はてなキーワード: クラスメートとは
中学生の頃、「家庭」の実習で使うために家からヘンケルの裁ちバサミを持って行った。
今ならヘンケルのハサミなんて珍しくもなんともないが、昔はそこらには売ってなくて、
授業が終わって道具を片付けているとハサミがなくなっていた。
なくしたのか? 盗まれたのか?
私の不注意でなくしたのだとしたら、その事で騒いではいけないと思ったし、
盗まれたのだとしたら、私が動揺している姿を犯人に見せたくなかったのだ。
この「動揺している姿を~」というのはどういう意味かというと、
当時私は一部の連中からいじめとからかいの境界線上にあるような扱いを受けていた。
嫌だったが、私がいやがったり泣いたりしたら奴らの思うつぼだと思い、平気なふりをしていた。
だからハサミが盗まれたとしたら、それはいつもの嫌がらせの一種だと思ったのだ。
バカだ。
不注意で失くしたのだとしても、裁ちバサミなんてそれなりに大きくて重いものなんだから見つかったかもしれない。
それをあれこれ考えて見栄を張って平気なふりをした。
あのハサミはどこへ行ったのだろう。
震災があるたびに千羽鶴の話が話題に上がるが、私も貰ったことがある。
それは、中学生の頃、病気で学校へ行けない日々が続き、担任の先生が主導の元、
30人程いるクラスメート全員が一人一枚折って、それを千羽鶴の様に糸で繋ぎ垂らした物を貰った。
こう書くと「なんだ、いいクラスメートじゃないか」と思うかも知れないが、実情はそうではない。
実際の所、私は同じクラスの者にイジメを受け、授業にも付いていけず色々あって精神を病んだ。
子供向けの精神科にも通院し、薬なども試していたが、あまり効果は無く、
精神からくる肉体的病気も出てきて学校にいるのがしんどくなって、結果的に学校へ行かなくなってしまった。
そういう過程もあってか、千羽鶴を貰ってもいい気分ではなかった。
いや、千羽鶴だけを貰うだけなら気分を害する程度ですんだ。
問題は、その千羽鶴一枚一枚に折った者の名前とメッセージが書いてあった。
私はあまり人と交流を持つタイプではなかったので、友達と呼べる人は1~2人程度しかいなかった。(別に友達の人数には不満は無い。)
それ故、クラスメートの大半は自分とロクに会話すら交わしてない、下手したら挨拶すらした事ない人が多い。
そういう人たちのメッセージは正直、半強制的に書かされた人が多いと思うし、
逆の立場で考えると同級生とはいえ、まともに言葉すら交わしたこと無い相手なんて正直無関心もいい所だと思う。
中には本当に心配してくれた者もいると思うが、書く気もないのに書かされたという部分においては、とても申し訳なくなって罪悪感が増した。
あとは、経験ある人も一定数いると思われるが、別にコッチが何かしたわけでもないが、
(落した消しゴムを拾ったりとか、自分の席の前後にいてプリントを渡そうとする時などに)
自分の事を物凄く嫌な顔をして拒否する女子が「早く元気になってね」とか書いてあって「嘘をつけ」と思った。
ましてや自分が病む元凶の一端でもあるイジめっ子が「早く元気な顔見せろよ!」的な文章書いてあるのを見た時は心が憎悪で満たされた。
そういう経験もあってか、千羽鶴という文化はどういう状況であってもあまり好きではない。
担任も良かれと思ってやったのだろう。そこに関しては別に怒ってもいないし恨んでもいない。ただ悲しいだけだった。
アレは、やった人がいい事をした気持ちで満たされる一種の自慰行為であって、渡された人は、ありがた迷惑でしかないのであろう。
学生の頃によく通ったバーがなくなったという報せを聞いたのは、出張で東京から大阪に向かう新幹線の中だった。
新幹線。大学進学を機に東京の西の方へ引っ越したぼくの出身は新潟県で、当時のぼくにとって、新幹線といえば、東京都と新潟県をつなぐ上越新幹線のことだった。新潟。海沿いの街ならばともかく、山に近い町では、一年のうちの半分以上が雪と雲に閉ざされる土地だ。
冬に東京から上越新幹線に乗ると、日本海側が「裏日本」と呼ばれるのが納得できる。携帯電話の電波の入らない、長いトンネルを抜けると、そこはたしかに雪国だ。トンネルに入る前の、抜けるような青空からしてみたらまるで異世界のような、モノクロに塗りつぶされた街が見える。たまにしか来ない旅行者にとってはそれは心踊る風景かもしれないが、「裏日本」の住人にとっては、長く続く冬のあいだ、ほとんど太陽を見ることができないという気の沈む現実をそのまま描き出したような光景だ。
新潟県に住んでいるころの生活は、そんな冬の憂鬱な景色と似たり寄ったりだった。中学校のクラスメートの多くは、ぼくに猿山の猿を思い起こさせたし、教師たちだって、そのうちのほとんどが想像を絶して想像力のない無神経か、生徒へ媚びては「人気の教師」というくだらない肩書きに執着する俗物のどちらかだった。
ぼくにしたって、そんなくだらない学校生活から颯爽と抜け出せたわけではない。自分も、くだらない生徒のうちの一人であることには違いなかった。そんな鬱屈をぶつけるかのごとく、音楽を聴いて、小説を読んだ。音楽や小説は、ぼくの肥大した自意識をなぐさめながら、同時に、その自意識をさらに肥大させた。
ひとことで言えば、ぼくは、音楽や小説に自分の存在そのものさえを仮託する、盆暗だった。そうして、ぼくは中学高校をやり過ごしていった。
◆
車内販売のワゴンを押しながらお土産やコーヒーを売る販売員の声で、ぼくはふと我に帰った。いつのまにか新幹線は名古屋駅をすでに過ぎていたらしい。車内販売員からぼくはコーヒーを買った。熱いコーヒーを飲みながら、ぼくは高校を卒業した年の3月のことを思い出していた。
大学進学に伴って、上越新幹線を使って上京した。まだ雪の深く残る街から、荷物を抱えて新幹線に乗り込み、トンネルを抜けたときの空の青さにせいせいしたのをよく覚えている。これからは、猿山の猿や無神経や俗物に付き合わなくていいんだ、そんな気持ちを、青い空は祝福してくれたように思えた。
そうして手に入れた大学生活にも慣れ、過剰な期待もなくなり、肥大した自意識ともうまく距離をおけるようになった頃のぼくに、ほんとうのお酒のおいしさを教えてくれたのが、件のバーだった。学生街にありながら、その店はいつでも静かだった。生まれて初めて、本や音楽の話が心からできる友人とも、そのバーで知り合った。マスターは、少し背伸びをした学生に、いろいろなお酒を教えてくれた。酔うためではないお酒を、リラックスしながら飲む日々は、ぼくにあの新幹線で見た青空のような解放感を与えてくれた。
◆
そのバーがなくなったことをメールで教えてくれたのは、当時の友人のうちのひとりだった。大学を出た後、ぼくとはまったく違う業界に進んだ彼と会うのは、3年に一度程度の頻度でしかなかったけど、会うたびにぼくらは、リラックスできる店で静かに酒を飲んだ。そんな彼の名前と一緒に携帯電話の通知に表示された、「あの店なくなったの知ってる?」という文字列に、それほどショックを受けていない自分に少し驚きながら、ぼくはヘッドレストに頭をあずけて目を閉じた。
ぼくたちが店に通っていたときから、もう8年が経つ。東京で就職し、大阪に頻繁に出張に行くようになったぼくにとって、新幹線といえばもう、あの長いトンネルを伴う上越新幹線ではなくて、東海道新幹線のことになった。ぼくはもう一度携帯電話の通知欄を眺めてから、また目を閉じて、新幹線の規則的なゴトンゴトンという音に耳をすませた。
「幸色のワンルーム」は許されるのか~誰が彼女を監禁しているのか? - レインボーフラッグは誰のもの
http://rainbowflag.hatenablog.com/entry/2018/06/03/204703
この批判記事書いた人も認める通り、あの漫画と事件は似てないんだよね。
まぁこれなら被害者本人や家族が訴えたとしても柳美里『石に泳ぐ魚』のように名誉毀損で出版差し止め損害賠償とはならないだろうと踏んで出版社やテレビ局は世に出したんだろうし。
仮に、あの漫画のファンに多いらしい被害者と同年代のティーンの女の子たちが漫画と事件をどちらも知っていたとしても、実際に人物と出来事は全然似ていないわけだから、常識的な理路を辿るなら、
漫画・ドラマ → 共感できるキャラクターと刺激的な設定の面白いフィクション
現実の誘拐監禁事件 → キモ男の犯罪、許せない。被害者の子かわいそう、頑張って立ち直って欲しい。
という認識のまま、現実とフィクションが混線することはなかったはずなんだよね。
わざわざ
「作者はあの事件を巡る『実は誘拐犯と被害者は相思相愛だった』などというセカンドレイプ言説から漫画の着想を得たに違いない、そしてセカンドレイプ言説を好む人々があの技術的には稚拙な漫画をドラマ化するまでの人気作に押し上げたのだ」
なんて火付けしなければ。
もうこれ完全に裏設定になっちゃったよね。いかにもティーンの子が好みそうな。
作り手はあくまでフィクションです野暮言うなよってライン守ってたのに。
被害者の子が中学の同級生から何年か遅れで大学や専門学校に入ってとして、年下のクラスメートから「ねぇねぇ、中学の時にちょっと流行った漫画あったよね、ドラマにもなった。ネットで叩かれてるの見たんだけど、作者が自分で考えたって言ってるのは嘘で実はモデルにした事件があってね……」なんて話題を振られる可能性を作っちゃったわけだ。
あーあ、って感じ。
なんのために「この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません」って建前があると思ってるんだろうか。
30歳を迎えて、友人も彼女もいない孤独な社畜の日々を送っているわけだが、
幼少期からずっと孤立していたかと考えると、どうもそうでもなかったと思う。
ゲームをきっかけにして色んな人と友達になっていた。友達の家でお泊りとかも普通にしていた。
クラスメートたちは部活に精を出したり、ファッション誌とか読んでみたり、異性でお付き合いしたりなんて
いわゆる思春期に入ったようだった。
それまで皆とのコミュニケーションツールだったゲームが幼稚とされるものとなり
周りがどういったものに興味を持って、どういう付き合い方をすればよいのかが全く分からなくなった。
かと言って、オタクカーストのコミュニティに入っても全然話が通じない。
名作RPGの攻略の話をしたいのに、ギャルゲーだとかガンダムのキャラクターの話を延々としてるような空気。
そのうち、自分の頭がおかしいから周りに馴染めないと思うようになった。
頭のおかしい自分が考えることはおかしい、ゲームの話をしてもバカにされるだけだ、他人と関わらないようにしよう。
空気になろう。与えられた宿題や授業だけ参加して、一刻も早く家に帰って一人になれば傷つけられない。
そうして月日を重ねるほど、自分は何をどう他人に伝えればコミュニケーションを取れるのかが全く分からなくなった。
今思うと、周りが見えてない幼稚なくせに保守的なプライドばかり高くて
周りの子たちがどんな事に興味を持ち始めたのか、どんなことを考え始めたのか、っていう事に関心を持つ共感力みたいなものが
俺には欠けていたんだと思う。
・「こちらの知らないうちに好意をもたれる」ことと「予想外の人から好意をもたれる」ことは、似ているようで違う。
話しかけても返事がないレベルの相手からの好意は後者。仲が良かった友達や普通に話をするクラスメートであれば前者
・「予想外の人から好意をもたれる」ことは、避けることが不可能な分よけいに、こちら側からするとストーカー感が生じてしまうというか、えっ気持ち悪い、と思いやすい
・予想外の人から好意をもたれるのは仕方がない、とはいえ、好意を伝えるプロセスがおかしいのは困る。距離感の問題というか。
自分の場合は、「返事もしないキモイ奴」だったものが、突然「好かれてる人」に変貌したわけで、
せめて話しかけたら反応ぐらいしろよとか、人伝いで伝えようとしてんじゃねーぞとか、好意があるなら自分から話しかけるとかしないの?とか、まぁそんな感じ。
身内が教職に就いている
日々相手をしている生徒達はさすがに流行にめざとく、バーチャルユーチューバーの話題もよくあがるらしい
身内自身はこの手のコンテンツにあまり好意的ではないのだが、それを態度で読み取った一人の女子生徒がにこう言ったという
「キズナアイのおかげで、女子もゲームを遊んでいいんだという空気が出てきてるんだよ」
その生徒曰く、女子生徒の中にも少なからずゲームに興じる者はいるのだが、それを公言できる状況は今までなかったという
せいぜいがスマートフォンのパズルが主体のゲームくらいしか「女子が遊べる(遊ぶことが許される)ゲーム」はなかったという
しかし最近の、可愛らしい女の子(のCG)が、男性向けの印象をもたれがちなゲーム(銃を撃ち合うゲーム、高いアクション性、暴力性を含むもの)を四苦八苦しながら遊ぶ姿が受け入れられつつあることで「実は私あのゲーム得意なんだよね」とカミングアウトできる空気がようやく生まれ始めているそうだ
身内もまた学生時代、同年代の同性があまり興味を持たない、ちょっと「渋い趣味」をひた隠しにし、案の定バレてクラスメートから嫌な思いをさせられた経験があった
「あの子達は、私と同じ苦労をせずに済むかも知れない」
身内はそう言って、涙をぬぐっていた
今まで人を嘲笑って生きてきた。
自分が生きてきたコミュニティはリアルでもネットでもそうするのが普通だった。
父も母も親戚もやってTRYが大好きで毎週欠かさず見ているような人種で、学校の先生もクラスメートも出来ない人間を笑い者にしてばかりいた。
気づけばインターネットもそういう社会になっていたし、自分が最初に入った会社の雰囲気もそうだった。
人の揚げ足を取ったりマウンティングをしてニヤニヤ笑いたがるような人間はほとんどいない。
そういう空間で生きていると、今まで事ある毎に他人を許そうとしなかった自分の考え方も変わりつつある。
そして、他人が許せるようになると今度は自分が許せるようになり始めた。
今までずっと付きまとっていた正体不明のなにかに追い立てられているような感覚もいつしか消えかけていた。
だが、今でも時折ちょっとしたことで「ふざけるな」「死ね」と心の中で唱えてしまうし、自分に対しても「生きてる価値ないぞ」「やる気ねーな」と心の中で毒づいてしまう。
あまりにも長い時間、ネガティブな言葉を全方位にぶつけて生きすぎたんだ。
自分を苦しめていたものの正体が、狭量な自分の価値観だと分かった所で、簡単に染み付いた思考の癖は拭えなかった。
きっと自分はツケを払っているんだ。
人をバカにすることに躍起になって生きてきた今までの人生のツケを。
全て払い終われば今度こそ、生きやすい人間になり、他人にとっても付き合いやすい人間になれるのだろうか。
とりあえず私が言いたいのは。
やってTRY!のような番組があるのは人類にとってマイナスの影響を及ぼすリスクが高すぎるので、そろそろ誰かが放送休止に追い込んだほうがいいということだ。
ルールとは何だろう。
俺がその問いに回答するには辞書に頼らざるを得ないし、それ以上の答えは用意できない。
守るか、破るか。
それで十分だと思っていたし、実際それで何とかなっている。
でも、この世がみんな俺みたいなスタンスだと社会は崩壊するだろうな、くらいの思考は働く。
このように、登校した生徒に絡んでくる奴らがいるのは珍しいことではない。
違うのは、絡んでくる人間が教師ではなく、生徒会の奴らって点だ。
こういうのは生活指導の教員がやっているだろうが、俺たちの学校では少し趣が異なる。
「勉学だけならば学校は必要ない。社会、教養を、日々の生活で育むことこそ、学校に求められる役割だ。その資本とは、生徒自身なり」というのが校長の弁である。
要は社会性を学ぶのに、“生徒の自主性を重んじ”ているってわけだ。
まあ、これは名目で、実際には生徒の面倒を見切れない教師側が、仕事を減らすために作ったカリキュラムなのだろう。
とは言っても、大半の在校生にとって、この差に大した意味はない。
大きな違いがあるとすれば、この生徒会に対抗する“組織”が存在することだろう。
「なんだ、そのピンク色の髪は!」
クラスメートのカジマが注意を受けている。
「いやいや、地毛っすよ」
見え透いた嘘だが、カジマは強気だ。
「ピンク色の髪が地毛だというのか?」
「ふざけるな!」
「仮に染めていたとして、それが問題なんすか? 校則で『髪を染めちゃダメ』と書かれているとでも?」
「なっ……に。だが、風紀法には反するだろ!」
「風紀法には強制力がないっすよね?」
「カジマのやつは、また“不真面目団”の活動か」
「でなければ、あんな悪目立ちするだけの色に染める必要がないだろう」
「いずれにしろ状況は変わらん」
“不真面目団”
要は不良の集まりってことになると思うが、一般的に認知されているものとは少し趣が違う。
この集団は、生徒会のことを気に入らないと思っているメンバーで構成されている。
カジマみたいに、校則で罰することができない範疇で、生徒会が眉をひそめるような行為するわけだ。
しょうもない嫌がらせレベルのことしかしていないが、生徒会には効果的だった。
なにせ生徒会に所属する人間は意識が高く、真面目さと柔軟さが反比例するような奴らばかりだ。
そんな生徒会にとって、取り除けない目の上のタンコブほど邪魔なものはない。
そんな生徒会と不真面目団の小競り合いを横目に、俺たちはホームルームまでの時間を潰すわけだ。
「どうしたんだい。生徒会番号06」
カジマの小競り合いに、生徒副会長が割り込んできた。
普段はこういった活動には顔を出さないのに、どういった風の吹き回しだろうか。
「こいつが髪を染めているのに、逆らってくるんです……」
オーラでも出ているのだろうか。
さっきまで強気だったカジマが怯んでいるのが、傍目にも分かる。
「さ、ホームルームに遅れてしまう。かといって走らず、自分の教室に行きたまえ」
カジマはそう促され、おずおずとその場を後にした。
このときカジマは、その生徒副会長の物腰の柔らかさが、逆に得体が知れなくて不気味に感じたらしい。
「で、ですが副会長!」
「仕方ないさ。ワシらにはどうしようもない」
生徒副会長は、その後に続けてこう言った。
「今のところは、な」
そう確かに聴こえたと、カジマは語る。
昔のクラスメートのお母さんが亡くなったそうだ。今どき珍しくないかも知れないけど、本人はうつ病で退職→再就職を繰り返し、ほとんど無職の生活をしているはず。今までお母さんの支えで生きてきたんだろうけど、「どうするんだお前?」って感じ。
うつ病だけでなく、発達障害も抱えてるんじゃないかと思うぐらい、空気が読めない。一時期しつこく私にケータイメールを寄越したのでひたすら返事をしない作戦に出てようやく止めたこともある。冷たいようだけど、ヤツにしつこく追っかけられた元クラスメートの女の子が、元々病弱なうえにストーカー恐怖も相まって、やはり仕事らしい仕事に就くこともできずに実家にいるとこを見ると、甘やかしちゃダメだと思った。それにヤツは優しくしてくれる女の子なら誰でもいいのだ。途中から男子校に進学してしまったので、昔のクラスメートである我々しか女友達がおらず、独身者が次々ターゲットになるという…。
仕事をする気力があるときはなんだか高望みで、特にイケメンでもなければ運動神経抜群でもないのに、「ミュージカルのダンサーをやりたい」とか「劇場の支配人になりたい」とかいう。まず薬の副作用が原因の肥満をどうにかしろとか、支配人以前に切符のモギリとかやれとかいろいろ思うけど、下手に構うとめんどくさいので会わないのが一番。
救いは実家が比較的高級住宅地にあることで、それが賃貸に出せるような作りになっていれば、あとはちょっとしたアルバイトするとか、障害年金をもらうとかすれば最低限の生活はできそうなこと。でも家事とかもダメそうだしな…。どうするんだよ、一体。
自分で言うのもなんだけど、その日は本当にヒマだったんだ。
「あれ、マスダの弟くん。こんなところで会うなんて、奇遇っすね」
そいつが布教活動をしているらしい場に着くと、見知った人物に出会った。
「ああ、たぶん奇遇でも何でもない。似たような理由だと思うよ」
「あ、やっぱり、そうなんだ。教祖が布教の方法を変えたっていうから、“信者”としては見ておかないとね。ブログのネタにもなるし」
どうも生活教ってやつは、ヒマな人間を引き寄せる力があるらしい。
それにしても、教祖もどこかにいるはずだけど、まだ来ていないのだろうか。
辺りを見回すが、それらしき姿は見当たらない。
「皆さん こんにち は!」
いた、教祖だ。
……いや、背格好は似ているけど、よく見てみると別人だ。
というか声も、喋り方からして違う。
たぶん、あれが自治体の言っていたヤツだろうな。
教祖も中々に胡散臭い奴だが、ニセ教祖は輪にかけて胡散臭い雰囲気を纏っていた。
カン高い声も相まって無駄に目立ち、独特な存在感を放っている。
まあ、声の強さの割に、言ってる内容がしょーもないのは教祖と同じだけど。
教祖を知ってる地元の人間や、信者でもない人からすれば、確かに間違えそうだ。
だけど、決定的に違っていたのは、“その後”だった。
「さて 今日は皆さんに 生活を授ける 素晴らしいものを持って参りました」
頭にまるで入ってこない説教を数分ほどすると、ニセ教祖はおもむろに見覚えのある機械を取り出した。
確か「カードデス」っていう、ゲームカードの自動販売機だっけか。
イマイチ言ってることが分かりにくいけど、たぶん「“寄付”すればカード自動販売機から免罪符が出るよ」って言いたいのだろう。
「よーし、じゃあオイラが!」
怪しさ満点にも関わらず、カジマが機械に小銭を放り込んだ。
興味本位でやっているだけなんだろうけど、だからこそ抵抗がないのだろうか。
「さーて、何が出るかなあ、と」
レバーを捻ると、パスポートサイズの安っぽい厚紙がニュルリと出てきた。
「『輪廻転生』って書いてるっすけど……」
「これは善い免罪符 引き当てましたね しかも 希少な方です」
ニセ教祖いわく、“当たり”ってことらしい。
免罪符に、妙な光沢があるのはそのせいなんだろうか。
「いや……良く分かないんすけど、どう希少なんすか?」
「これを創造主に お渡しすれば 平行世界や 異世界でも 転生することが できます」
「ああ、“聖書”で読んだことある! 転生前に神様からステータス設定とか、スキル付加してもらえるんすよね!」
種類が複数あるのかよ。
「ええ……じゃあ、その免罪符は、どうすれば」
5分5厘……えーと、何%だっけ。
いや、それも気になるけど、ツッコミどころが多すぎるぞ。
免罪符そのものがどうかってのもあるし、百歩譲っても金を払った挙句にランダムってどういうことだよ。
「あまり高い確率では ありませんが 本日は主の生誕した日 つまり免罪符が出やすい日 なのです なんと 2倍!」
「へえ~」
全体の出る確率が上がってたら、目当てのものが出にくいままなのは同じじゃねえか。
「……あれ、でも昨日も似たようなことやってると聞いたけど?」
「先週は主が降臨なされた日です。生誕日とは似て非なるものです」
「あ、なるほど」
違いがよく分からんし、わざわざ別にしないとダメなのか、それ。
僕ね、本当は塾じゃなくてデイサービスに行ってるんだ。
お友達のBくんには塾に行ってるって言ったけど、恥ずかしくって本当の事言えなかったんだ。
それを聞いて涙が出た。
発達障害があるとされるAくん、周囲の大人がみる限りは少しこだわりが強いかな?
こういう子居るよね~と言う感じの普通のお子さん。
しかし、親御さんはそう思っていないようで、「あなたは発達障害だから何々」という話を
常々しているらしい。
この様に親に洗脳されている様子で、クラスメートから彼のちょっと変わった言動をいじられると
となる。
「自分の事を障害者だ、なんていう人は本当は障害者じゃないんじゃないの?」
と返される。
それを聞いてまた涙が出る。
大人は何をやっているんだ。
「アホの子」についてブコメ等で宜しくない旨ご指摘をいただきましてありがとうございます。そして申し訳ありません。
言い訳をしますが、彼ら彼女らと私との間に、愛と信頼できる(と、こちらが一方的に思っているだけかもしれないが)人間関係がある前提で使ったのでした。読み返してみたら確かに気分の良くなる言葉ではないですね…。増田は聖人君子でもなければ天才でもないので言葉のTPOを間違える。申し訳ありません。
現在の仕事は教育関係ではありません。ごく一般の会社員。教員や教育関係に就こうとは思ったことはないです。あの仕事こそ増田なんかよりも聖人君子に近い人がなるべき仕事で、更に言えばもっと報酬と人手を割くべき仕事だと思っています。私にはとても無理。
あまり広くない世界で働いているので詳細はぼかしますが、口悪く言えば大人に対して同じようなこと「一緒に何が原因でこういう事態に陥ったのか考えましょう」という感じの仕事をしています。かなりダメ社員で成績は悪いし出世も遅いです。小さい細かい、そして金にならない仕事ばかりをやっています。その代わり長期間のお付き合いになる案件が多くて楽しくやりがいがありますが、それは会社にとっては更に宜しくない(割の悪い仕事をずーっとやっている)、というお荷物要員です。が、天職だと思っています。会社よ申し訳ない…
蛇足の手本のような追記を、元増田が思い立ったのは、この方法は、増田が開発したものでも、独自に気付きを得たものでもなく、増田の恩師から増田がしてもらったことを子供たちに返しただけなのだということを言わなくてはと思ったからです。ごく一部のブコメに天才とか良い先生だとか、大変気持ちが良く調子に乗ってしまう言葉もいただきましたが、ぜんぜん違います。重ねて申し訳ない。
そういう意味では、増田は凡人ですが、増田の恩師、K先生が天才なのかもしれません。
増田自身がまさに「アホの子」の元祖で、小5~6年の担任を持ってくれた恩師K先生との出会いがなかったら超ヤバかったのです。
増田は、小学校5年生の秋まで、掛け算九九を暗記しないまま素知らぬ顔でいました。
学校の勉強は良くできた方だったと思います。ペーパーテストなどでは基本的には98/100点などがずらっと並ぶ感じ、授業を聞いていれば大体頭に入り理解できる、先生の説明の途中で勝手に教科書の「応用問題」を解き始める感じの子供でした。そして、多動&注意欠陥の傾向が強い子供でもありました。今思えば先生からしてみたら割と厄介だったかもしれません。100点は取れないんですよ注意欠陥っ子なので。歴代の先生全てに「見直しをしなさい」「あとちょっと集中しましょう」と通知表に書かれ続けてきたタイプです。
で、小2で掛け算を習う時に「×の記号はその回数足すという意味です」と先生が言ったのを真に受けて、その回数足せばいいなら九九覚える必要なくね?と何故か曲解して思いこんだ。それから先は、分かりやすい2の段とか5の段とか以外は記憶せず「○回足す」で乗り切った。いや乗り切れるわけがないから、他の教科のテストは相変わらず95点とか98点とかだけど、算数だけ85点ぐらい。馬鹿だったわけじゃないのが災いして中途半端に平均的に点は取れていたから、当時のそれぞれの担任の先生も「増田さんは算数が苦手なのね」程度に判断されていたのだと思います。
ただ、九九を覚えていないと、3ケタ÷2ケタの割り算なんかを解くのが地獄なんですよ。あと倍数とか約数の概念が苦手というか、概念「しか」分かってなくて実践が全然できないという状態。正解できないから面白くない、面白くないから興味がわかない、という状態のまま、分数を学び、少数を学び、速度や割合を学び…、ちっとも理解できてないまま小5になっていました。完全にアホの子のできあがりです。
図形問題や証明問題のようなものや鶴亀算的な文章問題なんかは、式を作るところまでは合っている、が計算を間違う。それも理解できない間違え方をしている。割り算は勘を頼りに予想を立てた数パターンを足し算検証して合ったやつを正解としてみよう(足し算だけで最小公倍数や最大公約数をあてずっぽうで探す要領だったと思います。あんまり思い出せないし再現できる気がしない…)という超絶燃費の悪い解き方をしていたので、その時にイージーな計算ミスをしているだけなんだけど。そして間違わないときもあるので、先生からしたら何で算数だけ点数が悪いのか分かりにくかっただろうと思います。
ところが、K先生はなぜか(後に大人になってから種明かしをしてもらうのですが)、私が九九を覚えていないことを見破ったのですね。
ある日、放課後に一人で残りなさいと言われて、超絶びくびくしながら教室で待っていたら、教科書を山ほど抱えたK先生が、増田の算数嫌いを一緒に克服しよう、と言ってきました。クラスでも勉強ができる方の子供だったし、私より他に勉強を見てやった方が良い(失礼な言い草だな)子がいるのに!と、驚いて、そして腹が立ったのと同時に、凄く怖くなりました。
ばれたくなかったんです、アホだってことを。
ずーっとズルをしてきて、九九を覚えてないズルい生徒だとばれたくなかったし、分かってないのに何となくやり過ごしてただけで本当は何にも分かってないアホだってことも、絶対にばれたくないと思ったんです。K先生は生徒思いで自由なタイプの教師で私はとても好きでしたから、なおさらばれるわけにはいかなかった。なので家で計算ドリルやればいいでしょ!とか、じゃあ塾に通う!とか、お父さんに教わるからだいじょぶ!とか、忘れたけど色んな事を言って逃げようと思った。でも誤魔化されてくれずに、「ひょっとして九九を覚えてないだろう?」と当てられてしまい、号泣したんですね。恥ずかしいのと悔しいのと腹が立つのと色んな悪い感情が渦巻いたのを覚えています。凄く辛かったし恥ずかしかった。
そこから多分数回、K先生は放課後付きっきりで相手をしてくれました。まずは九九を覚えてきなさいと、絶対に役に立つんだから先生を信じてくれ、と言われました。K先生を信頼していたのでその言葉も信じることにしたんです。結果的に信じて大正解、あんなに苦労した計算がこんなに簡単に!と思いました。アホの子丸出しです。
まぁ勘で割り算解いてたわけで、7の段とか8の段とかの九九の深いところがあいまいな程度でうすらぼんやりとは覚えていたのだとは思います。母親に白状したら本屋さんで九九の表のを買ってきてくれたのでトイレと風呂に貼った、小5なのに。でも小5だから本気だせばすぐ覚えられる。
その後は、取りこぼしていた分数(九九が分からないと約分が厄介)、少数(分数が飲み込めてなかったので少数と割合の概念が全く理解できてなかった)、速度(以下同)などなど躓いていた個所を一通り先生と一緒におさらいをしたら、算数でも98点取れるようになった。100点はめったに取れません注意欠陥っ子なので。
一度、放課後に残されている私を同級生の男の子が数人からかいに来たことがありました。優等生と思われていた増田が!と面白かったんだろうと思う。ただでさえ劣等感に苛まれてべそをかきながら(実際に分からなくなるたびにべそべそ泣いていました)教わっているのにクラスメートにからかわれて死にたい気持ちでしたが、K先生が、勉強ができるようになりたいと頑張っているものを笑うな、と怒ってくれたことを鮮明に覚えています。
その後は、からかいに来た生徒たちも一緒に「K先生と算数をおさらいする会」がしばらく続いたように覚えています。最後はかなり大所帯になっていた記憶。ほとんどの生徒から慕われていたのです、K先生は。
大人になってもこのクラスの同窓会は続いています。高校卒業した年の同窓会で、ふと思い出してK先生にどうして九九が分かってないことがバレたんですか?と聞いたら、テスト用紙の隅っこにいつも消しゴムで消した計算跡があって気になっていたこと、ある日消しが甘い時があって見てみたらひたすら関係ない足し算をしている跡のように見えるが何故???というところから、観察をしてみたらひょっとして、と思ったということでした。掛け算を何度も足してたのを気付かれたくなかったし恥ずかしかったのか、証拠は隠滅していたんですね姑息なことに。筆算はそのまま解答用紙に書いてあるのになぜ別の計算が必要?そして何故消す?、というところから類推されていたらしい。本当に些細なことからだったし、それ気付かれてなかったら、下手したら高校にも行けなかったよ私…。
私自身がアホの子であり、アホであることを許して丁寧に付き合ってくれて、気持ちも分かってくれた(九九の概念を理解してたのは増田の良いところだと褒めてくれた、そしてそのあとを面倒がるのは増田のダメなところだと怒られた)K先生から教わったから、私が人を教えるときにそれを使うことができたんです。私が成したことではなくK先生の教えがあったから。
成人式の後に、K先生の家に同級生たちと一緒に押しかけ酒を飲んでいた時、私たちは酔ってゴキゲンで、先生をべた褒め(先生がいなかったら私ヤバかったとか云々)してたら、K先生は、親や教師や目上の者から恩恵を受けたと感じてくれたなら、それを俺に返そうと思わなくていいから下に渡してやりなさい、とおっしゃったんですね。で、それを実践しただけ。
K先生はとても個性的で自由で、保護者の中には批判的に見る人もいたような型破りなタイプの先生で、教わったことはこれだけではなく抱えきれないほどあります。K先生のそのクラスは良い年をした今でも同窓会をするほどのつながりが深くありますが、その中で小学校の先生になった人が二桁いる。割合で言うとクラスメートの2割弱が小学校の教師になりました。私のようなボンクラがならなくても、K先生に感銘を受けた優秀な先生が頑張っていてくれるので、学校の先生は大丈夫。
いや大丈夫じゃないよね…もっとお金と人を割いてほしい。教師になった友人たちもストレートで職に就けた子はいません。みんな1~3年程度、補助教員の仕事にありついてそこからなんとかポストを見つけて、という感じ。ホント酷いよね…。
増田が友人たちを観察している限りでは、学校の先生は「勉強を教える能力」だけじゃなくて、「クラスという集団を統率するリーダーシップ」「学校のスケジュールを考える企画力」「それをこなす運営力」「ケースワーカー」などのスキルが必要で、かれらはこれを一人か二人だけでマルチタスクでで行っています。
あくまでも口と性格と知能に若干の問題がある増田の私見ですが、今の日本はホントに馬鹿だと思います。何で教育予算増やさないでしょうね…。1クラスは40人でも良いけど(ある程度の人数がいた方がクラス内で多様性を許容しやすいと教師の友人が言っていました。少人数だと浮いた子の居場所を作りにくいそうです)、その代わり担任は3、4人居ても全然いいし(そうすれば学校内で個別指導塾的な役割も持てる)、何なら学校行事の企画運営なんかは更に専属で別の担当教師がいるべきだと思います。名古屋市だったかが小学校のクラブ活動を廃止というニュースがありましたが大英断だと思う。課外活動は地域SCなどで吸収できるとしたら理想の形なんですけどね…。
今の学校は、子供も少ないからポストも少なく教師になりたくて夢と強い意志を持って教師になったという人がほとんどだと思います。増田が報告した塾での出来事なんて、彼らにもう少し余裕があれば増田の15倍ぐらいは良い結果を出すと思う。それなのに。
それはともかくとして、増田は、社会人になって初めて下に付いた先輩から「お前はアホで手に負えないが、唯一の取り柄は教わり上手なことだ」と言われました。K先生が小5の秋の夕方の教室で、私を壊してくれなかったら教わり上手に変化することはできなかっただろうと思います。
その他、耳に心地よかったお褒めの言葉などは、心の栄養にさせていただきます、ありがとう!。一方で、疑問や批判的なご意見で、増田にとって都合よく答えられそうなものにいくつか。
そうですね、増田にとって話しやすいことだけを、それもかなりボカして書きましたので仕方ないです。ごめんなさい。実際は大変でした。
adbが分からなかった子は初めて私が「開眼」した生徒なので思い入れも記憶も多いのですが、躓いた場所に気がついた後は、塾が用意しているカリキュラムや教材をほとんど使わずに、まずはアルファベット用の罫線が引かれたノートを拡大コピーして(形状の見分けがついてない疑惑があったので思いっきり拡大コピーして使った)、アルファベットをaから順番に10回ずつ、声を出しながら書き取り練習!をしました。
何よりも、大手のフランチャイズ塾だったのにもかかわらずカリキュラムを無視した指導をしてもいい、と許容してくれた教室長の懐の深さと"寺子屋愛"に甘えられたことと、先生バイト仲間の優しさ(教えるのが大変な子を私が見る代わりに、担当生徒数を減らしてくれたり、私の受け持ちの子を共有で見てくれたりのフォローをしてくれた)があったからというのはとてもとても大きいです。
あと、当然すぎるほど当然ですが、成績を上げてあげることができなかった子供もいました。元増田にも書きましたが、私は成績が普通の子の指導は得意ではなかったです。勉強にアレルギーがある子供の方が、悪い言い方になりますが、つけ入る隙が見えやすいと感じていました。なので、主に「すごく良くできる子」と「すごくできない子」の担当をしていました。あと、すごくできない子で、一人だけ、どうやっても引き上げられない子がいました。詳細は書けないですが、これは今でも思い出すと胸が痛くなる。
■そんなの誰にだって出来るだろー
増田もそう思います。なのでホテントってビックリしています。そして前段に長々と書きましたが、増田の手柄ではなくK先生のおかげだと思っています。
■生徒のプライバシーは?傷つくんじゃねーの?
浅慮だったでしょうか…アホです。問題が起こったら消すかもしれません。ただ連絡を取り合える子供もいるので耳に入って傷ついたと知ったら直接彼らに謝ります。一応最低限はぼかしているつもりです、ホテルはもちろんフェイクです。あとブクマのご指摘にもありますがabdが区別つかない子というのはそれほど珍しいことではないので…。
■学習障害があったんじゃない?
増田は現在でも専門ではありませんし、当時はアホの大学生だったので判断はできません。増田個人に関しては前記の通り「傾向」は確実にあるだろうなーと思っています。調べてはいませんが。苦労もとても多いがそれなりに個性的で愉快な性質だなと受け入れられています。長くなりすぎるので書きませんが、それを受け入れられたのも恩師K先生のおかげだったりします。
■なんでx=数学なのに英語出てきたむかつく!が察知できたのか
前段の通り、増田こそが元祖アホの子だったからだと思います。掛け算は足し算、なら覚える必要なくない?!という思考停止とその後の悔しさと恥ずかしさがヒントになりました。思いこんだことから一歩先に進むことの大変さ。
長くなってしまっていますが、あと一つだけ、とても興味を惹かれたので。
id:sarensongjing さん、ブログ拝見しました→http://xn--9ckk0f4c7781a7r3b.com/taihen.html
mustの意味と使い方が理解できなかった、とかすごい分かります!
増田の経験ですが、英語の理解には段階があったように思います。
私の教えた子はみんなこの辺からスタートでした。まずはアルファベットが呪文じゃなくなるようにしなきゃ、だった
第二段階:意味は分かってないながらも、音読は出来るようになる
音になる=過去に耳から得ていた情報を、英語の勉強に使っていいんだよと理解してもらった。呪文から、普段自分が使っている言葉と地続きの「情報」になるだけで、かなり気持ちが楽になるようでした
第三段階:たまたま知ってた和製英語から類推して、薄ら何を言いたいのか分かるような気がしてくる(気がするだけ)
夜やってるからナイター、でnightは夜!みたいなこと。既に持っている情報を使って新しい知的好奇心が湧いてきたということでもあるかなと思っていました。ただしほとんどの子が、頻繁に間違ったことを言ってくるので可愛くてしょうがなかったです。ダジャレか!
これをしばらく単語覚えゲームとしてやってたら、自然と、接尾語の存在に気付いてくれました。言語は、それぞれ意味を持つ小さなクラスターの集合であるという「概念」が体に沁み込んできたという感じ。理解は、もちろんしていないんですが笑 こうなるともう呪文ではなくなる。
そういえば、nightをナイトと読むというのは、なかなか難しいとこではあるんですが、英語は比較的素直に音とつづりが連関しているので
無理やり読んでごらん?ニグフト!、なんか似てる言葉あるでしょ、えーとえーと………ナイト?!とか、そういう風に付き合いました。
アルファベットを音読できるようになりさえすれば、割とやりようがある。文法もシンプルですしね。
第四段階:文章はどうやら並び順が決まっているらしいと薄ら思い始める
おもしろかったのは、文法の発見よりも、接尾語の発見の方が全員早かったんですよ。単語同士の共通点を探したくなるのかもしれない。-fulとかね。fullがくっ付いたんだよー、だから○○がいっぱい!って意味になる、と言ったら目を見開いてた。
単語も、あるクラスタの集合体である、という理解ができたら比較的早く、文章もあるクラスタの集合体である=文法を発見してくれました。並び順って日本語だって決まってるジャン、と言ったらそれからはすごく教えるのが楽になった。
ここまで理解が飲み込めていないと、助動詞の大切さや意味や力が分からないだろうし、mustを覚えるのはイヤだなと思ってしまったのかもしれないですね…。
増田は、牛よりもゆるやかなスピードで付き合っていました。ある子供は、第三段階で中3の冬だった記憶があります。教室長はハラハラだったと思う…。受験校を決めなきゃいけない時期だったのですが、お母様に、担任の先生の説得をお願いしました。お母様はもっとハラハラだっただろう…、お願いだからあと1回次のテストの結果まで見てくれと。あとちょっとなんだよー!という気持ち
子どものころからおしゃべりが苦手だった。休み時間に楽し気にぺちゃくちゃおしゃべりをしている人がどんな話をしているのか不思議でしょうがなかった。それでも低学年のときは親友と呼べる人がいて、その子の家に遊びに行ったりしていたけど、彼女が転校してしまってから個人的にそんな付き合いをする相手はいなくなった。その傾向は高学年になっても続き、遠足とかに行っても何となくぼっち感が漂い、バスの席を決めるにしてもなかなか隣に座ってくれる人がいないぐらいだった。
でもペーパーテストはわりとできた。特に記憶力がすぐれていて暗記物だけ成績がいいということでなく、中学時代までは数学とかもそれなりの成績を保っていた。でもおしゃべりが苦手なので暗いといわれていじめられた。3年生になってからようやく気の合うメンバーが見つかってそのグループの連中と遊んだりするようになった。
高校はわりと有名な公立の進学校に行った。その中に入ると、私の成績なんて大したことはなかった。文系科目はそこそこできたが、理系科目は全然ダメだった。1年生のときから受験を意識して塾に行っているようなクラスメートもいたけれど、私は特に大学に行って勉強したいことなんかなかったので、ガツガツと「東大に行きたい」とか「せめて私立なら早慶のどっちかじゃないと」みたいな連中についていけないものを感じた。
クラスメートとはそこそこ上手くやれている感じがしたけど、何となく疎外感もあった。卒業してから私は陰で「変な子」と言われていたことを知った。確かに表面的には優しかったけど、すごく親しくなれてる感じはなかった。皆大人というかうまく表面を取り繕うすべに長けていたようだ。
その後中堅の私立大学に進学。最初は専門学校にしようかと思ったけど、親に大反対されたのと、自分のやりたいことをできるサークルのある大学が見つかったので進学することにした。普通私の高校だと私大文系なら早慶ぐらいは受けるものらしかったが、入れるかどうか微妙な成績だったうえに、下手に受かると本命校じゃないところに行く羽目になりそうなので、他の人に比べて志望校のレベルが全体的に低かった。この安全策のおかげで受験した大学には全部合格した。
大学のサークルは楽しかった…と書きたいところだったけど微妙だった。結構うちの学年の人数が多かったので、私は要らない存在だったらしく、人数制限のあるイベントのみならず、普通なら全員出してもらえるはずのイベントでもメンバーから外されることがあった。基本的に空気が読めないタイプで、「自分が要らない存在だ」と認めたくなかったので、それでもサークルは止めなかった。同じ学年の連中は優しいというべきか厳しいというべきか分からないけど、容赦なしに世間の常識というものを教えてくれる存在だった。高校時代のクラスメートと違い、私が変な行動をとれば笑ったし、露骨に美人や可愛い子に優しく、そうでない女に厳しかった。「どうせ私なんて…」と思ってしまうこともあったけど、「女の子は笑えば可愛いよ」と言ってくれる人もいた。社会人になってからは「こいつ常識ない」とか「こいつ使えない」という判定を下されると黙って私のそばを去っていく人が多かったことを思うと、変に取り繕わずにはっきり言ってくれた学生時代の友人はつくづくありがたかったと今でも思う。
そして半年間サークルを休部して、ペーパーテスト重視の職場に就職を決めた。私は文学部だったけど、普通法学部出身でないと入れないところにも合格したので、周りにびっくりされた。自分はコミュ障で、空気読めないけどペーパーテストには強いんだなとその時も思った。当時は「コミュ障」とか「空気読めない」という言葉が世間に流布していなかったので、何となく生きづらさを感じてもそれを表現するすべがなかったけど、変な行動をとって笑われたり、皆が暗黙の了解としていることがさっぱり分からなかったりしたのはまさに「コミュ障」「空気読めない」がゆえの症状だったと思う。
…本題にたどり着くまでに長くなった。人によってはこうやって時系列にだらだらと書かないで、先に結論を書けというかも知れない。就職してからもコミュ障と空気読めない病ゆえに私の評判は悪かった。先輩や上司が期待していることを察することができず、自分のやりたいように行動したので、宴会の席で当時の課長に「○○(私のこと)さんはいまいちですな。気が利かない」と言われて涙が止まらなくなったこともある。私の同期は優秀だと評判の人が多かったが、中には露骨に私のことをバカにした目で見るのもいた。基本的に口が達者で人脈作りが得意なタイプの人は、私のようなコミュ障かつ空気が読めない人間をバカにした。
そんなにコミュ力が高い方が偉くて、空気を読める人が優秀だというのなら、なぜペーパーテストなんかやるんだろう?ある程度頭が良い人を採るためにペーパーテストをやるんじゃないのか?「ペーパーテストができる人」イコール「仕事ができる人」でないのは分かるけど、だったら何かしらコミュ力や空気を読む力を判定する採用方法を選んで、それで決めればいいじゃないかと思う。
就職からウン十年が過ぎ、当社比では多少世間の常識が分かるようになってだいぶ仕事に必要なコミュニケーションはとれるようになったけど、相変わらず人付き合いや宴会での立ち回りは下手なままである。それでも給料を減らすこともなく、首を切る気配もない我が職場をありがたいと思う。でも、口が達者であちこちに人脈がある方が上手く渡って行けるこの仕事に対する違和感がずっと消えない。自分の能力以上の給料をもらっていると思うので簡単に辞められないんだけど、ただ黙々と手を動かしていれば成果があがる仕事があればそういう職場に行きたい。そしてコミュ障でも空気読めなくてもバカにされない世界に行きたい。
私なんて時々小学生時代のクラスメートの飲み会があるぞ。そのメンバーの一部は幼稚園のときも一緒だったりする。こういう古い知り合いの集まりって多少間をおいてやると楽しいけど、あまりにも頻繁だと「そんなにしょっちゅう会わなくていいから」と思う時がある。
それなりに社会人として一丁前の地位にいる人もいれば病気など何だのの事情で、仕事らしい仕事にも就いてない人もいる。特に定職のない人からすると、このメンバーはかなり貴重な知り合いなんだろうな。結婚して子供を産んでも、結局離婚して実家に戻ってきたりして、地元に住み続けている人が多い。
友達とか知り合いが少ないと、どうしても古いつながりに頼りたくなるんだと思う。