はてなキーワード: 単科大学とは
当時自分が置かれていた状況とあまりにも似ていて、読んでて胸が痛くなった。
元増田を読んでたら居ても立っても居られなくなったので自分の経験を書こうと思う。
自分は10年ほど前、某国立理系単科大学のとある実験系研究室に所属する院生だった。自分もその分野の研究に興味があって研究室に入ったのだけど、指導教員が問題のある人だった。元増田の教員と同じように学生に対して「こんなんじゃ社会に出たとしてもやっていけない」と発言したり、お盆にも実家に帰省させず実験をするように学生に強要したりと、まさにアカハラ教員だった。でも多分元増田の指導教員の方がもっと酷い。当然自分含め学生たちは毎日深夜まで研究室で過ごしていたし、休日も大学に通うのが当たり前だった。
そんな状況の中過ごしていた自分は無事大学院入学半年ほどでメンタルを崩し、次第に自殺の二文字が頭にチラつくようになった。今となっては何であんなことで深く落ち込み悩んでいたのだろうと思うけど、社会に出て働いたことの無い人間が、自分より社会経験のありそうな人から「お前は社会に出ても使えない」と言われ続けられれば、そうなってしまうのも仕方ないよなと感じる。かくして自分のメンタルは順調に蝕まれ、結局朝、布団から起き上がれない状態までいってしまった。
そんな自分を救ってくれたのは旧Twitterだった。学生の頃の自分はツイ廃で、メンタルがやられていたのもあってぼーっとタイムラインを眺めることが多かった。インターネットにはいろいろな人がいて、自分と同じように過酷な研究室で過ごす人の愚痴だったり、そういう研究室で過ごしていた人の体験談などが書き込まれていた。特に自分の目を引いたのが大学院を中退して就職したという経験の書き込みで、そこに書かれていた「社会では案外なんとかやっていける」といった文章で自分の道が開けた。というかあの頃の自分は藁にも縋る思いで、あの地獄のような環境から抜け出せるのならばなんでも良かった。
大学院を辞めて就活しようと決心した次の日、両親にそのことを相談した。いきなり辞めるのではリスクが大きすぎるということになり、1年間大学院を休学することにした。学生課に休学届を提出し、指導教員に今日から研究室に行かないという旨のメールを出した日のことは今でも忘れられない。平日の真っ昼間に大学の外をふらついているという現実が信じられなくて、自分は自由になったんだという実感がなかなか得られなかった。それから1週間くらいは家でゲームをしたり、都内を観光したり、目一杯遊んで気分をリフレッシュした後、就活モードに切り替えた。
大学院を休学する前から就活のターゲットは決まっていた。公務員である。公務員の就活は新卒であるかどうかが関係なく、年齢の条件と公務員試験をクリアすれば採用される。自分みたいな人生のレールを脱線しかけていた人間にもリカバリが可能である。そして自分は試験に受かるために半年間ひたすら勉強した。1日何時間も勉強するのは大変だったけど、研究室に閉じ込められて夜遅くまで過ごしていた時と比べれば屁でもなかった。そして最終的には某地方自治体の試験に合格し、内定をいただき、大学院には休学期間終了後に退学届を出した。今も同じ職場で働いているけど、メンタルよわよわでどんくさい自覚がある自分でも仕事は続けられてる。
長々と自分語りをしてしまったけど、伝えたいことは、あなたの人生はこんなところで終わらせるべきではないということ。
あなたはまだ本格的に社会に出て仕事をした経験がないから、指導教員の言うことだけが正しいと思っているのかもしれないけど、結局その人もn=1にすぎない。
普通の組織は、あなたやあなたの指導教員が考えているほど厳しくない。
むしろ大学教員の方が人生のほとんどをアカデミックの世界で過ごしている訳で、そっちの方が「社会を知らない」のではと思う。
人生、辛いことがあったら落ち着くまで休んでもいいし、なんなら逃げ出しても構わないと思う。
自分は大学院中退からの就職(公務員)を選んだけど公務員の仕事内容は相当ブラック。それでもブラック研究室よりはマシだし、同僚や上司に恵まれれば(自分は運よく良い人たちに巡り合うことができた)やりがいを持って仕事をできる。多分これは民間企業に就職したとしても同じだと思う。
ただし中退もいいことばかりでは無い。大学院を中退したという事実は、周りは気にしないと言ってくれるけど、自分は就職後も長い期間負い目に感じていた。ある決断を下す前には慎重に考える必要があると思う。
他にも色々あるがさっと思いついたことなど
* サッカーのコーチがだいたい狂人だったので、狂人とのやりとりに慣れることができた
* 社会人になってから狂人とのやり取りが増えたのでここで得た耐性が大変役に立っている
* やる気がなかったので結局勉強せずに塾においてあった小説を読んでいた
* 先生もちょうどよく適当だったので、毎回 G ガンダムの話をしていた
* 先生から勉強する気がないのに大学に行くなら工学部がいいよ、という話を聞いたので、そうした
* やる気がないとなかなか難しかった
* 親に「必修落とした〜」と伝えたら、留年させてもらえた
* 卒論が終わったあと小遣いで 1 ヶ月くらい海外旅行に行った
* 「英語できなくても結構なんとかなるもんだな」と「英語できると結構いいことありそうだな」を学んだ
* 英語学習へのモチベーションは社会人になってからそれなりに役立っている気がする
* 前半は家でゴロゴロしていた
* 後半はなんとなくプログラミングに興味が湧いたので勉強したりちょっとしたゲームを作ったりしていた
* これでなんとなくプログラミングできるようになったので適当に就職活動をしたら、2 社目で受かったのでなんとなく就職した
あと、北海道における地方公務員のうち、一般行政部門に限って言うと1/3弱が北海道庁職員だけど、
北海道庁は上級じゃない職員もみんな転居必須の全道転勤をさせられる転勤族なんだよね
(教育部局や警察も転勤はあるけど、小中学校教員だと転勤の範囲が狭かったり、警察は転勤の範囲が他府県と比べて広いけど事情は大して変わらなかったりするから割愛)
ふつう地方公務員って転居がなくてずっと地元で働き続けられるから女性が働きやすいわけだけど、北海道庁は転勤があって国家公務員より給料が低くて勤務先は田舎が多いわけ
いまどき男性だって転勤は嫌がるけど、とりわけ女性からは人気がないわけ
九州の県職員には一般的に転勤はないんじゃないかな?(せいぜい長崎の離島勤務?)
他にも、北海道は平成の大合併を経ても179の市町村があって、うち8割が町村(九州だと町村は半分以下みたいだね)
ど田舎だと大卒者でも勤められるような比較的まともな勤め先が役場しかないとかざらにあるわけ
そうすると、一家庭から一人しか役場では雇わない慣習を持つ役場があって、職場結婚してどっちかが辞めさせられるときに女性が辞めさせられることが多いんだわ
クソだと思うし最近も続いているのかはわからないけど、少なくとも昭和にはあったし平成にも消えていなかった慣習だと思う
多分、採用においては女性の方が合格率は高いんじゃないかな……
大学進学率は、札幌近郊以外だと通わせる価値のある大学が実家から通える距離にない市町村の方が多いから、金銭的余裕がない家庭ではオートロックの住居とかでよりコストのかかる娘の進学より低コストの息子の進学を優先するっていう田舎共通の課題だよね
北海道内の国立の総合大学って北海道大学しかなくて、他は単科大学でまともな私大はない
そうすると、特に文系で進学したい子は上京するか京都大阪にでなきゃいけない
九州は国立の総合大学が8つも、その上各県にあるんだよね?状況がだいぶ違うよね……
だから、北海道は九州と違って特に男尊女卑的な文化がある土地ということはないけど、
前々から思っている。
中学校卒業後に3年間のベルーフスシューレ(Berufschule:職業学校)通いが義務付けられている州もあります。
ドイツの義務教育機関は、大きく分けてグルンドシューレ(Grundschule:基礎学校)とオーバーシューレ(Oberschule:上位学校)の2つに分類されます。グルンドシューレはすべての子供が同じように通う、いわば小学校にあたるもので、通学年数は短い州で4年間、長い州で6年間です。その後、成績や本人の進路希望によりギムナジウム(Gymnasium:中高一貫校)やレアールシューレ(Realschule:中学校)などのオーバーシューレで9〜13年生まで学びます。
続く高等教育機関には大学や専門学校がありますが、そういった機関で学ばない場合は、中学校卒業後に3年間のベルーフスシューレ(Berufschule:職業学校)通いが義務付けられている州もあります。
では具体的にどんな学校があり、どのような就学後の進路が考えられるのでしょうか?上述の通り、ドイツの学校システムは州によって異なるため、今回はバイエルン州の学校システムを例に紹介したいと思います。
全生徒共通のグルンドシューレ(Grundschule)を卒業すると、進路は3つに分かれます。進路を決めるものは、ほぼ成績です。成績が良い順からギムナジウム(Gymnasium)、レアールシューレ(Realschule)、ミッテルシューレ(Mittelschule)となります。ざっくり説明すると、義務教育後の将来的に、ギムナジウムは大学進学する子、レアールシューレは専門学校や職業学校で学ぶ子、ハウプトシューレは就職する子が進学するという感じです。
(1)ギムナジウム → 中高一貫校を修了後、卒業試験を経て大学進学
(2)レアールシューレ → 義務教育修了後に職業訓練を経て就職、あるいは専門学校を経て大学進学
(3)ミッテルシューレ → 義務教育修了後に就職、あるいは職業訓練
(2)レアールシューレ(Realschule)から(1)ギムナジウム(Gymnasium)など、途中で進路を変える道も開かれていますが、よほど成績が良くない限り難しいと言われています。ほぼ10歳で将来が決まってしまうと言われるのはこのためです。
【義務教育】 1〜4年生:グルンドシューレ(Grundschule) ※日本の小学校にあたる、全生徒共通の学校
- 進 路 の 分 か れ 道 ----------------------------
5〜10年生:ミッテルシューレ(Mittelschule)、レアールシューレ(Realschule) ※日本の中学校にあたる
5〜13年生:ギムナジウム(Gymnasium) ※日本の中学校と高校にあたる
- 進 路 の 分 か れ 道 ----------------------------
【それ以降の高等教育機会】
3年間:ベルーフスシューレ(Berufsschule im dualen System/Berufsfachschule:職業学校)
3年間:ファッシューレ(Fachakademie/Fachschule:専門学校)、ベルーフスオーバーシューレ(Berufliche Oberschule BOS/Berufliche Oberschule FOS:職業高等学校)
ギムナジウム修了後
4年間〜:ウニヴェルシテート(Universität:大学)
ミッテルシューレ(5〜9/10年生)は基礎的な学力を身に付けるための学校で、将来の就業に必要な知識などを中心に学びます。授業内容は職業・実務を重視したものになっています。修了後は即就職する道だけでなく、働きながら職業学校で学んだり、職業訓練(Ausbildung)を受けてより専門的な職業を目指すこともできます。
〜ミッテルシューレ修了後の進路〜
→ 就職
→ 職業訓練(Ausbildung)
レアールシューレ(5〜10年生)は、論理的思考を身に付け、幅広い職業を視野に入れて能力を磨くことを命題とした中間的レベルの学校です。修了後、職業に直結した専門学校や単科大学で学びを深めることを前提としており、成績によってはギムナジウムへの編入や、専門学校を経て総合大学進学も可能です。
→ 職業訓練専門学校(Fachschule über Berufsausbildung/Fachakademie über Berufsausbildung/Berufsoberschule über Berufsausbildung)
→ カレッジ(Kolleg)
ギムナジウム(Gymnasium)とは?
ギムナジウム(5〜13年生)は高等教育機関(大学)で学びを深めることを前提とした、日本の中学と高校にあたる学校です。幅広い教養と、アカデミックな研究につながる基礎知識・学力を身に付けることを命題としています。ギムナジウム修了試験(Abitur)の成績によって、進学できる大学や学部が決まります。
〜ギムナジウム修了後の進路〜
→ 総合大学(Universtät)
ドイツの就学時期
このように複雑なドイツの学校システム、何歳からスタートするのでしょうか?結論から言ってしまうと、明文化されたルールはありません。ドイツ在住の子供達が小学校に入学するのは、一般的に5歳(6歳になる年)〜6歳(7歳になる年)。少なくとも5歳以上であって、小学校の授業に付いていける能力が十分にあると判断されれば就学が可能なようです。特別な理由がなければ6歳になる年に就学するのが一般的ですが、ここ数年はコロナ禍で自宅学習やオンライン授業が増えたことに不安を持ち、就学を遅らせる家庭が以前より多くなったと言われています。
今回例に挙げたバイエルン州では、就学可能年齢になる約1年前(4〜5歳)に保健所(Gesundheitsreferat)から手紙が届き、専門医による就学前検診(Schul-Eingangs-Untersuchung、Gesundheitsuntersuchung zur Einschulung)で心身の発達をチェックして就学の可否を判断されます。ドイツは9月始業で、9月前後の誕生日の子供は日本でいう早生まれにあたるため(バイエルン州では7月1日から9月30日まで)、検診結果や親の希望、小学校や幼稚園からのアドバイスによっては就学を1年遅らせる(7歳になる年に就学する)という選択も取れるようになっています。
中学、高校卒業後に職業訓練校に通えるのは本当に良いことだと思う。
学校の勉強ができなくても、違う視点から同じ様な事を学ぶことができる。
中学生くらいになると、自分は実は男なのかも知れないと思うようになった。当時読んだレベルEというマンガで、一見女性に見えても実は男性というケースがありうると知ったからだ。
当時はたまに自称が「俺」になることがあった程度には倒錯していた。
高校生くらいになると俺呼びは収まり、それ以降の人生は普通に私呼びで過ごすことになる。
大学はほぼ男子校と言える理系単科大学に進学した。人生初の彼氏もできた。この辺りで、私は普通に女だな、という結論が見えた。
ただし、ネット上ではネナベをやっていた。けれど昔のインターネットは男のふりをしないと普通に話ができない空間だったから、それは自分の中ではノーカンだ。
しかし、大学を卒業してから不景気だったのもあり女ばかりの職場でパートをすることになったが、そこでも先輩方から「あなたは考え方が男だ」と言われ続けた。
だが、最終的に男性と結婚して子どもも産み、兼業主婦をやっている。
ここに落ち着いたからこそ断言できるが、今の時代に思春期をやらずに済んで、本当に良かったと思っている。昭和生まれでよかった。
もし今中学生だったら、きっと自分はトランスセクシャルだと思い込んでいただろう。場合によっては、周囲に「あの子はトランスセクシャルだ」などというラベルをつけられていたかも知れない。
実際は思春期の気の迷いであり、俺呼びもただ痛い俺女だったという黒歴史であるだけだ。
でも、当時はそんなことなど絶対に分からないのだから、きっと自分は本当は男なのだと思い、場合によってはホルモン治療などにも手を出したかも知れない。
そうなったら、一体どんな人生を歩んでいただろうか。
楽天的な私のことだから、それでも結構幸せな人生を歩んだかも知れない。
実際、今の世の中はトランスに寛容であろうとし始めている。理論的には、きっとその方がいい時代だ。
けれども、私たちは気をつけなければならない。思春期に揺れる子どもの性自認をあくまで見守るように。
TVアニメの「久保さんは僕を許さない」という作品を見た。コロナの影響で第6話を区切りに続きは来期となるらしい。ここまでの流れ、恋愛もののアニメが好きな自分は、もうのたうち回るほど続きが見たいという状態。それであるから続きが見られないのがあまりにも辛かった。ので、3話位の段階でまとめ買いをしていた原作を、6話終了と同時に一気に読み進めた。
多少のネタバレをお許し願いたい。
これは間違いなく自分の中で恋愛もの作品の上位に入ってくる素晴らしい作品だった。そこかしこで出てくる「その感情に"恋"と名が付く2歩手前」という文句がまさにぴったりだ。自分の感情に自覚していない白石くんと久保さんの掛け合いが大変微笑ましく、もどかしい。お互いがお互いを知ることによって芽生える感情。感情に気付かぬまま、白石くんは優しさ、あたたかさ、無償の愛を久保さんに与え、久保さんはそれを受けて更に感情を震わせ、思いを昂らせる。そして優しさ、あたたかさ、無償の愛を与え返す。なんとあたたかい光景なのだろうか…。
そしてなにが良いって、周りのあたたかい目で見守ってひっぱって支えてくれる友達。葉月、たま、須藤。本当に素敵な友人だよ…。みんなが皆優しくて、白石久保ペアのことを支えていて。今まで「当たり前」の学生生活を送ることが出来なかった白石くんに初めてをたくさん経験させてあげる4人の構図は、目頭が熱くなる。林間学校の写真のシーンは泣いた。
他にも明菜さんや沙貴、白石母や誠太。みんなが優しい。このハートフルな人達に囲まれて、白石くんは幸せ者やな……。
この作品の目玉のひとつとして、表紙裏に隠れたポエムがある。私はなんだかんだでこういったものが好きなので毎巻の楽しみになっていた。刺さったものはいくつかあるが、その中で最も刺さったのは2巻の表紙裏……ではなく、目次にあったポエムである。
10年後の私へ
あなたは
誰のとなりで
笑っていますか
幸せですか
これを見て、30分くらい頭を抱えた。
これをみたどこかの誰か、本当に良い作品だから見て欲しい。何かのご縁でここに流れ着いた作品の関係者の方が見ていらっしゃったら、心からのお礼を伝えたい。素敵な作品に出会わせてくれてありがとうございました。心に残った、素晴らしい作品でした。
と、ここまでの感想を書くならば、わざわざ匿名にしない。私も匿名でない、こういった感想を綴るブログはある。
何故匿名にしたかというと、この作品を見たことによって、自分の心の中のモヤモヤをデトックスしておきたいと思ったからだ。回りくどい言い方を避けると誰にも言えてない自分語りをしてスッキリしたい。こういった作品を読むと、満足感と同時にどうしても思い悩んでしまう(もちろん、作品はなんにも悪くない)。それは過去のトラウマ、トラウマ、トラウマが蘇ってしまうからなのかもしれない。よく考えたら、断片的な話を友人に話してきたつもりかもしれないが、所々は私の脳内にしまったままになっているかもしれない。それを解放したい。そして、これを読み進めてくれた誰かに笑って欲しい。それだけで報われる気がする。
私は北関東に在住する20代前半のしがない会社員である。東京の親元を離れ2年ほど、東京とは打って変わったクソ田舎で過ごしている。
恋愛もの作品が好きだが、所謂オタクの私には恋愛のれの字もない。正直とっくに諦めている。というか、過去のトラウマでやろうと思ってもできない。だからこそ、恋愛ものの作品を見て、幸せそうな男女の関係を見て満たされるのが最近ハマっているのだろう。私は恋愛ができない。
小学生の時も中学生の時も、いっちょ前に好きな子はいた。その中でも一緒に帰ったり、一緒に勉強したり、遊びに行ったりした仲になった子もいた。しかし、それ以上の関係になることは無かったし、それ以上の関係があることも中学3年くらいまで知らなかった。知った時には遅かった。何をすれば良いか。告白ってなんなのか。伝えさきはどうすれば良いのか。わからなかった。そうして、何も伝えぬまま、中学を卒業して、都内の男子校に進学した。
Twitterでたまたま中学最後に好きになった子を見かけた。今思うとかなりの気持ち悪い行動だと思うが、フォローしてDMを送った。返ってきた。当時スマホを持っていなかったので、ガラケーのメアドを交換して、やり取りが続いた。そして、次第に疎遠になった。何をすれば良いのか、わからなかった。気付いたら、関係がなくなっていた。
高校で理系を選択した私は、理系単科大学に進学した。もはやもう恋愛なんてものは程遠い所に行ってしまった。と思っていた。大学1年も終わりの頃、旧友の女子に会った。3年間男子校に通い、オタクを加速させ、見た目も中身も向上させる意欲を失った自分の前に現れたのは、人違いか?と思うほどに変わった友人の姿だった。元々メンタルは強い人間ではなかったが、その日を境に完全にメンタルが弱ってしまった。
「変わらないね」
その何気ない一言には、私を地の底に叩きつけるには十分すぎる威力を孕んでいた。
不思議なもので、メンタルが死んでいるのにそこから何度も会うことになった。麻薬の様なものか、会っている時間だけそれを忘れ、それ以外の時間はもがき苦しんでいた。気付けば、体重は激減し、メンタルは底。なのに自分は人生で初めての告白をした。もちろんダメだった。
分かっていたことなのに、メンタルはやられた。アホ。二度と自分からは言わないと心に誓った。未だにトラウマになって、思い出すと体がビクッとして過呼吸になりかける。
すり減らすメンタルもなくなり、動機が不純過ぎるがカウンセリングを受けた。初回は人生でトップクラスに泣いた。自分が嫌だった。自分が許せなかった。でも、甘やかして勘違いをする自分がいた。それも許せなかった。気付けば、自分の最後の味方である自分を殺していた。
でも、カウンセリングを受けるうちに、自分が許せなくて目を向けていなかった、自分の良いところに気づけた。自分は自分が思う程に悪い人間では無いのかもしれない、と少し思った。それからは少し気が楽な状態で、恋愛のことも忘れ、自分の楽しいことを楽しむ余裕が出来た。恋愛なんてするもんかと思っていたし、する状況にないと思えばより軽くなった。大学3年はそれは楽しい一年だった。
4年になるとコロナ禍になった。部屋でアニメを見て、たまに研究をして、マイペースに過ごせた。オタクのイベントが無くなるのは辛かったが、バイトもなく、悠々な生活をしていた。
していたはずだった。メンタルも平和なはずだった。そんな矢先にバイトが復活した。
世のみんな、巣ごもり生活で人に飢えていたのだろう。ある人物に見つかってしまった。それはバイト先の人間で、今まではあまり話してこなかった同い年のやつだ。
誓は破られた。これが人生初めての「彼女」という存在になった。
ぎこちないながらも遅れた青春を味わっているつもりになっていた。色んなところに行った。しかし怖くて最初に自分から相手に触れることはなかった。
楽しんでいるつもりだった。ドキドキしているつもりだった。でも自分のメンタルは何故か過去最高に落ちていった。
望んでいたキラキラな青春を遅れながらも歩いていたつもりが、何故か自分にとっては茨の道になっていた。何故かわからなかった。それくらいからだろうか。大学に行く朝、自分は線路を見つめることが増えた。
2ヶ月後、漫画のような展開になっていることがわかった。所謂NTRてやつだ。取った本人から暴露されたが、さすがに足が震えた。でも分からない。笑いが止まらなかった。なんか安心感すら覚えた。やっぱりね、という感情か。自分には釣り合わない相手だと思っていたからか。わからない。でもすごく納得してしまった自分がいた。
半ばお前が悪いと言わんばかりに別れを告げられた。何か枷が取れた感覚になった。写真も消した。連絡先はブロックした。バイトは既に抜け出して辞めている。思い出の品は即捨てた。友人と乾杯をした。酒を笑って飲んだ。話をネタにした。涙は出なかった。ここ数年で1番メンタルが良好になった。自由になった。自分を慰めた。自分をもっと好きな自分になる為に、少しずつ努力した。
もっと早い段階で気付くべきだった。自分は誰かとそういう関係になることは出来なかったのだ。ここは漫画の世界では無い。
だからか、自分は恋愛ものの作品を好むのは。自分が好きになる作品には悪い人間は出てこない。皆優しい。主人公たちは幸せになる。
この世界は汚い。これだけ理性的な動物が思慮のひとつも無く本能に走るのが見ていてキレ散らかしそうになる。それが無いのだ、好きな作品には。動物的ではなく人間的な関係で話が進む。自己の本能よりも他人の心を大事にしている。現実もそんな世界であって欲しいのに。
恋愛もの作品の世界はいつまでもカレイドスコープのようなキラキラ世界でいて欲しい。私はそれのレンズを覗き続け、キラキラな世界を見たまま、周りの荒野を再び見ることなく、幸せな気持ちで死んでいきたい。
何を書いているんだかわからなくなった。
どうなっていくのかについては言及されても、何故合併するのかについての言及が少ないような気がしたので書いてみる。先に言っておくが、これから先に書くことに明確な根拠はない。最近の国の方針から俺が独自に推測しただけだ。
少子化に伴って大学も学生の獲得に躍起になってる。その対策として大学の統合は有効な手段だ。ただ、東工大も医科歯科大も超人気大学で少なくとも今後100年は安泰と言って良い大学だろう。
では、なぜ今回統合したのか。まず前提となる知識として、あまり知られていないが東工大、医科歯科大どちらにもリベラルアーツや教養部という名で文系の学問をする部門がある。当然だがそこには人文系や社会科学系を専門とする教員が在籍し教授の役職についてる人もいる。
そして今回の統合はこの教養科目の負担を減らすためではないだろうか?
今の日本は「選択と集中」という政策をとっており、その中で理系は優遇されやすく、文系は待遇が悪くなる場合が多い。そして東工大も医科歯科大も理系の単科大学であり、自分の大学内の文系の学問に対してあまり期待していないのだろう。ここの負担を減らすために今回統合に踏み切ったのではないかと俺は考えてる。
加えて、医科歯科大に関しての話をすると、医学を学ぶのに必要な自然科学の知識は実はかなり限定的だ。例えば医学を学ぶのに数学はいらない(医学部に入るのにほぼ必須なので実際の医者はほとんど数学できるけど)。この辺の医学には不要な自然科学系の教養科目の負担を東工大に任せられるのは願ったり叶ったりだろう。
東工大に関してはあまり詳しくないが生命理工あたりは医学部の知見を生かす機会があるのではないだろうか?
今回の統合は両大学にとって傍流でしかない文系科目を共有することで負担を減らし、それぞれの強みを合わせることでさらなる飛躍を遂げることになるだろう。
まず東工大生は医療費の負担が減る可能性がある。医学部のある大学は医療費補助があることが多く東工大もこの恩恵を受けられる可能性が高い。
次に医科歯科大生はあんまり変わらないように思う。強いて言うなら東工大の第二外国語にロシア語があるのでこれが選択出来るようになるかもしれない。
そして東工大、医科歯科大の教授はは変わらないのではないかと思う。ただし、医科歯科大生用の教養科目を東工大の教授が担当することになるかもしれない。
最後に、一番被害を受けるのが教養科目の教授らだろう。確実に予算が減らされる。東工大と医科歯科大の教養科目の予算の合計より合併後の大学で与えられる予算が多いことはまず間違いなくありえない。さらに授業が統合されることで非常勤の仕事は減るので、この辺の立場の人は今頃戦々恐々としているだろう。
最後に簡単にまとめると俺は今回の統合を理系分野を強くしつつ、文系分野を弱体化させる政策だと思ってる。個人的には東工大や医科歯科大は理系分野に集中してもらって、文系分野の研究はそれこそ一橋あたりにでもやらせておけば良いと思ってる。(余談だが一橋にも自然科学を専門とする教授がいるが、これも正直いらないと思ってる)
とはいえICUでも卒業研究は必須単位だったけども。教養学部単科大だけど、卒業年次にはメジャーと研究室を選ぶ必要がある。(しかも卒論は原則英語で書くルール。。)今は違うかな?200x年卒。
大学での学びの集大成として、ヒーヒー言いつつそれなり真面目に卒研やってる学生が多かった印象。科学者コミュニティの仕組み、論文執筆、ピア・レビューの意義について教養科目や2年次必修の英語小論文執筆を通じて学んできている。元増田みたいに軽んじる学生はあまり見なかった。
いうて文系メジャー含めても15%超が国内外の大学院に進学するので(理系だけなら体感7割)(文系でも国際機関志望とかだと修士ないと話にならん)、就職予備校的に例に挙げられると実態と齟齬があるってことで。
んふふ
二人で遊ぶの楽しかったなぁ
あそこって女子比率くそ低いからさ、ブラック研究室系分野の修士となればなおさらでさ、まあ選択肢がないよね
今は新生活が楽しいからそういうことをする気にはならないけど、
すっごい上から目線で言うと、
ゆっくり丁寧に仕留めてくれれば仕留められる気がするので、うまいこと仕留めてください
焦らないでね
おみくじにも焦るなって書いてあったでしょう
付き合う前は目をかっぴらいてと書いてあったのでね、安直な判断はしたくない今日このごろです、
いいところ
·とにかく育ちがいい
気になるところ
·私の性癖的には白くて細い人が好きを公言しており、当てはまらない点
·正直まだ価値観とか深い話はしていない点
まあね、こういうのはね、期待感だけ味わって楽しみにするのが賢い使い方ですかね
いい友人にしたいな
いい友人にしたい
私ならできる
人口20万程度の衰退気味の地方都市で生まれ育ち、地域で3番手くらいの進学校を経由して地方の国立大学(あまりレベルは高くない)を出て、地元の市役所に技師として採用され20年あまりが過ぎた。おかげで、ありがたいことに無難な人生を過ごしている。
昔の同級生で非正規労働者がいる。努力が報われなかったのであればやむを得ないこともあるだろう。だがこいつは名前を書けば入学できるような五流の私立高校を卒業したあとバイトで生活し、結果40過ぎても非正規労働者で、酒の席の話題と言えば「洋楽を聞いている俺すごいでしょwwww」という中学生みたいな自慢話くらいのもの。それだけならまだしも、その場にいた友人のアイドル趣味を「理解できねえ」とこき下ろしたり、自分よりも学歴の高い相手をバカ扱いしてマウントを取ろうと必死な姿がムカつくを通り越して痛々しくすらある。他人を見下さないと自尊心が維持できないのだろう。こういう奴「闇金ウシジマくん」で見たような気がする。
自分もこいつにターゲットにされたことがあるが、出席者の中には駅弁大学はもちろん、旧帝大卒もうちの地元からじゃなかなか合格者が出ないような有名私大卒もいるのである。国立とはいえ地方のケチな単科大学卒業者だけを目標にするあたり実に志が低い。おまけに「俺らの税金で食ってるんだから奢れ。還元しろ」ときた。最近の乞食は態度がでかいなあ。累進課税って知ってるか?どうせ知らないだろ。断言するけど、お前より俺のほうが多く税金払ってるよ。俺をバカにするくらい優秀なら、バカでも受かる大学を出てバカでも入れる役所に入りゃよかっただろうに、何故そうしなかった?お前はバカ以下か。
他の友人の証言によると、帰省したときにばったり出くわしてお決まりの挨拶を交わしたあと「で、いま年収いくら?」久々に会った同級生に対する言葉がそれかよ。
あのなあ、こっちは(というか俺達は)今のポジションを獲得するためにそれなりの対価を払ったんだよ。お前が漫画読んだりゲームやったり大好きな洋楽聞いたり女と乳繰り合ってる間に、こっちは自分なりに努力して今の位置にいるんだ。
人は学歴じゃないって言うけど、お前のことじゃないよ。お前と同じくらいの成績で同じ高校を卒業したあいつ、地元企業で部長だってさ。お前と同じ町内で育ったあいつも、中卒で就職してから頑張って、専業主婦の奥さんと子供2人養いながら家のローン払うのきついって苦笑いしてたぞ。みんな俺よりずっと偉いよ。で、お前は何やってたんだ?
もし努力が報われなかったのなら同情してやらんこともないが、技術も才能もない奴がそれを補う努力もせずに総取りできるほど人生は甘くない。「トレインスポッティング」みたいな一発逆転なんて現実にはないんだよ。
一つ下の後輩のことが好きになってしまったらしい。
後輩とは入社直後の歓迎会で少し話して以来、しばらくは顔と名前だけ知っているという状況が続いていたが、最近になって近い席に移動したことに伴って事務的なやりとりを行うことが多くなった。
最初のうちは「雰囲気良いし仕事できるしいい子だなあ」と思うくらいだったが、しばらく関わっていくうちになんだか気になり始めてきて、最近になって自分はあの子のことが好きなんだなと自覚してしまった。
自覚してしまってからは大変で、日中仕事中も家に帰ってからも後輩のことばかり考えている。
しかし、今まで高校大学とほぼ男子校のような環境で育ってきた自分にとって、まず女の子とお友達になることがすでに難関である。学生時代も好きになった女の子がいたことはいたが、好きになる→告白するといういくつもの段階をすっ飛ばした行動しかできず全て玉砕した。
社会人になり、周りから「まずは友達から始めるもの」と言われてやっと恋愛には段階があるというのはわかったが、そのやり方がわからない。最初は一緒に遊びにいくことから始めるらしいが、
「今度の休み、一緒に〇〇行かない?」とかどういう文脈で発する話題なの!?!?!?
こんなパッとしない男から誘われても「うわっ…」ってなるだけだよね!?!?
もう何もわからない。
現在、大学生時代に青春をアニメやゲームやその他様々な趣味に捧げたことを激しく後悔している。
今日まで出張でとある有名な観光地に行ってて、「この素晴らしい景色を見たことで湧き起こる感動を後輩と共有できたらどんなに素晴らしいことか」とか考えていたけど、帰宅後急に我にかえって虚しい気持ちになったので、気を落ち着かせるためにこの文章を書いている。
できれば何か行動を起こして業務のみの関係からお友達同士になりたいが、一体どうすればいいんだ。
書かなきゃいけない気がしたので書く。
1年目 入学
2年目 留年確定
3年目
4年目 休学(1年間)
5年目 復学
6年目
7年目 卒業
9年目 就職
今 生きてる
周囲がウェイウェイガヤガヤしている中で自分が孤立しているのは確かに辛い。
だが周囲をもっと注意深く見回してみろ。孤立してる奴はお前だけじゃないはずだ。必ずいる。お前が孤立しているように俺も孤立していた。ぼっちは遍在する。お前はぼっちかもしれないが、一人ではない。
だから何だと思うかもしれないが、「一人ではない」ということは「同じような悩みを抱えた奴も一人どころではない」ということだ。それはつまり「相談窓口がある」ということだ。
構内のビラ、掲示板、大学のウェブサイト…注意深く見てみろ。「相談室」「保健センター」「保健室」そういう類のワードだ。大抵の大学にはこういうサポートが存在する。
この手の窓口はまず間違いなく無料だ。たっぷり時間をかけてカウンセラーと話せ。気後れするかもしれないが、安くない学費を払ってるのだからそれくらいやってもらわないと困る。主に俺のような奴が。
ところで、カウンセリングは全てを解決しない。だがカウンセリングを、他者との会話を通じて見えてくるものはある。例えば「自分が何を辛いと思うのか」だ。漠然と「辛い」と思うより具体的に「◎◎が辛い」と掘り下げた方が対処しやすい。
例えば「ぼっちなのが辛い」にもいろいろあって、「ぼっちであることで不利益を被るのが辛い」と「ぼっちであること自体が辛い」とではそこそこ違いがある。
前者を更に掘り下げると「休んだ回のノートを借りられない」とか「試験の情報共有ができない」とかだ。ここまで具体的な事象に落とし込めばぐっと対策が立てやすくなる。例えば「教員に参考文献を聞いて自学自習する」「オフィスアワーに教員に直接聞きに行く」「ネットの掲示板やTwitterで検索する(大規模な大学・学部であれば有効)」などだ。教員は友人ではないが、基本的に味方だ。
後者の場合は少々厄介だが、手がないわけではない。人間は本質的に孤独だが、他者との交流を持つことで孤独感を和らげる生き物だ。ならば他者との接点を増やして交流への足掛かりを築こう。
大学2年生であれば他者との接点は「講義」「アルバイト」「ゼミ・研究室(3年次からが多い)」「サークル」「SNS」「学外のコミュニティ」が主軸になるだろう。前2つについては申し訳ないがアドバイスできることが殆どない。何故なら奏功しなかったからだ。これは俺の限界でもあるが、自分の限界を認識しその範疇でできることをやることも大切だ(自己弁護)。
ゼミ・研究室についてだが、増田が今2年生ということは学部・専攻によってはゼミや研究室の話が出てくる頃合いだと思う。少人数ゆえに距離は近いが、同期や先輩との相性に加えて指導教員との相性もあるので、合わない人は合わない。中には一生ものの友人と出会う人もいるが、合わなければさっさと割り切っていくしかない。自分は後者だった。あっ、これも奏功してないな?
サークルについてだが、それなりの規模の総合大学であれば「サークルリセマラ」が利く。都市部であればインカレサークルもありだろう。なんとなく興味を持ったサークルにふらっと寄って、なんとなく雰囲気が合うなとか、話しやすい人が多いなとか思ったら残り、そうでなければフェードアウトする。新参が一人来なくなったところで誰も気にかけないので、こちらも気にしないことだ。コミュニケーション能力を高めるより、自分のコミュニケーション能力でも溶け込めるサークルを探した方が話が早い。相性もある。あとは試行回数。
自分語りで恐縮だが、俺が大学生活で最も長く在籍したサークルは2年生になってから入ったところだった。集まることは集まるが、互いにさほど深入りしすぎず、孤独とゆるく付き合っているような人が多かったのが俺には合ってたのかもしれない。休学中もサークルには時折立ち寄るなど、サークルの存在は立ち直る上で非常に大きかった。
何が言いたいかというと、一つで十分なのだ。何か一つ自分の居場所を確保するだけでかなり違うということだ。俺は講義でもゼミでも孤立していて、教室の前まで来たのにどうしても入れずにそのまま帰ったり、アルバイト募集に電話をかけられず断念したり、そういう学生生活を送ってきたわけだが、サークルの片隅に居場所ができたおかげでなんとか致命傷で済んだ。
しかし、例えば増田が地方の単科大学に在学中だとしたらサークルリセマラはちょっと難易度が上がる。学生数が少ないとサークルの数も少ないからだ。そこで「SNS」「学外コミュニティ」も有力な接点となってくる。今はインターネットで同好の士を探しやすい。自分の学生時代はmixi全盛期でクローズドなコミュニティが多く辛かったが、今主流のTwitterはとてもオープンだ。何より大学の外の人たちは自分の視野を大きく広げてくれる。視野とはつまり「なんとかなる」という感覚だ。
大学というある種閉じた場所で孤独と向き合うばかりだと、周囲とのギャップで自分がひたすら惨めに思えてくるものだ。だが世の中には孤独とうまいこと付き合いながらそれなりに楽しくやってる人たちが実は沢山いる。サークルやSNSや学外コミュニティでそういう人たちと出会うことで孤独に耐え得る価値観を知ること、そして「孤独でも案外なんとかなるんだ」という感覚を知ること、それがつまり「視野の広がり」なのだと俺は思っている。価値観は柱だ。柱は多い方が頑丈なのだ。
これは鬱の初期症状の可能性があるので早めにカウンセリングや心療内科の受診が望ましい。上述した通りまずは学内カウンセラーに相談の上で受診を検討した方がよいだろう。
休学についてだが、積極的にはおすすめしない。休学は基本的に「問題の一時的な凍結」でしかないからだ。それでも心身が休養を要するのであれば一つの選択肢になり得る。ただし、カウンセラーや医師や家族と相談して慎重に決めるべきだと思う。例えぼっちでも学業面に問題がないのであれば休学しないに越したことはない。
俺が休学を決断したのは自宅から出られず引きこもる日が増えた頃だった。学業や生活に支障をきたすようになったら一つの目安かもしれない。だがいずれにせよ、自分一人で決めるべきではないというのは間違いないだろう。
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いまいちまとまっておらず乱文乱筆で申し訳ない。一連の話はあくまで自分の生存バイアスを通したものでしかないのも重々承知している。人にはそれぞれの地獄がある。ある人にとっては何てことなくこなせることでもまたある人にとっては地獄の苦しみだったりする。
だからここに書いたことが全てお前のためになるかは分からないし、保証もできない。何故なら俺はお前ではないし、お前も俺ではないからだ。
小学校のときはいじめられて4年生以降はずっと不登校で保健室ばっかり行っていた。
それを見かねた親が自宅学習してくれたおかげで、中高一貫の男子校に行かせてくれた。
大学は上京して理系の単科大学へ進む。岡とか台とかにキャンパスがあるところで修士まで行った。
もちろんこの間女性と関わることなんてまずない。所属サークルもヲタ系のサークルで女子部員は一人もいなかった。学科にも研究室にも一人もいない。強いて言うなら事務のおばちゃんと事務的な会話をするくらい。
サークルの部員や学科研究室の人たちと飲み会に行くことはしばしばあったが、女性の話をすることなんて一度もなかった。てか知り合いに彼女がいるって話を聞いたことがない。
大学卒業後はWeb系のエンジニア職に就職する。職場に女性は事務職の人しかいなかった。
ここで初めて女性と関わりがなかったことがどれだけヤバイことかに気づく。
自分の状況見かねた先輩が女の子を紹介してくれた。カフェに行って雑談しようとしたが、まず話すことができない。技術系の話題しかわからないし、女の子と一緒にいるだけで緊張で悪寒がしてしまい、わずか20分で解散する。
去年祖母が亡くなった。その祖母にとって最も年長の孫だった俺は、死に目には会えたがそのときに「ひ孫の顔が見たかった」とぼやかれる。そのせいで、葬式中に親戚にめっちゃ叩かれ、費用は親戚持ちで某大手の結婚相談所へ入ることになる。
しかし、自分からアプローチするということがことごとくめんどくさくて、会話のやり取りを一通するだけで終わるということがしばしば。コーディネーターの方が女性を紹介してくれるが案の定何も話せずに終わり、後日お断りと言う流れが計6回。
一年経って何も成果が出ないため、この度退会させていただくことになった。
ぶっちゃけ年収は同世代平均よりもかなり高いし、身長もそこそこある。デブでもハゲでもないしジム通いを今でもやってるから、身なりを整えて自分からアプローチができればなんとかなると思う。しかし、いかんせん今まで女性と事務的事象以外で関わったことが全くないため会話すらままならない。
周りを見ているとチラホラ結婚し始めていたり、学生時代同じく女性と関わってなかったオタサーの同期すら結婚する人が続出している。そのため、結婚に関してはだいぶ焦っているが、何をすればこの苦手を克服できるのだろうか。