はてなキーワード: 兄弟とは
私は人生の中で、周りが女の人ばかりの社会でずっと生きてきている。
女兄弟しかいないし、部活は吹奏楽部だったし、仕事は女性向けの商品を扱う会社で働いている。
当然、友達は男より女の方が圧倒的に多い。
その周りにいる女友達を統計的に考えると、クズ男に引っ掛かっている女がめちゃくちゃいる。
「私、なんでクズ男ばかり付き合っちゃうんだろ」と自覚していながら前進するつもりもない悩みを抱えているバカ女が一定数いる。
だから「”なぜ”バカ女はクズ男ばかり付き合ってしまうのか」を個人的主観のみで色々と考えてみたので、備忘録用にここに書いておく。
まず、個人的な感覚としてバカ女は総じて「可哀想に見える」ことが特徴だと感じる。
どんな理由であれ、オーラや話し方で「この女は可哀想に見える」と思われてしまう女は、基本的にバカ女だと感じる。
これを前提として、バカ女に近寄ってくる3種類の男(全員がクズ男では無い)を挙げてみる。
これはもう完全にクズ男。
幸せの定義を「お互いが好き同士で、ある程度付き合って、結婚する」とするならば
ヤリ捨てポイするセフレ男、もしくは「ずっと好きだよ」と甘い言葉で誘ってくる既婚者の2パターンがほとんどだ。
これはクズ男ではない。
ただ、バカ女はこういう同じ種類の男とは仲良くなれない。仲良くしたくないのだ。
いわゆる弱者男性で、金もなけりゃ見た目も悪く、性格も捻くれている。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、バカ女は自分の境遇や見た目や考え方を棚に挙げて、同じ可哀想な男を”気持ち悪い”と判断をする。
これもクズ男ではない。
いわゆる理解のある彼くんで、一見「優しい男なら良いではないか」と思いがちだがこれはイケメンに限った話なのだ。
そうなると市場にいるのは優しい性格のブス男しか余っていないのだ。
こうなると「黙って妥協して優しい性格のブスでいいじゃん」と言いたくなるが、ここであの”ヤリチン男”が効いてくるのだ。
そうなると「なぜ、イケメンにもモテる私が、優しいだけしか取り柄がないブスと付き合わないといけないんだ」という思考になる。
ただ、そのイケメンヤリチン男は、可哀想な女とは付き合いたくないし、生涯を共にしたいとは微塵にも思っていない。
だって、どうせ付き合うならもっと可愛くてお金を持って安定している人がいいんだから。
これによって「可哀想な女」は他の種類の男には魅力を感じず、クズ男に振り回されながら1人で孤独に死んでいく”バカ女”になってしまうのだ。
ちょっと前に母親をガンで亡くしたけれども、そんな俺と比べるとあなたは満点だと思う。
俺は忙しく貧乏で母親の要望を何も叶えられる力もなく、兄弟には連絡は取ったがその兄弟達も会いに来れる距離ではなかったし、
母親の手料理を食えたり、母親が行きたがっていた場所に連れて行けたり、母親が見たがっていたものを現代の利器を使って見せられたり、母親の過去を穏やかに話し合うことができたり、そういう行動を取れて、それを母親が受け入れてくれていたのはとてもすごいことだと思う。
俺はあなたと同じ現代に生きていたのに、その選択を取れなかった。取らなかったとも言える、取ることもできたはずだけど、取った時にケチが付くのが嫌だったのもある。それが純粋な後悔になると知ったのは母親がカラカラの骨になってからだったけど。
だから、俺はそうやって万全に送れたあなたが羨ましいし、だけどそれを明言することで俺の別れとあなたの別れは違うものだという意識を持ちたい。
少なくとも、そんなあなたを羨ましいと思っているということは、俺はあなたのことをすごい人だと思っているんだろう。
だからこそ、この度のことはお悔やみ申し上げる。
そして、家族のことを思っての行動をよくぞやり遂げました。
恋愛する人・セックスで情を深められる人(他人に向ける性愛がフツーにある人)は、
恋愛やセックスを必要としない人(他人に向ける性愛が無い人)とはどんな人かな?ってなると思うが、タイトルの通り
発達障害にありがちな相貌失認でそもそも人の見分けが男女の区別からして曖昧なので、
芸能人や同級生・先輩後輩の推しなんぞできるわけもなく(どれも一緒に見えて興味が持てない・区別が付かない)、
かなり早い段階、自分の場合は中学入学時にアセクシャル・デミセクシャルだと気づいた
大学を卒業・アラサーになる間際になってから自称する人多いけど、
大学を卒業・アラサーになる間際まで好きな芸能人・同級生・先輩後輩の話をしないってありえないので、
微塵も興味ないって自分はフツーじゃないんだな・・・って早々に自覚すると思うんですよね
ディスグラフィアだったり、スキップ出来なかったり、時間感覚死んでたり、人の見分けが曖昧だったり、
発達障害の特徴ありまくりだったけど、アセクシャルを自覚する方がずっと早かったぞ
あと他人に対して性的欲求のみチャネルを閉じているのではなく、他人のすべての部分に対して興味・愛着が無い/薄い
無差別に人に対する興味・愛着が薄く、親兄弟親戚友人にすら『お前は情がない』的なことを言われてしまう
他人と比べたら愛着と共感性がだいぶ薄いのかも知れないが、喜怒哀楽と快・不快は有しているし、自分なりに誰かを大事に思うことはあるので、極めて遺憾である
自分的には大事なので、相手から指摘を受けたら今後は相手が傷つかないように適宜修正はしているが、だいぶ常人への道のりは遠い
あと、トランスの人や女装家も髭さえしっかりと処理されていれば、パス度が低い=多くの人には男に見える状態でも、女だと誤認するし(男女の区別を髭と服装でしてる)、
同級生もプライベートで一緒に旅行とか行ったヤツすら顔も名前も覚えていないし、同僚も会社を辞めたら秒で名前も特徴も忘れるので、
名前を覚えていて特徴も覚えている、つまり個体認識があるのは、自分にとってかなりの特別枠というか家族枠だ
特別枠(家族枠)とは社会人になってからも月1〜3回は遊ぶし15年以上の付き合いである
その特別枠(家族枠)との関係を恋愛・性愛の関係にくらべたら〜みたいな表現をされるのは非常に不愉快
おわり
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2100273
以前にもあったが、トロッコ問題が話題になると雑な難癖付けたり知った顔で無知なコメントつける輩が多すぎる。
ブクマカにまともな意見を求めるのがおかしいといえばそれまでだが。
ちなみに手術の話は近い状況が現実に起きていて、
「治療すれば助かる、健康な臓器を持つ新規入院患者」と「臓器の移植を待つ、すぐに臓器移植すれば生きられる複数の患者」がいて、
「新規入院患者の治療を失敗したことにして見殺しにすれば移植をして5人を助けられるし、失敗したことについて書類等をそろえて責任を問われない状況にすることも現実的に可能」な場合に、
「職業倫理上意図的に患者を治療しないことは許されないが、とはいえ1人を活かすことは臓器移植で生きられる患者を見殺しにしていることになるのではないか」と悩んだ医師は実際に存在するし、
「仮定の問題」とか「そういう判断を迫ること自体がおかしい」というような人は、たまたまそういう状況に直面せずに生きられているか、そういう状況に気づかず無意識に選択して生きているに過ぎない。
その無意識の部分を考えるための「思考実験」という言葉の意味を理解できていない。
「家族」とか「それぞれの余命」とかっていう条件を出してくる人も思考実験という言葉の意味を理解できてない。
「その時、その場にいたらどうするか?」という状況で、じゃあそれぞれの家族構成の資料を確認して……ってならんやろ。
tomiyai トロッコ問題に例えるなら1人の臓器奪われる方もほっときゃすぐ死ぬ前提とか5人を犠牲にすれば生きられる前提とか必要やね。
まさにそこが手術の話のキモで、トロッコ問題は「自分の手を下さない」という逃げ道が用意されているが、「行動するかしないかで結果が変わる」という点は同じなのに「自分が問題に積極的に関わる」という状況になると答えが変わるという話をしているんだよ。
トロッコの話でも手術の話でも、どちらの選択をした場合でも5人と1人のどちらかは死ぬ状況。
であるのにもかかわらず手術の場合は「とばっちりだから」って発想になるのが「違う答え」になるということ。
gomisute44 「多数を生かしたい」のではなくて、「自分で意思決定したくない」だけでしょ。多数のために健康な一人をバラして……なんて決断するくらいならそのまま自然に5人に死んでもらった方が精神的にはるかに楽
hisa_ino 俺はそもそも元のトロッコ問題でも別に多数を生かすべきなんて思わないし「俺は何もしない。無関係」って回答だからこれも当然「そんなの駄目に決まってるだろアホか」で終了。
個人の考えだからそう思うこと自体は否定しないけど、中二病こじらせてるなって感想で、「目の前の問題から目を背けることが正しい」って堂々と言ってて恥ずかしくないのかなと思う。
その人たちが知り合いだったらどうか、親兄弟や親友でも同じように言えるんだよね?言えない?命に順位をつけても構わないの?
そもそもトロッコ問題自体が功利主義と実際の感情とのジレンマについて考える問題であって、そういう文脈を理解していない人がいるのは仕方がないが、
それをノータイムで否定して俺かしけーで終わらせる姿勢は正直どうかと思う。
blueboy トロッコ問題の正解は「死者の多少で決めてはいけない。法律を遵守せよ」だ。 https://x.gd/KFAR5 その正解に従えば、今回も同様のことが成立するので、1人を殺さずに 5人を放置するのが正解だ。何ら疑問点は生じない。
この回答は個人的に最も醜悪だと思っていて、要するに「自分は決めたくないので他の人に決めてもらう。その決め方の正当性については特に検討しない」という宣言だよね?
「犠牲がやむを得ない場合、なるべく多数を生かす努力をすべき」という法律を敷いた国であれば5人を助けるほうが正しいということ?
この義実家について、義実家近所に住む遠い親戚(らしい、詳しい紹介はどこからもない)から年に何度か連絡がくる。
義父が女に入れ込んでいてやたら金を渡しているらしいだとか、義祖母の施設で虐待があったが隠蔽されているらしいだとか。
文末には必ず「増田さんなんとかできないのカナ!?あ、でも(旦那)くんには内緒にしてね、絶対だよ!」とある。
もちろん旦那には逐一報告している。
2.過疎化の進んだ村でヒマを持て余しているため井戸端の覇権を握れるだけのゴシップを集めている。
3.過疎化の進んだ村でヒマを持て余しているため義実家のことで思い悩んだ隣家の嫁が自分を頼り頻繁に訪ねてくるようになりいろいろあって舎弟化ハッピーを目論んでいる。
4.義父が入れ込んでいるという女はコイツ
2以降が歪んでいる自覚はある。
旦那が義実家に帰った直後か、別の親戚が珍しく義実家を訪ねた直後。
なにか進展あったんじゃないのォ?という具合。出歯亀か。
うんざりして最近は連絡がきても居酒屋からのクーポン情報が溜まった頃にまとめて既読を付けそのままスルーしている。
スルーしつつ旦那への報告はしているから自分としてはもうあとのことは関知していない。
旦那は希代の臆病者なので現在のところ真実を確かめたり兄弟と共有したりはしないだろう。なんなら最近は義実家と距離を置きたい様子すら見える。
ただこの件が全て事実で、万が一民放ワイドショー的展開になった場合が厄介。
知ってたのになんで黙ってた?ともっと近しい別の親戚から、私が詰められる可能性は捨てきれない。
旦那は希代の臆病者でそのうえ天井知らずの優しいやつとのレッテルを背負わされており、そんな旦那を悪者にするなんてこと親戚連中は誰もしないからだ。
悪者はその嫁なんだ。めんどくせ。
病識がなく、加齢のせいだとおもったり、自責的になっているところ、将来の希望が持てないことなども含めて典型的な鬱の症状です。
易疲労、浅眠、性欲の低下など身体症状も、鬱で説明が付きます。
たいていは大丈夫と思いますが、甲状腺機能低下症など内分泌疾患でも鬱と似た症状が出ることがありますので、精神科や心療内科の前に内科を受診してみても良いかもしれません。
心配なのは、病院にかかることすら億劫で難しい場合があることです。信頼できる友人やご兄弟などご家族がいらっしゃいますでしょうか。
1000人規模の会社にお勤めとのことですので、おそらく専属の産業医の先生や保健師さんなどに相談しても良いかもしれません。つながりのある病院さんがあるとよいです。産業医の先生はメンタルヘルスに詳しくない可能性はあります。
お大事になさってください。
母方の実家は福島の浜通り、ということで2011年に曾祖母はがっつり被災している。それ以来「様子がずっとおかしかった」と聞いている。心のね。
そりゃそうだろうって感じ。なんせそっちのほうの親類は流されて、未だに見つかってない人も、沢山居たらしいから。
私は顔も名前も知らないけど、それで亡くなった血の繋がった人はわりといたらしい。
最後に曾祖母に会ったの、私が小学生のとき。もう何十年も会ってなかった。会ったところで私と分からないかもしれないが、携帯も持たず施設にいて大叔母にあたる人が世話をしてたので結婚した報告もしてなかった。
両親に「お前は若いし忙しいんだから参列も香典もいらないからね」と言われたので、通夜の最後の対面の時に、私の代わりに謝っておいてくれとだけ伝えておいた。
古い考え方の人ではあったので、嫁入りしてきた祖母や、叔父らのお嫁さんたちとは折り合いがよくなかったことは知っている。鎌で蛇の頭狙い撃ちにしたり、素手でイタチとっ捕まえたり、豪快で偏屈な人ではあったけど、私には優しかったし、優しかったという年頃の記憶で止まっている。
10歳未満の子供なんて役に立たなかっただろうに、田んぼや畑に一緒に行って手伝いをして、大した仕事もできないのに、偉いねえって褒めてくれた。
ほかにも従兄弟がいるけれど、曾祖母とそうして過ごしたのは一番年長の私だけ。
軟膏や樟脳、線香のにおいがする曾祖母だった。腰が曲がってて、骨と皮みたいな手で、爪が丸くて。目と爪は、曾祖母と、母と、私は同じ形だなとか。
そんなことだけはよく覚えている。
この10年しんどそうだった、と今になって教えられたので3.11だし誰かに連れていかれたのかもしれないな、楽になったのであれば良かったんじゃないか、なんて思っている。
母方の実家の墓、車でないと行けないようなとんでもない山の中にある。数える程しか墓石がなく、戦没者墓地のほうが大きいような、山の斜面にあるような場所。
そこに曽祖父も、祖父もいる。ゆくゆくは祖母もそこにいくんだろう。もう後継ぎのいないあの家の墓に入る人は以降いない。
宿題と漫画雑誌を持ち込んで夏休みを過ごした、あの日本家屋はいずれ取り壊すらしい。そこに曾祖母はいないし、あの畑もない。仏壇もない。夜中に鳴り出す柱時計も、ネジを巻く人がもういない。掘りごたつに炭を入れることもないし、縁側の雨戸も腐り落ちていくんだろう。
もう一度くらい、顔を見せておけばよかったな。そしたらそういう思い出に上書きしてボケたなぁ、嫌な人になったなぁとか、可哀想だなぁと思ったかもしれない。そしたらこんなに寂しくなかったかもしれないし、こういう後悔もしなかったと思う。今日明日、曾祖母の葬式らしいので、もう少しだけ、曾祖母の顔を思い浮かべて過ごしてみようかと思う。
まあ、これを書いた増田に仲間がいると伝えたいだけの話なのだが。
うちもこのパターン。うちの親は何かと妻の親とべたべたしたいらしいけれど、妻の親は別にそういうのに飢えてないって感じ。
この辺は性格的なものもあるだろうし、年を取って新たな人間関係を築くのが難しくなってきたから、息子が持ち込んだ人間関係に執着しているってのもあるのかなと思ってる。
仕事をして地域社会とそんなに付き合いが無かった人ってさ、仕事なくなったら人間関係がかなり減るじゃん?
俺が結婚したのがちょうどそのころだったから、なおさらそのさみしさを埋めようと妻の親とべたべたしようとしていたんだろうなって思う。
うちの場合は俺らもそういうべたべたした関係は望んでいないので、まあ、べたべたしない人間関係もあると10年くらいしたら理解した模様。
そうね、結婚して5年くらいは全く理解されず、人格攻撃され続けて、こちらも耐えきれず縁を切ってた時があったな。
10年の間に習い事をはじめたり、再雇用されたりとして、孤独を子供や妻の親で埋める必要がなくなったというのもあるかもしれない。
兄弟も結婚して、そちらの方は多少べたべたした付き合いが好きな人たちみたいだから、そっちでべたべた分が回収されているってのもあるのかもね。
この辺、ほかにべたべたを処理してくれる人がいないと元増田やその妻の親に求め続けるだろうから、つらいだろうな。
(「処理する」という表現は杉浦 由美子氏の「母性を処理する」にインスパイアされて使ってる。まさに、これも「処理する」が適切なんだろうなって思う。)
今、カフェインの離脱症状なのか文章が上手く頭から出て来ないけど、反応があった事が嬉しい。
saori-yamamura 文章上手すぎ読みやすすぎ。「体育の時に近くの体育館までバスで外出するタイプの学校」そんなタイプの学校があるなんて初めて知った。土地がない都会にはあるのか!?!?
うちの高校はグラウンドも体育館も無かったから、体育の授業をやる日は同じ市の体育館を借りたり、どこか山の方にあるグラウンドまで遠出してた覚えがあるよ。結構珍しい学校なのかもしれない。
ありがとう。そっちって何処だろ?
Galaxy42 本人じゃなくてきょうだいが書いてる? webマンガサイトと確定申告のステマ? 本人なら、どうやってますだをみつけたんだろう
本人が書いてるよ。兄弟は子供が生まれたばかりだし家庭が忙しくて増田で長文書いてる暇ないんじゃないかな?
増田は確か個人的に気になる話題を調べていた時に検索サイトでヒットして、他のコミュニティから離れる感じで流れ着いたような気がする。
toro-chan 何かしないと能力は判定不能。紙のテストなんて能力の一部しか測れない。やる気しないバイトなんて発達障害関係なくほぼ無駄。能力を判定するのはもう少し視野を広げて「ついうっかり」できることは何か探してから
自分に「ついうっかり」出来る事って何だろう…そう言えば最近、自分は自分が考えていた以上に何にもできない事が分かって衝撃だった。今だったら、下手したら小学校レベルの紙のテストさえやりたくなくて出来ないかも?
ikebukuro3 行く先々が悉くブラック企業ばっかなのはなんでなん?まともそうなの(ただ判定できないだけだが)最初しかねえじゃん
自分でも行けそう、ここでなら働けそうと思った場所がそういう所だったから?今まで行った所で本当の意味でブラックだったのは、派遣会社に紹介してもらった外国人労働者を現場リーダーがいじめてた食肉工場だけな気もする。
正直、どこの工場でも現場だとああいう外国人いじめはしてるんだろうな、とも思う。自分が行ったのは○○ham Foods Inc.だったけど。
kjin 人と継続的に関わるとそれが役割ぽくなって縛りになって、でもさっさとその席別の人に譲った方がいいのでは?て不安はあるなあ“暇を潰せて生きているけど、こんな自分は主観的にも客観的にもさっさと死んだ方が世の
自分が無駄に浪費しているリソースを、自分よりもっと相応しい誰かが使った方が良いんじゃないろうか、とはずっと思ってるかもしれない。だから、自分が死んだ方が家族は幸せになるんだろうな、ってもう何年も思ってる。
mutinomuti “そこで支給されるエプロン?ナプキン?が体に合わなかった”材質が合わないのか、体型が合わないのかどっちだろうか(´・_・`)
体型が合わなかった。「体育嫌いで女子に嫌われてるキモい男子」と言えば何となく分かると思う。
ko2inte8cu 文章が長すぎだから、診断を受けたのもさもありなん。親が過保護で、子離れしたくない。働けというが、その台詞を言ったり言われたりする状況に陶酔している。本気なら、家から叩き出すね。造作もないことだ。
親が子供の時からずっと過保護なのは、自分と兄弟を比べても幼児の頃から分かってた気もする。本気で働かせたいなら確かに家から追い出してると思う。もしある日家から追い出されたら、自分は間違いなく何か犯罪するけど。
Spica7788 自分の長所、好きなこと、得意を生業(仕事とは敢えて言わない)として生きていけたらいいね、と思う。向いてないことに飛び込んでは砕けて、って生き方だとそりゃ立ち上がれない。ちなみに他人は助けてはくれないよ。
最近絵を描いたり文章を書いていきたい、と思ってる自分と同じような無職をネット上でよく見かけるのはそういう事なんだろうな、と思う。自分は絵を描くのも文章を書くのも下手だけど。
他人は助けてくれないけど、何故か家族はこんな自分を何十年も助けてくれている。親兄弟に負担と迷惑をかけてるだけだし、他人は助けてくれないし、自分一人じゃ何も出来ないから、もし生きていけなくなったら楽に死にたいな。
manamanaba 遺族年金しかないなら増田自身の確定申告はいらんのでは…?/"カッとなっても暴力を振るわないよう、最近はもうしばらく口を利かない方向にしている" これができるってことは進歩はしてるんじゃないの
自分はいい歳して確定申告って何なのかがさっぱり分からないんだけど、先日年老いた母が机で数々の書類と数日くらい戦っていたような気がする。
喧嘩になりそうな時は、顔を合わさないよう口を利かないのが一番だと分かったけど、自分の場合はそれが一週間くらい続くし、口を利かないと母が凄く不機嫌になって向こうも喧嘩腰になってくるので色々しんどいなあと思う。
natu3kan 学校行く日が少ないと気まずいとかもあって、休み癖つきやすい。断続的に持病で病欠するのもあって親も気に掛けるし。職歴ない人には自活できるくらい食える賃金がでるまともな仕事ってあんまない。
そう言えば、昔休み癖付いた時は仮病を使って平気で数日休むとか当たり前の子供だった。その間家でゲームばかりしていたけど、お陰で学校では友達が出来ないし勉強も付いていけないの悪循環だったかもしれない。
食べていけるだけの賃金が出るまともな仕事がもう無いなら、このまま親の貯金を食い潰して死ぬまで家に引き籠るのが一番なんだろうか。
spiro_bi 本人が書いたという前提で。個人作業系単発バイトをやって向いてそうな分野を探すのは? 言語処理ならランサーズのテキスト作成とか。あとプログラミングや筋トレなどの達成感がありそうなもの中で合うものを探す。
本人が書いてるよ。個人作業系単発バイト、履歴書だけなら良いんだけど参加する際に何かの派遣会社に登録しなくちゃいけないのが面倒臭いなって昔思った気がする。大体近場に無くて家からも遠いし。
昔、中学校時代の友達と一緒にそういうバイトに行っていた時、引っ越しのアルバイトでミスしてヤクザっぽい人達に金出さねえぞ!って叱られたのが怖くて、その後行かなくなった事思い出した。
アドバイス、ありがとう。プログラミングは無理だけど、筋トレは昔本当に一瞬だけダンベルしたリプロテイン飲んだりするのにハマってた時期あったよ。プロテイン高かったけど。
sds-page eスポーツ選手育成の名目で障碍者雇用枠で雇った人に一日中ゲームやらせてる所があると聞いたがそういう枠組みでうまくハマらないだろうか
障碍者でもTVゲームに特化した人とか滅茶苦茶上手いんだろうね。自分は漫画読んだりアニメ見たりして時間潰してるから、一日中ゲームするのはそれはそれで大変そうだなって思う。
早く死んだ方が良い、どうせ死ぬなら楽な方が良いと分かってるのに、いざ自分が死ぬかもと思うと滅茶苦茶怖くなる。長生きしてもどうせろくな事ないし、他人に迷惑をかけるだけなのに。赤木しげるみたいに死にたい。
普通の人はもうちょい長持ちする物なのかな。
この文章が書けるなら生保の書類はなんとか書けるだろう。一週間ならバイトできるなら手続きもなんとかこなせるだろう。水際作戦回避方法はpcで調べよう。
生活保護の事はちょっと考えてたけど、生活保護 水際作戦で検索しただけで面倒臭そうでこんなの絶対自分には出来ないな…って気持ちがまず第一に来ちゃった。バイトも単純作業だったし。
低学歴でも漫画や小説などをよく読むならそれがよいトレーニングになってるんだわ
好きこそものの何とやらだね
学生時代は本当小説と漫画ばっかり読んでた気がする。中でも菊地秀行と夢枕獏が大好きで愛読してた。今だとああいうエログロ物は自分から読もうとは思わないけど…
未来の俺だ……。でも俺周りから発達障害扱いされるけど精神科で検査したら発達障害じゃなかったから元増田より詰んでんだわ。はよ死にたいね。
未来の、って事は今現在はそうじゃないって事だろうか。周りにそういう事を言ってくれる人が居るのと、精神科の検査でそう診断されなかったって事は社会に馴染めてるって事、なんだろうか。辛い時はもう早く死にたいと思うね。
アドバイスが2つある
①薬を変えよう
せっかくのドーピングなんだ、合うまで何度も変えてもらえ
②売る仕事をしよう
雇われるのが向いてないのはしょうがない
パソコンで何かを作って売ればいい
どれだけ馬鹿でも話す機会がなきゃバレないし、BOOTH等で電子資産を売ればいい
①のアドバイスについて、これまで出してもらった薬はコンサータとストラテラで、コンサータは調べたらまんま覚醒剤と言うのもあって飲んだらテンションが滅茶苦茶上がって24時間寝れないとかもあって怖かった。
今出してもらってるのはストラテラだけど、こっちは飲むと気持ちが極端に落ち着くというか、はっきり言えば鬱状態になるからあんまり飲みたいと思わなくなる。何もかも面倒臭くなるから、暴力性も抑えられるのは良い事だと思うけど。
でも、診断して薬を出してくれるお爺ちゃん先生と、こういう薬を出してもらえませんか?って話をするのが面倒臭いし、ストラテラ以外に良い薬があるのかも分からないから、せっかくのドーピングだけど有効活用出来る気がしない。
②のアドバイスについて、家から出ないで、何か適当に作った物がネットで売れたら良いなあ、とは自分も前から思っていた。ただ思うだけで何も行動してこなかった結果、今の自分があるけど。
パソコンで何かを作ってそれをネットで売っている人達って、本当に凄いなって思う。酷評に晒されたりもしているけど、それでも何かしら世に出せているというのはそれだけで何もしないという事には遥かに勝ってると思う。
ダウン症や重度知的の子も重複障害で幼少期に命に関わる手術歴あることが多い
そうじゃないのを見ると
何かしら医療福祉の力を借りなければ、幼少期に死んでいた筈の子供は、本来は長生きすべきではない、生まれてくるべき子供では無かったんじゃないだろうか、と最近では思うようになってきた。
物心が付く前から体が弱くて何回も死にかけてきた、という自分の記憶にも無い生い立ちを家族から聞かされる時、その時延命治療しないで死なせていれば今の自分は苦しまないで済んでいたんじゃないだろうか、なんて思う。
このトラバを見て初めて「B型作業所って所で働いてみない?」とこれまで母親に何度か言われた事を思い出した。ひょっとしたらつい最近も言われたのかもしれないけど、個人的に嫌な話題なので言われてもすぐ忘れてたのかも。
完全なイメージで悪いんだけど、ああいう作業所は…特別支援学級に通っていた子供達が大人になってから行くような場所、というイメージがあって、そういう所に自分も行け、と言われる事にとてつもない反発が自分にはあった。
自分は発達障害・アスペルガーでひょっとしたら軽度知的障害かもしれない、なんて何度も何度もバイトを短期で辞めて、やっと諦めて精神病院に行こうとするまでこれまで考えた事も無かったくらい、自分はプライドが高かった。
父親も母親も兄弟も、何かしら精神を患っていたけど、自分だけはこの家の中でまともな人間なんだと、何の根拠もなく何十年かは思えていた。馬鹿は自分が馬鹿である事に気付かない、と言うのは本当の話なんだと思った。
今後、もし…無料のアニメや漫画に触れる事に飽きて、何かの気紛れで働きに行こうかな、と思った時はB型作業所に行くのも良いかもしれない。自分は障碍者なんだと認めるだけで数十年かかった馬鹿な中年だった。
体が弱いのですぐ風邪を引く、肺炎やインフルエンザに罹った事も一度や二度ではない。
そもそも生まれた時から体が弱かったのか、小学校入学までに7~8回ほど命に関わる手術を受けたらしい。
自分にそんな記憶はないのだけど、母や歳の離れた兄弟の話を聞く限り恐らくそれは事実なんだろうな、と思う。
すぐに体を壊して学校を休む、というだけでなく家でTVゲームをやりたい、体育の授業を受けたくない、いじめられたくない、というほんの些細な事からよく学校を休む子供だった。
そんな自分が好き好んで学校に行っていたのは、小学校から高校までの12年間で、同じクラスの子に恋をした中学校三年生の一年間だけだったと思う。
その子と同じ高校に行きたい、とその時は真剣に思っていたけれど、何せ学力テストでの全教科の合計が150点前後、一教科平均で30点ほどしか取れない馬鹿だったので、好きな子と同じ学校には進めなかった。
この時点で自分は同学年の子と比べても頭が非常に悪い事を自覚しておくべきだったのかもしれない。最近の言葉で言うとギリ健、いやもしかしたら本来なら特別支援学級に通った方が良い子供だったのかもしれない。
まあ、そんな馬鹿でも入れる高校となると自分の名前が書けて小学生レベルの問題が解ければ入れるだけの所謂バカ高しか無かった。そう呼ぶのはそこで働いていた先生や、真面目な同級生たちには大変失礼だとは思うけれど。
そんな馬鹿でも入れて、小学生レベルの問題が解ければ入れるバカ高でも、自分は付いていけなかった。幾つか…簡単な、馬鹿でも取れる資格だけは取れたけど、勉強には付いていけず早く家に帰ってゲームしたい、と思っていた。
後輩の不良が怖くてトイレに行けず、先生に相談して綺麗なトイレが使える近所のデパートまでの外出許可を貰っていた。三年間同じクラスだった同級生とも結局仲が良い友達は一人も居なかった。
隣の席の女子からは本当にこれ以上は無いというくらい嫌われていた。体育の時に近くの体育館までバスで外出するタイプの学校で、その席も固定で隣の女子から本当これでもかと嫌悪感をぶつけられた。
そうなると、ただでさえ嫌いな体育がもう授業そのものより参加する段階から自分にとっては苦痛でしか無かったので、体育のある曜日は絶対に休むようにした。隣の席の女子もその事に満足していたのではないだろうか。
友達が一人も居ない、女子からは毛嫌いされている、勉強が出来ず授業態度が不真面目なので当然先生から好かれる訳もない。三年間通った学校を卒業した時も、中学校の時と違い満足感や寂しさのような物は一切無かった。
ただ、唯一嬉しかったのは卒業式の後家族が外食に連れて行ってくれた事だった。そこまでの18年間の人生でも本当に家族には迷惑かけっぱなしだった。もし、自分が逆の立場だったらこんな奴すぐ見捨てていると思う。
中学校時代の友人がアルバイトに誘ってくれたり、新しく生まれた親類のために少しだけほんの少しだけバイトをした事もあったけど、長続きしなかった。バイトを即効で辞めたため、結局家族に大きな負担をかけただけだったと思う。
学習性無気力というのか、今度こそバイトを続けるぞ、と思って考えなしに行動しては痛い目に遭うという事をこれまで4回か5回ほど繰り返して、もうバイトしたくない、痛い目に遭うだけだな、と悟った気がする。
サポステに斡旋してもらう形で紹介してもらった食肉工場では、そこで支給されるエプロン?ナプキン?が体に合わなかったという事で、さあ働くぞ!と思って出勤するも、出勤初日から現場に入れずに泣きながら当日辞めた。
派遣会社に派遣してもらった次の食肉工場では、一日目にサイズの合わない作業靴で親指を痛めたり、現場リーダーが口が利けない外国人のお爺ちゃんを作業中にニヤニヤ笑いながら殴ってる所を初日に何時間も見せられた。
その派遣会社と結んだ契約なんて知った事か、ともう次の日からその現場に向かう事を拒否した。自分で絶対に現場に行かないという勇気が無かったので、親に代理で電話をかけてもらった。凄く情けない大人だと思う。
その次、タウンワークで自宅の近場にあった倉庫での作業は一週間だけ続いた。大した面接も無く働かせてもらえる事になって本当にラッキーだと思ったし、そこで働いてる人達も親切そうで良かった、と初日は思った。
ただ、リーダー格的な頼りになるおじさんがある同僚一人を露骨に虐めていたり、最年長の仕事が出来るベテラン爺さんが自分の仕事を全てやり直したり、凄く簡単な仕事さえ自分にはスピーディーに、丁寧にこなせない事が分かった。
初日から足を棒のようにして7時間働いただけでもうくたくたになってしまった。それで時給が800円前後だと、もうここで働くのは自分には無理だなあ…と、前回の工場と比べれば天国のような環境にも関わらず7日で辞めてしまった。
親に「何でも良いからとにかく働け」と言われたり、自発的に何か贈り物を挙げたいという動機でアルバイトを始めても早ければ当日、長くても一週間で辞めてしまう人間である事が4~5回の経験で分かった。
アルバイトに出てもどうせすぐに辞めるし、辞める度に自分ではなく親が代わりに辞職を願い出て自分は隠れて震えている、という事を何度も繰り返してここ数年はもう簡単なアルバイトに出ようとさえ思わなくなった
親は「とにかくアルバイトでも良いから何かしてみろ」と言うのだけど、実際にサポステやタウンワークを利用して働こうとすると「よく考えろ。考えなしに動くな」と矛盾したような事を自分に言った、と思う。4~5回、それを繰り返した。
ここからは本当に恥ずかしい事なんだけれど、倉庫でのアルバイトを辞めた後親に「何でも良いからとにかく働け」と言われると、怒りのままに物を壊し親兄弟に暴力を振るった事が数えた事は無いけれど数十回はあると思う。
自分より非力で、もう体力もない親や兄弟に暴力を振るう事に、自分は何のブレーキも無かった。普通なら、自分の家族にそんな事出来る筈ないだろうに、自分は出来てしまった。自分は、正常な人間では無いのだと思う。
心療内科・精神科医の先生に自分が発達障害だ、と正確に診断を受けたのはここ数年の事だった。それも、ADHDだけでなくややアスペルガーの気もあるらしい。通りで自分には空気が読めない訳だよなあ、とやっと理解出来た。
自分の家庭内暴力も、自分より強い父が生きていた頃は母親や兄弟に向かう事は無かったので、自分は「群れの中で自分より強い父」と言うブレーキが無ければ家族に全力暴力を振るえる動物なんだろう。人間と言うより、動物。
最も、母親や兄弟に向かなかっただけで飼っていた犬や猫には苛立っている時には八つ当たりで暴力を振るうような人間だったので、それは今更なんだろうな、とこれまでの自分の行動を振り返って見てみると思う。
お祭りで金魚を釣って来ても愛情を一切注がず、母親と兄弟に世話をさせていた。兄弟が飼っていたリスの籠を蹴ってしまい、リスを恐怖させ早死にさせてしまった。動物への行い的に、もし地獄があるなら死後は地獄行きだろうか。
この自分の精神的傾向は、父方の祖父にも、父にも、兄弟にもあるし、方向性は違うけれど、母も異常な所が無いとは言えない。ただ、社会に適応出来た両親や兄弟と違って、自分だけが落ちこぼれなのは、やはり原因がありそう。
新しく生まれた親類、つまり自分の甥姪もこの父方の精神性を受け継いでいるのだろうなと思うし、高齢出産という事もあり、もう今の段階で知的障害や発達障害の傾向が見られるので、この先苦労するだろうな、と悲しくなる。
自分は今、母親の不動産収入と父親の遺族年金と両親が一生懸命貯めた貯金を食い潰して生きている。それが無くなるタイムリミットは…正直、分からない。数十年、は無理だと思う。
今でも母親に「早く働きに行け」と言われるとカッとなる。そう言われて働きに出た結果何度もすぐ辞めたし、もう長続きしない事が分かったから。カッとなっても暴力を振るわないよう、最近はもうしばらく口を利かない方向にしている。
そう言えば、10年以上前に一緒にアルバイトに誘ってくれた中学校時代の友人ともここ数年は連絡が取れなくなった。寂しい気持ちと、もう親族でない他人と付き合わなくても良いという楽な気持ちが入り混じっている。
頭が悪く、能力が低く、仕事は長続きせず、肉親や小動物に暴力を振るう事に躊躇が無く、ただ無駄飯を食らって生きているだけの知的障害・精神病の中年男。こんな自分は生きているべきではない、とここ数年思っている。
今は障碍者手帳を申請したお陰で、発達障害者向けの薬を1割負担で貰えるが、飲むと体調が悪くなるので気が向いた時しか飲んでいない。母親が口喧嘩になるとすぐに「その薬を飲め」と言うのもある。キチガイ用の薬と言う訳だ。
税金も、父親が無くなってからは一度も市に納めていない。ズルズルと延期しているけれど、恐らく自分が死ぬまで一度も収める事は無いのではなかろうか。そもそも、何の税金かさえも分かりはしないし。
確定申告も、自分がPCで遊び惚けている間に母親が全て書類を用意して手続きを頑張ってくれている事をつい先日知った。自分は、確定申告とはどういうことなのか、何を書き込めば良いのかという事も一切理解していない。
今の自分は、毎日無料のアニメや無料の漫画で時間を潰して生きている。自分をすり減らして働いて生きるよりは幸せなんだろうな、とは思う。最近だとジャンププラスとゼブラック、コミックDAYSとヤンマガWEBが本当にお気に入りだ。
暇を潰せて生きているけど、こんな自分は主観的にも客観的にもさっさと死んだ方が世のため家族のためだと思っている。早く死にたい、と言う度に母は悲しそうにするし何だか怒るけど。
自分で死ぬ勇気はないけど、早く死にたい。母親が死んだら、自分も後を追って早く死にたい。もし母親がボケたり要介護の体になっても、自分には介護をする自信が無いので、酷い話だけどそうなる前に、早く死んでほしい。
こういう身内のお荷物のような人間は、両親が死んだ後今度は兄弟に寄生し更に狂暴化するという話をこの前ネットで見た。そうなる前に、狂暴化する前に、何らかの方法で、出来るだけ苦痛なく幸せに死ぬ事を、自分は望んでる。
そう言えば
「文章が書ける人間は知的障害ではない」という俗説をよく聞くけれど、
そういう人には「小学生低学年の知能でも文章は書ける」という事を分かってもらいたい。自分は、小学生の時から中年の今まで、頭の中がアップデートされていない自覚があるのだから。
読み返したら誤字ばかりだった
差別することが絶対悪!!みたいな立場に立ちすぎて訳わからない話を始める人が最近多すぎてげんなりする
差別は悪じゃないんだよ
相手に不当な不利益を与えるのが悪なだけで、不利益を与えない差別は当然排除できないしすべきでもないんだって!!
そこがどうしてわからないの?
だいたい、差別は絶対悪主義者の言い分って「属性で決めつける思考、言動は全て差別」という思想で、さらに差別主義者のレッテルを貼る、貼られることで論争の優劣が決まるとまで信じてたりするよね?
そんなガバガバな無意味な定義でいいなら、「体格を見てプロスポーツにスカウトする」も(悪という意味での)差別だし、「血統的に適正があるからこの馬の馬券を買う」も差別になる。
「顔が好きじゃないので付き合えない」も差別だし、「立地が悪いからこの家に住まない」も差別だし、「形が悪いからこのきゅうりを買わない」も差別だし、「知らない人だからインターホン出ない」も差別になる。
これを悪だというニュアンスを含めた「差別」とするのはまじで無意味。
差別は全員がしていることを認めよう。
ガバガバな定義で相手にする差別主義者のレッテルを貼っても別に世の中は良くならないし、悪い差別がなくなることはない。
本当にそこ認めてくれ。
ではここで、どんな差別なら許されるか、許されないか、を書いていく。
以上だ
ではしてもよい差別はこれだ
顔が好きじゃなければ交際を断っても構わないし、治安が悪い街に住まなくていい
職場に外国人がいて、内心嫌だと思っていても、完全に内心だけでおさまっていれば、その差別心を責める必要はない
このグレーの事象でどう振る舞うとみんなが幸せなのか?を考えていくのが真に建設的な話だと思う
グレーとは書いているが、グレーな事象は大体が、表向きはアウトだ。
だけど、それをしなきゃいけない感情が当事者にあるし、その感情を悪と断定するだけでは無意味なのでグレー扱いにしなければならないと思っている。
いかに差別心という感情を軟化できるかを考えなきゃいけないだろう。
とある会社が新規に従業員を募集したところ、気に入らない属性の人から応募があった。
これを属性だけで断るのは、相手に不利益を与える不当な差別になるので悪だ。
大きい会社なら従業員もたくさんいるし、属性だけで切らないような流れになってきているのはとてもいいことだと思う。
しかし、この会社が、自分が経営している従業員2人くらいの小さい会社だったらどうだろう?
それでも悪には違いはないが、ワンマン経営のお手伝い的な仕事で、そのワンマンの個人的好みを重視するのは悪なのか?
表向き悪だから属性を理由に断りはしないけど、別の理由をつけて落とすのが今の世の中だ。
これ、差別を絶対悪として、そんな社長に無理やり差別対象を雇わせたとして、幸せになるのは誰なのだろうか?
誰も幸せにならないのでは?
顔が好みじゃないとか、肌の色が気に入らなければ、それを直接伝えて相手を傷つけない限り、交際を断ってもよい。
しかし、自分の子供、兄弟、家族が、自分の気に入らない相手と付き合っている場合、どこまで干渉することが許されるのか?
(気に入らない相手ってのは、人種などに限らず、痴漢で8回逮捕された過去がある、とかだったりもするよ)
現状、本人の意思が優先され、家族でもそのような干渉は許されない。
しかし、その人と結婚したら実家にはもう帰ってこないで、とか、その人をうちには入れないで、とかをいう権利すらないとは思えない。
現実は刺激しないように距離を取るしかなく、親を差別主義者と糾弾したって家庭が平和になることはない。
普通の人は犯罪なんかしないので、犯罪者がいればその倫理観の欠如や再犯を恐れる、というのは自然な心理だが、これは直球の差別で悪だ。
同じく、犯罪発生率の高い街に住まない、というのも同等の差別心から来るものなので差別だ。
だけど、社会的な信用を裏切った人間は信用されない、という基本的なルールが社会にはある。
これを無視して殺されたり横領されたりすることが正しい賞賛される振る舞いではない。
信用のない人間にはないなりの接し方をするのは、身を守るために必要な振る舞いだ。
ただそれを大っぴらに宣言したり、あのエリアはまじで住まない方がいいよ!とか広めたりするのは現状では悪と認定される。
男性を犯罪者予備軍と見なすのは現状では悪扱いされるが、警戒は当たり前で何も悪くない。
ただ、警戒心をむき出しにして男性に不快感を撒き散らすと、悪は女性側だと当然言われる。
女性は差別心を自覚しつつ、さらに身を守るためにその差別心を肯定し、そして多くの紳士を不快にさせないよう気をつけるのが落とし所になるだろう。
とてもグレーだ。
まあそんな感じで、グレーの部分を、差別か差別でないかと論じるのではなく、差別者と被差別者が互いに不利益を被らない方法論に切り替えるべきだろう。
無論、無意味な差別感情を発生させないための長期的な教育、啓蒙もものすごく大事だと思う。
人種差別などは教育である程度埋めれるかもしれないが、犯罪者差別なんかは教育でも埋まらないだろうと想像できるし、教育が万能とも信じてはないかな。
はてなにはいろんかITに関する方が多くてそれでここに書きたいと思った。リアクションがあれば嬉しいです。
自分がWEBブラウザベースのサービスをずっとやり続けていた。既存顧客の保守に手厚いサービスで「メインバージョンのアップデートは基本的に個別開発をした顧客にも展開する」といった形。今になってそれはよい道のひとつだと思う。
ただ裏を返せばUIはいじれない古くさいシステムで自分はそれを変えたいと思っていたし、提案していた(し、実現もした)。UI変更からの顧客からのクレームは「フィットandギャップ」で片付けて(自分は客前にも出ていくSEだったので実際に客にそう言ったこともある)、変えることがよきかなと思っていた。
親の話をする。昨年からすこし掛かってくる電話の回数が増えて「なんか寂しいんだよねー」って言っていた。私はそんなときもあるよなと思っているだけだったけど、今にして思うのは「認知症はいつどこに自分がいるのか分からなくなる不安がある」って症状のひとつだと今は思ってる。軽度なので私のことは覚えてるので電話をしてくれた。
そのタイミングで親族がなんやかやお得だからと言って母のスマートフォンをiphoneからandroidに変えてしまった。後になってから分かったのだけど。その頃から親から連絡がくることはなくなり、昨年末に症状が私にも分かった。
iphoneやandroidに移ることでホーム画面のUIがひとつ変わるだけで、使えなくなるひとがいるってことに自分は何一つ思い至ってなかったことに恥じる。親の兄弟姉妹にも「認知症かもー」って電話した。そのうちの一人が話してくれた。
知り合いにもスマートフォンに苦労してる友達はいっぱいいるよー。なんか途中から分からなくなって孫とかに連絡できない友達の話はよく聞くんだー。
ほんとUIころころ変えるサイトとか、スマホアプリってインフラになってくんだろうか?
なんかほんと考えてしまう。