はてなキーワード: 系統とは
はあちゅうをブロック・ミュートすれば良い。もしはあちゅう以外のそれ系統のをRTしだしたらその人のRTを通知しない設定にすればいい。自ら発言しだしたらブロック・ミュートすればいい。
オタクって、特定の人物やら乗り物やらサブカルコンテンツやらに持てる時間と金注ぎ込んで、無駄知識蓄えて無駄に遠征して、本当にキモい人種だよね。
……いや、「無駄」ってのは間違いだったわ。
オタクにとっては「その他人から見れば無駄なもの」がかけがえのない財産になるんだもんな。
でもそんなことはどうでもいいんだよ。
今言いたいことはタイトル通り。
オタクっていつも泥沼で足の引っ張り合いしてるよね。
冒頭でディスりまくってはいるが、当の私もそのやばいキモいオタクだ。
ライブに行くためチケット代の5倍以上する遠征費は出すし、チケットを入手するために同じCD馬鹿みたいに積むし(それが外れても1週間ぐらい経ったら忘れる)、クソほど生活の役に立たないキャラグッズを衣食の費用を削ってまで購入する。
金銭感覚狂っててキモいし、聞いてもいないオタク知識ぶら下げて会話に参戦するからキモい。浮いてる。キモい。
あ、タイトルとは関係ないので、ここでは私が誰を推しているか、何のオタクをしているかは伏せる。
今回、何故こんな各方面に喧嘩売ってそうなタイトルにしたのかというと、オタクとして生きていれば必ずと言っていいほど「他のオタクとぶつかることになる」からだ。
インターネッツ普及で情報化社会と言われるようになった昨今の日本では、今や誰もが当たり前にスマートフォンを持ち、LINEやTwitter等のSNSアカウントを最低1つは隠し持っていて、不特定多数の人間同士で顔の見えないコミュニケーションを日常的に行なっている。
……なんて、カッコつけて難しい言葉を使おうとして滑っているのは承知なので言いたいことをまとめると、現代じゃみんながスマホ持ってるし大体の人がネットやるよね、ってことだ。
で、何でオタクが足の引っ張り合い〜っていうのは、オタクそれぞれが不特定多数の顔も知らない相手にイキり倒して優位に立とうとするから。
しかも泥沼。
比べられるもんじゃないのに、○○のオタクは〜、とか××のオタクは〜、とかわざわざクソデカ主語でオタクを分類し区別をつけたがり、更に○○のオタクの方が優れている、とか××はゴミ、とか好き勝手に偏見を暴れさせていると感じる。
え?
シナリオ書いてる人も、絵描いてる人も、コンテンツとしての強みも違うのに?
そんなの個々の好みの問題じゃん。
みたいな疑問がよく頭に浮かぶ。
知らんがな。
本当に泥沼。
終わりのない戦争。
○○くんは歌が上手いから〜、とか言いながら、その○○くんを推してる自分に酔ってるオタクが○○くんの実力努力を権威として自身の戦闘力高いと錯覚してるだけだから。
△△ちゃんには仕事無いし私の推しの××ちゃんのほうが上だから!って言いつつ自分の推しの戦闘力の高さで驕るオタクキモすぎるから。
お前の力じゃないから。
お前が一生懸命推しやジャンルに金かけてきたから推しやジャンルが成長したのかも知れないけど、その実力はお前のステータスではないからな。
だからキモい同士泥沼に浸かってる中で他人叩いてるのバカでしょってこと。
結局、オタクによるオタク叩きによって、外部から見てオタクは更にキモくなるんだよ。
どっちもどうせオタクでキモいのに、どっちが優れてるとか無いから。
これは、同じ○○オタクとして優れている、とか造詣が深い、とかいう争いの話じゃない。
自分の推しを誇りに思うのは勝手だが、推しの実力や知名度が自分の戦闘力だと過信しているバカは考えを改めてくれ。
オタクが泥沼でビチャビチャ汚ねえ争いしてる間に、周りはその推しもファンも全部キモくて近寄らんとこってなるよ。
あと私だけが○○を愛していればいいの!とかいうキモいオタクは○○に愛される努力もしてみなって思う。
気になる人として認知されるかどうかじゃなくて、自分に自ジャンルにファンがちゃんといるんだって○○に認知されるよう努力しなよ。
どうしても恋愛したいとか言い出したらそれはオタクじゃなくてストーカーだから別の話ね。
出来ればやめたほうがいい。
やめないと意外と行動力のあるキモいオタクから名誉毀損で訴えられちゃうかも知れないし。
わざわざキモいことしなくていいよ、オタクしてる時点で十分キモいんだから、オタクできることに感謝して自分の推しだけ見てようよ。
暇だったら誰か分かりやすくまとめてくれると嬉しい。
もう終わり。
先日、加古川の肥料メーカー多木化学がバカマツタケ(Tricholoma bakamatsutake)の完全人工栽培成功を発表した。それを森林ジャーナリストの田中淳夫氏がyahoo!ニュースで取り上げた記事は、多数のブクマを集め話題をさらった。
ただ記事の内容には不正確な情報や、やや解説が不十分と感じる点があったので補足したいと思う。なお増田は単なるきのこ愛好家に過ぎず本稿は信憑性に乏しいが、ブクマカのきのこへの興味と深い理解の一助となれば幸いだ。
冗長になってしまったので、概要だけ知りたい方や長文が苦手な方は、先に下部の【まとめ】を読まれることを推奨する。
バカマツタケはマツタケの近縁種。名前が名前だけに、マツタケより劣るように思いがちだが、実は姿もよく似ているうえに味と香りはこちらの方が美味しくて強いと言われるキノコである。
マツタケよりも香りが強いというのは一般に言われるが、マツタケよりも美味しいという話は聞いたことがない。野生下ではマツタケよりも相当に貧弱で、発生時期が早く暖かいこと、一般に湿度の高い広葉樹林に生えることから、マツタケよりも柔く品質の劣化がはやい(一般的にきのこは寒冷地・痩せ地に生えるほど日持ちが良く高品質なものを得やすい)ことが関係すると思われる。近縁で姿がよく似ているというのは本当で、素人目には見分けがつかない。増田にも発生場所の情報なしに個体だけで同定できる自信はない。
バカマツタケをサマツと呼ぶ地域は確かにあるらしい。しかし必ずしもサマツ=バカマツタケではない。きのこの地方名は極めて多様で曖昧な世界だ。その証拠に「サマツ」といっても梅雨時期に少量発生するマツタケを指すこともあれば、モミタケやオオモミタケ等を指す地域もあるようだ。
マツタケの人工栽培がなかなか成功しない中、バカマツタケの方が環境に適応しやすいから栽培もしやすいのではないかと注目する研究者はいた。実は昨年には奈良県森林技術センターが、人工培養の菌を自然にある樹木に植え付けて発生させることに成功している。
『人工培養の菌を自然にある樹木に植え付けて』という表現は正確ではない。菌に感染した苗木を人工的に作り出し植樹することで自然下で発生させた、とするのが正しい。既に自然化で定着している樹木に植菌を施すのと、無菌状態の苗木に植菌するのとでは似て非なる技術だ。(ところで同様の研究はマツタケでも行われており、無菌培養の松苗木の感染には成功しているものの、植樹後のマツタケ発生については再現性に乏しい。理由としては自然環境化においてマツタケ菌が他の害菌に負けてしまうこと、マツタケの発生にはまとまった菌糸量とそれを支える大きさの松が必要なことが挙げられる。例えば自然下でマツタケが生えるためには一般に20年生程度の松が必要とされる。)補足になるが、奈良県森林技術センターのバカマツタケ栽培研究は農水省の委託事業で、2015年より森林総合研究所(国立)との協働で進めている。要するに国策が3年の歳月を経て文字通り実を結んだかたちだ。今年の2月頃に、はてブでも話題にのぼった。しかし本件とは全く関係のない別個の案件であり、おそらく情報の共有などもされていなかっただろう。奈良県森林技術センターが松の苗木を利用するのに対し、多木化学は菌床を用いた完全人工栽培に取り組んだ。研究テーマもアプローチも全く異なり、時期も多木化学のほうが先行している。
これがバカマツタケ栽培の第1号で、今年も継続発生させて実用化に一歩近づけた。ところが多木化学は(中略)木クズなどによる人工培地(菌床)で培養から生育までを室内環境で完結させたのだ。これは画期的なことで、キノコ栽培の常識を覆す大発明かもしれない。
菌根菌(樹木との共生関係を結ぶ集団)とされるバカマツタケで『人工培地(菌床)で培養から生育までを室内環境で完結』、つまり”完全人工栽培"に成功したというのは実に画期的なことである。この成果は偉業と言っても差し支えないものであると思う。三重大学の菌学者、白水先生も、
「原基から子実体への形態変化を促すための各種シグナルを試し続けました」
さらっと書いているけど,ここにどれほどの試行錯誤があったことだろう…— 白水 貴 (@Takashirouzu) 2018年10月5日
とその成果を讃えている。
しかし本文にある『キノコ栽培の常識を覆す大発明』というのは誇張にあたる可能性が極めて高い。なぜなら「菌根菌の完全人工栽培に成功」という点においては既に先行研究があり、実はとうに商品化もされているのだから。例えばホンシメジの人工栽培がこれにあたる。
とくにマツタケ類は、植物との共生が必須と考えられてきた。これまでマツタケ菌糸の培養に成功した例はいくつかある(私もその度取材に行って、いよいよマツタケ栽培に成功か、と期待していたのだが……)が、子実体(傘のある姿のキノコ)を出すことに成功していなかった。だが多木化学は、とうとう菌糸から子実体を出させるシグナルを見つけたのである。この研究成果は、これまでの定説を破るものであり、学術上も大きな成果だろう。
繰り返しになるが、多木化学の成果が学術上も大きな意味を持つ可能性は高い。しかし、その成果がどのレベルかという点については当該記事では説明不十分なので、詳しく補足する必要がある。一般にきのこの栽培はざっくり以下の工程をたどる。
b. 菌糸の培養
c. 原基形成
d. 原基の成長肥大
ごく簡単に一連の流れを説明する。はじめに野生のきのこをたくさん採ってきて、それらの中から有望そうな株の組織(胞子ではない)を切り取って培養する。具体的には寒天培地というデンプンなどの栄養素を添加し固めたものを使う。きのこは組織を切り取り培地に置くだけで(コンタミを防ぐ必要はあるものの)、比較的容易にクローンである「菌糸体」を得ることができる。無事目的の菌糸体が得られたら、それらを培養して増やす必要がある。従来は木くずの他に、米ぬか、フスマなどを添加し水を加え固めたもの(=菌床)を用いる。菌糸体は、適切な温度、水分、光などある条件が重なると原基(きのこの基)を形成する。原基は一般に、低温、水分供給、切断などの刺激により成長をはじめ、十分な菌糸体の量と栄養供給を伴って肥大し、きのこの発生に至る。
ここで問題になるのは、b. 菌糸の培養、c. 原基形成、d. 原基の成長肥大という三つの工程それぞれに、全く違ったメカニズムが存在することである。マツタケを例にとると、これまで少なくとも半世紀以上もの研究蓄積(野外での観察研究の記録を遡ると実に70年以上)がある中で、c,dについては再現性に乏しく、bについてもまともな成果はあがっていない。マツタケ栽培の難しさにして最大の課題は実はここ《b. 菌糸の培養》にある。とにかく菌糸の成長が遅い上に、どのようなメカニズムで菌糸が栄養素を取り入れ増殖するのかということがほとんど未解明なままなのである。
理由は当該記事にあるとおり、マツタケが樹木と共生関係を結ぶ「菌根菌」であることが大きい。マツタケ菌糸の生育には生きている樹木が必要で、実験室での再現はほとんど不可能といっていい。それではなぜバカマツタケは完全人工栽培は可能だったのか。
マツタケなどの樹木と共生する菌根菌に対し、シイタケ、ナメコなど、倒木や落ち葉などを分解し、栄養源とする菌類は「腐生菌」と呼ばれる。腐生菌の多くは菌床による栽培が可能で、多くが一般に出回っているのは既知のとおりである。実は菌根菌は、腐生菌が進化の過程で樹木と共生する力を獲得し、腐生的な能力を失った集団だと考えられている。ところが菌根菌の中には、完全に腐生的な能力を失っておらず、腐生と共生、いわば両刀使いが存在するのである。その代表がホンシメジである。ホンシメジは「香り松茸、味しめじ」と言われるように、我が国における代表的な食用菌である。菌根菌とされるホンシメジの栽培は、マツタケ同様に長らく不可能と考えられてきた。しかし系統により極めて強力な腐生的な能力を備えるものが発見された(研究により、これまで同種と考えられてきた本種が実は様々な系統もしくは別種に分けられることがわかってきた)。1999年にタカラバイオなどにより菌床による完全人工栽培法が確立され、その後商品化もされており、少量ながら現在も一般に流通している。
多木化学のバカマツタケ栽培は菌床を用いた完全栽培なので、上記のホンシメジ栽培の成功と同様である。つまり、本件はバカマツタケの中から腐生的な能力を持つ系統を選定し、培養から子実体を発生させるまで成功したということだ。リリースにあるとおり、今後は栽培の安定化と供給体制の構築が図られ、数年後にバカマツタケが食卓に並ぶことの実現性は極めて高い。それではマツタケ栽培への応用についてはどうか。
勘の良い方には察しがつくと思うが、前述のc〜eの工程については応用が効く可能性が高い。他のきのこ栽培でも成功しているように、十分な菌糸体と栄養を確保することさえできれば、原基形成〜子実体に至るまで管理が可能なことを初めてマツタケ類においても示したことは大きい。ただし、最大の課題である《b. 菌糸の培養》については、ほとんど応用が効かない可能性が高い。なぜならマツタケにおいては既に膨大な先行研究があり、当然ホンシメジやバカマツタケ同様に”両刀使い”が存在する可能性も、その系統選びも、菌糸培養を促進する成分や菌糸の栄養源についても、少なくともバカマツタケよりは遥かに詳しく調べられているからである。それをもってしてもまともな菌糸培養に至っていないのが現状なのだ。
つまるところ、多木化学による本研究の主な成果は以下の二点にまとめられる。
繰り返すがこれらが偉大な成果であことに疑いの余地はない。一方でマツタケや他の菌根菌の人工栽培を実現するには、それぞれの種類において腐生菌的能力をもつ系統の発掘と培養法の確立が必須となる。その意味において本研究の応用範囲は限定的となる。田中淳夫氏は今回の研究結果により、さも菌根菌の栄養吸収のメカニズムが明らかにされ、あらゆる菌根菌の人工栽培が可能になるかのような書き方をしているが(あるいは本当にそう思っているのかもしれない)、残念ながらそうではないことはここまで読んでくださった聡明なブクマカ殿にはご理解いただけたかと思う。
菌床栽培なら、植物と共生させないので培養期間が短く、室内の環境を調整することで季節を問わず生産できる。また室内栽培だから虫の被害にあわず収穫時も混入の心配がない、収穫も簡単……などのメリットがある。
逆にデメリットを挙げるとすれば、野生のものとは全く異なる味わいと食感になることである。つまるところ、野生の品と菌床栽培のものとでは全く別物と考えるべきである。養殖ブリと天然ブリの味わいが全く異なるように(それでも近年の養殖技術の進化は素晴らしく、季節によっては天然物を凌駕するものさえある)、それぞれの美味しさと楽しみ方があると増田は考える。今回の成果によりバカマツタケが普通に食べられるようになったら嬉しいし、美味しければ普及すると思う。ただし、仮にマツタケの完全人工栽培が確立されたところで、天然松茸の価値そのものは今後も揺るぎのないものである(消費者がどう捉えるかはさておき)。
菌根菌のキノコの中には、マツタケ類だけでなく、トリュフやポルチーニ、ホンシメジ、タマゴタケなど高級キノコが多い。今回の成功が、これらの人工栽培技術にもつながるかもしれない。
トリュフやポルチーニは、日本におけるマツタケ同様にヨーロッパで盛んに研究がなされているが、今のところ菌床での栽培に成功したという話は聞かない。ホンシメジは前述のとおり既に栽培法が確立されており既に商品化もされている。
これらの菌根菌の人工栽培を可能にするには、ひとえに”両刀使い”の系統を発見と、それらの培養方法の確立である。ちなみに本家マツタケにも、実は”両刀使い”の存在が示唆されており、引き続き研究が進められている。また、マツタケ類は世界中に似たような種が多数存在しており、マツタケ(Tricholoma matsutake)の中にも、例えば中国の山奥には広葉樹と共生する系統があり、更にはそれらが日本のナラやカシと共生関係を結ぶことがわかっていたりもする。種の中にも多様性があり、それらをしらみつぶしに調べていけば、そのうち栽培可能なものに出くわさないとも限らない。その点はトリュフだろうがポルチーニだろうが同様である。ただし、その研究がどれほど途方もなく根気のいる仕事なのは間違いない(ちなみにトリュフもポルチーニも国産種が知られており、積極的に狙うマニアが相当数いる)。ところで、遺伝子組み換え技術により、これらの菌根菌に腐生菌的能力を付加することも可能とする研究者もおり、そのうち遺伝子組み換えマツタケの完全人工栽培が実験レベルで成功する日も来るかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakaatsuo/20181006-00099530/
http://fs.magicalir.net/tdnet/2018/4025/20181003413938.pdf
http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/mame/mame04-3.html
https://www.ffpri.affrc.go.jp/pubs/bulletin/424/documents/424-1.pdf
http://www.jsmrs.jp/journal/No31_2/No31_2_167.pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjom/50/2/50_jjom.H20-07/_pdf/-char/ja
見た目 味も 香りも 同等以上なら 偉業
あくまで野生産同士の比較なら、やや下位互換という感じではないでしょうかね。栽培バカマツタケは食べてないのでわかりませんが、うまくすればそこそこ美味しいものができる可能性はあるかなと。ただ、マツタケって単体で食ってそんなにうまいものじゃないと思うので、一般家庭での調理には手を焼く気がします。炊き込みご飯するにも炊飯器臭くなるしね。料亭とかでマツタケの代用品として普及する可能性はあるかもしれない。<
表題の通り。
ニュースは下記より。
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日本取引所グループ(JPX)は9日、傘下の東京証券取引所の株式取引システムで障害が発生したと発表した。野村証券やSMBC日興証券などの証券会社が注文受け付けを一時停止するなど、一部の取引ができなくなった。ある証券会社から大量のデータを受信したサーバーに不具合が発生したことが原因という。
JPXの横山隆介・最高情報責任者(CIO)は記者会見で「投資家に多大な迷惑をかけたことをおわびする」と陳謝した。10日は通常の取引ができる見通し。
9日午前7時半頃、東証と証券会社をつなぐ4系統のサーバーのうち一つで、発注ができなくなった。ある証券会社が、通信状況を確認するために毎朝送るデータを、この日は数秒間のうちに通常の1000倍以上の量で東証のシステムに送ったことが要因だった。この証券会社はシステム更新を終えたばかりだった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181009-00050048-yom-bus_all
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別に論破したいとかそういうのではなく、取引所ってある意味経済のインフラだから、どういう意見が正しいのかを純粋に知りたくて。
よくニュースを調べると4つ回線のうち1回線が駄目になったみたい。
そんで、東証は切り替えてください、だめになった回線のみ使うって状態はやめてくださいね、ってそうなった場合に以前から通告しているのに
・売買停止にすべき
・ddos攻撃を想定していないのが悪い
→ddos攻撃ではないとおもう。仮にそうだとしても切り替えろと通告しているのに従わない証券会社が悪いのではないか。
などなど。。
私も情報工学系の出身で、あの手の話は(始めて聞いた時は)「え? それ大丈夫なの? っていうか、いいの?」と思った。
が、まあ、それが当たり前でない世界もあるんだよということで。
○音大、美術系の技能系教授 → まあ、考えてみれば当然なんだけど、技術が達者なことと理論が達者なことは一致しないのはよくある話。なので形式的に卒業論文を提出なんてのもあったりするし、大卒でない人の場合は特例だとか、あらためて論文(のようなもの)を提出とか色々あったりする。
○研究職でない医師系統教授 → これは詳しくないんで知り合いの医者と飲み会で聞いた程度の話と思って下さい。医師としては凄く立派で、招聘したいんだけど、研究としては卒業時のものしかないんで(これは当然ちゃんとしてる)、論文の評価は別として扱っていたりする。
○国内のそれもマイナー文化の研究職 → そもそも雑誌がない。ので、こじつけのように近い論文誌に掲載してたり、論文誌じゃないのも論文として扱ったり。これは新しい文化系の研究職でも結構ありがちだとかなんとか。
まあ、教授職がってのは驚くのかもしれないけれど、そもそも卒論の段階で、え? そんな論文でいいの? っていうか論文なのそれ? とか文系の人の話を聞いて思った人は多かったりする。それでもまさか教授レベルは違うだろう、ぐらいには思っていた人が多いんじゃないかなぁ。
あと自分みたいな人が驚くのは、検証する、されるというのが、研究モラル的にインプットされているというのもあるんだよな。
実験なんかの段階でもう1年次から徹底的にたたき込まれるんで。レポートなんかで検証不十分でリジェクトなんかザラだったもんなぁ……。
「AIを用いてネットニュースの信頼性や政治的な偏りを判断するという研究報告」
が、これはネットニュースよりも増田や5chみたいな投稿にこそ必要なシステムだと思った。
でもお仕事で書かれてる文章って、そこまで品性を疑うレベルの偏屈さではない率が高いと思うんだよね。
メディア記事は別人によるチェックが入ることも多いし、ひどく偏屈なものは間違いなく炎上するし。
それに、メディアはそのメディアの特性を踏まえて、構えて見るものだ(バズって本来の読者層と別の人に読まれる例だと「構え」ができてない事もあるけど)。
例えば産経なら右寄りだなとか、スポーツ紙の言うことだから~、オカルト雑誌の記事だから~みたいに。
一方で、口コミみたいな個人の主張の寄せ集めみたいなものを繰り返し見せられる場だと「構え」は困難だ。
結果、人はそれを「確かに」「正しい」「真実」と認識しやすい脆弱性があると思うんだよね。
こっちの方が粗暴な論がゴロゴロしてるのに。
見慣れたネットスラングを、(出自が如何わしい台詞でも)いつのまにか恥ずかしげもなく使っている現象と同じで、
こういう場で見聞きした考え方や言葉遣いは、いずれ自分の深層に自分のものとして定着してしまう。
たとえ初めは下卑た論外な論だと判断できていても、それを繰り返しいろんな言い回しで摂取する度に、染まっている。
それが、匿名ネット上の議論の品位や質が著しく低くなる理由だと思う。
もちろん、偏った意見を主張する人の声ほど大きくしつこく聞こえてくる(一方まともな見識ある人は論争に参加しない)、
という、先日ひろゆき氏が言っていたような要因も大きいとは思うけど。
それだけでは説明できない、ネットの主義主張がなるべくして低きに流れる、思考汚染とも言えるこの現象こそがもっとも恐ろしいものだと思う。
その思考汚染の申し子たちが、ここや5chやtwitterやなんかで、今日も男女、左右、老若などの陣営に分かれて、あるいは作品評などに関して、口汚く罵り合っている。
彼らの多くは、ネットの掃き溜めに浸かる以前にはそんな人間ではなかったはずだ。
もうそうなってしまった人を救うことは難しいが、そうなりそうな人を救うには、
名もなき個人の声が跋扈する掃き溜めに紛れる「ヤバイ」ものに「これヤバイやつです」というタグを貼って可視化していく必要があるだろう。
それを人間が手動でやるのは物量的にも無理だし、主観性の問題もある。
冒頭のAIの話は、ファクトチェックを自動化するような話だったが、
こういう場における発言の偏り判定をAIでするには、もっと複雑で高度な判断が必要になるだろう。
それでも、これからの情報社会に必ず必要になってくるシステムだと僕は確信している。
一部のまとめblogやredditなんかについている、書き込みへのgood/badボタンは同系統の人力システムではあるが、
やはりそれもボタンを押す読者層のリテラシーレベルに依存した評価しかできない。
wikipediaでよく見られるような注釈を自動でつけるあたりが現時点で想像できるシステム像であると思うが、
……眠くなってきたのでこのへんで。
休職して一ヶ月が過ぎました。
じわじわ人生が詰んでいく感覚を日々味わっています。
社会に出て一年半での休職でした。
こんな一瞬で自分が崩れるとは、自分でも到底予想していませんでした。
そもそも自分は辛い仕事に耐えられる人種ではないので、就活も慎重に行ったつもりでした。
残業時間が少なく、自分の能力が活かせそうな業界を選びました。
その業界の中でもっとも規模の大きい会社に入社しました。
売り手市場なのもあり、スキルも学歴もそこそこあった自分にとって就活はイージーだったと感じています。
ですが、社会はそんなに甘くはありませんでした。厳しい社会に出て、自分みたいなゆとり新卒は簡単に吹き飛びました。
自分は、物心がついたときから人を不幸にすることはなるべくしないと心に誓っていました。
こんなに悲しみながら自分が生きているのだから、世の中の多くの人は幸せであって欲しいなぁとなんとなく思い続けてきたためです。
そんな、キレイゴトみたいな信条を持ったまま社会に出てしまったのがダメだったのかもしれません。
新人として自分に割り当てられた仕事は、意味も意義も目的も理解できないものでした。
むしろ、自分がその仕事に対して行動すればするほど、周りの人に不幸をばら撒いているように感じました。
自分はこの仕事をやる理由も意義も説明できないのに、周りの人にこれをお願いしますと頼まないといけない、
そんな状況のなかで行動するたびに身体が削られていく感覚を覚えました。
そもそも仕事全般が得意ではなく、迫る締め切りやコミュニケーション、プレゼンなどに対して、自分は普通の人より耐性がありませんでした。
それに加えて、何をやるのかすら定かでないのに締め切りだけは決まっている日程線、一ヶ月以上かけて取り組んだ仕事が上の一声で無に帰される環境、まともに準備する時間もないプレゼン、全てが自分の身体を削り取っていくようでした。
指示系統もよく分かりませんでした。別々の先輩上司がそれぞれ別のことを言ってきて、それを同時にやろうとすると破綻する状態でした。誰もが正しいことを言っているのは分かりますし、感謝すべきことなのですが、板挟みになるたびに胸が苦しくなりました。
どうせ次やることも無意味なのに、身が引き裂かれるくらいにつらいのだろう、そう思いながら毎日仕事をしていました。
毎日のように泣いていました。
自分は、無意味なことに力を注ぎ続けることが、人に不幸をばら撒くことが、こんなに辛くて苦しいなんて知りませんでした。
それでも自分は必死でした。目の前にあるものを消化するのに精一杯でした。
ある日の朝、あ、もう自分が残ってない、そう思う日が来ます。
ですが会社へ行かない選択肢はないので、当然会社へは行きます。
管理職にもう少し自発的に行動しなよ、と言われ、あら〜〜無理な注文だな〜〜もうこれで精一杯だよ〜〜と思います。
そこからはもう転がるように落ちていきました。
気がついたら休職していました。
自慢じゃないですが、自分は39度までの熱なら会社へは行けると思っています。
一年目で勝手が分からず、熱が38.7度出た日に会社へ行ってしまったこともあります。身体はタフなんだと思います。
そんな自分でも、会社へ行けなくなってしまいました。40度の熱を出しながら会社へ行く方がよっぽど楽だと思えるくらいに、日々のストレスは辛いものでした。
社会がこんなに厳しかったなんて、思いもしませんでした。
就活時点までは自分の人生はアンダーコントロールでした。舵取りができていました。
なるべく残業時間の少なくて、自分の得意分野を生かせる業界を選んで、その業界でいくつもの内定を手にして。
入った会社はこれ以上ないホワイト企業だと思っています。休職もできて、戻ったら有休もつく。
就活時にはもちろん第一志望の会社でした。
この会社でやっていけない自分は一体これからどうやって生きていけばいいんだろう、そんなことを毎日考えています。
転職するとして、入社一年半でダメになってしまった自分を採用するような会社があるのかも分からないですし、採用された後やっていけるのかどうかも分かりません。
そして自分は仕事でぐちゃぐちゃになってしまったけれど、世間一般でみればこんな仕事はお茶の子さいさいのような気がします。
残業だって月に10~20時間程度でした。多分、世の中の普通の人からみたら当たり前のような仕事なんだと思います。
それでも自分はできなかったんです。
世の中の普通に耐えられなかったんです。
普通の仕事ができない自分に、将来はあるのでしょうか。生きていく道はあるのでしょうか。
自分はこれからどうすればいいのでしょうか。
もうどうしようもないのですか。
誰か助けてください。だれか。
はてなーは非化学的なものは否定派が多いと思いますが、自分の備忘も兼ねてメモ。
複数人の占い師に色々みてもらったので、それを自分の見解も併せて書きます。
突然彼氏にフラれたアラサー女。前日までは非常に仲が良かったのに、急に電話で別れを告げられました。
元彼の言い分としては
とのこと。
意味不明すぎて納得がいかない日々を過ごしていたのですが、ちょっと思い切って「インチキだったらインチキだった時!」と、オカルトの力を借りてみることにしました。
全ての占い師さんに、別れの理由の詳細や元彼の性格は言っていません。
そもそも全員それについて事前に聞いてくることはありませんでしたが。
今のお相手の気持ちを透視します、それ以外は視えません、という占い師さん。
今を視るしかできない、と言ってるだけあって、アドバイスは完全に年上のお姉さんに普通に人生相談をしている感じでした。いい人でした。
全然情報を伝えていないのに、元彼の性格とかがドンピシャすぎてビックリしました。良くも悪くもサクサク客観的な答えでした。
神道の修行を積んだ方で、祝詞を使った占いをします。この人から元カノのことは伝えてないです。
4月は確かに元彼が転職した月だったので、当たっている!と思ってしまいましたが、4月から忙しくなるなんてありがちだからコールドリーディングかもしれないです。
危うく除霊で高いお金がとられそうになったので踏みとどまりました。
可愛いパワーストーンのブレスレットを作ってくれる、ということで友達に連れられて行ってみました。
しかしタロットカードは不思議でした。こじつけなのか分からないですが、今の状況にドンピシャなカードが本当に出るんですよね…。
友達も横でやったのですが、私とは全然違うカードが出ていたのでエンターテインメントとしても面白かったです。
かなり馬鹿みたいにお金を使ってしまいましたが、お陰で非常にスッキリしました!
人に話を聞いてもらいたい、という人にはおススメです。お金を払っているので、気兼ねなく言いたいことが言えますし。
あと、少ない情報から本当にこちらの状況をドンピシャで当ててくるのは驚きです。
そういうテクニックなのか、本当に神秘的な力があるのか…。でも、少なくとも一般人よりは勘が鋭いのは間違いないと思います。
今回4人に視てもらいましたが、全員が現状に関してはほぼ同じ見解になったことがすごいと思います。友達とかだと、絶対に誰かしらは「元カノと寄りを戻してるんじゃない?」「飽きたんじゃない?」と言うので。
神秘的な力なのか経験則なのか心理学的なものなのか分からないですが、やはり占い師さん個人の見解が入るからそれぞれの人から視る未来が変わるのかなと思いました。
まぁ、未来は確定事項ではないってことなのかもしれないですね。日々の1つ1つの行動によって随時変わっていくものなのだと受け止めました。
だから、占い師さんの言葉を信じてその通りに行動していくのもよし、他の未来を探すのもよしって感じなのでしょう。
以上が私の体験談でした。その後とか細かいところを思い出したりとかしたら、ちょっとずつ追記をするかもです。
興味がある人の参考になれば幸いです。
これを"思い込み"と表現しても良いし、他には"勘違い"だったり、過激な表現を使えば"無知"と言って良いかも知れない。
それは別にTwitterユーザやはてなユーザだけでなく、当のMastodonユーザですらMastodonというSNSの認識へ対して憶測を話してしまうことがある。
今回はその憶測を解いていこうかな?と思う。
もちろん開発がオープンで行なわれており、そういった自由さはTwitterよりもある。
しかし、言論の自由がTwitterよりもあるのか?と言われると「インスタンスによる」としか言いようがない。
なぜなら中央集権ではないMastodonのルールは、そのインスタンスの管理者が法令に背かない範囲で定めるからだ。
Mastodonでは独裁体制を築く自由すらあると考えなければならない(インスタンス登録ユーザがついてくるかは別として)。
現在はTwittetよりも圧倒的にユーザ数が少なく、そのため話題のバリエーションもTwitterよりは抑えられているという傾向はある。
しかし、もしTwitter並のユーザ数となる未来を想定した場合の心的ストレスはそこまでTwitterとは変わらないことが予想できる。
個々のユーザは自分の発言に対して責任を持たなければならないのはTwitterと全く同じで、責任の重さから来る心的ストレスは絶対にある。
Mastodonにはいわゆる"テーマ系インスタンス"と呼ばれるインスタンスが存在する。
Twitterにはないローカルタイムラインが存在し、まるでチャットのようにコミュニケーションをすることが可能なので、コミュニケーションには他のユーザのフォローが必須なTwitterよりはコミュニティを形成しやすい。
しかし、これによって一部のMastodonユーザの中でMastodonというSNSへ対して誤解が生じる原因にもなっていたりする。
これについて語っていこう。
これがMastodonを運用するにおいてイメージしやすい前述したテーマ系インスタンスである。
テーマを絞り、参加するユーザの趣味趣向を近付けることによってコミュニケーションをするローカルタイムライン派。
ローカルタイムラインによってコミュニケーションを行なう場合はユーザフォローは必須でない。
そのインスタンスへ登録しているユーザの公開書き込みはすべてローカルタイムラインへ公開されているのでフォローする理由に乏しいのだ。
しかし、Mastodonにはホームタイムライン派と呼ばれる層も居て、自分の使い方がMastodonすべてでの使い方だと勘違いしてしまうと、考え方の違いによって衝突する可能性が出て来てしまう。
例えばユーザ数が数万も居るようなインスタンスではローカルタイムラインの流速は物凄く速く、人間では読むに堪えない。
そのためユーザ数が数万も居るようなインスタンスではTwitterのように気になるユーザをフォローしてホームタイムラインをメインとして運用する手法がスタンダード。
こういう使い方では単にユーザ数の少ないTwitterでしかないので、Twitterをヘビーに使っているユーザからするとつまらない可能性が高い(面白そうなユーザの絶対数も少ないため)。
ローカルタイムライン派は基本的にフォロー機能の価値が低く、その発言は自身が所属するコミュニティーへ向けて発信されていることが多い。
逆にホームタイムライン派はフォロー機能の価値が高く、Mastodonは他のインスタンスのユーザもフォローが可能なので、ここで認識の違いが生まれる。
ホームタイムライン派はインスタンスを飛び越えてコミュニケーションを取ることへ慣れているので、インスタンスを飛び越えてコミュニケーションを取ることへ慣れていないローカルタイムライン派へ何らかのアプローチを仕掛けてしまうことがある。
その際、ローカルタイムライン派は困惑した状況へ陥ってしまう可能性が高い。相手へどのようなノリで返信して良いのか判らないからだ。
更にはより閉じたコミュニティーであれば他のインスタンスからアプローチを仕掛けられること自体が不快であると感じてしまうことすらある。
しかし、こういうローカルタイムライン派へ「そう思うのであればMastodonを使うこと自体が誤りじゃないか?」とアドバイスしても、単にそれは「お前の中ではそうなんだろ、お前の中ではな」という話にしかならないので無駄。
これはそれぞれの価値観の話でしかなく、不快かそうでないかは話し掛けられた方の主観でしかないので話し掛けられても良い気分のときもある。それは人間だから仕方ない。
想像力の逞しいはてな民であれば、ココまで説明するとココからどんな問題が発生するか?という想定はいくつも出来るだろう。
Mastodonはそういう意味ではTwitterよりもコミュニケーションが大変になる可能性はなくもない。
どんなに社会通念上の倫理観で非難すべき発言であれ、そのインスタンスが「当インスタンスでは、この系統の発言は許容されている」と非難されるべきユーザを庇う可能性がある。
その際、非難した側のユーザは身を引くか、更に広く社会へ訴え出て、庇ったインスタンスへ非難を表明するかのどちらかになる。
これはもはや現実世界の国家へ個人が非難を浴せる、もしくは国家間紛争と変わりなく、MastodonとはそういうSNSなのだ。
これを認識せず「MastodonはTwitterよりも気楽」と安易に考えてしまうのは早計である。
国であるからこそ、それぞれの思想によって自由に国造りをすることが可能。
相手方のデメリット、メリットも理解しようと務めるべきだと思う。
結局は『沈黙が答え』に鳴らざるを得ないのだけど。
自分が理解出来ない人、を『理解できない』と思考停止するのを無くせる思考を提示することが差別廃止じゃないののかな。
※ P.S.
どちら目線でも良いが。
出すな、制限しろ、規制しろといった系統の言葉を使う人間ほど。
自身が植え付けられた感覚のみで判断し、それ以外の考えを理解しようと試みてないと思う。
問題を提起した層より反対主張が強くなるのは確か。
そこがずれたたら決着などつかん。
みんな、
『私が幸福になりたい』
『皆が幸福になりたい』
『こともを幸福にしたい』
どれでもよいけどどこにいる?
よくわからないけど。
不労所得が 1 億とかある人はこんな事言わないし。
そんな話に反応しない。
雪国だからダメってのは、思い込み。 国内最大級の苫東安平安平ソーラーパーク(出力 約100MW)とかある。
太陽光パネルを雪が滑り落ちる角度にした上で、積雪より高い位置に設置し、冬場でも発電する。
勘違いしがちだが、ほとんどの発電所は外部電源が無いと機能しない。水力も火力も発電できるまでの制御や計測、保護などの装置は外部電源で動く。発電がはじまっても外部電源要。
太陽光は発電できるけど、PVは外部電源なので直流から交流に変換出来ない。自立運転出来る奴もあるけど、蓄電池必須で自立運転中は送電出来ない。家庭用はわざわざ手動で切り替える。(蓄電池からの売電ロンダリングが出来ないような仕組み)
発電機が止まったら制御も計測も出来ないじゃ話にならんからね。無論、外部電源が止まったら話にならん。
分散型電源(電力会社以外の発電機)は、電力系統に電圧が無いと送電できない。つまり電力会社が送電してないと送電できない。 (専門用語で単独運転禁止という。ちなみに、分散型電源がいくつあっても、電力会社がないと単独運転な)
分散型電源からは、系統の状況(人が作業しているか?、短絡や地絡がないか?、負荷量は?)が不明なため、電力会社が送電している状況でしか送電できない。
物がそういう作りになっている。安全設計。でないと電気工事のおっちゃんが死ぬ。
泊原発からみた外部の電源ってのは、苫東厚真火力なんかの外の発電所を指す。
(いやほとんどの人はわかってるんだけどね……)
自分でかいて思ったが、分散電源側も「発電所が落ちたがための送電停止」か「系統に異常があったがための送電停止」かが区別つかないなぁ。
前者であれば緊急放電させたほうがいいが、後者であれば緊急放電するのはまずい。
なおかつ、分散電源付随蓄電池は、基本的には電力会社ではない他人の私有財産だ。
これも通信規則をきめて、中央制御室(なお、これも万が一に備えて複数)がボタンポチで、私有の蓄電池に緊急放電を命ずることが出来るようにするという形が望ましいのかな?
とすると、契約の段階で同意が必要。その代わりに買取価格を少し揚げておくとか。
あくまで直後の急激な下落は電力会社の蓄電池で対処して、その後、数十分クラスで私有蓄電池に緊急放電を依頼し、同時並行で停止している発電所を起動するという流れかな。