はてなキーワード: おんぶとは
出すなら出したらいいが、steamなんかみたいな表に出しやすいプラットフォームで表に出してフィードバックを受けたり、一度世間に出してみての考え直し修正のサイクルのほうがいいと思うけどな。
ただし、罵倒みたいなものもある。聞くべき意見と聞くべきではない意見を判断し、聞くべきではない意見は無視して忘れることも必要。
自分がすでに客を持っているのと、一から十まで企業におんぶで抱っこだったら自分の立ち位置は違う。後者の立ち位置は非常に弱い。
正直そのプランが何人取ろうとしてるのか知らんけど、いまは同人で表に出しやすくなってるから、steamや同人で鍛えたやつが賞をかっさらいそうな。
まあ、それが見えるから1000万みたいな高い値段で釣ってるのかもしれないが。
ネガティブなことを言ったけど、出すなら出してみたらいいんじゃない?ただ、自分になにもないけど、誰かが恵んでくれて助けてくれるなんてのは相当甘いとは思うよ。そういうやつは全部かっぱぎたいと思ってるやつもいるし。
何のジャンルかも分からない、同人小説作者に勝手に敗北した気分になった。
ということを書こうとして、初めてアカウントを作ったはいいが、人間失格とみなされてしばらく書き込み出来なかった。
そのおかげで少し頭が冷えた。
今日、アラフォーで小説同人誌を通販だけで出して初動60部、というエントリを読んだ。
私が同人誌を初めて出したのはアラフィフだ。コピー本の無配20部。厚意で委託を引き受けて下さった方のおかげで全て頒布できた。
ただ、そこから部数は下降する。敗因はいくつもある。魅力的な文章が書けない。ジャンル規模が小さい中でもどちらかといえばマイナーなCPで、しかも恋愛描写が苦手だ。
それでもCPで小説を書く理由は、その世界観の中での恋愛と恋愛じゃない紙一重の関係に惹かれているからである。
さらに経済的な問題もある。ワープアに限りなく近いシングルマザーで、コピー本しか出したことがない。イベントも出たことがなく、いつも親切な同ジャンル者にお世話になりっぱなしだった。
そんな中、色々都合がついて初めてイベントに出ることになった。本はまたコピー本だが手売りできることにワクワクしていた。
結論から言うとイベントには参加できなかった。去年の台風である。
とても悲しかったが、飛行機代その他のキャンセルでお金が若干浮いた。そこで初めて、コピー本として作った小説を印刷してみることにした。
判型が違うのでデータを修正し、表紙作成に悪戦苦闘しながらどうにか本が完成した。印刷所から納品された本はとても美しく、やっぱりコピー本とは違うなぁとしみじみ感動した。
その本は、今も納品時とほとんど変わらない状態でうちにある。売れていないのだ。
献本を除くと2部しか売れていない。もちろん、過去最低記録である。
つまり、私は委託を引き受けてくださっていた同ジャンル者に頒布の実務ばかりでなく「頒布実績」そのものもおんぶしていたことになる。芸人さんとかで言うところのバーターだ。
今後どうしよう、と思っているところにコロナが来た。幸い私の仕事には影響なかったが、県外で大学に通う子どもがあおりでバイトが激減し、家計が厳しくなった。
本を作るどころか、Wワークで働くことになりSSを書く時間すらままならない。
というような「理由」をもってジャンル撤退しようという思いと、まだこのジャンルで書ききっていないことがあるからという未練との間でどっちつかずのまま。気が付くと同人用として開設したツイッターのアカウントは、ただのRT用雑多アカウントになっている。この1年、創作活動といえば短いSSをいくつか流したくらいだ。
そんな折、例のエントリを読んだ。眩しいほどの実績と希望に満ちた文章。読みながら気分が沈んでいくのがわかる。
これがいわゆる「闇堕ち」というものなのかな、と思った。まったく知らない人相手に、勝手に敗北した気になって落ち込んでいる。
まともな思考ではない、ということは理屈では分かっているので、エントリの方への攻撃心は起きない。ただ、自分の状況が悲しかった。
そこで、エントリを知ったこの匿名ダイアリーにその悲しみを書き連ねてすっぱり撤退しようと思った……のだが、初めてアカウント作って認証クイズで足止めくらったあげく「混雑中で入れません」と言われ「人間失格 グッドバイ」と表示されてしまった。
このタイミングでこんな表示が出るなんて。
戒められた気分になった。
結局、私の中で見知らぬ相手に勝手に盛り上がった敗北気分は、人ですらない機械的な表示のおかげで勝手に収束した。
よそはよそ、うちはうちだ。
弟(生まれ月の関係で2学年下だが、実際はほとんど年子)が母のお腹に入っているときに母と一緒にスーパーに行った記憶がある。ただ、その時ちゃんと自力で歩いて母と手をつないで行った気がするんだよな。その程度の歳でいくら近所とはいえ自力で歩けるかなぁというのが自分でも謎。
あと、母に「△△(弟の名前)が産まれたばかりのときに○○(私)をお婆ちゃんに預けたんだけど覚えてる?」と聞かれたんだが微妙。自分だけ祖母の家に行ってお昼ごはんは出前とかとってもらって、祖母に連れられて児童館に行って絵本とか読んだ記憶があるんだけど、そんなに長期間祖母の家で暮らした記憶はない。
母に何かしら用事があって私を連れ歩けないから祖母に預けたんだと思うけど、やっぱり自力で歩いた記憶になってるし、絵本が読めるのは幼稚園児ぐらいではないだろうか。
ゴッ!ガチャンッ!
東京工業大学内の実験場所で、大小のダミー人形2体が床にぶつかる鈍い音と自転車が倒れる音がほぼ同時に響きました。
大きい人形は大人の女性サイズ。6カ月の赤ちゃんを想定した人形をおんぶひもで背負っています。
実験では、人形がまたがった自転車を、止まった状態から少し前に押し出すようにして横に倒しました。
実験をしたのは、NPO法人・Safe Kids Japan(SKJ)の小児科医や研究者ら。
今年5月、東京都国分寺市で赤ちゃんをおんぶして自転車に乗っていた女性が横断歩道のないところを渡った時に車と衝突し、
頭を強打した赤ちゃんが亡くなった事故をうけて、倒れたときの危険性を科学的に調べました。
街でみかける「おんぶ自転車」の赤ちゃんの多くは0歳児で、ヘルメットをかぶっていません。道路交通法は、
保護者は自転車に乗る幼児にヘルメットを着用させるように努めるべきとしています。
しかし、自転車の研究者などでつくる団体「自転車の安全利用促進委員会」によると、
一般的にヘルメットの多くは推奨年齢が1歳以上のため、0歳児の場合は頭を守る手段が限られてしまいます。
「自転車の安全利用促進委員会」のメンバーで、自転車ジャーナリストの遠藤まさ子さん(38)は、「おんぶ自転車」の悩みは、
「通っている保育園や幼稚園が車を使う送迎を禁止していたり、車を持っていなかったりする都市部の保護者に多いのでは」と指摘します。
3人の子どもがいる遠藤さんも以前は世田谷区に住み、おんぶ自転車を経験。自宅と保育園の直線距離は約3キロでしたが、
路線バスは遠回りで1時間かかる環境。車の登園は禁止で、坂道が多い住宅街を自転車で20分かけて通いました。
「出費は負担でしたが、安全には代えられなかった。やはりヘルメットを着用できない間は、おんぶはおすすめできない。
着用していても無理な運転はNGだし、住宅街の小さな交差点でも一時停止するなど細心の注意を払ってほしい」と話します。
バランスを崩したらもう終わり?
一度バランスを崩して傾き始めると、そのあまりの重さに、自力ではどうすることもできなくなって倒れてしまうという恐怖の事実なのでした……!
ママスタコミュニティにも同じことが起こったママがいらっしゃるようで……。
『雨の日に子ども乗せた状態で2回転倒した。転びやすいわけではないんだろうけど、普通の自転車と違ってバランス崩したら最後。
もう立て直すことは確実に不可能。本当、いかにゆっくり倒れるかだよね』
『雨上がりに何度か滑って転んだ。普通の自転車では大丈夫だけど、電動の重さだとバランスを崩すともう持ち直せない』
『倒れるって分かってるけどもうどうしようもないよね。通りかかった若い兄ちゃんが起こしてくれたよ』
子どもを乗せた状態の電動自転車が傾き始めると、もう自力で持ち直すことができないので、
あとはいかにゆっくりと倒れて、子どもへの衝撃を少なくするかのみ。
持てる力の全てを出して自転車を支えることになります。まるでスローモーションのように長く、絶望を感じる時間でした。
倒れたらSOS!お願い、誰か手伝って下さい!!
『転んだことあるけど、現場近くの家から人が飛び出てきて起こしてくれたよ』
『私も雨の日に黄色い点字ブロックにはまり、転びました。2回もあります。雨の日は慎重に運転してますが、
点字ブロックのまっすぐな溝って、すごく滑るんですよね。なるべく避けていますけど、絶対に通らなくちゃいけない場所は、
『1回ダイレクトにこけて、もう1回はなんとか耐えた。やはり雨の日。マンホール、鉄板、側溝の蓋は危険!』
『坂道を登ってたら車が脇道から急に出てきて、ブレーキをかけた拍子に転んだ。子どもも後ろに乗ってたけど、
チャイルドシート&ヘルメットのおかげで無傷。私はハンドルにぶつかって肋骨骨折……』
“雨の日”“マンホール”“点字ブロック”が、危険ポイントのようです。確かに、雨の日はただでさえ視界が狭まるうえに、
地面は滑りやすくなります。ましてやマンホールや点字ブロックは、雨水で濡れてツルツル。
ちなみに、筆者が転んだのも雨の日のマンホールの上でした。ドンピシャ……。
電動自転車で走行中に転倒し、抱っこしていた当時1歳4カ月の次男を死亡させたとして、神奈川県警は14日、
横浜市都筑区の保育士の母親(38)を過失致死の疑いで書類送検した。県警への取材でわかった。
専門家や業界団体は、乳幼児との同乗はバランスが不安定になりがちだとして注意を促している。
県警都筑署によると、母親は7月5日午前8時25分ごろ、同区の市道で、次男を抱っこひもで前に抱え、
左手首に傘を提げた状態で電動自転車を運転。過失によって転倒して次男の頭を強く打ち付け、死亡させた疑いがある。
雨が降っていて母親はかっぱを着ていたが、提げていた傘が自転車のフレームと前輪の泥よけの間に挟まったことで、
ハンドルが動かなくなり、転倒につながったと署はみている。
母親は前部の幼児用座席に事故当時2歳だった長男を乗せ、次男とともに保育園に送り届ける途中だった。
以前大学の休みを利用してカンボジアに学校建設のボランティアをしたことがある。
そこで感じたモヤモヤを記そうと思う。
あくまで自分が参加したNPO法人がそうだっただけで、他に真面目に活動している団体も沢山あることを先に述べる。
自分が参加したのは、向井理や松坂桃李が出演していた「僕たちは世界を変えることができない」という、大学生がカンボジアに学校を建てる映画を観たのがきっかけだった。
カンボジアで起きた大虐殺のあと、その後どのようにカンボジアの人々が生きていったのか知りたかった。
就活で役立つかな、みたいな考えがあったことも否めないが、予想以上だった。
モヤモヤ一覧を箇条書きにする。
・神聖なアンコールワットで騒ぎすぎて現地の方に何度も注意される
・ホテルで騒ぎすぎて、泊まっていた別の国の観光客からガチ目に怒られる
・参加費用は結構高額だったんだけど、紹介割とかがあって人に紹介しまくればタダで行けたりテーマパークのチケットが貰えたりする。
(収支どうなってるんだろう…)
肝心の学校建設は、建設のために使っているショベルカーを止めてもらって、土を手作業で運ぶだけ。もはや工事の進行を妨げている。
気分を上げるため()とか言って大音量で音楽を流しながら運んでいたけど、
すぐそばで授業をやっていた子どもたちや先生にとってはさぞかし迷惑だったことだろう。
子どもはかわいい。日本と違って簡単に泣かないし、日本の子どもと遊ぶボランティアと違って、ただその場限りだし。
遊びの選択肢が少ないカンボジアの子ども達は、大学生がモラトリアム気分で参加するこのボランティアを心待ちにしてくれる。
箱は作るのは簡単だけど、カンボジアは教員が足りなかったり、勉強道具が未だに足りていない。
がらんどうの箱だけ作っても結局は自己満足に過ぎない。
まあ皮肉なことに、孤児院だったり学校建設ツアーは、カンボジアの一大観光資源になっている。
これからも日本人は自己満足のためにカンボジアにただの箱を作り続けるんだろう。
日本から程よく近くて、治安もそこそこ良くて発展しているから、スキルのない大学生の自己成長()にもってこいだし。
余談だけど、カンボジア行ってる大学生って純粋な子たちが多くて、宗教とか入ってる子が多かった。あと西野とかイケハヤとか好きな子もいた。
あと明るい子が多かったから、就活成功するだろうなーって子ばっかり。カンボジアの学校建設は素敵なガクチカになることでしょう。
参加して、色んな意味でこういう世界もあるんだーと知らないことを知ることができた貴重な体験だったけど、
友達とか周りの人には勧めないだろうな。
大学卒業後7年間引きこもっていたのだが、心機一転働き始めて約1年になる。その経緯を記しておこうと思う。
というのも、幼少の頃、一つ上の兄とは別に母方の実家で年下の従兄弟と一緒に祖父母に育てられたり、
父親に無意味に脅かされたり(曲がり角や暗がりから「ワッ!」と言って脅かしてきた)、小さな失敗を蒸し返して執拗にからかわれたことなどが影響したためだと思う。
自分から心を開くことはなく、相手が心を開いているかどうか疑いながら仮面を被って人と接してきた。
初めての一人暮らし、滑り止めで受かった大学では周りに馴染めず(若者が怖い)、居場所は2ちゃんねるだけだった。大学は憂鬱と不安と恐怖と怠惰にまみれた日々だったと言える。
高校の頃から長らく体調不良気味(慢性的な下痢・眼精疲労)だったのも関係しているかもしれない。
勉強のやる気を失い、優等生だった高校までと打って変わり落ちこぼれた。アルバイトもサークルも続かず、夜ふかしによる寝坊で授業をサボった。
人生が何かしっくりこない感じがあり、1年休学して第一志望を目指し予備校に通わせてもらったがすぐ行かなくなった。その後勇気を出して復学した。
実家から通うようになってしばらく続いたが、4年生の研究室で馴染めず、一時期登校拒否になった。
なんとか卒業の目処が立ったものの就活するのが怖かったため、作曲家を目指すと言って逃げ、就活せずそのまま無職引きこもりになった。
どうせ就職しても、責任が伴うのが怖いし、周りから浮いて仕事に適応できずにうつになったり自殺したりしてしまうだろう、だったら働かない方がましだ、とも考えた。
これからのビジョンがまるで浮かばなかった。ただ休みたかった。
世の中の人達と自分が全然違うという意識があった(それは今も変わらない)。また、世の中嫌な奴ばっかりだとも思っていた。大学に入ってから、気が緩んで性格が悪くなったのが原因かもしれない。
作曲について人一倍プライドがあったが(雑誌に投稿して賞をもらったこともある)、独学だし楽器も得意ではないのでとんでもなく無謀だった。
人生に失敗した分を取り返そうという、ギャンブル依存症的な感情に囚われていたのだ。
高校時代の友達がいたが、煩わしくて連絡を無視して縁を切ってしまった。
昼夜逆転はそれほどしなかった。2時半に寝て10時に起きるという感じ。昼寝もしていた。
一歩も外に出なかったわけではない。たまに自転車で人気の少ない場所に出かけた。
また、母親と一緒に図書館に月1で自分が車を運転して通い、小説を借りて読んだ。
両親になぜ就職しないのかと問い詰められることがあったが、無視するか、人と関わりたくないからと答えた。
それでも、引きこもりの繰り返しの日々で、体調不良の原因がわかってきて改善していった。
また、お絵描き(落書きレベル)、日記、将棋、ラジオ体操、読書を始め、次第に心が癒やされていった。
色々なYoutuberの動画を見たり、将棋の藤井君や羽生さんの活躍を見て感動するときもあった。世の中に希望を見出してきた。
心身ともに回復するにつれ、「そろそろ働けるかも」と思った。だが、あと一歩の勇気が出なかった。
そうして引きこもり7年目、30歳目前になって焦りを感じた。もはやモラトリアムなどと言っていられる年齢ではない。
母親がもうすぐ退職することになり、すでに退職している父親だけでなく母親とも日中顔を付き合わせることになるのが嫌だった。
その頃、8年使っていたパソコンが壊れて起動しなくなってしまった(幸い後に復活したのだが)。
パソコンには、過去作ってきた絵や曲が合計一千点以上入っている。作曲についての考察やソフトの使い方のメモも書き残してある。
それらが失われるというのは、引きこもりの間、自分は死んでいたと言うのと同然だった。
死を意識してみると、絵も曲も自分の人生においてどうでも良いものだったと悟った。ショックでベッドに横になった。如何に時間を空費していたか痛感した。
あれだけ取り組んできたのに、人生において意義のあることではなかったのだ。
大学生で塾講師をやっていたとき、わからないところを教えたら「ありがとうございます!」と笑顔で答えてくれた中学生の女の子、
高校の文化祭で(歌うのが好きなので)バンドのボーカルをやらせてもらったとき、終わったあと「良かったよ。」と声をかけてくれた先生、
高校の部活で、居残り練習をしていたのをお世辞で褒めたら、本気で受け取ったのか嬉しそうに微笑んだ後輩の子、
その3人だけ。他愛もないことだ。人生を無駄にした後悔の念と、人に少しでも喜びを与えることができた嬉しさに涙が止まらなかった。
「誰かのためにならずして死ねない、死ぬ前に感謝されたい」という答えに行き着き、それが根本的に自分の求める生きがいであることに気づいた。
それからなけなしの貯金を叩いて新しいパソコンを買った。しかし運の悪いことにそれも初期不良で壊れてしまった。
さらに国民年金の支払いを全額免除するかどうかの通知(よく覚えていない)も届いた。当然年金は一銭も払ってなかったためだ。
パソコン関連のゴタゴタに加え、冬の時期で冬季うつ病っぽくなっていたため、神経が参っていた。
母親にパソコンや年金の件を相談していたら「働いたら?」と言われ、そこで素直に頷いたのだ。
まるで、立てこもり犯が説得に折れて投降したかのようだった。それが脱引きこもりのきっかけだった。
就活は半ばやけくそだった。引きこもりで自信がなかったので正社員なんぞ端から目指さなかった。
ネットの求人サイトで事務職の応募に電話したのがきっかけで、紆余曲折あって地元の工場の検査業(肉体労働)の派遣社員をすることになった。
親に反対されたが言うことを聞かなかった。流れに乗ろう、直感を信じようと腹をくくった。
どうせ自分は働くのに向いてないので、続くところまで続けようというスタンスで挑んだ。
明日はどうなるかわからない、と覚悟した。おんぶに抱っこで、ずるい人間であろう、とも考えた。
始めは何も仕事がわからず、赤ん坊同然の気分だった。初日は久々に初対面の人と会話したり見知らぬところを歩き回ったので、
夕方帰宅したとき、まるで3日ぶりに家に帰ってきたかのように感じた。
出社拒否にならずに一日一日出勤できたことを自分で褒めた。3ヶ月くらいかかって次第に仕事に慣れていき、やりがいを感じるようになった。
職場の人達は親切な人が多くて意外だった。ここは本当に現実世界なのか?と思ったりした。女性の多い職場(お母さん達ばかりだが)なのもツイていたかもしれない。
職場の人に前職について聞かれたが、塾講師をしていたと嘘をついた。
家から近い工場なので近所にも勤めている人がいる。元引きこもりなんて言ったら噂が広まってメンツが潰れる、と親に止められたからだ。
正直に答えたかったが、職場の人に心配されると逆に面倒だったかもしれないので結果的に良かった。
週5のフルタイム勤務だが、残業したり土曜日出勤もある。仕事がきつくてストレスが溜まって週末泣くこともあった。
・好きなものを好きなだけ買って食べることができるようになった。その他欲しいものが買えるようになった。
・気後れすることなく病院で保険証を見せることができるようになった。
・人の視線が気にならなくなった。
・高校の頃から、死にたいと思っていたが、徐々にそう思わなくなってきた。
・肉体労働で汗をかいて、体調が良くなった。大食いになって、筋トレもするようになり、7kg体重が増えた。元々ガリガリだったので丁度いい。仕事ぶりを褒められるようになり自信がついた。
・ネットに毒されていたが、毒が抜けた。ネットと距離を置けるようになった。
・不安と恐怖で胸がいっぱいということがほぼなくなった。
・心に余裕が出来たためか恋愛したくなった。
・せっかく大学卒業したのに非正規の肉体労働の身なので自分自身を認めることができず、気持ちが楽になることがない。
・人生がつまらない。引きこもっているときとほとんど同じことしかしてない。
・スーパーや雑貨店、本屋以外の店に怖くて入れない。外食も怖くてできない。
・涙ながらの決意もどこへやら、感謝されるようなことを何もしていない。
・低収入で親と同居しているため、彼女を作る自信が出ない。まともな職についていれば良かった。
・もっと早く働き始めれば良かった。
・大学生の頃までは、同級生と自分というのをよく比べて劣等感を感じていたが、今は、自分は自分だと思うようになった。そんな心持ちで大学生の頃に就活をすれば良かったかなと思う。
たくさんのコメントありがとうございます!すべて読ませてもらいました。
あのさ、
絆創膏ってなんて呼ぶ?
いやそんなことよりさ、
絆創膏って買った時は新鮮できたてほやほや工場直送感があるから、
今お電話してお求めいただいたらもう一箱付いてくる勢いじゃない。
そして、
フレッシュ感があるじゃない。
でも買った時たいていは1~2枚しか使わないから次使うのはいつになるやらって
遙かなる時を超える火の鳥未来編まで使わない事ってあるじゃない。
でね、
私は新しいヒールを買ったからって早速新品おろしたて履いたらコケた赤い靴!ってやかましーわい。
って本当はコケてないけど、
実は子どもたちが遊んでいて公園からこぼれてきたサッカーボールを
トーキックの名手城彰二さんばりにボールを蹴ったら一瞬で靴擦れするかもと言う予想だにする感じで、
靴擦れ案件よ。
名前なんて言うか忘れちゃったけどアキレスがもっともコチョコチョされて抱腹絶倒してしまう唯一の逆鱗に似たようなそこの部分!
名前忘れちゃったけど、
その部分が靴で擦れて靴擦れしちゃったのよ。
行きはよいよい元気だからてくてく歩って行けるじゃない。
だけどダメージを負ったそのアキレスの弱点のところがすりむけちゃった感じになってヒリヒリするから、
ムヒが丘にかゆみを止めて~って言わんばかりの
でなんだったっけ?
そうそうアキレスの弱点のと頃にムヒ塗ったら余裕で死ねる話しだったわね、
絆創膏の話し。
あなたの地域ではなんて言って呼んでるの?ってそこまでは戻りすぎ、
行き過ぎちゃわないところの、
靴擦れしちゃった話で絆創膏を貼るってところまで巻き戻したところ。
でその買ったばかりの絆創膏だと新鮮みあふれる
今絆創膏貼ったら瞬時に切れたことにも気付いていない切れ味抜群の包丁で切られたトマトも貼ったら直る級の
バチボコ効きそうだけど、
買ってしばらく経った、
救急箱か引き出しの隅っこに入ってるはずでしょ?
あの場所、
じゃないと歩けないのよ。
誰かおんぶしてーって
もうおんぶに抱っこ級の甘え
って言っても抱っこもおんぶもしてもらえないお姫様は大人しく絆創膏を貼ってバスに乗っててくてくと歩いて帰ることにするわ。
しくしく。
でも、
つけ麺を熱盛りにしてもらったのを食べながら遊びたいぐらい、
スイッチ欲しいわ。
うふふ。
いつもの目玉焼きベーコンレタストマトサンドがあるとおもったけど、
朝からションテンが下がるけど
野菜はある程度撮らないと身体が酸化してしまう防止になるような気もしない気持ちで食べると美味しく頂けるから
野菜ソムリエの人が言いそうなことを私が勝手に考えてみました。
この時期のスイカウォーラーは美味しくてリピしまくりなんだけど、
あと柑橘系もだけど、
って果物ソムリエの人が考えそうなことを私が考えて今言ったわけじゃないからね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
姉が鬱で仕事をやめ、今はバイトをしながら、実家で家賃や生活費などは払わずに暮らしている。
そんな姉に友達から飲み会のお誘いが来た。しかし、このご時世でウイルス感染を危惧した母親は「飲み会行くならホテルで二週間自主隔離してよ。もちろんそれにかかる料金はあなたが自分で持つこと」という条件をつけた。
姉は発狂して俺に電話をかけてきた。毒親だと。だから私は鬱になったんだと泣きわめいた。
俺はそうは思わなかった。喘息持ちの父親と肺に既往症のある母親、コロナウイルスを警戒するのは当然だし、彼らの家なのだから、ホテルで隔離してよと言うのは当然の権利だ。
姉は言った。私がもう少し元気なら、友達の家で家事やる代わりに住ませてもらって、そしたら飲み会行けるのに。
いやいやいや。友人の家でも同じだろ、家族でもない居候ならなおさら、ウイルス持ち込まないよう自らむしろ気を使うべきだろう。なんでそんな発想がおんぶに抱っこなんだ?
男尊女卑とか職業蔑視とかは既にあちこちで言われているので、それ以外のみっつの気味悪い点について吐き捨てたい。
経済的な高みの見物で想像力のないこと、ダブルスタンダードが強くありそうなこと、芸能人の立場の変遷を感じていないこと。
もしこれがコロナとは関係ない別のタイミングで「これだけパパ活が盛んになってきたってことは、手っ取り早くお金を得られる
味を占めた女の子が多数風俗に流れ込むってことで、それが楽しみなんですよ」とかだったなら、そこまでじゃなかっただろう。
芸能人に詳しい訳ではないけれど、割と今まで応援してきたのを裏切られた気持ちでもうやめようと思うので、その区切りだ。
まずひとつめ。
彼には、たぶん困窮してやりたくない仕事でもするしかない状況に追い込まれることがない自信があるのだろう。
そんな安全圏から、自分の楽しみのために、他人がそうなるのを待ち望むいやらしさという高みの見物感が気味悪い。
その点を、他の仕事に置き換えて考えてみる。それに相当する上手い例が思いつかないのだけれど、こんな感じか。
「コロナのせいで事業が行き詰まった社長さんは、政府が助けきれない場合はもう首をくくるしかないわけですよ。
そうしたら、僕がいつも見ている大島てるのサイトが活気づくじゃないですか、それがとても楽しみです。」
「会社が倒産しないまでも、大規模リストラで仕事にあぶれる人たちがコロナ後には激増しますね。
僕は人間観察が趣味なんですけど、ハロワに悲壮な顔をした人たちが溢れるのを心待ちにしています。」
「フリーターの仕事も減るし、派遣切りもたくさんあって、きっとホームレスがあちこちに増えていきます。
ホームレス支援のチャリティとかめちゃめちゃ気持ちがいいし、それを励みにコロナを乗り切ろうと思うんです。」
これが面白いと思って、ウケる筈だと発言したということは、こんな感じで笑う人が想定されているのだろう。
「あっはっは、ありえねぇわ、才能も財力もない下級市民ってそんなにツライのかよwwwww」
「ハロワに蔓延する悲壮感ってwwwww まあ俺ら関係ないけどなwwwww」
彼のファンには派遣や中小企業の社長はいないとでも思っているか、それとも日本の現状に対する想像力がないか。
コロナのせいで顧客が離れ、事業が立ち行かなくなったら、家族どころか百人からの従業員が路頭に迷うから
金策に駆け回り、眠れないほど対応に頭を悩ませ、明日の活気を得るべくラジオをつける人は想定されていない。
派遣で働いていた友人から倒産したら会社に入れなくなったと聞いて、うちもそろそろヤバいんじゃないかと
会社の私物を持って帰り、不安な面持ちで岡村さんから元気をもらおうとチャンネルを合わせるファンは想像されない。
よくそこまで想像力も共感力もなくいられるものだと、世界の半分を切り捨てているような、その点がとても薄気味悪い。
そしてふたつめ。
どんなにやりたくて好きでやっている仕事の中でも「こんちくしょう」って思うことがある反面、
やりたくてやっているのではない仕事にだって「やっててよかった」と思う瞬間だってあるので、その話ではないし、
誰もが好きな仕事についているとは限らないし、どんな仕事にもそれを「やりたい人」と「やりたくない人」はいるものだし、
やりたくなかったけどやっている人だって第三者から憐れまれるとプライドから胸を張ったりするものだし、その話でもない。
もし彼が二十代の頃に結婚して娘を授かっていたとするなら。ミルクを上げたら吐いてしまいオロオロしたり、
パパのお嫁さんになるなんて言われたり、急に高熱を出して病院に駆け込むのにおんぶした背中が燃えるようでハラハラしたり、
やがて友達がきたときはパパ顔出さないでなんて言われたり、そうして長年大事に育てた娘さんがいたとして。
その彼女が「パパ、あたし手っ取り早く稼ぎたいからしばらく風俗で働きたいんだけど」と相談してきた場合を考えてみる。
「おぉ、いい考えだね。パパも若い頃からずっとお世話になったなくてはならないお仕事だ。応援するよ」とは絶対に言わない。
そんなダブルスタンダードが透けて見える。「お金ならパパがあげるからそれはやめなさい!」と叱りそうな感じがするではないか。
持つ者、裕福な者、チャンスを手にできた者と、そうでない者の断絶に加え、その境界の向こうとこちらで基準が違うのだ。
ダブスタ。ファンからするとそれをありありと見せつけられたのだが、全く自覚のないダブスタ持ちは気味悪いものである。
そしてみっつめ。
芸能人には立場の変遷みたいなものがつきまとってしまう。河原乞食の見世物が伝統芸能になるような流れがある。
デビュー当時は音楽性に着目されず変なカッコの色物バンドみたいな扱いだったXジャパンも年月が経つにつれて
YOSHIKIが国際的に活躍したり文部大臣表彰を受けたりする。それにつれて世間からの期待も変わっていく。
これだけコンプライアンスが言われる時代に、そのことが全く見えていない成長のなさというのが気味悪くうつってしまう。
ちなみにコンプライアンスとは法令を遵守するだけではなく世間からの期待に反することをしないことまで意味に含む。
深夜放送だったり地下アイドルだったりの時代があっても、世間に認められるにつれて期待も高まってしまうのだ。
その変遷に適応するように人は成長、あるいは変化していってしかるべきなのだが、それが感じられない気味悪さだ。
49歳だとういけれども、同じ49歳のTOKIOの城島茂はコロナ関連ではジャニーズの支援活動について
「実際に現場で闘っていらっしゃる医療関係者の皆さまに何かできないかなと思いまして…」との談話があるし、
同じく49歳のT.M.Revolutionの西川貴教は「地方の友人から、開いてるパチンコ店に行列が出来たり、離島など行楽地に
人が集まってきて困っていると連絡が来ました」とつづると「島には高齢者も多いうえに医療施設も脆弱、唯一の交通機関が
船しかない島では、感染が確認されたら生活物資も届かなくなります。自粛期間を延長させない努力をどうかお願いします。」
とツイートしている。長年芸能活動をして、きちんと世間や、自分の持つ影響力と向き合って発言しているように感じられる。
さいごに。
謝罪もしたのに、他の番組の降板まで求めるのは行き過ぎとの声もある。
しかし、メジャーで全年齢を対象としている番組に、そのような本音を持ち、そのような本音を抑制もしない人が求められるだろうか。
心から視聴者に寄り添い貧富の格差を感じさせず、ダブスタもなく、立場をわきまえた上に品位もある人を求めたいのが実情だろう。
その点では、言いたいことを言わないようにしろというのではなく、そんなことを言いたくなってしまう根底から変わらねばならないとの
ニュアンスで語った矢部発言にはその点でとても賛同できる。だから結婚しろとは論理の飛躍がある無理難題ではあるのだが。