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感想要約
『天気の子』は"子どもたち"(陽菜さんと帆高さん)が自然災害と対立する話ではなく,実際には"大人たち"と対立する話であるという視点が大事だと感じた。
『天気の子』では"大人たち"や社会は,"子どもたち"と"世界の仕組み"のふたつを無視していることが描かれる。
そして偶然にもそのふたつを兼ね備える子どもたち,つまり世界の仕組みを担っていた子どもたち(陽菜さんと帆高さん)が,今度は今まで自分たちを無視してきた社会を無視するという決断をする。
この決断が天気の巫女をやめて東京沈没を選ぶということだった。
①自然災害は無慈悲かつ強力なので人々は受け入れるしかないが,天気の子を人柱にするなどの方法はあった。(これが"世界の仕組み")
②しかし世界のことに興味を持つ"大人"はほとんどおらず,大人の多くは自分の生活を優先していた。
同様に子どもたち(帆高や陽菜さんたち)を優先する大人もあまりいなかった。
児童保護施設は陽菜さんたちがあのまま暮らしたいという意思を無視した。
須賀さんも家出した帆高が東京で暮らすことを手助けしていたが結局は娘のために帆高を島に帰らせようとした。
③大人たちが良識的で常識的な対応を続けた結果,帆高たちは追い込まれてしまった。
帆高は一度は手に入れた3人暮らしの幸せをもう一度実現するために,人柱になった陽菜さんに対して帆高は自分たちが幸せに生きるために社会のことは無視しよう,と伝える。
④数年後に帆高が東京に戻ると,何人かの大人たちは東京沈没を受け入れている様子が見られた。(もともと海だった場所を埋め立てた土地がまた海に戻った,など)
これは①の自然災害は受け入れるしかないものという態度が一貫している。
帆高はこれで本当に良かったのかと自問する。そして自分たちならきっと大丈夫だと確信して終わる。
改めて,帆高と陽菜さんの決断はよかったかと考えるとあんまりよくはないだろう。
最も良い可能性とは大人たちが子どもたちのことを理解し,世界の仕組みを知り,一致団結して自然災害と対峙することだった。しかしそうはならなかった。
じゃあ陽菜さんの命と東京とでどっちが大事か,とか聞かれてこっちですとか言える人もあんまりいないだろう。それはつまり帆高のやったことが間違ってると言える人もあんまりいないということである。
そもそも帆高たちには人柱と東京を選ぶトロッコ問題のスイッチがたまたま与えられただけで(陽菜さんにとっては自殺か東京かを選ぶスイッチである),彼らは別に英雄や総理大臣とかじゃない。彼らが人々を助けなきゃいけない理由も特にない。
だがしかし陽菜さんは一度は晴れを届けるという形で人々と関わることを自分の生き方の形として納得していたので,陽菜さんにとって人柱になることはそういった生き方の延長線上にはあったかもしれない。
帆高の言葉は,そうやって新たに獲得できたばかりの天気の巫女というアイデンティティも捨てて生きていこうという提案だったわけだ。
この辺は前作の『君の名は。』より話が一段階難しくなっているなと感じる。『君の名は。』では,三葉は隕石から町を守るにあたって父親(大人たち)の協力を得られなかったが,結局子どもたちだけでうまく問題を解決することができた。
一方で『天気の子』では東京沈没はうまく回避できなかったし,世界の在り方だけでなく,これから陽菜さんたちはどう生きていけば良いのかという彼ら自身の問題まで提示されている。
『君の名は。』の話を出したので,『天気の子』含めこれら2作における"世界の仕組み"観についてちょっと振り返る。
これら2作では何か神様のようなものがもつ絶対的なルール(黄昏時とか入れ替わりとか天気の巫女とか)と,自然が持つ絶対的な脅威が関連している。
これらは新海誠監督の美しい自然の描写や生々しい街の描写によってより説得力を持つものになっている。
まず世界に都会(東京)と自然があり,そしてその両方を支配している絶対的なルールがある,というのが世界観の基本にある。そして2作ではその絶対的なルールに巻き込まれた若い男女がテーマとなっている。
都会と自然の中に同じ神秘的な仕組み現れるというのは現代のアニミズム的な思想を感じる。
『君の名は。』では神秘的な存在というのは,神の領域としてしか現れず,つまり肉体(?)を持つ神様のようなものが目の前に現れるということはなかったが,『天気の子』では雲の魚や龍のような存在が描かれていて,神秘的な存在の具体的な描写が新しく行われていると思った。あの龍みたいなやつかっこいい。
ちなみに雨が続くやつは台風ではなく巨大な寒冷前線(真夏に雪が降ったのも特徴)として描かれている。これは非現実的な災害として描かれていた。
『天気の子』の大人たちについて,彼らの対応が極端に間違ってたかというとそうでもないだろう。一応,陽菜さんが空に消えた夜に多くの人が陽菜さんが泣く夢を見たらしいが,それでも天気の巫女とか信じて行動するのは難しいだろう。
とくに刑事たちの働きぶりは淡々としていて彼らの思想が見えてこないと最初は感じたがむしろ仕事に内面が出ないというのがまさしく大人らしい態度だったのだろう。
高井刑事が帆高にイラついたり,安井刑事が泣いている須賀さんに声をかけるというシーンは彼らの人間味を出しているが,しかし彼らはとくに雨や天気の巫女については言及しなかった。(つまり世界の仕組みを認知していないあるいは興味がなかった)
その一方で,世界のことに興味があり,また就活中の身でありながら帆高や陽菜さんを助けるためにバイクでお尋ねものになってくれた夏美さんは"大人たち"には全く当てはまらない人物として描かれていると感じた。
夏美さんのこの作品における存在意義,特に就活に失敗するような描写がなんの意味をもっていたのか,夏美さんが持つ就活の問題が帆高たちとの関わりでどう変化したのか,あるいは変化しないならなぜそんなシーンを入れたのかを結構不思議に思っていたのだが,こう考えるとあのシーンは夏美さんが大人たちの側の人間ではないことを描写していただけだったのかもしれない。
ついでに帆高が銃持つ必要あったのかという疑問もあって,最初は陽菜さんの天気の巫女の力と対比するための帆高の力として与えられたのかな〜〜くらいに思っていたがあれもやはり帆高と社会の対立を深めるための舞台装置だろうと思っている。
『天気の子』は大人たちと子どもたちの対立を強調しているが,これらに当てはまらない大人も当然いた。
天気の巫女と人柱の仕組みについて知っている老人や,雲の上についてはしゃいで話す研究員などは世界の仕組みに関心のある人たちだった。また立花さんや天気の巫女の一環で関わった人たちのように,誰もが帆高たちの邪魔をしていたわけではない。
須賀さんについて振り返ると,家出の理由を明かさないがとにかく東京で暮らしたいという未成年の帆高の意思を初めて尊重し仕事と住処を与えたひとだった。しかしやがては帆高を匿うことのリスクを考えて,万札と帽子を渡し帆高に帰るように伝えた。
帆高の家出の理由は最後まで明かされなかったが,深刻な事情があるかないかに関わらず意思を受け入れるというのは尊重の仕方として正しい形だろう。
須賀さんは最後は帆高のもう一度陽菜さんに会いたいという心に,妻を亡くしもう一度会うことが叶わない自分と通ずるものを感じたのか,警察と対立し帆高を解き放つ選択をとる。
ここは帆高解放連盟のなかでも夏美さんや凪(先輩)たちとは全く違う動機を持っている感じがする。須賀さんはなんというか常に帆高を対象として動くキャラだなという感じがした。初対面でビールをたかるシーンからは想像できないキャラクターの広がり方だった。
そんな感じで『天気の子』はどうにもならない話だったという感じがあるが,帆高はまだ未来があると確信してたので今後に期待大。
帆高まとめ
中絶は女性の権利、という主張は、胎児は人間ではない、を含意しているとなぜ気づかないのか……
この増田もブコメも中絶と死産と暴行で子どもをなくすのとなぜごっちゃにするのか…意味不明というか意味なさすぎ。この三つは全く違うし、そもそも中絶は女性の権利なんだよ。そこから勉強してこい
ごっちゃにしてるのは、妊婦の腹を蹴るのは殺人未遂、とか言ってる側だろ。元増田は一貫してそこは区別してるよ。
仮に胎児が人間だとするなら、女性に中絶の権利なんてあるわけないだろ。胎児は人間っていうのは、つまり胎児には5歳児と同等の人権があるということだよ。母親が自分の都合で5歳児を殺すことなんて自己決定として認められるわけないんだから、仮に胎児が人間なら中絶も認められるわけがない。5歳児が殺された場合は母親に殺されようが通りすがりの変質者に殺されようが殺人罪が適用されて同列に扱われるんだから、仮に胎児が人間なら女性が自由意志で選んだ中絶手術もそのへんのおっさんに腹を蹴られるのも同じ行為として評価されないとおかしい。
仮に胎児が人間だとするなら、家が貧しいからという理由で殺されてよい5歳児がいないのと同様に貧困による中絶が認められるべきじゃないし、仮に胎児が人間だとするなら、父親が犯罪者であるという理由で殺されてよい5歳児がいないのと同様に性的暴行を受けて妊娠した場合でも中絶が認められるべきじゃない。
逆に、胎児は人間じゃなく母体の一部に過ぎないと考えるなら、美容室で髪を切るのと通りすがりの変質者に髪を切られるのは全然別問題であるように、自由意志でクリニックに通って中絶するのとそのへんのおっさんに腹を蹴られて流産させられるのはまったく異なる話になる。前者は自己決定として尊重されるべきだけど、後者は他人の身体を傷つける悪質な犯罪なので厳罰に処されるべきだ。でも、それは人の命を脅かしたわけではないので殺人未遂に問うことはできない。
そのへんのおっさんが妊婦の腹を蹴るのは殺人未遂だ、と主張する連中は、胎児は人間だ、って主張してるんだろ? だったらその論理的帰結にも賛成しろよ。
そのへんのおっさんが妊婦の腹を蹴るのは殺人未遂だけど中絶は女性の権利、なんて言い草が通るわけないだろ。胎児は人間なのか? 人間じゃないのか? どっちかにしろよ。
中絶は許さないってどういうことなん?出産したら大きく体は不可逆的なダメージを負って、しばらく働けず、脳から分泌されるホルモンによって鬱になったりするんだよ。その準備ができていなかったら無理じゃない?
「もしも胎児が人間であるなら、中絶は許されない」「もしも胎児が人間ではないのなら、中絶は女性の権利である」のどっちかを選びましょうって話やで。中絶が許されるって思ってるなら「胎児は人間じゃない」って思ってるってことだよね? なら堂々とそう言えばいいんじゃね。
私はプロチョイス派だけど、アメリカの中絶反対派はちゃんと望まぬ妊娠をした妊婦のための無料カウンセリングとか里親制度とか孤児院とか整備した上で中絶反対を叫んでるから尊敬できる。
レイプによる妊娠の場合、胎児にレイプ魔の遺伝子が混じっているという当然の嫌悪感という要素も加わってくるので難しいと思います
仮に胎児が人間だとするなら、性犯罪を理由に中絶を認めることは犯罪者の子供というだけで殺されるなんていう非人道的なことを認めることになっちゃうんだよねぇ。親が犯罪者であることを理由に殺されていい人間なんてこの世のどこにもいるわけがない。まあ胎児は人間じゃないから親の素性がどうであれ中絶していいんだけど。
胎児が人間なのはみんな知ってる。人権よりも殺した方が社会負担が軽いから殺人を許しているだけ。完璧な法律なんてないのに、なぜ他人の感情論を馬鹿にするんだろうね。理論構成しないと気持ち悪いタイプなのかな
社会のコストのために殺されてよい人がいるという鬼畜外道理論やばすぎでは。植松かよ。
めわどくせーな。出産が命がけなんだから決定権は妊婦にあるに決まってんだろ。産むと決めたら人間だよ。中絶すると決めたらみんな見てみぬふりをするんだよ。中絶なんてみんなつれーんだからな。分かれよ。
胎児が人間かどうかが妊婦の一存で左右されるべきじゃないだろ。仮に胎児が人間なら母親の一存で殺していいなんて馬鹿な話があるかよ。逆に胎児が人間じゃないなら母親がどう思ってようが徹頭徹尾人間じゃない存在として扱われるべきだろ。
妊婦本人が胎児をどう思っているかという話なら別だけどね。たとえばペットの犬猫を「家族の一員」と呼んでかわいがるのは自由だし、友達がペットを「家族の一員」として紹介してきたらまあ「こんにちは」と人間相手みたいに挨拶してみせるのも社交辞令だろう。でもその犬猫を殺しても殺人罪にはならない。
たまに「中絶は女性の権利なんだから中絶は殺人なわけがない」って意味不明な理屈をみかける。合理的ですって顔してたら、周りはその合理性を検討する。それは主張に賛成否定する以前の行為なんだけど、理解されない
因果が逆なんだよね。胎児が人間ではなく、したがって中絶が殺人ではないからこそ、女性が自由にやっていい行為=女性の権利となるのであって、女性の権利だから殺人じゃない、っていうのはまるっきり転倒している。
胎児に人格を認めると、お産に際し母体が死亡した場合に胎児を殺人に問う理屈から逃げられなくなったりして危険なんやけど。あるいは母体と子の関係だけでなく、父親の義務も発生するぞと脅したらええんか?
胎児が人間だと仮定した場合であっても、お産に際して母体が亡くなっても胎児には殺人の故意がないので殺人にはならない(過失がないので過失致死にもならない)。当たり前だよなぁ? そもそも刑事責任年齢以下だから故意があっても刑事責任が問われることはないし。
殺人未遂ってまさにブコメした人間だけど、これから産まれて人として人生を歩むと想定されてる赤ちゃんが蹴られて死んだら殺人でしょ。中絶の話をもってこられたら、じゃあ中絶も殺人、と思うけど、だから?って感じ
私が批判しているのは論理的一貫性の欠如なので、そういう一貫性を持った立場の人については、反対はするけど強く批判する気にはならないんだよな。胎児が人間であるという前提条件からはそういう結論が自動的に導かれるので、胎児が人間だと思う人がそういう結論に到達するのは当然。もちろん私はその前提は間違ってると思うからその主張には反対するけどね。どう考えても胎児は人間じゃないでしょ。自分の身体の一部をどう扱おうが妊婦の自由だよ。
不同意堕胎が殺人並みに厳罰化されれば十分。罪名が殺人か、胎児が人かはどうでもよく、妊婦への暴行に対して社会が厳しいメッセージを送ることが本質。法は論理原則のためではなく、目的のために作られる。
胎児は人間じゃない。母親にとって時に命より大切な所有物だ。母親に中絶の自由はある。誰かが壊せばその損害と肉体的精神的被害から考えて殺人と同じくらい罪は重い。
こういう主張も、上の「中絶は殺人」と同様、論理的に破綻していないので問題ないと思う。ただ賛成はできない。現状でも不同意堕胎罪はそれなりに重いから。色んな罪を軽い順に列挙してみるとこんな感じになる。
過失致死罪:50万円以下の罰金
暴行罪:2年以下の懲役 or 30万円以下の罰金 or 拘留 or 科料
器物損壊罪:3年以下の懲役 or 30万円以下の罰金 or 科料
業務上過失致死罪:5年以下の懲役 or 5年以下の禁錮 or 100万円以下の罰金
動物愛護法違反(愛護動物の殺傷):5年以下の懲役 or 500万円以下の罰金 ←今月から厳罰化
法定刑の上限だけだとそこまで重くないように見えるかもだけど、下限で見ると傷害罪より重い罪なんだよね。たとえば傷害罪は有罪になっても罰金刑だけで済むこともありうるけど、仮に不同意堕胎罪で有罪になったら必ず懲役刑が科されることになるし(実刑になるかは別)、胎児以外の母体を傷つけたら一気に不同意堕胎致傷罪に跳ね上がるわけで。
ちなみに、こないだのhagex殺人事件は懲役18年です。そう考えると不同意堕胎致傷罪の上限が懲役15年というのは妥当なところだと思うのだけどどうか。不同意堕胎罪単体は、まあ、このぐらいでいいんじゃないかな……これより重くするのはバランスを失しているように思う。でもこれは単なる私個人のお気持ちだから、厳罰化を主張するのは別に論理的におかしいというわけではない。ご自由にどうぞ。
不注意で流産した女性を過失致死で裁くことを考えると22週以降の胎児の扱いも難しいのはわかった。今のところのバランスとしては不同意堕胎罪の罰則強化と殺人の未必の故意認定あたりか
ちなみに過失致死罪の法定刑は50万円以下の罰金だからね。実はみんなが思ってるほど重い罪じゃない(まあ業務上とか自動車運転とかではない純粋な過失致死罪ってあんまり遭遇しないからなあ)。仮に赤の他人をうっかりミスで死なせたら罰金刑のほかに民事で損害賠償を請求されるから金銭的負担はもっと大きくなるんだけど、この場合は誰も請求してこないだろうし。
逆に不同意堕胎罪は言うほど軽いか? って感じがする。上限が懲役7年ってことは、器物損壊罪の倍以上で、犬や猫を殺した場合よりも重くて、傷害罪の半分でしょ? 人じゃないものを傷つける罪としては十分に重い刑だと思うんだけど。まあこのへんは個人の感覚だから、もっと重くすべきという意見も別におかしいわけじゃない。
あと未必の故意は一律にどうこう言えることじゃないから事件ごとに判断すべきで、外野が「未必の故意があっただろ!」って言うのはおかしいと思う。
単純な興味なんだけど、「胎児は人間だけど、殺人の手段が中絶の場合は殺人罪にはならない。中絶の手段は〜に限る。」ってルールを作っちゃえば言葉だけだと論理的には破綻してないと思うんだけど法学的には穴だらけなの?
それを認めたら、「障害者は人間だけど、殺人の手段が薬殺による安楽死の場合は」「ユダヤ人は人間だけどガス室の場合は」への歯止めがなくなるんだよなぁ……
人間を殺すことは原則として許されないというのが近代国家のルールなんだから、それに対する例外規定は最小限であるべきでしょ。
現状、国家による殺人として死刑と戦争が認められてるけど、死刑は「死刑に値する犯罪を犯したと裁判で確定した」人に対して執行されるもので、戦争は武器をとって向かってくる相手を殺すもの。胎児は犯罪者でもなければ武器を持っているわけでもないんだから、死刑や戦争と同列に正当化できるとは思えない。緊急避難も、仮に胎児が人間だとするなら、中絶しなければ妊婦が死ぬという局面に限ってのみ認められるべきという話になるだろうし。
胎児は人間であり妊婦を殴った犯人は殺人罪とするが、女性は胎児を所有しているため殺害する権利を有すると考えれば筋は通っている。
所有物である人間は殺してよい理論を実践してた人たちの像が今世界各地で引き倒されてるんだよなあ……
胎児は人間じゃないので中絶は女性の自由派の私にそんなこと言われても。そもそも私は別に減らすべきとは思ってないし……個々の女性が自由意志を行使した結果なんだから別に減らそうとする必要はなくない?
ていうかなんで避妊が男だけの責任になってんの? 実際には避妊具をつけてないのにつけたと嘘をついたとか強姦したとかの場合を除いて、避妊はセックスする両者が責任を持ってすべきことなんだから男女に平等な責任があるでしょ。仮に男に避妊を拒まれたらセックスも拒めばいいんだよ。自由意志でセックスしといて避妊は男だけの責任なんて通るわけないだろ。
「胎児も人間である、母体の所有物では無い」は先進的・左派的な響きがあるけど「だから中絶は殺人だし基本的にダメ」って保守的・右派的な結論になってしまうの、茶化すみたいで恐縮だけど、正直ちょっと面白い。
妊娠中絶は絶対許さないマン、たまに海外ニュースで見るだけだと「頭おかしい」って感じだけど、「胎児は人間である」という前提を突き詰めたらこういう結論に至るしかないんだよね。反論する側も、なぜか望まぬ妊娠の場合はとか言って話題を逸らしてるし。いや胎児は人間じゃないって反論しろやアホか。
日本のプロライフが矛盾してないとでも?胎児が障害をもっている場合に中絶を許可する胎児条項は70年代に生長の家とカトリックが法制化しようとしたんだぞ?フェミと障害者団体が潰したけどな。
「一貫性があるプロライフ派は尊敬できる」とは言ったけど、「すべてのプロライフ派は一貫性を持っている」とも「日本のプロライフ派は一貫性がある」とも言ってないな。プロライフ派が矛盾した言行をしてるなら好きに叩けば。
何度も言うけど私はプロチョイス派だからね。筋の通ってない主張をする味方よりは筋の通った敵の方が尊敬できるとは言ったけど、プロライフ派を支持するとは一言も言ってないし、むしろ支持しないと明言してる。ここでは議論の筋道の話をしてるんであって、半世紀前の派閥抗争の話にはこれっぽっちも興味ないんですわ。
私には胎児が人間だなんて思えないからプロライフ派は支持できないし堕胎の自由を支持するけど、同時に、胎児を人間だという前提を支持するなら中絶の全面禁止という結論になるほかないんだから、第三者による胎児への危害を殺人と主張しながら中絶の権利を主張するやつは同じプロチョイス派であっても思考が支離滅裂すぎるので軽蔑に値するとも思うよ。逆に、胎児は人間だから中絶も禁止すべき、という主張はまったく賛同できないけど論理展開は正しいから尊敬すべき敵手だと思う。賛成反対と尊敬軽蔑の軸はまるっきり別なんだよなぁ。
民法721条では胎児でも加害者への請求権が認められてるのに触れないとこ見ると専門外の人なんだろうな。グレーゾーン故に解釈改憲とおなじく運用でカバーしているという単純な話。
元増田で論破されてブコメ消したやつがまたデタラメぶっこいてるな。胎児が生まれた場合に損害賠償請求権や相続権がまだ生まれてなかった頃にまで遡って適用される民事上の話と胎児に対する危害をどう考えるかという刑事上の話をごっちゃにしてんじゃねーよ。
妊婦の暴行事件に関する記事についたブコメがアホすぎて絶句した。国民情緒法すぎる。
街中で妊婦の暴行事件も マタニティーマーク「不安」3割超(産経新聞) - Yahoo!ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/ad6bbfbd18773299c478ae9300ba1cdd8290f40d
“道警は男を釈放して、任意で捜査を続けている” 暴行ってこんなに軽いの?明らかに悪意あるのに、妊婦抜きにしても酷すぎない?
“女性は妊娠中であることを伝えたが、男は犯行を止めなかった。女性にけがはなく、胎児にも影響はなかった。道警は男を釈放して、任意で捜査を続けている”へえ法的には怪我がなければ妊婦蹴ってもOKなんだ
逮捕は刑罰じゃないってあれだけ池袋の事故のときに言われてたのにまったく学習してないの?
逮捕を「悪いやつを捕まえる」ことだと勘違いしてるやつ多すぎ問題。
逮捕は、「捜査しているあいだに逃げられたり証拠隠滅されたら困るから犯罪をしたと疑われている人を拘束する」手続きにすぎず、犯罪をしたと疑われている人(=被疑者≠真犯人≠悪人)が逃げる恐れも証拠隠滅する恐れもなければ逮捕する必要はないんだよ。
51歳の無職の男だと身元が割れていて、通りすがりの妊婦の腹を蹴ったってことは衝動的な犯罪なんだから隠滅できる類の証拠はないだろ。こんなん逮捕する意味ねーわ。任意で捜査して在宅で起訴して、実刑判決が出たら収監すればいいんだよ。
「任意で捜査を続けている」ってことは、捜査自体は続いてるんだから、これから検察に送られてそこで不起訴になるか起訴されるかが決まるってことでしょ。なんで自分で「捜査を続けている」って箇所を引用しといてそれに気づかんの? アホなの?
そもそも厳罰を下すのは裁判所の役割であって警察の仕事じゃないっていうのは義務教育で習うはずなんだけど。社会問題について物申すならまずは義務教育の社会科からおさらいした方がいいんじゃない?
(じゃあ京アニ放火事件の犯人が逮捕されたのはどうなんだって言われるかもしれないけど、ああいうのを不当逮捕というので覚えておきましょう。重い火傷で寝たきりの人を逮捕するなんてマフィアのボスとかでもない限りありえない。そんな状態なら逃げることも証拠隠滅することもできないのに。たとえどんな極悪人であっても、不当逮捕されていい理由はどこにもない)
これは殺人未遂だわ
妊婦に流産しかねない危害を加えることを殺人未遂と呼ぶ馬鹿は毎度毎度湧いてくるけど、「流産させようとするのは殺人未遂」→「胎児は人間」→「人工妊娠中絶は殺人」っていう定跡で即詰みになるやつ。
詰将棋の中でも一番よく知られた定跡だと思うんだけどなんでこんな基礎でつまづくやつが多いのかね。
胎児は人間じゃないんだから、妊婦本人に生命の危険があるのではない限り殺人未遂なんて適用できるわけないだろ。仮に流産したとしても傷害罪だよ。(※)
それとも人工妊娠中絶は殺人なので規制しろっていうのが民意なの? アメリカかよ。
(※)訂正。仮に流産してたら不同意堕胎罪だったわ。堕胎罪はとっくに死文化したと思ってたけど、不同意堕胎罪は最近も適用された例があるんだな。知らなかった。とすると、女性本人には特に怪我もないが流産してしまったという場合には不同意堕胎罪が適用されて6ヶ月以上7年以下の懲役ということになり、不同意堕胎致死傷罪の場合は傷害罪や傷害致死罪と比べて重い罪で処断されるから、流産した上に怪我をしたという事例なら不同意堕胎致傷罪の下限と傷害致死罪の上限が合わさって6ヶ月以上15年以下の懲役、流産した上に女性もそれが原因で死んでしまったなら傷害致死罪で3年以上20年以下の懲役ということになるっぽい。
こういう事する奴がいるから関わりたくないしオッサンは害悪なんだよ。分からないのかね。/妊娠中絶と妊婦への暴行は同系列に考えること?同意の上での手術とそこらへんで知らんオッサンに腹蹴られることが一緒??
妊婦の腹を蹴ることが殺人未遂っていうことは、胎児は人間ってことでしょ。じゃあ親が同意してようが関係ないじゃん。被害者は胎児なんだからどっちも殺人じゃん。
それとも、赤の他人が子供を殺すのは殺人だけど実の親が子供を殺すぶんには構わないってこと? あまりにもおぞましい主張すぎる。心愛ちゃんの墓前でそれを言えるのかな。たいていの児童虐待が無罪放免になっちゃうな。
もしも妊婦の腹を蹴るのが殺人未遂なら人工妊娠中絶は殺人なので全面禁止されるべきだし、中絶が妊婦の判断で許されるなら妊婦の腹を蹴って流産させても傷害罪不同意堕胎罪だろ。どっちかにしろよ。
妊婦がお花畑って思う時点で病んでる。殺人未遂は妊婦本人に対しても可能性あったでしょ。胎児に何かあったら妊婦も死ぬことあるよ。
殺人未遂罪が適用されるためには、「結果的に死ぬ可能性もあった」じゃなくて「妊婦本人を殺そうと思って蹴った」という故意の存在が必要。
「無理やり流産させたら妊婦が死ぬかもしれないけど、まあいっか」と思って蹴った場合は殺人未遂罪が成立するけど、「流産させてやろうと思ったが妊婦を殺すつもりはなかった」という話なら殺人未遂罪の適用は無理。上で書いたように不同意堕胎致死傷罪の成立に留まると思う。
妊娠中絶への影響を考えずに「殺人罪にすべき」「差別じゃん」は素朴にすぎるが、妊娠中を理由にした厳罰化自体はあってもいい気がする
これは数少ないマトモなブコメだけど、実際こういう立法ってどのくらい可能なんだろうね。
上で書いたように、仮に妊婦の腹を蹴って怪我をさせた上に流産をさせたら、不同意堕胎致傷罪が適用されて普通の傷害罪よりも重い刑(6ヶ月以上15年以下の懲役)になるから、既に厳罰化はされてるんだよね。
現行法で妊娠中の人に危害を加えても法定刑に変化がないのは、ざっと考えつくところだと次のようなパターンがあると思う。
これらのうち、傷害致死罪(3年以上20年以下の懲役)も殺人罪(5年以上20年以下の懲役or無期懲役or死刑)も十分に重い罪だから、別に法律を変えなくても法定刑の範囲で情状によって量刑を上げればいいだけの話だと思う。
(※)ブコメの指摘を受けて、不同意堕胎罪は未遂も成立することに気づきました。ということは「妊婦の腹を蹴ったが、怪我も流産もしなかった」場合は不同意堕胎未遂罪ですね。ご指摘ありがとうございます。
ただ、
って場合がどうなるのかは気になる。妊婦に対しては殺人未遂罪が成立するとして、不同意堕胎罪は成立するのかな。詳しくないんでこのへんはわからん。
法律的なことはよく知らないけど、妊婦のお腹をけった人が簡単に釈放されて社会に出てくるようだと、不安が広がるのは確実だよね。たいした罪にならないなら俺もやろうという、キチガイが増える可能性がある。
捜査段階での釈放は無罪放免ではないという話なんですが、理解できませんかそうですか。不安を口実に市民の人権を不当に制約する麗しき中世ジャップランドって感じ。
親の同意無しでの連れまわしみたいに、
大人が子供をあちこち連れて歩く行為は、それ自体が子供に危害を加える性質の行為ではなく、誰がやったかによって悪いか悪くないかが決まる行為だよね(親や、親の同意を得た人が子供を連れ回すぶんには子守で、同意を得てない赤の他人が同じことをやると誘拐)。
でも、たとえば子供を殴るとか蹴るとか殺すとか犯すとかは、それ自体が子供に危害を加えることになるんだから、親がやろうが赤の他人がやろうが罰せられるべきだよね(赤の他人が子供を殴るのも親が子供を殴るのも暴行や傷害)。
中絶がどっちにあたるのかは言うまでもないと思うんだけど。
仮に胎児が人間であるなら、親が堕ろそうが赤の他人が中絶させようが、胎児への危害なんだから等しく殺人として扱われるべきでしょう。情状酌量で減刑せよというならともかく、片方を罰して片方を無罪放免にせよなんてのは道理が通らない。
しかしもちろん、胎児は人間ではないので、人工妊娠中絶は殺人ではないし、赤の他人に蹴られても殺人未遂にはならないわけですね。
ブコメしてないけど胎児は人間だと思っているので中絶は禁止and犯罪にするべきだと思うし妊婦の死傷は被害者二人でカウントしたい
それなら筋は通っているのでけっこうなことだと思う。私はその意見に反対だけど。
これちょっと前の堕胎の際に配偶者の同意が必要な話でもそうだけど、堕胎するのは母親の権利でいい、つまり母親の一部あるいは所有物とする反面、事故事件によって流産になると簡単に殺人だって言い出すよね。
ほんとそれなw 私自身はガチガチのプロチョイス派だから、中絶は妊婦の自由だろ、父親の同意すら要らんわ、って思うけど、そのへんにいる素朴なプロチョイス派がお気持ちベースで矛盾した意見を主張しまくってるのは頭痛がするよ。それだったらまだ、胎児は人間なので流産させたやつは殺人罪だし中絶も一律禁止、っていうガチガチのプロライフ派の方が筋が通っていて好感が持てる(前提がおかしいだけで、論理展開は何も間違ってない。素朴なプロチョイス派は論理展開がおかしすぎてついていけない)。
胎児に対する加害は水俣病の時に争いになったよね。まぁ、他人による加害と、リプロダクティブ・ヘルス/ライツを同じ土俵にあげない方がいいと思うけど。両立できる権利だよ。
もしも胎児が人間だとするなら、母親だからという理由で人間を殺す権利や自由や意思決定が尊重されるわけないんだから、中絶を一律全面禁止するしかないじゃん。
逆に言えば、中絶において妊婦の意思決定を尊重すべきだ、という主張は、暗黙のうちに胎児は人間ではないと言っていることになるんだから、同じ口で無理やり流産させるのは殺人って言ったら矛盾だよね。リプロダクティヴ・ライツはけっこうだけどちょっとは論理的に考えてほしい。
妊娠後期は中絶が認められていないが、それは胎児が人間として認識されるからかだと思っていた。今回の事件は出産間近だが、暴行により死産した場合の解釈はどうなるのだろう。
ここまで一部露出説なし
ブコメで先に言われちゃったけど、判例・通説では「母体から新生児の身体の一部が出てきた状態」から殺人罪が適用されるので(一部露出説)、暴行により死産しても不同意堕胎罪に留まるのでは。
これが殺人罪、もしくは殺人未遂罪でない、とするなら刑法を変えないといけないね。厳罰化しないと「罪にならないから」と同じ事を繰り返す阿呆どもがいるから。/加害者を擁護しているように見えるぞ?
法改正だけなら簡単で、堕胎罪を全面的に削除すればいいんだよね。刑法には人を殺したら殺人罪とは書いてあるけど人の定義は書いてないんだから、堕胎罪を削除した上で「胎児も人に含まれる」という判例変更をすれば、妊婦の腹を蹴って流産させようとする行為は殺人未遂罪で取り締まれるようになる。仮に流産したら殺人罪だ。厳罰化ばんざい!
なお、その場合はこれまで合法的に行われていた人工妊娠中絶がすべて殺人ということになる模様。お医者さんは殺人罪に問われたくないから中絶手術を引き受ける人がいなくなり、結果的に子殺しの罪で訴追される女性が大幅に増えそう。そういう未来がお望みというなら、どうぞ法改正のために運動なさってくださいな。
妊娠22週以降の場合は胎児の権利を認めて罪に問いたい気持ちもわかるけど、胎児の権利を認めるという事は死産等も過失致死など問われることになるわけでねぇ。
殺人未遂にしろとか言ってる人はエルサルバドルみたいな国がお望みなのかな? って話になっちゃうよね>https://www.amnesty.or.jp/news/2018/0220_7308.html。
殺人未遂だの何だのと言い出す人がいなけりゃ同列に語る必要はなくなるんだけどね。胎児が人間ではなく母体の一部だと考えるなら、赤の他人に無理やり除去されることと自分の意志で除去することはまるっきり別の話になる。
でも、もしも胎児が人だとするなら、おっさんが腹いせに蹴る行為も女性が身を守ろうとする行為も、どちらも等しく人の生命への加害ってことになっちゃうんだよね。だから「同列に語るな!」っていう文句は殺人未遂がどうとか言ってる人たちに向けてほしい。
その割には中絶や無理心中に寛容だよな……と不思議に思っていたけど、「胎児や子供にも人権はあるが、親の所有権の方が優越する」という前提を置いて解釈するとめちゃくちゃ整合性があることに気づいてしまった……
民法第721条 胎児は、損害賠償の請求権については、既に生まれたものとみなす←重い刑云々の論点でこれについて一切触れてないので専門家でもなんでもないんだろうな
それ、胎児が流産や死産したときには適用されないんだけど。何もわかってなくて草。
民法第3条は「私権の共有は出生により始まる」と定めるが、損害賠償・相続・遺贈については、それを厳格に適用すると不具合が生じるので、胎児は「生まれたものとみなす」ことにしている(なお「みなす」ということは、実際には生まれていないことを含意するのであり、その「みなし」の効力は損害賠償・相続・遺贈以外の条文、ましてや刑法に及ぶものではない。そもそも損害賠償は民事の話であって刑事は関係ないやろ)。
どういうことかといえば、交通事故で父を亡くした2人の子供がいたとして、仮に厳格に出生によって損害賠償請求権や相続権が発生するとすると、
ということになってしまう。でも、B君だってお父さんの子供で、いずれ生まれることはわかりきっていたのだから、お父さんの事故死のタイミングが数日ずれただけで損害賠償や遺産を受け取れないのは不公平だ。
だから民法では、損害賠償や相続については、胎児は「既に生まれたものとみなす」ことになっている。つまり、実際にはお父さんが死んだ時点では生まれていなかったとしても、生まれていたことにして損害賠償請求権や相続権を認めましょう、ということだ。
当然これは、流産や死産の場合には関係なくなる。だって、損害賠償や遺産を受け取るべき子供がもとから存在しないんだもの。存在しない子供には損害賠償の請求権なんてあるわけないだろ。
私が高校生の時には電車通学をしていたが、電車内等における痴漢行為が、犯罪であろうが条例違反であろうが、どうでもいいと思っていた。
なぜなら、自分より年上であるとみられる人間から身体を触られて、それが「犯罪である」とされていたとしても、その人にとってはなんの抑止力にもなっていないことを目の当たりにしていたからだ。
犯罪であることが、抑止力にならないとして、「犯罪だからやってはいけません」という語句が通用しないのであれば、犯罪であろうがなかろうが痴漢行為をするのがその人たちなのであると思っただけのことである。別に私は立法に興味はない。
同級生と一緒に帰りの電車に乗っていて、かなり空いていて、私は同級生の女子とおしゃべりをしているにもかかわらず、私のふとももをさわってきたので(全員、立っている)、同級生と一緒であったがために私は勇気を出すことができたので、その人が電車が駅に停車をして降りていく際に同級生ともども一緒に降り、痴漢本人に声をかけ、ホームにいた駅員に「この人痴漢です」と伝えた。
その痴漢の人は、おとなしく言われるがままに通報され、私はそのあと警察署に行き被害届を出した。
私の友達で、痴漢行為に対して逮捕をしたことがある人はいないし、もしかしたら知り合いに経験者がいるのかもしれないけれどこの経験について誰かと話して共感しあったことはない。別に共感を求めたこともない。
…と、強がりたくなるくらい、被害届を出す行為は苦痛であった。
制服を来た高校生である自分が、降車した駅の最寄りの警察署の取調室で、男性の刑事二人に具体的な行為について調書を取られることは苦痛であった。(友達は、先に帰っていた。)
このことの苦痛について、「なんで苦痛なの?」と男性から聞かれることすら苦痛である。
私は、すでにうけた苦痛について、同じ原因となる苦痛を再度受けたいと思わない。
しおりさんの電車内での痴漢行為についてのブコメ、「ああ、このブコメは女性によるものだな。」と思えるものがたくさんあった。
普段、ブコメをしている人が男性であるか女性であるかを気にしていなかったけれど、この件に関しては性別が見えると言っていいほど判別つく気がした。
そして、いまなお私は「どっちでもいい」と思ってしまう。
けど、AnonymousDiary に初めて書き込んだ。
痴漢が犯罪であろうが、逮捕されようが書類送検されようが有罪になろうが無罪になろうが条例違反だろうが罰金だろうが、どうでもいい。
うんざりするほど、思考停止せざるをえないほど、痴漢が元気だ。
そして、痴漢行為についての単なる事実についての女性たちの告白に対して「どこの国だよw」といったような書き込みを誰がしているのか。そういうことを言う人間像がさっぱり想像つかないのだが、私が遭遇した痴漢というのはほとんど無個性な身なりをしていたので、痴漢は見た目でもわからないし発言からもわからないなと私は思う。
まあ、ほんとにどうでもいいと思ってしまう。それくらいただの日常である。
そして、これまで私はこういうことについて何かを主張しようとしてきたことはないけれど、
身近にいる人に痴漢の体験談などをすると、たいてい、「そういうことは許せない」と口ではいうが、その人はそう言うだけで何も行動はしない。
求めていないから構わない。
私は主張をしようとしてきたことはないけれど、
たとえば、ポルノビデオの視聴時間や、売上や、タイトル本数などの統計による国別の比較によって、どれだけ私たちの国が性的なことにお金を使っている国民であるという単なる事実の可視化は必要なのかもしれないと考える。
私は、決して日本や日本人というものをおとしめたいのではなく、
ただただ、毎日高校生が電車で通学しているだけで精液をかけられたりスカートを切られたり膣に指を入れられたりすることが常態化しているのが異常であるということの共通認識が存在していないことがこの社会の異常性の最もわかりやすい例だということを伝えたい。(だが伝わったためしがないからこんなどうしようもない文章になるほど体がこれまで傷ついてきた。)
Wikipediaには「福岡市香椎の海岸で発見された男女の情死体に疑問を持った2人の刑事の事件捜査を活写し、F・W・クロフツらによって確立されたアリバイ崩しのスタイルを継承したミステリー長編。著者の最初の長編推理小説であり、松本清張ブームを巻き起こした作品である。」とある。
今から30年前、すでに、「点と線」は松本清張の傑作と言われ、映画化などもされていたが俺はそもそもミステリーが好きではなく、まったく読む気はなかった。
食わず嫌いはよくないと思い、いよいよ読み始めた。するとこれがなかなか面白い。
ただ、途中で、「これって飛行機使えば、アリバイ崩れるんじゃないかな?」とちょっと引っかかったが、「まあ、飛行機がない時代背景なんだろうな」と、ワクワクしながら読み進める。
ところが、「あ! 飛行機を使ったのか! それなら間に合うぞ!」というトンデモ展開。
そんな俺におすすめのミステリーを教えてほしい。新コロナのせいで、読みたい本がなくなってしまったんだ。
シャーロック・ホームズとか、アガサ・クリスティーの作品は、なんとなく話の筋を知っているので、勘弁。
誰かがドアをしつこくノックする音で目が覚めて時計を見たらまだ朝の6時だった。あまりにもしつこくノックが続くのでドアを開けずに返事したら、県警の者だという。開けると刑事らしい人が数人立っていて、2人の男性警官に挟まれるようにしてパトカーに乗り、警察署まで連れて行かれ、無免許でのジョギングにより逮捕すると言われた。
この春頃からジョギングが免許制になったのは知っていたが、それほど深く考えてはいなかった。無免許でのジョギングが刑事罰の対象になるなどとは想像もしていなかったが、知らなかったでは済まされないぞと取調室で言われた。
新型コロナウイルスが流行りだしてから、ジョギングコースの周辺に住む人の感染例が突出して多いことが注目され、マスクをせずにジョギングしている人々が問題になった。自分が息苦しいからといってマスクをせずにウイルス混じりの息を通行人に吹き掛けながら走り去っていくランナーの無責任さが全国で呪詛を呼び、ランナーから国民を守る党という冗談のような名前の政党から参議院議員が出るまでになった。国民感情におもねった与党がジョギングを免許制とする法案を提出し、可決されたのはその頃だった。
ジョギングの実施を希望する者は所定の教習所で研修を受け、筆記試験と実技試験に合格せねばらない。合格後、ジョギング時にはマスクをすること、他の通行人と4メートル以上の距離を開けること、歩行者に接近する場合は車道に自分から降りることなどを含めた誓約書を提出し、20万円の供託金を納付した後、晴れて免許が交付される。
ジョギングの実施時には常に免許を携帯するほか、GPSとBluetooth機能がついた政府支給のリストバンドを着用しなければならない。人気のあるジョギングコースには至る所に監視カメラとセンサー付きのポストが立っており、常にランナーの動向を監視している。マスクやリストバンドを着けていないランナーを感知すると画像が警察のサーバーに送信され、該当者の免許は即時停止となり、供託金も没収される。
週末の夕方、あまりにも蒸し暑くて息苦しかったのでマスクを外していつものジョギングコースを走ったところ、2、3日後には免停とする旨の郵便物が警察から送られて来たところまでは覚えているが、それほど深い意味があるとは思っていなかった。たかがジョギングだ。以前は免許なしにみんな走っていたのだから、それが当たり前なのだ。そう思って、夜中にまたマスクをせずに走ったら、警察が来たのは翌朝のことだった。
君さ、免停になった翌日に無免許でマスクなしでジョギングしてるよな、これ相当悪質だよ、だいぶ長くなることを覚悟しないと、と取り調べの刑事に言われた。長くなるとは、何が、どれぐらいのことを言うのだろう。会社はどうなるのだろう。同様の経験をした人がいたら教えて欲しい。
トクナナ視聴終了。
最初から最後までごくごく普通の話だった。というか見慣れた見易い話だった。
こういうのを差し挟むからこそアニメ視聴を長く続けられるというものだ。
深刻だったり斬新だったり面白すぎたりするのめり込みアニメばかりじゃあ息もつけない。
主人公は特徴も何も無いし、キャラ的にも「なぜ龍なのにワンパンマン的な戦闘スタイル…」という疑問が。
その分、主役を食っていたのが切嗣みたいな頭をして射撃が下手な相棒だ。
濃すぎた。
あと、異種族が居るという世界観も全く生かされていない感じはある。
同僚がドワーフだったりバンパイアだったりホムンクルスだったりするのはまあ…いや…別に不要な気がする。
謎だ。
それから、普通だと主人公を助けたあの元刑事は最後に死ぬよな。
検察庁法改正の1番の問題は、安倍ちゃんとツーカーの仲の人間が現在検事長で、定年延長によりその人が出世して検事総長になれる可能性が高いということ。
検察は刑事訴追権を有するから安倍ちゃんやそのお仲間に有利に刑事訴追権を行使するかも…とか言われてるね。
三権分立がどうとかというのはよく分からないけど、少なくともこの法改正で安倍ちゃんと愉快な仲間たちに有利な方向になるのは間違いないと思うよ。
三権分立がどうこう言ってるのは正しくない!今回の法改正は少子高齢化のためやむを得ない!という人は、今回の法改正があまりにもタイミングが良すぎるという事にはどう反論するのかな?
コロナでわちゃわちゃやってる時に、法改正を行うことで本来検事総長になれないはずだった人が検事総長になれちゃう上に、その人が時の首相安倍晋三氏の子飼いの人間というミラクル。
これが本当に偶然かな?
これでICUとか人工呼吸器セットとかにありつけると思うのだが、どうよ?
・救急車を呼んで、「ものすごく呼吸が苦しい」などといった旨を伝える。
・救急科に搬送してくれる。少なくとも現場レベルでは、重症を訴える患者を見殺しにすることは恐らくできないはず。
数回救急車に乗った経験では、消防も病院も怠慢は絶対にしない。
よく知らないけど、もしそんなことしたら万が一死んじゃったとかの場合、刑事でも民事でも行政でも処分される。
・普通の救急科医はどちらかというと血ダルマの交通事故被害者とか黒コゲの焼死体寸前の人間の相手などが専門だろうから(勝手な想像)、必ずしも呼吸器科のプロとは限らない。
・検査をして肺に異常が無かった場合でも、現代の検査では呼吸器官に異常が見つからなかったというだけで、未知の症状・病気という可能性だってあるのだし、
重度の風邪かインフルか肺炎か結核か別の何かか分からないし、最悪タバコの吸い過ぎで風邪が悪化したかもしれないとでも言えばいい
体にも倫理的にもよくないが、飲酒運転や殺人と違って、風邪引いた状態で喫煙とかしたからといって違法ではない
ましてそれで救急車を呼ぶ羽目になっても(ただしイタズラ電話とかは明確に違法だったと思う)
・痛みとか苦しみといった主観的な症状は現代医学でも客観的に測定しかねる場合が多々あるので(例:幻肢痛)、詐病とか悪質な嘘にならない範囲で、逆手にとって大いに主張する
・本当に新型肺炎の重症の場合でも、結核みたいなレアケースでも、上記のようなタダの不摂生による重症でも、毎月月給から大量に搾り取られられている税金や社会保険料による公共サービスを正当に行使しただけである
・命に関わるような大病でなくても、死ぬかと思うような激痛を伴う病気も普通に存在するし(1敗)、自覚症状が無くても即死寸前の重病という場合もあるので(1敗)、そういう判断は専門の検査とか医者が必要になるんだから、遠慮なく呼ぼう