はてなキーワード: ヒストリーとは
毎度毎度ネット文字創作界隈をお騒がせすることで有名な、「名興文庫」およびその「相談役」。
(詳しく説明するのは面倒なので、知らない人は「名興文庫」「本格ファンタジー」「ダークスレイヤー」あたりでツイッター検索をかけてもらえば、何となくその立ち位置が分かってもらえると思う)
今回は、日本において「本格ファンタジー」が根付くはずの土壌をラノベが破壊してしまった、という歴史認識を巡って学芸員の鞍馬アリス@kurama_fantasy氏と論戦を繰り広げているようだが、その中でこんな発言が出てきた。
ttps://twitter.com/kurama_fantasy/status/1698847925580022266
@kurama_fantasy
最初から土台をなしにされたと言うことを、歴史的な史料(当該時期の雑誌、新聞、評論、研究、書簡類、出版に関わる統計資料等、あるいは当事者の証言であるオーラル・ヒストリーを含んでいます)などを組み合わせて実証的に証明できないのであれば、デマや陰謀論の類と同じ価値しかないと思います。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1698849563380236367
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
ライトノベル宣言が出た頃の話と、先日私が引用していたファンタジーノベル大賞の『ヒロイックファンタジーは採用しない』という公言。
これによって長く一般小説に一ジャンルとしての本格的なファンタジーの土台がなくなったというただの事実を、わざわざ長い時間をかけて検証するのはあなたの自由ですよ。
一般的に「ライトノベル宣言」として知られるもの、そして「ライトノベル宣言」でググってトップに出てくるのは、「角川武蔵野ミュージアム」内の「マンガ・ラノベ図書館」で掲示されている、メディアワークスの創業者にして元角川書店社長の角川歴彦氏による文章だ。
ttps://kadcul.com/manga_light_novel_library
作家夏目漱石を代表とする近代文学は昭和期に入って純文学と大衆小説に分かれ多様に発展したが、 気がつけば名著名作として現代国語の教科書内の存在になっていた。 しかし青春文学を求めるヤングアダルトといわれる若者層はいつしか自分が選ぶ小説・文学の登場を渇望していたのであった。 ライトノベルは青春期の少年少女が与えられた本に満足せず、自分の意志で手に取る最初の本である。
ライトノベルの起源はイギリスの“円卓の騎士”や『指輪物語』から影響を受け、RPGリプレイから生れた『ロードス島戦記』だ。 座を囲んだプレイヤーの数だけ豊かな物語を紡ぐことのできるゲームから水野良は小説『ロードス島戦記』を誕生させた。
(このラノベの起源=ロードス説にもついても一部で議論が存在するが、今回の件とは関係がないので無視する)
実際鞍馬アリス氏も、「ライトノベル宣言」がマンガ・ラノベ図書館のこの文章であると解釈して話を進めている。
ttps://twitter.com/kurama_fantasy/status/1698903493632036891
@kurama_fantasy
前者はマンガ・ラノベ図書館開館によせて作成されたテクストであるかと思いますが、角川歴彦名義で角川書店がライトノベルというものをどのように発表時点で認識し、総括しているかは書いてありますが、本格ファンタジーとの関係性に関してはロードス島の部分以外では書かれていないテクストです。
これだけで決着が付きそうなところではあるが、相談役氏の過去ツイートおよび、執筆者不詳だが十中八九相談役氏が書いたと思われる名興文庫のコラムを見てみると、「ライトノベル宣言」について以下のように語られている。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1463850316441415687
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
くっそー、ファンノベ大賞が出た時の嫌な感じが30年かけて伏線回収されるなんて。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1482181140610191362
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
世の中、小説なんてほぼ一生読まない人が大半なのに、そんな人たちも読めるような小説を出してお金にするなら、テーマも難しい表現もとことん取っ払ってディスポーザブルなモデルにするしかない。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1482182010928250880
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
しかし、ライトノベルを始めた頃の出版社は、それが世の中だと知らなかった。
そりゃそうだ。小説界隈の人たちは自分たちが造り酒屋やウイスキーのブリュワリーだと思ってたんだもの。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1482182689008467969
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
『初期のラノベがしっかりしてた』ってな言説は、それがウイスキー(小説)のエッセンスがそこそこに含まれていたからだ。
でも、水割りが売れ始めたので、某出版社が『これからはウイスキーだけじゃなくて水割りを真面目に売る!』って宣言したのよね。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1490340592727228417
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
カドカワがロードス島戦記をもって『ライトノベル宣言』をしたことによって、日本のファンタジーはある意味呪われてしまいました。
今や本格的なファンタジーのレーベルは無く、全てライトノベルです。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1568797511976091648
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
カドカワの『ライトノベル宣言』の切欠がロードス島戦記ですから。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1581241393715957760
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
KAZUさんはとても理性的に話せる人なので少し面白い話をすると、某社がライトノベル宣言を出した時に、ファンタジーにある区切りが発生してしまったのですよ。
私としてはライトと一般のファンタジーを明確に分けるか、いっそライトって呼称をもう無くして欲しいと思っています。構成が大変で。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1599779249946517505
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
年代的にはあの頃ですね。
まだラノベって言葉が無くて、ゲーム界隈で高まってたファンタジーへの認知がロードス島戦記で解放されて、ライトノベル宣言が為されたころまでですね。
私は本来のファンタジーを希望する~本格ファンタジーとは何か~ | 名興文庫
ttps://www.naocoshibunko.com/column004/
少し過去にさかのぼって説明しよう。『ロードス島戦記』の爆発的なヒットでカドカワが『ライトノベル宣言』を出してライトノベルの時代が明確になり始めるころ、それ以前は『ファンタジーノベル』と呼ばれていた作品群もライトノベルの前期と分類されるようになったが、この時期に新潮社が『ファンタジーをテーマにした文学賞』というコンセプトで『日本ファンタジーノベル大賞』を開始した。
お分かりだろうか。
この二点を前提にする限りは、相談役氏の言う「ライトノベル宣言」が、マンガ・ラノベ図書館の同名文章を指しているとは考えにくい(ラノベ図書館のオープンは2020年8月)
では、相談役氏の言う「ライトノベル宣言」とはいったい何なのだろうか?
「ライトノベル宣言」をダブルクォーテーションでかこってググってみても、マンガ・ラノベ図書館関連以外はほとんどヒットしない(冲方丁の「最後のライトノベル宣言」ぐらい)
こうなると、相談役氏の言う「ライトノベル宣言」は、一般的には「ライトノベル宣言」とは呼ばれていないものを指している可能性が高い(そもそも実在しない可能性はとりあえず考えない)
実際、上で引用したツイートの中にも「いわゆるライトノベル宣言」という表現がある。また、そもそも読者発の「ライトノベル」というジャンル名を出版社側がおおっぴらに使い始めたのはだいぶ後になってからのことである、という事実はラノベ史を少しでもかじったことのある人間には常識だ。
実質的な「ライトノベル宣言」に該当しそうな候補としては何があるだろうか。少し考えて真っ先に思いついたのは、「電撃文庫創刊に際して」だ。
ttps://sai-zen-sen.jp/editors/blog/works/4-9.html
電撃文庫創刊に際して
文庫は、我が国にとどまらず、世界の書籍の流れのなかで〝小さな巨人”としての地位を築いてきた。古今東西の名著を、廉価で手に入りやすい形で提供してきたからこそ、人は文庫を自分の師として、また青春の想い出として、語りついできたのである。
その源を、文化的にはドイツのレクラム文庫に求めるにせよ、規模の上でイギリスのペンギンブックスに求めるにせよ、いま文庫は知識人の層の多様化に従って、ますますその意義を大きくしていると言ってよい。
文庫出版の意味するものは、激動の現代のみならず将来にわたって、大きくなることはあっても、小さくなることはないだろう。
「電撃文庫」は、そのように多様化した対象に応え、歴史に耐えうる作品を収録するのはもちろん、新しい世紀を迎えるにあたって、既成の枠をこえる新鮮で強烈なアイ・オープナーたりたい。
その特異さ故に、この存在は、かつて文庫がはじめて出版世界に登場したときと、同じ戸惑いを読書人に与えるかもしれない。
しかし、〈Changing Time,Changing Publishing〉時代は変わって、出版も変わる。時を重ねるなかで、精神の糧として、心の一隅を占めるものとして、次なる文化の担い手の若者たちに確かな評価を得られると信じて、ここに「電撃文庫」を出版する。
電撃文庫の巻末には必ず掲載されているこの文章(現在もあるのかは知らない)。ラノベを読んでいた人間なら、一度は目にしたことがあるだろう。
「レクラム文庫」「ペンギンブックス」「アイ・オープナーたりたい」などを意味も分からぬままマネして遊んでいた人も多いのではないか(その馴染み深さから、昨年、角川歴彦氏が逮捕された際にツイッターで擦られまくったことも記憶に新しい)
この文章の執筆者は、ラノベ図書館の「ライトノベル宣言」と同じく、当時メディアワークス社長だった角川歴彦氏である。というより、「Changing Time, Changing Publishing.」というフレーズが共通しているところを見ても、セルフオマージュというか、令和版「電撃文庫創刊に際して」として「ライトノベル宣言」が書かれたフシすらある。
逆に言うと、「電撃文庫創刊に際して」は平成版「ライトノベル宣言」である、と言えなくもないのではないか。
「ライトノベル」という用語自体が文中に存在しないのはもちろん、概念的にも直接ラノベに触れているとは言い難い内容ではあるが、他文庫の派生ではない純粋なラノベレーベルの中では恐らく初めての「発刊の辞」という意味でも、「実質的ライトノベル宣言」らしさはある。
この説でネックとなるのは、電撃文庫創刊時のメディアワークスは一応「角川」ではないということと、ラノベ以上に「本格ファンタジー」うんぬんとは全く関係がないという点だろうか。
仮説1と言っておきながら、2以降は思いつかなかった。尻切れトンボの検証で申し訳ない。
なんとなく、角川のファンタジーフェアやスニーカーの創刊あたりにも何かそれっぽい文章がありそうな気もするが……情報や仮説をお持ちの方は、トラバやブコメなどでこちらにお寄せいただきたい。
そんなの本人に聞けば済むことだろうと素人は思うかもしれないが、経験上、件の人物がこの手の問題についてまともに答えることはまずない。そのため、こちら側で勝手に調査して結論を出す方がかえって手っ取り早いのだ。
それから、せっかく見つけたのでついでに言及しておくと、こちらの東浩紀と桜坂洋と新城カズマの鼎談では、(相談役氏がいうところの)「ライトノベル宣言」とはむしろ真逆の歴史認識が示されている。
ttp://www.hajou.org/geetstate/cm70/hb_pp20-23.pdf
東 とはいえ、ライトノベルが崩壊するといっても、実はライトノベルの外延そのものが確定していない。SF だったら、SF 作家クラブがあって、福島正実が創刊した『SF マガジン』の歴史があって、ジャンルとしての基盤がはっきりしている。だから、SF が崩壊するといってもイメージが湧きやすいんだけど、それに対してライトノベルはどうか。例えば、安田均や水野良が集まってライトノベル宣言をしたわけでもないし、機関誌が創刊されたわけでもない。そこで決定的に違うと思うんですよね
インターネットは特別な資格なしに誰もが自由に発言できる空間である。それは明らかに大きな美点だ。
だが、何の気なしに発した曖昧な内容が、他の人間に検証・裏どりの多大な手間をかけさせてしまうこともある。
そこで空費される本来不要だったはずの労力について、全員が一度は考えてみてもらいたい。あなたにとってはどうでもいい話題の一つに過ぎなくても、そうではない人間がいる場合もあるのだ。ましてや、その道に詳しい専門家のような顔で情報発信するならなおさらである。
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「お前が呑気に実家暮らしの女学生の身分で音楽などやっていられるのは誰のお陰だ」
という言葉は、学費と生活費を人質にとった恫喝だとも思った。口喧嘩なんかしたくもないから細心の注意をはらって生きてたのに。
大学を休学し、女子大生というアドバンテージを使って水商売で働けば一人暮らしの生活費と、あと1年分の学費を貯めることなどチョロいだろう、そう思っていたが、その見通しは甘かった。
そもそもコロナ禍で飲食業は店を閉め、風俗業も同様で客足が途絶えていた。そして少ない客を奪い合っていたからか、働き始めたキャバクラでは現実の厳しさを味わっていた。
売上No.1の嬢は女王様として君臨し、それに付き従う子分の女がいて、悪口、陰口、ちょっとした意地悪、接客の妨害といった小さな棘のような攻撃を女王様と子分からチマチマと食らうのに辟易していて、周りの女たちも庇ってくれることはなかった。
常連客の威張り散らして自慢話ばかりの禿げた社長に「寂しいから会いに来て」とLINEするのもアホらしくてやってられず、旅館の娘なのにサービス業がまったく向いていなかった。そもそもそれほど器量が良い方ではないということも改めて思い知らされた。
結局、職場と住処を幾つか変わり、大阪、東大阪のスナックでカウンターレディとして働いていた頃には大学を休学し実家を飛び出してからニ年ほどが過ぎていた。それでも大学に戻るつもりではいたから、何度失ったって取り返してみせるよ、と思っていたし、偉そうな社長が高級腕時計を見せびらかしながら話すねちっこいエロ話より工場労働者の陽気なシモネタの方が笑えて楽しかった。アパートから近鉄電車で二つ向こうの駅には司馬遼太郎記念館もあった。
京都時代は実名で活動していて、雑にピックアップを埋め込んだアコギを掻き鳴らして電子的に変調した爆音ギターにのせてフォークを歌うというスタイルだったが、休学して一人暮らしを始めてからは音楽どころではなかった。
一度、東京のハードコアバンドにVoで誘われたこともあったが、パンクというものは中央にいてはならぬ、周縁にいて少数派として生きねばならぬ、と頑なに思っていたのでそれも断ったのだ。
だが、遂には名前を変え「東大阪半日夢想沿線」という名で電子楽器によって幻想的で悪意のこもった電子雑音を奏でるスタイルで活動を再開した。激しいライブアクションのせいで機材はすぐに壊れてしまうから楽器は日本橋の中古屋で安物ばかりを揃えた。
再開した音楽活動は客こそ少なかったが手応えはあった。しかし名前を名乗るとギョッとする者もおり、また年配の人物に「極左テロリストの名前などを元ネタにして、被害を受けた人や家族が知ったらどう思うのか」と指摘され、己の軽率さを悔い、この名前を名乗ることも音楽活動も中断してしまったのだった。
そんな折に近鉄布施駅の近くで垢じみてうずくまっている女がいるのを見掛け、若いのにホームレスだろうかと目が釘付けになっていると、その女がこちらを見つけて「金を貸して欲しい」と近付いてきた。よく見ると女は女王様に金魚のフンのようにくっついていた子分の女、ジュリだった。
話を聞くと、女王様は客だった起業家と名乗る男に入れあげてしまって、男が何をしでかしたのかフィリピンに逃亡すると女王様も後を追って行ってしまったのだという。女王様がいなくなるとジュリはたちまち他の嬢からいじめられるようになり、店を辞め、あれやこれやがあって住む家もなくなってしまったのだった。
散々意地悪された女だったが、彼女が弱さゆえに強い者に媚び付き従っていたことや、色んなことを我慢している女は強くて奔放な女に憧れてしまうことをアキコは薄々知っていたから哀れに思い、数日なら部屋に居てもよいと伝えた。そういう女は痛みにとっても弱いから。ジュリは泣きながら今まで自分がしてきたことを侘びた。
ジュリは意外と生真面目で、アキコが仕事から帰るときちんと部屋を掃除してくれていて、冷蔵庫にあるもので食事なども用意してくれた。そしてある日、部屋に帰るとジュリは開け放った窓に向かってアキコのギターを爪弾いていて、それはラジオからよく流れてくるOfficail髭男dismの曲だった。
アキコは脳内で火花が散って、ジュリにバンド結成を持ちかけた。バンドをやるならまだ部屋にいてもいいと交換条件もつけた。ジュリは喜んで同意し、よくよく話を聞くと中学時代は軽音楽部であったらしい。そして中学を卒業してから家を出て働き始め、ひょんなことから女王様と知り合い水商売で働くようになったのだという。隠し事だらけ継ぎ接ぎだらけの一人で心細く生きていた女が筋の悪い人物をメンターだと思い込むことはよくあることだ。そして年上だとばかり思っていたが、ひとつ年下だということもようやく知ったのだった。
早速近所のハードオフに行ってエレキギターとベースを見繕って一番安い激安の物を購入した。ジュリがヒゲダンを爪弾いていたことから、今度はポップなものをやってやろうと思い、それらしい曲を捻り出したが、アキコはベース初心者でジュリもギターはブランクがあり、リズムは安物の電子楽器だったので、劣化したビッグ・ブラック、初期の少年ナイフからも百万光年離れているような、やさぐれパンク以下の酷い感じにしかならなかったが、それは初期衝動ゆえであると宣言することで自分たちを納得させた。バンド名もOfficial髭男dismの名前を反転したような、公式に対して無法、髭に対して女の装飾の象徴である爪、そしてダンディズムという一流の男に対して二流や二等、二級品という意味を冠して、Lawless爪Second-Classと名付けた。何事もうまくいっていない自分たちにはお似合いの名前だと二人で笑いあった。
数曲をでっちあげ、今度はPOPなロックをやるのだと意気込んで、アングラ凶悪バンドが演奏しないような阿倍野にあった小洒落たライブハウスのオーディションを受けた。
「まあええんちゃう?」という曖昧な判定だったが、出演はさせてもらえることになった。
阿倍野のライブハウスに出入りするようになると、女二人だと色んな男が声をかけてくる。なぜならカワイイ系のアクションがジュリはとてつもなく上手かったから。でも音楽好きやバンド仲間だと思えば話も弾むが口説かれたりするのは面倒だった。しかしこっちはキャバで修行した身だ。うまくかわしていたし、ジュリはその辺りの身のこなしも上手かった。それでも面倒くさい人物もいた。
そのライブハウスに出入りするベテランのブルースマンで、最初は何かと世話を焼いてくれる風に近付いてきたが、だんだんと遠慮がなくなってきて、あれやこれやと説教をするようになっていった。相手をしているとイライラしてくる。なぜこうなのか。ワガママ放題大人たち。どうして若い女は何も知らないと思っているのか。
ある日、演奏を終えて楽屋に戻ると、当日は出演者でもないのに例のブルースマンが楽屋でくつろいでいて、アキコとジュリの楽器を値踏みし
「もっと良い楽器を使わないとだめだ」みたいなことを言い出す。そしてなぜか自分の黒いギターを持ってきていて、それを引っ張り出し
「50sのフェンダー・ストラトキャスター、クラプトンもこのモデルを使っている」などとウンチクをたれ始めた。
もう鬱陶しくて堪らなかった。怒りがふつふつと湧き起こってアキコはそれを抑えきれなくなり、そのストラトを奪い取るとネックを持って大きく振りかぶり思い切り壁に叩きつけてやった。その場にいた他の人間も唖然として誰も声を出せず、壁の石膏ボードには大きな穴があき、ストラトのネックは折れて弦だけがブラブラしている。アキコも放心状態で、これは殴られるなと覚悟した。
しかしジュリが咄嗟にアキコの腕を掴んで強引に引っ張りそのまま駆け出した。そしてそのまま店を出て走って、ずっとずっと走り続けて、ひた走る道路にはもう街灯さえないけれど、新今宮の駅の辺りまで走り続けて、やっともういいだろうと立ち止まって、息が切れて苦しかったけれど二人で顔を見合わせて死ぬほど笑った。嘘じゃない泥だらけの笑顔。ギターもベースも置きっぱなしだったけれど取りに行くつもりもなかったし、大して惜しくもなかった。
その後ブルースマンはアキコを訴えて、結局アキコは和解を受け入れた。調停の場でブルースマンの代理人弁護士に
「無法なんて名乗っているけれど法は法なので、賠償金の支払いはお願いしますよ」
と嫌味を言われたのが忘れられない。アキコは感情のないアイムソーリーだけを告げた。
もう大学に戻ることはないと薄っすら思っていたが、なんだか心の拠り所のようではあったので貯金はしていた。けれど、破壊したビンテージギターのせいで全てが消え失せてしまった。
しかし、やがてその話は噂になって、どうやら凶悪な女パンクのバンドがいるらしい、他人の高価なビンテージギターをぶち壊して平然としているような奴らしい、以前「東大阪半日夢想沿線」という不埒な名前でやっていた話の通じない女らしい、とその他あることないこと尾ひれ背びれもついて伝わっていった。まるで魔法のように簡単に広まってく噂話。お陰で奇特な人やバンドから少しばかり対バンの話も貰えるようになった。
アキコは今も近鉄電車の傍のアパートに住んでいて、ジュリも未だにアキコの部屋に居候している。貯金もなくなり、もう大学に戻ることはないだろうし、カウンターレデイの仕事は先の見通しもなく、何も状況は変わっていなかったが、それでも二級品なりになんとかやっていくしかないとアキコは思っていた。
「clear conversations」ってなにかな?って押してみたら「はい!」「いいえ!」も訊かれずにそっと全部消えてしまいました。
なんかそう言う時はポールモーリアベスト全集でも聞くかーってなるけど、
検索してみたらなんか動画音声がたくさん出てきてこの人はフリー素材なの?って思わず思っちゃうレヴェルよ。
学習の仕方とかはまがGPT-4ちゃんすぐ覚えてくれるからいいんだけど、
恐らく同じ文言一句一語と一緒のことは言えないまさに一期一会苺食らわば皿までもってモットーを掲げなくちゃいけないのよね。
本当にうっかりしてたわー。
クールポコさん的に言うと
なぁーにー!やっちまったなー!って感じかしら。
画面を閉じちゃったら音も消えない?それがネックなのよね。
でもさ、
ポールモーリアのベスト全曲集を何があるのか出てきたものの羅列の種類の多さがすごくていったいぜんたいポールモーリアベストって何が本当のベストなのか山脈に向かってヤッホー!って叫びたいわ。
MAXIMUMコレクションなのかヒストリーなのかパーフェクトベストなのかニューエディションマキシマムヒッツなのか
織田裕二さんのラブサムバディしか入ってないラブサムバディ完全版よりタチが悪いわ。
まあとりあえず、
そんなこんなこの気持ちはさすがに今流行のAIじゃ割り切れないわよ。
それとなんかちょっとずつ忙しくなってきたので、
やっぱりちょっとポールモーリア全曲集は人生にいくつかは必要なようね。
もうさ、
ぱぱっと仕事終わらせちゃって
うふふ。
久しぶりにお店に寄ってみてまあいつものハムタマゴサンドなんだけど、
あとホッツヒーコーもね。
まだホッツがいいけど、
だんだんと暖かくなってきてホッツからクールに変わったときがポコだわ。
やっちまったなー!って
思い出したけど、
水出しルイボスティーウォーラーもいよいよ季節到来の準備だわ。
1回水出しよりも
より成分が抽出される力が強そうな感じの煮出してみてポテンシャルを発揮出来るようにしてつくる
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
以下のくだりが、とても印象的だった。
その時にわたしの出身地の名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。
その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分も神戸出身でさ」と言われた。
恥ずかしい話、「神戸出身だから」と言われて私は何も分からなかった。
私は自分が地震と津波の被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。
「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。
その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。
自分だけが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。
ただ、被害者という言葉で共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災を経験したひとと、東日本大震災を経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験の共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの。
多分、増田は上記の言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。
ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマの性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北のもっとも大きな漁港のひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社と生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。
しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。
他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年の津波の前から漁港で生計を営んでいた。1933年の津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所で人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波の記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前、東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。
大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人の末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家筋からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉で自身のつらみを含ませて表現したのだった。
父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情。
個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。
たとえ、誰と震災の経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。
震災を経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波の破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。
こうしたファミリーヒストリーな視点でそれぞれの思いがある一方で、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
という上司の言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロな視点での気づきをもたらすのも災害だ。
そして、それが何かの理由で、自分自身のファミリーヒストリーや神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分のある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマのなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。
実をいうと、よりマクロな視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性が被害を増幅させている、という視点を最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。
1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理の文脈で救援対象として、比較的ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市の社会構造の脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年の震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災が自分が仕事として防災の世界に入るきっかけを作った。
神戸の都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入、低所得層が脆弱な埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀の鉄道の時代に入ると、阪神間の交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地に住宅地を建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代、都市の生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸の産業のシンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者、低所得者ばかりとなった(インナーシティの形成)。
これに対して1980年代、神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済の再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設、物流機能強化のための明石大橋建設、最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。
その一方、社会の脆弱層への支援、行政による市街地の再生は後手に回っていた。
オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域、長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地(長田区のスラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったかは番町地区で検索をしてほしい。
このような経済格差や脆弱性が生み出された、マクロな構造変動のなかで襲ったのが1995年の大地震であり、被害が社会経済的に脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。
社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害が高齢者、低所得者に集中したのは、ある意味、歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロな政治的・経済的な動向と切り離せないということだ。
そして、このような格差や脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコとシリアの大地震でも、当てはめることができる。
このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつのきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。
パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。
また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロな特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっとも重要なエントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。
だから、トルコとシリアで現在進行形の震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロな視点で、特定の家族や地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGOや支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係でSNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権が物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分が支援したお金が支援先の一家族あたりの支援額(しかも第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。
そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。
というのは、居酒屋のトイレの洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。
災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。
https://anond.hatelabo.jp/20230227141843 で、
本文・トラバ・ブコメで言及されていたチャンネルのリストです。
AnonymousDiaryでは、10個以上のリンクは張れないが、はてな記法をつかえばいけると聞いて、小細工してみました。
投稿できていれば幸い。
ジャンルはよく分からなかったので、適当に入れているものも多いです。よく分からなかったら雑学です。
健康情報を扱っているもの、言及先のチャンネルが分からなかったものは除外しました。
Cabernetさんの動画数は、多くがゲーム実況だったので、歴史解説系の動画数を()の中に記載しています。
・初ベスティア
音がいい気がする?
足踏みの音とかボールが弾む音とか
合っててすごくよかった
すごく面白かった
・キャラがみんなかっこよかった
好まれそうだな」って思ってた主役扱いで驚いた
「流石に映画だし負けることはないと思うが
負けエンドも微レ存…?」って
・最後の5秒の息を止めるような緊張感すご
主人公や…
・流川くんの顔が出るたびに
いちいち「おお…顔がいい…」ってなった
カッコイイし見てよかった
(視聴理由→
たくなった
(花流と流花は逆カプ界隈が仲良しだったという
当時の話を知ってたから当時一斉を風靡した
できなくなっていたんじゃ
ハマってたじゃろうな)
見させて頂いてどうなっちまうんだ…
良すぎて2回めIMAXでみた
漫画も読み始めた
世代のスポーツ漫画つながりでアイシールド21を読みたくなった
20230410に3回目みた
多分これで見納め
1回目は検索未読
2回目は原作4.5巻辺りまで
原作見終わってからだとOPの「う、うわああ!井上雄彦先生の絵が動いてるゥー!」感がひとしおでこれ原作リアタイしてたら尚更だし羨ましいな〜!と思った
50代の団塊ジュニア。
最初のスタジオライブのパートはイマイチだったんだけど、会場が変わって音も良くなってからは世界に没入したよ。
中島みゆきの歌は歳を重ねる毎に深みを感じて聴けるようになるのは何なんだろうね?
美男美女のキラキラしたファンタジーじゃなくて、さえないおっさんとくたびれたおばさんの姿が浮かぶんだけど深い愛情があるのがわかる。
ラストの誕生なんかは亡くなった母を思い出して涙が止まらなかった。
最後の方で中島みゆきさんの年相応のしかし優しそうなすっぴんの姿が出てくるんだけど、自分達ももうそういう年齢なんだと切なくなってくる。
楽しかった〜
今年読み始めたもの、ずっと読んでるけど今年特に面白かったもの、今年読み返したものなど思いついた順
・千年狐
絵がうまい
・女の園の星
孤島の鬼の作中舞台劇良かった
面白かった!
作者同い年で震えたね…
・天国大魔境
映像で見るの楽しみ〜
なんとなくデッドマンワンダーランド読み返したくなった
SCPも出てくる 令和の小学生羨ましいな〜
絵が上手い
・全部ぶっ壊す
一生続いて欲しい
・アンテン様の腹の中
・サエイズム
自由を感じる
今満を辞して主人公が強くなろうとしている
頑張って欲しい
・じゃあ、君の代わりに殺そうか?
・往生際の意味を知れ!
怖い
絵が上手い
中学の頃…って語り出すやつを毎話やる
・ブランクスペース
今年完結!超良かったです
・花野井君と恋の病
高校生達のカウンセリング能力とコミュニュケーション能力が高すぎる
今年一番好きなラブコメ
主人公の成長に伴いコメ欄書き込み層がエチに興奮するキッズ(概念)から少年少女の成長を見守るおばさま(概念)に移行していくのも見所
・湯神くんは友達が少ない
なんか品がいい
・氷の城壁
絵が上手い 楽しみ
まだジェットコースターのタメの部分
ずっとロックフェスやってるけどもしやそろそろ終わってしまう?
絵が好き
・宝石の国
作者の人3年くらい音沙汰なかったから再開してうれしい
最新刊はア〜〜〜となったけど最新話は好き
・ひとりでしにたい
ためになる
Twitterで感想見ようとすると毎回東京自殺防止センターが話きこか?してくる
・まじめな会社員
普段目を逸らして生きてること全部書いてあって嫌だったけど怖いもの見たさで全部読んだ
・模型の町
淡々とほぼ毎年出してくれてありがたい
足摺り発売時からずっと唯一全巻紙で買ってるかも
・血海のノア
第二部に続く!と思ったら続かなかった…
クソデカ船と人外に追い詰められる人間とっょぃょぅじょはなんぼあってもいいですからね
・裏バイト
質が良い
・昨日、君が死んだ。
なんかすごい世界観だった
・鬱ごはん
他人事とは思えない
こんな話だったな〜と思った
・モブサイコ100
読み返した
・ちいかわ
あのこ
・あかね囃
大変なことになったけど元気そうで良かった
・みなそこにて
お母さんがずっと優しい回の話が本当に辛かった
絵が上手い
読み返したくて全巻大人買いした
大変なことになってきた
完結した 良かったな〜
できれば人外(もしくは人外レベルに破天荒な人間)と普通人間のバディものがもっと読みたいですね〜
ますだのうた
LINEの通知を受け取るたびに
何を言えばいいのかわからなくなって
既読をつけるのが怖くなったんだ
本当はひとりでいたかったんだ
アカウントだとしたら
私はそれをとても憎むんだ
こんなのは私じゃないって
言いたくても言えないから
真っ直ぐ後ろ向いて吐き出したら
トラバがついた
再投稿?教えないよ?
あんた誰?私の何なんだ?
偉そうに長文コメ
そんな場所がここだったんだ
誰にでもある当たり前の感情
言いたいこと言いまくったら
世界が変わったよ
反応はたくさんあったけど
私の居場所はどこにもなかった
こんなのは私じゃないって
言いたくても言えないから
真っ直ぐ前を向いて叫んでも
声が枯れるだけ
あんた誰?私の何なんだ?
私は大好きだよ
みんなみんなが大好きなんだ
仮面の下を覗き込んだら
真っ暗な灯りだけが見えた
希望なんてない
夢なんてもっとない
書きなぐる
書き込み続けるんだ
真っ直ぐ後ろ向いて吐き出したら
トラバがついた
再投稿?教えないよ?
あんた誰?私の何なんだ?
偉そうに長文コメ
そんな場所がここだったんだ
誰にでもある当たり前の感情
愛しきヒストリー
哀しきアイロニー
バンド名を考えるのが好きなんです。
ハードコアが好きなので「DEAD KENNEDYS」をもじって「デッド角栄ズ」とか。でもケネディーと田中角栄を同列に持ってくるのはどうなんだろ、とか思ったりもしてしまう。功績が違うよね。なんだか殺害塩化ビニールのバンドみたいな感じにもなっちゃうし。
そのバンド名だったらどんな音楽性だろ、とか、どんなバンドヒストリーがあるんだろみたいなことも妄想してしまう。
デッド角栄ズは、バリバリのジャパコアでデッケネに影響受けてるのは当然なんだけど、HIS HERO IS GONEなんかも好きで、ハードコアの音表現を寡黙に追求しているバンドなの。ライブは客が暴れ倒して毎回暴動寸前みたいに盛り上がって、その音源は海外でも認められたりして、USツアーの敢行によってその評価を不動のものにした、みたいなこともあったりして、ある種伝説のようになるの。
でもね、ベースがある日「俺、ほんとはaikoとか好きやねん」とか言い出してバンドは崩壊するかと思われたの。でも意外とメンバー全員「aiko良いよな」みたいな告白というか懺悔みたいになって、じゃあってことで、そっち方面でバンドの新しい方向性を模索し始めるの。でも、デスボイスでaikoを表現することにはやはり無理があって、メンバー全員「最初から分かってたけどやっぱり無理か」みたいになっちゃうの。
で、どうするかというと、やっぱり可愛い女の子のボーカルじゃないとあの世界観は再現できないという結論に達するわけ。メンバー全員最初から薄々分かってたけど。なのでボーカルを探すわけ。色んなライブハウスに行って良いボーカルがいないか探すの。地下アイドルのライブにまで足を運んじゃったりして。そしてやっと見つけるの。アコギ一本でやってるあいみょんみたいなSSWを。
なので彼女を口説いて新バンドを結成するわけ。バンド名は「akiko」。初期の和田アキ子のような黒いグルーブも取り入れたいみたいな欲張った感じで。
でもね、男所帯に女子が混ざっちゃうとお決まりの恋愛沙汰みたいなのがあったりして、バンドは崩壊しちゃうんだ。残念だけどね。
で、メンバーは何年も音楽から離れてしまうんだけど、ある日、高円寺の居酒屋で偶然遭遇したVoとGuが「もう一度ハードコアがやりたい」という気持ちを吐露し合ってバラバラになった角栄ズは再結集するの。それまでの数年間、音楽を演りたいと思いつつもできなかったフラストレーションが一気に放たれることによって、その演奏は鬼気迫るものがあったわけ。角栄ズ再結成は話題になり、ライブには、すでにアラフォーになっていた過去のファンも、伝説を目撃したいという若きパンクスたちも集まって凄いことになるの。十数年ぶりに録音したアルバムもその話題性と音楽性で新たな伝説になったりして。
で、行川和彦氏監修のハードコア・ディスクガイド本に、このアルバムは
と紹介されたりするの。