はてなキーワード: 生命倫理とは
https://anond.hatelabo.jp/20170715180955
↑連邦議会・党試案 2
「連邦」は大洋に囲まれた大陸国家である。その大陸では唯一の政府機関。
≪下院の説明≫
≪上院と地方自治の説明≫
連邦州ごとに異なる。
概ね…。
大きな州:3議席、中小の州:2議席、連邦市州:2議席、準州:1議席が与えられる。
選挙制度:自治体(州など)の議会(州議会)にて、連邦評議会の議員を選出する。
②人口が少ないなどの理由で、連邦州に昇格できないが一定の自治を有する「準州」(連邦政府の一定の監督を受ける)。
③連邦政府と「条約」を結んで、傘下に入った「連邦加盟共和国」。
…の三形態がある。
連邦に拠点を置く旧世界(北西大陸及び南超大陸など)の「亡命政府」や
地域の「少数民族集団の代表組織」がオブザーバー(投票権がない「組織」)として
評議会への参加を認められている。
ちなみに各々第一級自治体の議会構成も「連邦」のミニチュア版に近い。
自治体ごとに多少差はあるものの、全ての第一級自治体に「二院制&諮問機関」の形態が存在する。
→第一級自治体・連邦構成主体(連邦州、連邦州、準州、連邦加盟共和国)
地方警察の設置、社会保障の枠組み作り、租税の徴収や公共交通機関や大規模な都市計画などの複合的な公共事業を行う。
→→第二級自治体・地域中核自治体(市政府、郡政府、自治区政府≪少数民族集団の自治区≫)
中核自治体。州政府の干渉が強い群政府と干渉が弱い市政府、そして自治区政府に分けられる。
多くの場合、市政府は人口の多い区域に成立する。群政府は人口希薄区域に多い。
都市計画や選挙事務、大規模な公共施設の管理運営など基礎的な業務を行う。
自治区政府のみ州政府と調整の上、民族区警察を置くことができる。
→→→第三級自治体・基礎自治体(市の区部、郡部の町や村など)
基礎自治体。身近な行政サービスを行う。窓口業務やゴミ出し、インフラ管理、小さな公共施設の管理など。
他には、ある特定の行政目的のために複数の自治体が共同で設立した「特別行政区」がある。
指定組織:連邦議会及び連邦評議会の議決(3分の2以上の賛成)を経て「指定諮問資格」が与えられた組織。
の三種類がある。
→一例
労働組合、産業・商業団体、金融団体、生産者団体、専門職団体。
上記の組織は「指定諮問組織」として議会から諮問を受ける場合が多い
ただ、必要に応じて「指定組織以外の組織」も諮問されるケースもある。
(それ以外の組織も出すことは出来るが…。)に出すことが出来る。
連邦議会内のうち「3分の2以上の賛成」
がなければ、指定を取り消されることはない。
諮問は重視されるが、あくまで「結論は連邦議会の採決によって決定」される。
特別指定諮問組織は連邦議会内では、連邦議会の「諮問・補助」に徹しなくてはならない。
この仕組みは、コーポラティズムから(或いは職能代表制)影響を受けている。
≪議会制度のまとめ≫
下院優先主義。
上院と下院で意見が分かれた場合は、下院で再度議論がなされた後に決がとられる。
下院のみ解散が可能。
解散できるのは議会自らか、政府のみ。解散後速やかに再選挙が行われる。
≪主要政党≫
社会民主党、立憲民主党、緑風共生会議:387(217+107+63)
→民主主義・社会民主主義・自由主義・立憲主義・福祉国家・緑の政治
・進歩主義・ハト派・中くらいの政府・社会包括主義・連帯主義・共生主義
→→労働組合員、各種業界団体(特に社会福祉、教育、出版、芸能系)
(国政の最大与党。
左派リベラル各党が保守党に対抗すべく、3党が協定を結んだ政党連合の形をとる。
3党の中ではそれぞれ党内自治が行われているが、重要法案の際に同盟の中で党議拘束をかけられる。
「同盟」は福祉国家を目指した上で、経済の自由化を目指すことを表明している。
支持母体は自由主義・中道主義系の労働組合や宗教団体や商工業団体。
一部、穏健保守層や役人の支持もある。
支持母体は市民運動、左派系知識人、芸能団体、教育者団体、生産者団体など。
環境主義や農民主義のほか、社会的弱者の保護、多文化共生社会、脱物質主義を掲げている。)
保守共和党:301
(→保守主義・自由主義・共和主義・タカ派・地域分権・小~中くらいの政府
→→宗教保守系、農民団体、各種業界団体(特に建築、発電、製造、輸送、観光など)
(最大規模の野党。
連邦の地方都市や郡部で特に勢力が強く、全国広くに地域支部を持つ。
支持の中心は社会秩序を維持したまま、経済的な自由を促進したい者たち。)
:主要政党 計688議席
≪中堅政党≫
・「自由改革の集い」
自由改新党:42
→中道右派・新自由主義・市場原理主義・自由競争の原理・ベーシックインカム
・中央集権と小さな政府・表現の自由と科学の発展・公共事業の最小化
→→ベンチャー起業家団体、科学者団体、都市部住民、ポピュリスト。
右派の旗を掲げて、保守層に接近している。都市部で支持を固める。
保守党に接近しつつ、自党のテーマを浸透させるのが現状の目標。
リバタリアンの要素もあるが、保守層の理解を得るためその要素をなるべく隠している。)
・「緑の協同体」
大きな政府、協同組合の普及、市場の一部統制、持続可能な全国一律の開発。
連邦協同党は大都市や地方都市、社稷緑風党は郡部に基盤を持つ。
「反新自由主義」の観点から、自由改新党とは互いにけん制し合っている。
民主中道同盟とは関係が深い。事実上の統一戦線を組んでいる。)
・「人民戦線」
:30(23+3+3+2)
→社会主義、共産主義(愛郷同盟は保守・地域主義)・急進主義・労組組合経済論
非正規の組合、衰退した地方層、マイノリティ、アングラや前衛系文化団体。
(「人民戦線」は議会中心主義を掲げているが、しばしば街頭で直接行動も行う。
ただし要所では協力する。
全体的にアクティビストの連合と言う面が強い。
①「人民共産党」は左派貧困層やマイノリティ、反主流派の知識人から熱い支持。
主に都市部からの支持が目立つ。支持母体は急進的な労働組合、退役軍人組合
農民団体、中小企業の商工団体など。都市部に多くの拠点を持っており
支持母体と共同する形で、救貧活動や労働運動などの社会活動も直接行っている。
もともとは「旧社民党」の中で「急進主義」を掲げる者か離党して結成した政治グループ。その後、他の左派の小規模勢力が合流したため政党化した。旧党名は「急進社会党」。「人民戦線」結成を機に党名を変えた。
いくつかの加盟組織の会議体という面もある。
相互扶助や啓発のため、シンポジウムや相談会を良く開いている。
③「愛郷同盟」は、地方政界や一部の右派を取り込むために活動している。
宗教や農民団体との関わりも強く、時には保守系との橋渡しも行う。
④アングラ系のアート集団や知識人、あるいはより個性的なアクティビストの
支持を取りまとめるのが「雑民の党」。彼らは「表現の自由」にも力を入れる。)
中堅政党:計104議席。
≪小規模政党・独立系≫
地域主権合同党:14(12の州で加盟組織が活動中。内、9の州の加盟組織から議員を輩出)
→右派左派混合・主権の地方委譲(徴税権の地域政府への大幅譲渡、地域政府の限定的再軍備)
→→地域主義者、地域系労組、地域系商工組合、地域独立を望む住民。
(地域政党の集まり。反中央集権、地域分権を掲げる。イデオロギーは保革混合である。
「党」よりも加入した連邦議員(或いは地域政党)の緩やかなネットワーク団体に近い。
ただ、党内連合会議は存在しており、最低限度のルールの尊重は義務付けられる。)
独立系議員団「民主中道同盟」海賊党・公正連合:17(13+4)
・表現と情報の自由・民主共助・へき地福祉支援・公正主義・中くらいの政府・社会自由主義・共生主義
独立系業界団体、独立系右派労組、保守系革新層、ポピュリスト。
自由改新党とは互いにけん制し合っている。
緑の共同体は党議拘束がある。こちらには「原則は存在しない」のが特徴。
立場上は「政党」となっているが、事実上の「保守、中道系の無所属系議員の連合」
と言う意味合いが強い。
海賊党を会派に引き込んでおり、左派や若者の支持も集めている。)
・「第三の道」
国家革新党:10
→国家社会主義・国民団結主義・大きな政府と中央集権・反移民政策
→→独立系右派労組、独立系業界団体、神秘主義者、革新アート系、傍流系地方農家
(いわゆるネオナチ。
派手な示威行動のなかで「国民団結主義」と「我らの敵の存在」を呼びかける。
計41議席。
社387+(閣内協力:協32+民17)+(部分協力:人30):466議席
保守301+自改42:344議席
第三の道:10議席
436議席の場合も。
→→準与党:人:計30議席
・地域政党:14議席(地)
各議員の自由度が大きく、党員拘束はされない。)
・野党:343+10議席(保改・国)
:計833議席(過半数:417議席)。
でもねリベラルの意見は、なぜそれが正しいのか?を説明できてないのが問題ナキがする。
先日、アイルランド(カトリック国)で憲法が女性の中絶を厳しく規定しているとして非難の抗議があった。
現代の医学や倫理では、数字的に絶対○○は母体は安全、○○は胎児でも人間として扱うといったところまでは進んでいないので、そうなると、政治がそれをざっくり決めざるを得ない。
政治はその時の社会であり、人であり、その人が営んできた宗教でもある。
このアイルランドの例で言えば抗議している女性たちは中絶の権利を拡大して欲しいという意見であり、保守派のカソリックでは基本命を授かった時点で中絶はアウトとなる。もちろん保守はそこで思考停止になる問題ってのもあるのは重々承知している。
細かい言葉の定義や言葉遊びにあまり陥りすぎても、話にならないので個人的に思う所だけここで言っておくと、リベラリズムはそれがなぜ人間社会により良い影響をあたえると信じられるのかをキチンと説明して欲しい。
リベラルをメディアが標榜するのであれば、その理由は常に説明すべきだ。
だからネットでの保守層がアホみたいな言説を正当化してしまう。
…っていつも思ってイライラしてる。
・仰るとおりだと思います。ここで例に上げた生命倫理など、正直、自分もどう判断してよいかわからないでござる。ただ、多くの人がウヨ、サヨ、保守、リベラルなどをあまりにもそれが社会に何のインパクトがあるのか勉強もせずに使い続けている現状に一番イライラしているでござる。
タイトルは釣り……というか、広くご意見を頂きたいので、こういうのにしました。
1000万円超なのも40女なのも本当です。
結婚できるものならしたかったですが、おそらく容姿にも性格にも問題があったのでしょう。
自分で積極的に結婚相手を探そうともしなかったのも問題でしょう。
ただ、この歳になって、やはり子供は欲しかったな、と思ってしまっています。
シングルマザーとしてでも、子供を産んで育てるだけの財力はありますし、大企業勤めで産休も育休も取れますが、相手がいないので、どうにもなりません。年齢のこともあります。
ですが最近、周囲の自分より年上の人が初産で子供を授かっているのを見たりすると、ますます諦めきれません。
とはいえ、無理矢理好きでもない人と結婚してまで、子供が欲しいとは思えません。
贅沢なことかもしれませんが、やはり好きな人との子供が欲しいです。
出来れば、今までの彼氏の誰かから精子をもらって出産したいのですが、そんなことって今の時代でも無理ゲーでしょうか。
なんとか実現できる方法ってありませんかね?
元彼氏本人に正面切って頼むのも微妙だし、誰か代理人っぽい人を介しても微妙ですよね……。生命倫理とかの問題もあるでしょうし。
精子をもらえて体外受精できても、自分で産めるかわからないしなー。
最近の、結婚とか子供のコスパ議論を眺めていて、そんなことを考えています。
子供欲しいなー……。
【追記】
こういう話につきものの、卵子凍結についてですが、40歳以上は基本的に凍結の対象外なのです。
なので、こういうことで悩んでる人で、私より若くて、経済的になんとかなる人は、卵子凍結も考えた方がいいと思います。
なお、私自身については、卵子の残り数が朧気ながらわかるAMH検査によると35歳以下程度と思われるので、詳細を検査し、それなりの卵子が採れそうなら、なんとか卵子凍結したいと思って動いています。
【さらに追記】
その理由ですが、
・ご先祖様に申し訳ない的な、時代錯誤な価値観も併せ持ってます。
・自分が好きになった人との子供なら、障害がある子でも、おバカな子でも、愛せると思うのです。自分が好きになった人なんだから、基本、責任は自分にあるわけです。誰の遺伝子かわからない子供を産む場合、何かあったらもう片方の遺伝子のせいにしちゃいそうで恐い。
私のような立場では本当は語れないとは思うのですが、一般的に子供を産む女性は、そういう自己責任論が心の中にあるのではないでしょうか。
・養子については、個人の心情としては、それが犬でも本質的には変わらないと思うのと、他人の子供を愛せる自身がありませんし、未婚の女性が養子を取るハードルにもめげます。
【度々ごめんなさい】
一応、facebookなどで判明しているところでは、元彼氏のうち数人は結婚してないですし、子供もいないはずです。そこらへんをちゃんと調べるところから始めないといけないのでしょうが、そこは普通の探偵でもすぐ調べてくれそうな気がしてます。
【おわりに】
もう読んでる人はいないかもしれませんが……。
お墓を眺めながら、もうこのお墓を継ぐ人はいないんだなあ、
などと考えつつ、何にも考えていなさそうな実家の犬を思う存分撫でてきました。
積極的な選択をして、今の生活があるのではなく、選択をしないできたら、今みたいな生活になりました。
こういうことを書くと怒られるのでしょうが、今の年収については運の世界で、たまたまいい上司と同僚に恵まれたからだと思います。
これだけ運がいいのだから、他に何か望むのは高望みなんでしょうけど、この歳まで優先順位がわからなかったのが悔やまれます。
といっても、運のパラメーター配分は自分では決められないのでしょうけれども。
今さらですが、自分で出来ることはして、元彼氏たちへのアプローチ方法も考えます。
好きな人を新たに作る努力もしてみたいとも思いますが、元彼氏たちのことを考えつつ、同時平行出来るか……。そんな器用だったら、今の状況はなかったかなあ、とも。
若い人たちがもしこのエントリを見ていたら、頭の片隅にこんな生き方はどうだろう、って、少し考えてもらえたらいいのかな、と思います。
妻が感染症内科医なこともあり、子どもたちには任意のものを含めて予防接種を全部受けさせているし、その科学的意義は十分理解しています。日本で承認される前のワクチン(ちなみに、現時点ではすでに承認済み)を受けに、遠くのクリニックまで子供を連れて行ったこともあります。妻が専門家として判断しているからこそですが、その判断プロセスは自分も共有しているし、彼の記述に科学的に間違っている主張が含まれていることも分かります。
ただ、生命倫理の勉強をした黒歴史を持つものとして言わせてもらうと、予防接種の強制の是非は、医療倫理的に理論上難しい問題を含んでいるし、彼個人を一方的に叩くのは間違っているのではないかとも思います。
ちょっと知識をひけらかすようなことを言うと、英米系の国は日本と比べて個人の権利よりも公衆衛生を優位に置く思想を持っています。たとえば、HIVの感染があると、性的関係を全部調べあげて関係者を調査する。予防接種を拒否に社会的ペナルティがあったり、入学が拒否されたりすることもあります。いずれも日本では考えられないと思います。一方、西ヨーロッパ(大陸法の国)は、比較的日本と近く、公衆衛生よりも個人の権利重視で、予防接種についても受けないという選択が尊重されるべきという考え方です。
いわゆる英米法と大陸法の違いという話ですが、それぞれ理論的には一貫性のある立場であり、簡単に間違っていると言えるようなものではないのです。どっちが正しいとか言うつもりはありませんが、少なくとも片方の立場を元に逆の立場を一方的に叩くことができるような話ではありません。もうちょっと突っ込んで言うと、これはリスク評価の主観性、そしてそれによるリスク評価の多様性をどう社会的に包摂するかという問題であり、簡単に答えが出る問題ではないのです。
そういう意味で言うと、彼の予防接種についての知識は間違っているかもしれないけれど、少なくとも大陸法の系譜を持つ日本の法体系上、それを「虐待」と言うのはおかしいのです。そして、ネットで寄ってたかって批判されているのを見るとすごく悲しくなる。なんていうのか・・・直感的には叩いている人の言うことも分かるのだけど、そこに欠落している法秩序への無理解、ある種の衆愚や国家主義とも言える事態に悲しくなるわけです。
畜産業を否定するわけじゃないけど、狭い金網が段になった温かな暗室で無数のひよこが孵化している映像を見て軽く動揺してちゃった。
現在の食はそういう環境に支えられているんだよって、現実を突き付けられた気がしたんだね。
当たり前の事なんだけれどもさ。その映像を見ていたキャスターが可愛いなんて言うもんだから、余計にグロテスクに感じてしまったんだ。
安定した豊かさってのは、なにかしらの犠牲を払わなければならないわけで。素知らぬ顔で胡座をかく在り方はどうなんだろうなってつい思ってしまった。
そんな思い、誰に届くわけでもないし、届いたところで何にもならないのだろうけれど。
犠牲を認めることや、彼らの命に感謝すること、存在を実感することってのは、けじめとして必要なんだって、頭の片隅には置いておかなくちゃって改めて気が付かされたんだ。
植物だとまた感情が違ってくるんだけど、これだけ命を直接扱っている人間なんだから、人間自体についても直接的な生命の管理をしてもいいんじゃないかしらとも思ったり。
どうもこんにちは。重度知的障害者の兄貴です(7/27「まとめ」に一部追記。「自分の苦労を他人に押しつけるな」という「書いていないことを読み取る」コメントにくたびれたので。別に自分が理不尽なほどの苦労をしたとは思ってない)。この記事とブクマみて血圧上がってます。
出生前診断で異常発見し中絶、10年間に倍増 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110722-OYT1T00585.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/science/news/20110722-OYT1T00585.htm
まずこれ読もうね。
T4作戦(テーフィアさくせん、独: Aktion T4、英: T4 Euthanasia Program)は、ナチス・ドイツにおいて優生学思想に基づき1939年10月から1941年8月にかけて行われた安楽死政策を指す。名称は本部の所在地、ベルリンのティーアガルテン通4番地 (Tiergartenstraße 4) に基づき第2次世界大戦後に付けられた名称である。一次資料には E-Aktion(エーアクツィオーン、E作戦), もしくは Eu-Aktion の名称が残されている。この政策により、20万人以上が犠牲になったと見積もられている(ニュルンベルク裁判の検察側による見積もり)。(略)
この政策の目的は、ドイツ国民の「遺伝的な純粋性」を守るためのものであり、また身体障害者や精神障害者を組織的に根絶するというものであった。障害のある子供たちは、普通の病院と違う特別な病院に入れられた。障害を持つ成人に関しては、すでに 「Gesetz zur Verhütung erbkranken Nachwuchses」の結果として強制的不妊手術の対象となっていたが、この政策の対象にも含まれた。
読んだら次にいってみよう。君らが1930年代のドイツにいたとして、自分が「ナチスに投票した4割」と「投票しなかった6割」のどちらだったか、よく自問自答しながら下を読んでくれ。
まず、こういうことが罷り通るってこと自体、日本が法治国家としてダメダメってことなんだけどね。これを読もう。
第十四条 都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの
2 前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。
子供に障害があるからって中絶できるなんて書いてないよね?母体に危険がある場合か、貧乏で育てられないか、レイプ被害の場合のみだよ。日本は中絶は無原則に自由とか思ってるの、それ完全に間違い。つまりDQNカップルとかが避妊もしないでできちゃった子供を中絶するのって違法ですからね。堕胎罪ですから。一年以下の懲役ですから。覚えとけよ。
中絶する親は被害者なんかじゃない。法律的には間違いなく加害者。
そして倫理的にもそうだよ。胎児とはいえ命は命。まさにレイプとか母体の危険とか経済的理由とか、そういう「緊急避難」的なものでなければ圧殺していいはずがない。違うか?良心の呵責ぐらい持てよというのはおかしなことか?こういう連中を「被害者」呼ばわりできるとか、どんだけ世の中なめてるの?
皆さん好き勝手に、「障害者を育てるなんて無理」とか色々言ってくれるけど、言われた方がどう思うかわかってるの?中絶する両親には同情しても、中絶される障害胎児には同情しないんだね。ふーん。
もっと馬鹿げてるのが、先天的に障害がなければ障害とは無縁だとか思ってること。あのね、人間はいつでも障害者になります。事故とか病気とかね。統合失調症とか一番わかりやすいと思うけど。そうなったら「育てるの無理」とか「生きていけない」とか下らん御託言ってられなくなるよ。とにかく育てなきゃいけない、生きなきゃいけない。そこに現実があるからにはね。やってもみもせずに「できない」とか、何を甘っちょろいこと言ってるのかね?
うちの例でいうと、弟は生後僅かな間は「健常児」だったよ。ところが詳細は省くが医療ミスで脳出血起こして、それでその後遺症で知的能力のほか色々障害を負った。そんじょそこらの先天性の軽度障害者なんかよりよっぽど重いのをね。そういうことが起こりうるってわかってるのかな?出生前診断と中絶で問題を「なかったこと」にできるとか思ってる君ら、本当におめでたいよね。それとも我が家みたいなのは弟を間引けるようにすればよいとでも思ってるのかな?すごいね、まさにT4作戦だよ。ハイル・ヒットラー!君も将来歳を取って認知症になったときはアウシュヴィッツで「人道的」な「安楽死」を迎えることができると思うよ。
ちなみに、メガネ・コンタクト族の皆さん、君らの多くは近代以前だったら生存能力のない「視覚障害者」だからね。そこ覚えておくように。社会制度や技術で少なからず「障害」は「障害」でなくすることができるんだよ。育てられないとか生きていけないとか、そういうことやって見てから言ってるのかね?
で、ブクマに書いてあるので多いのは「障害者は生きていても不幸だ」みたいな話。すごいね。まさに「生きるに値しない命」だよね。ハイル・ヒットラー!
ヘレン・ケラーから乙武洋匡にいたるまで、いろんな人がそんなの迷信だ、とどれだけ説いてもわからない人はわからないんだね。確かに障害者は生きて行くに「不利」があるよ。でもそれは絶望的なものってわけじゃない。
それこそ上に書いたみたいな目の話をするならさ、メガネ族・コンタクト族は既にパイロットや宇宙飛行士になる夢は絶たれている。矯正可能な近視・遠視・乱視だって立派な「身体障害」であることの証明だね。しかし、あなたそれで人生に絶望する?しないよね。程度の差はあれ障害者の人生って同じことだよ。そしてその「不利」の程度を弱めていくのは「健常者」のつとめだよ。あなた自身やあなたの親兄弟や子供がいつ障害者になるかわかったもんじゃないんだから、それは「保険」と同じようなものだ。それを問題視するならT4作戦発動するしかないね。ハイル・ヒットラー!
あと、ブクマに目立ったのが「この日本の国で障害者を育てる事なんてできましぇ~ん」みたいなの。ふざけるな。
みんな育ててるんだよ。多かれ少なかれ苦労してな。別に同情なんていらん。だがな、その「苦労」の中身にはお前らみたいな連中の無理解と偏見が少なからぬ比率で混じってることぐらい覚えておけよ。
でな、「日本の国」の制度が悪いのは(7/27追記:本当にそこまで悪いとは思わないが、まあ完璧ではないので一応「悪い」として)誰のせいか知ってるか?お前らのせいなんだよ。曲がりなりにもこの国は民主主義国家だ。主権者は国民だ。この国の制度は国民が作るんだよ。それをやってこなかったツケが回ってきてるんだよ。
ただし勿論、当事者でなければわからないことは色々ある。例えば世の中のエスカレーターは大抵は「上り」ばっかりだが、足の悪い人にとっては「下り」こそが重要だというのは自分がケガしたり身内に足腰弱った老人がいないことにはわからんだろう。逆に言えば、当事者が声を上げるというのは民主主義国家における国民の権利であり、義務でさえある。そういうことを石頭のお役人やら政治家やらに硬軟とりまぜて教え込んでいくことで、障害者が生きやすい環境というのは少しずつ整備されていくんだよ。
何?この国は民主主義でもなんでもないって?そうだね、すべてはアカとユダヤの陰謀なんだ。ハイル・ヒットラー!
長々書いたが、俺の言いたいことは要するにこういうことだ。
この辺のことをよく考えた上で、諸君がナチス的な思想をさっさと卒業してくれることを祈るばかりだ。
はてなの連中は普段リベラルぶってるくせに障害者問題になると本当に差別的でカスだと思ってきたが、本当になんとカスの多い事よ。
なんでそこまで先天性の障害が特別だと思ってるんだ?お前の子供が病気や事故に遭わないとなんでわかる?「健常者」であっても犯罪者や引きこもりやニートにならないとなんでわかる?その覚悟なしに子供を生み育てようとか思ってるわけ?それ、ほとんど確率の問題だぞ。
大抵の障害児はそんなケースに比べりゃずっと楽だぞ。障害児なんて育てられないというんだったら、病気や事故に遭った子供、あるいはDQNやニートが親の子供も育てられないから育児放棄して殺してもいいって話になる。お前らが言ってるのは要するにそういうことだ。なんでその程度の想像力もないの?
要するにお前らの「育てられない」なんてのは「ボクちゃん、こわいの、できないの~」って子供がダダをこねてるのと同レベルなんだよ。子供に先天的な障害がなくたって四苦八苦。親になるってことはそれだけ大変なことなんだよ。その覚悟を持て。
以下、目立ったブコメに返信(7/27追記 以下、ブクマの傾向を見て適宜加筆・修正・削除する)。
md2tak 障害というか知障ね。理性なき者は社会合意できないから社会の倫理に委ねられる。「俺ができるんだからお前もできる」はマッチョな意見。少なくとも社会保障の議論を。コストの話になると経済的理由が適用できちゃう 2011/07/25
「知障」とか差別用語使いやがってカスが。だいたい読売の元記事は知的障害に限った話じゃないだろう。
ああ?何がマッチョだぁ?ふざけるな。うちの場合みたいに後天的に障害を負うことだってあるんだよ。そんなとき「ボクちゃん、こわいの、できないの~」って言ったらどうなるんだ。育児放棄、児童虐待、殺人だ。違うか!違うなら言ってみろコラ。社会保障なんて曲がりなりにも日本にはあるわいボケ。調べもせんとなにを贅沢ぬかしとんじゃカス。障害者の親が全員金持ちだとでも思ってるのか。障害児を養うと明日の飯に困るような貧窮なんてないわ。
sankaseki だからと言って、本人に「障害を持ち人生を歩む」と 親に「障害を持つ子供の親」という重責の強制はできないと思うがな。ややもすると「自分がやっているから他人もやれ」という押し付けに見える
じゃあ、うちみたいな後天的障害の場合はどうするの?「押しつけ」だとか能書き垂れて育児放棄とかできるわけ?だいたい「親」であること自体が超絶的な重責なんだよ。障害があるかないかなんてそれに比べたら微々たる差でしかないだろうが。つーかうちの親をはじめ障害者の親なんて別に「重責」に耐えた偉人なんかじゃないぞ。その辺のオッサンオバサンだよ。その辺のオッサンオバサンができることをやれというのが過重な重責なんかだとは思えない。
自分の子供を殺してまで守る家庭なんて守る価値なんかないわ。しかも「良心的」とかどこまでカスなんだお前は。それは「ポア」の思想だよ。
p__o__n 私は障害者になりたくないし、子供が障害者として生まれて欲しくないし、可能な限り障害が治れば良いと思う。これを優性思想だと言われればそれはしょうがないです。 2011/07/25
いや、それはそういうもんでしょう。社会を生きて行くに不利があるからこそ「障害」なわけで。矯正可能な近視がもはや障害とは呼べないのと同様に、「障害」は克服できるもんだし、そうすべきなんだという話ですよ。
虐殺の考え方も人類の中で脈々と受け継がれてきたものだね。これはもっと受け継ぐべきだね。ハイル・ヒットラー!
egpehcbd 西原の夫が「もし障害児だったら?沢山産めばいい、そうすれば弟妹が助けてくれる」と語ったというハナシがあったと思うが、あれはたいしたものだなと思った。
いえ、それは結構微妙です。障害児の兄弟にもそれぞれの人生があるわけで、親から「助けてくれる」ことを期待されると非常に辛いです。元々子供なんて親に全面的に「助けてもらう」存在なわけで、自分のことで精一杯なわけですから。
私の場合は余りそういうことはなかったですが、それでも無意識のうちに「親に負担を掛けないように」と過剰に空気を読む癖がついたりで色々苦労がなかったわけでもありません。これに親の過剰期待が加わっていたらと思うとぞっとします。
とにかく、特定の子供に他の子供を奉仕させるというような考え方はよくないです。これは障害の有無に限ったことではありませんが。
tikani_nemuru_M 個人レベルの優生思想と共同体レベルの優生思想は異なる。また、経済的理由による中絶が認められていることで、現実には「どんな理由で中絶してもいいよ」といっているのと同じ。 2011/07/25
そんなわけがない。例えばビル・ゲイツが「経済的理由」を持ち出せば当然しばき倒されるべきだろう。また、個人レベルであろうとそれが共同体内で容認されるなら同じこと。胎児どうこうでその意味がわからないのなら「寝たきり老人を介護なんてとても無理だから姥捨て山に放り込んでもよい」という法律ができたとしたらどうなるか考えてみればよい。それをナチス的と呼ばないとすればそいつの頭の構造こそがナチス的だろう。
産む前からそんなに信頼できないことがわかっている男の子供なんて最初から産もうと思うなというだけの話だし、母親だけに責任を押しつけているわけでもないし。
tswi (略)生命倫理について何ら学問していた形跡が見えず、反射的に自分が正しいと思うことを書きなぐっているだけという印象。 2011/07/26
そんな「学問」様を語ってるつもりはないんでね。こちらは当事者としての率直な実感を述べている。それを蹂躙する「学問」様ならば、実験事実を無視する「科学」と同様無価値だろうよ。
mujin これは完全に同意。イヌのときは「病気になって育てられないならイヌを飼う資格はない」って言われて、なんで人間のときは「育てきれないなら仕方ない」「生まないほうが子どものため」になるのか。森岡正博を読め。 2011/07/2
愕然としました。確かに、犬や猫の話なら普通にわかってもらえますね。要するにみんなそこまで子供が嫌いなんですね…。
annoncita うちは中間所得層のちょっと下だと思うけど、日本では結構やっていけるものですよ?重度障害児がいても。(略)
全くその通りですね。日本で「障害児を抱えてやっていけない」なんてのは大嘘。
junmk2 この問題については障害者側の人よりも、本当の本当のそもそも論を考える側の人の方が、社会的に不利で意見を表明できない。(略)
じゃあその「そもそも論」というやつを述べてみろよ。この件で「障害者を差別するな」以上に「そもそも」なことがあるものか。あるわけがない。
つまり、生きるためにコストを払うのではなく、コストを払えなければ死ねということですね。ハイル・ヒットラー!
自分が親として「普通の人」以下だと思うなら子供を持たなきゃいいんです。でなきゃ「普通の人」並に慣れるように努力しなさい。障害云々と関係なく当たり前でしょそんなの。
yoko-hirom 増田は自分の記事をご両親に読んでもらって意見を聞いてみては?/増田は幸せそうに見えないし,出産前に挫ける人がいても仕方ない/健康面の問題で心中や自殺を選ぶ人もいる。増田はそれらの人を非難するか? 2011/07/26
それ以前に出生前診断の話なんてガキの頃から家庭内で頻出の話で、「論外」という共通認識。そんな話ができないような家庭環境どころか、親の方が俺を教育しようと熱心だったよ。それから俺は十分すぎるほど幸せだ。まあ、こんな断片的な文章から俺の人生の幸不幸を推し量れると思い上がったあんたが俺の増田記事(障害ネタはこの一件だけ)にことごとくアホなコメントしてくれるのは全然想定外でも何でもないが。そして自殺は自分が死ぬだけだが他人を巻き込む心中は非難されて当然。
Crone 増田の怒りも分かる。でもただでさえ不安定な中、自分のせいかもと苦悩する妊婦さんへの共感なしには届かない。(略)
「自分のせい」とかいまどき思う人がいるとしたら勉強が足りないの一言でしょう。
東京大学ご入学、おめでとう。
これからは残された青春時代を謳歌しながら、自分のやりたい勉強にむかって突き進んでいくことができます。勉強したいことがない人も、友達と酒を飲めばそのうち見つかるので気にせずにキャンパスライフをエンジョイしよう。
それぞれの興味関心が違うので、絶対に受けるべき授業ってのはホントはないと思う。
どういう授業に感動するか、好奇心をくすぐられるかはひとによってまちまちだろうから。
それでも、大学人になるにあたって、大学の空気に慣れることも必要なように感じる。
その点で僕は、総合科目Aの「科学史」、小松美彦教官の講義をおすすめする。
東大の先生ではないのだけれど、毎年夏学期に行われているから、彼の定年まで続くのだと思われる。この授業にぜひ潜ってほしい理由は、次の3点である。
まず、この授業は「科学史」ではない。まごうことなき「生命倫理」の講義である。
彼の専門領域である「臓器移植」の問題をてがかりに、「死」についての見識を深めていく。
『高校教師』という昔のテレビドラマを見せられ、最後に愛の逃避行をしたふたりは「死んで」いるのかどうかを問う。
「帝銀事件」という日本を騒がせた事件を取り上げ、人体実験のありかたを問う。
最後の授業では『あしたのジョー』がどういうマンガかを語り、1時間以上延長する。
それらはすべて「生命」というタームで結びついているのだが、高校まで単調な座学を受けてきた人間には意味不明に感じると思う。
そしてこれらは、基本的に教官の意図を強要される。教官の意図と異なることを言えば、なぜかキレられる。寝てたらチョークを投げられる。なんとも理不尽な授業である。
しかしそうした教官の高圧的な態度に、反逆できる機会が与えられている。
教官ははじめにこう言うのである。「テストは『授業受けた人用』と『授業受けなかった人用』の2種類を用意する」と。
つまり授業に一切出なくても、初回とテストさえ行けば、単位は取得できるのである。ここに、大学という組織がどういうものなのかが凝縮されているように感じる。授業はすべて、「教官のターン」なのである。「教官のターン」を不快に思うなら、授業に出なくてよいとあらかじめ公言しているのである。
その代わり、「受講者のターン」である「期末テスト」には出席を求められる。「受講者」は、授業や教官の著書に対して、反論を記すことが認められる。見事教官をうならせたら「優」、とりあえず書いたら「可」である。明瞭である。
テストは、教官と受講者の勝負なのだ。教官が下す「優」は、「お前の解答には納得させられた」という白旗とほぼ同義なのである。
授業に出なくてもよいという教官のスタンスは、彼が全共闘世代であることにも関わっているように感じる。いまや大学教官の下す「優」「良」「可」「不可」に振り回される学生が、支配に対し反逆した時期が45年ほど前にあったのである。彼の授業は、その時代を追体験させてくれるようでもある。
大学に反逆したものの多くは、今や予備校に流れている者が多い。小松教官が、東京大学出身であるのに東京海洋大学教授であるという肩書にも、何かあるのではないかと勘繰ってしまう。
大学というところは、授業だけ考えたらぬるいものである。だから「意識の高い学生」は、やれ学生団体だの、サークルだのバイトだのに力を入れ、大学という組織の無力さを呪う。
しかしそうではない。大学の授業(講義)ひとつ取ってみても、議論を活性化させるタネが転がっているのだ。ゼミのアットホーム(優しい・厳しいを備えた)な雰囲気も大学の醍醐味であるが、マス授業の緊張感も味わってもらえればと思う。
東京大学ご入学、おめでとう。
これからは残された青春時代を謳歌しながら、自分のやりたい勉強にむかって突き進んでいくことができます。勉強したいことがない人も、友達と酒を飲めばそのうち見つかるので気にせずにキャンパスライフをエンジョイしよう。
それぞれの興味関心が違うので、絶対に受けるべき授業ってのはホントはないと思う。
どういう授業に感動するか、好奇心をくすぐられるかはひとによってまちまちだろうから。
それでも、大学人になるにあたって、大学の空気に慣れなけれないけないように感じる。
その点で僕は、総合科目Aの「科学史」、小松美彦教官の講義をおすすめする。
東大の先生ではないのだけれど、毎年夏学期に行われているから、彼の定年まで続くのだと思われる。この授業にぜひ潜ってほしい理由は、次の3点である。
まず、この授業は「科学史」ではない。まごうことなき「生命倫理」の講義である。
彼の専門領域である「臓器移植」の問題をてがかりに、「死」についての見識を深めていく。
『高校教師』という昔のテレビドラマを見せられ、最後に愛の逃避行をしたふたりは「死んで」いるのかどうかを問う。
「帝銀事件」という日本を騒がせた事件を取り上げ、人体実験のありかたを問う。
最後の授業では『あしたのジョー』がどういうマンガかを語り、1時間以上延長する。
それらはすべて「生命」というタームで結びついているのだが、高校まで単調な座学を受けてきた人間には意味不明に感じると思う。
そしてこれらは、基本的に教官の意図を強要される。教官の意図と異なることを言えば、なぜかキレられる。寝てたらチョークを投げられる。なんとも理不尽な授業である。
しかしそうした教官の高圧的な態度に、反逆できる機会が与えられている。
教官ははじめにこう言うのである。「テストは『授業受けた人用』と『授業受けなった人用』の2種類を用意する」と。
つまり授業に一切出なくても、初回とテストさえ行けば、単位は取得できるのである。ここに、大学という組織がどういうものなのかが凝縮されているように感じる。授業はすべて、「教官のターン」なのである。「教官のターン」を不快に思うなら、授業に出なくてよいとあらかじめ公言しているのである。
その代わり、「受講者のターン」である「期末テスト」には出席を求められる。「受講者」は、授業や教官の著書に対して、反論を記すことが認められる。見事教官をうならせたら「優」、とりあえず書いたら「可」である。明瞭である。
テストは、教官と受講者の勝負なのだ。教官が下す「優」は、「お前の解答には納得させられた」という白旗とほぼ同義なのである。
授業に出なくてもよいという教官のスタンスは、彼が全共闘世代であることにも関わっているように感じる。いまや大学教官の下す「優」「良」「可」「不可」に振り回される学生が、支配に対し反逆した時期が45年ほど前にあったのである。彼の授業は、その時代を追体験させてくれるようでもある。
大学に反逆したものの多くは、今や予備校に流れている者が多い。小松教官が、東京大学出身であるのに東京海洋大学教授であるという肩書にも、何かあるのではないかと勘繰ってしまう。
大学というところは、授業だけ考えたらぬるいものである。だから「意識の高い学生」は、やれ学生団体だの、サークルだのバイトだのに力を入れ、大学という組織の無力さを呪う。
しかしそうではない。大学の授業(講義)ひとつ取ってみても、議論を活性化させるタネが転がっているのだ。ゼミのアットホーム(優しい・厳しいを備えた)な雰囲気も大学の醍醐味であるが、マス授業の緊張感も味わってもらえればと思う。
映画の感想を書くから、これから鑑賞する人は読まないでね。「宇宙ショーへようこそ」と言う作品を観てきた。田舎で暮らす小学生が宇宙人と一緒に宇宙へ行ってトラブルで地球に帰れなくなるけど紆余曲折へて無事帰還するといったストーリーだった。なんとなく、某WEBラジオで話題に出ていたから見に行ったので、特別まえから注目していたというわけではない。事前情報として、監督のやりたいことは全部詰め込んだようなことを聞いていたからそのフィルターがかかって観ていたかもしれないけど、それ以外は予備知識無しでいってきた。
感想。よかった。わるくなかった。絵が綺麗。でもテーマがいくつもあって、絞りきれなかった感がある。どこが焦点になっているのか見ていてつかみづらかったというか。監督は理屈抜きに見れるものを作ったといっていたけど、かといってボケーっと観ていると分からないしつまらないんじゃないかと思う。もうちょっと各テーマを掘り下げてほしかったし、絞ってほしかった。感動がこま切れになってしまった。
今思い出す限りで、テーマとして
があったけど、例えば友情とも淡い恋心ともつかぬ感情が地球側の男の子(康二)と宇宙側の女の子(インク)に芽生えるテーマなんか、私はもっと見たかったな。掘り下げても良かった思う。たまたま宇宙人のポチに連れて行ってもらえたからその二人は出会えたわけで、でもポチは自由に地球に出入りできないので、要するに二人は分かれたら最後二度と会えない。切ないじゃないか。インクかわいいし。
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090330/1238349203にid:tari-Gが答えないのは単に読み難い文体の問題だということだから、本人に代わって文体を書き換えてみるよ。
これで逃げ場がなくなったね。
知的誠実を他者に要求するtari-Gクンへ
さーて、書かなければならないことはあるけれど、それはそれとしてまず売られた喧嘩を買っておきますか。
にゃー語は脳が受け付けないので斜め読みだが、多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で駄文を書くのはいいんだ。こういうのは「先人の業績」や「被害者」「死者」等への冒涜にならんらしい…ケッ 2009/03/27
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090326/1238051100
このtari-Gクンは、永訣の朝、公開オナニーにダンス・ダンス・ダンス - 地下生活者の手遊びで遊ばせてもらった、negative_dialektikクン(以下、否定弁証法クン)を擁護していたお方です。
で、このtari-Gクンに、「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去のコメント欄で2009/03/26 10:31に、idコールまでして答えたくないと思われる論点を挑発的に問うてみたら、そちらには答えがなく、上記のブクマコメがかえってきたということです。
hokusyuのところのコメ欄でのtari-Gの発言などを考慮すると、実にカロリーの高いエサなので、おいしくいただくといたしますか。
では、エサをいただくにあたっては、いつものように逐語的にお料理させていただきます。
tari-Gクンは猫かぶり文体を読んでいたはずだけど
「にゃー語は脳が受け付けないので」
ほうほう、僕の猫かぶり文体が読めないと。まあ、それ自体は珍しくないよな。
ただ、はてなブックマーク - tari-G のブックマークを開いて、tikani_nemuru_M で検索してみると、現時点で14件ヒットします。そのうち6〜7件のブクマについては、否定弁証法クンの騒ぎが持ち上がる以前にブクマされたものだね。
特に、舌打ちにのたうつ40♂ - 地下生活者の手遊びにつけていただいたtari-Gのブクマには「うんうんそうそう」というタグがつけられていますにゃ。少なくとも、このブクマをつけた1月17日時点では、「ない語は脳が受け付けない」ということではなかったみたいだね。
ま、そういうこともあるだろ。
急所をつかれると、突然に気にならなかったものが気になるようになることは、よくあることですからね。いままでも、猫かぶり文体を理由にして逃げ回る恥知らずは数えきれないほどいたし、卑劣な弱者に逃げ場をつくってあげるために、このような文体を使っているというところもありますしね。
だから、hokusyuのブログエントリのコメント欄で、僕からの質問に応えなかったのもそういうものだと思って見逃してあげるつもりでいたのにね。
わざわざ自分でクチバシ突っ込んできやがりましたので、何の遠慮もいらないだろう。
しかも、
「にゃー語は脳が受け付けないので斜め読みだが」
などと言い訳を前面におしだしてやがりますね、みっともねええええ(げらげら
hokusyuのブログのコメント欄では、こちらからの質問に逃げておいて、僕のエントリにブクマコメで文句だけはつけたいのかー。しかも、「ない語は脳が受け付けないので斜め読みだが」と言い訳全開にしてだと?
こんなヘタレが、「ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去のコメ欄で、「知的誠実」だのといっちゃってるわけですにゃ。
tari-Gくんは文献を示す義務がある
「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で駄文を書くのはいいんだ。」
なるほど、僕の前回エントリは[なにこれ], [これはひどい], [ご都合主義]とタグ付けされたうえに、「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で」書かれた駄文というわけだな。うむうむ。
まず、僕自身はシロウトであるし、この問題について包括的に書くつもりもないということは前回エントリでも最初にことわっていますよね。
もちろん、シロウトであるからといって、研究が積み重ねられているものを無視するどころか否定するようなことを書いてよいということにはなりませんね。無知を盾にとって、ホロコースト否定論とか南京事件まぼろし論にくみする言論を垂れ流すのは確かに無恥だな。ホロコーストや南京事件については、その規模や細部についてはともかく、そうした事実があった、ということについては学問的にも確定しているわけだしね。
ところで、前回の僕のエントリを駄文と評するのは問題ないし、包括的に文献を読んだつもりもまったくないのだが、「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化」と断言するのであれば、当然のことながらどのような文献のどのような論点を未消化なのか指摘できるよね?
いやね、フツーならばブクマコメのこの程度の指摘に対して、いちいち「ソースだせや」なんて言うつもりはないんだけどさ、tari-Gクンってば、↓のようなことをいっていますよね。
海外の著作に言及する場合、自分が依拠しているのが、原著を参照せずに翻訳書だけなのか、それとも両方参照しているのか。依拠している文章が、翻訳書なのか原著なのか。引用訳文が翻訳書からなのか独自訳なのか。そういった極めて基本的なことを明確にしたら?。
あと、hokusyuさんは、「通説である」とか「多くの研究者に支持されている」を極めて多用するけど、そういう場合は、必ずちゃんとその根拠を明示しなよ。少なくとも、それを裏付ける著作名と研究者名ぐらい列挙しなさいよ。
学問的手法に忠実云々ということをあれだけ強調していながら、実際には、そういう最も基本的な事からして全然できてないのは、ホント困るわ。
学問というのは、自律の世界なんだから、まず自分に厳しくしないとダメだよ。
出典の紹介等について、私が「一番」「甘い」というのも全く根拠不明で意味不明だが、誰に言われようが、自分の言葉の典拠や論拠を明確にするのは当然でしょ?世界のどの研究者もしている当たり前の学問的手続きを、自分の言説にまず適用するのは当然じゃないの?誰に言われようが関係ないじゃん。情けねー。
一般読者達向けに、惜しみなく情報を提供しようとは思わないの?そもそもそこがよく分からないな。なんで知識を出し惜しみするの?
てか、はっきり言って、議論の質を本気でよくしたいなら、他の選択肢はないよ?
hokusyuが見てて不快なのは、学問的誠実さが本当にないところ。自分が得た情報をできるかぎり共有して判断して貰うという、最も基本的姿勢がない。結局、客観性へのこだわりがないんだよね。「信じればいい」という主観だけ。
と、議論相手にここまでソースを出すことを要求するtari-Gクンが、「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で駄文を書く」と断言している以上、僕の前回のエントリが、多分野に渡り山のようにある文献のなかで、特に必須なものをどう未消化なのか、具体的に言えないはずもないだろう。「てか、はっきり言って、議論の質を本気でよくしたいなら、他の選択肢はないよ?」
僕が誰を冒涜できるのだろう?
「こういうのは「先人の業績」や「被害者」「死者」等への冒涜にならんらしい…」
何をいっているのかぜんぜんわかんないのだが。
ホロコーストがあった、ということは歴史学的にもまともな学者には完全に合意され決着がついていることがらなので、ホロコースト否定論が「先人の業績」にまるで敬意をはらってないということになるのは当然だな。
ところで
人工妊娠中絶について、生命倫理学的に決着がついていたっけ? で、僕がそれに反するようなことを書いていたかにゃ? 僕が「先人の業績」を冒涜しているというのなら、ちゃんと根拠をだして説明してくんないかな。
それに
「被害者」「死者」等への冒涜 って何のことかにゃ? 僕のエントリが、どのような理路で、「被害者」「死者」等への冒涜 になるのか説明してくんないか?
tari-Gクン、チミな、他人に対して知的誠実だの学問的誠実だの、根拠をだせだのとさんざんいったのだから、求められたことを説明するのは当然だろ?
以前は猫かぶり文体も読めていたようだし、猫かぶり文体で書かれた文を、頼みもされないのにわざわざDISりにきたんだからさ、説明の責務があるのはアッタリマエだろ?
ここで僕の予想を書いておくと、tari-Gクンはまともに応えることはできないと思う。他者に要求するものが自分に向けられることを想定すらしてないだろう。
そして、他者に要求することを自分はまるでできないということと、否定弁証法クンのような歴史修正主義にくみする者を擁護することと、多分つながるところがあるのだね。
もちろん
自らがhokusyuに要求しているようなことをtari-Gクンができた場合、僕は鼻水を垂らしながら全力で謝罪するつもりです。
再掲
それと、ついでといってはなんだけど、hokusyuのところのコメ欄に書いたものを再掲しておくので、こちらにも応えるように。>知的・学問的誠実を他者に求めるtari-Gくん
>id:tari-G
「歴史問題は、政治問題化してしまうのです。ホロコーストの歴史的実態について再検討する必要がある、と口にしただけで、反ユダヤ主義者のレッテルを貼られてしまいます。南京での中国人の被害者の数も、中国共産党政府の主張する30万人とか40万人とかいう数字をそのまま受け入れなければ、大日本帝国の軍国主義復活を目論む右翼分子とレッテルを貼られそうな勢いです。冷静に、歴史的に、事実を確定しようという学問的姿勢や努力は、政治的に圧殺されてしまいます。」否定弁証法3/17
と、上記の主張は端的にデタラメだよね。「冷静に、歴史的に、事実を確定しようという学問的姿勢や努力は、政治的に圧殺」ってのは事実と異なる主張だよね。
で、歴史に関する記述が政治的に歪められているという上記断定は、歴史修正主義が大喜びする「どっちもどっち」という判断を直接的に導くよね。tari-Gも、「どっちもどっち」は歴史修正主義の手口だと認識してるだろ?
さて
3/17の否定弁証法クンの主張は明らかに歴史修正主義にとって都合の良いデタラメの垂れ流しであるがゆえに、これを厳しく批判する論調がでてきたわけですね。
しかも、直後の否定弁証法クンの反応は、具体的な反論に対して「史上最大のタブー」「「信者」と議論するのは、ご遠慮しておきます」と、明らかに陰謀論を採用して議論を拒絶していたわけですね。ここも批判されて当然だろ。
でな、今回は否定弁証法クンがデタラメを垂れ流したので叩かれた、というだけの話だぜ。しかもそのデタラメは歴史修正主義を利する典型的なデタラメだね。
こうした批判に対して
>これはhokushyさんのような圧殺的行動への批判であって、具体的な修正主義的主張とは全く意味が違うのは明白です。tari-G
って意味がわかんないんだが。
いいか? 先にデタラメ垂れ流したのは否定弁証法クンだぞ。それを批判すると、後付けで「圧殺的行動への批判」となるわけ? 時間的前後が無茶苦茶。
しかも、デタラメを批判すると圧殺的行動になるってのも支離滅裂。デタラメを批判したらいかんの?
おまけに、「具体的な修正主義的主張とは全く意味が違うのは明白」って、どこに根拠があんの? チミの脳内で明白なだけだろ?
というわけで、僕はこの1点でチミのお相手をさせていただく。
今さっきググったら、東大の駒場の学生向けに、生命科学の入門的教科書が出版されていることに気がついた。
東京大学より初の文系向けテキストが登場!「食」「健康」などの身近な話題から「生命倫理」まで,社会的関心の高いテーマを軸に生命科学の基本を解説.一般教養を身に付けるために最適!日本図書館協会選定図書.
東京大学発の必修教科書第2弾!今回も強力な執筆陣が,分子から細胞,個体,種への連なる生命現象の全体像を基礎から解説.理・医・農・薬・歯学部など生物系を専攻するなら,必ず読んでおきたい一冊!
教授から、上記のような生命科学の教科書をつくる動きがあると聞いたときに、開口一番
「是非、科学史の人たちに作ってもらってください」
と言ったことを思い出した。
本自体は総合文化研究科の生命系の人たちがオムニバス形式で作成したようだ。
擬似科学やニセ科学、進化論論争といった話が盛り上がるのを聞くたびに、
科学史が決定的に足りていないよな、と思う。
理由は、「あまりに科学が進みすぎた」こと。
「」付きにしたのは、「普通に生きている人が共通常識として共有するには進みすぎた」程度の意味。
もちろん、「普通の人」だけではなくて、医師国家試験でも、そういった進歩の弊害は指摘されているようだ。
現代において正しいとされている科学的知識を得たところで、
多くの人は空中分解しちゃうんじゃないかな。
だからヒストリーとしての科学が必要だろうと思う。(ヒストリーと書いたのは「ゲシヒテではなくて」程度の意味)
もちろん学問としての科学史が科学者研究的な面や公共政策学的な面があるのは、
(デカルト研究とか、ダム建設の科学的根拠を住民がどのように受け入れたかとか、そういうテーマ)
寡聞ながらも承知しているのだけど、
「大きな科学の物語」が必要なんじゃないのか、と思うのですよ。
今の教授たちが学生だった頃に比べると、修士といえども桁違いの知識が要求されるわけでしょ?
しかも、ネットを使って、そういった知識に簡単にアクセスできるから、
「知りませんでした」とは言えない。
Analysis Paralysis になっている大学院生も多いんじゃないかな。
Analysis Paralysis なのは、大学院生だけではなくて、
普通の人も同じでしょう。
普通の人にとって「科学的であるためのコストが大きすぎること」が問題の本質なのではないですか。
今更、科学の量は減るわけではないので、
触媒が化学反応に必要とされる活性化エネルギーを下げるように、
工学出身の東大現総長の小宮山先生が、「知の構造化」を掲げている。
確かに、マインドマップ的な構造化・可視化も、科学理解の手助けになると思うけど、
物語が一番理解しやすいと思うんだよなあ。
アタシ
黒曜石
割るとガラスみたいに尖りやすい
昔から
ナイフに使われてた
みたいな
だからさ
ねぇ
磨いてよ
技術やそれに伴う社会の意識ってのは、それを構成する個人や企業の活動の結果として変化してきたと認識しているので、そこまでは普通に受け入れられる。で、増田のGoogleキモいは、それが個人や企業の集合ではなく一企業であることに対する違和感だと読んだけど、これで合ってる?後半のクローン技術の会社の例も、そういう生命倫理そのものに変化をもたらすことへの恐怖であるなら理解出来る(自分が恐怖を感じるという意味ではなく、そういったものに恐怖を持つ人がいるのは予見出来るという意味で)けど、それを一社がやることへの恐怖ってのとは違う気がする。通じあえたのかなあ、それ。
ある変化が起きたときに、その変化を推し進めた結果についてイメージ出来ないと恐怖すら感じられない(そしてそのようなイメージを持てる範囲は人によって異なる)という点については同意するけどね。
いやー、Googleストリートビューすごいっすね。正直たまげました。
ストリートビューに対する平均的な反応ってたぶん「すっげーー!!! でもちょっと不気味だな…」ってとこだと思うんですが、個人的には完全に後者です。やれやれ、今度のインデックス対象は三次元空間ですか。人類の進歩と調和の前には個人が被る不利益は無視ですか。今回はなにか踏み越えちゃった感がありますね。すごいよ、Google。キモいよ、Google。
で、そんな気分を当然共有できていると勝手に思い込んで彼女に話をふったらこれが全然通じない。どうも「Googleキモい」ってのが感覚としていまいちピンとこないそうな。
「単なる一企業が、技術と金にものいわせて、世界を変えてってる現状に漠然とした恐怖を感じたりしない?」
「技術変革で生活が変わるのはいつの時代でもそうだよー」
「じゃなくてもっと本質的なさ、Googleが目指す未来に対するディック的な不安ってーの? …つーかなんでわかんないんだよ!」
「全然わかんないよ!!!」
Googleのせいでケンカになりました。 (バカらしいけど、この手の生理的な感覚が伝わらないのはわりと悲しい。そして伝えるのは難しい。)
少し冷静になって、彼女が生命倫理には敏感なのを思い出し、違う方向から攻めてみる。
「例えばさ、こんな会社があったらどう?
“我が社ではクローン技術を元に、画期的な臓器提供システムの事業化に成功いたしました。お客様のDNA情報から作成した万能細胞を使用いたしますので民事的なトラブルが発生するリスクはございません。また、脳の培養は行わないため倫理的な問題もクリアしていると考えております。臓器単体でのオーダーはもちろん、「脳以外のすべてのパーツ」といったオーダーまでお応えが可能です。あなたもぜひ新しい身体で新しい人生を。”
結果。それならわかる、といってもらえた。やっと通じあえた。よかったよかった。(でも実は俺のほうは臓器云々のほうはキモいと思えなくて頭ではわかるんだけど。クローン人間なんて想像するだけでわくわくしちゃう、というのが本音。人として何か欠落してる自覚はあります。)。
学術書なんかだと、頭の悪い文体のレビューは内容に関わらず一切信用せず、真面目に分析しているものだけ信用すれば相当参考になる。なので俺はそういう場合だけ本のレビューも活用してる。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/customer-reviews/4883810321/
★★★★★ 最強の心理戦、最もカゲキな生命倫理 レビュアー: 連九郎 "シャハティ" 指が飛び、目が飛び、内臓が飛ぶ この物語ではつぎつぎと人体がばらされる。しかし、残酷ではない これにはちゃんとした意味がある コンピュータと人の、壮絶な心理戦を書くこの物語には驚くべきカゲキさと、すばらしい感動が待っている。だが結末は言えませぬ・・・ それが作者との約束だから
★☆☆☆☆ これは小説ではない。 レビュアー: CLOVER 友人に薦められたという事と、CMのイメージと、表紙に騙されて、 買いましたが、非常に後悔しています。 感想は、エログロナンセンス。以上。 この本に込められたメッセージを受け取れなかった以上、 感動など湧き上がるはずも無いでしょう。 ちなみに、作者曰く「物語の結末は誰にも伝えないで欲しい」との 事ですが、言われなくとも話せる事など何も無いので、それだけは しないと保証できます。 (とはいえ、感動した人達の気持ちまで否定する気はありませんが) それより、作者は「普段本を読まない人の為に易しく書いた」という ような事を言っていますが、この作者と著書が、本当に、若者達に 人気があり、支持されているというのなら、多少難しい表現や文法を 使ったとしても、手に取ってくれるのではないでしょうか。 それに、活字離れした若者達の読解力が低い事を気にしているのなら、 少しずつ文章の難しさを上げていく事で、作品を楽しんでもらいつつ、 若者達の読解力を高めてゆくというような事は、考えたりはしないの でしょうか。 確かに、活字に触れないよりは、この程度でも触れたほうが良いかも 知れないとも思いますが、製作者側が、そういう工夫や努力もせずに、 ただ「普段本読まない人の為に易しく書いた」というような決まり 文句を掲げているとすれば、著者本人の文法力の無さを誤魔化す為の、 ただの言い訳としか思えません。 言いたい事はまだありますが、なにより、この本を買った自分に腹が 立つので、もうやめておきます。 真っ当な小説が好きな方にはお薦めできるようなものではありません。
この素晴らしい落差! この本のレビューは全部見てみましたが、まともな人による徹底した酷評と、活字離れの最先端にいる人による絶賛が入り乱れております。
ちょっと言い訳だけど、じつは一応ググってはみたんだけど、
門外漢の自分には、どこから考え始めていいかわからなかったんです。
造詣の深い、危篤な人がどこから始めればいいかヒントをくれるんじゃ
ないかと思って、あえて丸投げしてしまいました。
(ついでに言うと、田舎に住んでて、生命倫理とかやや特殊なニーズの
本が手に入りにくいんです。Amazonとかでも買えるけど、その手の
本は高額で、自分の財布の中身を思うと、注文するにはかなりの
勇気がいるので、やはり読むべき本の示唆などももらえたらと思いました。)
幸い、ヒントをくれた人がいたので、「医功利主義」「胎児・新生児」
「応用倫理」とかで手始めにググってみます。
http://anond.hatelabo.jp/20070325045711
だれかフォローしてくれるとありがたいんだけど、もし「超低体重児群の
追跡調査の結果、就学までに、知的/精神/身体障害が発生する事例が
対照群に比べてやたら高かった」なんてことはわかってるのかな?
(なんか、そういう研究って倫理的に問題ありそうだから、そもそも研究に
「超低体重児 追跡調査」でぐぐったら一発で出てきたぞ。
追記。
http://anond.hatelabo.jp/20070325104401
ちょっと言い訳だけど、じつは一応ググってはみたんだけど、
門外漢の自分には、どこから考え始めていいかわからなかったんです。
それは失礼。できれば最初からそう書いてもらえると助かる。
悪いけど生命倫理とかその辺に造詣の深い人じゃないのでこれで終了。
頑張ってね。