はてなキーワード: ゼミとは
童顔でちんまい系でうぶな大学一年生の女の子が大学デビューでゼミの先輩の院生の男と付き合うことになるも夜の生活でとんでもない変態的行為を要求される、
日に日にやつれていく彼女を心配したのは飲み会で出会ったゼミのOGで彼の元カレの現在は婦警さんとした頑張ってるデキる系女子、
婦警さんは彼の駄目っぷりをよく知っていたため、あんな男は辞めた方が良いと、ちびっ子を説得する、
しかし、ちびっ子は夜の生活以外はしっくりきており、別れるつもりはないと豪語する、
そこで婦警さんは今までの彼の変態的要求は序の口で、自分はもっと酷いことをされてきたことを、ちびっ子に体で教えて上げることにする場合、
なんか今日は妄想が広がらないので、この婦警さんとチビっ子ネタはもう一回明日チャレンジするつもりですが、
皆のキャスティングお待ちしておりまーす!
軽い気持ちで学部、修士と内部進学してきたハカセさんは、おなじ大学の「研究室」に入院することになる。しかし、そこは自分を含めてドクターコースがわずか5人の学校だった。居室には「センセーに気をつけろ」の置き書きがあり、論文は3年間に1本しか出ないほどのクソ教官の下での、ハカセさん、アイヤーが口癖の中国人留学生リーさん、キムチの苦手な韓国人留学生キムさんら博士課程学生の、日々の研究を描く。
つづく?
人生50年と言われた時代ならもう折り返し、何もすること無く連休が終わるので振り返る。古い記憶は思い出すのが難しく、新しい記憶ほど濃く出てしまうのは仕方ない。
進研ゼミをやってたこともあり勉強はそれなりに、いやそもそも小学校の範囲なんて普通に聞いてればどうにかなるだろうと。
運動は苦手というか嫌いで部活はインドア系、今で言う程の虐めは無かったがからかわれたりされるキャラ。同じ目立たな系グループや、全方位社交的タイプの人や、辛うじてまだ友人と呼べる人がいた。
この頃、パソコン(PC-9821)を買って貰った。もちろん建前は一家共用のもの、だけど実際に使うのはほぼ自分だった(PC-98というところかしてお察しください)。
当時のパソコン通信もやるようになり、「馬鹿(なことを言う奴)は叩かれる」という現代に通ずる教訓を得ることができた。
そして勉強。生来のズボラさ、真面目系クズの因子があるとこの辺で勉強に付いていけなくなる。当然、落ち零れ始めると進研ゼミはテキストも開かない、課題提出もしないまま高3まで継続することになる。
この頃、一人だけ自分に対して話しかけてくれる女の子がいた。「○○って好きな人とかいるの?どんな人?だれだれ?」と妙に絡んできたり、将来はパソコン使う仕事がしてみたいとか話したら、教室の班内で日記的なものを順に書き教師に提出するノートで(明らかにそんな興味はなさそうなのに)「パソコンの仕事がしてみたい」と書いたり、それなんてエロゲ的な知識からするとフラグと思えなくも無いが目に見えないフラグなんて何の意味も無いし気付くわけが無い。しかし今でも夢に見ることがある。お陰で、上述したエピソードどころかその存在すらも夢の中で自分が妄想したものではないかとすら疑い始めている。
この辺りから、顔を知っているという程度の知人はいても友人というほど親しい存在がいなくなっていた。放課後に誰かと遊びに行くこともなく、パソコンにかまけていたんだと思う。
中学時代の女の子は帰り道が一緒になったときに声を掛けてくれたりたまに話してくれたりもしたが、いつしかそれも無くなり、逆に自分が無意識に目で追っていることに後で気付いた。
大学受験は散々だった。理系なのに数学の内容が全く理解できない時点で終わってる。結局、3月過ぎの最終日程で、得意な現国一教科受験が可能なFラン大学の新設情報系学部へ滑り込みを果たした。
(高い)金さえ出せばアホでも行けるという周囲の評判通り、他学部ではチャラそうな男女が目に付いたが、一日自由に誰の目を気にすることも無く快適なパソコンとネットが使えるというのは大変に魅力的で暇さえあれば通い、家では新作エロゲをひたすらプレーしていた。
ゼミのメンバは(イベント毎があれば何かしたがるリア充的な彼ら特有のノリで)大変に気さくで飲みに行くこともあったが、それ以外の場ではやはり話す人も無く、遊びに行く友人も無く、淡々と3年で必修単位を取ることに徹した。卒業1年後、ゼミの同窓会的な催しの連絡があり行ったが、その後は音信不通となった。
氷河期と呼ばれる時代は辛い。私はこの時点まで使う必要がないことから携帯電話を持っていなかったが、さすがに差し障りが大きいということで親名義のものを譲って貰った。
就活は自己分析に始まり自己否定に終わる。誰もが思ってもいない建前を並べ、何処でも良いから内定を寄越せという本音を隠そうとするがそれでも否定され、自分が社会に不必要な存在であると言うことを実感させられる。
「性格分析の結果だと、凄く明るくて社交的なのに全然違うね?」と宣うぐらいなら、性格検査なんていうアホな試験をさせるべきでは無い。何処の世界に就活で、自分は暗くて内向的なコミュ障ですとアピールする奴がいるというのだ。
「凄く優秀そうなのに、どうしてまだ未内定なのか不思議です」、その理由はすぐ横にいる人事に聞けばいい(これを言われた面接で落とされた)。
しかし50、60、と面接の回数を重ねると利点が一つだけ有る。心身が疲弊しきって、面接程度ではもはや緊張を覚えなくなるのだ。相手も本気で新卒に何かを求めているわけじゃない、地雷かどうかを見極めているだけだ。グループ面接で聞き飽きた他人のエピソード第一位は「サークル or バイトのリーダーとしてイベント or 仕事を成功させた」だが、横で聞いてる自分ですらまたかよと思うのに採用担当者ともなればもうやめてくれと思うんじゃ無かろうか。
そんな無我の境地が奏功したのか、一社だけ内定を得ることができた。自分のやりたかったこと(開発)とは微妙に異なるがIT系ではあるので運が良かった。
アキバをオタクの聖地だなんて今でも言うのか知らんが、半導体からアニメまで界隈に集い、ここに慣れてしまうと他が物足りなくショボく見えてしまうのは仕方ないことだと思う。毎週通うために回数券で切符を買っていた。
仕事の方は、残業70~90H/月程度だったがこの頃は羽振りがまだ良く残業時間にうるさくは無かった。むしろ残業代の形で還元されることもあり、周囲含めて生活残業が多かったのだと思う。
しかしそんな給与は1円も貯金すること無く、エロゲやアニメDVD、同人誌、マンガ、CDへと消えていった。
社会人何年目かで、アキバで出会ってしまったのがいわゆるドールだった。フィギュア的な造形でありながら、フィギュア以上の表現力を持ったそれにすっかり魅せられてしまった。
ドールは大量生産に向かないためか通常に買う場合でも一体6~10万、過去の人気ドールともなるとヤフオクで20万、30万、もしくはそれ以上という異常な価格となる。しかし買えない価格では無い。そう、社会人にとっては多少無理をすれば大抵のものは買えてしまう。
ある時、どうしても欲しいドールがあり、初めてキャッシュカードに付属したキャッシング枠を使った。そしてクレジットカードと同じように後日それを返すだけ。
人間の感覚というのは本当に恐ろしいもので、一度味をしめると慣れが生じる。経験が油断を生み、警戒心を歪ませる。
間が悪いことにこの頃、親会社への出向が解除となり入社以来縁がなかった自社に戻ることになった。子会社にとって残業時間管理は死活問題、定時を過ぎて用が無ければ帰れとしつこく言われ、何年かぶりに明るい時間の帰宅をした時は戸惑うしか無かった。
残業時間が減れば残業代が減る。残業代が減れば収入が減る。収入が減れば欲しいものが買えなくなる。ここで話は戻り、足りないなら借りるしかないということになる。
最初のキャッシュカードの使用枠はいつの間にかなくなり、別の消費者金融のカードを作っていた。最初は50万だけだったのが、100万、200万となり、気付けば借金は3社で計400万近くなっていた。
消費者金融における総量規制により年収の1/3以上を借りられなくなるという話を聞いたとき、ようやく現状を省みることができた(総量規制に便乗した、いわゆるおまとめローンの案内が来た)。
多分、一種の買い物依存症だったのだろうと思う。買うという行為自体に満足感を覚え、DVDやマンガなどは買ったときのレジ袋のまま部屋に放置していたというのがその証拠だろう。酒や煙草は全く嗜まないこともあり、溜め込んだストレスを知らず知らずのうちに買い物という方法でしか解消できなくなってしまっていた。
この400万近い借金の返済には6年を要した。途中、1円単位で小金を集めて用意することもあったが一度の遅延もなく(信用情報上、大きな借金がある時点で不利なのにさらに遅延があると極めて不利になるので絶対に避けたかった。また、大きな借金があっても遅延無く支払っているのであれば継続的に安定した収入があると見做される)、むしろ終盤には収入が増えて余裕ができたこともあり予定より三ヶ月ほど早く完済が叶った。
あれほど金が無い、金が無いと言っていたのに今では200万程の残高がある。しかし三十路を過ぎた男が200万しか貯金が無いというのは余りに情けない。
しかも20代の頃はただ闇雲に浪費を重ね、何かを極めたわけでも、引き換えに何か誇れるものを得たわけでも無い。そして30代の前半は今月分を返済したら幾ら残るかを考えるだけで過ぎてしまった。
社会人になってから自名義で契約した携帯電話としてiPhoneを持っているが、その番号を知る知人、友人、家族はいない。掛ける相手もいないので履歴は全てセールスの着信で、発信履歴はない。
一度、中学校の同窓会案内が転送されてきたことがある。当時はそれどころではなかったのと、中学時代の同級生に特に思い入れも無かったこともあり返信すらしていなかったが、引越の時にその案内書がでてきた。よくよく見ると同窓会の告知するwebサイトの案内があり、ふとした興味で何となく覗いてみた。いわゆるBBS、当日の写真といったものがあり、聞き覚えのある名前を発見することができた。
写真は年相応になった懐かしい(…とはあまり思えなかったが)面々、年老いた教師、といったものだったが、BBSの方は久闊を叙するメッセージの狭間に「当日は子供の世話が…」「嫁の都合で…」といった文言が有り衝撃を受けた。恐らく当時は26、27ぐらいの年齢だと思うが、見覚えのある名前がそういう状況になるというのはなるほど奇妙なものだ。赤の他人の話であることに違いはないのに、すぐ横で出し抜かれたような気がしてしまうのだ。
今となってはもう友人も恋人も結婚も望むべくもないし全てが遅すぎた。もし来世があり、草や木に生まれなかったのなら次はもう少し人間らしい人生を送ってみたかったと戯れに考えてしまう。
例えば面接で話す時、つっかえつっかえ話す感じになってしまう。
かといって日常会話では話せるのかというとそうでもなく、これまた、とっさに上手く言いたいことをまとめられなくてたどたどしく話してしまう。物語のあらすじとか簡潔に話すの凄い苦手だ。
バイトで決まった喋りはできるし、(おはようございます、いらっしゃいませとか)吃音症ではないと思う。身近に吃音症の方いたんだけどやっぱり自分が同じ症状と言われてもしっくりこない。
面接などで事前に内容を考えておく時は、文章丸暗記ではなくキーワードを覚えるようにすれば良いと聞いたから、そうすると、キーワードは言えるもののそこに至るまでの繋ぎがgdgdになる。また予定外の質問に対してはさらにgdgd度が増す。
こう…プレゼンとか漫画の台詞を話すようにすらすら話せるようになりたい。せめて日常会話でも。
決まった内容をすらすら話せるようになるにはカラオケ屋とかで練習すればいいのかな
とっさの会話は…
悲しくなって、今も眠れない。ゼミの皆で飲み会をしていた。その中に好きな人が居たのだけれど、酒が入っていたせいか、ボロクソ言われてしまった。
「お前の頬骨が指原に似てるwww」
皆シーンとして、私は言われた事よりも、皆が気まずい顔して私の様子を伺っている、その姿勢にも少しショックだった。フォローを入れるそぶりもしないし、何か言ったら地雷、みたいな雰囲気が、私はかえって悲しくなった。
笑に変えようと、「目が細いのね!団子っ鼻で、ほっぺたが出っ張ってて…」と言ってる最中に、「受ける!何でこんなにバラバラなのww個性的な顔してるよねww」と大笑いされてしまった。
「しかもダサイAKBとか、顔で勝負出来ないバラエティ要因のアイドルとか、首から下の身体で売れてる女優とかwww」と。
女として見られてない事は勿論、もう汚れキャラとして見られている事がよく解った。そして何よりも、好きな人にそうやって皆の目の前で言い放つ位、私の市場価値の低さが解った。
自分だって、決して自分が可愛い人とか思ってないし、高校まで外見云々を気にせず皆でワイワイと楽しく生活してきた程度の人間だ。
でも何も、そこまでいう事ないじゃないって思った。セクハラって、こういう事なのかなって思った。まさか好きな人に侮辱されるとは、流石にキツイ。
私はその人を好きな事も知らないし、向こうも知らない。まだゼミのみんなと顔を合わせたのも、数回程度だし、初対面の人だっていた位。だから、「好きにならない様にバリアを張った」とも思えなかった。それに、男女問わず、私の他の人達にも、顔やキャラやファッションや言動の事を色々暴言?を吐いてた。
顔面偏差値とか、色々検索する度に、ネガティブな情報が出てくる中に、上記の芸能人たちが、出てくる。
整形を考えた事は無かったけれど、初めて整形を考える様になった。とにかく悲しくて悲しくて、ここに吐き出すように書きなぐりました。
ここまで読んでくれた人、乱文ごめん。読んでくれて、有難う。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20160423184004
本めっちゃ読んでて素直に凄いと思った。自分もこの方程では全然ないが読書が趣味だ。だから履歴書に趣味読書と書き辛くてもやもやする気持ちは凄い分かる。「趣味読書=無趣味な人がとりあえず空欄を埋めるために書くもの」ってイメージがついちゃってるのがなぁ。
履歴書の趣味欄って「その趣味から何を得たか」とか知るためのものなんだろう。だから沢山読んでる人なら読んだ冊数言って、本の内容から「何を学んだか、そしてそれが社会においてどう役に立つか」とか言えれば立派な自己アッピルになるのかもしれない?
ゼミの教授が「文学研究で得た分析力とか物事を様々な角度から考察する力は社会に出ても役に立つ」って言ってた。つまり読書は、ちゃんと本を読んで何かを得ている人なら立派な趣味として成立するのだ。だからそんなマイナスイメージで見ないでくれなんだぜ
寝坊は怠慢だとおもう。
概ね賛成。
遅刻は怠慢だとおもう。
これも概ね賛成。
睡眠障害で起きれないし軽度のADHDで時間の感覚が若干おかしいなんて。言ったところで誰も相手にしてくれないし。
眠れないよりマシとか言ってる人はくたばってくれ。じゃあわたしのこと毎日起こしてくれ。起きれなくて授業サボったり予定をキャンセルするたびものすごい自己嫌悪に陥る。あーあ。
寝坊するたびほんと信用度下がってるなあって思う。それで一つ単位落としたし。
でも処方箋もらったりしている以上、障害を盾にしちゃいけないと思うしそれを正当化しちゃいけないと思うんだよね。睡眠障害で起きれないから授業休みました!って言ってそうかそうかじゃあ仕方ないねなんて言ってくれる人はどこにもいない。
自分の身は自分で守らないといけない、十分承知してるんですけど、ですけどねえ。たぶんここ最近は諸々のストレスとか季節の変わり目だから体調崩してるってのもあって、余計に起きれてない。2週連続で1限のゼミをさよならしてるし、この前とある面談も寝坊かまして日程変更してもらった。
こんなんで社会人になれるのかなあ。とりあえずゼミの先生に言い訳を考えなくちゃいけないから、わたしの信用度が下がらないような欠席理由を募集してます。
ジコブンセキ
は?ゼミもバイトもサークルもボランティアも旅行もやってないんだが。エピソードは何でもいい?じゃあもっとクソみたいな体験で文例載せろよボケ。
あれもしかしなくても自分ってダメ人間なのか?そもそも働くことが向いてない結論に至る。
もう何回書いたかわからない。一つ文字を間違えると初めからやり直さなければならない。手書きで長文を書くというのは現代人にはつらい。似たような、でも少し違うことを書くのは気をつかう。これ前の会社の志望動機じゃん死ね。
しかしこれは前時代的に見えるが、書かれている文字から相手の性格や人格までもがまるわかりになるという高機能なものなので侮れない。
どこの説明会に言っても念仏のように唱えている。セイチョウしないと死んでしまうの?私はもう死んでいるのか。
ナイテイ
まだ自分はこの目で見たことがなく、本当に存在するのかも疑わしい物。どうやらとても幸せなものらしいが、自分にはわからぬ。ただこの言葉を聞くたびに心が痛む。ちなみに前にナイが付く私のものは偽物らしい。
シャカイ
SIerはブラック。日本はブラック。パワハラ、サビザン、リストラ、カロウシ。
シャカイというところは魑魅魍魎が蔓延り、普通の人々は精神を病んで脱落していき、悪鬼になられば生き残れない恐ろしいところらしい。そんなところに入らなければならない自らの宿命を呪う。
オイノリ
ケンショウやらゴカツヤクとはそんなにも何回も祈られればならないものなのか。時間差で攻撃を受けるのが地味な嫌がらせだ。1週間ほどと言って翌日にはオイノリされたり、全く忘れたころにオイノリされる。命中率100%なのは仕様?回避コマンド求む。
続く?
大学の頃オタサーに居たけどオタサーの人はアニメとか漫画とか好きで追ってた
だから案外話が合わなかった
そのため、共通言語として流行りの作品に触れる、みたいな文化があった
今でいうとおそ松さん的な
たまにしか顔出さないメンバーにはそういう文化はなかったけど、よく見る人はそういうことしてた
クラスとかゼミであうオタクっぽい人がコミュニケーションツールとしてアニメ見てた
なんとなくコミュニケーションツールとしてアニメみるような人って2chまとめも頻繁にチェックしてるイメージがある
あと知り合いがFランク大学で大学の友達に会ったことあるけどFランの場合は学生のモチベーションが低いからオタサーの人もみんな基礎知識がない。2chまとめの付け焼刃で話してる感じがすごかった。趣味に対しても無気力すぎてやばい
二人とも勉強はできたし、かなり見目が良くて芸術学部のモデルバイトをしたりしてよくつるんでいた。
イケメンにはYさんって言う彼女が居て、Yさんが告白して来たので便器代わりに2年ほど付き合っている状態。
12月頃、イケメンが元々好きだったが断られていたAさんと浮気して付き合う事に、そしてYさんは捨てられた。
普通ならイケメン大勝利、イケメンだから仕方無いってなるじゃん?
次の日からイケメンは総シカトされ始め、教授にも何をしたかしっかり報告されていて煙たがられ始めた。
その時思ったんだ、イケメンと美人だと美人の方がカーストが上なんだなと。
4年ぶりに書くけど、堀先生や碓井先生や山田先生がいた頃が懐かしいなぁ。
今はHPを見ると退任された方が多く、見覚えのない先生も何人かいました。
今の地理学科はどんな感じですかね。
偏差値が自分がいた頃より10近く下がってるのを見るとやるせない気持ちになります。
ちょうど海津先生が赴任して来られたばかりの時でした。
彼の授業では英文を使った海洋学や地質学が盛んで皆で囲んで訳す作業で、毎回宿題を出されて英文和訳を提出してたっけ。
三木先生や土平先生、山田先生とのフィールディングは実に有意義だった。歴史、城郭、地誌、測量などなど、今の仕事に大いに役立ってる。
もうおられないかもだけど池田碩名誉教授が研究室を勝手に占拠してるって話を彼のゼミ生だったF氏から伺った時は本当に爆笑だった。
池田先生の授業も相当面白かったよ、今となっては良い思い出(評価は可よくて良ばっかりだったけどw)。
堀信行先生の授業は正直最も議論が白熱したのではないかと思う。
当時専攻してた環境地理では、気候学より水文学の話が面白かったよ。ダヴィンチのモナリザの絵から地理的情報を読み取る方法論は今でも為になってる(『水の原風景』は名著)。
僕はあの頃が一番好きだった。いつか奈良大学に色んな事を報告できれば良いなと思う。
30歳までには結婚したいと言う話をしてた。
単純に考えて1年間の土日の数は100日しかなく、
30歳までに土日はあと200日しかない。
恋に落ち、手をつないでちゅっちゅしてとか考えてるらしいけど
まず彼氏がいない状態をなんとかしなければいけなんじゃないかしら。
ちがうな。彼氏がいない状態を打開出来る行動を取っていない状態を
なんとかしなければならないのではないか。
土日は彼氏なしの女3人と飲んで近況報告しあったり、
撮り貯めたドラマを見てるらしいが、
貴重な1/200をそんな事で消費してしまうのか。
いろんな形があるけれど学生の頃は、サークルやバイト、ゼミで仲良くなった子と
付き合うってのがほとんどじゃないだろうか。
その頃の感覚で恋人を作ろうとしても普段接する職場にイケてる男がいなければ
たちまち選択肢が無くなるしまともな男は35までには結婚しているから
後は地雷だけになる。
動け、30手前の女どもよ。
今年の卒論・修論が一段落した.そこで思うのあるが,研究室で学生をみていると,学部・修士・博士を問わず,研究(者)に向いているかってのは,かなり簡単に判断できるよな.研究者として就職できるかってなるとまたコネなど色々な要素が関連してくるので一概にいえないのだが,たとえば「こいつにファースト(筆頭)で論文を書かせて査読を通せそうか」あるいはそういう人間に成長しそうかってのはけっこう早い段階で分かる.
論文の元となる調査や実験そのものには失敗がつきものなので,卒論や修論の研究が頑張った割にいいものにならないってのは,運の要素もある.しかしそこはおいといて,「そこそこ意味のある調査結果が得られた場合に,通るんじゃないかと期待を持てる論文を書けるかどうか」は,レポートやプレゼン資料や論文を書き上げる際の態度みたいなもので,かなり判断できるのだ.
その態度というのは,昔から言われている平凡な真実なのでわざわざ言うほどのことでもないんだが,結局のところ研究の目的,つまり「何を明らかにしたいのか」をしっかり考えているかということに尽きる.要は「問い」がしっかりしているかどうかということだ.
の2点な気がする.「問い」が明確に定義されているかどうかってのも大事なのだが,それは結局,先行研究を掘っていく中ではっきりしてくるものだと(少なくとも俺が関わっている分野では)言えるので,上記2点をみていればだいたい学生の資質は分かる.まぁ,見ていればっていうか,自然に見えてくるものなので,特に頑張って見極めようとしているわけでもないんだが.これらは,「目をみれば分かる」というと文学的すぎるがそれに近いものがあって,ちょっとした会話やメールの文面なんかにも如実に現れてくる.
それで最近思ったのは,上記2つの態度は,指導してもあまり変わらないんじゃないかということだ(もちろん人は変わることがあるので,見切りを付けるのが早過ぎるのも問題だが,多くの人がイメージするよりも早い段階で,簡単に見抜けるもんですよということをいいたい).
先行研究で既に明らかにされていることは何で,いま自分が取り組もうとしているテーマは先行研究からの文脈上にどう位置づけられるのかが「気になる」かどうかというのは,かなり「性格」に左右される問題なんじゃないかという実感がある.真面目な学生であれば,調べろと言えば調べるのだが,言われなくても調べるorまだ調べて無いけどこれから調べなきゃという意識を自分で持っている学生と,そうでない学生の間には,大きな壁がある.
また,「問い」が切実であるかどうかというのも,結局は「本当のところどうなのかが気になって仕方がない.だから考える」「人がまだ考えていないことを俺が考えて明らかにしてやりたい」という,ほっといても調査や考察が加速していくような「性格」を持っているかどうかで,ほとんど決まる.
勉強が好きで,「研究者」という存在になることそのものへの願望が強い学生であったり,非常に優秀で要領の良い学生であったりしても,上記2つの「性格」を本当に持ちあわせていない奴はけっこういる.そういう奴には,民間企業や,役所(事務官・技官を問わず)への就職を勧めることにしている.
たとえば,とても「知的」でしっかり教科書などを読んでいて,「研究」という活動に憧れを抱いているんだけど,自分の頭で考えたことが何か素晴らしいものであるとの思い込みが強く,他人の研究を参照する努力を怠ってしまう奴がいる.少し調べると,自分ごときの思いつきなんていかにショボイものであるかとか,すでに30年前から議論されているのだというようなことがすぐにわかるのに,それをやらない.
また,めちゃめちゃ頭がよくて努力を惜しまないのだが,何か本質的なことを「明らかにしたい」という願望を強く持っていない奴がいる.そういう奴は,たとえば大手のコンサル会社などに就職すると,極めて有能なビジネスマンになっていたりするのであるが,研究職には全く向いていないのだ.
たとえば東大の学部から大学院に来た学生は,地方の国立やそこらへんの私大出身の学生よりも優秀なことが多いのであるが,上記1と2を持ちあわせない東大生は,結局のところ研究者としては,それらを持ち合わせる他大出身者にかなわないのだ.東大生や京大生は,不向きな道に勘違いして進んでも,脳のスペックである程度まで押し切ってしまうことも多いのだが,どこかで壁に当たるというか,研究に飽きてしまうようなことも多いように思う.(しかしなんだかんだで,旧帝大出身者のほうが,上記1と2を持ち合わせる学生が多いような印象はある.頭がいいけど研究者として使い物にならない学生は,上位私大に多いかな.)
※注記しておくと,オボ何とかさんみたいなのはそれ以前・以外の問題を色々抱えていそうなので,あまり興味がない.
それで,他の大学や研究室の教官に言いたくなることがよくあるのは,研究者としての見込みの無いやつに,研究者としての自分のやり方みたいなものについてくることを過度に期待するのはやめたほうがいいでしょということだ.学生本人がどんだけ優秀であっても,どんだけ「研究者」にあこがれていても,向いてない奴には全力で「民間就職」へ向けて頑張らせるべきだ.大学や大学院は研究の場であり,研究者としての姿をみせるのが仕事だと思っている教授・准教授は多いのだが,研究に向いてる学生なんてそう多くはないのだから,卒論・修論は適当にすませておいて,就職活動をがんばるようにと早い段階で言ってやったほうがいいのだ.
あと,研究者としての見込みがないことを見極められずに,うちの研究室に学生を送り込んでくる他大の先生方にも困るときがある.まぁこっちは研究室としての学生受け入れの枠はけっこうあるから,最低限の水準をみたしていれば進学はさせるし,途中で化ける奴がいないとは言わないけど,どっちみち民間就職したほうが活躍できる人材には,手前の段階でそのアドバイスをしてやったほうがいいのではないか.
まあ,研究に向いてなくても,修士で2年間研究に取り組んだという経験が,企業に入ってからとても役にたったというような話はよく聞くので,そういうのを無くすべきとまで思っているわけではない.こっちは研究が本職だから,研究に向いてないやつに指導をして,とりあえず学位をとって卒業するためだけの論文の添削をしたりするのもダルいのではあるが,そうやって民間就職組の人生の糧になるようなものを与えてやるのも,大学人としての義務の一つだとは思っている.てか,そういう義務の意識のない,研究の世界に閉じ込もっているような先生に限って,学生の向き不向きの見分けが付かずに「無駄な進学」や「無駄なゼミ出席」を量産してるんじゃないかという気もするが,どうなんだろうね.俺はどっちかというと,「ゼミなんか出なくていいから企業説明会にでも行ってろ,単位や学位をギリギリもらえる程度に仕上げるための指導はちゃんとしてやるからな」ぐらいの意識なのだが.
そういえば学部3年から就職活動をするのが,勉学をおろそかにしているとかいって問題化していたと思うが,それもそんなに大問題なんだろうか.たしかに大学人としては,学生には,たくさんの論文や教科書を読み,データとにらめっこしながらああだこうだ悩むような学生生活を送って欲しいという思いはあるものの,結局のところ研究に向いていない学生にとっては,「そこそこ以上の待遇の会社に就職できるかどうか」のほうが人生上のインパクトがはるかに大きいのだから,もうそっち優先でいいんじゃないのかと思う.
最近進んできたように,企業が一致して就活期間を短縮すれば,同程度に就活を優先していても勉学に割ける時間は多くなるだろうが,「最初にどこに就職するか」はかなり大きく人生を左右すると思うので,就職について考える期間が長いほうがむしろいいという気がしなくもない.
というか,周りでも「就活優先でいいんじゃない?」派の人が多いので,新聞などで早期の就活が問題だと書いてあっても,そもそもそんなの問題化してたっけ?という疑問はあるのだが.
だいたい,研究職についている先生方の中にも,学部自体は遊び呆けていて院に進学する間際でなんとなく勉強し,その後なんとなく大学に残り続けているって人はけっこういるぞ.そしてそういう人が,割と尊敬に値する研究業績を挙げていたりもするのだ.そういう先生方は,本質的に研究に向いていたから宿命のようなものに沿って研究者として生き残っているのであって,「就活より勉学を優先したから生き残っている」というようなことは全くない.「この人が他人の講義に真面目に出席して聴いてる姿なんて想像できない」って人だってけっこういるしな.
おなじようなことがあった。最終的に俺はうまく行かなかったけど、後悔しない行動を元増田にはして欲しいと思う。
俺も告白して同じようにLGBTと言われて、最初嘘かと思ったけど話を聞いてると深い話も出てきたので、そういうもんかと思うようにした。
見た目も髪がショートでボーイッシュで、とかそういう所は共通してた。
交際を断られたんだけど、男性として魅力が無くて断られたとか、異性として見れないと言うより、その人が「女性を性の対象とする女性」と言う人だったことに気持ちの落とし所が分からなくなってしまった。
とりあえず、その人のことを好きでいる間は優しくしようと思って優しくしたり、色々ちょっかい出してかまったりしてた。
段々その人の様子が変わってきて好意を抱いてくれてるであろうことは分かってきたけど、落とし所の分からなくなった気持ちがふわふわしたまま結局どこに落としたほうが良いのかわからず、転職等もありそのまま疎遠になってしまった。
多分、そのゼミの人は今は元増田を男性としては見れなくても、人間として好きになってもらえれば「私この人に告白された」っていうのもあって男女関係には持っていける可能性はあると思う。
後になって後悔しないように頑張れ。
昨日、大学のゼミで一緒の女の子に告白したのね。もちろん、今まで色々と仲良くさせてもらっていて、二人で映画みたり食事したりとデートにも何度かいった。
その流れで昨日告白したのよ。そしたら、その子が「XX君のことはとても大切な関係だと思ってるけど、自分はLGBTでXX君を恋愛対象にできない」って言われたのね。
で、俺は「LGBTって同性愛ってこと?」と尋ねたら、「はっきりしたことは自分でも分からないけど、自分が女であることに違和感がある」らしい。
言われてみると確かにその子はいつもボーイッシュな感じで、メイクも最低限(してないことも多い)、性格も竹を割ったような性格で男性的に思えることあるし、その中性的な感じが魅力的だと思っていた。
だけど、あまりに唐突なカミングアウトに俺は混乱してる。もしかして本当はLGBTなんてウソで、俺の告白を断るための体のいい言い訳なんじゃないか、と。
皆さんどう思われますか?
この記事を書いているのは法学部卒の人事畑なので、他の学問分野の学生に当てはまるかわからないけれど、殴り書きの私見。
仕事柄、学生が大学の課題をネットなどから盗用して単位取り消し、内定取り消しにあったという事例を直接的・間接的に目にする。
「大学での勉強の成果です!」と自主的にレポートの類を添付してくる学生もいるが、企業としては、文系学部の新卒採用内定者のレポート類の中身の良し悪しや学問的意義にあまり関心を持っていない。
たとえば、法学部では卒業論文が必修でないことも多いが、ゼミ論などで先行研究や根拠などを適切に要約して、現代的な課題に従来の理論で対応可能かを自説として検討してると採用側として好感が持てる。他学部の学問でも同様だ。
しかし仮に自説に学問的・実務的な意義が見出せなくても、既出の情報を専門外の人間にもわかるように的確に要約しているだけでも情報処理能力の評価材料になる。
ところが、情報の出自が二次ソース・三次ソースだと学生・将来の社員候補の将来が不安になる。ソースWikipediaはもう見慣れたが、虚構新聞のようなネタサイトをソースにしているのには頭を抱える。しかもそれなりの大学なのに。。。
あと、実際問題、サークルで役職についていましたとかごく短期間の海外滞在などのアピールは聞き飽きた。学業以外のアピールポイントで面接官を唸らせるアピールができるのは本物の才能の持ち主だし、そういう人たちはおのずから成績もいい傾向にある。
さて前置きが長くなったけど、大学の課題で書くレポートのたぐいは「Wikipediaに載せても恥ずかしくないもの」を目標に書いて、教授らのチェックを通したのちに実際にWikipediaに記事として掲載してはどうだろうか。
「専門知を一般向けに過不足なくわかりやすく紹介する」というのは企業においても重要なことだと思うし、大学で得た学問的知見・教養を社会に還元するという意義もあると思う。
何はともあれ、大学生は学業が本業でそれ以外はプラスアルファであって、各企業の方針の違いはあれ、学業を重視する風潮が増えてきたように思える。
大学で少なくとも4年間学業に励んできたなら、Wikipediaに掲載して恥ずかしくない文章を書けるようにはなってほしいものだ。そしてそれは社会人になっても役に立つと私は思う。
先日卒業旅行で海外に行く予定だったが、タイトル通りパスポートの期限が足りずに海外旅行に行けなかった。大勢の旅行だったのがせめてもの救いだった。
本気でヘコんだ。しかしヘコんだ理由は海外旅行に行けなかったことではなく、自分のあまりのだらしなさにヘコんだ。
自分は何をやっているのだろう。こうやってみんなと思いでを作れないのも、きちんとパスポートを旅行前に確認しておかない自分のだらしなさがもたらした。
大学生活の4年間頑張ったこともあったがだらしないことが本当に多かった。
バイトの遅刻は何度もしたし、授業に全く出ず単位がギリギリになってしまったり、帰省のための飛行機を二度乗り過ごしたこともあった。
やらなきゃいけないことはいつもギリギリ。ゼミではみんなのお荷物だった。何も貢献してないし迷惑しかかけてない。
このまま社会人になるのは本当にだめだと思い、自分を変えることにした。
そしてその一環として、過去・現在・未来の3つに分類して大学生のうちにやっておくべきことを書き出し、この失われた10日間で全てやりきろうと考えた。
その中に部屋の大掃除というものがあった。自分のだらしなさを克服するために徹底的にやるつもりだった。
年2回の大掃除とは違って、なぜ部屋が散らかるのか、どうしたら部屋が散らからないのかとにかく考えた。
そして一つの考えを導き出した。でも掃除の話はどうでもいいから置いておく。
なんとなく今日書きたくなったのは、大掃除中に昔の彼女からの置き手紙を見つけて会いたくなったということ。
大学2年の1年間、僕はある女性と付き合った。本当に笑顔が可愛くて、明るくて、一緒にいて楽しい人だった。
最寄り駅が奇跡的に一緒だったため、何度か一緒に帰っているうちに好きになり、3度のデートの後告白して付き合うことになった。
付き合っている期間は本当に楽しかった。そして彼女が大好きだった。
しかし、付き合って1年経った頃、お互いの気持がわからなくなり別れることになった。
別れた当初はなんとも思ってなかった。別れる時が来たんだなーくらい。
でも1ヶ月後激しく後悔した。学校にも行かずに1週間くらい泣いてた。
なんであんなに大好きだった彼女を手放したんだろう。後悔してもキリがなかった。
でもそれでよかった。前に進もうと思った。とにかく毎日しっかり生きようと思った。
そして別れて以降一度もきちんと話す機会がないまま四年になり卒業目前となった。
卒業旅行に失敗し部屋の掃除をしているそんな時、当時の彼女からの手紙を見つけた。
昔のモノは整理したつもりだったが、たまたま他の色紙に挟まっていて生き残っていた手紙が出てきた。
内容はなんてことない、この前はありがとう、また今度楽しみにしてるねーというかるい置き手紙だった。
これはきちんと話をしないといけないと思い、会おうと思った。
今やるべき「過去」のことに分類した。優先度は高い。
さすがに2年ぶりの連絡なだけあってとても緊張した。
なんとかラインを送ったがいつ返ってくるか、それとも返ってこないのかドキドキしながら待った。
返事は来た。好感触だった。
相手も同じことを思ってたらしい。卒業するまでにきちんと話がしたかったと。
しかし、向こうには彼氏がいて2人で会うのは彼氏に申し訳ないとのこと。
話ができるだけありがたいと思い、二つ返事でオッケーし1時間後に電話をかけると言った。
1時間で話したいことを整理した。
・別れ際正直になれなくて申し訳なかったこと
・付き合ってる当時は本当に楽しかったこと
・本当に彼女と付き合ってよかったこと
主にこの三点だった。
言いたいことが言えたらすぐ切ろうと思った。彼氏にも悪いし。
上の三点、当時の心境、楽しかった過去の思い出、反省している過去の思い出、現状、共通の知り合いのこと。
とても楽しくてあっという間の3時間だった。
とても安心した。話せて本当に良かった。
彼女には本当に幸せになってほしい。そんな初めての気持ちさえ芽生えた。
このまま話せないまま卒業することにならなくてよかった。
会いたい人に会う、話したい人と話す。
こんな大切なことすらできていなかったが、大きな一歩が踏み出せたとおもう。
感謝。