はてなキーワード: 歴史的とは
だから、尊敬の念も無いのにわざわざ生き残らせておく必要がどこにあるの?
子供を皆が大事にするのはそれが人間としての存続に重要だからだけど、
老人を残す意味をきちんと考えて要らない、となったら姨捨山制度を作るだけじゃん?
それが合理的でしょ?
考え方が怖すぎます。貴方の考えは尊敬出来ない弱い人物は殺してしまえという事です。
尊敬の念がなくなるとそういう考え方になってしまう人もいるんですね。
私は違います。尊敬出来ない弱い人物でも殺してしまえとは思いません。
「親を尊敬することを強制するな」というが、逆に誰がどう強制してる?法的に強制されてるか?違うだろ?そういう社会だ、というだけだ。
社会としてその方が上手く回ってるから。社会としてはそこに反するものを除外したい。
それはどんなものでも一緒。
なぜ勝手な事が言えるかといえば、貴方の言葉を借りれば法的に強制されている事ではないからです。
つまりモラルの、貴方の言葉を借りれば、そういう社会だから、という話なわけです。やっと分かってくれて嬉しいです。
貴方は常識はやがて悪習になると言いますが、私は悪習となってほしくはないです。消えて欲しいです。
まあ貴方のように悪習になって欲しいという方もいるのでしょうが。。
例えばリアルであれば職場の宴会の席であったり、お盆年末の帰省時です。ネットであれば親を批判するトピックに対しては必ずといっていい程「親感謝教信者」が書き込みをします。
これを誰が強制している?というならそれ以上言うことはありません。認識がズレすぎていますし、私の言葉は残念ながら届かないでしょう。
何度も言うようですが、私の意見を勝手に捻じ曲げないで頂きたい。
当たり前のことに対して感謝することが一切不要だとは思いません。
まあ、説教なんて相手を屈服させることを前提とするコミュニケーションですし、無茶苦茶でも良いですが注意書き位はしましょう。
というように、不要だと断じてはいません。尊敬したい人はどうぞしてください。
しかし、私の考えは違います、というお話です。1人1人考えが違うのは当たり前ですよね(もしかして皆同じなんですか。。)
すいません、貴方には長い文章だったかもしれません。また間違った解釈されても困るので書き直します。
お前の言ってることは、「親を尊敬しないのが当たり前の世界になってほしい」ということだ。
それを違うというのか?
そうでないなら、「ぼくだけはおやをそんけいしないがおまえらはそんけいしろ」の世界になるだろ?
どっちなんだよ。
そこはっきりしろよ。。
どういう世界ならお前は満足するんだ?
違います。
私は「親を尊敬するのは常識なのだからお前もそうしろという圧力は必要ない」と言っている訳です。何度もはっきり言っています。むしろ最初に言っています。
だから、尊敬の念も無いのにわざわざ生き残らせておく必要がどこにあるの?
子供を皆が大事にするのはそれが人間としての存続に重要だからだけど、
老人を残す意味をきちんと考えて要らない、となったら姨捨山制度を作るだけじゃん?
それが合理的でしょ?
自分が生き延びたいだけでやるなら、単なる恐怖に縛られた社会になるよな?
「親を尊敬することを強制するな」というが、逆に誰がどう強制してる?法的に強制されてるか?違うだろ?そういう社会だ、というだけだ。
社会としてその方が上手く回ってるから。社会としてはそこに反するものを除外したい。
それはどんなものでも一緒。
勿論、歴史的に見れば、その社会の「常識」が間違ってることはいくらでもある。
お前の言ってることは、「親を尊敬しないのが当たり前の世界になってほしい」ということだ。
それを違うというのか?
そうでないなら、「ぼくだけはおやをそんけいしないがおまえらはそんけいしろ」の世界になるだろ?
どっちなんだよ。
そこはっきりしろよ。
どういう世界ならお前は満足するんだ?
麻生太郎財務相は7日の会見で、昨年12月26日の安倍晋三首相の靖国神社参拝により、今後、中国、韓国との経済関係が悪化するのではと懸念する見方があることに対し、「(今回の)靖国参拝で、おかしくなったわけではない。その前からおかしい」との認識を示した。
中韓との関係、「首相の靖国参拝前からおかしい」と麻生財務相がきっぱり MSN産経ニュース 2014.1.7 13:36
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140107/plc14010713390016-n1.htm
朴槿恵(パク・クネ)-安倍晋三政権の関係がこじれている。慰安婦問題で韓日両国の外交が膠着状態から抜け出せない中、尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官が26日から2日間予定されていた訪日計画を取り消した。
安倍日本首相がA級戦犯が合祀されている靖国神社に春季例大祭(21-23日)を迎えて供え物を奉納したのに続き、閣僚3人が参拝すると、「こうした状況では対話をしても意味がない」と判断した。
これと関連し、複数の外交消息筋は22日、「内閣の第2人者である麻生太郎副総理兼財務相が21日、靖国を電撃参拝したのが、訪日取り消しの決定的な理由になった」と伝えた。
このようにこじれた最初のボタンは何か。外交消息筋は「今回訪日を取り消した背景も、麻生副総理が元首相で、安倍首相の後の有力な首相候補という点のほか、麻生副総理が2月25日の大統領就任式後に行われた朴槿恵大統領との会談で見せた外交的欠礼のため」と伝えた。
日本政府の使節団代表として訪韓した麻生副総理は就任式当日午後3時から青瓦台(チョンワデ、大統領府)で25分間、朴大統領と会談した。複数の消息筋によると、当時の状況はこうだ。挨拶の言葉を交わした後、朴大統領が先にこう述べた。「韓日間の真の友好関係構築のために歴史を直視し、過去の傷がこれ以上悪化せず治癒するようお互い努力しよう」。
すると、麻生副総理が突然、米国の南北戦争を取り上げた。「米国を見てほしい。米国は南と北が分かれて激しく戦った。しかし南北戦争をめぐり北部の学校では相変わらず“市民戦争”と表現するところがある一方、南部では“北部の侵略”と教える。このように同じ国、民族でも歴史認識は一致しないものだ。異なる国の間ではなおさらそうだ。日韓関係も同じだ。それを前提に歴史認識を論じるべきではないだろうか」。
奴隷制廃止をめぐり繰り広げた内戦と植民地支配のための侵略行為を同一視する詭弁だった。その瞬間、朴大統領の表情は険しくなったという。朴大統領は「特に両国の指導者が慎重な言葉と行動を通じて信頼を構築することが重要だ」と短く応酬した。にもかかわらず、麻生副総理は朴大統領よりはるかに多くの時間を使って自身の挑発的発言を続けた。
政府当局者は「麻生副総理は就任祝賀使節ではなく、あたかも『日本の歴史観は韓国とは違うということを韓国が先に認めてこそ、対話も可能だ』と訓戒しに来たようだ」と伝えた。
朴大統領の怒りは4日後に表面化した。朴大統領は三一節(独立運動記念日)の演説で、「加害者と被害者という歴史的な立場は千年の歴史が流れても変わらない」と異例にも強いトーンで日本を非難した。
麻生副総理との会談当時に同席していた尹炳世長官も「韓国の外交優先順位は米国、中国、日本・ロシア」(2月27日)とし、外交修辞では異例にも直接的な表現を使った。
外交消息筋は「就任式で欠礼を見せた麻生副総理がまた靖国参拝という“事故”を起こし、韓国外交部では忍耐の限界を超えたと判断したようだ」と述べた。
朴大統領の就任日に麻生副総理が詭弁、第一歩からこじれた韓日関係(1) 中央日報 2013年04月23日08時53分
http://japanese.joins.com/article/789/170789.html
朴大統領の就任日に麻生副総理が詭弁、第一歩からこじれた韓日関係(2) 中央日報 2013年04月23日08時54分
http://japanese.joins.com/article/790/170790.html?servcode=A00§code=A10
参考資料
●靖国神社参拝が「問題」化した経緯と、アメリカのアーリントン墓地との違い。付:靖国参拝での各国反応 更新日: 2014年01月06日
http://matome.naver.jp/odai/2138833257598681801
●南北戦争のリー将軍顕彰は、靖国のA級戦犯合祀と同一視できるか?
●麻生発言を「失言」ではなく「本音」と受け止めている韓国(辺 真一) | DAILY NOBORDER 2013年08月06日
http://no-border.asia/archives/13111
安倍政権閣僚の靖国参拝は閣僚の顔ぶれなどから当然、予測されていた。だが韓国が注視していたのはただひとり。「朴槿恵大統領の神経に障った」(韓国紙記者)という麻生太郎副総理だったという。
麻生氏は2月25日、朴槿恵大統領就任式に出席したが、そのあとの朴氏との面談で披露した「歴史観」について問題視されていたためだとされる。
「麻生氏は米国の南北戦争を引き合いに「北部では市民戦争というが、南部では『北部の侵略と教える』。同じ国でも歴史認識は違う。まして異なる国ではなおさらのこと…となど奴隷解放の市民戦争と植民地支配の侵略を同一視する詭弁(きべん)を弄した」(韓国紙、中央日報)
朴大統領の顔色が変わった。歴史認識問題をいきなり講義されて相当に心証を害した。内戦(南北戦争)と植民地支配では話にならない。朴大統領はこうしたすり替えが一番、嫌いだ」(韓国紙記者)
朴大統領は切れ長の美しいまなざしで知られるが、その視線について韓国政界では「朴大統領のレーザー光線」などとも呼ばれている。怒りや不満を、言葉にせず鋭いまなざしで投げかけるためだという。どうやら麻生氏は“レーザー光線”を受けたらしい。
一方、麻生氏よく知る政治部記者は「麻生氏は相手方に深刻に諭す政治家ではない。日韓の価値観の違いを軽妙に話そうとしたのではないか」と解説している。当時、麻生氏は朴大統領との面談の内容について記者団に、「歴史にはそれなりに(立場によって)見方が異なるというようなお話をした」と述べていた。
なお話をした」と述べていた。
麻生氏は例年、春秋の例大祭に参拝しているため今年も予測されていた。麻生氏の参拝が判明した直後、青瓦台(大統領府)の意向が強く作用して外相の訪日中止が決まった。
菅官房長官は閣議のあとの記者会見で、中国や韓国が安倍総理大臣の靖国神社参拝への批判を強めていることに関連し、日本の平和国家としての歩みは変わることはないとしたうえで、参拝の趣旨を誠意を持って説明し、理解を得たいという考えを示しました。
この中で菅官房長官は、中国や韓国が安倍総理大臣の靖国神社参拝への批判を強めていることに関連し、「日本は戦後一貫して、自由、民主主義、法の支配を擁護し、アジアの平和と繁栄に実際に貢献してきた。このことは国際社会も一致して認めている」と述べました。
そのうえで菅官房長官は、「日本の平和国家としての歩みは今後も変わらない。靖国神社参拝の趣旨について、謙虚に、礼儀正しく、誠意を持って説明し、理解をいただくようにしていきたい」と述べました。
さらに菅官房長官は、韓国のパク・クネ大統領が、日本側で、いわゆる村山談話や河野官房長官談話を否定する言動が出ているという認識を示したことに関連し、「安倍内閣は歴史認識について、歴代内閣の立場の全体を引き継いでおり、国会でもたびたび答弁している」と述べました。
また、麻生副総理兼財務大臣は「日本と中国、韓国の経済力はアジア地域の中では大きく、きちんとした関係が維持されてしかるべきだ。安倍総理大臣の靖国神社参拝で関係がおかしくなったわけではなく、この数年間おかしいわけで、経済はきちんとしながら、『対話は常にオープンです』と申し上げていくのが基本的な姿勢だ」と述べました。
官房長官「平和国家の歩みは変わらず」 NHKニュース 1月7日 14時45分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140107/k10014315831000.html
お酒を飲まないのが大人なのではなく、お酒との向き合い方が上手になることが大人なのではないでしょうか?
(大人という言葉をさも実在する何かであるように安易に使うのは好きではありませんが)
例えば素晴らしい料理に素晴らしいお酒を組み合わせて引き立て合うマリアージュを楽しむ
例えばそのお酒が醸される歴史的、地理的、文化的背景や醸造家、そのお酒を飲み継いできた人達のことに思いを馳せる
もちろん単純に美しさを楽しみ、香りを楽しみ、味を楽しみ、酔を楽しむ
その結果お酒や料理やそれらが供される空間を通じて豊かなコミュニケーションが醸成される
悲しい時をより悲しく、嬉しい時をより嬉しく、豊かな時間を酔とともに内省的に過ごすのもよいでしょう
お酒は誰に強制されるべきものでもないですしまして自らの強迫観念で飲むべきものでは無いですよね
公正・平等という多元的な価値観を、「みんな同じ」という一元的な価値観に勝手に翻訳して誤解してるのが日本人じゃないの。少なくとも、戦前はともかく、戦後の教育が「みんな同じ」=画一性をすり込めなどという方針であった時代なんてないので、それを「教育のせい」と言われると違和感があるな。:(言うまでもないことかとは思うけど、公正とか平等というのは、本来、民族・主義・主張が異なっていても公正に平等に扱われるべき、という主張であって、多元的なルーツをもつ集団を前提としてるよね。)
もっとも、日教組は「日教組は長い期間、文部科学省(旧文部省)などの教育行政が、トップダウン方式で画一的な教育を指向することに反対し、現場の教員による柔軟で人間的な教育の実現を訴え対立」してきたと主張してるので、一部の人からは「画一性をすり込めと言われている」と見られていたのかもしれないけど、それ自体も誤解だと思う。
たくさんの人の叫び声を受けながらお仕事するのは、大変なことと思います。
いま、デモ隊を通さないために、あなたが同僚の方々とバリケードを組んで立つとき、あなたはどんなことを考えているのでしょうか。
あなたを取り囲む人があびせてくる罵詈雑言を心に入れないように、きっとあなたは心を意図的に硬くして、閉ざしていることでしょう。
あなたがいまやっていることはあなたの仕事なのだから、感情を入れずにやりきれば、この瞬間は過ぎ去るのだし、あなたはこのあともまた仕事を続けていけると思っていることでしょう。
しかし、あなたは、いま、どのような歴史の瞬間に、自分がどのような役割を果たしているか、お気づきでしょうか。
それがあなた自身の人生にどのような意味を持っているか、お気づきでしょうか。
人の流れをせき止めて、荒々しい人たちの行動を止めることで、あなたは市民の安全を守っているのだと、上司の方から聞かされているし、きっとあなたもそう思っていることでしょう。
あなたは大義を果たし、自分の良心にやましいところなど、かけらもないと思っているかもしれません。
でもそれは、残念ながら、今回に限っては、間違いです。
あなたはいま、この瞬間に、自由を求めている人たちを、抑圧しています。
あなたはいま、この国がファシズムにまた戻ろうという歴史的な瞬間に、ファシズムに加担しています。
いったい、あなたはそんなことをするために生まれてきて、警察官になったのでしょうか。
あなたがまったく気づいていないとは、どうしても思えないのです。
あなたの前に立ちふさがる人たちの身なりや、その本気さが、いつもの「プロ市民」たちによるデモとは違っていることを、あなたは敏感に感じ取っているはずです。
だからこそ、あなたの前に立ちふさがる人たちに、あなたがかけた言葉は、いつもよりも丁寧なものだったのではありませんか。
きょう、あすは、あなたは自分の職務を果たしたと感じて、安らかな心持ちで眠ることができるかもしれません。
いま国会で行われていることは、1世代の間に、かならず厳しい歴史の裁きを受けます。
そのときあなたは、自分のやっていたことをどのように思い出すのでしょうか。
あなたがご家庭を持ち、小さなお子さんがいらっしゃる場合、大きくなったお子さんに、あなたの仕事をどのように説明するのでしょうか。
あなたはご自身の職務を果たし、市民の安全を守ったのだと、胸を張って説明するのでしょうか。
いま、あなたが通せんぼしている人たちや、あなたが取り押さえた人たちは、あなたのその顔を無数のカメラで撮影し、ネット上にアップロードしています。
それはいつまでも残るでしょう。
それを何年も後に見つけたお子さんは、あなたがどのようなことをしていたと思うのでしょうか。
これからあなたを裁く人たちの評価を前にして、あなたは自殺せずにいられるでしょうか。
きょう、あなたにあらっぽいことばをかけてくる人がいるでしょう。あなたは腹が立つでしょう。
あなたの前に立っている人は、あなたが体現しているものに対して、怒っているのです。
その中にはあなたも含まれているのです。
だからあなたがいまやっていることは、仕事だと割りきってごまかすことは、絶対にできないのです。
しかし、役割を離れれば、あなたもわたしも、同じ人間であるはずだと、わたしは確信しています。
どうか、ご自身のやっていることを、もういちど振り返ってみてください。
いま、命令に逆らうことはできないかもしれません。
しかし、あなたのいまやっていることが、ほんとうにあなたの良心にてらしてやましいところがないかどうかは、あなたにはかならずわかるはずです。
前もって書いておくと、「特定秘密保護法案」については、新聞報道やネットで流れていることなどを見聞きしている程度で、条文は子細に読んでいません。なぜなら、
・このような国家機密に関する法令は極めてデリケートであって、素人の手には負えない
・単なる法律家ではなく、本来は国家機密や公文書に関する法制度に通じた専門家が真面目に論ずるべき問題だ
と思うので、素人で法律のことをよく知らない人間があれこれ言うべきではないと考えているからです。
しかしながら、このような重要な法令に関して、単なるウヨサヨのネタになってしまっていることは極めて残念でなりません。衆議院を通過してしまった法案でもあり、今更大きくどうこうなることはないかもしれませんが、同様の事例は今後も起こりうると思います。したがってここに、個人的な考えを書いても決して無駄ではない、と信じます。
特定秘密保護法案に反対するのは結構ですが、あまりにも無茶苦茶な妄想に基づく批判が目につきすぎます。
国家の好きなように秘密が指定できるんだ、原発の設置計画が秘密になるならどうなるか、その果ては「近現代史研究は全て秘密指定」だという人まで出てきています。
先に書いたように、私は子細に検討したわけではありませんし、その能力もありませんが、さすがにこんなことは無茶苦茶な妄想だと思います。
このような妄想に基づく批判は、
・政治的党派を問わず、単なる扇動、デマゴギーであって、許されるものではありません。
・また、なにより、このような妄想に基づく批判は、反対派の信頼性をはなはだ毀損します。
そこでお願いです。
「特定秘密保護法案を本当に理解したうえで反対している人は、このような愚劣な反対論を唱える人をちゃんと批判してください」
根拠のないおかしな反対論を的確に批判することによって、反対論がより全うに、強固になるものです。
仮に「同じ反対派」であるから批判しないということであるならば、その人は政治運動をしたいだけであって、批判の中身はどうでもいいのだ、ということにならざるをえません。
個人に対する批判ではなく、例示として出しますが、
http://twitter.com/Juris_tan/status/405261750590660608
「国家はそんな濫用はしないだろう」というのは、歴史的経験を無視した、ユートピア的発想よ。国家は、法で拘束しない限り、自らの権力を濫用するわ。
このような危機感は否定しませんし、むしろ共有する者ですが、「憲法学専攻」の方がこう書いたとあってはいささかもの申したくなる部分があります。
この法案に関して「日本の裁判所は信頼できない」云々という意見が出ていることは承知しています。このような意見は、ごく一般の人が言うなら、理解できます。
しかしながら、法律の専門家が語るのであれば、いささか話は違ってきます。
というのは先刻承知の話なので、だからこそ、司法が独立していて、最後には最高裁判所が控えている、という点は、一体どうなっているのでしょうか。
もちろん、議会における議論を軽視するわけではありません。
しかしながら、「歴史的経験を無視した、ユートピア的発想」とまでおっしゃるからには、次のようなことが前提とされていなければなりません。
・日本において、司法はただ今現在、あるいは将来、まともに機能しない。
この場合、一義的には問題は特定秘密保護法案ではなくて、司法そのものです。司法そのものの信頼、あるいはそのような信頼できない司法を前提にしている法制度全体が問題です。
したがって、そのような信頼できない司法は改革するか、法制度全体を見直して信頼できない司法でも耐えうる制度にするか、どちらかしかありません。。。そうとは言わなくとも単純に言えば、「法律家の皆さん、司法の健全性を維持するためにがんばってください」というほかありません。
しかしもちろん、憲法学を専攻なさっておられる方ですから、日本の司法について、現在においても、また近い将来においても、それなりに安定的に機能すると想像されているものと思います。その場合、この「歴史的経験を無視した、ユートピア的発想」という文言は、
このような誇張に一体どういう意味があるのでしょうか。
私は、法律の専門家の方々に、このような誇張を期待しません。法学は法学らしく論じていただきたいと期待します。
特定秘密保護法案は確かに大事な法律だと思います。にもかかわらず、ウヨサヨのネタになってしまったことで、少なくとも私は、「これほど重要な法案なのにウヨサヨのネタになってプロレスをやっているということは、騒がれているほどの『危険性』なるものはないのではないか」と逆説的に強く疑うようになっています。
こんなことであっていいわけが、本当はないんです。ウヨサヨのネタにせずに、真面目な、きちんとした専門家の議論を経るべきだと、私は信じます。その上で、本来ならば、与野党一致して合意すべき法律でした。
そうならなかった、ならないであろうことは極めて残念です。このレベルの法律が、ウヨサヨのネタに堕することがないように、特に法律の専門家の方々に、強く、強く、希望します。
地球上のすべての土地を削り取って海に投げ込むと陸地は無くなって海だけになるという。つまり山の総量よりも海の深さの総計(海の容量)の方が大きいということだ。
一つの例え話なのでこれが事実であるかはどちらでもいい(たぶん事実だけど)。
もしくは以下のような仮定をしてみる。。
予算に限りのあるNPO、例えば貧しい人に食料を配布するNPOだとしよう。そのNPOが一部の人だけに支援をするのは不適切だからと支援の対象者を世界の全員に広げたら支援は一食分にも満たずに結局は一人も救えないことになる。一人ひとりには取るに足りない金額でもかき集めれば何かを成し得るという募金の考え方の真逆になってしまう。
世界は少しずつ改善されており、建前と現実に食い違いはあるものの着実に民族や宗教、性別やジェンダーでの差別を減らす方向に向かっている。
奴隷はいなくなり、軍人ですらも拷問されない権利があり、病気や障害などで働けない人、そもそも働く気のないような人ですらも生きることは保障されていたりもする。
今では子供向けギャグマンガでうっかり男の子同士がキスしちゃったりしたときに「オエー!気持ち悪い!」なんて言っている描写を見ると、同性愛者の人は気分を害していないだろうか?なんて余計な心配をしてしまうぐらいに世界は「配慮」に満ち溢れている。
もちろん国や地域や社会階層などで進行・浸透の度合いは違うけれど、少なくとも日本の属する西側先進国の間ではあらゆるマイノリティに対しての配慮を進め、平等な社会を実現することを目標としているように見える。
貧困や差別は無い方がいいに決まってる。貧困にまつわる問題を解決するためには貧困層以外の全員がなんらかの負担をしなければならない。それはある程度は税金と言う形で実現されている。
差別をなくすためにも何らかの負担は必要だ。上に挙げた例のようにゲイやオカマ、デブ、ハゲ、チビに嫌な思いをさせないためには程度の低いジョークを止める程度の負担で済む。もっと根深い差別に対しても同様で、差別される側が深く傷つく代わりに、差別していた側が広く浅く少しだけ何かの負担をすればいい。それは金銭的、精神的な負担だったりもしくは歴史的背景を学ぶことだったりといろいろな事が必要だとは思うけれどつまりはマイノリティが抱え込まされている負の財産を大勢でちょっとずつ負担するという募金のような考え方になるんじゃないかと思っている。
2012年ごろに月刊アフタヌーンで連載していた「勇者ヴォグ・ランバ」という漫画で以下のようなセリフがあった。正確には覚えてないので印象に残った部分の要約みたいになってしまうがこんな感じだ。
「世界から奴隷がいなくなったので今まで奴隷がやっていたような労働を一般の人が少しずつやるようになった。世界から戦争を無くしたいならば一般の人を含めた全員が今まで軍人がやっていたような作業をやらなければならない。」
続きで語られる具体的な部分は覚えていないが、つまりは戦争を無くすという大きな変革を成し遂げるためには全員がそれなりの負担をする(主人公は為政者側なので「負担をさせる」が正しいが)覚悟が必要。覚悟も無しにきれいごとを言っても意味が無い。という会話だったと思う。
誤解の無いように書いておくと、ここで言う「軍人がやっていたような作業」とは人を殺して回ることなどではなく、もっと精神的な部分だったと思う。この辺で揚げ足を取られるのは本意ではないので意図を汲んでいただけると幸いです。
現実に話を戻すと、少人数の重病の人の治療費をみんなの保険でカバーすることは可能だと思う。日本の人口の2%程度に生活保護を支給するのもまだ大丈夫だろう。でもこれは日本と言う裕福度の平均値が高い閉じた社会だから可能なだけであって、先の二例だけであってもこれを世界中に広げることは不可能だ。
全ての先進国が食事の選択肢を減らし、贅沢をしないように、残飯が出ないように、とがんばればアフリカで飢えてる人を全員救ってもまだ余るらしい。じゃあやりますか?「それ(アフリカ)とこれ(先進国)は別」というのが現在出ている答え。これについては特にコメントしない。
食料やお金なら多少は分けてあげてもいいという人もいるかもしれない。じゃあ平和を少し分けてあげることはできますか?過度な貧困地域や犯罪多発地域を無くすために世界で広く貧困と犯罪を引き受けてあげますか?
(貧困が減れば犯罪も減るかも知れないので、それらの総量は常に一定ではないかもしれないけどここでは無視する)
今は世界の都会でもいわゆる危険なエリアに行かなければそこそこ安全だけれども、広く薄く貧困と犯罪を引き受けるというのは、全員が常にそこそこの犯罪リスクにさらされながら生きるという事になるのではないかと思ってしまう。全員が「負担」として十分な警戒心と自己防衛の知識と技術を持たなければならなくなるのではないだろうか。
先進国の豊かな暮らしは、貧困や犯罪や差別や不衛生やその他の負の財産を途上国やマイノリティに負担してもらう事でなりたっている。
みんなの理解や努力で負の財産自体を減らしたり消滅させたりすることが可能な部分もあるとは思う。
全ての人を救おうとした結果に待っているのはすべての人の不幸なんじゃないだろうか。
おれの考え方がおかしいのかもしれない。みんなこの辺にどう整合性を付けているか気になる。
トラバにあるように、まずは自分の生活が大事。遠くの誰かより身近なペットが心配。というのは理解できるし自分もたぶんそういう人間だと思う。
しかし目が届きにくいからと言って遠くの問題から目をそらすのは人間としてあまり程度の高くない行いにも思える。100年前ならいざ知らず今はインターネットやマスメディアなどで多くの情報を得られ、一般人でもその気になれば世界のほぼどこにでも行ける時代だ。なのに「遠くの事は知りません」という態度が(個人としてではなく社会として)正しいのかはわからない。
じゃあ何をどこまですればいい?そもそも今のまま差別や不公平をなくして行けば良くなるのか?もしかして良くしてるつもりがみんなで袋小路に突き進んでるのではないのか?と疑問がつきない。というのが現状。
トラバもブコメもあんまりついてないのに追記ばかりしてもしょうがないのだけれど、どうも意図がうまく伝えられてないようなので書き足す。
身近 VS 遠く という軸も気になる部分の一つではあるのだけどそれが主題ではないのです。
社会は確実に「遠くの知らない誰か」や「昔なら無視していいと考えられていたマイノリティ」に配慮する方向に向かっています。だからと言って身近な人やマジョリティに死ねとかは誰も言っていない。全員が幸せになるために、現状不幸せな人が幸せラインに立てる方策を模索しているわけですよね。
だけど「全員が幸せ」っていうのは実現可能なのか?それは「全員が少し不幸せ」になるのではないか?と言っているのです。
10の人、5の人、マイナス10の人、いろいろいると思います。(誰がどういう基準で判断するのかは置いといてください。定量化が目的ではなく、ただの表現ですから)
全員の幸せを目指した時にせめて3とか4で落ち着けばいいけれど、結局全員がマイナス7とかになるんだとしたら悲しい結末ですよね。会社で言うならば使えない社員やアルバイトにも平均的正社員と同じ待遇を与え、障害者雇用も推し進めてたら潰れてしまったということになるんじゃないの?差別や不平等は無くした方がいいとは思いながらも、差別や不平等があるからこそ今の生活があるのだとしたら、差別や不平等を無くさない方がいいんじゃないのか?でもそれは被差別者の人権を考えるともうありえない選択肢になっている。つまり社会は沈没に向かっているということになるのではないか?
というのがメインテーマです。
いろいろ意見をいただけてうれしいです。今後も考える材料にしたいと思います。より有益な意見をもらえるように以下に気になったコメント等に返事します。これ以降、コメント等への返事については「追記」とか区切らずに追記しちゃいます。
そもそも幸せかどうかって以前に命が保証されてない生活を送っている層もあるわけで、食料や医療の問題と、差別やマイノリティの問題を同じステージで考えるのは無理があると思うよ
だけども、基本的には同じだと思っています。
命が保障されていない人たちを救うために自分たちの命の保証度を引き下げる事をどう考えるか?
差別されている人を差別から自由にするために自分たちの自由が減ることをどう考えるか?
一個一個を見ると「やるべき」に思えるけど、それらをすべて推し進めた先には暗い未来が待ってる気がする。結局は誰かを犠牲にしないと生きていけないのか?という疑問です。
歴史上、農耕社会成立以降に被搾取者や非差別者がいなかった事はありません。彼らの犠牲なしに人間は社会を維持できるのか?犠牲のない社会とはどんな社会なのか?そこに自分は暮したいのか?今の暮らしを維持するために誰かを犠牲にし続けるのか?結局は「遠くの被差別者よりも身の回りが大事だから」と言って物質的精神的搾取を続けるのか?わからないことだらけで困っています。
わかりやすい説明をありがとうございます。
富の問題に関しては少なくとも良い方向に向かってるんですね。なんか安心。
というわけで感想書き殴り。
ただの穢れた地球人の個人的な感想ですので、技術的なことも歴史的背景も考えてません。
最初の方は嫌いだったところで、後ろに行くほどそうでもないです。
あとネタばれ注意。
絵柄のせいだと思うのですが、どうも特別版日本むかしばなしのイメージをぬぐえませんでした。
アニメの制作に詳しい人がみるときっとすごい手間と技術が感じられるんだと思うんですが、なにも詳しくない自分にはただの余り手間のかかってない絵に見えました。
前に絵を描いていたとき、ラフの鉛筆で描いた絵はとてもかわいく描けたのに、清書で線をはっきり描くとてんでダメになってしまうことがよくありました。そのとき「ラフのまま描いたら案外良いかもなあ」と思って描いてみたのを思い出しました。ただの人が描くとただの雑な絵でした。
最初登場したときは「あー、典型的なジブリのヒーローポジションだなあ」と思ったけれど、ゲス野郎でした。
いや、全体的にはきっといい男として描かれているのかもしれませんが、私にとっては胸糞悪い男でしかありませんでした。
特に妻子とさっきまで一緒にいたのにかぐや姫に「あなたがいれば…でももう遅いの;;」といわれて「一緒に逃げよう☆」と即答してしまうのは(えー…)という感じでした。
登場人物の中で一人だけ明らかに違う雰囲気のキャラクターがいました。
見た瞬間「あ、これグッズ売ってるな」と思いました。やっぱり売ってました。
調べてないんでわからないけど、竹取物語の原作にかぐや姫が自然大好き設定ってあったっけ?
そのへん虫めづる姫君っぽいので混ざっているんだったら、宮崎駿リスペクトか共通項なのかなあと思いました。
捨て丸兄ちゃんとの恋愛エピソードはなんだかとってつけたようであまり面白くありませんでした。
でも姫以上に翁と媼がかわいそうでした。あんなにかわいがって(姫が喜んでいたかは別としても)姫のためにいろいろやったのに最後に姫を持っていかれるとか本当に悲劇。この映画の主人公は翁と媼かと。
あと翁が媼と姫に「うわぁ…」って顔されてるのがきつかったです。
サードブロガーとは、はてブスパム問題を引き起こした奴らである。
ようするにmixiと、はてブの違いが区別出来ずに、足跡代わり免罪符で、ホッテントリ狙いのスパム行為した馬鹿である。
http://anond.hatelabo.jp/20131025170009
http://anond.hatelabo.jp/20131008150622
このサードブロガーは、二つに分けることができる。
「はてブスパムとブロガーの呪縛 - あざなえるなわのごとし」
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/10/26/004018
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/10/30/150443
彼の増田への反応の良さは素晴らしく、はてな村への反骨精神は、次第にサードブロガーに受け入れられて行く。
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/archive/category/%E3%81%AF%E3%81%A6%E3%81%AA
はてブスパム問題は、彼らの純粋アピールにより、「身内ブクマ問題」という名前に変えられていた。
「身内ブックマーク問題」
http://blogos.com/article/72979/
http://hotentry.hatenablog.jp/entry/2013/11/11/184316
身内ブクマ問題は、はてぶ自重して、スターをやれよ。に落ち着いた。
身内ブクマをやめれば当然アクセス数は減る。それについて文句を言いだした。
彼は、それをすぐに拾い上げる。
「最近、はてなスターが増えてブクマが減った - あざなえるなわのごとし」
http://b.hatena.ne.jp/entry/azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/11/18/171027
でも、彼は既に個人ではなく、サードブロガーの船頭になっていた。サードブロガーは彼に続いた。
「当ブログの「はてなスター」を削除しました。 - 大彗星ショッカ...」
http://dshocker.hatenablog.com/entry/2013/11/18/210045
http://anond.hatelabo.jp/20131119003941
彼とは違う彼らは、本音を丸出しにしてしまい、これまでの問題はただのスパム行為だったのが露呈する。
「増田:虚構新聞叩きを煽動してるのは、はてなのid:kanose」
http://anond.hatelabo.jp/20131121174203
「虚構新聞ネタを取り上げるとPVが上がるらしいが、PV乞食じゃないので、時期を間違えないようにとりま時系列でまとめただけのリスト」
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/11/21/154100
「虚構新聞を批判する人々は2パターンに分類できることがわかった【ユニセフ記事の魚拓あり】」
http://dshocker.hatenablog.com/entry/2013/11/22/184648
「虚構新聞叩くならアンサイクロペディアも叩けよ - 反社会的な中学生」
http://takeiteasy.hatenablog.jp/entry/2013/11/22/195745
面白くなることを祈って、30分で書いたよ。
ここを見ると
http://www.unicef.or.jp/partner/partner_ichi.html
協定地域組織の所在地がコープ(生協)内になっている所が多いが、何か歴史的背景でもあるのかな?
http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_report.html
財務諸表等
http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_keisan.html
なんでこんな所に建てたんだろう........
横だけど、そもそも大義名分を言い出すなら、古くは家長制度だから婚内子が平等なのもおかしいだろという話になるよ?
でもこれって、長男には長男で財産を管理して家を守っていく義務が生まれるんだけどね。
むかしは財産といえば領土で、領土を細分化することは好ましくないから、という合理的な理由があって、これは差別ではないんだよね。
その代わり、本家はいろいろ分家の面倒を見たりしないといけなかったり、帳尻合わせは本来あるんだけどね。
また、信仰の自由は大義名分なので、特定の宗教的価値観による判断は国家としては認められないから、歴史的制度である家長制度を持ち出すならともかく、キリスト教的倫理観を持ちだされても、
それは特定の宗教的価値観によるものであって政教分離の観点から大義名分ではない。という言い方もできるよ。
「プロテスタント」で気になってチェックしたところです。
プロテスタントには、エキュメニカル派(言うなればカトリックと近いトコ)と福音派の2つがあります。
三位一体を信じない、または聖書を改ざんしたところが異端となります。
複数の教派を超えた団体でしたが、かつてルーテル教会を追い出したため、「教派」分類の上では、完全に福音派の中に入ります。
「行ってはいけない教会」という話題によく「日本基督教団の教会」と出てきます。
何故なのかは知りません。しかし、ウチの教会に通うようになった人たちに聞くと、戒律派と呼んでもいいんじゃないのと感じました。
戒律がすごく厳しくて逃げてきた人を知っています。かなり行動主義寄りなので、まるでパリサイ人だ、と思ったことがあります。
学校もそういう感覚で運営されているのかちょっと気になりました。
まあ、私は東の人な上にエキュメニカル派なので無関係といえば無関係なんですけど。
仏教の学校でもキリスト教の学校でも、それぞれ週に1・2回それについての授業があるのは普通だと思います。
ただ、礼拝を義務化しているキリスト教系学校はエキュメニカル派の中では少数派なので、珍しい学校だと感じました。自由参加が普通ですよ。
以下、全部コピペ
【2012 NHK紅白歌合戦】
● NHKの公式発表乙ww
さて、本当に創価が人体実験をしているかどうか、その真偽を確かめたい方は、創価の犯罪手口(保険金殺人)を10年も研究している、日本で唯一の創価研究ブログ『richardkoshimizu's blog』で、調べてみてください。
『richardkoshimizu's blog』
まあ、コラ画像だとわかったうえで補足すると、この画像がコラかどうかは、実はあまり重要ではありません。
人体実験並みの、保険金目的の殺人犯罪を組織的に取り組み、莫大な利益を上げて母体を肥やしてきたのが、創価という裏社会の実態だからです。
尾崎豊が亡くなってから約2年後に、10万人近くのファンの署名で「再捜査嘆願書」を警察に提出したが、受理されなかった。
事件は尾崎ファンがオウムに取り込まれていくなど、風化していった。
しかし、7年後の1999年、突如として写真週刊誌『フライデー』に蘇生装置が施された写真が掲載された。(7年間もこの写真が隠されてきたわけだ)
また、当時の捜査員の証言などもあって、その死因の不可解さがますます深まっていった。
そして、尾崎豊の怪死から実に15年もの月日が経過したとき、突如としてスクープが雑誌に掲載される。
ついに「尾崎に覚醒剤を盛り、複数人でリンチした」と決定的な証言をする、実行犯の暴力団組員が現れたのだ。
■ 月刊 keitaiバンディッツ 2007年5月号(4月7日発売)より
「若きカリスマ 15年目の死の真実」
時効直前スクープ!
この「俺が尾崎豊を殺した!」スクープについては、次のブログで読めます。
<ぜひ、このメロンパンさんの記事をご一読ください>
夕焼け朝焼けメロンパン「尾崎豊さんの死と創価○会」2008.10.08
さて、メロンパンさんの記事では、暴力団組員は尾崎を暴行したと告白してはいるが、全ての真相は明かしませんでした。
でも、ここまでわかると全部わかったようなものですね。
はたして、黒幕は一体何者なのでしょうか?
週刊誌のリーク画像のとおり、尾崎豊が全裸で病院にかつぎ込まれたとき、リンチを受けていたアザが無数にありました。
はい、知らなかった人は驚くかもしれませんが、尾崎豊の死因は、自殺でも肺水腫でも薬物依存でもありません。
尾崎の死体検案書に、外傷性くも膜化出血とあるのは、どう考えても顔面を強く、何度も殴られたからです。
くも膜化出血になるまで転んで頭を打ち続けたんだ、とか言い訳にもならないわけです。
写真を見ればわかりますが、AEDのような装置が尾崎の体に取りつけられています。
そんな状態なのに入院もせずに、「すぐさま」家に帰ったとか、あまりも不自然ですね。
そもそも、芸能界は昔から裏社会とズブズブなので、いつ誰が死んでも別におかしくはないのです。
海老蔵が殺されかけた事件が記憶に新しいのですが、海老蔵はあのとき死んでいてもおかしくなかった。もしも、あのときに死んでいたら死人に口なしの法則で、真実は闇に葬り去られたことでしょう。
芸能界とは、そういうところです。
もちろん、下っ端の人間にはそこまでの危険性はないはずですが。
関東連合と芸能人が深い関係である限り、海老蔵くらいのリンチ殺人未遂事件なんて、表面上の事件にすぎません。
● 尾崎事件の謎解き
まず、尾崎豊は薬物依存ではありませんでした。
不可抗力で覚せい剤を酒にもられて、その後に裏社会の人間からリンチを受けたのです。
もちろん、ハルシオンなど酒で割ることができる薬物を使用したため、普通に飲むことができます。
尾崎はボロボロに殴られたあと、這って歩いたために服が脱げ落ち、全裸になってしまいました。
虫の息だった尾崎は、近くの民家まで這っていき、通報された後に病院に搬入されました。
病院で検査して、尾崎が意識朦朧としながら「家に帰りたい」とうわごとで言ったため、妻が無理やりマンションに連れて帰ったのです。
本当は薬物関係に詳しい病院でキチンとした対処がなされれば、尾崎は死ななくても良かったはずです。
尾崎は適正な治療が施されることもなく、キチンとした検査も受けないまま帰宅し、自宅マンションの一室で寝かされただけでした。
そして、部屋で数時間後に尾崎は帰らぬ人となりました。
その後、尾崎との関係が冷えきっていた妻が著作権などの遺産を受け取り、逃げるように海外へと移住しました。
創価を快く思ってなかった尾崎は、創価に都合が良いようにタイミング良くいなくなりました。
妻はその後、尾崎事務所のアイソトープを自分のものにして尾崎作品で商売を始め、最近では息子を尾崎の代わりに売り出して、尾崎の名声を利用した商売で、利益をあげ続けています。
妻がまるで被害者かのように偽装された、尾崎の真相追求サイトが、ネット上で氾濫しています。
それらの大量に存在する「ネット火消し工作サイト」は、一体どのような人たちが書いたのでしょうか?
尾崎の他殺説で浮かび上がってくる犯人像といえば、○○学会以外に見つからないことは明らかです。
○○学会がネットで火消し工作をするなんて、信じられないかもしれませんが、創価の母体が朝鮮カルトであることさえ理解できれば、全てが理解できるようになります。
ネットで調べていけば、ある程度はわかると思いますが、創価に詳しくない人がいくら調べても、世の中の真実には絶対にたどり着くことはできません。
逆に、創価に詳しい人ならば、ある程度の推論が可能です。
ただし、尾崎事件に関しては全国民を納得させるような絶対的な物証は、もうでてこないでしょう。
それでも、ブラックアイになるまで殴られた写真が、尾崎の無念を物語っていると思います。
本当は他殺の証拠が重要というわけではないのです。
世の中の仕組みさえ理解できれば、証拠なんてこのたかだか2,3枚の写真で十分です。
決定的な証拠がなければ信じないという考え方では、常識という偏ったものの見方から抜け出すことはできません。
つまり、本当に重要なのは、世の中の仕組み、つまり、カルトや裏社会の構造を考察できる「タブーであっても受け入れる柔軟な考え方」なんです。
「一度でもいいから、あえて常識を疑って考えてみる」こと、それさえできるようになれば、世の中がどのようなからくりで動いているか、はっきりと理解できるようになると思います。
マスコミが伝える情報は、裏社会の存在をまるっきり排除した、とても裏社会に都合が良い表面上の報道でしかないのです。
このような報道規制が誰のために存在して、誰のためにテレビが放送されているかということを、一度考えてみてください。
尾崎事件とオウム事件が裏でつながっているように、そこに存在する「在日特権やカルト利権」のつながりを想像してみてください。
http://www.est.hi-ho.ne.jp/snowman-yukio/ozaki3.htm
はい、これが典型的な「妻を擁護する」創価学会の火消しサイトです。
全部創価に都合よいことしかかいてないし、創価カルト論を避けていますね。
創価カルト論を論破できないのが、創価なのですから。
真実を見抜くなんて、思ったより単純で簡単なことだったんですね。
どちらが都合の悪い真実を避けているか、それだけでわかります。
創価の御用達司法である裁判所で、訴訟を提起した妻の繁美が裁判に半分負けたような判決を受けた時点で、どれだけ疑惑だらけなんだよとわかっちゃうわけです。
マスコミにヤクザがリンチして殺したことがバレたら創価はマズイわけです。
そうしたら、当然ながら犯人探しになるわけです。
犯人探しが始まると、どう考えても一番怪しいのが創価となります。
裏社会はそれが嫌だから半殺しにして、救急で病院に搬送させてから、かの有名な「創価注射器」で薬物を注入するわけです。
もしくは、家でコッソリと創価注射器で薬物を注入する。
それが、創価の最高の筋書きなんです。
絶対に、「ボコボコに殴られた挙句、最後に薬物を注射されて殺された」という筋書きではマズイのです。
誰のために都合がよいかを考えれば、わかるでしょ?
「おいおい、そうか、そうかって、何でもかんでも創価のせいにするのは、いくらなんでもこじつけでしょう!」
はい、そうですね。
このような理屈は「単純すぎるため、虫の良いはなしだからおかしい」と思われるかもしれません。
しかし、世の中の利権構造に創価などの在日カルトの特権が、ここまで深く組み込まれていることが全ての問題の原点であるため、この話を避けて通るわけには行きません。
普通に考えれば「真実がそんな単純なわけがない」と思うのは当たり前ですが、常識の範囲内で裏社会のことを調べていては、現実に存在するカルトなどの「腐敗した世界」の構造を理解することはできません。
話が飛躍していると思うかもしれませんが、創価の母体とは朝鮮宗教であり、この在日宗教カルトこそが様々な在日特権をうみだしてきたのです。
もっというと、統一協会や創価などのカルトに特権を与えてきたのが、GHQ占領軍であり米国でした。
戦勝国の米国が日本の独立を助けたという「お話」は、おとぎ話であり、そんなものはまやかしにすぎません。
そもそも、米国が参戦した動機が、欧米の植民地を次々と奪っていった憎い日本を、完膚なきまでに叩き潰し、二度と欧米列強に歯向かえないようにするためだったわけです。
そして米国は、戦争で勝ったからには、日本のあらゆる権利を没収し、恒久的に国家から資産を搾取していこうと考えたのです。
「そんな難しいこと簡単にできるわけがない」「米国が日本を民主化してくれたんだ」と思うかもしれませんが、米国はどこまでも狡猾に巧妙に、その支配体制を構築していきました。
米国は、日本に勝ち、すぐさま日本を武装解除させ、米国占領軍という強大な「武力圧力」で恫喝し、米国に逆らうものは公職追放令で次々と追い出し(10万人以上)、あらゆる権力構造に被差別部落の朝鮮人を組み込んでいきました。
つまり、米国は戦後すみやかに占領体制を構築し、無理やり大日本帝国という国家を解体したあとに、日本を米国に都合の良い米国式国家へと、国を一から作りなおしたのです。
まず、GHQ占領軍の指導のもとで、朝鮮人により在日朝鮮人連盟(現在の韓国民団と朝鮮総連の母体組織)が結成されました。
そして、米国が「朝鮮人は差別されていた」「朝鮮人こそが戦勝民族なんです」とプロパガンダを行って、朝鮮人に被差別感情を植え込んでいきました。
そのようにして、朝鮮人を優遇していった一番の理由は、朝鮮人と日本人は明確な見分けがつかないからです。
アメリカ人が政治の分野などに直接でてくれば、白人だと一目でわかるし、政治家が外人だらけになれば、それはもはや日本人には主権が存在しないことがあきらかです。
そして、現在の政治家に朝鮮人脈が、いかに組み込まれているのかを知れば、今の日本人におかれている状況に危機感を感じざるをえません。
だって、現在の安倍総理が、カルト統一協会の自民党清和会に所属している、朝鮮人脈派閥だったなんて、そんなことを日本人は信じたくもないからです。
このように、米国GHQが在日朝鮮人に特権を与えた理由は、在日という外国勢力に日本を乗っ取らせ、朝鮮人に日本を間接統治させることにより、米国の都合の良いように国家を運転していくことでした。
これが開戦当初から米国のもくろんでいた、欧米列強の植民地主義に変わる、対日本マイノリティ支配戦略だったのです。
それらの国家を少数支配で乗っ取る方法や、外国勢力により国家を間接統治する支配体制を、まとめて「ユダヤ式マイノリティ支配」と言います。
なぜユダヤ式なのかというと、ユダヤ国際金融資本という金権特権組織が一番奥に潜んでいるからです。
そのようなわけで、戦後の日本においては、カルトにもヤクザにも在日特権が与えられ、その背後には常に米国やユダヤ金権勢力が暗躍してきました。
日本にはそのような歴史があるため、カルトやヤクザは戦後から勢力を拡大する一方で、在日組織が犯罪の温床でタブーとされたことは、当然至極のお話なのです。
そして、その在日カルト宗教の筆頭である創価がタブーを隠れ蓑にして「保険金殺人システム」を構築し、私腹を肥やしていても、さもありなんということです。
尾崎に関して言えば、死因とされた肺水腫は当然ながら監察医のねつ造であるわけです。
当初、肺水腫でとりあえず死亡結果を発表したけれど、タイミング悪くブラックアイのリンチ写真がリークされてしまい、一気にマスコミや国民からの疑惑が噴出してしまいました。
そこで、その辻褄をあわせるために司法解剖の結果である、覚醒剤反応を後出しジャンケンで発表することにより、「尾崎は薬物依存だったことが判明しました」という自殺の線を補強して、裏社会に組するゴロツキたちが「尾崎他殺説のもみ消し」を計ったという顛末だったのです。
● 尾崎を亡き者にする動機
しかも、カリスマ性をもった影響力のある人が、日蓮に改宗するとか、鞍替えるなんて、創価にとっては危険な存在になるわけです。
そして、何よりも尾崎を殺害しても、簡単にもみ消すことのできる「保険金殺人システム」が構築されているのです。
これを使えばそう簡単にはバレないわけです。
実際に、尾崎は自殺か覚せい剤におぼれて死んだだけなんだと、国民に裏側にある事実はまったくバレていないのです。
まず、日蓮を敵視するショッカーが、妻と田崎とヤクザを遺産と著作権利権で利用してこの作戦に巻き込んでいきました。
当然、尾崎の死後、CDなどの著作権は創価の懐に入ることになります。
尾崎をリンチしたヤクザはガンで余命半年となり、罪悪感からかその胸中を告白しました。もちろん、創価のことは伏せています。
しかし、創価の実態さえわかれば全てがスラスラとつながってしまいます。
覚せい剤を致死量の3~5倍、酒にもってからの暴力でした。
覚醒剤は2時間もあれば、胃の中で消化されるようですが、消化しきれないほど飲ませたから、胃から覚醒剤が検出されてしまったわけですね。
通報で駆けつけたのは、これまた創価専属の警察官でした。
全裸でのた打ち回る、尾崎の奇妙な様子を確認しただけで、保護しないで何もせずに帰るとか、どんな判断だったのでしょうか?
週刊誌リークの写真と、まったくかみ合わない説明を繰り返す「火消しサイト」のみなさん。
「自分で頭をうちつけて、自分で転げ回って細かい傷だらけになっただけだ」とか、「ブラックアイも石かなんかに、偶然倒れたときに打ちつけてできただけだ」とか、ちょっと都合が良すぎる解釈だと思うのですが。
一見して、どう考えても普通に思いつく答えが、暴行のような気がするのですが、リンチ行為があったことすらも他殺説につながるからマズイ、ということなんですか?
しかし、実際に自宅で数時間後には死んでしまうような「虫の息の人間」を、寝かせて安静にさせていただけという状況は、はっきりいって異常な光景だと思います。
死ぬ間際まで衰弱していた人間を、どうして病院から連れ戻す必要があるというのでしょうか?
これは推測に過ぎませんが、病院で死なれたら何かマズイことでもあったのではないでしょうか。
実際に、リチャード・コシミズ氏が提唱する創価の「保険金殺人システム」を応用すれば、病院で注射をうたれてその場で死んでしまうことはよくあることのようです。
つまり、この事件は病院では元気そうに見えた尾崎が、なぜか自宅で息を引き取ることに、全ての謎をとく鍵があるように思ってしまうわけです。
これ以上書くとヤバイかもしれないので、全ては書かないでおこうと思います。
病院で尾崎が死んだら、ヤクザではなく医者にも疑いがかかってしまいませんか?
本当は、ヤクザが自白したのも、自分が「半殺しにしたんだ」「薬漬けにしたんだ」と告白させることで、注意を自分に向けて、誰かをかばうことになっているのではないでしょうか。
ヤクザが薬を使ったのならば、その後に薬を使ってもわかりくくなります。
そうだとすれば、ヤクザが余命わずかと言ったことも、ウソということになります。
とまあ、勢いで全部言ってしまったような気もするのですが、さすがに考えすぎのような気もするのも事実です。
もしそうだとしたら、全てが用意周到に計画されたことになりますので、裏社会にしたらうまくやった、本当にお手本のような事件だったのではないでしょうか。
さて、全ての結論を申し上げる前に、裁判所において、次の歴史的な大事件がおきたことを、皆さんはご存知でしょうか?
(ちなみに尾崎豊の兄、康さんは裁判官として2004年から5年間、裁判所で働き、2012年からは弁護士として活躍されています)
ということで、尾崎事件の途中ですが、以下のことを理解しなければ、尾崎の真相も理解できないと思いますので、少し話題はそれますがもう少しなので、我慢して聞いてください。
はい皆さん、心の準備はよろしいでしょうか?
これは、あまりにも荒唐無稽な話なので、ヘソで茶を吹くかもしれませんが、動揺しないで聞いてくださいね。
なんと、「現在の国会議員は全員「不正選挙」により当選した」ことが明らかになってしまったのです!!!
それでは、次の国家転覆に値する「不正選挙」の実態について、以下の記事をご参照ください。
★ 【日本初】裁判所から裁判官が脱走wwww「不正選挙」の黒幕を裁判所が暴露!【今、裁判官が逃げてったんだけどw】
『目の前で裁判をしている真っ最中に、いきなり裁判所が裁判を放り出して、裁判官が3名とも裁判所から逃走した!?』
(∂εδ)ちるみぃ「えっ?」
★ 裁判所が裁判をやらないでござるの巻
【不正選挙】
『この動画の公開は犯罪行為です!』
★【大炎上】「不正選挙」裁判の録音をネット公開してる前代未聞のバカ発見www【通報しました】
裁判中に録音した音声データをネットで公開するなんて、前代未聞の行為をやってやがる!!
うわあああああああああああああああああああああああーーーーっっ!!
何なんだよこいつら、マジでやべえんじゃねえのかwww
(∂εδ)ちるみぃ「コソコソしないで、顔見せやがれっ!」
(∂v6)ちるみぃ「はひっ、すみません、犯人はあたしです!」
(∂εδ)ちるみぃ「えっ?」
(∂v6)ちるみぃ「えっ?」
さて、若干お話がそれてしまいましたが、ここまでお話を聞いていただけたのであれば、あとは何となく想像がつくかと思います。
オウムが第7サティアンで作っていたのは、なんと覚せい剤(LSD)だったのです。
簡単に言うと、オウムがやっていたことは、北朝鮮麻薬の商売でした。
オウムが麻薬を作って利益があるのは、ヤクザやカルトの裏社会です。
税務署が捜査できない宗教法人、つまり、カルトを地下銀行として利用すれば、麻薬で潤ったブラックマネーを安心して運用することができるわけです。
ここまでの解説で察しがつくと思いますが、オウムの背後には巨大な黒幕がいました。
日本は島国という特別立地なおかげでそのような問題が最小限で済んできたので歴史的に問題にしてこなかったが故、
今、色々と問題になっているわけで。。。
同意に1票するので、そろそろだれか、NHKにたれ込んであげてください。
ここでなにか言って、それが仮に正しくても、NHKか文化庁が、訂正を打たない限り信じないという人は大量にいるというか、そちらのほうが多いでしょう。
ごく個人的な感想ですが、ここまでに取り上げられている例文で、異議を唱えるには十分な資料かと思います。
正しいかどうかはわかりませんが、そこまでの厳密性となると、それこそ民間人の仕事ではないと思います。
資料付きの異議があるので、発表した人に辞書に載っている意味が歴史的に正しいことを証明する資料をだしてくれでいいんじゃないでしょうか?
それを見て、また考えたほうがいいと思います。
辞書に載ってるというのは特定の辞書が載せてるわけではないし、
それならそれなりにこれまで使われてきた歴史的な根拠があるわけだ。
別に1つのが辞書会社がちょろっと調べてこんなもんか、としたわけじゃない。
文豪たちは間違えて使っていた事実はある。それが敢えてなのかどうかは分からないが、現在に至るまで「謝った使い方」であることは間違いない。
そのような、間違った使い方が一般的になってきて、誰もがそれを当たり前と思う様になればそれはそれで正しい使い方になる。
ただ、現状ですら20%が正しい用法で使っている。これは、まだ、正しく無い方を間違った用法、と言えるだろう。
で、文豪達ってのは、言葉をきちんと使うことが大前提なはずだ。
だからこそ、その彼らの用法を見て、正しい用法を学ぶことも出来る。
ただ、今回の件は間違ってる、と文化庁レベルで未だに指摘されるようなこと。
敢えて、なら良いが、敢えてなのか?