はてなキーワード: ベトナムとは
この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代的国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮と西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍がキリスト教徒虐殺事件(丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮の江華島を攻撃・占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国もジェネラル・シャーマン号事件(1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮の江華島に攻撃・占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮と通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。
当時朝鮮の政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である。清朝から西欧列強の情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策を積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国を夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。
また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国が朝鮮を守ったため、今回も中国が朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国は東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮の認識ですから、親分である中国に自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。
他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはやく開国し明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係を樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月に明治政府が樹立するとすぐに書契、すなわち国書を対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためである。しかし国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。
この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である。日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から、条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係を位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国の王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである。
征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。
1868年以来、何度か日本からの国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いから両国の関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国の官僚同士が険悪となっていた。長崎の出島のごとき釜山の倭館に限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである。釜山の倭館は朝鮮側が日本、特に対馬藩の使節や商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府は対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収し日本公館としたことから事態が悪化したのである。結果、必要物資の供給及び密貿易の停止が朝鮮側から宣言される事態となった。
日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年、朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約、日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉を忌避する朝鮮を、交渉のテーブルに着くように促したのである。
1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本が朝鮮に出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本からの国書を受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊を意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。
国交交渉再開の気運が高まり、1875年に交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚が交渉のテーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山の洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢に朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山は4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍の砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月に派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目で示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。
詳細は「江華島事件」を参照
9月20日、首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島の要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器、旗章、楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件は朝鮮側が日本海軍所属の軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。
明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。
またこれらが満たされない場合、軍事行動も含む強硬な外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見はほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さらに朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強の干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである。
さらにボアソナードのいう軍事行動も含む強硬な外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦や兵士の護衛がつき、威圧効果を朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋が山口県下関に入り、広島・熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのである。さらにいえば、日本の砲艦外交的姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。
ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシアや清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。
以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。
砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。
江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係を樹立すること。
また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮の宗主国である対清朝政策でもあり、清朝の干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀、欧米列強のアジア侵略に対抗するため、清朝は朝鮮やベトナム、琉球などの冊封国を保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジアの伝統的な国際関係をそのまま近代的国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴル、チベット、新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。
この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである。
1883年6月、金玉均は自身にとって3回目の日本訪問の途についた。前回の訪日で会見した日本政府の高官は、朝鮮国王の委任状があれば借款に応ずることを示唆しており、朝鮮からの留学生尹致昊の帰国に際しても大蔵大輔の吉田清成はかさねてそのことを金玉均に伝言していた[5][注釈 2]。
しかし、高宗からあたえられた300万円の国債借り入れの委任状を持参して来日した金玉均に対する日本政府の対応は冷たかった[5]。300万円は当時の朝鮮における国家財政1年分に相当しており、日本の予算約5,000万円からしても巨額なものであった[5][7]。メレンドルフの妨害工作もあったが、日本政府としても大蔵卿松方正義が緊縮財政を進めているなか、財政力に乏しく政情も不安定な朝鮮に対し、そのような巨額な投資をおこなうべき理由は乏しかった[5][10]。金玉均は、日本についで、フランスやアメリカ合衆国からの借款工作にも失敗した[5]。
1884年5月、金玉均は失意のうちに朝鮮に帰国した。朝鮮では、以前にもまして大国清の勢力が猛威をふるい、朝鮮国の重臣たちはそれに追随し、開化派の活動はいっそうせばめられていた[5]。清とフランスの緊張関係の高まりから、5月に遼東半島に移駐することとなった呉長慶にかわって野心家の袁世凱が実権を掌握し、朝鮮王宮は彼の挙動に左右された[5]。これに危機感を覚えた金玉均らは国王高宗を動かそうと計画した[7][10]。高宗もまた閔氏の専横に心を痛め、朝鮮の将来に不安をいだいていたのである[7]。
清仏戦争の直接原因となった1884年6月23日のバクレ伏兵事件(英語版)
1884年6月、ベトナム領有を意図するフランスとベトナムでの宗主権を護持しようとする清国との間で清仏戦争が勃発した[10]。清越国境付近のバクレでの両軍衝突が引き金となったが、この戦いで劣勢に立った清国は朝鮮駐留軍の半数に相当する約1,500名を内地に移駐させた[5]。独立党は、これを好機ととらえた[10]。日本もまた、壬午軍乱以降、無為にすごした失地回復の好機とみて清国勢力の後退を歓迎した[5]。井上馨外務卿は帰国中の弁理公使竹添進一郎に訓令し、10月に漢城に帰任させた。竹添は軍乱賠償金残金の寄付を国王に持ち掛ける一方、金玉均ら独立党に近づいた[5][11]。
竹添進一郎
金玉均らは11月4日、朴泳孝邸宅に日本公使館の島村久書記官を招いて密談をおこなった。集まったのは、金玉均、朴泳孝、洪英植、徐光範、島村の5名であった[12]。そこで金玉均は島村にクーデタ計画を打ち明けているが、島村はそれに驚きもせず、むしろ速やかな決行を勧めるほどであったという[12]。かれら独立党は3つのクーデタ計画案を検討し、同年12月に開催が予定されていた「郵征局」の開庁祝賀パーティーに乗じて実行にうつす案が採用された[12][注釈 3]。金玉均は11月7日に日本公使館をおとずれ、竹添公使にクーデタ計画を打ち明け、そのとき竹添から支援の約束を得ている[12]。
金玉均は漢城駐在のイギリスとアメリカ合衆国の外交官にもクーデタ計画を相談した[12]。かれらは、金玉均のえがく理想に共感し、清国よりも日本を頼るべきことについても理解を示したが、しかし、決行については清国の軍事的優位を認めて、これに反対した[12]。金玉均はさらに、それとなく高宗にも計画の内容を伝えて伺いを立てた[12]。高宗もまた、清の軍事力を考えると不成功に終わるのではないかとの懸念を伝えたが、金玉均はこれに食い下がり、フランスと連動して動けば充分に勝機はあると訴えた[12]。高宗は、これを諒とした[12]。
しかし、クーデタに動員できる軍事力といえば、日本公使館警備の日本陸軍仙台鎮台歩兵第4連隊第1大隊第1中隊の150名と、陸軍戸山学校に留学して帰国した10数名の朝鮮人士官学生および新式軍隊の一部にすぎなかった[5]。この人数では、半減したとはいえ、なお1,500名を有する清国兵および袁世凱指揮下の朝鮮政府軍に対抗するのは無謀といってよかった[5]。
基本的は、リーチと宣言して、「あなたが好きです」という意思表明をしなければならない。
昨今の恋愛工学によれば、そのアプローチは間違っているらしいが、あくまで基本としては間違っていないだろう。
今回、久しぶりにそれをやってみた。みんなに状況を理解してもらうために、まずは自分のスペックから紹介する。
年齢は30後半。
年収は600万以上ある。この年で関係あるのかはわからないが大卒。
容姿はそんないいもんとは思ってない。
若い時には数人と付き合ったこともあるので、普通の容姿やったけど、今はただのオッサンって思って貰えればいい。
結婚願望は特別に強いわけではなく、いい人がいれば付き合いたいって思っている感じ。
性欲とかは少なくて、どちらかと言うと「共感」みたいなのを大事にしてる。
これは若い頃とは嗜好が変わってきているので、自分でもビックリしてる。
勿論、いい女を見てヤリタイ!って思うことはあるけど、それはそれとして、その時は風俗にでも行けばいい。
それよりも、一緒に食事に行って、数時間ぐらい楽しく話せる感じの子の方が最近はいい。
海外で働いて、日本人と繊細なコミニケーションを取れる有り難さみたいなのに気付いてから、嗜好が変わったのかもしれない。
感性、食事の好みやマナーなんかは日本人同士だからこそ共有、共感できる。
彼女は30代半ば。
同じ会社に勤めているが、彼女は現地採用なので給料は安いと思う。
年収で200万いくかいかないかぐらいのはず。ちなみに、それでも現地での生活に困ることはない。
仕事は事務職で、いわゆる、「積み重ならない仕事」をしている。
詳細に書いて万が一にも本人が特定されることになるとアレなので、情報はこれぐらいにしておく。
2人が出会ったのは数年前で、他の同僚と一緒に遊びに行ったり飲みに行ったことは幾度となくある。
その子はおとなしいこともあって、最初は全く意識していなかったものの、何度となく話すうちに意外といいかもと思い始めた。
それから個別に食事に誘う用になって、3、4回は2人でご飯に行った。
同僚相手に無茶なことはできないので、普通に食事をしてお話をして俺が奢って解散という感じ。
無理に手を繋ぐとか抱きつくとかは、全くしてない。
世間では恋愛工学なるものが流行っているのかもしれないが、あれは同僚相手にはキツいだろう。
出会ってからは数年は経っている。お互いによく知ってるし、話もちゃんとできる。
このままの関係でも悪くは無いけど、いつどちらが日本に戻るかも分からないというのもあって、告白することにした。
彼女が自分の理想なのか?と言われれば決してそうではないし、昔の彼女に比べても好きな度合いは劣る。
でも、それは当然で、過去のsexした彼女達と比べて、まだ何もしてない子に同様の感情が湧くはずもない。
これから先にいい女性が現れる保障はないし、話せる女性が現れる保障もない。
また、彼女の立場からしても出産を考えるなら、今がギリギリのはず。
だいたい、そんな感じのことを考えていた。
そして、結果としてはどうだったのか?
完全にYesではないにしても、告白をキッカケにして2人の関係がいい方向に行くと思っていた俺としては少し意外だった。
結婚、出産、収入、精神的な安定などを考慮すると、付き合うには今がベストではないだろうか?
こうして告白をキッカケにして、仲良くなって、もっと深い話をして彼女をもっと好きになっていければなという目論みは淡くも崩れさった。
理由を聞きたい気持ちに駆られたが、女性からしたらウザったいだけだろうし、同僚相手にそんなことをしたくないので、
「そっか、ありがとう」という返事をしてやりとりを終わらせた。。。
生涯独身、子供はいない、年収は仮に日本に戻っても300万台か下手したら無職。
年収300万台で過ごす4、50代なんてもんは、惨めでしかない。
AIの台頭で「積み重ね」が無い仕事はドンドンと無くなっていく。そうなると彼女が無職になる未来は、現実的にありえるだろう。
逆に、もし付き合っていれば、どうなるのか?
収入は旦那だけでも600万以上で、2人で働けば1000万ぐらいにはなる。
少なくとも生活に困ることはないだろう。
前者も後者も、おそらくこうなるという可能性の話であることは、勿論、わかってる。
それを踏まえた上で、俺にとっては後者が幸せになれる可能性が高いように見えるけど、彼女にとっては前者だったんだろうか?
それとも、後者を目指しているけど、相手は俺ではなかったのか?
途上国で知り合った2人がちゃんと話せるという時点で、ある種のミラクルみたいなもんだと思ってるけど、そんなことはないのか?
答えは彼女にしかわからないけど、こうやって貧困女性が産み出させれていくんだなと思うと、妙に寂しい気持ちになった。
おそらく、こういったことは様々な場所で起こっていて、その結果が生涯未婚率の増加だと思う。
個人個人が最適な選択を選んでいるつもりなのに、みんなが不幸になっている。
スレッドがおちたようなので
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3pts*3 Rx ◆IRC1/LAAAk ID:FSqzumvX0 ID:w4yvecfG0
1pt*11 (♂・∀・)♂ ◆VVVF/4gFB. ◆l2OlydOOJM パブロフの猫 ◆bBexGCASrY
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・01 岡本太郎 おかもとたろう (22): ID:4J3vjaew0 13:27:213 ID:4J3vjaew0 おかもとたろう
・02 雪辱 (52): ID:FTHJOsbo0 13:29:01.62
・03 5 (83): ID:XbGY2qugd 13:29:53.95
・04 松坂大輔 まつざかだいすけ[→]1493526056.dat(104): ID:Wy8slpqa0 13:30:51.46
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・06 捲土重来 けんどちょうらい#じゅうらい? (134): ID:w4yvecfG0 13:31:47.08
・07 荒俣宏 あらまたひろし (143): ID:FSqzumvX0 13:32:14.80
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・10 ベトナム (200): ID:8EMAi4fG0 13:33:50.08
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各種プラント・施設に関するコンサルテーションなどを手掛ける日揮株式会社(神奈川県横浜市)は、中期経営計画で掲げるインフラ分野でのEPC(設計・機材調達・建設工事)事業の強化・拡大施策の一環として、医薬分野における海外プロジェクト受注を目指した活動を積極的に展開している。
この中で、ベトナムにおいては医薬品工場建設プロジェクトの受注体制強化を目的として、同社現地法人JGCベトナム社が4月にホーチミン市に営業事務所を開設する予定。今後は同事務所を拠点に、JGCベトナム社と連携し、現地に進出する日系製薬会社や欧米外資製薬会社、ベトナム製薬会社に対する営業活動を推し進め、2017年度中にベトナムでのプロジェクトの受注を目指す。
更に、今後医薬分野の市場規模拡大が見込まれるカンボジア、ラオス、ミャンマーなどの近隣諸国についても、ベトナムの営業事務所を拠点として、同社横浜本社やJGCベトナム社、ASEAN諸国の日揮グループ各社(JGCシンガポール社、JGCマレーシア社、JGCフィリピン社、JGCインドネシア社)で連携し、顧客開拓および案件発掘を進めていく。
無識なマスッパリは全てのネタの起源が虹裏のいもげにあることも知らぬのか?
・同僚「やめとけやめとけ!」
・「そこに何の違いもありゃしねえだろうが!」「違うのだ!」
・わーい!すごーい!たーのしー!
・そこに気付くとは…やはり天才…
・ウサミちゃんはそんなんじゃないよ~
・三代目「なんだろう…○○する理由って…」
・判時を回ったか…
・花京院コラ
・マリコラ
・「だめだーアバン先生ー!!種が名作になっちまう~~~!!!」
・鬼滅人気の火付け役ですよ俺は
・どうやってもつまらない漫画の奇跡的な1ページを持ってくる文化
・勇ちゃんだホ!
・青いいよね…いい…
・指を折る
・どう詰めても2人まで
・毒おじ
・がおる
・「こち亀は100巻まで」
・オコラレッゾ!
・ヤクいさん
・危い
・実況スレ
・ツイピク文化発祥の地
・ヒラリーコラ
・勇者王コラ
・七英雄コラ
・戦国コレクションに66兆2000億円
・違ク
・焼精
・味ポン酢
・(Gガンダム)
・私これ嫌い!
・プリングルスおじさん
・これこれvやめぬかベイマックスv
・タイヤに挟まっちまったぁああああ国内最大級のフォロワーサイト
・嘘松発祥の地
・汚部屋
・輪ゴム
・思い出したかのようにターンAとカブトの話するけどカブトは豆腐の話ばかりする
・思い出したかのように静森に笑わせようとする
・底に攪拌装置がついていて自動的に飲み物をまぜまぜしてくれる「SELF STIRRING MUG」フォロワーサイト
・東東さんが死んだ
・めっちゃシコれよな!
・女の子がかわいそうになってるやつじゃシコれないのよね
・しもんきん
・ち、違…私そんなつもりじゃ
・壷のせい~壷のせい~
・カフェロワイヤル
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・午後ロー実況板
・今起きた
・チクチン
・私はいいと思う
・そんな無理よそんなの!
・む!
・誰このじじい
・ずいぶん鍛え直したな…
・ハァ…ハァ…敗北者?
・SAN値
・妹をレイ
・ぐえー
関連エントリー: http://anond.hatelabo.jp/20170214234006
上記関連エントリーでは出場数を数えただけで、何人の選手が出場したかまで追ってなかったの補足しておく。
出生国 | 出場選手数 | 出場 | 先発出場 |
アメリカ合衆国 | 4,271(74.6%) | 1,096,833(73.2%) | 722,470(72.3%) |
ドミニカ共和国 | 547(9.6%) | 145,315(9.7%) | 95,185(9.5%) |
ベネズエラ・ボリバル共和国 | 302(5.3%) | 87,793(5.9%) | 64,640(6.5%) |
プエルトリコ | 143(2.5%) | 58,326(3.9%) | 44,090(4.4%) |
カナダ | 77(1.3%) | 19,226(1.3%) | 12,744(1.3%) |
キューバ | 72(1.3%) | 20,000(1.3%) | 16,036(1.6%) |
メキシコ | 69(1.2%) | 15,188(1.0%) | 7,814(0.8%) |
日本 | 59(1.0%) | 14,417(1.0%) | 9,427(0.9%) |
パナマ | 29(0.5%) | 10,773(0.7%) | 6,611(0.7%) |
オーストラリア | 28(0.5%) | 3,602(0.2%) | 1,110(0.1%) |
大韓民国 | 23(0.4%) | 3,673(0.2%) | 2,500(0.3%) |
コロンビア | 17(0.3%) | 5,950(0.4%) | 4,987(0.5%) |
キュラソー | 14(0.2%) | 5,314(0.4%) | 4,174(0.4%) |
台湾 | 11(0.2%) | 872(0.1%) | 339(0.0%) |
ニカラグア | 10(0.2%) | 2,631(0.2%) | 1,548(0.2%) |
ドイツ | 10(0.2%) | 2,351(0.2%) | 1,281(0.1%) |
アメリカ領ヴァージン諸島 | 7(0.1%) | 660(0.0%) | 345(0.0%) |
アルバ | 5(0.1%) | 1,054(0.1%) | 910(0.1%) |
オランダ | 5(0.1%) | 681(0.0%) | 569(0.1%) |
イギリス | 4(0.1%) | 326(0.0%) | 8(0.0%) |
ジャマイカ | 3(0.1%) | 1,617(0.1%) | 1,422(0.1%) |
ブラジル | 3(0.1%) | 692(0.0%) | 593(0.1%) |
サウジアラビア | 2(0.0%) | 189(0.0%) | 3(0.0%) |
ベトナム | 1(0.0%) | 520(0.0%) | 30(0.0%) |
フィリピン | 1(0.0%) | 111(0.0%) | 13(0.0%) |
ベルギー | 1(0.0%) | 108(0.0%) | 63(0.0%) |
シンガポール | 1(0.0%) | 93(0.0%) | 47(0.0%) |
インドネシア | 1(0.0%) | 80(0.0%) | 1(0.0%) |
イタリア | 1(0.0%) | 61(0.0%) | 47(0.0%) |
バハマ | 1(0.0%) | 22(0.0%) | 5(0.0%) |
香港 | 1(0.0%) | 15(0.0%) | 0(0.0%) |
グアム | 1(0.0%) | 13(0.0%) | 7(0.0%) |
アフガニスタン | 1(0.0%) | 8(0.0%) | 0(0.0%) |
スペイン | 1(0.0%) | 7(0.0%) | 0(0.0%) |
合計 | 5,722 | 1,498,521 | 999,019 |
(1995年以降2016年までhttp://www.baseball-reference.comのデータから。この表では日本生まれアメリカ国籍の方、Jeff McCurry, Steve Randolph, Craig House, Keith McDonald, Dave Robertsは日本で集計。出生国、名前、生年月日が同じデータを同一人物として数えたが、途中で登録名を変えた場合Baseball-Reference.comはどう処理しているかまで追ってないので場合によっては少し増えてるかもしれない。)
ジャマイカは人数に比べて出場数が多いので誰か1人名選手がいたのかと思ったが、3人が3人ともレベルが高いようだ。
Chili Davis外野手 | 585出場 |
Devon White外野手 | 774出場 |
Justin Masterson投手 | 258出場 |
投手の輩出比率が高い国は選手数に比べて出場数が減る。日本は出場数、選手数が同じくらいの比率だった。投手ばっかりが成功しているように思えたが、これくらいで自然な比率らしい。
出生国 | 出場 | 先発出場 | 投手登板 | 捕手出場 | 内野手出場 | 外野手出場 | DH出場 |
アメリカ合衆国 | 1,096,833(73.2%) | 722,470(72.3%) | 300,024(75.4%) | 81,876(68.5%) | 328,182(68.5%) | 294,307(78.0%) | 40,323(70.2%) |
ドミニカ共和国 | 145,315(9.7%) | 95,185(9.5%) | 41,119(10.3%) | 4,415(3.7%) | 59,620(12.4%) | 27,999(7.4%) | 7,003(12.2%) |
ベネズエラ・ボリバル共和国 | 87,793(5.9%) | 64,640(6.5%) | 14,651(3.7%) | 12,039(10.1%) | 39,038(8.1%) | 16,925(4.5%) | 2,177(3.8%) |
プエルトリコ | 58,326(3.9%) | 44,090(4.4%) | 6,515(1.6%) | 14,625(12.2%) | 19,292(4.0%) | 12,117(3.2%) | 2,649(4.6%) |
キューバ | 20,000(1.3%) | 16,036(1.6%) | 3,674(0.9%) | 1,254(1.0%) | 9,092(1.9%) | 3,554(0.9%) | 1,929(3.4%) |
カナダ | 19,226(1.3%) | 12,744(1.3%) | 5,596(1.4%) | 1,794(1.5%) | 4,915(1.0%) | 4,884(1.3%) | 831(1.4%) |
メキシコ | 15,188(1.0%) | 7,814(0.8%) | 8,354(2.1%) | 615(0.5%) | 4,700(1.0%) | 776(0.2%) | 402(0.7%) |
日本 | 14,417(1.0%) | 9,427(0.9%) | 5,240(1.3%) | 453(0.4%) | 1,779(0.4%) | 5,998(1.6%) | 592(1.0%) |
パナマ | 10,773(0.7%) | 6,611(0.7%) | 2,845(0.7%) | 1,812(1.5%) | 1,982(0.4%) | 3,277(0.9%) | 247(0.4%) |
コロンビア | 5,950(0.4%) | 4,987(0.5%) | 636(0.2%) | 56(0.0%) | 4,790(1.0%) | 348(0.1%) | 22(0.0%) |
キュラソー | 5,314(0.4%) | 4,174(0.4%) | 566(0.1%) | 0(0.0%) | 1,559(0.3%) | 2,739(0.7%) | 245(0.4%) |
大韓民国 | 3,673(0.2%) | 2,500(0.3%) | 1,508(0.4%) | 0(0.0%) | 700(0.1%) | 1,215(0.3%) | 127(0.2%) |
オーストラリア | 3,602(0.2%) | 1,110(0.1%) | 2,311(0.6%) | 112(0.1%) | 590(0.1%) | 268(0.1%) | 139(0.2%) |
ニカラグア | 2,631(0.2%) | 1,548(0.2%) | 1,083(0.3%) | 0(0.0%) | 649(0.1%) | 797(0.2%) | 4(0.0%) |
ドイツ | 2,351(0.2%) | 1,281(0.1%) | 903(0.2%) | 29(0.0%) | 886(0.2%) | 343(0.1%) | 28(0.0%) |
ジャマイカ | 1,617(0.1%) | 1,422(0.1%) | 258(0.1%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 722(0.2%) | 562(1.0%) |
アルバ | 1,054(0.1%) | 910(0.1%) | 367(0.1%) | 0(0.0%) | 473(0.1%) | 190(0.1%) | 8(0.0%) |
台湾 | 872(0.1%) | 339(0.0%) | 726(0.2%) | 0(0.0%) | 99(0.0%) | 16(0.0%) | 0(0.0%) |
ブラジル | 692(0.0%) | 593(0.1%) | 42(0.0%) | 384(0.3%) | 29(0.0%) | 217(0.1%) | 22(0.0%) |
オランダ | 681(0.0%) | 569(0.1%) | 50(0.0%) | 0(0.0%) | 527(0.1%) | 90(0.0%) | 2(0.0%) |
アメリカ領ヴァージン諸島 | 660(0.0%) | 345(0.0%) | 6(0.0%) | 0(0.0%) | 75(0.0%) | 275(0.1%) | 110(0.2%) |
ベトナム | 520(0.0%) | 30(0.0%) | 518(0.1%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) |
イギリス | 326(0.0%) | 8(0.0%) | 325(0.1%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) |
サウジアラビア | 189(0.0%) | 3(0.0%) | 165(0.0%) | 0(0.0%) | 8(0.0%) | 0(0.0%) | 1(0.0%) |
フィリピン | 111(0.0%) | 13(0.0%) | 111(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) |
ベルギー | 108(0.0%) | 63(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 21(0.0%) | 71(0.0%) | 7(0.0%) |
シンガポール | 93(0.0%) | 47(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 14(0.0%) | 48(0.0%) | 2(0.0%) |
インドネシア | 80(0.0%) | 1(0.0%) | 80(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) |
イタリア | 61(0.0%) | 47(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 48(0.0%) | 7(0.0%) | 0(0.0%) |
バハマ | 22(0.0%) | 5(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 6(0.0%) | 1(0.0%) |
香港 | 15(0.0%) | 0(0.0%) | 15(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) |
グアム | 13(0.0%) | 7(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 10(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) |
アフガニスタン | 8(0.0%) | 0(0.0%) | 8(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) |
スペイン | 7(0.0%) | 0(0.0%) | 7(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) | 0(0.0%) |
合計 | 1,498,521 | 999,019 | 397,703 | 119,464 | 479,078 | 377,189 | 57,433 |
(1995年以降2016年までhttp://www.baseball-reference.comのデータから。この表では日本生まれアメリカ国籍の方、Jeff McCurry, Steve Randolph, Craig House, Keith McDonald, Dave Robertsは日本で集計。他国も同様。試合中にポジションを移動した選手はダブルカウントされているのでポジション別集計については参考程度に。)
メジャーリーグには日本人が参入してからの21年間に34カ国の人々が出場してきた。この中には母国の野球文化の中で育ってアメリカに渡った選手もいれば、母国を離れてアメリカで育ってメジャーリーガーになった選手もいれば、アメリカ人の親が仕事で海外にいた時に産まれたというだけで海外出身扱いになっている選手もいるようだ。
野球がどのように世界に広がっているのかを見るために比率が少ない国の選手を見てみたい。
ダニエル・リオス(Danny Rios)選手のみ。両親は野球の盛んなキューバ出身でスペインで産まれる。2歳でアメリカに移住して大学までアメリカで教育を受けた。2008年はヤクルトスワローズで11試合に登板。
ジェフ・ブロンキー(Jeff Bronkey)選手のみ。アフガニスタン人の父とアメリカ人の母の間にアフガニスタン・カブールで産まれる。アメリカの高校を卒業。
アレックス・リッディ(Alex Liddi)選手のみ。イタリア生まれ、イタリア育ち。2005年のMLBのヨーロッパアカデミーに参加。
トム・マストニー(Tom Mastny)選手のみ。両親がインドネシア旅行中に産まれただけ。アメリカ育ち。
アレックス・ウィルソン(Alex Wilson)選手。親(多分アメリカ人)がアラムコ石油に勤めていてサウジアラビアで生まれる。2歳からアメリカで育つ。
クレイグ・スタンベリー(Craig Stansberry)選手。親がサウジアラビアで仕事をしている時に産まれる。1ヶ月でアメリカに戻る。
Lance Painter, Phil Stockman, Chris Reed, Danny Coxの4名。
フィル・ストックマン(Phil Stockman)選手について見てみると、イギリス生まれ、オーストラリア育ち。オーストラリアの大学で野球をやっていた。現在はオーストラリアのチームでプレー。
ダニー・グレーブス(Danny Graves)選手のみ。父はアメリカ人の軍人、ベトナム人の母との間に生まれた。生後14ヶ月でアメリカに移住。アメリカの高校を卒業。
野茂英雄がメジャーリーグデビューして以来、多くの日本人投手が海を渡ったわけだけれど、誰がどのくらい登板してきたのか集計してみたら感覚と違っていたので公開してみる。下記のリストは1995年以降2016年までデータである。
上原、田澤はいつの間にか日本人トップクラスの登板数に達しようとしていた。
などなど
選手名 | 登板数 |
Shigetoshi Hasegawa | 517 |
Koji Uehara | 387 |
Takashi Saito | 338 |
Hideo Nomo | 323 |
Junichi Tazawa | 302 |
Hideki Okajima | 266 |
Akinori Otsuka | 236 |
Kazuhiro Sasaki | 228 |
Hiroki Kuroda | 212 |
Tomo Ohka | 202 |
Hisanori Takahashi | 168 |
Masato Yoshii | 162 |
Daisuke Matsuzaka | 158 |
Hisashi Iwakuma | 144 |
Hideki Irabu | 126 |
Mac Suzuki | 117 |
Jeff McCurry | 111 |
Steve Randolph | 109 |
Kazuhisa Ishii | 105 |
Keiichi Yabu | 100 |
Yu Darvish | 100 |
Shingo Takatsu | 99 |
Ryota Igarashi | 83 |
Masahiro Tanaka | 75 |
Masahide Kobayashi | 67 |
Masao Kida | 65 |
Yoshinori Tateyama | 53 |
Kenshin Kawakami | 50 |
Yasuhiko Yabuta | 43 |
Takashi Kashiwada | 35 |
Kenta Maeda | 32 |
Micheal Nakamura | 31 |
Kyuji Fujikawa | 29 |
Ken Takahashi | 28 |
Satoru Komiyama | 25 |
Takahito Nomura | 21 |
Tsuyoshi Wada | 21 |
Masumi Kuwata | 19 |
Craig House | 16 |
Kei Igawa | 16 |
Kazuhito Tadano | 15 |
Kazuo Fukumori | 4 |
Ichiro Suzuki | 1 |
Toru Murata | 1 |
(1995年以降2016年までhttp://www.baseball-reference.comのデータから。Baseball-Reference.comではスティーブン・ランドルフ(沖縄生まれ、元ベイスターズ)、ジェフ・マッカリー(東京生まれ)、クレイグ・ハウス(沖縄生まれ)も日本人扱いらしい。リストにいない村上雅則は1964〜1965年に54登板、1先発である。)
先発登板に限るとどうなるかも見てみる。
選手名 | 先発登板数 |
Hideo Nomo | 318 |
Hiroki Kuroda | 211 |
Tomo Ohka | 178 |
Daisuke Matsuzaka | 132 |
Hisashi Iwakuma | 130 |
Masato Yoshii | 118 |
Kazuhisa Ishii | 102 |
Yu Darvish | 100 |
Hideki Irabu | 80 |
Masahiro Tanaka | 75 |
Mac Suzuki | 67 |
Kenshin Kawakami | 41 |
Kenta Maeda | 32 |
Tsuyoshi Wada | 20 |
Kei Igawa | 13 |
Hisanori Takahashi | 12 |
Koji Uehara | 12 |
Shigetoshi Hasegawa | 8 |
Steve Randolph | 6 |
Junichi Tazawa | 4 |
Kazuhito Tadano | 4 |
Masao Kida | 2 |
Toru Murata | 1 |
日本人だけの登板数を見てきたが、日本人の登板数はメジャーリーグ全体の中でどれくらいの比率を占めているのかというと1.32%だった。数字は小さいが、カナダとキューバの間というと結構多くも感じる比率である。
国名 | 国別投手登板数 | 比率 |
アメリカ合衆国 | 300,024 | 75.44% |
ドミニカ共和国 | 41,119 | 10.34% |
ベネズエラ・ボリバル共和国 | 14,651 | 3.68% |
メキシコ | 8,354 | 2.10% |
プエルトリコ | 6,515 | 1.64% |
カナダ | 5,596 | 1.41% |
日本 | 5,240 | 1.32% |
キューバ | 3,674 | 0.92% |
パナマ | 2,845 | 0.72% |
オーストラリア | 2,311 | 0.58% |
大韓民国 | 1,508 | 0.38% |
ニカラグア | 1,083 | 0.27% |
ドイツ | 903 | 0.23% |
台湾 | 726 | 0.18% |
コロンビア | 636 | 0.16% |
キュラソー | 566 | 0.14% |
ベトナム | 518 | 0.13% |
アルバ | 367 | 0.09% |
イギリス | 325 | 0.08% |
ジャマイカ | 258 | 0.06% |
サウジアラビア | 165 | 0.04% |
フィリピン | 111 | 0.03% |
インドネシア | 80 | 0.02% |
オランダ | 50 | 0.01% |
ブラジル | 42 | 0.01% |
香港 | 15 | 0.00% |
アフガニスタン | 8 | 0.00% |
スペイン | 7 | 0.00% |
アメリカ領ヴァージン諸島 | 6 | 0.00% |
すでに指摘されているけれど、日本では屋外禁煙は一般的ではないと思う。というか喫煙可でしょう。屋外禁煙は東京都心など一部に限られるんじゃないかなあ。
私の通勤路では毎朝毎晩たばこの煙を避けながら、あるいは息を止めてやり過ごしながら歩くのが普通。そして道ばたにはたばこの吸い殻。
改札口の脇が自然発生的な喫煙所になっているのが辛い。風向きでその日の運勢を占っています。
しかし昔に比べればまだマシになった。吸い殻ゴミも減ってはきている。
海外のことをいうと、10年以上前に訪れたオランダは駅や道路での喫煙が多くて辛かった。
最近では中国は上海などに行く機会が多いが、昔に比べてなぜかそれほど気にならない。台湾では路上は気にならなかった。ホテルのロビーが辛かった。
去年はベトナム(ホーチミン市など)に行ったけれど、たばこの煙に悩まされた覚えが全くない。喫煙者を見かけた記憶もあまりない。我ながら記憶ミスではないかという気もする。
まず資金の問題じゃない?俳優でも向こうはギャラがケタ違いで、「メジャーリーグ」にとんねるずのタカが出たとき、そんなにメインのキャラじゃないのにその年の納税者ランキングに乗ったくらいだし。ハリウッドの売れっ子監督ともなれば相当の額になりそう。
ノルウェイの森なんかはベトナムのトランアンユンとか、他に韓国・中国なんかのアジアの監督は結構連れてきてるしそういうことを考えてはいるんだと思う。
あと、日本映画の場合は特にスタッフで決まるらしいから。どこまで伝統が残ってるかはわからないけど、撮影、照明、美術でそれぞれおっかない人がいるのが日本映画界だったし。
それと、プロデューサーが有能じゃないと監督もスタッフもうまく機能しないし、ハリウッド監督を連れてくればうまくいくという単純な話じゃないんじゃないかな。
別のやり方としては、韓国とかみたいに、内容は問わないで政府が資金を出すとかすればもっとわかりやすくよくなると思う。日本の監督なんて年収100万の人とかザラらしいし。
スタッフキャストを使いまわせるテレビ局映画がメインを張ってしまってる現状なのも、結局は資金の問題。地方が金出して宣伝するお涙ちょうだい映画なんて誰も観たがらないんだから、資金だけ出して好きに作らせるのが理想だとは思う。あくまで理想なんだけど。
前日の飲み会に比べて疲れたな。って感じたのは自宅で大学同級生と飲んだのと違って,
名古屋までJR使って足を延ばしたからかな。なんて考えながら帰ってきて,
夜中に酒による吐き気で起きた時に,気づいてしまったから書き残しておく。
高校の同級生と合うのはたぶん5年ぶり。31歳。結構あっていなかった。
高校時代,とても仲が良かったし,5年前までは毎年のようにあっていたので自分でも今年誘われたとき,
なんで5年も空いたのだろうか。と不思議だった。
メンバーは医師,某ビール会社の開発(肩書き付),トヨタの完全子会社のなんか出世が約束されたとこ。
世間的にみたらいわゆる受験戦争の勝ち組。医者以外は国立大(院)卒。
給料も手取りで1千万とか,ちょっと足りないぐらいだとか言ってた。
今年は4,5回海外旅行いって,元旦からもカンボジアに旅行に行ってくる。とか,
新しい車を2回ほど買い換えた。とか,今の日本の景気状況と比べたら別世界のような話をしていた。
でもなんか違和感があった。
石に刻まれた絵画,歴史,モチーフ。その壮大さに腰が抜けるかと思った。
シャムリアップの人々の生活は豊かではなかったが,良く笑っていた。
だまして売りつけるという空気感は無く,ラオスに通じるおおらかさを見た。
展示物を見た後に飯がのどを通らず,
うざい声かけしてくるおっさんタクシードライバーも,この戦争を乗り越えたんだと思ったら,
涙がでるかと思うぐらい,愛おしかった。
でも,そんな話は昨日の飲み会では通じなかった。
自分が行った時の話をさえぎり,俺もその場所に旅行したことある。で,どこのホテルに泊まったの。と別の彼は言った。
でも,家のマットレスを40万の良いものに変えたらどこの高級ホテルでも寝られない。といって話は違うところへいった。
どこに行ったのか。何を食べたのか。どこに泊まったのか。そのホテルの格は何か。どんな女を買ったのか。
いくらつかったのか。
どんな贅沢をしたのか。
すべての話は結局そこに落ち着いた。
結婚式を挙げるホテルはマリオット,ヒルトン,ウェスティン。どこが良いかな。
共働きの夫婦だから夕飯にいつも困って,こんな高いものを食べたよ。
でかい4Kテレビを買って,見るものないからyoutubeでスロットの解説動画をみてるよ。
どうでも良いことで悩んでいるんだな。と思って聞いていた。
でも,さっき気づいた。この話はすべて品評会だったんだと。
俺は他の男と違ってこんな金のかけかたができる。
こんなにも裕福になった。贅沢ができる。で,お前はどうなの?そう聞かれていた。
できない嫉妬なのだろうか。いや,絶対に違う。それぞれはしたければできない贅沢ではない。全部は無理だけど。
自分を羨ましがってもらって,自分のしてきたことは正しいことなんだ。
自分の経験値は間違っていないんだと正当化して欲しいだけなんだ。
東大で過ごした博士課程の3年間。とうぜん周りの人間は東大生ばかり。
でも博士課程に進学するだけあって,あまり,分かり易い欲が見えなかった。
でも,こんな経験がしたい。これが見たい。これが食べたい。これが知りたい。
そんな純粋な自分の欲求をみたすために,全員のベクトルは異なっていたが,貪欲だった。全力だった。
いわゆるマッドサイエンティスト的な雰囲気がそこにはあった。最高だった。
ベクトルが自分と違うから見えにくいだけで,そこには確実に,なるべき自分をそれぞれに持っていた。
高校・大学時代に勉強しておいてよかった。と昨日の彼らは言っていた。
いや違う。君らは何も先人たちの英知を学べてはいない。
ただ,学歴を勝ち取って,そこを卒業し,資格を取り,お金という対価を比較的短い時間と交換できるようになっただけだ。
今,自分が何をしたくて,どう行動して,世界にとって必要なものは何か。何も考えていない。
君たちの言う学問とは何か。世間でいう勝ち組,世間でいう高学歴とは,この人たちなのだろうか。
神を畏れることは知恵のはじめ。無知なものは知恵をも諭しをも侮る。
現勤務校にも,卒業高校にも,たまたまキリスト教高校なので,この一句が飾ってある。
勤務校ははっきり言えば底辺校,教育困難校。卒業高校はまぁまぁの進学校。
それは進学に力をいれるばかりに,キリスト教教育を怠っているからだと宗教主任は語っていた。
それを聞いたとき,あぁ,そうですか。でもそれは勤務校の生徒がアホだからでしょ。って思ってた。
でもこの評判は,正しいのではないだろうか。
自分はキリスト教徒でもない。若い時には宗教アレルギーも強かった。
とはいえ,聖書に書いてある諭しや教えの多くも,学問を通じて,経験を通じて,失敗を通じて気づけていた。
だから,受験で使わない聖書の授業は,宗教の授業は,勤務校の生徒がアホだから「教えてあげなければならず」,
アホじゃなければ「自分で身に着けられる」と勝手に信じていた。自分で作った宗教にはまっていた。
でも恐らく違うんだと気づかされた。
昨日の3人はおそらく,知恵をも諭しをも侮る,無知なもの。だと思う。勉強も仕事もできるはずなのに。
小さな自分の価値観を,他人に羨んでもらうことでしか確認できないようになったのはいつなのだろうか。
学部生の時に友人に「お前は資本主義の権化だ」と言われた。その時は全く理解できなかった。
だって何か特別なこともしてないし,ものを買った覚えもなかったから。
仲が良かったということは,すくなくとも高校時代のあのころは彼らも同じ価値観だったはずだ。
でも昨日の彼らは,いや,昨日の彼らも,資本主義の権化だった。見ていて・聞いていて辛かった。
自分は若いうちに言ってくれる友人ができて,師に会えて,幸せだったわけだ。
その後,学問の道にすすみ,お金はなかったし,挫折もしたけれど,
自分のやりたいことだけ,やりたい場所で,時間をつかえて自分を見直せてよかった。
大学で何を学んだのか。の差だと思う。教育はすごいと確信した。
5年間会っていなかった理由をこの文章を書きながら思い出してきた。
2011年に会ったとき,東京は計画停電と自粛ムードでどんよりしていた。
でも原発はもう一度壊れるかもしれない。そこには自然があり,生き物がすんでいる。
自分は,人間だけの都合でその環境を再生不可能な形に改変してはいけないと強く言っていた。
あの時,少しの呆れと絶望を感じたので,昨日まで会っていなかったのだろう。
昨日の飲み会で生じた感情もおそらく同じだろう。自分にとって残念であった。
学ぶ時間は大切だと痛感した。彼らは良い師に巡り合えなかったのだろう。
良き友人らと朝まで色々な価値観のもと,議論できなかったのだろう。
ただ,もちろん,彼らの価値観が間違っているわけでは無いと思う。自分と相いれないだけ。
でも,仲の良かった友人たちが忌み嫌う価値観のど真ん中にいたことは自分にとって残念でならない。
人間は,もっと自然から,歴史から,周りの人間から学んでいくべきであるし,そのために高等教育があるはず。
受験戦争に勝つことも,高いお給料をもらうことも,もちろん大切なことの一つであるが,それだけではない。
学問とは,大学とは,高校とは,教育のすべては本来そうあるはずだし,そうあるべきであろう。
君らの心は貧しい。と言ってあげるべきだっただろうか。たぶん笑わるし,理解されない。
飲み会の席で今の感情に気づいていれば,あの時の自分は言っていたのだろうか。
30超えたおっさんに説教しても変わらないのでしなかったと信じている。
熱く語って恥ずかしくなってもっと早く帰っていたかもしれない。たぶん,そうだっただろう。
なんだか教師としての道が見つかった気がする。
昨日までは教科教育に精一杯だったが,なんだかやりたいことが見つかった。
あの空間に自分の生徒を送り込んでやりたい。一人でも多くの若者に自分の価値観の狭さを実感して欲しい。
別に東大じゃなくてもその空間はあるかもしれないが,自分があの空間を経験したのが東大だから仕方がない。
少なくとも一昨日まではその空間が維持されていると聞いているし。
それは私自身が生きやすい世界のために必要な手段である。あくまでも自分のため。
もうすぐ息子が起きてくる。