はてなキーワード: 喜劇とは
死んだ、死んだ、死んだ
死んだ、死んだ、死んだ
死 ん だ 方 が マ シ だ
Hey メンヘラってきた
色々苦労をしすぎた
何でも御座れのニートだ
だけどなかなか死ねないんだ
まだまだ…忘れらんない
だけど、待って、それで、いいの?
自殺がしたい
昨日までの僕は死んでいる
絶望の淵にやっと立てれた]
鬱病だけど言えないことが
ひとつだけあるの
それは僕は
死んだ、死んだ、死んだ
(\はぁ…死にたい…/)
死んだ、死んだ、死んだ
死 ん だ 方 が マ シ だ
明るい躁の君より
暗めが似合うと思うんだ
いやいやいや…深い意味はない
ただの幻覚なのかも
リストカットがしたい
生まれたのは偶然じゃない
運命と言うにゃ遅いけど
死ぬでしょうか?狂うでしょうか?
けれど伝えられず
今日も僕は
死んだ、死んだ、死んだ
(\はぁ…死にたい…/)
死んだ、死んだ、死んだ
死 ん だ 方 が マ シ だ
よっしゃー死ぬぞー!
クビ(クビ)ツリ(ツリ)
トビ(トビ)オリ(オリ)
トビ(トビ)コミ(コミ)
生きる権利などないんだろう
でもね、鬱が、止まらなくて
千の風になりたい
[ ]内繰り返し
まるでただ死体のような僕は
死んだ、死んだ、死んだ
(\はぁ…死にたい…/)
死んだ、死んだ、死んだ
死 ん だ 方 が マ シ だ
当時のインドはまだ外貨が不足していて、USドルのキャッシュで航空券を購入する場合に限り、インド国内航空インディアンエアラインのカルカッターバンコク間の片道切符が60ドル程度の格安で手に入った。
今でこそIT大国なんて言っているけど、その頃は空港のチェックインカウンターには端末もモニターも無くて、空港職員が奥の部屋へ引っ込んでいったかと思うと、暫くして漸く乗客のリストが印刷されてるらしいパンチ穴のついた長い紙を引きずる様にして出てくる有様だった。
そうして、どうやらオーバーブッキングらしいと言うことが、周りの乗客の話し声から聞こえてきた。中には職員に金銭を渡してるらしきツーリストもいた。
外貨が不足する中でインドを出国しようとするインド人には、厳しい外貨の持ち出し制限があった。確か一人400ドル位じゃなかっただろうか。全然足りないよね。遊びに行くわけじゃない。殆どがビジネスだったと思う。
僕のツーリストビザの期限にはまだ余裕があったし、予定があるわけでもなかったので、別にこの便に乗れなかったところで一向に差し障りがあるわけじゃない。
対して、インド人ビジネスマンは違う。どうしても、その便に乗らなければならない事情もあるだろう。一人のインド人男性が職員に食って掛かった。インド人が手を出すのはよっぽどのことがあってなんだけど、彼は職員に対して相撲の突っ張りのようなことをした。職員もやり返した。お互いに突っ張りの張り合いをしながら、二人とも遠くへ小さくなって見えなくなった。
公開した2004年から20回は見返している。一番好きな邦画。
ロリータファッションの深田恭子と、時代錯誤なヤンキー土屋アンナ、凸凹な2人が
ケンカしつつも親友になってゆくという、それだけのお話なのだが、
何度見ても心がじーんとする。
全編通してコメディ全開のドタバタ喜劇で飽きさせない造りの中にふと挿入される、
ハンディカメラっぽい荒い画質の2人が代官山をはしゃぎ回るシーンとか、
川原で2人がたたずむシーン、胸が熱くなる。
そして転げ回って行き着く先に、泥と血塗れの深田恭子と尼崎弁の啖呵。
カタルシス全開なところに流れるEDテーマの歌詞はhey my friend!
あー見てよかった。また見よう!
http://anond.hatelabo.jp/20161207120909
※原作漫画もドラマもネタバレ全開です。ついでに後半にエグザイル族ドラマ HiGH&LOW ハイアンドロウ のネタバレもします。ご容赦下さい。
【要約】 (できませんでした……。)
1, 面白い! そして超興味深い!
みくりさん やっぱり小賢しい。が、そこが頼もしいし、愛らしい。
ポリティカル・コレクトネスを完全に満たした上で女性の欲求ダダ漏れ全開だと思う。
2, 私は本作最大の『虚構』は、(このような鑑賞法は不純だが……)
プロの独身を自称する超高スペック童貞の 津崎 平匡氏が、同時に最初から「女一人が転がり込める『家』を保有している事」
だと思ってるのですが、皆さんは どうでしょうか?
平匡氏は童貞と、特大の父性 という相反する属性を両方とも持っている。 メシアかな?
3, 本作は 『リベラル』だと評されるが、私は半分はそうだが、もう半分は違うと考える。
finalvent翁曰く、「愛とは公正さ である。」とのことだが、
女性が、男性に求める「理想の公平さ」を描こうとした結果。平匡氏の初期スペックと人徳がMaxに設定されてしまっている。そこが良いけど……
リベラルを極めた結果。平匡氏≒超マッチョも同時に顕在化してしまうのは、極めて皮肉だ。そこが良いけど……
4, イヤな言い方になってしまうが、結局のところ、
男性は女性に対し、最初から 対等な社会人/ 恋人/ 妻/ 我が子の母 の 何れかを選べるけど、
女性は男性に対し、対等な社会人/ 恋人/ 夫/ 我が子の父 の全てが『必要』ということになるのでは?
「男性は女性に対し何れかの属性の100点満点を求めるけど、女性は男性に対し全教科100点満点の400点が『必要』である。」と、読み取りました。
まー、しょうがないよねー。
夫婦 までなら、理性的合理的近代的自我で「計量計算」出来るかも?しれないけど、
妊娠出産育児を含む 我が子の両親 となると、そんなの不可能だろう。
そもそも、無から有を生み出すわけで、合理性も自我も超えた領域だもんなー。その分は、男が負担しないと……、少なくとも覚悟は……
5, ゆえに「逃げ恥」は、最高最良最狂の『女のポルノ』であると言える!!! 逆説的だけど、男性こそ必見!!!
女性は男性に堂々と「全教科100点満点中の400点」を要求しつつ、同時に その無茶と矛盾とを理解して頂き、
男性は少なくとも女性に対し「全教科100点満点中の400点」を求められている事を理解し、その矛盾を解く覚悟が要る。と……、
辛い……。そして無茶だ……。
しかし、「逃げ恥」によって「女性の欲求」を定義出来た……。少子化も解決するんじゃない?!
万のポリティカル・コレクトネス、百のフェミニストより、一作の「逃げ恥」。ですよ!
▽
・新垣さんと星野さんに影響されないように原作から読んでみました。
2週目以降、津崎 平匡氏の「男子力」を計測しようと思って、原作とドラマ見てるけど、まぁー。辛い辛い……。私では計測さえ出来んわ……。
作中、平匡氏が自身の「男子力」の低さを嘆くシーン有るけど、普通に超高いよな?
童貞という属性と、恋愛周りが やや弱いだけで、他はカンストしてね?
普通、もっと童貞拗らせてるでしょ! ドラマの方は ちょっっっとだけ拗らせ度強いけども、
・本作の みくりさん と平匡氏の「恋愛」をスリリングかつ安心して喜劇として楽しめるのは、
平匡氏が みくりさん に対して、対等な社会人としての敬意と感謝。
(形式上だけど)夫としての安定と安心を両方共、最初から100%保障してるからよね。
つまり、みくりさんは最初から平匡氏の愛を200%保証された状態で、更に恋人としての300%目の上積みを狙っとるわけだ。
・流石に平匡氏と言えど 恋人契約を提案された時点で みくりさん の好意を確信しないのは
人物描写として無理があるのでは? このイベントはもう少し作品の後半にまわすか、
・食事は殆ど外食とコンビニで済ませる平匡氏が、何で男女2人分の食料保存できる冷蔵庫を初期装備してんねん!
・みくりさんが平匡氏を可愛いと言うのも興味深いし、ムカつくな。
そりゃ、初めから内側に保護された状態で平匡氏の愛を再確認すると そう感じるのも必然なんだろうけども。
・みくりさん。さぁ。 安心と安定の平匡城を堂々と内部から蚕食するのは良いけどー
平匡氏、完落ちさせてから~の 外部に求職活動は流石に小賢し過ぎるわ! 私は見逃さんぞ!
貴方が家事代行の給金を求めるのは良い。 だったら! 平匡氏が最初から提供してた「生活保障」にも値段 付けんかい!!!
まぁ、平匡氏からすれば、そんな貴方の小賢しさも頼もしさや愛おしさとしてプラスに評価するんでしょうな! お幸せに!
・女性の小賢しさって、相手の男性の度量の範囲内なら頼もしさや愛おしさになるけど、超えると途端にウザさになるよね。
…… 逆でも一緒か……。 っていうか人間関係全てでそうだな……。
・原作8巻で、平匡氏が みくりさん を解呪するイベント有るんだけど、これって別に みくりさん に限らないよね。
平匡氏は、他者に壁こそ築くものの、(おそらく)誰も馬鹿にしないし、値踏みもしない。自分からは挑発も攻撃もしない。 の~に、
壁の内部に2人分以上(ぶっちゃけ、赤ちゃん含めた3人分)の安心空間を単独で作り維持出来る……。やっぱりメシアだよね。
・森山みくりというキャラって、本質的に(平匡氏に対して)相対的肉食女子で、(平匡氏に対して)貪欲女子じゃん。相対ビッチじゃん。
清純な新垣結衣さんのタレントイメージを壊しかねないキャラだから心配してたけど
ドラマでは平匡氏のスペックを若干落として、面倒臭さは足してバランス取ってるの 上手いよなー。
・ドラマでは「やっさん」=田中 安恵を最初から出してるのも上手いよね。
みくりさん と平匡氏のスペック差を縮める代わりに やっさんを比較対象に出す事で平匡氏の誠実さを際立たせている。凄い。
・ドラマでは百合さんと風見の関係が弱くなっているのは残念。完全にメイン2人の補強材よね。良い配役なのに、仕方無いけど
風見と平匡氏の年齢差が縮まった(って言うか役者さんの年齢的にも逆転もある)ために平匡氏の優勢が削がれてるのも緊張感が出てて良い。
・ぶっちゃけ、森山みくり役は新垣結衣さんである必然は無いけど(イヤ、他の女優さんでも成立するって意味ね。)、
津崎 平匡 役は星野源さんしか考えられんよね。スマートさ、余白力!、清潔感。 ちょっと他の役者さんは考えられんよね。
躍動する星野さんを見られて良かったです。ご病気も良くなられたようで。
・ドラマでは家の間取りを変更してるのも興味深い。ドラマの間取りだと平匡氏はどうやっても
みくりさん の前を通らないと自室に入れない。 家のグレードを原作より下げてるのも平匡氏に肉感を与える効果になってるよなー。
・藤井隆さんの恋ダンスが一番良いわ。逆に新垣さんの恋ダンスは そうでもない。露骨なあざとさが好きじゃない。嫌いでもないけど……
・って言うか……、【童貞】という【枷】って、こんなに重いんやな……。平匡氏程のスペックと人徳で、やっと釣り合うってことでしょ?……
▽ここから HiGH&LOW ハイアンドロウ のネタバレもしまーす。
・「逃げ恥」って凄くブッ飛んだ作品じゃないですか。んで、アレ?最近、同じ位カルトなドラマ見たな―。と HiGH&LOW を思い出しました。
男同士で馬鹿騒ぎはするが、女性の安全と尊厳を殆ど顧みない『HiGH&LOW』と、
(White RascalsとRUDE BOYSは一応、女性を守ろうとはしているが手段が無茶苦茶で、主人公チーム山王連合会に至っては守ってさえいない。琥珀も、)
みくりさん にとって平匡氏が超都合の良い男性として徹底されている『逃げ恥』は
異性を 極端に神格化、偶像化するか、人格を完全に無視する点において 同質ではないか?と思うのです。
故に、逆説的に
女性には 男の(って言うかレベル的には小学男子なんだけど)馬鹿さ加減を知る意味で HiGH&LOW を見て欲しく、
しかし突如亡くなったことへのショックと、没後に友人たちが受けたこのうえない悲しみにかなり心動かされ、一介の田舎の青年でしかない私も、大きな喪失の感覚に襲われています。
今回書くことは特に誰のためにもならないのかもしれませんが、書かざるを得ませんでした。
雨宮さんの最近のWEB連載を読んでいて気づいたことがあります。
39歳の時に、最大の危機が訪れたと彼女は言っているのですが、何が起きたのかは隠されています。
http://www.daiwashobo.co.jp/web/html/amamiya40/vol07.html
最大の危機は39歳のとき、突然訪れた。自分の人生には起きないだろうと思っていたこととか、自分はこういう人間だと思っていたこととか、すべてがひっくり返されるようなことが起きた。まさか、この年齢で、と思うようなことが起きて、はっきり「年齢なんてあてにならない」と思った。40歳、普通なら落ち着きそうな40歳という年齢であっても、神様は何も、手加減も容赦もしてくれない。40歳でも信じがたいことは起きるし、ドラマチックなことも、喜劇も悲劇もロマンチックコメディも、なんでも起きる。舞い上がったりドン底に叩き落とされたり、混乱の極致に立たされて、私は「もう無理。起き上がれない」と友達にLINEして、薬を飲んでベッドに潜り込んだ。
「自分の人生には起きないだろう」「神様は何も、手加減も容赦もしてくれない」「舞い上がったりドン底に叩き落とされたり」…といった記述から判断すると、完全な憶測に過ぎませんが、この時もしかすると、ひとつの可能性として妊娠されてたのかも知れないと思いました。
彼女のようなきわめて繊細な人が妊娠中絶をしたとすると、その心理的・精神的影響は想像を絶します。
PASS「人工中絶手術後ストレス障害」というものがあります。
2015年から16年にかけて、雨宮さんはずいぶんと痩せられています。とても素敵な、ファッションモデルのようになりました。
もちろん、それはまったく健康なものではなかったはずです。2016年10月には40度の熱を出したことがtwitterでは語られていました。
なぜいま、彼女が亡くなったのか。いずれにせよ、2015年以降の大きな危機のあとの時間を、彼女は必死に生きていた。
このようなことを憶測で語ることは、たいへんに問題であるし、何も生まないかもしれません。
まったく違っていたら、本当に申し訳ありません。
しかし、すでに遅いとはいえ、彼女の言葉の意味をすこしでも理解することで、出来事が明るみになるリスクを冒してでも本気で伝えたかったことを受け止めたいし、彼女の死をすこしでも理解したいと思い、このポストを記しました。
「この世界の片隅に」を昨日観た。昨日は感想を言える状態ではなかった。
まだ自分の心をまったく整理できる状態ではないけれど、感想を書く。
この感想が人の目に留まる可能性は少ないと思うが、もし未見の方がおられたら、この感想を見ずにまず映画を観ていただきたい。ストーリーのネタバレはほとんどしていないが、これから私の書く情報がない状態で、この映画を体験してほしいので。
また、この文章自体興奮冷めやらぬ中書いているので、改めて落ち着いたり再見して考えの変わることもあると思うが、整理されていない最初の印象というのも重要だと考え、勘違いなどがある可能性を承知の上で書き残したい。
「この世界の片隅に」は「ものすごい映画」だった。「良い映画」「泣ける映画」ではなく、「ものすごい」のだ。
私もいい年なので、良い映画、泣ける映画を観て涙ぐんだ経験はある。しかし、映画の印象的なシーン一つ一つ思い出す毎に涙がこぼれる映画が、この世に存在するとは思わなかった。
この映画を「観た」というのは正しくない。この映画は「体験する」映画だ。映像・音声の中にちりばめられた何かが作用して、主人公すずの人生を観客が「体験させられる」のだ。だから、後でいくつかの印象的なシーンを思い出すだけで、何かしら感情が「あふれざるを得ない」のだ。
ストーリー自体は、複雑でも何でもない。あらすじだけ読んでも、たいして感動するポイントがあるわけではない(まあ、あらすじとはそうしたものだが)。戦時中の設定であり、ましてやあの広島を題材に採っているから、何かしら悲しいシーンが入ってくることは予想できるし、邪推して「お涙頂戴映画だろ」と言うことはできる。そして、実際にそういうシーンはある。しかし、この映画のすごさは、私が思うに、そういう大枠のストーリーそのものではない。
観客は、主人公すずの人生を、バーチャル・リアリティのように(と書くと厳密には間違っていると思うが、他に言葉が浮かばない)「体験させられる」のだ。広島と呉の人々の営み、嫁入りした先での苦労、鳴り響く対空砲、町と軍艦を焼く敵機の容赦ない爆撃、無慈悲な時限式爆弾の爆発、そして原爆のかがやきと衝撃波。楽しいこと、嬉しいこと、誰かをいとおしいと思うこと、不安、悲しいこと、喪失感、悔しさ、怒りも、観客は「体験」させられる。それも、普通の映画とは違う、もっと深いレベルで、だ。
そのような「疑似体験」が観客側にあればこそ、一見物語上盛り上がりのないシーン、いわゆる「泣き所」ではないシーンの一つ一つを思い出して、涙がこぼれる。だからこの映画は、映画を観ている時だけでなく、印象的なシーンを(喜劇的なものであっても)思い出すだけで胸に迫るものがあるのだ。
昨日、家に帰って虎の子の古備前徳利で酒を飲みながら、「この世界の片隅に」に関する映像や片淵監督、主演ののん氏のコメントなどを読み漁った。当然、いくつかのシーンを思い出す。そうするともう、ただもう「思い出す」だけで涙がこぼれるのだ。
「体験させる」仕組み・仕掛けについて、私には残念ながら分析する能力も知識も不足している。ただ、映像や音楽にちりばめられた何事か(例えば入念な取材に基づく非常に精緻な映像や音声など)が、言い方は悪いが催眠術やサブリミナルのように観客に「効いて」来るのだ。
非常に限定的な例えで悪いが、漫画「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくる登場人物である岸辺露伴のスタンド能力「ヘブンズドアー」。露伴の漫画を読んだ人を本に変え、その人の記憶を読んだり、書き込みをすることで人を操ることができる能力。私にとって、この映画は、そのうちの「書き込みをすることで人を操る」に近い影響力を発揮した。しかし、それは何らかの超能力によって発現したのではない、片渕監督が、資金のめどすら立たない6年前から、おそらくある確信をもって様々なものを積み重ね、それに対してスタッフやキャストが力を発揮した結果なのだ。私は、その事実に身震いする。こんな「効果」を持った映画が「ものすごい映画」でなくて何なのだろう。
私は昨日youtubeに挙げられた公式の「予告編」の、すずと周作のキスシーンだけでも何度も泣いた。話の展開的に、このシーンが、いわゆる何らかの悲劇の「フラグ」というわけでも何でもないのにも関わらず。普通の「泣ける映画」であれば、、この後周作には何らかの不幸が起こらねばならない。しかし、この映画ではそうはならない。しかし、それでもこのシーンが私には泣ける。
なぜ、私はこのシーンで泣いてしまうのだろう、と私は酒を飲みながら考え、そして気が付いた。この映画で得た「体験」は、それほどに強く主人公すずの人生を私の心に焼き付けてしまったのだ。それは、「すずの人生が我々71年後の日本人と地続きである」というレベルを超えている。これは、私の人生の中では「異常」な体験だ。
大げさなことを書いてしまうが、私は上記のことをもって、この映画が、人類が到達可能なある限界点に到達したか、少なくとも片足をかけている世界最初の映像作品ではないだろうか、とすら考える。少なくとも私は、このレベルに達している映画を他に知らない。
(もしかしたらごく短い映像作品では世界のどこかに存在するかもしれないと想像はする)
実は、わたしはこの映画の原作は未読である。私が体験した要素が、どれだけ原作から来ているか現時点ではわからない(原作はもちろん今後読むつもりだけど)。
この映画も一回観ただけで、いろいろ取りこぼしや考え違いもある可能性は高い。特に、ストーリーに対する評価がまるでできていない(これも重要なはずなのだ)。
また、万人に私と同じような「体験」を保証することもできない(そもそも万人向けの作品など存在し得ない)。
それでも、このアニメ映画が「ものすごい」作品であることは、疑いない。そしてこの映画はその「ものすごさ」ゆえに「尊い」。まさしく、神の技に到達した、少なくとも手をかけた奇跡的な映画なのだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
なぜかというと、とある国では干し柿を恐れる虎の話があってな。
おっと、「饅頭怖い」とかのとは趣が異なるぞ。
泣いている子供を、母は「外に虎がいてお前を食べるぞ」と脅して泣き止ませようとするが、子供は泣き止まない。
この時の会話を聞いていた虎は、「虎と聞いても泣き止まなかった子供が泣き止むのか」と、干し柿に恐怖する。
そしてその後、誤って背中に乗ってしまった牛泥棒を、虎は干し柿だと勘違いして慌てふためき、牛泥棒も食われまいと虎にしがみつく喜劇が展開される。
ここから読み取れるのは、子供が泣き止んだのは干し柿が美味しいのを知っているから。
そして、牛泥棒が虎の背中にしがみつくのは、虎が何を考えているか分からなかったからだ。
つまり、恐怖とは無知と無理解によって生じるものだということだ。
こうして、私の仮装である「干し柿虎」のコンセプトが決まっていったわけだ。
お菓子が欲しければ、自分の体の一部である干し柿でそのまま補給可能な代物だ。
こういう話がある。
とあるレンタカー会社には借りた車に対して保険があって、これは借りた人間が小銭と簡単なサインをするだけで入れるものだった。
なぜか?
答えは簡単だ。
人間は自身がさして必要がないと思ったものに対して、酷く手間を嫌う。
それが例え大したことのないものでも、だ。
面白い文章を書くコツは真面目な文体で、誇張せずに書く事です。文体では無く、内容・ギャグで勝負します。
寒い文章(詰まらない文章)を書くコツは、面白い文章の逆です。文体で無理矢理笑わせようとしたり、誇張する事です。
なので、面白い話を書きたいときは、政治系雑誌のライターか新聞記者にでもなったつもりで書くと良いでしょう。
例えば次のような状況を想像してください。
ニコニコ動画で、面白くも無い動画が「吹いたら負け」などというタイトルでアップロードされていたらどうでしょうか。
文章で書かれた、面白くも無いネタに「木亥火暴」(※)だの「wwwwww」だの「(爆笑)」などという具合で書かれていたらどうでしょうか。
これはギャグを言った人だけが一人で「私って面白いだろ」と得意になって笑っている、しかし周りは全く面白くも無いという状態です。つまり、滑っています。
ギャグの部分や著者のツッコミを派手なフォントで飾るのも同様です。また、普段使わない「うっひっひっひ」「余は満足じゃ」などの表現が書いてあったら、ふざけることで受けを狙っているのが読者にばれています。
可笑しいことを大真面目に言う(する)から面白いのです。例えば、コメディ映画の「変態仮面」が当てはまっていると思いました。馬鹿馬鹿しい設定を大真面目に演じており、非常に面白かったです。
ちなみにここは未確認ですが、チャップリンの喜劇や、落語などはこの考えで作られているそうです。面白いことを大真面目に演じる、面白い話を大真面目な表情で語る・・・これが一流と言われている人たちだそうです。
必ずこの法則が当てはまるのかというと、個人の好みにも左右されるでしょうが、知っておいて損は無いと思います。
注意:
・ここに書かれている考えはネット上の記事や市販の本を参考にしたものであり、私のオリジナルではありません。
・面白いネタとは何かについては、私は勉強していないのでここでは記述しません。
時間を共有したい、もうひとりぼっちは嫌なんだよ!!!彼女!!!が!いない!!!!!!さびしい!!!
愛もいらない、容姿も性格もいらない!!!ただ一緒にいてほしいんだよ!!!エッチもいらない!!!ただくだらない話がしたいんだよ!笑ってほしいんだよ!!!もう嫌なんだよ!!!もう・・・もう勘弁してくれよ!!!なんで彼女ができないんだよ!!!!!内面も外面もクズでもメンヘラでもなんでもいいんだよ!!もう彼女がほしくてたまらないんだよ!!発狂しそうなんだよ!
お金もやる、心もあげる、時間もすべてあげる、人生も全部あげ・・・て裏切られてもいいよ!!!彼女がほしい彼女がほしい彼女がほしい彼女がほしい彼女がほしい
恋に恋するとかじゃないんだよ!!!恋に恋なんかしないよ!さ・び・し・いんだよ!!!もうさびしくてさびしくて正気じゃにいられないんだよ!!!愛してくれよ、愛さなくてもいいけど!!!ただもうこの人生に悲劇でも喜劇でもなにかあたえてくれよ!!!色がないんだよ!!!もう駄目なんだよ!!!!彼女がほしいんだよ!!!
もう嫌だ・・・
パチンコを仕事にしていたことがある。本来負けるものであるはずのパチンコを仕事にしているなど知らない人が聞けば信じられないだろうがわりといる。そのうちの一人だった。
パチンコでは釘を見たりスロットでは店の癖を探したりまぁ方法はこんなとこに書いてもしょうがないので省くが月に100万近く勝っていた。日当で一日2万~10万で平均すると4万を月に25日稼動して20日は11時間打ち切る。
そして得た答えは一般人が持つ印象と何一つ変わらない。パチンコ屋は地獄である。ただの印象論ではなく数多の実例を見てきたすえの答えである。
まずテレビCMやメディアで放映されるようなパチンコで大当たりして笑っている人間などほとんど皆無だ。大当たりするとだいたいエンドルフィンがでまくっている状態になるので喜ぶ、というよりも落ち着く人間が多い。助かったと安堵するのだろう。目を血走らせて台を殴って興奮する人間がいるのがギャンブル場であり、パチンコ屋だと認識している人もいるだろうが実際はそんな人間はもうほとんど見ない。みな黙々と打つ、当たってもあたらなくてもただただ打つ。虚無というか無機的というかともかくパチンコ屋がうるさいというのは台の音だけだ。
だからこそやばいのだ。みな置物みたいになって液晶画面を見つめているかスマホをいじっているかいずれにせよそこに人間が介入しているような積極的なものはなくただ大当たりという偶然が降ってくるのを待つ。実際は真面目に打てばパチンコはやることが多いのだが、ただギャンブルしてきている人間はただただ大当たりを祈っている。
そして自分はそんな環境で働いていた。働いていたというのはおかしな表現ではあるがとにかくそんな場所に棲んでいたことがある。
ブラック企業が問題になっているのだがパチプロという仕事に比べればいくばくかましに見える。仕事をするうえで何が一番やばいかっていうと社会性を失うことが最もやばいんですよ。ブラック企業の問題は過剰な労働で疲れきって自律できなくなることだったりしますがパチプロは関係性すらない。ただ孤独で台の前では時間を薄めてうるさい環境に順応するために神経を殺し自分を殺していく。
そうした時にふと気づいたんですよ。これはやばいと。
けっきょくどんなひどい暴言をはくような上司でもリアルな人間関係の中ではそれがどんなものであれ物語が存在します。人に話す時にそれが喜劇であれば笑ってくれるだろうし悲劇であれば同情してないてくれるかもしれない。パチプロはなぜ地獄なのか、いやパチンコがなぜ地獄なのか。それは人に話す物語がないのです。今日こんな演出で大当たりしたよなんて糞みたいな話しか存在しない。
爆音とタバコの煙に貧乏ゆすりの隣人、そんな世界でも最悪の環境にいるにもかかわらず誰も同情しないのがおそらくパチンコ屋が地獄たるゆえんなのだ
ちょっと前にキャバクラでライトなネトウヨみたいな若い女の子が付いた。地方から出てきた高卒で二十歳間もない女だ。
ちょうど北条かや似でキャバにしてはめずらしいヲタに好まれそうな清楚風メイクの子だった。
俺は酒席で政治関係の話をするのは好きではないのだが、どうもオッサンは政治ネタに食いついてくると思い込んでいるのか、
自己紹介から早々に国際政治の話をふってきた。「お客さん最近の中国どう思いますか?」と。
ネトウヨっぽいと書いたとおり、近年の中国の政治動向について批判まじりにしきりと話し続ける。
俺は辟易としつつも話に付き合っていたが、しばらく会話を続けいてると、彼女がどうも奇妙な誤解に基いて話をしていることに気づいた。
彼女は第二次世界大戦で日本は中国と戦い(それ自体は事実だが)、米国と一緒に中国を打ち負かしたと思っていたのだ。
俺は少し意地悪な気持ちで歴史の事実を伝えた。日本は(統治下の朝鮮と共に)米中と戦い、そして負けたのだ、と。
この点に関しては左右を問わずに是とする事実だろう。太平洋戦争は、決して日米と中韓の戦いではない。
だが、彼女は食い下がった。日米は同盟国で中韓は反日だ。それに日本が米国と戦うはずがない。米中が仲がいい訳がない、と。
不思議と「日中戦争」や「上海事変」といった言葉だけは知っているらしい。また、思った通り南京事件は捏造だとも語った。
俺は更に突っ込んで、だったら広島と長崎に原爆を落としたのはどの国だ、と訊いた。すると、彼女は北朝鮮だという。
この答えにはさすがに閉口させられ、俺はそれ以上突っ込むことはやめた。議論する価値もない人物だと思ったからだ。
さきほどネトウヨと書いたが、これは実際のネトウヨ連中に失礼な物言いだったかもしれない。
ネトウヨを自認する連中が太平洋戦争の顛末と、原爆投下に関してそこまで誤った認識を持っているとは信じがたい。
彼らは歴史の事実というより、事実の解釈をめぐって闘争しているのだと思う。
他方、キャバクラ嬢はそうした珍妙な歴史観を家族や友人から教わったという。
(驚くべきことに)北朝鮮から原爆攻撃されながらも、辛くも勝利を収めた話として認識しているようだ。
(ちなみに、天皇はイエス・キリストとブッダの血を引いているとも主張していた。天照大神を知らないらしい)
なるほど、それならば北朝鮮に対して激烈な怒りを持つのも理解できるし、中韓を見下すのもよく分かる。
彼らにしてみれば、北朝鮮は国家の怨敵、中韓は敗戦国にも関わらず日米に楯突く負け犬といったところだろう。
最近のテレビで大流行の日本礼賛は、こうした層を狙い撃ちにしているのだろうか。
彼らが戦時中の主要敵国は米国であり、原爆は米国によるものだと知ったらどう思うだろうか。
そもそも、日本こそが敗戦国であり、天皇は(一時期を除いて)日本土着の宗教共同体の首長に過ぎない。
それとも、現状を鑑みてアナクロニズムから、それは中韓による捏造、宣伝工作の類だと思うのだろうか。
どちらにしろ、この国には予想を遥かに超える誤った歴史認識を持った層が存在することは確からしい。
2000年代前半から2000年代後半の小泉-安部路線-ネトウヨから民主党政権までの時代ってまじでネオリベラル思想の大流行だったんだなと感じる。
小泉が色々破壊するとか言って郵政民営化はもろにネオリベラルな考え方だ。
そしてその勢いのまま公務員の給料削減など緊縮を目指した民主党が政権を奪取したわけだ。
でも、最近になってリベラル関係の基本を勉強しなおしてると、このあたりのやり方が完全にネオリベラリズム、つまり右翼の好む経済政策であることがわかる。
左派を名乗っていたはずの民主党が経済政策で右派的行動をとり、見事に失敗して結果として右派的経済政策は駄目だということが知れ渡るようになって安部が左派的な経済政策をとることになった。
そしてその民主党はいまだ自分達が右翼であることに気づかずに(左派)リベラルを名乗り続けてる。
ネオリベラルの潮流が民主党によって破壊されたことに左派リベラルの俺は喜ぶべきなんだろうか。
それとも悲しむべきなんだろうか。
まるで喜劇だ。
教えてください!
アニメの『茄子 アンダルシアの夏』を観て、その後原作を読みました。
なんとも言えない哀愁というか、不条理感が凄くグッときました。
黒田硫黄さんははじめて読みましたが、
おすすめがあれば知りたいです。
追記
トラバ&ブコメくださった皆様ありがとうございます!
どれも読みたい!必ずチェックしますね!
どこが良いと思ったのか・・言葉にするのが難しいのですが、
ペーソスっていうんでしょうか?そういう感じが漂っていて好きです。
あとは、たぶんこのまんがの特色だと思うんですが、
ごはんを作ったり食べたりする様子とか、
こういう作品を好んでいる人は、他にどんなまんがを読んでいるんだろう?と気になったので、
質問させてもらいました!
優秀な女性が社会進出すればするほど男の市場的価値は相対的かつ全体的に下がる。
底辺層はもちろん結婚できないしできたとしても頭の悪い女としか一緒になれない。
普通以下の男性は結婚後に要求される経済力を満たせない&同じクラスの女性には見向きもされない。
なぜなら普通以下の女性にとって同ランクの男性はゴール対象にならないからである。
優秀な女性は優秀な女性で、同レベル以上の年収と性格の良い男性を求めるが、そんなものは存在しない。
(高年収で仕事できるのに自分より年収低い女性が主導権を握っても平気な男性?そんなものは存在しない。恋愛のタイミングも逃してるでしょ。)
そもそも優秀な男性にとって必要な女性は年収の高い女性ではない。
優秀な女性は優秀な男性を求めるが、優秀な男性は優秀な女性を求めていないから結婚できない。
普通以下の女性は優秀な男性を求めるが、優秀な男性は数が少ない。この層が一番婚活が盛んなシンデレラ。
それは、昔ならば女性を年収で選ぶような真似をしなかったから経済力がなくても
普通以下女性の層が婚活で頑張りオゾン層を形成してしまったために、
その結果、結婚後の家庭の経済能力は普通以下×2の値が必要に迫られる時代になった。
そのため女性が普通以下の男性をゴール設定することができなくなってしまったのだ。
その結果、女性にとって自分の現在の生活水準を維持してくれる男性は、
高年収の男性というごく僅かな人間に限られてしまったというわけだ。
自分自身たちの運動で極度なアッパー調整をくらい、結局そこに多くの者たちが無事にたどり着けず、
あげくは全て男のせいにしていく様は何と悲劇的、いや喜劇なのだろうか!
つまりは男しか社会進出も企業戦士も許されなかった時代というのは、
常に女性にとって男性が永久就職というゴール対象として穏やかにかつ平等に設定されていたということだ。
勿論DVされても離婚できないなどの問題もあったかもしれないが、
それは現代でもよくあることだしそのおかげでDVが減ったという報告もない。
DVはする男性の素質のようなものなのだからDVの発生自体は止めようがない。結婚する前に気づけ。
とにかくDVと引き換えに平等なゴールを捨てたのだ。なんという男気溢れる開放戦士たち。
このような状況をみてもまだまだ衰えることを知らないフェミニストという皮を被った反知性主義たちは
これからも女性を真の不幸に陥れるために日夜問わず戦い続けるであろう。
戦え!開放戦士たち!
1人でも多くの女性を
貧困に落とすために…!
~Fin~
告白を受け入れてくれた=自分を好きになってくれたっていう勘違いからくる悲劇。いや喜劇。
今回のケースだと、告白した側、つまりお前がそうやっていろいろ努力するのは当たり前。
で、その努力に、多忙な彼女をそれでも受け入れるという努力があることに気づけ。
そもそもそんな彼女もひっくるめて好きだから告白したんじゃねーのかよ?
同棲なり結婚した後でも自分の思い通りにならなかったからといって相手を責めるタイプだろお前。
恋愛でもなんでもそうだけど、相手を変えようとすんな。
相手をそのまま受け入れろ。
それができないなら付き合うな。
合わなかったってことだ。
自分の思い通りにしたいとかはお前の思い上がりも甚だしい。
一個の人間を何だと思ってやがる。
お前みたいなのをモラハラ予備軍って言うんだよ。