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はてなキーワード: セカンドオピニオンとは

2023-05-16

anond:20230515165430

こういうのって医療従事者に知り合いがいない自分はどうしたらいいんだろう...と思ったが、それなりに顔が広そうなかかりつけ医がいればいいのかと思った。

まあ、かかりつけ医が残念な人だったら残念だったねーって話だけれど、かかりつけ医がそこそこまともなら、ヤバそうな病院には紹介状書かなそうだなと思ったもので。

回復したら経過観察にその病院に戻ってくるわけで、回復可能性が低そうな先生は選ばなそうだなと。

それに、「お前の紹介で行ったら後遺症残ったぞ!」とか言われたくないだろうし。

あとはセカンドオピニオンとかかなー。

手術みたいな不可逆な感じの処置をする場合はその症例に対して普通その処置をするのかを聞いておくというのはありなのかなと思った。

2023-05-03

あの時の増田ありがとう

数年前にここを知ってからリアルで話せないことを何度か愚痴としてこぼさせて貰っていた。

5ちゃんルールがよく分からないしIDが出ることで匿名とは違う気がして書き込めなかったけど、ここは何も表に出ないか安心してぽちぽちと打つことが出来たよ。

あの時友達を切れと言ってくれた増田ありがとう

休んだ方がいいと言ってくれた増田ありがとう

心療内科を勧めてくれた増田ありがとう

セカンドオピニオンを勧めてくれた増田ありがとう

親との距離を教えてくれた増田ありがとう

フラッシュバックへの対処法を教えてくれた増田ありがとう

怒りを受け止めて叱ってくれた増田ありがとう

豆腐の美味しい食べ方教えてくれた増田ありがとう

ハムスター飼育方法を教えてくれた増田ありがとう

おかげでここに来る頻度も減って仕事も住む場所も見つけて何とか1人で生きていけてます

知らない誰かが困っている時にお節介と思いつつもちょっとだけ隣に座って話を聞くという行為をここで学びました。

あなたも楽しく過ごせてると嬉しいです。

あの時の増田、本当にありがとう

2023-04-30

胃腸について知ってること全部書く

この記事、半分くらいはしっくり来たんだけどブコメ案の定否定的だった

https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/cf8119b2b399388bdd094591eed6a8d4ab23d504

まあそれはいいや

 

胃腸について知ってることをだいたい書きたい

 

病気

胃腸人間の3大不調の中の一つだ、というのは嘘なんだけど

そう言ってもいいくらいに不調の元になっていると思う

胃腸が元気な人はとんでもなく幸運から自覚してほしい

あと胃腸不調トークに混ざってこないでほしい、安易に「病院行きなよ」なんて言わないでほしい、それいちょハラですよ

 

俺はよくいる胃腸不調系男子で、最悪期は朝に水を一滴でも飲んだら1時間後に激痛が走り全部くだすという学生生活をおくっていた

いわゆる過敏性腸症候群IBS)だ

珍しい病気ではないが、そもそもよく分かってない病気である

というか胃腸関係の一部の病気マジでふさけんなというくらい何も分かっていない

 

三大何もわかってないやつ

胃腸系・自律神経系・神経障害

 

特に分かってないのが過敏性腸症候群機能性ディスペプシアだと思うが

これらは「症状はあるが原因が見つからない」タイプで、機能障害とか言われたりする

まり「元からそうだし、治らないし、死なないから帰っていいよ」って医者から言われるやつ

2010年くらいにIBS認知が広がったけど、それより前は本当に「これは病気じゃない」とか言われたし、今でも曖昧な診断・治療しかされない

から治るもんでもないし、研究も進んでないし、効く薬もないし、誤診断も多いから一生病院はしごすることを覚悟しなきゃならない

 

いつも槍玉に挙げられる原因が「ストレス」だが、そんなわけはない

ストレスでも腹痛になるが、ストレスがなくてもなる

ストレスあくまで一つのトリガーしか無いが、医者には「ストレスをなくせ」と言われる

 

そういえば機能性ディスペプシアという診断も3回くらい受けてるんだけど、たぶん誤診だと思う

胆のうに強い医者にかかったらどうやら胆のうが原因くさいという話になって薬が効いたか

胃腸お腹関係セカンドオピニオンじゃ足りない

 

個人

胃腸問題個人差が非常に大きい

上で書いたような病気の有無もそうだし、腸内細菌も違う

腸内細菌という生態系個人差もあるし食生活でも変わるからもう分かりっこない

腸内細菌移植というのも治療法としてあがってるが全然一般化されていない

  

あとは胃の形やら、腸の長さやらでも違うし、民族によっても違う

から下手すると海外胃腸についての研究日本人適用されなかったりする

海苔海藻を消化して栄養にできるのは日本人と一部の民族くらいというのは有名な話

そう考えると「昔の日本人がどうしてたか」は考える材料として有りだと思う

 

1日3食は必要問題

これは研究者間でも答えが出ていない問題

なんだけど、だから個人差が大きいから答えなんて人それぞれなんだよ

 

1日3食が始まったのは江戸時代後期から研究レベルで3色が良いってなったのは1930年代から

んでここ数十年は食育で「朝ごはんを必ず食べろ」とされていたと思う(今はどうなんだろう?)

これが今の大人の1日3食信仰につながってると思う

ていうか3食信仰の人はそこまで学校教育のこと信じてるのか?

給食を残すの絶対NGみたいなのとか、牛乳飲ませるのとか、そりゃ栄養不足だった時代は正解だったかもしれないけど今はどうなん?っていうネタがたくさんあるのに

あいいや

とりあえず日本以外では3食じゃない所も多い

 

おそらく医者は「基本3食、人によってはそれ以外」みたいに言う人が多いと思う

俺も一回「朝は食べないでください」と言われた、別に医者信じてないし今は軽く食べてるけど

 

1日何食がいいか問題は、個人差と、何を目指すかに依存する

例えば3食は、エネルギー栄養摂取効率目的にして言われている

ボディビルダーなんかは、空腹があると筋肉の分解が起こると言われていて、それを防ぐために1日5食みたいな人が多いイメージ(きんにくんが5か6だったはず)

ダイエットする人は、むしろ空腹を作るために1日1食みたいな人も居る

 

あとは空腹時を作る方が胃腸を休ませる効果があるとか

とりあえず言えることは1食の人も5食の人も別に病気にもなってないし不健康にもなってないし

それ言うなら何を食べるかの方が大事だろと思う

 

疲れた、気が向いたら続きかく

お腹が痛い時に考えられる病気

 

便秘個人

 

胃腸はなぜこんなに難しいか

 

2023-04-14

[] そのろっぴゃくさんじゅうに

オルテリウーッス

 

本日日本においてオレンジデー椅子の日、柔道整復の日です。

身体調子おかしい時は色々確認するのも大事ですね。

とはいえ素人判断が一番まずいので、医者などのプロ判断してもらって色々チェックしていきましょう。

まりにも不安ならセカンドオピニオン、というのも大事ですが、一件目で自分が納得できるならそれでいいのではないか個人的には思ってしまます

まぁ、それでもあまり重篤な症状の場合ちゃん確認した方がいいのかもしれませんね。

とにかく、身体メンテナンス大事です。それだけが言いたかった。

 

ということで本日は【身体メンテナンスいか】でいきたいと思います

身体メンテナンスいか身体メンテナンスヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2023-04-10

anond:20230409191401

客観的評価なんだからそうなんだろ

納得行かないならセカンドオピニオンデータを増やして考えればいい

2023-03-24

anond:20230324191733

症状から病気を見当付けて検査するなら、AIでもできそうなんだよな

まずはAI医師に聞いて、セカンドオピニオン的に人間医者にかかればいいと思う

2023-03-23

anond:20230322211236

セカンドオピニオンサードを求めてみてはどうでしょうか(特に専門医認定医)。

クリニックの医者サラリーマンよりも日々の患者対応で一杯一杯です。

全員そうだというつもりはありませんが、中にはそういう人や経営に力を入れている人もいるのは事実です。しかも明らかなミスではない限り医者は訴えられても裁判ではなかなか負けませんよね。だから何件か回ってみるのを勧める人が少なからずいます

SEをされているとのこと。

システムのことで大抵のことはわかっていると思いますが、細部のことだったり、うろ覚えだったりでも他人から聞かれたらそれっぽいことは言えると思います医者でも同じです。初診後に専門書を見返したり、症例を調べてみたりすると思います

最後になりますが、お身体(頭)をお大事になさって下さい。

2023-03-13

母さんがガンで死んだ(追記

から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟からなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。

ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。

医者から一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。

「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」

とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に報告したら、また涙が出た。祖父を癌で看取った妻は「そんな簡単に亡くなりはしないよ」と、怒っていた。彼女なりに励ましてくれてたんだろう。

「何で癌で人が死ぬのか」ということすら知らないことに気づいて、いくつかの本を読んで、「多臓器不全で死ぬ」ということを今さらながら知った。

翌月、帰省すると、「で、何しに帰ってきたの?」と、とぼけたことを聞かれたので「様子見にだわ」と。特段変わった様子はなく、いつもの調子

溜まっていた腹水を抜いてもらって、楽になったらしい。「しばらくは大丈夫かな」と思う。翌朝、母さんは「そのうち、『あれが最後に作ってもらった朝ごはんだったな』ってなるわよ」と軽口を叩きながら、目玉焼きを焼いてくれた。

その後の検査で、癌はそれなりに進行していて、「ステージⅢの後ろの方」と評価された。外科手術や放射線治療を行う段階にはなく、化学療法プラチナ製剤)を試してみて、癌細胞が小さくなるようであれば、外科手術や放射線治療検討しようということに。

母さんは「『髪の毛が抜けることがある』じゃなくて『絶対抜ける』って言われたわ」と笑っていた。

程なく、抗がん剤治療が開始され、母さんの髪の毛が抜けた。この頃は、抗がん剤副作用が抜ければ、食べたいものだとかも色々あったから、買いだめしといてあげたりした。

実家家族帰省して、夜遅くまで母さんも交えて酒を飲んだりもした。まだ、言葉もしゃべれなかった娘も、母さんにはよく懐いていた。

副作用に耐えながら抗がん剤治療を続けたものの、思うような効果は得られなかった。

「癌の専門医先生の方がいいんじゃないか」という思いもあり、主治医先生にも相談の上で、セカンドオピニオンを取ることにした。

その道の専門医先生2名にお話を伺いに行ったが、どちらも「うちなら治るかもよ」だとか「この治療法よりも、こっちの方がいい」なんて話は、当然なく、今診てもらってる病院で、「そのままお世話になる方が良い」とやんわりと伝えられた。

それでも、「やっぱり経験値が高い専門医先生の方がいいんじゃないか」と、先の2名の先生のうちお一人にお世話になることにした。

細かく検査もしてもらったが、「やれることは限られている。選択肢がないわけではないが、リスキーな上、効果期待値は低いので、おススメはしない。本人の希望に沿うならば、通いやすい、もともと診てもらっていた病院で改めて診てもらっては。」

とのお話があり、結局、出戻ることにした。その病院からの帰路、高速道路の大きなSAに寄った。

あなたたちが小さい頃には、旅行の度に、いつもこのSAに寄ってたのよ」と懐かしそうに話していた。

ちなみに、今でもそのSAを通過すると、その時の母さんを思い出して、なんだか泣きそうになる。

改めてもともと診てもらっていた病院に伺ったところ、事前に調整はしていたこともあってか、主治医先生は嫌な顔一つ見せず引き受けてくださり、次の段階の抗がん剤(単剤)にトライすることになった。

これ以降、段々と体力の低下、食欲不振が顕著になりだし、当初は「抗がん剤副作用かな」と考えていた。思うような効果が得られず、抗がん剤の投与を中止してから状態改善しなかった。

母さんが癌であることは、母さんの希望もあって、積極的に知らせることもせず、また隠すこともしなかったが、状況を知った遠方の親類達が揃って見舞いにきてくれたりもした。

この頃は、まだ座ってコーヒー飲むらいのことはできていて、楽しそうにお喋りもしていた。

妹が介護休業を取り、母さんの面倒を見てくれることになった。その時点では、自分のことは自分でできていたし、正直言って「早いんじゃないかな」と思っていたが、結果的には、ドンピシャタイミングだった。

死ぬまでに行きたいと言っていたスカイツリー東京結婚式に出席したので、その足でスカイツリーに行き、ビデオ通話で見てもらった。「すごいねー」と笑ってくれた。

12月下旬は、早めの冬休みを取って実家に。妹からは、体力の低下が著しいということは聞いていたが、想像よりずっと悪かった。

ベッドの脇に座って吐いてばかりいた。思っていた以上の状態言葉が出なかった。夜も眠れず、食事も摂れず、水分を摂れば吐き。かわいそうで見ていられなかった。

足のむくみもひどく、母さん曰く、頭の中は「しんどい」一色だった様子。肩をさすったり、足を揉んであげたりしかできない。足をマッサージしてあげていると、少しの間だけ、寝てくれたのが、せめてもの救いだった。

そんな中、母さんは「とても渡せそうにないから」と、お年玉と一緒に娘の七五三の祝いを渡してくれた。涙が溢れた。母さんも「湿っぽくなってごめんね。」と言いながら泣いていた。年明けも早々に再入院。あまりに辛そうな母さんの姿に、打ちのめされてしまった。

母さんの希望は、「できる限り家にいたい」だったので、妹が訪問看護段取りを取ってくれ、病院には無理を言って予定より早く退院した。この訪問看護のチームが素晴らしく、親身になって、それも超速で対応してくれた。母さんは「病院から逃げ出して正解だった」と、喜んでいた。

急遽、仕事休み実家へ。妹と交代で診る体制に。眠れず、体の置き所がない母さんは、15分おきくらいで、姿勢を変えてあげなければいけなかった。辛そうだった。

少し話ができそうなタイミングで、「今までありがとう。母さんの子どもで良かったよ。」と口に出すと、涙が溢れた。喋るのも辛く、手をあげるのもしんどいはずの母さんは「何を言ってるの。こっちのほうが、ありがとうよ。いい子だね。」と言って、頭や頬を撫でてくれた。涙が止まらなかった。

妹と交代で眠りながら看ていたが、日に日に意思疎通がとれなくなり、意識レベルも低下。せめて、苦しまず、穏やかに逝かせてあげたいと、鎮静剤の量も増やしていった。眠る時間が増え、顔をしかめる頻度も少なくなり。

「母さん、先に横になるね。また後でね。」と声をかけて寝ようとしたところ、ほとんど意識のないはずの母さんが、少し手を上げて応えてくれた。「バイバイしてんの?」と、妹と2人で笑った。

その晩、妹に「やばいかも」と起こされ、会ったときにはほとんど呼吸もなく。子供3人が揃ったところで、母さんは静かに息をひきとった。目を瞑り、とても穏やかな顔だった。皆、口々に「お疲れ様。よく頑張ったね。」と母さんの闘病生活の終わりを労った。

泣き崩れてしまうかもと思っていたが、不思議と涙は出ず、ホッとしたような気持ちになった。

訪問看護に連絡したところ、深夜にも関わらず、看護師さんが来てくれた。死亡診断は医師しかできないとのことだったが、脈拍を見たり、瞳孔を見たりして「確かに亡くなられていますね」と手を合わせてくれた。

そこからは、子供三人で、看護師さんの指示に従って、母さんの体を拭いたり服を着せたり。服は死装束じゃなく、妹が見繕ってくれていた、いつも母さんが来ていた服を着せることにした。

最後看護師さんが、母さんに化粧をしてくれると、すっかり血色が良くなって、まるで寝てるみたいだった。

看護師さんが帰られてからは、葬儀屋を探したり、段取り役割分担を話したり。葬儀屋は、空いてるところに頼むしかなかったというのが実態で、なんなら「火葬場に直送しろ」くらいのことを言っていた母さんの考えとは違ったんだろうけど、普通に葬儀屋に頼むことになった。

一旦、各自寝て、翌日以降に備えた。

翌日は午前6時の医師の死亡診断に始まり、寺や葬儀屋との調整や、親類への連絡、行政関係手続きなどで忙殺され、あっという間に通夜になった。どんな感じで動いたのか、正直、思い出せない。

覚えているのは、いつも気にかけてくれていた母さんの友達が、偶然訪ねて来られ、母さんに会って「信じられない」と泣いてくれたことと、一報を受けた母さんの義姉にあたるおばさんが寄ってくれて、母さんに会って「寝てるみたい」と泣いてくれたこと。

おばさんは「お母さんは若い頃はお父さん(自分祖父自分が小さい頃に他界。)と、喧嘩ばかりしててね。今頃、お父さんから「うるさいのが来た」って言われて、また喧嘩してるかも。」と、知らない話をしてくれた。

納棺ときには、たくさんの花と一緒に父さんの写真や、自分を含む子ども写真を納めた。

短い髪の毛の頭には、ウィッグをつけたかったんだけど、生前に「あんな高いものを燃やすなんてもったいないから棺桶には入れるな。」と言われていたので、やむなく頭はそのままに。誰が使うんだよ。マジで

葬祭会館で通夜を終え、そのままそこに泊まることにし、姉と妹は一旦、家族帰宅。酒を飲みながら待ち、時々、隣室の母さんの顔を覗きに行っては、線香をあげ、その度に泣いた。

夜中の2時になっても、誰も帰って来ず、体力的にも限界だったので、寝た。深夜に姉が、朝型に妹が戻ってきた。

翌日も葬儀火葬バタバタ。孫たちが大騒ぎしてくれたおかげ(?)で、終始、湿っぽくならずに済んだような気がする。母さんも、「あんたらねぇ」と笑ってくれただろう。

母さんが望んでいたような「火葬場に直送」じゃなくて、普通見送り方にはなってしまったけれど、許してくれると思う。

それから職場に復帰するまでは、皆で家の片付けや、クレジットカードの解約やら銀行関係やらのたくさんの事務手続き、親類縁者への連絡などを分担して対応している間に、あっという間に過ぎていった。

その間、近所の方だとか、母さんの旧来の友達だとかがたくさん弔問に訪ねてきてくれた。皆が口々に「いい写真だね」と言ってくれた祭壇の遺影は、母さんが自分で選んで、わざわざトリミングまでしていたものだったから、本人も満足してるだろう。

母さんの旧来の友達からは、母さんの若い頃の話や、その後の友人関係の話しを伺った。学生時代のことや、社会人時代のことだとか、自分が知らない母さんの一面をたくさん知ることになった。

当たり前だけど、母さんは「母」としてだけでなく、一人の人間として、たくさんの人と関係を作り、それを続けていたんだなと気付き、なんだか新鮮な気持ちになった。

そういえば、ウィッグ友達の一人で、自分もよく知っているおばさんが貰い受けてくれることになった。何度も「管理が大変だけど大丈夫?」と聞いたけど、それを踏まえて快く受け取ってくれた。

ウィッグ販売店には、その旨は連絡しておいた。弔問に来てくれた時にお渡ししたところ、母の遺影に向かって「返さないからね」と笑っていた。

思い返してみると、母さんが癌になってからというもの、母さんとは色んな話ができた。父さんのことだとか、嫁いできた経緯だとか、これからのことだとか。

癌との闘いは、とても辛かったと思うけど、近い将来確実に訪れる「死」に向かって、本人も家族も、心の整理も含めて、時間をかけて準備することができたように思う。僕は癌で死にたくないけれど、そんなふうに、ちゃんと準備をして死にたいなと思う。

母さん、ありがとう。母さんの子どもで良かったよ。

追記

たくさんの方に、暖かな言葉いただき、恐縮しておりますありがとうございました。

私自身が、母さんが癌になるまで癌のことを何も知らず、また、どのような経過を辿るのかを知らなかったので、「自分用に書いたけど、同じ境遇を迎えてたり、これから迎えるかもしれない誰かのためになるかも」と、乱文を投稿させていただきました。

野暮かなとも思いましたが、いくつかコメントいただいた内容を踏まえ、その趣旨に合うかなとも思うので、いくつか追記いたします。

母さんが癌の宣告を受けたのは、2月上旬で、翌年の1月中旬に60台後半で他界しました。10月頃まではまずまず元気でしたが、以降は段々と体力の低下が顕著になりました。12月中旬までは、体調が良ければ妹の運転ドライブに行く程度の元気さもあったのですが、食事を受け付けなくなってからは、あっという間でした。思っていたよりもずっと早い経過だったので、「もっと会いに帰ったら良かった」と思うこともありますが、「そうさせないところが母さんらしいな」とも感じています

経過は個人差が非常に大きいものだと思います。母さんよりも早い経過を辿る方もいれば、もっと緩やかな経過を辿る方もおられるでしょう。早い経過を辿ることを前提に、たくさん話し合って、準備をしておいた方が良いと思います特に、残された時間はできたら住み慣れた自宅で過ごしたいという方が多いと思うので、それができるよう、家族介護+訪問看護体制を整えられるかをしっかり考えておくべきだとも思います。うちの場合は、姉が実家比較的近くに住んでいたこと、妹が介護休業に理解のある職場環境だったこと、また、訪問看護のチームが素晴らしかたこと等、様々な要因が重なって、自宅で看取ることができました。

なお、母さんがやっていてくれた事で本当に助かったのは、エンディングノートをしっかり書いていてくれたことと、重要書類(通帳、カード年金手帳マイナンバーカード等)を整理してくれていたことです。特に、亡くなったことを誰に知らせるのかは、親類縁者ならまだしも、友人関係ほとんど分からなかったので、これがなかったら不可能でした。「私も書くから一緒に書かない?」と、提案されてみても良いと思います

長くなってしまいましたが、皆様の一助になりましたら、幸いです。皆様のコメントから、元気をもらいました。改めて、ありがとうございました。

2023-03-06

[]3月6日

ご飯

朝:なし。昼:サラダスープ。夜:白菜人参しめじたまご餃子の鍋。ヨーグルトりんごソースかけ。

調子

むきゅーはややー。お仕事は、それなりー。

グランブルーファンタジー

なんか攻略サイト参考に0ポチシス単チェ編成作ってたんだけどどう考えても書いてあることが嘘っぽい。

セカンドオピニオンしたらそれじゃあ無理ですねって書いてある人もいた。

……まあまだ時間あるし。

2023-02-24

漫画 フラジャイル 病理医岸京一郎の所見時系列を考える

アフタヌーン大人気連載中の医療漫画フラジャイル」。そろそろ連載10年が見えてきて、物語新人宮崎がついに専門医になるなど節目を迎えてきた感があります。作中およそ3年を総決算したような21巻はまさにここで終わってもいい。第一部完。といった面持ちでしたが現在新薬JS1編へと続いてくれています

そこで今回、改めて読み直したと共に自分の中での整理のために作中の時間がわかるようなヒントを探してみた。

時間表記はだいたい1話目を基準にしている。

時間は明確な過去編とされてなければ話数が進むごとに線形に時が進むと増田が決めたんだ。

お約束

フラジャイルは今のような長期連載を予定されていなかった。

そのため医事紛争(弁護士千石)編18巻~で矛盾がでている。

「5巻の回想シーンで岸先生が壮望会に来たのは7年前」「(18巻では)時効などの関係で3年前設定」

「初期は連載がこんなに長く続くとは思っておらず医事紛争編は構想されていなかったゆえ」

「5巻のことは忘れちゃっていたんですか?」「作家編集もすっかり忘れて楽しくやってました」

長期連載にありがちなから立て付けていく設定に深くつっこんでもしかたないね個人的に岸と森井とのやりとりは時間軸を移してもなんとかなるけれど岸と高柴との関係は長い時間必要と感じるので医事紛争は(個人的)正史からはずしたいと思いまする。

連載だけ読んでると混乱した部分なので時系列を書いてみる動機だよ。

謎いところ

まとめたようでまとまらない情報を羅列しているだけになってしまった。

特に困ったところが「日本病理学会総会~アミ株式総会」。かなりぐちゃった。

それに加えいつかは不明だがリアル専門医受験資格経験4年から3年に変わった影響もあるかも

たぶん2017年から3年に。フラジャイル1巻が2014年で、8巻から2017年発刊。

宮崎試験はハッキリしてるかと思ったけれどそこもなんか怪しいし

あとは

・ 岸が壮望会に来た理由それから活躍

・ 壮望会の悪評と建て直し

稲垣緩和ケア周り

もなかなか謎い。あと高柴×岸のエピソードが初遭遇ぐらいしかなくて思ってたより掘り下げてなかった。

名前メモ

宮崎

森井

火箱

南波

細木

稲垣

中熊

手嶌

日野

戸倉

壮望会

慶桜



不明

岸入る前の壮望会、評判悪し(5話)

17年ほど前

稲垣医者に。「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)恐らく壮望会以外(27話)。

2011年以前 8月 35話からの比日野過去編 岸、慶桜・研修医時代

岸、臨床医時代感染症内科医

岸、研修医時代「君の指導医は俺だ」

岸、研修医2年目?「去年、研修医ローテで2週間」前期研修か。

25歳前後

将棋友道8「今月号」

恐らくすくなくとも9月以内に比日野死亡「治療開始より5日後死亡」

原因はSFTSで作中2011年以前。「当時はわかりませんでした」「SFTS中国特定されたのは2011年 それまでは日本でも原因不明」(90話)

不明~2年間

稲垣内科時代。慶桜ケア科に「よそのケア科に2年お世話」「研修先のケア科は慶桜」(85話)

「その頃から先生とは同僚」(85話)

このケア科2年が転院回数に含まれるかは不明(27話)


稲垣、「ひとりで壮望会の緩和ケア科を立ち上げ」(85話)

(伴、無菌病棟立ち上げ「昔 伴君が責任者になって立ち上げ」(86話)時期不明病棟を立ち上げて何年だ …何年もだ」(87話))

不明 岸、慶桜助教授時代

手嶌と同僚に。助教授同士(33話)



13~10年前?

火箱兄、死亡「私が中学生の時兄は亡くなりました」(12話)

およそ13年前で火箱12

9年前?

森井、21歳?大学三年の夏に退学。壮望会の専門学校入学。(3話)

6年前?

森井、24歳?専門学校卒業(3年制?)

壮望会病院に入り、6年間は辞められない(3話)

岸、壮望会に転院。高柴と初対面。「7年前」「新しく来た病理先生ですよね?」(18話)

4、5年前?

物語開始前、岸が手嶌と最後に会う。「会うの何年ぶりだったんです?」「…5?6?」(作中1年以上経過)(34話)

岸の性格から正確さは怪しい。岸と手嶌が慶桜以外で会っているなら変ではない(岸の性格から怪しい)。

3年前?

火箱、アミ入社?22歳?スタート1年半以上のときに26歳(11巻巻末)。4年生大学から新卒はいればこの辺り?

新人火箱、十王寺と会う「三ヶ月目」「入社一年目」薬事部所属(67話)

不明

火箱、MRに。岸、森井とは1話から面識あり。

2年と5ヶ月ほど前4月

宮崎医大卒業?。出身大学病院で初期研修開始(80話)「初期研修出身大学病院

不明

手嶌が慶桜を出る。「岸先生は慶桜を出てね」「僕はしばらく残ったけど~アメリカ留学して~研究職に転向した」(33話)

1年半ほど前

本郷最後彼女(病理医)と別れる「4年と3ヶ月33彼女いない本郷」至極どうでもいい(55話)

5ヶ月前ほど4月

宮崎、壮望会に。後期研修開始(80話)第一志望にフラれる。「どうして後期研修は壮望会を」

一年間は神経内科?「神経内科の専攻医になって1年で病理に転科したんだ」(80話)

この1年って1年目(4月に入り半年後の9月)に転科したのか1年半後の9月に転科したのか…。半年なら半年って言うよねぇ。でも2話の宮崎発言矛盾する気がするんすよぉおおおおおお

1話スタート

9月23日-24日開始。院内描写24スタート。終了は25日。

24日に騒動、「ゆうべの手術」~「昨日はお世話になりました」で25日

宮崎、27歳?3年目?。専攻研修開始から半年

宮崎神経内科から病理に転科

2話

宮崎、転科後初日

宮崎、専攻研修開始から半年確定?「一応 卒後2年目のドクターなので」(2話)80話の南波の話がわからなくなる。

てかこの流れの"ドクター"とは"博士課程です"って意味でいいの?医者意味でいい気がするけど。"博士とって2年目"だとまたいろいろ変わってくる…

専門医認定の条件が経験4年といわれる(後、3年に短縮)

3話

岸、森井に転職の話をする。

6年間は辞められない条件を知っているなら森井卒業6年後?

森井30歳?

5話

森井慰労会(4話直後?)

火箱登場、宮崎とは初対面。


宮崎病理診断開始(2-3話間と5話時間経過を加味しても早くなあい?)

5-6ヶ月経過ではない?

南波に新しい研修医。「宮崎の後に入った子」(9話)

4月に入った新人かと思ったが作中4-5月ではない?初期研修のローテーションか?

根拠は9話で半年ほど飛ぶのは不自然。8話で中熊登場して9話冒頭で中熊ポスター。8話で火箱・中熊面識。9話で「先日はどうも」


新薬JS1 Ⅱ相試験に向け始動(10話)

JS1、竹田編開始(11話)

竹田、余命半年


竹田JS1 3クール終了(13話)

竹田10日後に死亡(14話)

実際何ヶ月生存たかはわからない?余命どおりならだいたい1年目終了。


火箱、アミノ退社(14話)

(間瀬、アミノ退社)

(竹田余命)+数ヶ月経過?

「あれから数ヶ月」

JS1副作用の判明

火箱、ビフィズス入社

(14話終了)


「この前」コンサル窪田参加(15話)


セカンドオピニオン外来開局(15話)

高柴65歳?、定年半年前(15話)

高柴、退職。「定年まではまだ半年もあるのに」(18話)


高柴クリニック開院。高柴編終了(20話)


慶桜、中熊により遺伝子検査ラボ設立。円が25歳で技師長に「2年前~25歳にしてラボ技師長に抜擢」(58話)

(手嶌、円と共に新薬開発)「手嶌くん~円も協力してる新薬開発の仲間だね」(時期不明)(61話)遺伝子ラボとは無関係か。ソフト開発し新薬配列設計発見

半年以上経過 4月以降

17病理学校(21話)

布施登場、医大5年

5月時点で布施がまだ医大5年なので病理学校4月以降(25話)


布施半月間岸の元へ(25話)

8ヶ月後 5/19

笑美編。デジタル時計の日付が5/19。 (25話)

布施「君何年生?」「5年生です」(25話)

(稲垣、壮望会が3院目。前病理ありと前前なし(27話))

笑美編終了でおおむね6月(月末の演奏会)


宮崎、初術中迅速(31話)

(8巻巻末)

人物紹介 年齢

宮崎20台後半(大学多浪はなさそう)

不明

森井30歳(誕生日1111日)

位置不明 41話から半年ほど前

間瀬、医薬新聞社入社半年お世話になった」 (41話)

9ヶ月~1年半程度経過。 4月より前。6~夏まで?

森井31歳?

宮崎28歳?

手嶌登場「4月から京都細胞研究所」~「なられる」へ「やっと慶桜から卒業か」(33話)

「春から京都」(34話)

流石に何ヶ月も前に挨拶回りは変だと思うので4月前かなと思うけれど、後から見るとかなり早く挨拶してる?


ハル編(35話~)


間瀬、ビフィズス入社(41話)

9ヶ月~1年10ヶ月程度以前経過。 6月~夏まで?or翌年4月前あたり

野球回。(44話)

入局先宣言の話。「5年も~お世話になって」。後期研修終了タイミングの入局(4月)なら意思表示は入局前年の夏までが一般的らしいからここが夏で実際の入局は来年という話か。4月の線は薄い?

火箱が野球テレビ中継で見ている「今期つれぇ~」(44話)プロ野球3月末開幕なのでオープン戦でなければ4月以降で「今期」「つらい」とわかるのはやはり前シーズン夏前ぐらいか

(11巻巻末)

火箱26歳。ビフィズス在籍状態時。


宮崎20台 森井30台」(46話)

2年弱。9月前?

宮崎デビュー戦(48話)「病理専攻1年目です」

宮崎迅速11回、剖検5回(49話)


こまごまとした話。3日謹慎新聞掲載などがあるが明確で大きな時間移動はなし?


移植から半月後」(54話)

11ヶ月以前経過or1年7ヶ月以前経過? 9月前? or 4月前? or 4月以降?

日本病理学会総会12~14日(55話)

布施、院1年目(医大5年生?(80話))。「院の1年目であれくらい深く考えられる人」(55話)(MD-PhDコース)

現実と同じなら4月だが、布施の院1年目=医大5年生なら「布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りした」(80話)だから初登場(8ヶ月経過、5月ごろ)から4月をまたいでないはず…

神経内科から病理転向して1年目のザッキー」(55話)1年以上経ってるから2年目だと思うんですが…?

前年秋期特別総会でも11月で9月をまたいでザッキー2年目…

しかし第10X回総会とあって現実的には4月の総会…(55話)実際の総会は4~6月開催と幅はあるけど3月とか年度前にはならない? https://pathology.or.jp/jigyou/meeting-spring.html

4月越えなら

森井32歳?

宮崎29歳?

火箱27歳?


作山、リンチ

円、27歳?「2年前~25歳にしてラボ技師長に抜擢」(58話)

稲垣オプジーボ同意後、慶桜の「遺伝子センターラボに1週間もお世話に」(60話)

稲垣医師16年目?「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)42歳オーバーか。


ビフィズス、新薬とともにアミノへ(企業買収って数ヶ月はかかるとみていいよね?)(64話)

ビフィズス買収後、火箱、総務部、間瀬、MR(営業)へ「2週間前」(66話)


(株主6月(69話)→慰安旅行6月末(70話)ならここは5月か)

新人関根先生(65話)また4月ではない?次が総会の話なのでここは4月に入ったガチ新人かも。

「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)

ビフィズス買収2週間後ぐらい 3~5月

アミノ編(65話)アミノの株主総会の話だが総会が多い6月になるのかは不明

十王寺氏が来月退職するらしい」(65話)

数日後?、火箱、アミノの未来を憂う会に。「我々は来月の株主総会で」(66話)

(*2年8ヶ月経過 5/15 宮崎試験願書提出?(89話))

2年9ヶ月程度経過?3年目6月

総会一ヶ月前の買収が5月としたら4月日本病理学会総会から1ヶ月半(病理総会が4月12~14日)。作山関係で2週間近く使うとしたら買収"完了"が一ヶ月でしてることに。

そもそもオプジーボ同意を取れてから家族への報告に1週間。投与開始から検証&18人の遺伝子検査いくらか。NDA違反に数日(60話)と2週間でもカツカツ。5月中に関根編こなす必要もあるし。

総会間近、火箱懲戒解雇(68話)

JS1が」「治験フェーズⅡ」(68話)

十王退職記念公演。火箱が代読「明日から無職」(68話)

十王寺、株主総会前に退職?「この前の火箱さんの公演が記事になりました」(69話)

株主総会(69話)「後日~十王寺さんの解雇撤回」(「明日から無職」は形式的な話か)


間瀬、開発本部長に。火箱、開発本部 臨床開発3部 JSプロジェクト推進グループグループ長に。春田、火箱部下に。

6月末?

慰安旅行(70話)「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)

2年10ヶ月程度経過 7月はじめ?

弁護士編(医事訴訟)

弁護士編は過去矛盾してる編なのでここでまとめる。基点がここから3年前なのがネック。(ここまでの予測があっていれば宮崎が転科する数ヶ月前の話になってしまうし、後からみてもすぐに宮崎の実務3年を迎える)

前述のとおり時系列からは切り離すが、過去の各イベントはあったんじゃないかな。

また、過去以外の話の時間正史として前の編から地続きと考えておく。

不明 (岸) 細木 千石 高校生時代

細木と千石高校同級生(72話)細木と岸は同期

1話から2ヶ月と数ヶ月前とさらに少し前

森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)

後の話では森井のほうが壮望会に先に入ったっぽいのでここでもここに

(6年辞められない縛りがあるのに転職話が出るのが変)

1話から2ヶ月と数ヶ月前

岸、壮望会に。(73話)

(これまでの話でも壮望会での高柴との出会いは7年以上前矛盾)

1話から2ヶ月ほど前 弁護士現在から見て3年前

患者菊池通院後2ヶ月。「外来での通院が2ヶ月を過ぎたころ僕に~依頼があった 三年前だ 僕が壮望会に来てまだ数ヶ月にもならないころだった」(73話)

病理技師がほかに4人居る(73話)

岸、初カンファ荒らし「初カンファ荒らしの爪痕」(73話)

菊池状態悪化後、「緩和ケア科に移って2週間後に亡くなった」(73話)


「まあまあ前」の先月

森井、彼女に振られる(18巻末)

1話から5ヶ月前以内 「まあまあ前」

森井、技師を追い出しソロデビュー(18巻末)

宮崎、壮望会に居てニアミス(18巻末)宮崎は後期研修から壮望会に入ったので4~9月の間の話(神経内科専攻)とすると、3年前とはあまり矛盾しない。

不明(窪田参加前)

壮望会、不評から立ち直る「壮望会を立て直した~医師の功績ですよ岸先生とか稲垣先生とか」(74話)

5月ごろ?

久坂部、米嶋の診療所訪問「2ヶ月前米嶋が働く診療所に~弁護士」(74話)

久坂部~米嶋の診療所に行った男と同一人物」(75話)

7月はじめ? 物語現在

「今月の予定組むんで」(71話)

森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)

米嶋の診療所訪問。米嶋はだし。(73話)春~夏?

「夏も近い」(74話)これジョーク

こまごま動いて弁護士編終了

2年10ヶ月程度経過 8月ぐらい 時系列考察破綻

布施、「医大6年生 MD-PhDコース2年目」(80話)

えー、医大に明るくないのでわからんのですが、MD-PhDコース学部4-院3~4-学部2年で学士修士両方とるルートデス。だから医大に6年居て学部卒業してなくて院生2年生。かな。

布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りしたため国家試験は2年後」(80話)

「後期研修が3年 宮崎先輩は2年目なう 来年病理専門医認定試験」(80話)

布施初登場から2年以内、宮崎登場から2年半以内になるはずだけど、ここまで2年半以上過ぎてる計算をしてしまってる。

日本病理学会総会12~14日(55話)を現実とあわせて4月仮定してるけどここが変かなぁ。

9月スタート→(4月迎える)→25話 5月→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸1年)→33~4話 4月と春が話題→(4月迎える)→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸2年)→74話 夏前。

34話から74話の計40話が3、4ヶ月とするとかなりハードスケジュールから厳しいとみて、もう一回4月を迎えてるとすると宮崎は4年間壮望会に居るはずで

日本病理学会 Permalink | 記事への反応(1) | 11:12

2022-11-27

親が大動脈瘤だって

 60手前。手術適用のでかさじゃない(いうてあと2ミリとかそんくらいで適用範囲)ということで、手術は足踏みされている。

 なんなら、手術で起きるかもしれん合併症だの後遺症のが心配から70くらいになってからやろうだってさ。

 親も自分もそれでいいんか?って感じだが、規定ならどこでセカンドオピニオン受けても手術にはならんのだろうて。

 減圧で様子見とはいえ小さくなる保証いか自分も親もももやしたまま生活している。ままならないなあ。実家帰る頻度だけ増やすけども。

2022-11-22

おっさんだけど勉強を頑張れない

ちょっと前置きが長くなるけど、というか9割ほどは前置きなのでご容赦を。

前置きが終わったところで====を記しておく。


学生の頃は頑張って、旧帝の工学修士を取得した。

就職氷河期だったけど、無難大手企業就職して、やりたい仕事ができるようになった。

そこでパワハラに遭い、恋人が死んで、子供の頃から精神虐待が吹き出てきて、鬱になり休職退職になった。

転職をしてみたけど、そこでも鬱が再発したため、退職に追いやられた。

働いてた年数は6年くらいになる。


その間にためてた貯金はすべて食いつぶし、親にも少し借金をしてたがそれも食いつぶし、結局今は生活保護を受けている。

退職したときは本当に地獄だった。

原因も意味不明な恐怖にガタガタ震え、泣き出し、頭をガンガン床に叩きつけ、腕を包丁で切りつけまくってた。

精神科には通ってたけど、ほとんど死ぬことしか考えてなかった。


5年ほどそんな感じだったけど、鬱が転じて双極性障害になったらしい。

たまにめちゃくちゃなハイテンションになることがでてきた。

で、そのハイテンションときに「このままでは一生このままだ。なんとか状況を変えないといけない」と思い、主治医紹介状を書いてもらい他の病院セカンドオピニオンをもらいにいくことにした。

そこで検査をした結果は、服薬だけでは治らない、認知行動療法を受けろ、というものだった。


認知行動療法をやっている精神科を探した。

とにかく治すためだ、多少遠くても構わない。

ネット電話自分の市以外の周辺の役所福祉課など、いろいろ駆使して探した。


結果、意外と近所の総合病院認知行動療法を行っていることがわかった。

しかも、普通カウンセリングだと5000円から1万円程度のカウンセリング料を取られるけど、臨床心理士がいる病院で、精神科医が「カウンセリング必要患者だ」と判断した場合保険適用されてカウンセリング料は無料になることもわかった。

そしてこの病院が大当たりで、病状は劇的に良くなっていった。

あの意味不明な恐怖はなくなっていった。

人と話すことができる唯一の日である通院日が楽しみにもなった。


それから10年くらい経って今に至るわけだが、その間ずっとなんとか仕事をしたいと思ってきた。

アフィリエイトのためのコピーライティングSEOコンサルとか、You Tubeで稼ぐためのコンサルかに何十万という金を払って勉強してたけど、どちらも駄目だった。

とくに指示どおり行動してたらGoogle AdSense規約に引っかかって、アドセンス権利永久剥奪されたのは痛かった。


ちなみに15分で1動画、ひと月で300動画を作れと言われてた。

BGM静止画を背景に、ニュースサイトコピペしたような文字けが流れてくるクソ動画蔓延してた時期があったことを覚えている人は多いと思う。

あれは俺たちが元凶だ。

そしてアドセンス剥奪されたのは「ネットラジオ番組の、楽曲の部分だけ削除してアップしまくれ。楽曲さえ入れなければ著作権違反にはならない」という指示に従ったときだ。

===============================


閑話休題


そんな無駄時間と金を数年分使ってしまい、今はプログラミング勉強をしている。

HTMLCSSJavaScript


ただ、頑張れない。

不調の日はパソコンも起動できない。

好調の日は、いくらでも勉強はできるのだけど、双極性障害躁状態とき調子に乗りすぎると、鬱状態どん底に落ちてしまうため加減をしなければならない。

臨床心理士には「勉強は二時間を超えるな」と言われている。

何度かこれを無視したことがあるが、突然動悸が激しくなり、胃酸が逆流、ヒステリー球、手足の震え、痺れが襲ってきてとんでもない目に遭った。

もう、あれは味わいたくない。


プログラミングなんて最前線で頑張っている人たちですら、毎日スキルアップを目指して勉強している分野だというのに、俺はこの有様。

もちろん理解は進んでいる。面白いとも思ってる。

けどこんな調子で、仕事ができるレベルに到達なんてできるのか。

一生生活保護とか嫌すぎる。

2022-11-07

anond:20220912205344

増田主治医はなんでそんなハードコアダイエットやらせるんだろうな。なんも考えてねーんだろうな

短期間で病的に肥満した人間は先ず精神がどうかなってるんだから、そんな患者メンタルケアすることもなく通り一遍精神力頼りの減量法をやらせるなって話よ

その身長体重だったら普通に糖尿病治療薬使えっつーの。保険適用

増田セカンドオピニオンして↑やってくれるとこ探しな

このままじゃ金も時間も労力も無駄になるよ。おまけにそんな多大なストレス抱えてたら別の病気になるわ!

増田的には「別に痩せなくてもいい」のかもしれないが、医者の言う通り健康寿命を伸ばす為にも痩せた方が良い

肉体のみならず、精神の為にもな

で、痩せた後はメンタルケアしな

現在就いている仕事でのストレスはどうなんだ?

収入職場環境仕事内容で不満があるなら歯を食いしばって転職するしかない

40代前半とのことなので転職するなら2年かそこら以内だな

応援してる

2022-10-26

anond:20221006002614

これの増田です

今日他の歯医者に行ったら「しっかり磨けてないですね 奥歯の方が歯周病になってて歯の根っこが弱ってきてます これ以上進行させないように頑張りましょうね」と言われた

「加齢で仕方ない」って言われてそっかぁ(納得)しかけてたので

「気になるならセカンドオピニオンしろ」と言ってくれた人のおかげや

サンキュー

2022-10-24

すまん誰か助けてくれ

俺は高卒で働いたりニートしたりしながら生活してる三十路の男だ。

から人の話が頭に残らないのがすごい悩みになっていて、小学校の頃から校内放送を聞いても聞いた直後は「ああなるほど」とはなるんだけど、ものの数秒で「……どういうことだったっけ?」となる。

この特性社会に出てからも続いていて、頭に残らない故に発生する捉え間違えや聞き間違いがアホみたいに多い。「メモ取ればいいじゃん」っていう意見がある。わかる。俺も同じこと言われたらそう返す。しかし、話を聞いてメモを取ろうとしても、メモを取る段階で話が頭から抜け落ちてるのだ。

俺は頭が悪すぎてそもそも聞いた話が理解できていない説を考えた。ひょっとしたら、知的障害があるんじゃないだろうか。学生時代授業を受けても、板書を移すだけでいっぱいいっぱいだった。

精神科でWAIS3を受けたが、知能差に凹凸はなく、平均IQ110の健常者だった。ただ、医者に「話の捉え違いが目立つ」と言われた。健常者の俺に解決策はなかった。

人と話さな工場なら働けると思ったが、手先が不器用なのと、大きな音が酷くストレスなのと、仕事説明が頭に残らないので重度のポンコツとして扱われ、夜寝てるときに体が水平に回転している感覚工場内で流れる注意喚起音楽の音が頭に流れてきて、俺は2週間で仕事を辞めた。

データ入力派遣社員は一番肌にあっていたが、入力ミスの多さに苦言を呈されたのと、将来性がない仕事だったので辞めた。

ADHDの友人に、「絶対発達障害だよお前。話してるとき意識飛んでるときあるよね。人が話してるとき焦点別の所いってるもん。私と全く同じ人お前ぐらいだからそういうのすごい目につくんだよね」と言われた。

セカンドオピニオンでまたWAISを受けたが健常者だった。「一つ一つゆっくり丁寧にこなしましょう」といわれた。僕もそんな職場に行きたい。

今はブルーカラー職場で勤続3年働いてるが、口頭伝達のコミュニケーションが多くて年々慣れるどころが辛くなってくる一方だ。

幸い休みが多いが、仕事の前日になると克己心の湧かない恐怖心や怯えが出てきて気が滅入ってくる。

俺が人並に生きるにはどうすればいいんだろう。

仕事が終わっても酷く苦しい。

同じような人がいたら教えてくれ。助けてくれ。

2022-10-16

anond:20221014090723

スピとはちょっと違うけど、私の母の話をしたい。

私の母は発見時にStage4の癌で、医者は今のままだと半年治療を行えば予後がよくなる(直らないけど寿命は延びるよ、いつまでかは知らんけど)と言った。

セカンドオピニオンにもかかったが、言われたことは同じ。良ければ2年ぐらいは生きられるけど直ることはまずないと言われた。

最初医者の言う通り、母は放射線治療抗がん剤治療を始めた。

抗がん剤治療を始めてすぐ、母は何を食べても苦く感じるようになったようだ。砂を食べているようだとも言った。何度も吐き気に襲われてしょっちゅうトイレで吐いていた。

ふっくらとした体型だった母がみるみる痩せていった。

しばらく堪えて頑張っていた母だが、あまりに辛いので止めたいと言った。そして代わりに縋ったのが、いわゆる近藤某かの言うような放置治療だったり、マッサージとか食事療法とかそういったものだった。

当然、そんなもの効果があると私を含め家族は信じていたわけではないけど、ニセじゃない方医療は母に辛い治療を強いるけど助からないと言う。ニセ医療は辛い治療も強いないし助かる可能性があると言う。

もっと生きたい、病気を治したいと思っている母が、希望を持って生きるにはどちらが良いか。母の選択を間違っているとは言えなかった。

母も多分わかって騙されていた気がするし、それでよかったんだと思う。

まだ助かる見込みがある人がニセ医療に騙されたり、全然治療効果がない高額な治療をさせたり、そういうことをしている連中は許せないけれど、ただ批判されてるのを見るのも今となっては複雑な思いがする。

2022-10-12

anond:20221012133135

ヤ〇医者(語弊)かもしれないかセカンドオピニオン聞いたほうがいいよ

メンタルは初診だけじゃわからない

2022-10-11

早発閉経した気象予報士が伝えたいことってやつ

『26歳で「早発閉経」と診断された。結婚発表した千種ゆり子さんが今、伝えたいこと。』

https://news.yahoo.co.jp/articles/a9d386ed50b5c12597f4e28784c70bb8067f552f

これさあ、早発閉経は大変だったとは思うけれどなんで伝えたい事が

セカンドオピニオンを受けて」なの?

そもそも最初医者の診断に問題があったんだから、全国の医師に対して、そこを改めるように訴えるべきなんじゃないの?あるいは初診料を下げてセカンドオピニオンを受けやすくする施策への提言とかさ。

この人自体は気の毒だとは思うけれど、こうやって他の女性に対して圧力をかけようとする点は残念だ

セカンドオピニオンなんて受けたらその都度初診料や交通費を消費するし、そもそも二件目の医者が一件目よりもマシだという保障はないから誰でも簡単に勧めていいものじゃあないでしょ

日本医療特に婦人科関連っていつもこうだよね

いつもいつも患者自助努力ばかりが求められ、医師の側の不備は追及されない。一体何のための医師免許なんだ?無駄に高い医大学費偏差値なんだ?それだけ医療に正確性を担保する必要があるからじゃないのか?

40歳以上にはピルは無理だと言って他の方法提示しない医者はヤブ医者から他を当たれで済ませた婦人科医もそう。

患者に対しては医療不信を煽ってやたらセカンドオピニオンしろと勧めるくせに、いざ実行したらドクターショッピングだの医療費の無駄遣いだのと叩く

生活習慣病なんかでも一般国民に対して食事睡眠に気をつけろ、運動しろという自己責任論の健康対策を求める声は至るところに溢れているのに

それを可能にするために賃上げ労働時間の短縮を求める声は全然聞こえてこない

どんだけ強者に対して甘く、弱者に厳しい社会なんだよ

この女性もそういう弱い者いじめ自己責任社会にまんまと乗っかっている

早発閉経経験を踏まえて市政の人に対して伝えるならせめて「早発閉経子供が産めない女性もいるので理解して」とかでは?

なんで女性を抑圧する事しか考えていないのか

2022-10-09

anond:20221009015501

下記3つが増田の中で両立出来ると良いと思う

 

ただ、世界的に成功したアーティスト実業家ガチセレブでも承認欲求を拗らせて、

自死したり・過剰なストレスでガンになったり免疫系のアレやコレやで早死にしているので、

ネタで無くて本当に困っているならそのまま今の医者に伝えたらどうか?

ろくな回答・反応ないならセカンドオピニオン

2022-10-06

anond:20221006002857

別のクリニックでセカンドオピニオンやろ

そんな深刻な症状が出る可能性があるなら放置されるのはおかし

誤診という場合もあるだろうが、2軒3軒と行って同様の対応だったら特に問題無い蓋然性は高くなる

2022-09-25

anond:20220925213901

元増田です。

WISE-Ⅲは受けたのですが発達障害ではなかったです。

その後、ADHDの友人から「お前は絶対ADHDからセカンドオピニオン検査した方がいい」(人が話してるとき意識が別のことに飛んでたり、過眠気味だったり、物忘れの多さがADHDのソレだと言われました)と言われたので、セカンドオピニオンを受けたのですが動作性と言語性に開きはなく全IQも110前後と高くも低くもなく平均的だと言われました。

恐らく発達障害ではないものと思われます

WISE-Ⅳだとなにか変わるのでしょうか。

2022-08-21

心療内科の選び方

かれこれ10年近く通い続けている心療内科がある。

通院はしているが2ヶ月に1回程度で、別段休職などにも至ってはいないし、自分としては普通に働けているつもり。

私のは一生根治しないタイプのやつなのだろうか。

長期にわたる通院・服薬の事実は、要所要所で私に不利益を確実にもたらしていて、根治したとまでは言えなくとも、せめて「服薬は不要になりました、もう飲んでいません」くらいは言える状態にしたい。

実際、先日あった転職面接において、話の流れで現在の体調や睡眠について聞かれ、隠したまま内定を得たとしても後から露呈するほうが色々苦しいと思ったので、率直に通院や服薬の事実を話した。

すると途端に面接官の態度が(私にとって悪いほうに)変わり、長期間根治しない、させられない私自身に問題があるのではないか(よくある「メンタル疾患はやる気や根性問題」という捉え方に近い)というような口ぶりに変わっていった。

面接官に悪意はないだろうし、そもそもメンタル疾患に対する知識理解が少なかったのかもしれないが、やはりメンタル不安定人間採用したくないと考えるのはごく自然な反応である

どんな理由事情があるにせよ、メンタル不安定、通院や服薬の事実のもの不利益であることは疑いの余地がない。

話がそれたが、いい加減服薬しなくても暮らせるようになるため、セカンドオピニオンではないが、あえて病院を変えようかと検討中だ。

風邪をひいて内科に行って診察してもらって薬もらって寝れば治る、くらいなら正直どこでもいいのだけど、心療内科精神科は"相性"があるため、第2の病院を選ぶのにかなり苦慮している…今のメンタルで「行ってみてハズレでした」は相当キツイ

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