はてなキーワード: いつまでもとは
私は哲学や倫理学ちょっとやってたけど、今は障害者になってしまったから障害者雇用で働きながら底辺生活してる。なので意識高い人たちの弱者を助けようって思想とか態度には共感するし、期待もしていた。でもそれは理念とか哲学とか思想の部分であって、実際に世の中のことを知って彼らの実態を見てしまうとほんとがっかりしてしまう。実際に障害者にとって役にたつのって働いてるネトウヨ公務員の方だったりするし。
彼らの実態を何度も目にしてもそれでも落胆せずいつまでも擁護してられる人たちもまた同じような世間知らずな人間なんだろう。
社会のことを偉そうに語っていろいろ批判したりするのに、自分たちこそ世間知らずだったりする。世の中のこと何にも知らない。社会的弱者が何に困っているか何も知らない。
弱者の味方ですみたいなこと言いながら組織で権力持っちゃった人間が性犯罪みたいなことしてたりする。金の使い方はいい加減で、性格は横柄になる。そのくせ自分いい人なんですみたいなアピールは欠かさない。弱者ポジションを取りたがる。
なんかすべてがハリボテなんだよな。貧困ビジネスってことばがあるけど、要はそんな感じなんだと思う。理念とか正義とか哲学とか思想とかがあってそのために行動してるんじゃなくて、金儲けしたい、いい人に思われたい、セックスしたいとかそういうモチベーションで動いてるんだと思う。ほんとくだらないよ。
俺はこれマジで不満ですよ。
お前らの存在意義は「このアニメ超面白かった~~~」で感想文を書くことじゃないでしょ。
それだったらアニメ批評家じゃなくてただのアニメ感想文おじさんでしょ。
「ぼざろが超面白いのは作画が凄いから」で終わりとか、お前それ本当にただの感想文でしょ。
「この店のスープはダシが効いてて美味しい」しか言えない奴はラーメンブロガーを名乗るのもおこがましいでしょ。
お前らの役目を果たしてくれよ。
「手間暇かかってて方向性が正しい作品は面白いよ」で終わりじゃ小学生じゃん。
それにただ固有名を加えただけじゃ小学校の感想文コンクール地区予選入賞でしかないじゃん。
もっと先を語ってくれよな~~~~。
俺は知りたいんだよ。
なんで人類が待ち望んでいた惑星のさみだれアニメ化が封神演義を超えるようなガッカリに終わり、誰もが期待してなかったきららのアニメが大成功してるのかを。
感想文なんてもう飽和してんだ。
書くなとは言ってねえ。
むしろ一通り書いてスッキリしてから本当の仕事に全力注いでくれ。
批評家として語ってくれよ、どこで差がついたのか、その根源の因果の原点の更に向こう側までよ。
それこそがお前らのやるべきことじゃん。
任せたぜ先生方
まず芸人特有の「俺たち面白いこと話してるよね」「そうそう(ということで合いの手の笑いを入れますね。めっちゃ面白いということのアピールです。聞いてる人も合わせてね」って感じがキッツい。
そもそもの売りが「下品なことを公共の電波に載せる」ばかりでワンパターンだなと思う。
オードリーのドラクエの回とかも「ババァに買いに行かせた」「夜にゲームやって怒られたくないから家族に酒飲ませて寝かせた」だのといったチャチい品の悪さアピールで小さく笑い稼ごうとしてせせこましいんだよね。
ゆーて声優ラジオもどれも同じような「声優は貧乏」っていうネタばっかでワンパターンなんだよね。
奥行きがねえなと。
最近話題のぼっち・ざ・らじおは「貧乏」をネタにしない代わりに「陰キャ」を延々とコスってる。
「声優仲間と京都に一緒に行きました」とか言いながらまだせせこましく「自分は陰キャ」と言い張ってるのとかお前陰キャ舐めてんのか陰キャは職場の人間と旅行にはいかねーよっていう。
んでまあこのしょーもない「オードリーANN」と「ぼっちらじお」が芸人ラジオと声優ラジオの現代のツートップです。
え?マジ?最強同士突き合わせて「どっちもしょーもねー話をいつまでもチマチマ繰り返してるだけじゃねーか」で終わるの?っていう。
まあ程度が低いんですよ。
中身空っぽ言われるヒットソングですらボーカル+楽器N個+謎の音で数倍の情報量ですよ。
まあつまる所、ラジオなんてゲームしたり読書したり運転したりしてる時にながらで楽しむコンテンツに過ぎない訳。
そんなものに優劣とかつけてもしゃーないんすよ。
たとえばグーグルマップのレストランのレビューに「お冷からうっすらレモンの風味がよくて最高でした!☆5」とか言われても、いやいやお冷如きになに全ての評価基準を委ねとるねんとなるでしょ。
別に拘ってもしゃーないと思うわけ。
「この定食屋は水が紙コップで安っぽかったですね。客への礼儀がなってない☆1」とか抜かしてもしゃーないんですよ。
こんな話に「むしろ私は紙コップってコロナ対策としては完璧だと思います。むしろ変にこったグラスを使っているお店の方が洗い残しがありそうで気になりますね」とか反論してもしゃーないわけよ。
じゃあ俺は何なんだろうな。
クソ。
お前のせいで俺もカスになったわ。
コミケで逆襲のシャア友の会を購入してから何度も読み返してるし、ずーっと逆襲のシャアについて考えてる。語りたいのに手に入れた人がまだそれほど多くなく通販でも今月末あたりに届き始めるみたいなので悶々している。
悶々としているだけなのももう堪えきれないのでここで吐き出してしまおうと思う。これから書く文章は逆襲のシャアの映画の内容と逆襲のシャア友の会の内容に踏み込むので嫌な人は引き返してね
前提として逆襲のシャアは大人になれなかったかった成熟できなかったおっさん2人が昔の戦争でつけられなかった決着をつけるための物語。
アムロは父親の代わりを求めてる少女クェスをあしらうことしかできないし、シャアはそれをわかっていながら道具としてしか扱う事ができない。
シャアは昔の戦争で死んだ恋人ララァをいつまでも忘れることはできないし、自分の母親になってくれるはずだったといつまでもウジウジしてる。アムロはアムロで忘れたふりをして今でもララァを夢にまでみてしまう。
シャアはララァを殺された恨みからアムロとの決着の為に戦争を仕掛けるし、対等な勝負をする為に軍事機密を横流ししたりする。アムロはで道具として利用され敵となって立ちはだかったクェスを救いもしなければ正面から向き合おうともせず子供なんて相手にできるかと切って捨ててしまう。
そう彼らは大人になりきれなかったのだ、その大人になりきれなかった2人はあくまでも雌雄を決する事を2人とも望み、劇中では殴り合いの末にシャアの搭乗するサザビーの脱出ポットが作動してアムロの勝利として一応の決着をしたように見える。いや本当に雌雄を決したのだろうか、結局、地球に落ちようとするアクシズをアムロ1人では止めることはできなかったし、2人は情け無い言い争いをして映画の物語としては終わる。長年このあまりにスッキリしない結末にずーっと疑問に思っていた。
そんなどうにも萎え切らない思いを抱えつつにいたのだが、コミケで伝説の同人誌逆襲のシャア友の会の復刻本が先行発売されると聞き、年末に早速東京ビックサイトで手に入れてきて、読んでみると長年の疑問に富野と庵野との対談にとんでもない解答があったのだ。具体的に引用すると
富野 だから、思い出す事があるのは『逆シャア』のラストシーンがああいう形になったのは(アムロに対して)「お前がもっとヒーローなら、もっとかっこよく終われたんだよね!」という不足感が少なくても僕にはある。
(逆襲のシャア友の会、p104、株式会社カラー、2023年)
そう、アムロは勝っていなかったのだ、あの映画は2人は雌雄を決する為に対等に戦い、そして2人とも勝てなかった、大人になりきれなかった2人は決着つける事ができなかったストーリーなのだと長年の疑問が氷塊した。
あの2人にとって大人になりきれず決着をつけることができない、どちらも大人である事を示す事ができないのが、あの2人のストーリーの終わりなんだと、ストンッと胸のつかえがとれた。
そんな長年の悩みも吹っ飛ぶような富野監督と庵野監督対談を収録している他、押井守監督や幾原監督視点での逆襲のシャアが語られ、まだまだ語りきれない豪華ゲストのインタビューを収録した逆襲のシャア友の会はとってもいい本です、年末からずっと読み返してるしずっと逆襲のシャアを考えてるし、逆襲のシャアも正月に何回も見返しました。
ここまで読んで逆襲のシャア友の会を購入してない方は今すぐamazonとアニメスタイルストアへゴーッ!
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金を貸して返ってきたならそれで終わり、それ以上のものを求めるなって話なんじゃねーのかね。
例えば上司に飲み代を奢ってもらったとして、それをいつまでも感謝してないとだめなのか?上司の愚痴言ってたらだめなのか?
義妹も貸してくれたことには感謝してると思うよ。それとは別にあのやり方は感じ悪かったわーって話よ。そもそもあの愚痴は「逆恨み」か?
上司に奢られる時に「じゃあどのメニュー頼むか決めてリストにして提出な」とか言われて、あざーっすってなるかいなってな。
利子がかかる分無利子にしてやってんだから感謝しろって?うん、だから感謝はしてるだろ。感謝してるからって文句言うなってのはちょっと違うんじゃねーの。その利子はそんな人の心を支配できるような金額なのかい。
『女性が路頭に迷った少女達を助けたり、女が同性の友達同士で支え合って生きていきたいって事に対して異常なほど炎上してるのを見ると、
「男が必要無い女」って物凄い脅威なんだなと思う。この社会は男に隷属したり搾取されたり頼らないと生きていけない女で溢れて欲しいんだろうな…』
って、自意識過剰にも程があるでしょ
実際には「男なんて必要ない。同性の友達同士で支えあって生きていきたい」ってわざわざ表明する女は計算高く抜け駆けして
言ってる事とやってる事があまりに違い過ぎて呆れられてるだけだと思うよ
で、逆に結婚したいと素直に表明している馬鹿正直な女に限って(私のように)いつまでも結婚出来ずに生涯一人で生きる羽目になるというのが現実だから
僕44彼女28。ぶっちゃけめんどくさいから体だけの関係で終わらせるつもりだったけど、向こうが一途だった。
出会いは共通の知人の紹介。趣味が一緒で、そこの会場で会った。
別の日にスタバで会って、そこで解散かと思ってたらいつまでも付いてくるから飯食って酒飲み行ってそういうことになってしまった。
ちなみにそのときは相手の年齢知らなくて、雰囲気から30代だと思ってた。
僕はバツイチで子供達は嫁さんと遠方に暮らしてるんだけど、相手はそういうの気にならないと言ってくれている。
医療関係だから休日が合わなくて会う日が限定されるのが最近の課題かな。
電話かかってくるのがめんどくさい。電話するくらいなら会えばいいじゃんと思うんだけど朝早いからそうもいかないらしい。
これこのまま続けてたら結婚とか言い出すのかな。
僕はもう結婚はしたくないんだけど。
https://anond.hatelabo.jp/20210829075307
https://anond.hatelabo.jp/20141115173600
昔から死者数なんか気にもしないゾンビの国だけど戦死者すごいし、西側の経済制裁も時間とともにさらに効いてくるパターンだし
ロシア側もいつまでも終わらない戦争、高騰する物価、徴兵される子供、そういったのが1年続くのと5年続くのではまるで状況が違う
自分たちがもういっそロシアに全部上げてギブアップしたらどうかと思うのと同様に、ロシア側もそう思う市民が増えてくる
それは民主国家よりは上限にかなり余裕があるけど、元々の国力が西とは違うというハンデがあるし基本的に独裁は構造が脆い
人間は代替が効かない分ゾンビ兵がいくらでもいるロシアが有利だけど、ロシアにとっては西側がついてるウクライナの武器の無限さが怖いと思う
自分がプーより有利になるために場合によっては裏で外国勢力と手を組んだり足を引っ張ろうとする
それから、ロシアにとって大出血からの領土たくさん手に入れたというのと大出血からの領土ちょっとだけ手に入れた、ではまるで違う
面倒がって誰も言わんし俺も仁藤がそれだとは言わんけど、女性人権関係者の攻撃的振る舞い、まさにこの自称恩知らず少女が克服した振る舞いなんだよな。
本当に申し訳ないけど、当時は支援者の方々に感謝の気持ちなど1mmもなかった。「本当に助けなきゃいけない人は助けたくなるような人ではない」と言われてるけど、そう言う感じだったと思う(辛いことだけど、助けたくなるような弱々しい子は助けられる前に亡くなっているとか再起不能になってるとかもあると思う)
・助けてくれてありがとうとかではなく「金持ちの家に生まれて愛されて何不自由なく生きてこれた人もいるのになんで自分だけ」としか思ってなかった
・「見下してんじゃねえよ」と思い常にイライラしていた
もちろん今思えば見下されると感じるような態度を取られていたわけではない。こちら側の受け止め方の問題
・何をしてもらってもとにかくムカついてた
今思えば十分すぎる環境だったけど常に不満しかなかった。あれ以上ご飯が豪華だろうとめちゃくちゃいい部屋だろうといつまでも文句を言ってたと思う。その感情の底には過去親に大切にされなかった悲しみや怒りがあったんだろうなと思う。
・なんか、本当は甘えたいとか泣きたいとかありがとうと言いたいと思うタイミングもあったんだけど
そうすると自分が今までの自分を否定することになるような気がしてできなかったんだと今思う。
説明しづらいけど、恵まれて育った子の与えられた愛情+余裕が100だとすると私は3くらいしか持ってなかったから
この「大人」とか「環境」とかを暇空とかインターネットとか他の補助金事業とか適当に読み替えると、今燃えてる界隈の行動とメチャクチャきれいに複合すると思わないか?
例えば「支援者ぶって何千万寄付したくらいでいい気になるんじゃねえよ、たかだか公金何千万がなんだよ、インターネットのオタクが見下してんじゃねえよ、社会に服従したら私の愛情が擦り減って0.1に減っちゃうんだよ」みたいな。
そういう人が猿山のボスやっちゃいかんと思うし、毒抜きと支援が必要なのはこいつら団体トップじゃねえのと思うんだよな。
あと私が飲食店でバイトしてた時、私の事情を知ってたキッチンの方がシフト被るたびに「明日の朝食べなさい」とご飯とおかずを持たせてくれてたのだけど
お礼を言ったことが一度もない
普通の人は意味がわからないし非常識すぎると怒って当然だろうけど、おそらく当時の私の頭では「なんか押し付けられたけどあるから食っとくか」みたいな感じだった
ところで直接は関係ないんだが、こういう雑な善意を押し付ける側に立つと「礼を言われるよりお前が腹ペコでやってきてキレ散らかしてるのを見ると俺の手間が増えて悲しい」くらいの感情だったりするんだよな。だから感謝の念を持つのは自分自身の改善として大切かもしれないが、「過去に犯してしまった消せない過ち」レベルではないんだなあと思う。ある意味では意志があって判断できる一個人として見ていないからこそ勝手に「こいつは明日飯を食う必要がある」という勝手な判断を押し付けることが出来る。
だからこういう行動の渦中にある人は無理に今すぐ感謝の念!とか考えず、言われるがままで良いんだと思う。もらえるもんはもらっとけ、気持ち悪かったら捨てとけ。
2023年1月1日、私は限界を迎えて、東京のホテルを予約した。元々3日から予約していたのだけれど、1日からに変更した。実家で絶え間なく続く母の愚痴に耐えられなかった。
子どもの頃のまま、中1のときに貼ったアヴリル・ラヴィーンのポスターがこちらを見つめる部屋で荷物をまとめていると、ドアから父がその様子を覗く。
「どこ行くの?」
「3日からじゃなかったっけ」
「やっぱり今日からにしようと思って。いろいろやることがあるし」
「そう」
しばらくするとまた父が来る。
「そう…」
父は去ってしばらくすると、今度は母と登場した。
ユニクロの縞模様のフリースを着た母は、部屋にはいると、ドアの前で正座をした。その後ろで、灰色のだるだるのパジャマを着た父が立っている。
私はベッドに座って、ポーチに化粧水を詰めているところだった。
「なんで?」
悔し泣きのような顔で、正座をした母が言う。
「なんで? 私がなにか悪いこと言った? なにがだめだったか、教えてください」
正座した上半身をゆらゆらと前に屈ませながら、母が泣いている。
「いや、別に……」
「教えてください。私があなたが子供の頃からしていた所業が悪かったのはわかっています。謝ります。ごめんなさい。でも、言われないとわからないんです。私ばかなので」
正座でゆらゆらと頭を下げる母。泣いて頭を下げる親を上から眺めるなんて、最悪だ。自分が本当に人でなしのように思える。
これが嫌でこれまで距離をとってきたんだったなというのと同時に、これが予想できたとしても最悪のタイミングで拒絶をしたかったんだとも思う。
「5秒ごとにネガティブなことを言われるのに、疲れただけだよ」
「ネガティブなことってなに? 教えてよ」
「どれというより、本当に息を吐くように言ってるから、一度録音してみたら…」
母の涙声の語気が強くなる。本当にわからないのだと思う。それは2人で暮らす両親の習慣なのだ。
***
母は父の一挙手一投足に文句を言い、ときに声を荒げる。父はかなり雑で無神経なほうなので、文句を言いたくなるのもわかるときはあるけれど、母の謎のこだわりに沿っていないかったり、さっき母が自分で言ったことを忘れていたりという理由での文句も多い。
煮物を真ん中から食べたとか、思っていたのと違うお皿を使っているとか。
文句を言うとき、母は私のほうをちらりと見る。一緒に文句を言ってほしいという合図だ。祖母やご近所さん、芸能人を悪く言うときも一緒だ。
子どもの頃は、これに必死に賛同していた。賛同したほうが、家庭内は平和だし、「やっぱり父に似て鈍臭くて雑」と言われたくなかった。私は母のなかにあるお皿のルールを覚えて、完璧に対応できるのが、誇らしかった。
母の文句が合理的ではないと気付いたのは、中学生になった頃だろうか。反抗期を迎えた私は、母の「ちらり」に反応しないことにした。子どもの頃の癖もあるから、反応しないのには一定のパワーがいる。
20年ほど経つのに、未だに母は私の賛同を待っている。目を逸らすと、「冷たい」「つまらない」と残念そうに言うこともある。私は私で、いまだに反応しないのには、パワーを使う。
母は自分にも、ネガティブな言葉を投げかける。料理の味付けが薄かった、もっとこうすればよかった、失敗した……。「そんなことないよ」「おいしいよ」と父はすかさず言う。「心にもないことを」と母が言う。
私も基本的には「おいしいよ」と言って、自分が実際に食べたいと思う以上に食べる。実際にそんなにまずいと思うことはない。おいしいことも多い。絶対に言えないけれど、もっとこうしたらおいしいのにな、夫だったらここはもっと丁寧につくるなと思うことはある。
母と父は2人っきりで、ずっとこの関係を続けているから、自然なのだろう。父は天然で人の話をよく聞かないタイプだし、何十年も家庭を放棄して母に苦労をかけてきた負い目もあるのだろう。なにより退職して、今かまってくれるのは、母しかいない。
そうして自然に任せると、5秒ごとに母が、父の批判か、フォロー待ちの自分批判をすることになる。
「そうだそうだ」と母に賛同しているときは、楽だった。そういうものだった思っていたから。でも、なんだかおかしいなと気づいてからは、食事3回分、24時間くらいが限界らしい。
最近は、夫や弟夫婦と帰省することが多く、彼らがいたから、なんとか耐えられていた。
弟の奥さんや夫を気遣う体で、物理的に距離をとれたし、外の目がある手前、母のネガティブも多少減る。
彼らは空気を読むタイプなので、波風を立てない形で、母をなだめ、父へのフォローもできる。弟と私が、そういう伴侶を共通して選んだのは、偶然ではない気がする。
そんな夫が「あんなに失敗したって言われながら、食事を出されると反応に困るんだよなぁ」と、いつかの帰り道にぼやいた。
それで私は、やっと自分がいつも母の絶え間ない自虐に疲れていることに気づいた。
12月29日の夜に帰省した私は、24時間が過ぎた30日の夜に、電池切れしてしまった。
31日はタイミングが悪いことに母の誕生日だったけれど、その日は私はなにも話すことができなくなっていた。そうなると、私は思春期に戻ってしまう。
こうならないように、ここ何年かは、それっぽい理由をつけて一人のときは自分が耐えられる時間だけの滞在にしてきたし、長い時間のときは夫や弟夫婦と一緒に行動するようにしていたのに。
今回は急遽海外への引っ越しのスケジュールがずれこんで、直前に長く実家に滞在することが決まった。私以外は皆海外にいて、一人での帰省だった。
「ゆっくり実家にいれるようになって、よかったね」というまわりの言葉になんとなくそうかなぁと思ったけれど、やはりどうしても私には無理だったらしい。
年末に駆け抜けた引っ越しや渡航準備、仕事で、疲れきっていた。さらに悪いことに、家族の緩衝材役を担ってくれていた犬が、最近病気で寝たきりだ。
私は母と話せなくなると、犬に話しかけて、場を和ませて、なんとか大人の自分に戻っていた。
①母の文句や笑いに喜んで賛同し、適度に甘える、7歳の無邪気な自分 ←母はこれを一番期待している。25歳くらいまでは、違和感を持ちつつも、これで仲良くやっていた。
②母に反抗して黙りながらも、我慢してその場にとどまる15歳の自分 ←母はこのモードに、世話を焼くのも嫌いではなさそうだ。私はかっこわるくて最悪な気持ちになる。
③母の愚痴をニュートラルに聞き、親切にする35歳の自分 ←母は物足りなそうだけど、自慢の娘というかんじでご機嫌。私も心が安定する。心の余裕がないと、長時間できない。
もちろん、基本的には今の自分の年齢と一致する③でいたい。①は楽で平和だけど、自分のなにかが死んでいく気がして、絶対にやりたくない(実際この形でうまくいっている母娘はけっこういる気がするけど)。
③が崩れそうなときに、①を断固拒否すると、②になり、今回は頼みの綱の夫、弟夫婦、犬の不在で、③に戻れなくて、耐えきれず、物理的な脱出をはかったわけだ。
***
修羅場に戻る。
「なんで嫌ならそのときに言ってくれないの!? 私が子どもの頃、すぐヒステリーになったから、それがトラウマで、普通の言葉もすごく嫌に聞こえるんだよね? そう、私が悪いの……」
母は一人で話しつづけている。
たしかに、そうなのかもしれない、と思う。
「どうせ私は虐待親ですよ。そう思ってるんでしょ。この家に足を踏み入れるのも辛いんでしょ」
こんなふうに母が言うのは、弟が4年ほど前に、そう言って母に反旗を翻したからだ。
私から見て、弟は弟でわりと極端な思い込みがあるほうなで、それは言い過ぎではと思いつつも、面倒なことを伝えてくれて助かったなとも思っていた。
虐待とまでは言わないけれど、母の臆病さや不安定さに、随分振り回されたなと思う。母の年齢に近くなり、いくら大変でも、大人の私はそれはしないなぁということがいろいろある。時代も違い、私には子供がいないから、未体験の領域ではあるけれど。
ただ今になって本人を責めたいとも思わないし、お金と労力をかけてもらったぶんそれなりに自分の人生を生きらている自覚はあるので、のらりくらりと、どちらの側にもつかずに距離をとっていた。
その間に結婚して、夫という防波堤ができて、このまま平穏にほどほどの距離感でやっていけそうだったのに。ここにきて、こんなことになるとは……。
「ずっと嫌だったんでしょ。無理してこの家に来てるんでしょ」
「まぁ、それはそう」
弟ほど実家に寄りつきたくないわけでもないけれど、母の雰囲気におされて肯定してしまった。実際、いればいるほどエネルギーが吸い取られるかんじがするし。
「嫌なら、なにが嫌かはっきり言ってくれたらいいのに。なんで教えてくれないの?」
「こういうふうになるってわかってるから、おかしいなと思っても指摘できないよ。子どもの頃から、言えないように、あなたがしてきたんだよ!」
「指摘できないなんて、思わないけどなぁ」
父がとぼけて言う。
ついでにした父への批判は、なんとなく母が言ってほしい言葉を言ってしまった気がする。
だって、いなかったし、そのうえ、気に入らなかったら、怒鳴ったり暴力振るったじゃん。アル中でDVだったときのこと、忘れたの?
と本当の私は言いたかった。
宙吊りにされてテーブルの角に頭を打った母が頭から血を流したことも、ベランダのガラスを蹴って割ってくるのを、弟と部屋のなかで怯えて見たことを、私は忘れられない。
部活から帰ってきて眠っていたソファから、突然投げ落とされたことも。
日曜の昼、ウィスキーを飲み始めたら、今日は怒鳴りだす合図だったことも。
でも、それはこの家ではなかったことにされているタブーだ。母の思う「うちは、幸せな家庭でよかったね」の規範から、明らかに外れているからかもしらない。
今の父は穏やかで、母を落ち着かせる役割を担っているし、あの頃のことを申し訳なさそうにする素振りをしているので、私も言わないことにしている。
ある一定の期間だけだった気がするので、仕事でストレスもあったのだろう。その仕事で、大学まで行かせてもらったわけだし。だからって、許されることとも思わないけれど。
そんなことを考えて黙っている間も、母は話し続ける。
「私はひどい親かもしれないけど、あなたのことが大好きだから、楽しみにしてたくさん準備して」
楽しみにしていた誕生日とお正月に、大好きな娘にこんなことをされるなんて、母はとても可哀想で、そんなことをする私はなんてひどい娘なんだろう。
「あなたがしていることは、はっきり言って暴力だよ。無視されることって辛いんだよ。お父さんと同じことを、あなたはする。なんで?」
母は悔しそうに泣く。父にされたことも、思い出しているのかもしれない。
たしかに、15歳のモードで言葉を話せなくなってしまった自分は、不甲斐ないし、申し訳ない。もう35歳なのに、なにが嫌か言葉でなかなか説明できないなんて。それでも。
「被害者面なんてしないよ! 絶対しない。でも、被害者って言うなら、言わせてもらうけど」
「被害者」というキーワードが、なにかの引き金になったらしい。母がここぞとばかりにまくし立てる。子どもの頃、どれだけ私や弟に尽くして節約し、我慢し、プリントを整理し、時間をさいてきたか。自分がこんなふうに拒絶されるのが、どれだけ辛いか。
プリントの整理、私嫌いじゃなかったし、別にしてもらわなくてもよかったんだけどなぁと思う。
節約して5歳から18歳まで行かされていた塾も、今思えば先生が子供たちに人格攻撃をするやばいやつだったので、あの先生のために節約しなくてよかったのにねとも、思う。
どんどん人が辞めていくなかで、私は一番長くその塾に通った。今思えば、あそこにいた子どもたちは、みんな無表情でか細い声をしていた。
母にも辛くあたった塾の先生や祖母を黙らせた私の全国模試の順位に、母が満足気にしていたのも思い出す。私に勉強の機会を与えたのは、私のためだったのだろうか。
母は絶対否定しない父を後ろに据えて跪き、私が絶対罪悪感を抱く言葉を泣きながら放つ。
「過去やってきたことを否定したいわけじゃないよ。ただ今、愚痴を聞き続けるのが疲れたっていうだけだから」
「本当に行くのね?」
「うん」
これまでの私だったら、ここで東京に行くのをやめていたかもしれない。そもそも、行事を大切にする母の手前、大晦日とお正月に実家の家族から離れる選択肢なんて、一昨年夫がコロナの濃厚接触者になった一度以外、なかった。
海外駐在中も両親が自宅まで来たし、濃厚接触者になった翌年の新婚ニ年目も年末がちょうど誕生日だからと義実家より私の実家を優先した。「失敗したかもしれない」と呟く母のおせちづくりを毎年手伝い(「おいしいよ」とフォローしながら)、きれいにできた重箱やお正月の風景を撮ってアルバムにして、プレゼントした。
今年は弟夫婦も夫も海外で、犬は寝たきり。それでも母は、親子水入らずでのお正月を楽しみにしていたのだと思う。急遽伸びた海外行きと、それに伴う実家滞在の長期化を、母はもちろん喜んだ。
私は夫と会うのがお預けになってがっかりしたし、なにより自分が実家滞在に耐えられる自信がなくてとにかく不安だったけれど、そんなこと、まったく思いもしなかっただろう。
「私はお正月は家族で過ごすものだと思ってるから。こんな仕打ちってないよ。〇〇ちゃんの家は母娘でおせちをつくって、●●さんの家ではもっと……」
母が地元に娘が残って、べったり子育てもサポートしている家族を羨ましく思ってるいるのは、わかっている。
それが嫌だから、上京してよかったと何度思ったか。一方でその願望に多少は答えなくてはと思って、お正月、誕生日と、GWかお盆は帰省した。旅行もした。
でも、今回は無理だった。弟夫婦や夫がいてくれる年を過ごしたら、もう1人では耐えられなくなっていた。
「もう何十年も、十分やってきたでしょ」
そう言うと、母は静かになって、去っていった。
私が喜んでやってきたと思っていたことを義務のように言われて、母は心底悲しくなったのかもしれない。私だって、いつも100%嫌々やっていたわけではない。ある程度、楽しんでいた。
母は本気で自分を直そうとして、泣いて質問しているのもわかる。
それでも、「まだほしい、まだほしい」と千と千尋のカオナシのように、やればやるほど依存されて欲しがられるかんじに、耐えられなかった。
母が変わるのを根気強くサポートする気力が、私には残っていない。
母が羨ましがる〇〇ちゃんや●●さんの家だって、娘が気を遣っているところはあるのだろうと、私は思う。彼女たちが一時精神を病んでいた原因に、母との関係がなかったと言えるだろうか。
娘同士で話すと、娘側が母にリップサービスをしたり、話を合わせたり、距離をとったりしていることは多い。
10代の頃は本当に仲の良かった「友達母娘」でも、いつまでもそのままでいられると思っているのは、たいてい母のほうだけだ。それでも、娘は母をがっかりさせないように、大人の振る舞いで和やかに過ごす。
私だって、本当はスマートに、本人には気づかず幸せでいてもらったままで、ほどほどの距離感で過ごしたかった。
誕生日やお正月を楽しみに、食材を考えていた母を思うと、胸が痛む。とても。涙がでるほど。
こんな最悪のタイミングで反抗しなくたってとも、思う。しかも、こんな年齢で。
それでも、今、私は自分のために、自分をどうしても逃がしてあげたかった。
脱出した私は、その夜、東京の銭湯に行って、ホテルのベッドでぐっすり眠った。
——-
けんか(?)を片方の立場から書くのって、フェアじゃないよなぁと思いつつ。
まずは自分のなかの混乱を整理するために書きました。だからか、うまく削れず、とても長いです。
迷いつつも、シェアするのも悪くないかなと思ったのは、信田さよ子さんの本や記事にでてくる人たちの具体的なエピソードに、私自身が背中を押されたからです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4393366255
https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0022/topic025.html
もうおばさんという年齢なのに、いつまで私は子どものようにじたばたするんだろうと思うけれど、自分で選択して、書いて、振り返って、前へ進めば、大人としてドライなほどほどの関係を築けると信じて…。
「オタクを軽い気持ちで殴ってるならやめなよ」みたいなことをここ数年のネットでちょくちょく書いてて
はてなにも何度か書いた気がするしちょっとブックマークもされてたと思う
たぶん誰も覚えてないけど
自分達の思想信念に照らしてオタクを不倶戴天の相手だと思っていて、
絶滅戦争の覚悟で挑んでるんならそれは自由だから何も言わない。
オタクの脅威度を軽く見積もって軽い気持ちでやってるんじゃないか、
それならやめた方がいい一方的にやれる相手じゃないし今ですらやれてない、
そういう話を何度も何度も書いてきた。
もうだいぶ減ったタイプだが、一部のネトウヨが韓国人の全ての能力をやたら低く見るのなんかは典型例だ。
自分は韓国社会の日本人への差別性については辟易とした気持ちを持つ嫌韓厨だが
韓国人をチョンとかチョウセンメクラチビゴミムシとか呼んで喜んでるネトウヨにも同じように辟易としてきた。
自分は韓国人を対等な人間だと思うからこそ、彼等のヘイトや差別を受け入れて譲歩しまくるのはまずいぞとずっと言ってきた。
一部の聡明な嫌韓厨はみな同じ意見だったが多くのネトウヨは全く話が通じなかった。
(韓国人の能力を見下してるという意味において無限譲歩を唱えるアホとチョン呼ばわりが好きなネトウヨは同種だった。)
オタクに無限の攻撃性を向ける近年のリベラルやフェミニストからは
客観的な「自分の目的のための利益」「相手の能力・脅威度」等の見積もりをやれてない。
彼等彼女等のオタクへの攻撃とその後の紛争を見て何度も言った。
「あなた達が思ってるほど一方的に踏みつけることなんかできてないんじゃないか」と。
「オタクにかかっていっては反撃されて、結構ボコられてるんじゃないか」と。
最後は炎上攻撃やクレーム殺到によって表現を委縮させたことをもって勝利宣言していたのについても
「 それがどれほどの利益になるのか、コストやリスクに見合っているのか、ちゃんと考えてやっているのか?」と。
こういう話で本当に厄介なのは、何をどう問うても忠言しても相手のプライドに障るということだ。
ネトウヨに「日本人と韓国人に能力の違いなんかあるか」といくら言っても聞きゃしなかった。
リベフェミに「君達はオタクを一方的に殴れるような能力はない」といくら言っても却って激昂させた。
蔑視感情でやっているからこそワンサイドゲームで殴っていると思いたがり、
「それは違う」とか「あなたと相手は同等だ」という忠告は蔑視感情を傷つけるために耳に入れない。
リベフェミが気軽にオタクを攻撃したくなった理由は2つあると思う。
1.キモくて賤民階層で世間からも蔑視されていて一方的に殴ってよい存在だと信じてた
2.話をスッと理解してすぐ反応して反撃してくるので手応えがあった
1だが、これは世代ギャップがあって、若い層はそこまでオタクに対する嗜虐的な差別感情はない。
リベフェミの多くが高齢化している(若くてアラフォー)ために自分達の蔑視感情を全世代共通と思い込んでいるけれども
相手がそんなにまで被差別民でもなかった結果、彼等を殴ることに思ったほどの正義バフはかかっておらず、
むしろ「やたら攻撃してるあの人達の方がキモい」という視線も結構生まれている。
2についても、話を理解して反論してくるということはその時点で容易な相手ではない。
自分達がやることは相手もやり返してくると思うべきだった。(蔑視感情がそのあたりの警戒心を曇らせた。)
リベフェミによる「社会不適合弱者男性性犯罪者予備軍差別主義キモオタ」レッテルと同じぐらい
「パヨ」とか「フェミさん」とかの滑稽なカリカチュアがバンバン生み出されてネットに放流されていった。
そしてそういうことの手腕にかけてはリベフェミよりオタクの方が優っていた。
キャッチ―なフレーズや画像を添えて拡散してコンテンツ化してバカにすることにかけてはオタクの方がずっとノウハウがあった。
客観的に言って、
(しかしこれは蔑視感情で攻撃している人に言っても絶対に受け入れられず止まらない。
戦争を蔑視感情で開戦されたらメチャクチャ怖いのがよくわかる。ネトウヨは滅ぼさなければならない。)
結局ネットのネチネチした言い合いで負けても
炎上をおこすことによって実社会のオタク系の絵の表現を委縮させることをもって
「自分達の勝利」と宣言してオタクを煽るという行動になっていったけれどもこれもとてもコスト・リスクの高い行動だった。
仕掛けた戦いを毎回勝利宣言で終わらせるのは
今回の攻撃でどれほどの利益があるのか、支払ったコストはいくらか、得をしたのか、そういう勘定がどっかへ行く。
リベフェミが勝利宣言をすることによってオタク側には被害者感情が溜まる。
「じゃあ同じことをやり返してやる」という人間が現れるのは時間の問題だった。
議論を飛び越えた威力攻撃による報復については頑強な反論や抵抗があるし今回もあったけれども
リベフェミがオタクの中に育てた恨みがそれを押し切ってしまった。
オタク内部の穏健派と強硬派の対立は鋭いものがあった(過去形)。
「あくまでネット上のネチネチした議論による殴り返しで済ませたい」という穏健派がオタク内与党だった。
これが今回の騒動の少し前にオタク内支持を失っていたことは見逃せないと思う。
その前奏として昨年夏?ごろ、
「オタク表現への規制を唱えながら自分達のモロエロ本番BLは全面自由を唱える腐女子フェミニスト(結構一杯いる)」への対応について
「連中は決定的に客観性を欠くから、ダブスタに疑問を持たない」
「オタク表現が強いられてるのと同程度までのBL規制に賛成してあいつらの首も締めた方が良い」
強硬派側も「そんなんだからいつまでも殴られっぱなしなんだ」「このチンポ騎士主義者め」と怒り、
力量では穏健派論客より強硬派論客の方が一段以上格上であったこともあり
以上は特に結論が出ずに終わったためあまり注目されなかったが、
オタク内で強硬派意見を掣肘する力が失われているのが明確になった象徴的なイベントだった。
毎度攻撃されては勝利宣言されるという体験の繰り返しの影響は無視できないと思う。
単に「バーカ」「お前こそバーカ」のネット上の言い合いだけなら、そこまで被害感情も恨みの感情もなかったはず。
なにより「実社会での表現委縮達成」および「それを成果として勝ち誇って煽る」も不味過ぎたと思う。
ネット上の言い合いである限りそれをネットの外に出すことについては
「やめようよ」と止める声がオタク内でも大きく、多数派ですらあった。
「ニチャニチャした議論ごっこで自分達が楽しんでいただけ」とまで言われており
一部からはかなり直接的で強烈な罵倒や揶揄まで受けるようになっている。
超強硬派が余程決定的にコケない限りはもう穏健派が盛り返すことは難しいと思う。
かつての強硬派すら超強硬派には喝采と言うよりは若干引いているようにも見えるが(希望的観測?)
もはや勢いも支持勢力も比較にすらならなくなっておりバランスをとる力などないだろう。
と何度も何度も聞いた。
そのスライムは結構反撃してくるし毒も持ってるしあなたと同等の力を持ってるモンスターなんじゃないですか?
オタク内ではもはや「合法的範囲内であらゆる手段の反撃」が支持されるようになり
リベラル・フェミニズムからの攻撃に対するやるかやられるかの決戦が主唱されるようになった。
どちらも無事では済まないし、もう二度とディスカッションや和解の機会もないだろう。
覚悟もなく蹴っていた人たちがこうなってから言うことはおそらく
「そんなつもりじゃなかった」「オタク攻撃なんかしてない」「ちょっと注意しただけなのに」あたりだと思う。
最近のゲームだと逆にわからん層も多いだろうから昔からあるゲームで例えると
信長の野望、とか。
ああいうのでいつまでも戦争始めずに開墾とか商業とかやって軍隊の数を増やしきってからじゃないと他国に攻め込まないみたいな子供。
慎重派といえば慎重派なんだけどこういうことやる子供って行動力に欠けるんだよね。
いつまでたってもお尻を上げることが出来ない性格っていうか。
全く逆のやり方する子供も居るじゃない?
少ない戦力をやりくりしてさっさと他国を切り取っていくことで自国成長させる、ってやり方みたいなの。
同じ自国の成長させるという目標でも達成の仕方が全く逆で、更にいうとよりゲームの本質を理解してるのは、他国への侵略をすることで成長させていくやり方だよね。
もちろん遊びだし、より早く全国統一するのが偉いってわけでもないから、このやり方の違いだけで子供の将来とかを占えるわけではないけど参考には出来ると思う。
自分の子供がどういうタイプの人間でどこが性格的弱点でどこが強みなのか、とか分析するのにゲームっていうのはよい題材だと思う。
(どうでもいいけどオロナミンCの便じゃなくて瓶でした)
※この記事を読んでもらえるのはありがたいけど、何かや誰かを批判するために引用するのは控えてもらえると助かります。こういう状況にある人たちがいるんだなあという風に知ってもらえるだけで嬉しいです。
全体の流れについてあまり把握できてないのと、Colaboに対する擁護ではありません。ただの感想です。
心の優しい人が傷付いてしまう表現もあると思うのでご注意ください。
【私について】
母の彼氏に膣にオロナミンCの瓶を挿れられてその上からフライパンで割られそうになるなどやばいことが増えてきたので家出する→ネカフェ生活→保護してもらう(Colaboではない)→支援を受け自立→今20代
本当に申し訳ないけど、当時は支援者の方々に感謝の気持ちなど1mmもなかった。「本当に助けなきゃいけない人は助けたくなるような人ではない」と言われてるけど、そう言う感じだったと思う(辛いことだけど、助けたくなるような弱々しい子は助けられる前に亡くなっているとか再起不能になってるとかもあると思う)
・助けてくれてありがとうとかではなく「金持ちの家に生まれて愛されて何不自由なく生きてこれた人もいるのになんで自分だけ」としか思ってなかった
・「見下してんじゃねえよ」と思い常にイライラしていた
もちろん今思えば見下されると感じるような態度を取られていたわけではない。こちら側の受け止め方の問題
・何をしてもらってもとにかくムカついてた
今思えば十分すぎる環境だったけど常に不満しかなかった。あれ以上ご飯が豪華だろうとめちゃくちゃいい部屋だろうといつまでも文句を言ってたと思う。その感情の底には過去親に大切にされなかった悲しみや怒りがあったんだろうなと思う。
・なんか、本当は甘えたいとか泣きたいとかありがとうと言いたいと思うタイミングもあったんだけど
そうすると自分が今までの自分を否定することになるような気がしてできなかったんだと今思う。
説明しづらいけど、恵まれて育った子の与えられた愛情+余裕が100だとすると私は3くらいしか持ってなかったから
大人に服従(と当時は思っていた)するとそれが0.1とかになりそうでできなかった
【今思うこと】
色々話に行きたいけど、超問題児だったので職員さんに嫌われているのではないだろうか、いやそんなことはあの人たちは思わないだろうとかもごもごしている
超問題児だったからこそ会いに行けよと思う人もいるだろうけどまだその領域に達せていない…もっと立派な大人になったら行きたい
今、当時優しくしてもらったことをふと思い出して泣いてしまうことがある。
駅前のバラエティショップにNICIっていうぬいぐるみのキーホルダーが大量に置いてあって、犬のやつを買って通勤用のサブバッグにつけたんだけど
なんかその優しい顔を見ていると泣いちゃう。
【Colaboに支援されたという人があまり出てこない理由を考える】
基本的に、私のように過去に支援を受けた人が「私はここに本当にお世話になりました!ありがとうございました!」と言うことは普通にあまりないと思う
・過去を見たくない
いくらその後大切にしてくれる大人に出会えたとしても、「虐待を受けていた」「生まれに恵まれなかった」ということを自らアピールすることはできない
思い出したくない記憶なのもあるし、実家が太い・太くないみたいな言葉が普通に使われる世の中では特に言えない
支援してもらったことも思い出したくない(振り返ればあたたかい記憶ではあるけどそこにはつらい背景が付いてくる)
支援者の方々に自分が言った酷いこととかも勝手すぎるけど思い出したくない
前述の通り…
・ガチでひどい扱いを受けていた
こうならば声をあげて訴えた方がいいと思うし尊重されるべき 無理はしないでほしいけど
確定はしてないけど、「少女たちを金の種にしていた」「ひどい扱いをしていた」みたいな疑惑が出てるみたいということに関して
・本当にザル会計で適当にしていて自分たちのためにお金を多く得ていたならそれは絶対に批判されるべきことだと思う、真面目にやっている団体(少女保護に限らず)にも迷惑
・なんだけど、それが原因で「少女の保護も金のため」となるとうーんとなる
これは支援に関わった人にしか分からないかもしれないけど、正直いくらもらってもやりたくない人はやりたくない仕事だと思う
私は月300万もらってもやれる自信がない(過去の自分のような子に関わることはできない)
・Colaboがゴリッゴリの悪だったとしても、少女が当時はそう思えなくても、「困ったときに保護してもらえる場所があった」「そういう場所を作りたいと思った大人がこの世にいたこと」は、いずれ心の支えになるので、100%悪とするのもなあと思う(もちろんだからといって批判するなとは全く思わない)
【仁藤さんに思ったこと】
・キモいおじさん批判や温泉むすめの件、というか批判対象に対して100%悪だから潰せという感じの態度を取るのはええ…ってなる
というかあまりにもヘイトを撒き散らしていたら保護している少女にさらに危害を加える人が出てくるのではと見るたびにヒヤヒヤする
・ただ、そうならざるを得ない背景もあったんだろうと思う
支援されていた側からも①少女をおびやかすやばすぎる大人②意識的or無意識に世界の全てを恨み支援者に一番牙をむく少女③自分のために支援者と少女を利用しようとする大人の存在は見えていたし
特に③は怖い
・保護されている少女は平気で嘘をつくよ(笑)みたいなツイートが掘られて批判されてたけど、私はあれは仁藤さんが本当に親身に支援をしていた証拠のように思う
実際に、私と同じ施設にいた子が職員さんに片付けないことを注意されただけで匿名で嘘の通報をしたり他の団体に虐待をされていると相談したりというのは普通にあった
というか、「嘘をついている」という自覚はない 多分自分の中では本当のことになっているから 自分の嘘しか自分を守ってくれない、という子どもは私の周りにはたくさんいた
そもそも嘘をついて生き延びるor黙って死ぬ で前者を選んできたから生きているだけという
【最後に】
それぞれの人にそれぞれの事情があるので、本当に悪かったところはとことん追求して、褒め称えるところは褒め称えてほしいと思ってしまう。
【追記】
ほんと長くなってしまって申し訳ないんだけど、書きたくなったので。
・恩を仇で返す、ということについて
保護される子供は恩を仇で返す、というのは間違ってないと思うというかかなり多いケースだと思うんだけど
そもそも私含めて多くの子供が「それは恩を仇で返す行為だ」と分かってないと思うんだよね
なんでかというと、びっくりして心を痛める人もいるかもだけど
ありがとうと言うようなことが保護されるまでなかったというか、大人に何かしてもらったり助けられたりしたことがそもそもないんだよね
もちろん10歳超えて生きてきたということは超最低限の水と食べ物を与えられてるということなんだけど
それ以上のことはない、というか暴力に耐えたり惨めな思いをしたり死んだ方が幸せみたいなことばっかりで
だから最初のうちは何かを与えられてもそれが優しさだと認識することがそもそもできないから感謝することもできなかった
自立して精神的な余裕ができてから色んな瞬間で「ああ、あれって優しくしてもらってたんだな」と気付く→そんな優しい人たちから差し伸べられた手を叩いてきた自分に気付く→ダブルでつらい みたいな…
「恩を仇で返してやるぜ!こいつら困らせてやるぜ!ヒャッハー!」みたいな人はいないと思う
例えが変だと思うけど、マッサージしてもらったことがある人は身体が痛い時にマッサージしてもらえたら、あ〜ありがとうございます〜って気持ちよくお金渡せるけど
してもらったことない人は「!?何してんだ触るな殺すぞ」って抵抗して暴れてお金払わず逃げてさらに自分の身体がぼろぼろに…
いやほんと例え下手で申し訳ない
あと私が飲食店でバイトしてた時、私の事情を知ってたキッチンの方がシフト被るたびに「明日の朝食べなさい」とご飯とおかずを持たせてくれてたのだけど
お礼を言ったことが一度もない
普通の人は意味がわからないし非常識すぎると怒って当然だろうけど、おそらく当時の私の頭では「なんか押し付けられたけどあるから食っとくか」みたいな感じだった
優しさを受けた経験がないから優しさの意味、人に優しくするための労力の尊さが分からない
そういうのを思い出して、「わざわざ心を割いて優しくしてくれたのに不快な思いにさせてしまった」「どうしてありがとうございますと笑顔で言える人生を歩んで来れなかったんだろう」と、色々な感情が絡み合って申し訳なくて情けなくて泣く、みたいな
・今の生活について
楽しそうに自分らしく生きてる人を見てるだけで自分も元気をもらえるから
私もそうありたいなーととりあえず思ってる
今年は社労士試験に受かるのと、料理のレパートリーを増やすのが目標です
【追記2】
悪気は無いと思うんだけど、「保護されていた子が◯◯なわけない」みたいなことはできるだけ口に出したり書いたりしないでほしいな〜と思ってしまう…せっかく読んでくれたのに要求までして申し訳ない
私の周りの似たような境遇の子たちは何かやらかした時「やっぱりな」と言われないようできる限り真面目に生活してるよ
そういうレッテル貼りが嫌になったor避けたいから最初から夜職の方が楽だと言う人もたくさんいるのが現実だけど…
児童養護施設の施設長がその施設出身の人に殺された事件が報道された翌日、職場に行くのが怖かったなあ
というかここまで書いてて、自分は本当に施設に感謝して裏切りたくないと思ってるんだなと感じた
私が過去の自分のことを悪く書きすぎた?からかもしれないけど、客観的に見てこうだったなと思えるほど精神的に回復したと自分では解釈してます
もう一度書くけどColaboを擁護するための文章ではありません…
Colaboが本当に不正をしていたなら裁かれるべきなのは当たり前だし、嘘に嘘を重ねるようなことはしてほしくないし保護対象のためにもちゃんとしたほうが…と思うけど
仁藤さんの全てのモチベーションが金儲けだ!少女は金の種だとしか思っていない!と言うのを見ると
完全にそうならコストパフォーマンスも感情(?)パフォーマンスも悪すぎますよ、なぜなら私みたいな子がいるから…ということを書きたかっただけです
救われる子がいるなら他が雑でもいいじゃんなんて1mmも思ってない
ただ、悪いことは裁かれるべきだけど、そうでないことまで叩かれてるとうーん?となる
【追記3】
Colaboについて告発した方にこの記事をリプしてる人いるけどほんとに何やめて\(^o^)/
保護されてる対象だった人は全員嘘つきだ、恩を仇で返すと書いてると思われてる感じ…?
それなら私の文章が悪かった、全くそんな意図は無いと否定させてください
なんて書けばいいんだろう…雑な言葉になるけど、支援事業を「弱々しい子をなでなでする」みたいな感じに思ってる人の方が多そうだからそうでもないよ〜だから100%金儲けっていうのは無理あるよ〜支援側の人は本当に大変だよ、あと保護されるべき子供はこんな感じ子もいるけど、好きで暴れてるわけではなく内心泣きながら、自分でも気付かずに助けてほしいって叫んでるというのもあるよっていうだけで…
うーん…
誰かを救っているならお金のことは杜撰でいいなんて一言も書いてないのになんでそう解釈する人がたくさんいるんだろう…\(^o^)/
というかむしろとことん追及してもらってNPO全体がクリーンになって、応援したい気持ちがある人が安心して寄付や活動ができるようになれば救われる子も増えるんじゃないかなと思ってる
「死んでません、よみがえります!」
と正々堂々とウソをつききったことだと思う。ウソも方便てやつだ。信者には怒られそうな言い方ですまんが。
ただこれ、乳幼児の死亡率が今と比較にならないほど高く、大人でもちょっとしたケガや病気をこじらせて簡単に死んでいた時代に、関係者を慰める言葉として画期的だったという事は容易に想像がつくだろ。
「そうなのか、死んでないのか、よみがえるのか」
と素直に信じることで、いつまでもメソメソせずに気持ちを切り替えて、明るく生きるライフハックとしては良く出来ていたんだ。
特に乳幼児の母親は、たいてい若い女性だから、子供を亡くした若い女性がいつまでも子供が死んだことを心に病み、そういう若い女性1人や2人ではなく、大勢が街にあふれていた中世以前の時代。
玉置浩二が今年の紅白で安全地帯として歌っていたのを見た。安定の歌声、私のTLはジジイとババアしかいないのだけど、だからこそすごい評価高かった。きよしの次くらいに。
ただ、私は2020の田園を歌った玉置浩二こそを推したいのだ。
田園は1996年リリースの玉置浩二ソロ曲で、当時のCD売れ売れ時代ですらチャート上位に食い込み、毎週ラジオで繰り返し流れていた状態だった。
当時高校生だった私は、玉置浩二なんて全然好きじゃなくて流れるたびにうざいなー、と思って次の曲が流れるのを待っていたものだったのです。多分みんなそう。あの曲をJKは理解できないんよ。理解できるならJKやってないよ。そういうものよ。
でもね、あれか、30年近く経ってババアになって2020の紅白で田園を聞いてすごい泣いて、今年、というか今またネットで動画探して聞いて泣いて、なんだろうね、玉置浩二に救われる人生が来るとは思ってもみなかったね。歌詞は全体的に人類讃歌なのよ、一生懸命生きてる人偉い、みたいな。
でもね、唐突に『愛はここにある 君はどこへもいけない』『そして君がいる 他になにができる』とかいうの。あのいい声で。いけないのよ、いかないじゃないのよ。ある場所で頑張りなさい、の歌なのよ。1996年の私、勉強ばかりせずにもうちょっとこの歌を真剣に聞いた方が良かったね。そしたらこんな夜空の星を掴もうとして地上の塵芥さえ掴めないような人生じゃなかったかもね。
今、塵芥さえ掴めなくて、子供も産めず何もこの世に残せず、ただただ消費だけしていく有様で私は生きていて、でもなんかしらんがこの世では生きていかないといけなくて、そういう詰んだ状況を考えた時に、その場所でやれることしかまぁできんよな、って歌ってくれる玉置浩二がまさか私の神になるとは思わんかったね。
なにが言いたいかって、本当に玉置浩二ありがとう。あなたたに救われた41歳のババアがここにいます。あなたの伸びやかで人を赦す歌声がいついつまでもこの世に残りますように。
玉置浩二が今年の紅白で安全地帯として歌っていたのを見た。安定の歌声、私のTLはジジイとババアしかいないのだけど、だからこそすごい評価高かった。きよしの次くらいに。
ただ、私は2020の田園を歌った玉置浩二こそを推したいのだ。
田園は1996年リリースの玉置浩二ソロ曲で、当時のCD売れ売れ時代ですらチャート上位に食い込み、毎週ラジオで繰り返し流れていた状態だった。
当時高校生だった私は、玉置浩二なんて全然好きじゃなくて流れるたびにうざいなー、と思って次の曲が流れるのを待っていたものだったのです。多分みんなそう。あの曲をJKは理解できないんよ。理解できるならJKやってないよ。そういうものよ。
でもね、あれか、30年近く経ってババアになって2020の紅白で田園を聞いてすごい泣いて、今年、というか今またネットで動画探して聞いて泣いて、なんだろうね、玉置浩二に救われる人生が来るとは思ってもみなかったね。歌詞は全体的に人類讃歌なのよ、一生懸命生きてる人偉い、みたいな。
でもね、唐突に『愛はここにある 君はどこへもいけない』『そして君がいる 他になにができる』とかいうの。あのいい声で。いけないのよ、いかないじゃないのよ。ある場所で頑張りなさい、の歌なのよ。1996年の私、勉強ばかりせずにもうちょっとこの歌を真剣に聞いた方が良かったね。そしたらこんな夜空の星を掴もうとして地上の塵芥さえ掴めないような人生じゃなかったかもね。
今、塵芥さえ掴めなくて、子供も産めず何もこの世に残せず、ただただ消費だけしていく有様で私は生きていて、でもなんかしらんがこの世では生きていかないといけなくて、そういう詰んだ状況を考えた時に、その場所でやれることしかまぁできんよな、って歌ってくれる玉置浩二がまさか私の神になるとは思わんかったね。
なにが言いたいかって、本当に玉置浩二ありがとう。あなたたに救われた41歳のババアがここにいます。あなたの伸びやかで人を赦す歌声がいついつまでもこの世に残りますように。