これを"思い込み"と表現しても良いし、他には"勘違い"だったり、過激な表現を使えば"無知"と言って良いかも知れない。
それは別にTwitterユーザやはてなユーザだけでなく、当のMastodonユーザですらMastodonというSNSの認識へ対して憶測を話してしまうことがある。
今回はその憶測を解いていこうかな?と思う。
もちろん開発がオープンで行なわれており、そういった自由さはTwitterよりもある。
しかし、言論の自由がTwitterよりもあるのか?と言われると「インスタンスによる」としか言いようがない。
なぜなら中央集権ではないMastodonのルールは、そのインスタンスの管理者が法令に背かない範囲で定めるからだ。
Mastodonでは独裁体制を築く自由すらあると考えなければならない(インスタンス登録ユーザがついてくるかは別として)。
現在はTwittetよりも圧倒的にユーザ数が少なく、そのため話題のバリエーションもTwitterよりは抑えられているという傾向はある。
しかし、もしTwitter並のユーザ数となる未来を想定した場合の心的ストレスはそこまでTwitterとは変わらないことが予想できる。
個々のユーザは自分の発言に対して責任を持たなければならないのはTwitterと全く同じで、責任の重さから来る心的ストレスは絶対にある。
Mastodonにはいわゆる"テーマ系インスタンス"と呼ばれるインスタンスが存在する。
Twitterにはないローカルタイムラインが存在し、まるでチャットのようにコミュニケーションをすることが可能なので、コミュニケーションには他のユーザのフォローが必須なTwitterよりはコミュニティを形成しやすい。
しかし、これによって一部のMastodonユーザの中でMastodonというSNSへ対して誤解が生じる原因にもなっていたりする。
これについて語っていこう。
これがMastodonを運用するにおいてイメージしやすい前述したテーマ系インスタンスである。
テーマを絞り、参加するユーザの趣味趣向を近付けることによってコミュニケーションをするローカルタイムライン派。
ローカルタイムラインによってコミュニケーションを行なう場合はユーザフォローは必須でない。
そのインスタンスへ登録しているユーザの公開書き込みはすべてローカルタイムラインへ公開されているのでフォローする理由に乏しいのだ。
しかし、Mastodonにはホームタイムライン派と呼ばれる層も居て、自分の使い方がMastodonすべてでの使い方だと勘違いしてしまうと、考え方の違いによって衝突する可能性が出て来てしまう。
例えばユーザ数が数万も居るようなインスタンスではローカルタイムラインの流速は物凄く速く、人間では読むに堪えない。
そのためユーザ数が数万も居るようなインスタンスではTwitterのように気になるユーザをフォローしてホームタイムラインをメインとして運用する手法がスタンダード。
こういう使い方では単にユーザ数の少ないTwitterでしかないので、Twitterをヘビーに使っているユーザからするとつまらない可能性が高い(面白そうなユーザの絶対数も少ないため)。
ローカルタイムライン派は基本的にフォロー機能の価値が低く、その発言は自身が所属するコミュニティーへ向けて発信されていることが多い。
逆にホームタイムライン派はフォロー機能の価値が高く、Mastodonは他のインスタンスのユーザもフォローが可能なので、ここで認識の違いが生まれる。
ホームタイムライン派はインスタンスを飛び越えてコミュニケーションを取ることへ慣れているので、インスタンスを飛び越えてコミュニケーションを取ることへ慣れていないローカルタイムライン派へ何らかのアプローチを仕掛けてしまうことがある。
その際、ローカルタイムライン派は困惑した状況へ陥ってしまう可能性が高い。相手へどのようなノリで返信して良いのか判らないからだ。
更にはより閉じたコミュニティーであれば他のインスタンスからアプローチを仕掛けられること自体が不快であると感じてしまうことすらある。
しかし、こういうローカルタイムライン派へ「そう思うのであればMastodonを使うこと自体が誤りじゃないか?」とアドバイスしても、単にそれは「お前の中ではそうなんだろ、お前の中ではな」という話にしかならないので無駄。
これはそれぞれの価値観の話でしかなく、不快かそうでないかは話し掛けられた方の主観でしかないので話し掛けられても良い気分のときもある。それは人間だから仕方ない。
想像力の逞しいはてな民であれば、ココまで説明するとココからどんな問題が発生するか?という想定はいくつも出来るだろう。
Mastodonはそういう意味ではTwitterよりもコミュニケーションが大変になる可能性はなくもない。
どんなに社会通念上の倫理観で非難すべき発言であれ、そのインスタンスが「当インスタンスでは、この系統の発言は許容されている」と非難されるべきユーザを庇う可能性がある。
その際、非難した側のユーザは身を引くか、更に広く社会へ訴え出て、庇ったインスタンスへ非難を表明するかのどちらかになる。
これはもはや現実世界の国家へ個人が非難を浴せる、もしくは国家間紛争と変わりなく、MastodonとはそういうSNSなのだ。
これを認識せず「MastodonはTwitterよりも気楽」と安易に考えてしまうのは早計である。
国であるからこそ、それぞれの思想によって自由に国造りをすることが可能。