとしたら、それは市場としては崩壊しているようなもんだし。
まあ賭博についての考え方は国によって微妙に違うみたいだし、今回の問題も物見遊山としゃれこもう。
どう転ぶか賭けたりはしないよ。
具体例を書かないとなんの事だかという話な気がしたので書いてしまうと「四谷快談」か「陽だまりの彼女」を読んでいてこういう気分になった。四谷怪談はウェブマンガで無料で読める(リンク )。陽だまりの彼女は市販の小説。勧めるわけじゃあないから読んでがっかりしても知らん。
#### 以下ネタバレ注意
正確に言うとタイトルは少し誤りで、ハッピーエンドだと思い込んで読み進めていると最後の最後でどんでん返しが起こってバッドエンドだったとか、あるいは最後の最後で鬱になってそこから好転せずにそのまま終了みたいなのに残念だなあと。もちろん逆もあるかも。
物語って2種類あると思っていて、1つはどういう結末か全く読めないもの。もう1つは読めちゃうもの。少年漫画とかラブコメとかは後者がほとんどなのでは無いかと。
で、上で挙げた2つの作品はハッピーエンドだと(後者だと)思っていたのに裏切った作品ね。まあお前が勝手に勘違いしただけだろという結論になってしまえばこの話は全くの無意味になってしまうのだけれど、そこら辺も他の人の意見聞きたい。
誤解されたら困るのだけれど私はそういう結末が嫌いなんじゃなくてハッピーエンドだと思わせるレールを敷いていて、最後の最後でレールをぺらぺらーっと剥がしきって、かつそこに説得力が無いのが読んでいてがっかりする(この文章がそうでない事を祈る)。それが作品の途中であればともかくラストのラストでこれをぶち込んでくると「は?」ってなってしまう(この文章がそうでない事を祈る)。四谷快談に関して、少なくとも私は本当に最後の最後までそういう結末になるとは思わなかった。それが何故なのかはうまく説明できない。もちろんラストの直前まで読んでそう思ったわけだけれど、タイトルであったり絵柄であったりの要素はアルだろうと思っている。けど、読んだら私と同じような思いになるのでは無いかと。後半から鬱の話はあったけれどそれが話の中心だとは思っていなくて基本は「快談」だと思っていたから、だから最後まで読んではしごを外された気分。
絵柄とかキャラクターは大変好みだったから非常に残念。何がしたかったのって思ってしまう。切なさを出したくてああなってしまったのかな?。あるいは鬱エンドにしたかったという説もあって、それはどうしてそう思ったのかというと四谷快談を読んだ後に作者のpixivやブクログを読んで鬱な話がお好きなのかなと思ったからだ。あと個人的には「打ち切り説」と「そろそろ終わらせたかった説」もある。
陽だまりの彼女に関してはちゃんと読んだのが数年前だからもしかしたら違ったか、あるいは的外れだったかもしれない。四谷怪談を読んでいてこの残念感が似ているなと思った。あとがきでこのラストは私みたいな動物好きの人はほっこりしたんじゃないでしょうかみたいな事を書いていて「いや、お前はそうかもしれないけどさぁ……」と思ったのは覚えている。
そういう作品って個人的にはあまり過程を評価できなくて、もし同じ作者の作品を読むってなった場合はラストを先に知らないとそこから先読む気がしないんだけど(前に嫁が本をラストシーンから読みはじめるみたいな増田あったな)、他の人ってどうなんだろう。どっちか読んだ人にこういう話のラストの展開についてどう思いながら読んだか聞きたいけどここまでこき下ろしてしまうとファンの意見を聞くのは無理かも。個人的には読んでいて「は?」の1文字だった。
一応再度書いておくけど、予想外の結末であったりバッドエンド自体を否定しているわけでは無いからね。
駄文大変失礼