私が高校生の時には電車通学をしていたが、電車内等における痴漢行為が、犯罪であろうが条例違反であろうが、どうでもいいと思っていた。
なぜなら、自分より年上であるとみられる人間から身体を触られて、それが「犯罪である」とされていたとしても、その人にとってはなんの抑止力にもなっていないことを目の当たりにしていたからだ。
犯罪であることが、抑止力にならないとして、「犯罪だからやってはいけません」という語句が通用しないのであれば、犯罪であろうがなかろうが痴漢行為をするのがその人たちなのであると思っただけのことである。別に私は立法に興味はない。
同級生と一緒に帰りの電車に乗っていて、かなり空いていて、私は同級生の女子とおしゃべりをしているにもかかわらず、私のふとももをさわってきたので(全員、立っている)、同級生と一緒であったがために私は勇気を出すことができたので、その人が電車が駅に停車をして降りていく際に同級生ともども一緒に降り、痴漢本人に声をかけ、ホームにいた駅員に「この人痴漢です」と伝えた。
その痴漢の人は、おとなしく言われるがままに通報され、私はそのあと警察署に行き被害届を出した。
私の友達で、痴漢行為に対して逮捕をしたことがある人はいないし、もしかしたら知り合いに経験者がいるのかもしれないけれどこの経験について誰かと話して共感しあったことはない。別に共感を求めたこともない。
…と、強がりたくなるくらい、被害届を出す行為は苦痛であった。
制服を来た高校生である自分が、降車した駅の最寄りの警察署の取調室で、男性の刑事二人に具体的な行為について調書を取られることは苦痛であった。(友達は、先に帰っていた。)
このことの苦痛について、「なんで苦痛なの?」と男性から聞かれることすら苦痛である。
私は、すでにうけた苦痛について、同じ原因となる苦痛を再度受けたいと思わない。
しおりさんの電車内での痴漢行為についてのブコメ、「ああ、このブコメは女性によるものだな。」と思えるものがたくさんあった。
普段、ブコメをしている人が男性であるか女性であるかを気にしていなかったけれど、この件に関しては性別が見えると言っていいほど判別つく気がした。
そして、いまなお私は「どっちでもいい」と思ってしまう。
けど、AnonymousDiary に初めて書き込んだ。
痴漢が犯罪であろうが、逮捕されようが書類送検されようが有罪になろうが無罪になろうが条例違反だろうが罰金だろうが、どうでもいい。
うんざりするほど、思考停止せざるをえないほど、痴漢が元気だ。
そして、痴漢行為についての単なる事実についての女性たちの告白に対して「どこの国だよw」といったような書き込みを誰がしているのか。そういうことを言う人間像がさっぱり想像つかないのだが、私が遭遇した痴漢というのはほとんど無個性な身なりをしていたので、痴漢は見た目でもわからないし発言からもわからないなと私は思う。
まあ、ほんとにどうでもいいと思ってしまう。それくらいただの日常である。
そして、これまで私はこういうことについて何かを主張しようとしてきたことはないけれど、
身近にいる人に痴漢の体験談などをすると、たいてい、「そういうことは許せない」と口ではいうが、その人はそう言うだけで何も行動はしない。
求めていないから構わない。
私は主張をしようとしてきたことはないけれど、
たとえば、ポルノビデオの視聴時間や、売上や、タイトル本数などの統計による国別の比較によって、どれだけ私たちの国が性的なことにお金を使っている国民であるという単なる事実の可視化は必要なのかもしれないと考える。
私は、決して日本や日本人というものをおとしめたいのではなく、
ただただ、毎日高校生が電車で通学しているだけで精液をかけられたりスカートを切られたり膣に指を入れられたりすることが常態化しているのが異常であるということの共通認識が存在していないことがこの社会の異常性の最もわかりやすい例だということを伝えたい。(だが伝わったためしがないからこんなどうしようもない文章になるほど体がこれまで傷ついてきた。)
でも、中年男性の自殺率が突出して高いからなあ。
学習性無力感というやつですね こんなクソな世の中で、前向きに生きられる方がどうかしている
でもキモ