はてなキーワード: ゼミとは
「本気で好きだと思ってない、付き合ってもいいと思ってない女の子に、かわいいとか言ってはいけない」と言われたことがある。
そんなことを言われた女性はその男のことを好きになってしまうかららしい。
だったら、男は友達としてはいいけど付き合う気があるかというと肯定はできない、そんな女性とどう接したらいいのか。
一緒にアルバイトをしていた同い年の女の子と、あることがきっかけで急に仲良くなったことがあった。
その子はいつも明るくて、ニコニコしていて、ちょっとアニメオタクっぽいところがあって、どこか子供っぽいというか、あまりモテるタイプではなかった。全然そういう話をしなかったので定かではないけど、今までに誰とも付き合ったことがないと言われても驚かなかっただろう。
たまたま一緒になれば少し話はするけど、二人になったこともないし、連絡を取ることもない、そんな仲だった。
ある日、自分がバイト先に行くと、彼女が休憩室にいたのだが、いつもと明らかに様子が違う。あからさまに落ち込んでいる。ため息もついている。まわりにも何人か人はいたけど、仕事で忙しいのもあって、誰もちゃんと声をかけようとはしない。
自分はあまり人の相談に積極的に乗るような人間ではなかったけど、さすがに様子がおかしいので声をかけた。
「どうしたの」と。
そうしたらいろいろ話してくれた。当時自分たちは学生で、その彼女はけっこう大変なゼミに所属していた。内容はよくある話で、周りの人はがんばってるのに、自分だけ研究が進まない、という話だった。
そして、ここのバイトの人たちはみんな真面目だから、いたたまれなくなってしまうのだと。
そこで自分は正直に思うことを話した。
いや、みんなが真面目なわけじゃなくて、バイトをしている姿しか見てないからそう感じるのであって、みんなが家でだらだらしてるところを見ればそんなこと感じなくなるでしょ、というようなことを言った。
すると、そのことで少し彼女が元気になってくれたみたいで、表情に明るさが戻った。
自分にとっては、ありきたりな会話としか思わなかったけど、そのことがきっかけで、彼女と連絡を取るようになった。
最初は他愛もない話をしていたけど、そのうちに話題がいろいろな方向にいって、その流れで、二人で猫カフェに行くことになった。
はじめは自分も「二人だけになるのって変な感じがするな」と思っていたけど、実際に行ってみると落ち着く空間でするおしゃべりが楽しくて、ついつい長居してしまった。
自分は男性だけど、結論もなく長い時間話しているのが好きなので、あっという間の楽しい時間だった。
付き合っているわけではない人と、夜景を観に行ったり、買い物に行ったり、なんとも言えない距離感とどきどき感を、もう大学生も終わりに近いくらいの年齢で初めて感じていた。二人だけで夜の観覧車に乗ったり、クリスマスシーズンのイルミネーションを観に行ったりもした。
付き合いたいという気持ちはなかったけど、でも話が弾むし、自分のつまらない話もちゃんと聞いてくれる。これを友情というものだと、そのときの自分は思っていた。
それからしばらくして、地元の女の友達(上の彼女のことは知らない)にこのことを話した。
言われたのはこの一言。
「そういうのは男が絶対やっちゃいけないこと」
彼女に言わせると、向こうの女性は自分のことをきっと好きになっている。付き合うために、距離を詰めようとしている。それを自分は断らずに、こちらからも距離を詰めるような素振りをしている。なのに、本心では付き合う気がない。その女性の気持ちをもてあそんでいる。これほどタチの悪い男はいない。その女性のためにも、二人で会うのをやめろ、と。
いや、きっと向こうも友達だと思っているはず、と言っても、友達だと思ってる男と二人で夜景なんか観に行かない、と。
これはさすがにショックで、自分が気持ちをもてあそんでるなんていう意識はなかった。むしろ誘ってもらってばかりでは悪いからこっちからも誘っていたりもした。
そのことを客観的に見られるとそういうことになるのか、と、償いきれない罪を犯したような気分になっていた。
それが大学生の最後の時期で、大学卒業とともに彼女は遠いところに行ってしまって、連絡を取ることもあまりなくなった。
向こうも自分を友達だと思ってくれていた、そう信じたいけど、彼女を少しでも辛い気分をさせているのではないかと思うと、あれから何年も経った今でも胸が苦しくなる。
そしていまだに、自分は女性の友達としてもいいこととしてはいけないことの境界がわからない。わからないけど、今でも付き合うつもりはない女性と二人で出かけたり、電話で話したりしている。自分はこういう時間が好きだから誘ってしまうけど、実はこれもアウトなのか。相手の女性の気持ちをもてあそんでいることになるのか。このあたりが本当にわからない。自分が10代の頃にほとんど女子と接点がなかったから、そのあたりの感覚を持ち合わせていないからわからないのか、それとも、友達に言われた通り、本当にたちの悪い男というのは自分のような男なのだろうか。そうだとしたら、自分のような人間と、「モテる」人というのは、どこが違うのか。
増田アースに大きな月はない。たまに近傍小惑星が捕獲されて小さな月になる程度である。
すると何が起こるかと言えば、潮汐の原因が恒星に限定されるため、
潮の満ち引きのタイミングが単調になる。
海岸の地形にも影響されるが、零時と十二時より少し後の時間がいつも満ち潮になるのだ。
しかも、二つの天体の引力が重なることがないため、大潮や小潮などの変化も存在しなかった。
海の生き物は潮の満ち引きに影響されて産卵などをおこなっているのだが、
潮汐の単純な増田アースでは、これも単調にならざるをえなかった。
結果的に生物活動のタイミングが被って海の中は幻想的な大混乱になる。
素数ゼミ的な回避方法はあるものの、それだけではいかんともしがたいところがあった。
結局、ベントスたちの産卵と放精、巣立ちのタイミングが被りまくり、過度に雑種が誕生しやすい環境になっていた。
増田アースに大きな月がないことは種の多様性にとってブレーキなのだった。
増田南蟹もその一種であり、腹に抱いた幼性を海中に放つタイミングは子供たちの育ちかた次第。
そのおかげで意外に有利な時期にあたって進化の可能性を開く場合もあったが、
うんを天にまかせて放り出される小蟹たちにはたまったものではない。
ただし、行動パターンが読めないマスダナンカニの幼生を専門的に付け狙う捕食者は少なかった。
之の字運動の無意味に思える小さくランダムな変針も、行動を読ませない役には立つみたいなものか。
特におそろしいおそろしいのが鯖鰈である。常に増田海を徘徊している鯖鰈は口に入るものなら何でも食べてしまう。
マスダナンカニには若干の毒もあったのだが、鯖鰈は腹を壊した獲物を食っても、自分は腹を壊さない。
知的生命体の無思慮な活動によって生成されるspamのみが鯖鰈の胃袋にダメージを与えることができるのだ。
鯖鰈は海に送り出されたばかりの増田を食い荒らし、ついでにマスダナンカニ本体も食らう。
他にも月のない海には悪食派の生物が満ちあふれていた。
一方、陸には毎日野菜350gしか食べない偏食派のシマウマがいた。
私は前期の授業に全く出ることが出来ず学業との両立が出来ませんでした。
4月からはゼミが始まりました。今年の日程だと、ゼミに入っていない人が説明会に出る機会が多く就活に有利だと思いました。
残業あまりない!ノルマも緩い!有給とれる!って嘘を企業は平気でつきます。
これを見破るためにOB訪問をしなければならず、二度手間です。
私の入社する企業は、説明会では残業代全額出ると言ってたのですが、現状は毎月120時間の残業で40時間しか残業代が出ないとのことです。財閥系のメーカーでもこの有り様です。
17時は建前の定時、22時が本当の定時。これが社会人なんですね 笑
会社四季報編集部の皆さん、離職率と残業時間は正確に載せて下さい。
経団連の皆様、貴方たちは経営のプロではあるかも知れませんが、人事や就活のプロではありませんよね。
そういった方に私達の人生が狂わされていると思うと、怒りでいっぱいです。
でも私達の声は届きませんよね。
現場が大事と経営で仰られているように、現場に出てきてください。
はっきり言って、異常です。
私達の一生をかけた舞台をビジネス化して面白がっている全ての人々、特にリクルート、そしてスケジュールを毎年のように狂わせた経団連。
ふ ざ け る な
夢を目指して始めた就職活動。
とは言っても呑気なもので、4月の半ばにスーツを買いに行ったら店員のお姉さんに笑われた。
好きな会社の情報しか見ていなかったから、就活が3月から始まることなんて知らなかった。
それから行きたい会社の説明会を回ったりエントリーシートを書いて送ったりした。
結局受けた企業は10社もなく、ある1つの会社を除いてエントリーシートは全て落ちた。
エントリーシートの書き方も知らず、バカ正直に自分の書きたいことばかり書いていた。
就職活動の場において「やる気と熱意」というのはあまりにも無力だった。
たった1つだけ最終面接に漕ぎ着けた会社があった。大本命だった。
夜行バスの中で眠り興奮して眠れずにシュミレートした、たくさんの喋りたいこと。
何一つ喋ることはできなかった。
そもそも面接官が聞きたいことはそんなことではなかったのだろう。
あまりにもトンチンカンなことばかり言うからきっと面接官も困っていたはずだ。
なにより、
ゼミのための予習と
結果は言うまでもなく「お祈り」だった。
持ち駒がなくなったが、なんとか志望の業界に近い仕事を探しだし、
説明会でエントリーシートを提出するためだけに再び東京へ向かった。
藁にもすがる思いだった。
やっぱり落ちた。
この辺りで心が折れた。
7月だった。
自分にはやりたいことををやる資格がないことがとても悔しかった。
そうして夏休みを迎えた。
就職活動と卒論があるからと週1に減らしてもらったバイトへ身体を引きずる以外、
時々起きて求人サイトを見るが、やりたい仕事は見つからず、さらに泣いた。
手付かずの卒論に心は焦る。でも焦るだけで、なにもできなかった。
前期の授業料を払った口座の残高を見て肝が冷えた。
12万。これから半年間毎月奨学金が振り込まれるにしても、あまりに心もとない金額だった。
そうして本当に何もしないまま2ヶ月が経とうとしていた。
内定も絶対に無理なことではないのだろう。秋をすぎて内定先を得た先輩たちをよく知っていた。
卒業もできないことはないだろう。うんこみたいな卒論を書くことになるが。
でも自分にはそれに立ち向かっていく勇気はなく、これ以上に心が潰れていくことが怖かった。
せっかくやりたいと思うテーマを見つけた卒業論文をてきとうに済ませてしまうのも、
嫌だった。
あとは自分の心を立て直すこと、メンタルをしっかりとコントロールすることに費やした。
そう安心した矢先、家庭やバイト先、人間関係などプライベート面で信じられないほどのトラブルにも見まわれたが、
残った単位をしっかり取り、卒業論文も進め、心も立て直し、新たな気持ちで3月を迎えることができた。
就職活動の流れようなものも理解して、しっかりその波に乗っかることができた。
去年の反省から違った業界を覗くようにもなった。他にもやってみたい仕事を見つけることができた。
エントリーシートや面接の乗り越え方もなんとなく理解し、選考を進んでいくことができた。
面接に落ちることはあっても割り切り上手にもなった。
なんども行き慣れた東京でも時間の使い方なんかも上手くなってきた。
それでもやはり就職活動の大変さに驚く。
完全に学校に縛られることはなくなったはずだが、暇ができたような感じは全くしない。
やっぱり工夫はしていてもお金はどんどん減っていく。
去年失敗したのはしょうがないことだなと思えた。
ところがどっこい、6月の頭にまた持ち駒を失った。
面接ではどこでもそれなりにしゃべれていた。
落ちていくのは「合わないな」と思った会社だったので気にしなかった。
片方ではヘマをしていまった。片方はサラッと落ちた。
ヘマをしてしまったのは惜しいことをしたが、
受けていたところはどこも狭き門だったのでそれこそ「ご縁」がなかったのだろう。
持ち駒を失った時、自分が体力的に疲れ始めているのを感じたし、
資金の消耗も激しく、交通費などでクレジットカードの支払いがかさんでいた。
少し休んでまた始めればいいや、そう思って就職活動を2ヶ月ほど一度休むことにした。
説明会にいっても心は沸き立たず、
面接にいってもどこか身が入らない。
そのうちに求人を見ていても興味が湧かなくなった。
このままでは拉致があかないと思い、いわゆる求人紹介会社を利用してみる。
あまり話も聞いてもらえないままにとにかくIT企業を紹介される。
いつまでも駄々をコネてられない、何も見ずに判断するのも良くないだろう、
そう思ってとりあえず紹介された会社の選考でスケジュールを埋めてみる。
やはりちっとも興味を持てなかった。
イヤイヤ選考に足を運ぶ日々が続いた。
ただただ怒っていた。そして、至極もっともなアドバイスをくれた。
「しっかり目的意識をもって行動できるはずの人なのに、全然うちに入りたいという意識が感じられなかった。
本当に入りたいの?違うんじゃない」
「本当はやりたいことがあります。」
「そう思います。
多分自分は取り繕いきれません。」
「ちゃんとやりたいと思える仕事探した方がいいよ」
「はい……」
この1年で何も成長しなかった。
この期に及んで自分のやりたいことしかやりたいと言えない、わがままで不器用なクズだ。
どこかでちゃんと覚悟を決めなきゃと思いながら、ずっと心はイヤイヤ言っている。
でも、どうしても自分の心にふたをすることができないのだ。
半端な気持ちで面接に言っても「ははっ、やりたいっすね~w」みたいな舐めた態度に見える。
じゃあこんなクズは素直に卒業してアルバイト扱いからでも行きたい業界に潜り込むか。
でも、今から全てを投げ打ってでもそういう努力ができない自分は結局クズなんだよな。
時々ある行きたい業界の二次募集や小さい零細会社の求人に手を出す勇気がない。
いつのまにか「やりたいです!」と言う気力さえ失ってしまった。
あれも嫌、これも嫌。
結局自分はなにをやりたいんだろう。
ああ、そうなんだろうな。
毎年多くの人が入社し、それと同じくらい多くの人たちが辞めていく、そんな会社だった。
そんな中で自分のような同期や後輩たちがくたびれて辞めていくのを目にしていたのだろう。
やりたいと思える仕事を見つけたい。
でも、少し疲れてすぎてしまったし、
なんだか見つけられる気がしないんだ。
男女間の恋愛でも告白したが為に、それまでの友情関係がギクシャクしたり、
属していたコミュニティやサークルの雰囲気や人間関係まで壊してしまうってこと、
結構あるんじゃない?
一橋の事件で、告白されたあとにZくんがAくんとの付き合い方を変えたり、
極端だと拒絶してもいけなかった?
告白が相手に警戒心や嫌悪を生んだ場合でも、告白された人が悪いの??
直接的にどっかいけ、近づくなって言えない時、どうしたらいい??
わたしの友人はゼミの先輩(一般的に生理的に受け付けられないタイプの人)に言い寄られて、
優しい彼女はシカトも距離を取ることもできず、頑張ってこれまで通りにいようとしたけど、
正確には、以前からあった「彼の親切行為」を断るようになったので、これまで通りとは違ったけど。
それが奴には気に食わなかったようだ
〔余談〕
ただZくんに批判が飛ぶのも分かるけど、
Aくんの恋愛の仕方っていうかスキルがどうだったか、疑問がある
例の件、アウティングをした人が叩かれてるけども、彼の苦悩や恐怖は十分理解できる。
そもそもノンケ専がゲイであることを周囲に隠してノンケにアプローチするというのが、卑怯なわけだよね。
だって世の中、異性と同性ってのは各所で扱いが違うけども、それはやっぱり性愛があるからでしょ。
例えばさ、ゼミだったらゼミ旅行とかあるけど、ノンケ専のゲイと同室になったらどうする?って話だよ。
これが異性同士だったら、大規模な雑魚寝みたいなのは別にして、同室にならないような配慮がされる
わけだけど、性癖を隠してるゲイは単なる同性扱いになっちゃうわけでしょ。困るよね。
風呂もさあ、どうする?「皆で入るか!」って流れになっちゃったら。自分のことが好きなゲイがいるのにさ。
ゲイ専のゲイだったら、まあ同性が好きでも関係ないみたいなところはあるけど、ノンケであることが
で、そういう場面は至るところにあるでしょ。「食事に行こうぜ!」って言われたとして、ただのゼミ仲間と
自分の事が好きなノンケ専のゲイでは違うでしょ。前者はただの人付き合いで、後者はデートのお誘いでしょ。
でも、アプローチをかけられてる人にしか、その違いがわからないんだよ。ゲイがゲイを隠してるから。
ターゲットにされた側はもうアウティングしかないんだよ。アウティングでしか逃れられない。
例の件で「なぜ不特定多数にばらしたんだ!」と怒ってる人がいたけど、不特定多数なんかにばらしてないよね。
彼はTwitterやFacebookでアウティングしたんじゃないよ。ゼミのグループラインという極めてクローズドな
場でばらしただけ。そこがアプローチの主戦場だったんでしょ。だからこそ、そこでアウティングする必要があった。
他人に面白おかしく吹聴するだけなら、適当に個人情報をぼかしてネットにでも書けばいいだけなんだけど、
ノンケ専にターゲットにされてる彼はそれじゃあ救われないわけよ。
4月の自分が申請した大量の履修登録科目が憎い。掛け持ちできると適当に判断して入れた2つのゼミが憎い。
6月の自分が皆やってるし、ていうか皆より上に立ちたいし、インターンも沢山応募しよっ!なんて大して興味の無いインターンを3つも入れた事実が憎い。さらにはボランティアまで始めやがってそこまで就活のネタが欲しいか。
躁状態の自分は自分を過信しすぎる。正直今の自分からしたら未来の自分に無茶させんじゃねえよ。何考えてんだよバカヤローって感じ。いやもうちょっとアツい感じで憎悪してる。
いま?いまね、ボランティア関係の人から来るメールを「熱が出て……」って言い訳をもって全スルーしてる。
ゼミは1回無断で休んで、先生からメールが来たけどまだ返してない。(メール来たのいつだっけな)
友達や彼氏から心配されるのさえ鬱陶しくてLINEやTwitterを消した。
ほんとに死んだほうがいいクズだよなー。
なんて言いつつ↑の所業を放置しっぱなしにする人間だからね。どう思います?
死んだほうがいいなんていうのもひとつの形容詞みたいなもので、本当にそうは思ってないんだけどね。まあ自分から死にはしないな。そういうとこ含めて本当死んだほうがいい(形容詞)。
各所にいっぱい迷惑かけてるのはわかってる(つもり)なんだけど、もうしんどくて動きたくないのよなー。
色んなとこにもう辞めますってひとこと送ればいいだけなのにね。
あ、でも楽しいことはするよ。バイトとその後の飲み会が楽しみで生きてるよ。今日は二日酔いが凄まじいです。13時に起きました。
基本情報・応用情報・TOEIC800点・品質管理検定・数学検定・電検3種
多分まだまだある。
でも、ぜんっぜん研究できないし、しないんだよな。
就活にも場合によっては有利になるだろうし、受験すること、勉強することに関しては一切文句は無い。
ただね。
研究室に来てまでTOEICの本熱心に読んでたり、何かの資格試験の過去問を一生懸命取り組むのは間違ってると思うんだよ。
研究室のその席は、何のために与えられてるんだよ。
正直言って、後輩にも微妙に悪影響だ。
研究しない理由を、資格試験の勉強があるからと言われたらたまったもんじゃない。
それでも、昼にチョコっとやってたり、夜に自分のタスクが終わった後にやってるんならいい。
しかし、何故ゼミの時間や輪講中にそういう自己中心的な内職をするのか。
勉強ができる子って、勉強したらリターンが必ず返って来る資格試験って好きなのかな?
ただなぁ。
参考書に書いてあることを覚えるだけだし。
というアピールをした際は、その資格は自分の何のアピールなのかを聞かれるんだよなぁ。
ただスキルアップのために受験しただけだと、そういう突っ込みに答えられなくなっちゃうよ。
その資格を引っ提げて、鳴り物入りで社会に飛び込んで下さいという他ないか。
どうせハイハイ言うだけで結局人の話聞いてないんだし。
黒白を読んだ。脳髄が痺れる感覚ってこういうことを云うんだと思う。何と言えばいいか、すさまじい物語を読んでしまった。
民俗伝承がテーマになった漫画というと、最近では千年万年りんごの子を読んだ記憶があるのだけれど、それとこの黒白とでは全然毛色が違った。
無論、大いなる“山のもの“を扱った漫画ではあるんだけれど、黒白のほうがタイトル通り黒くて白い物語だった。深みがあるとか考察のしがいがあるとかそういうんじゃないんだけれど、より幻想的というか混沌としていて、勢いのある下巻の最終部の読後感も相まって物語に呑み込まれてしまった。
黒白は雪女伝説が秘匿されているとある東北の村を舞台にした漫画なんだけれど、文献からの引用や、重要な人物となるユキが三人もいることもあって、結構難しい内容になっていたと思う。自分は阿呆なのでたくさんよく分からない部分があったんだけれど、なんとかかんとか読み続けて、結果として切り取られた物語に打ちのめされてしまった。中巻冒頭のゼミ内容から類推するに、かなり難解で意味の分からない物語になっているけれど、根本的にそれ自体には意味などなくて、どのような物語で区切るのかが意味の創生であり、人間としての特性なんだろうなって思った。
年齢的に真ん中にあたるユキをめぐるミステリアスなストーリー展開は、ケイゾクの映画を髣髴とさせる感じで面白かった。主人公と幼なじみの関係は下巻で怒涛の展開を見せるんだけど、その辺りの勢いの付け方や、そこから繋がる神楽狩家内部のある種猟奇的な描写がスリリングで読んでいてゾクゾクした。
最終的にユキは”山のもの”を鎮める巫女のような存在になったのかな。本物の雪女のような姿になってしまったけれど、その変貌を遂げたことで何を失ったのだろう。まだ分かんないからよく整理して考えてみよう。あと考えて分かんないことの一つに、主人公が受講しているゼミの教授が挙げられるんだけれど、一体全体彼(あるいは彼女か?)は何者なんだろう。松樫教授も気になる。この二人はなんか不思議。九車教授は何かしらの観測者なんだろうけど、うーん。
と言ってる人がいると聞いて、
少し考えてみたことを書いてみます。
私の本命企業は経団連には関わっていなかったので1月から第1時期の選考がスタートしておりました。
もちろん私はみんなと同じように3月から就職活動を本格的に始めていたので、今の会社に出会った時は第三時期の選考がスタートしていました。4月から選考が始まって、6月の半ばついこの間に最終選考に合格しました。
私は特に意識高い系ではないので就職活動にそこまでやる気もなく、かといって働きたくなーい就活ヤダヤダーなわけでもなく、みんながしてるからしよーというお気楽な感じで受けておりました。
ただむやみやたらに受けるのは時間とお金が無駄だと思ったので、
というか単にめんどくさかったので
本気で興味がある業界の
受けませんでした。
ESで落ちたのが1社、
2次選考で落ちたのが2社、
日程がかぶった等で途中で選考を辞退したのが3社、
最終まで進み内定を頂いたのが4社
ですね。
お祈りメールにはそれはそれは落ち込みましたが、でも本気で心の底からそこの会社に入ってその仕事がしたかったのかと自分に問うたらそうでもなかったり、、という感じでした。
自慢がしたいのではありません。
何が言いたいのかというと、
こんなことで死なないでください。
就職活動しんどいことばっかりですが、ただの人生の一部ですよ。
それで落ちたなら、あーこの会社と縁がなかったんだなー
むしろ私と相性が悪いなんて残念だな、とさえ思ってました。
勝ち組なんですか?
大成功の勝ち組は、本気で自分が働きたいところから内定を頂いて、いざ入社してみても自分の想像通りもしくはそれ以上にやりがいのある仕事で、大変だけれど仕事が楽しい!!と思えて初めて成功者だと思います、
死にたくなるほど頑張ってるんですよね。
努力の方向性が少しだけ違うところを向いているのかもしれません。
もう少し自分に目を向けてみて下さい。
内定さえもらえればどこでもいい、と思ってたらどこからも受からないです。
絶対そうです。
何もすごい経験なんてなくても私は受かりました。
サークルも入ってないしゼミで研究もしてないし留学も行ってないしインターンシップも行ってません。
落ち込んでもいいですが、やけくそになったらだめです。
でも就職活動で死にたくなる人がいるのは悲しいです。
こんなことで死なないでください。
ガチで人生かかってる重要な時期ですが、暗い気持ちでやっても何もうまくいきません。
あと人のせいにしてもうまくいきません。
選考に落ちたとしてもあなたは悪くないし経団連も悪くないです。
絶対絶対絶対こんなに世の中に会社があるんだから、あなたが行きたいと思えて、あなたを必要としてる会社があります。
誰でも行けますよ。
まだ20代前半でしょ?
目の前の就活だけじゃなくて人生規模で物事を考えてみて下さい!
死にたくもなりました。
本当に飛び降りようとしようと頭の中で考えてめんどくさくなってやめました。
そしてそんな無駄なことであと80年くらいの命粗末にできねえと思って今生きてます。
一緒に100歳まで生きましょう
就活が辛い。面接の前にトイレに行った時、いつも吐いてしまう。
始めた当初は平気だった。むしろ、色んな会社を見学できるのが楽しかった。
さて、今年は売り手市場らしい。それを覆すのが以下のスペックである。
Dラン私大
成績は良い
ブス、嘘をつけない
友達は少ない
突破しても最終でお祈り。
とにかく人間的魅力がない、それに尽きると思う。
それでも、学生時代はボランティアに打ち込んだし、バイトだってしてきた。
もう街でリクスーを見かける度に恐怖している。
受かる方法を誰か教えて欲しい。生保の営業でさえ連絡が途絶えている。
早く親を安心させたい。
また持ち駒を増やさなきゃという強迫観念に駆られて、マイナビを見た。
なんだよ、マイナビ2018って!おい!
文系なのにね
理系のほうがレポートたくさん出してるから書く訓練をしているように思える
文系の学問が要らないとは言わないけど、文系の教育はどうにかしたほうがいい
レポートださなくてもテストで適当に論述すれば単位をとれてしまう
旧帝でこのレベルだったらFランなんかはもっとひどいんじゃないか
ゼミみたいな授業を増やして文章書く指導をちゃんとしてほしかった
(一応ゼミには入ってたんだけどヌルいところだったから文章の練習にはならなかった)
この増田もぐっちゃぐっちゃでしょ?
文系って糞だなあって思う
だいぶ前に読んだ。読み返すほどの価値を感じないので、初読の印象のみで感想を書く。読み込んではいないので誤解や誤認もあると思う。
自分は理系ではないけど、物理や生物、化学の本が理路整然と書かれていれば、難しい定理や公式はともかく、内容はわかる。でも小保方さんがこの本の中で、自分の研究内容を度々紹介しているんだけど、なんと言えばいいのかな、「同じ分野を研究している人にはわかるけど部外者にはよくわからない」感じの説明になっていたように感じた。一般の人に向けて出版するつもりの本に書くような親切な説明ではなかった。彼女なりに平易な表現で書こうという努力をしていたのはわかった。でも「教科書通り」でもなく「彼女なりの理解」でもなく、どこかから借りてきた、上っ面だけの内容に見えた。それだと部外者にだって何が言いたいのかさっぱりわからないのだ。
さりとて専門書に書くとすると説明足らずで稚拙な書き方だった。まだあんまりちゃんと研究してない学部生が、同じゼミの子たちと「ねーねー今度のレポートの課題ってこんなんだよねー?」なんてランチタイムに喋っているような感じかな。あくまでも私個人が受けた印象ですが。
そして、小保方さんご自身の、研究に対する姿勢も、その印象のままなのではないかなと感じた。一般の人にはわかりにくいような高度な内容を研究している割に、専門家としての認識や自覚があまり足りていないような。
繰り返しになって申し訳ないけど私は理系ではない。でも自分の興味の範囲で学術論文を数十本読んだりしてきた。研究者の知人も数名いる。
彼らの仕事ぶりも知っているし、書いた論文を見せてもらったこともある。みんなすごく真剣にデータとってそれをまとめて精密な論文を仕上げていた。
翻って小保方さんはどうかというと、自分が書いた論文に瑕疵があったら後から言い訳をするだけで、書き直す機会を与えられてもそれを生かすでもない。
私のような素人でも、論文に使う図表や画像を他から持ってきてしれっと使うのはどうなの?と疑問に思う。
その程度の人が飲み会の席上で、酔った勢いで「ハーバードに留学したいですぅ〜」と口走ったらそれが実現しちゃう。
アカデミアってそれでいいのか。
彼女自身の無自覚に加えて、周りの環境がそれを是正できるほどシビアではなかったことが、一連の騒動の背景にあるんじゃないかなと思いつつ読了した。
ナントカ細胞の真相とかそんなんはもはやどうでもいい。行く必要のなかった人、行っちゃいけなかった人がハーバードに行っちゃった。それだけの物語だったんだと思った。
婦人公論もちら読みしたけど、寂聴が小保方さんを擁護して励まして、それに小保方さんが「わかってくれる人がいてよかったですぅ〜」と同調しているだけの中身のない記事だった。
外に出るのも怖いとか言いながら、髪をぐるんぐるんに巻いて、膝上ミニのワンピースを着て、首をかしげてカメラ目線で写真におさまる小保方さんを見ていると、なんつーか、本当に、なんであんた研究者とか目指しちゃったん、としか思えなかった。
研究者はおしゃれしちゃいけないとかじゃないですよ。
でもねえ、論文の体裁を整えるよりも自分の体裁を整える方に興味がある人は、そんな仕事やる必要ないし、そのことを売りにする資格はないでしょう。
もう返還し終わったけど、私は大学時代、某日本最大手から奨学金を借りていた。その返還中の話。
奨学金の返還は銀行口座から自動引き落としなんだけど、たまにうっかりその口座にお金入れとくの忘れるんだわ。まあ人間だから返還期間20年弱の間にはそういうこともたまにある。勿論、悪いのは忘れてたこっちだけどさ。
それで督促電話がかかってくる。それはまあ分かる。
でもさ、今はどうだか知らないけど、その督促電話、私の場合は100%ワン切りだったよ。
これマジだから。
詳細を書くわ。
電話が鳴る→出ようと思うがワン切りされる→仙台の局番の番号が履歴に残ってる→番号ググって調べる→ネットでブラックリストに載ってるけどどうも日本○○会(今の名前忘れた)の督促で、その代行で電話かけてる会社(大手系列と思われ)の番号っぽい
てことで、次にかかってきた時(また見事にワン切り)に折り返してかけてやった。
だってさ、ブラックリストに載るほどワン切りしてるってことは、日本○○会から金もらってるにも関わらず督促先に電話をするもワン切りで「電話をした」という実績「だけ」残して「督促業務を怠っている」ワケじゃん。金もらって仕事してないワケじゃん。何でそんな企業に金払ってるとこに利子まで付けて金返さなきゃなんねーんだよ。
フツーに頭くるじゃん。
私、折り電する。
女「はい、○○コールセンターです」(的な。正確なことは記憶にないし別に本筋と関係ない)
私「あのね、今お宅から電話かかってきたんだけど、出る間もなくワン切りされたんだけど?あなたじゃ話になんないでしょ?上の人に変わってくれる?」
~ 少し待つ ~
私「あのですね、今この番号から着信があったんですけどワン切りされたんでこうして折り返してるんですけど。ワン切り一度目じゃないんですよね」
男「それは大変申し訳ございません」
私「で?何の用なんです?用もないのにかけてるワケじゃないんでしょ?」
男「えーとですね、私どもは日本○○機構(日本○○会の今の名前)さんから業務委託を受けまして返済の滞っている方にお電話してるんですが」
私「で、ワン切り?それでお金回収できるんですか?うちはナンバーディスプレイ付けてるからワン切りされても番号分かるけど、付けてない電話なら分かんないし履歴も残んないですよ?どっからかかってきてんのかググってみましたけどね、知ってます?この番号、ネットでブラックリスト入りですよ?」
男「はい」
私「そうやって電話かけて1回鳴らして切って『電話をかけたけど出なかった』ことにして督促業務サボって金だけもらってんですか?そう思われてもしょうがないですよね?実際ワン切りしてんだから」
男「大変申し訳ございません」
私「迷惑なんでもう二度とかけてこないで下さい」
男「私どもは日本○○機構さんから委託されてお電話していますので」
私「ワン切りならかけたって意味ないでしょ?ハガキだって届いてんだから出られもしない電話なんかいらないって言ってるの。分かんないですか??」
男「申し訳ございません」
私「今度ワン切りあったら、日本○○機構の方に『○○(この業務委託されてる仙台の会社)はいつもワン切りしてくるからこんな会社に金払うな』って苦情言いますから。もう二度と無駄な電話かけてこないで下さい」
私、電話切る
この後もうっかりはあったんですが、二度と電話はかかってこなくなりましたね。
借金してでも学ぶ意欲のある人だけ借りればいいモンで、誰も「借金してでも大学入ってくれ」なんて頼んでないの。
こないだテレビで奨学金サラ金化なんて特集やってたけど、それに出てた先生の「そもそも大学全入に反対」に諸手を挙げて賛成だわ。
偏差値40台で底辺大学入って楽しいか?楽しいだろうな。遊んでんだから。
大学で楽しむのは学友達との交流ももちろんだけど、学問なんだよ。それが大学じゃなきゃできないことなんだよ。
先生や先輩と酒を酌み交わしながらゼミの延長で議論するとかマジ楽しいぞ。知らねえんだろ。
知る気もないヤツは大学なんか行かなくていい。てゆーか来るな。入るな。
大学卒業と同時に何百万という借金背負ってそれを毎月毎年返し続けてでも学問したいヤツだけが、奨学金借りてでも大学入る資格があるんだよ。
申請すれば返済の猶予や免除もあることも「知らなかった」とかマジどこまでバカなの?
何でそんなことも知らないで借金してんの?調べもしないで文句だけ言ってたりすんの?
私は大学4年間じゃ研究したりなかったから大学院まで行ったよ。今度は学校法人の奨学金借りて。
全部返済したよ。当たり前じゃん。
就職?院まで行ったらロクな仕事なんかねーよ。それでも返したよ。借りたんだから。
そんな当たり前の覚悟も出来ないヤツが奨学金借りてまで大学なんか来んな。
さっさと就職して手に職付けた方がマシ。
学問なんか金になるもんじゃないし、大学は就職予備校じゃない。
モラトリアムのためにあるんじゃねえよ。
もう借りちゃったヤツは諦めてちゃんと返すか返せないならちゃんと相談なり届出なりしろ。
とは言えこのような場所を好きこのんで読む層に当てはまる話でもないとは思うのだけど、まあ自分の備忘録として。
最近、大学生のお話を聞く機会が増えたのだけど、彼らの大半はどうも自分の内面の発露、表現方法に関して悩みあるいは問題を抱えてる場合が多い。
で、これが彼らにどんな影響を及ぼすかと言えば、卑近であれば就職活動でのエントリーシート、あるいは面接そのものにおいて非常に苦戦するという事態を招く。
彼らはさほど程度は高くないとは言え、大学生なのでそんなにそういう機会が無かったのだろうか、と思うのだが、考えてみれば学部生の論文やゼミ発表などはある程度形式ばったものだったのかしらん、とも思い直すわけである。
つまり、ある程度客観的で指向性のある、極端な話マニュアル化が簡単に可能な表現であれば彼らは十二分にこなせるのだが、それが自己について自由に述べよ、となるとお手上げになってしまうのであろう。
彼らの「自己PR」はまず、感情の言語表現が非常に乏しい。就活における質問として学生時代の熱心に取り組んだものを聞くようなものがよくあるがこれに対し――具体的な例は避けるが、○○が楽しかった、嬉しかった、感動した……と概ねこれで終わってしまう。もちろんちょっとした就活本やウェブでの情報でもこの手の何も言っていないに等しい表現は避けるべしとあるし、彼らも承知しているわけだが、じゃあどうしようかと、煩悶してしまうわけである。
より具体性のある表現を使えとアドバイスするのだけど、それがわからない。で、どうなるかと言えば今度は具体的に偏って、事実の羅列になってしまう。まあ多少マシになったとは言え、これでは自分が何者なのかがあまり伝わらない。この手の質問で企業が求めるのは人間性がわかるエピソードであると思われるので、事実だけ羅列していてはやはり説得力に欠けてしまう。というよりそんなものは履歴書でいいのである。
次にいわゆる「盛り方」があまりに稚拙である。嘘も方便とはよく言うもので、ものを売り込むときにはある程度色を付けるのが世の常であるが、彼らの場合どうにもそれが見え見えであるということだ。
先ほどの具体性の話もそうだが、就活マニュアル的なものではよく具体的な数字を使えとあるという。なるほど的確な数字は説得力を持つし、たとえそれがウソであってもそう証明する事は非常に難しい。少なくとも彼らが日々こなす論文などで示すものよりよほどハードルは低い。
しかし、彼らはそれが上手く使いこなせない。例えばこれもよくある質問として学生時代の功績を聞くようなことが多いが、これに対しよく彼らはパーセントという形で数字を使う。よく考えてみて欲しい。例えばメンバーに声をかけ部の参加率を上げた、ということに対してパーセントで功績を強調してもあまりにも「ミエミエ」で実質的な説得力が無いように感じられないだろうか。これでは先ほどと同じように「何も言っていないに等しい」。それなら何人に声をかけて、あるいはどれだけの期間を費やして、部の参加者を増やしたという方がよほど説得力があるし、そこでの具体的エピソードも盛り込みやすい。(もちろんウソだって構わない、バレないのであれば)
総じて見るに、どうも彼らはステップを省略し安直な結論を提示する傾向(ここでは触れないがこれに付随して外部の「答え」を求めようとする傾向も見受けられる。無論そんなものはない)にあるようで、結果として全く説得力を伴わず、「自分」を明確に伝えることに出来ない「自己PR」を作り上げてしまうようである。論文は日々書き慣れているにもかかわらず、である。
とはいえ、彼らがあるいは我々がそういった事態に対処する術を学ばなかったかと言えばそうではない。反応は様々であろうが,この国の教育には今なお「読書感想文」というものが存在する。
大学生ともなるとそういう機会もないが、読書感想文を書くことはその実自己の内面表現そのものであり、なおかつそれを相手に明確に伝えるための文章を書くと言うことでもある。その一方で、「本」というガイドラインがあるので書くべき道筋がわかりやすく、自分の考えに対して何から手を付ければいいのかわからないということにもなりづらくなる。その道筋を通じて、人に順を追って伝えるというということに対してヒントを得ることも出来よう。
もちろんこれは本でなくたって良いわけで、ドラマであろうが映画であろうがゲームであろうがアニメであろうが、なんだって構わない。要するにそれらを通じて自分が何をどう考えたのか、と省みる機会があれば良いわけで、その上でそれを過たず明確に文章化できれば良いのである。
そして出来上がったそれらを読み返すことで、自分の表現のどこに説得力が足りないのかということも見えてくるだろう。また、人に読ませることを意識すれば、どうしたって多少の見栄も張りたくなるし、あまり好ましくない考え方も書きづらくなるだろう。そういった自分の内面と他者の視線というものをバランスよく取り入れた「ウソの付き方」も磨くことが出来るはずだ。一石二鳥である。
読書感想文というものがこの国の教育においてどのように位置づけられるか、と言えば、「事象と感想、意見などとを区別するとともに、目的や意図に応じて簡単に書いたり詳しく書いたりすること」と「書かれている内容について事象と感想、意見の関係を押さえ、自分の考えを明確にしながら読むこと」を目的とする授業の一環として行われるという。卑近な例ではあるがこうして見るとまったくそれは必要な作業ではなかろうか。これらの中には論文の作成方法も含まれ我々はそれを並行して学んでいくが、外側の事実を対象とするそれだけでは、我々は「自己の内面を誰かに伝える技術を磨く」ことは出来ないのではなかろうか。
確かに自己表現といったものを過度に求める就職活動や、そもそも現実に行われている読書感想文の指導法にはあるいは問題もあるかも知れないし、その是非は問われるべきかも知れない。しかし教育や就職活動といったものから、あるいはこの国の国情から離れたとしても我々が高度に社会性を持ち、他者とのコミュニケーションなくして生活できない生き物である以上、こうした自己を誰かに伝える能力はどのみちどこかで必要になるのである。
自己の表現に関して正解などない。しかしそれはその技術を磨かなくてもよいと言うことは意味しない。たとえ正解が見いだせないものであっても、コツコツと磨き続けることは思いもよらないところで自らを助けることもある。
9:30-11:30 とある会社のグループワーク選考 ねむい
個人的にグループワークは事前知識無くても出来るのが多いのと卓ゲームっぽいので嫌いじゃない
移動 ご飯は大学でおにぎり2個買って食べた 胃弱に塩むすびは癒し
13:15-14:45 ゼミ ねむい 四年生だけど大学の制度上ゼミは四年も取らないとなのだ 3年で取りきれる制度裏山
移動
16:40-17:10 会社面接 待合室で学生とちょっと話した。面接が1日に3つもあって卒論もあって講義もあって…という話を聞いた。皆過密スケジュールだな
移動 パスモの残高が死にかけてることに気づく
18:15-19:00テストセンター 前やったテストが酷かった気がするので受けなおした。テスト受ける時期遅くない?とか言われるかもしれないがなんか業界的にこうなった 正直使い回せばよかったと後悔している
21:00-22:00 風呂
22:30-23:30 仮眠 眠すぎて寝た。前日が3-4時間睡眠だった。なんでだっけ多分今日と明日の面接のこと考えてたのかな?
0:00-1:30 A会社のES作成(明日提出) てがきなうえに量があってつらい
1:30-2:30 B会社の面接対策 軽く言うこと見直したりとか
2:30-今 A会社とB会社の明日提出の履歴書×2 てがきつらい あともうちょい
自分の容量の悪さと見通しの甘さを地味に呪っている