今まで人を嘲笑って生きてきた。
自分が生きてきたコミュニティはリアルでもネットでもそうするのが普通だった。
父も母も親戚もやってTRYが大好きで毎週欠かさず見ているような人種で、学校の先生もクラスメートも出来ない人間を笑い者にしてばかりいた。
気づけばインターネットもそういう社会になっていたし、自分が最初に入った会社の雰囲気もそうだった。
人の揚げ足を取ったりマウンティングをしてニヤニヤ笑いたがるような人間はほとんどいない。
そういう空間で生きていると、今まで事ある毎に他人を許そうとしなかった自分の考え方も変わりつつある。
そして、他人が許せるようになると今度は自分が許せるようになり始めた。
今までずっと付きまとっていた正体不明のなにかに追い立てられているような感覚もいつしか消えかけていた。
だが、今でも時折ちょっとしたことで「ふざけるな」「死ね」と心の中で唱えてしまうし、自分に対しても「生きてる価値ないぞ」「やる気ねーな」と心の中で毒づいてしまう。
あまりにも長い時間、ネガティブな言葉を全方位にぶつけて生きすぎたんだ。
自分を苦しめていたものの正体が、狭量な自分の価値観だと分かった所で、簡単に染み付いた思考の癖は拭えなかった。
きっと自分はツケを払っているんだ。
人をバカにすることに躍起になって生きてきた今までの人生のツケを。
全て払い終われば今度こそ、生きやすい人間になり、他人にとっても付き合いやすい人間になれるのだろうか。
とりあえず私が言いたいのは。
やってTRY!のような番組があるのは人類にとってマイナスの影響を及ぼすリスクが高すぎるので、そろそろ誰かが放送休止に追い込んだほうがいいということだ。
あーいうのは結局視聴者が望んでるから演出として作ってるんで視聴者がおもんないと言わないといけないな