はてなにはいろんかITに関する方が多くてそれでここに書きたいと思った。リアクションがあれば嬉しいです。
自分がWEBブラウザベースのサービスをずっとやり続けていた。既存顧客の保守に手厚いサービスで「メインバージョンのアップデートは基本的に個別開発をした顧客にも展開する」といった形。今になってそれはよい道のひとつだと思う。
ただ裏を返せばUIはいじれない古くさいシステムで自分はそれを変えたいと思っていたし、提案していた(し、実現もした)。UI変更からの顧客からのクレームは「フィットandギャップ」で片付けて(自分は客前にも出ていくSEだったので実際に客にそう言ったこともある)、変えることがよきかなと思っていた。
親の話をする。昨年からすこし掛かってくる電話の回数が増えて「なんか寂しいんだよねー」って言っていた。私はそんなときもあるよなと思っているだけだったけど、今にして思うのは「認知症はいつどこに自分がいるのか分からなくなる不安がある」って症状のひとつだと今は思ってる。軽度なので私のことは覚えてるので電話をしてくれた。
そのタイミングで親族がなんやかやお得だからと言って母のスマートフォンをiphoneからandroidに変えてしまった。後になってから分かったのだけど。その頃から親から連絡がくることはなくなり、昨年末に症状が私にも分かった。
iphoneやandroidに移ることでホーム画面のUIがひとつ変わるだけで、使えなくなるひとがいるってことに自分は何一つ思い至ってなかったことに恥じる。親の兄弟姉妹にも「認知症かもー」って電話した。そのうちの一人が話してくれた。
知り合いにもスマートフォンに苦労してる友達はいっぱいいるよー。なんか途中から分からなくなって孫とかに連絡できない友達の話はよく聞くんだー。
ほんとUIころころ変えるサイトとか、スマホアプリってインフラになってくんだろうか?
なんかほんと考えてしまう。
資本主義である以上稼げないUIは淘汰されるのは仕方ない。 増田が言ってる話はユニバーサルデザインとかそういう観点で捉えるべきでは。
ユニバーサルデザインはインフラですよ。
その一行で主張を汲み取ってもらおうというスタンスはユニバーサルデザインではないかなあ
デザインとかインフラ心配する前に親の心配しよう、と思う 自分もIT土方(自称でぶら下がってただけかも)で親が認知症になったけど しばらくして統合失調症的な被害妄想併発して...
心配してて実際に介護もしててその合間に書きました。
話は飛ぶが老人は金持ってる説とか老人がレジでモタモタするとか歩き方が遅いのにイライラするとかも 高齢者が身近にいないことで高齢者の生態について「何一つ思い至って」ないか...