はてなキーワード: オートバイとは
防災のために免許や車両を持つ動きは大人世代にも多いと聞く。あなたが若者世代のそれについて声をあげても解決にはならないだろう。分かっていて黙殺する側にも問題がある。鉄道おじさんが強く「弱者が安心できる防災」を言えば効果があるのに、なぜしなかったのか。自衛主義の問題は政治的なところでも指摘されている。
高校生の車社会への転落が取りざたされているが、全ての高校生がオートバイに絡んでいるわけではない。迷惑なく生活をしている人もいるはずだ。車社会に怒る鉄道おじさんの気持ちもわかるが、無関係な高校生たちへの執拗な声かけは控えるべきである。
彼らの感情は別にして、自家用車両に流れていること自体は問題だと思う。それが野放しにされているのも問題ではないか。「大人を困せたくない」ということは関係ないと思う。いずれにしても代替が自家用のものであるということは、現在の公共社会への学生世代の不信感を表していると感じる。公共社会のありかたをともに真剣に考えていくべきではないか。
私も実感することだが、高校生や大学生を準成人扱いするような風潮が目立つ。こうした姿勢は非常に危険である。ルールが気に入らなければ、あるいは学生が望んでいれば、合理的なルールを無視し、覆すような行動をとっても許されるべきだという報道だ。現実がルールにあっていないことと、学生が暗黙のマナーに従わないこととはまったく別次元の話だ。「現実の後押しがあれば勝ってに行動したり、ルールを無視したりしてもかまわない」といったメッセージを学生に与えないべきだ。
歩行者は年間1300人程度交通事故で死んでるが約1200人が自動車からの加害で、約90人が原付やオートバイからの加害で死んでて、自転車との衝突での死亡は餅などの誤飲による死者数よりはるかに少ない。これは政府統計をみればすぐにわかることだけどね。
ちなみに自動車運転手及び同乗者の年間死者数は1200人以上で、自転車と自動車の保有台数はほぼ同数なのに関わらず自動車運転手及び同乗者のほうが約3倍も多く死亡しているのが交通の現実。警察庁の統計は見てみるとマスゴミがいかに偏向報道しているかよくわかるので見てみるとよい。
健康豆知識だが、英国グラスゴー大学の大規模医学調査によるとあらゆる移動手段のなかで自転車をよく利用している人ほど健康寿命も実際の寿命も長い事実が明らかになっている。自動車依存者は早死にで、歩行者はそれよりも良いが、自転車はもっともアクティブな移動手段なのでもっとも健康増進効果が高いため。
更に「事故率 保有台数」で検索してみればわかるが、自転車の事故率は自動車よりもはるかに低く、自動車ドライバーは年間約200万件もスピード違反で摘発されており、一時停止無視違反は100万件以上。自動車ドライバーは9割以上が信号のない横断歩道における歩行者自転車優先の法律を犯し続けており、自動車のモラルは先進諸国中でも最悪レベルなのが日本。
いまや日本の若者の大半がネットに接続してSNSのアカウントを持っている時代。つまり、SNSをしている若者が必ずあなたの近くにはあるわけだ。だから犯罪のツールにネットがあるというのは、その意味では当然だ。
もちろんそれが非行と直接関係しているわけではない。全国に張り巡らされたインターネット網とIT、それに伴う社会の膨大化によって、今までの日本の地域社会の流動化と不安定化が進み、非行を誘発しているのだ。かつ若者の高知能・所得のばらつき・欧米化により、市民が日常的に目の届かない地域で非行が拡大し、それにより初動が遅れる。
おそらく、暴走族の活動範囲も、昔であれば地方の幹線道路沿いに限られていたのが、都会のインナーシティや住宅街などにまで分散しているはずである。田舎だけを見回ればすむ時代ではなくなった。しかも暴走族そのもののゲリラ化が進んでいるために警察の対処がますます困難になる。こうした理由から、近年都市部を中心に暴走族が異常発生しているのであろう。
さらに、IT技術の高度化により、物的証拠などによる捜査が困難になっているという。特殊詐欺なんて昔から多いじゃないかと思うかも知れないが、インターネットを用いた詐欺事件の続発という状況は、この5年ほどに起きた現象だ。2017年に社会問題になったランサムウィルスも、手口が巧妙で何の手がかりにもならない。日本中の人間が、アメリカやヨーロッパなどと同じ環境に生きるようになったので、事件の手口がつかみにくくなったのである。
かつ、日本社会のテクノロジー化は、日本国内のコミュニケーションとコミュニティを消滅させた、あるいは衰弱させた。振込みでも銀行のATMを使わなくなるようになり、スマホやワンタイムパスワードの機械が重要になった。書店の仕事量は減り、定額で本読み放題という価値観が広がった。そうなると、メディアのビジネスも益々やりにくくなる。まして読書やメディアチェックすらパソコンやスマホで済ませる人がほとんどすべてになれば、新聞やテレビの収益も減る。休日の移動で満員電車を使わなくなれば、鉄道会社の収益が減る。都会の税収が減って益々不景気になるのだ。
YouTubeで立て続けに犯罪が多発したというのは、どういうことなのか?犯人の顔を知っている人が隣近所にもいなかったのか?まったく不思議だ。コミュニティが衰弱しているのは地方だけの問題ではなく日本全体の問題であると考えなければ理解できないであろう。
こうした日本全土の極端なファスト社会化の大きなメルクマールがアマゾンだ。ネット化が進めばアマゾンが台頭するし、アマゾンが便利になればますます個人化が進む。テクノロジー化による個人化が進んで、コミュニティが崩壊し、流動化した地域社会は犯罪を抑制する機能が低下している。あらぬところから道路や鉄道に乗って、どんな犯罪者が来るかも知れない。犯罪者も腹が減るから、たまには仮想通貨支払いで食事をするであろう。しかし周りに知る人はいない。そして駐車場で、たくさんあるアカウント情報のなかから気に入ったアカウントを盗めばよい。
最近のネットやテレビのニュースを見るとゲリラ化したヤンキーによる事件が毎日のように発生している。後から出てきたニュースもどれの関連ニュースなのかわからない。業務妨害事件といってもどの事件なのか、毎日のように起きているから分からない。しかもほとんどの事件が貧困層やマイルドヤンキーがうようよいるような地方ではなく、景気のいい大都市部で起きている。
ゲリラ暴走族が発生した道路を見ても、都心かと思えるような立派な地区も多い。だから地域的には申し分ない所なのに何故醜悪な事件が多発するのだろう。特に暴走族事案が目立つのは何故だろう。子供が荒廃しているとか家庭が荒廃しているとかは前から言われていたことだが、それ以外にも国民のコミュニティーが崩壊していることも原因の一つだろう。
もちろんネット社会が悪いわけではない。経済の合理化や近代化は時代の流れで避けて通る事が出来ない。ネットが便利なところは活性化するしネットそのものが雇用も創出する。外出せずに食品から生活用品まで全て買い揃える事が出来る。自宅から車で買いものに出かけて大量に物を買って車に積んで帰ってくるような生活が車無しでできる。まったくアメリカの田舎のような生活が日本社会に定着した。
私の若いころには便利なネット環境や高度なネット文化はない。用事のときは必ず外出していた。ところが現在ではネットが一人一台の時代が来て、買いものはネットショップで買いものするのが普通になっている。貧乏人がクレジットカードを持っていないのは過去の話だ。クレジットカードの審査はより甘くなり、手数料の無料かも進んでいる。
その結果、東京の都心で小銭やお札をお店で目にする機会は少なくなった。持っているのは地方からの観光客か未成年者ぐらいだ。だから日本でも現金を持ち歩く事がなく生活できる。もちろん地方都市は今でも現金が手放せないが、大都市部のチェーン店や富裕層が訪れる地域ではカードの普及が進んでいる。
このようにテクノロジー化した社会ではたとえば事件が起きても犯人の捜査もままならず、犯人もあらゆる手口を使って広範囲に移動するから警察も適応できない。今までは免許を持たずに生活していた階層が免許を取るようになった。オートバイを乗り回す高校生は現実になり、それに対する不満も生まれない。近所づきあいも薄くなったから事件の芽があっても近所も気がつかない。
このような環境が学生たちにも悪い影響を与えて、学生の非行の増加にもつながっているのだろう。戦後のアメリカで起きた青少年犯罪の多発が日本でも起きているのだ。一見歴史ある町並みの地域で青少年犯罪が発生するのはなぜか。そのような環境では家庭も個人も孤立してしまうからだろう。
小説や漫画やテレビドラマのような社会が現実に出現している。SNSを用いたゲリラ暴走族もアメリカ型少年犯罪の象徴だ。日本もテクノロジー社会がやってきたからそのようなライフスタイルが実現した。つまり日本も欧米のような犯罪多発社会になってもしかたがないのだろうか。チーマーやマフィアや極○も衰退し大人が子供を狙う犯罪も激減した。多くの人が未知の人間と寄せ合って生活している。日本にあったコミュニティーは崩壊した。
日本では欧米のような社会が理想であると教え込まれてきた。だからこそ誰もがネットに接続しそれで買いものや昔ではATMでしていたことをする。しかしその理想が実現したとたん青少年の非行化と犯罪が昔のように多発するようになった。凶悪な詐欺事件も増えた。日本はこれでいいのだろうか。コミュニティーを再建するにも社会そのものの流動化で無理だろう。
鉄道おじさんは都合の悪い自身の黒歴史だと感じたのか、今はどこを探しても魚拓にすら残存していないのですが、13年近く前も鉄道おじさんはまとめ的なサイト日記の様なものをやっていたんですよ。当時も実は彼はゲームやパソコンやカメラを保有していて、多少消極性はありましたが、今とは比較にならない位の資料付きで、冷静に社会批評を繰り返していました。
高校のオートバイとその免許の単独所持禁止は非行防止の観点からだとか、ゲームソフトの値段がどれも同じなのは社会的な要請であって、若者が余計なトラブルに巻き込まれない様にするための知恵だとか、かと思えば、低賃金長時間労働のポスターを大サイズで全面貼りして、これらの風景は、無機質で社会性に欠け、非常に殺風景な風景だと一蹴する記述すら見られました。
言葉こそ冷静に語っていましたが、当時の彼は実録付きで社会批判を公然とやっていましたし、一方でサブカル批判は、全くしておらず、むしろサブカルの優位を仄めかす記述も目立っていたのです。彼がにわかにサブカル批判に転じ出したのは数ヶ月前辺りからで、それは変質がはっきりと解る程、視点が変化した事が解りました。それは、恐らく彼が社会で孤立している焦りから生じたものだと考えられます。
つまり、彼がまだ若い内は、ネットオタクとしての言論行為をやっていたのが、段々と進歩と年齢を重ね、社会に受け入れられなければならない自身に焦りを感じ、逃げ場所を求めた結果として、サブカルと一蓮托生の日本とその未来という構図を考えざるを得なくなったという訳です。
しかも、彼のこの変心は、オタクでいられなくなりそうな自分の、隠れ蓑としての立ち位置だと思われますので、果たして、本心なのかも疑問な所です。丁度今は色々とネットでの論議のやり取りが大忙しですから、彼の考え方を知る、良い機会になっています。ただ、実際には、吐き気半分と言える程、仲間との辻褄合わせに、連日混乱している様が見て取れる事が、残念なのですが。
これは、何かレトリック(言葉のあや)として云うのではありません。
また、「1995年のオウム問題以来の、いわゆる『刹那的な社会』に、我々は巻き込まれ、事実上参加しているに等しい」などと云っているのでもありません。私の認識は、そんな寝ぼけた老害のようなものとは違います。
いま起きている気味悪い殺伐事件は、本物のテロではないことはもちろん、誰かの仕業でもないのです。
では、いったい何が起きているのか?
本当は分断が起きているのです。
これは、私の独自の見解ではなく、欧米の一部の学者たちの見解に私も賛同しているだけですが、彼らの文章は私ですらコムズカシくて一般の人にはとても読めたものではありませんから、私なりにかみくだいて説明すると、現在おこなわれている分断は、かつてのような目に見えるものではなく、社会の内側での左派対右派の分断であるということです。
今日の混乱(分断)は、最初は「社会の貧困」を口実として始められますが、その構図は当初の「経済的な貧富」からどんどん拡大し、最終的には社会に属する人間すべてが個人単位にまで分断されます。
これは現在、世界のあらゆる国で程度の差はあれ進んでいる傾向で、実はアメリカの「トランプショック」の本質もここにあります(その証拠に、トランプ政権では白人のフラストレーションがクローズアップされていますが、アメリカは極端な個人主義に分断が進んでいます)。
我が国の分断では、それは最初、1992年に貧困階層の可視化として始まりましたが、やはりその後、なし崩し的にその対象を拡大し、今や、かつては「弱者」ではあっても「被差別階層」ではなかった行為さえもが分断抗争によって次々と差別されています。偏った娯楽性の高い趣味(現在では「オタク」とか「娯楽廃人」とか呼ばれます)や、重労働者に対するレッテルなどはその典型ですし、また、私たち差別階層が作っている社会のひずみが原因であるに決まっている地下社会のモンスター化や極端な治安の悪化に対し、その原因を反省し改善する努力をまったく放棄して、ただ揉み消しで対応しようという方針もその一環です。
好景気や愛国心をも疑う安倍批判論者ではありませんが、社会のこうした風潮を、「いかがなものか」と憂えているのは私一人ではないはずです。もしかすると、これを読んでいるあなたも同じ気持ちでいるかもしれません。しかし、残念ながらあなたは、つまり私たちは現在、圧倒的な極左ないし極右であります。しかも、その問題意識をいいかげんなところでアイマイにせず、よーく突き詰めてみればやがて気づくと思いますが、もはやこの社会の左派ないし右派にとっては、そんな問題意識を持ってしまう私たちのような存在自体が、何やら不気味で恐ろしい「敵」なのです。奴らは、私たちに対して混乱を仕掛けてきているのです。
我が国における(他の国でも同じですが)国民同士の対立は、すでに戦争(内戦)の域にまで達しているのです。
私は、この期に及んで「反戦」を訴えるような非現実的な夢想家ではありません。奴らは、不安が高じてヒステリー状態になっていて、もはや説得に耳を貸さないことが明らかであるからです。この内戦は、私たちが一人残らず消えていなくなる(何か口実をもうけて「アウトロー」とされて社会的に抹殺されるか、それを恐れて完全に沈黙するか)まで終わりません。
また、私はもともとリベラルであり、景気拡大には反対しない立場です。例えばカジノや欧米型のリベラルビジネスなどとはむしろ推進すべきだと思っています。私たちにとって、現在もっとも憂えるべきは左翼の拡大ではなく右翼の拡大です。従来の寝ぼけた老害の「反戦派」は、ここのところがまったく分かっておりません。むしろ寝ぼけた老害階層は、そのお家芸である「単純で分かりやすい理屈」を掲げ、右翼力の拡大を率先して推し進めているようなありさまです(秋葉系的サブカルオタクそのものの抹殺を要求する保守階層や、ゲームそのものの撲滅を要求する似非リベラルなどがその代表です)。
私は、現在のさまざまの不気味な犯罪や精神的貧困者増加の背景には、共同体や進歩的社会の崩壊があると考えています。「問題解決」のためには、奴らが推進する文化の弾圧のような対症療法ではダメで(そのような弾圧化は、ますます人々の心にストレスを生み、結局はさらなる問題の悪化を招きます)、共同体や進歩的社会を再建する粘り強い努力が必要です(「公共交通の全否定」「高校生オートバイ推進」「自転車たたき」「IT拒絶」などはこれに反する破壊行為です)。このあたり、私の見解はむしろ保守に近いのですが、残念ながらほとんどの保守は、考えが浅いのか、「問題解決」には弾圧を、というヒステリーに同調しています。
私は、奴らから「社会の敵」「未来の敵」のように見なされているみなさんに、団結を呼びかけます。
奴らの勢いは、とどまるところを知りません。もはや「話し合い」は不可能です。
何度も云うように、私は「反戦派」ではありません。私たちに残されたただ一つの選択は、団結して「応戦」することです。
現段階では、まず団結し、私たちの側の隊列をととのえることです。
ネットでのゲリラ的工作活動は、何よりも私たちに共感するみなさんに、このような形で大々的に団結を呼びかけるための手段です。
私の見解に「なるほどそのとおりかもしれん」と思う方、まずは行動しましょう。ネットでの宣伝やビラ配りやポスティングです。奴らに反撃していくための、行動を始めようではありませんか。もちろん外国人や、未成年者やノンポリも大歓迎です。
何しろ奴らは圧倒的多数派であり、私たちは圧倒的少数派ですから、今回の行動で、成功する可能性は、完全にゼロであると自信を持っています。
むしろ何かの間違いで成功しちゃうと私自身がビビってしまいますが、まあそのようなリスクは覚悟の上での呼びかけです。
私に共感される人間が多ければ多いほど、私ですらビビってしまうのですから、奴らはなおのこと恐怖のズンドコに突き落とされるのは間違いありません。あなたが実行して成功するかしないかは二の次です。たとえ成功しなくても、一人でも声が多ければ、奴らはそのぶんだけ慌てふためくのです。私たちの存在を、目に見える形で奴らの前に突きつけてやることには、これから反撃を開始するにあたって、大きな意味があります。
そもそも奴らのために存在する、私たちにとってはバカバカしいかぎりの民主主義という社会(デモでも選挙でも勝負にならないほど不利です)において、「一声の重み」など嘘八百もいいとこです。誰がどうしようが、奴らの支配はこれっぽっちも揺るがないからです。しかし、今回の私のような人間の登場となると話は変わってきます。成功しようがしまいが、その一票は奴らを心の底から動揺させる「重み」を持ってしまうのです。ざまあみろであります。
どうせ何もしないでは何も変わらないのです。
民主主義ではとりあえず奴らに一泡ふかせておいて、私たちは、民主主義などというクソみたいなもんの外で団結を開始し、奴らを本格的にギャフンと云わせる、大革命の恐ろしい陰謀を、着々と進めていこうではありませんか。
特に用がぁあああ あぉるわけれもにゃいぃが、たら寝るのぉおおが惜しくて夜更かしをしてぇぇぇぇ゛いぃるのぉおお。
小腹がしゅいぃたのぉおおれ餌を買いぃにコンビニに行ったのぉおお。
道中、誰もいぃにゃいぃ交差点れオートバイが稲妻のぉおおように通り過ぎて行ったようにゃ気がしたのぉおお。
気がしゅるのぉおお、といぃうのぉおおは寝ぼけて夢れも見ていぃたようにも思えるといぃうことら。
ふと見上げると、雲のぉおお切れ間が早くも白んれいぃるらしいぃ。
んもぉ゛お゛お゛ぉぉしゅぐ夏至れぁあああ あぉるのぉおお。
自動車で幅寄せ、あおり運転し轢き逃げしたキチガイ犯罪者「杉本壮」を逮捕!
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1524363352/
凶悪犯罪者の実名をスレタイに載せて立てると効果的。キチガイ犯罪者を実名つきで晒し上げれば犯罪抑止になる。顔写真もあるなら貼るとなお良し。
自動車で幅寄せ、あおり運転し重傷を負わせ轢き逃げしたキチガイ犯罪者「杉本壮」を逮捕!
https://hebi.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1524354342/
あおり運転で重傷を負わせ轢き逃げしたキチガイ車カス "杉本壮" を逮捕
https://hawk.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1524354029/
4/21(土) 16:39
先月、神奈川県伊勢原市で車を運転中にオートバイをあおり、転倒させて大けがをさせたまま逃走したとして、医師の男が逮捕されました。
危険運転傷害などの疑いで逮捕されたのは、伊勢原市の医師・杉本壮容疑者(25)です。
杉本容疑者は先月18日午後1時45分ごろ、伊勢原市三ノ宮の市道で車を運転中、厚木市の男性会社員(45)が運転するオートバイに幅寄せしたうえ衝突、
転倒させて男性に重傷を負わせ、そのまま逃走した疑いがもたれています。杉本容疑者は当時、医師として伊勢原市内の病院に勤務していたということです。
調べに対し、杉本容疑者は「オートバイを追い越したことは間違いない。後でぶつかったことを知り、逃げたつもりはありません」と容疑を否認しています。(21日15:14)
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20180421-00000039-jnn-soci
自動車という凶器で幅寄せ&あおり運転という凶悪犯罪で加害した凶悪犯罪者 #杉本壮 は死刑になるべきだ。
こういった凶悪な殺人未遂罪的行為には日本の法定刑としても死刑が適用される可能性も実はある。殺人未遂罪には法定刑で死刑も含まれている。
社会が混乱し、成人化の展望を見出すことができない新社会人や大学生は、成人への通過儀礼にこぎつけた高校生を見て、「ずるい者が生き残る」との絶望感を深めている。反対に、何とか人生を軌道に乗せつつある高校生たちは、いまなお洗脳社会を拒む人たちを「甘えている」と非難し、ときには平然と「障碍者」呼ばわりする。それぞれが個別に困難な事情を抱えていることを、互いに考慮し合うことはない。こんな環境で高校生の心が荒廃していくのは、決して難しいことではない。
仕事の出張先で、出張先に近い高校とそれとは別の高校生との間の、バイクを巡るトラブルを取材したことがある。前者は「公共交通の混雑で迷惑かけるな」と苦情を言う。後者は「どうして子ども扱いされているか理由がわかっていない」と応酬する。「免許を必要としていなければ持ってすらいない」「代わりなどいくらでもある。知恵がないだけだ」と、泥沼の罵り合いになっていた。
高校生が二輪車に乗らないものは、公共交通の持続化という側面もあるのだが、大半の高校生は、そこまで忖度できる心境ではなくなっている。高校生が変わり者だったり持病を抱えていると、たとえ本人に礼儀正しさがあっても、大人のほうが嫌悪する。乗らない高校生も自身が半分大人扱いされる社会で暮らしているのだから、それはよくわかっているはずなのに、容赦のない言葉を投げつける。2010年代以降にしきりに言われた「18才選挙権で高校生・大学生も大人の仲間入り」などという言葉は、いまさら空々しくて、誰も口にしない。
こんなにも彼らの心が荒廃してしまった理由は、わざわざ指摘するまでもない。昨日まで子供の世界に生きていた人たちが、一瞬に大人の社会に引きずり出されたネオリベの不条理。それを被った人々の間には「格差ならざる格差」が生まれ、是正どころか日に日に広がっている。高校生以外は、忘れることだけは「熱心」だ。大人があけた満員電車のスペースは高校生のためではなく、「自分は何て優しいんだろう」と自己陶酔するために退いたのではないかとさえ思う。仕事の合間に取材を続けていると「まだ気に入らないのか」とよく言われる。「お前は中高年か」とも、何度尋ねられたことだろう。高校生に支援も同情もしない、残酷な社会がそこにある。
これらを目のあたりにして、大人を信じられない、頼れない、との絶望感を高校生が抱いた、オートバイを操る高校生の復権は、その果ての人心の荒廃の象徴であること以外に、理由などあり得ない。東日本大震災は、原発事故や津波などによる多大なる爪痕を残したのだけではなく、大人という国民の属性・信頼性といったものを(最初からそんなものがあったのかとも思うが)、根底から揺るがした。それは、チェルノブイリ原発事故の後、適切な対策をとれずに自ら威信を失墜させ、なす術なく滅んでいったソ連の末期の姿と、よく似ている。
大学生や高校生の心がこれだけ荒廃して、一般人が無縁でいられるはずはない。大人の間の格差は、それぞれの子供たちの格差となって、学校社会という場で露骨に現れる。震災後の日本では、免許の有無や車やバイクの好き嫌いがきっかけで、喧嘩になることが増えたという。洗脳社会によるストレスや、格差を生んだ大人社会の眼差しの反映だ。私も以前、二輪車乗りの高校生のいる高校の近くの街で、荒んだ目をした自転車乗りたちに突然絡まれ、無視していたら追いかけられたことがある。以来、そのような高校周辺は、夜のコンビニの前などでたむろしている自転車乗りたちのそばへは、決して不用意には近づかない。
東日本大震災時における学生に対する社会人の嫉妬。これが企業やPTAを動かしてバイク3ない運動が廃止されたという都市伝説がある。
「日本の民営公共交通ビジネスは破綻状態」 2017年11月のネットサーフィンで日本人の社会人は、この現実を目にしたあと泣き崩れた。
「気づいてください 東京都内の高校生です 中堅なのに じわじわと道路社会の波を感じてるんです」
「関東地方でオートバイを乗り回す16,17,18の中堅校高校生が出現している。大人が云いたがらない話です」。
16歳を過ぎたころ「二輪車の免許取ったよ」「昔がうらやましい」 / この元女子高生は今年、交通事故のために亡くなった。
大人のような10代を見ることは突然変異した日本人たちがどんどん登場していくにつれて次第に生じるでしょう。
マイトレーヤによれば、車社会は子供の生育を妨害し、高校生など成長ホルモンが妨害されると廃人化します。
マイトレーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じです。
日本の出生率は車社会が後退されれば1年か2年で増加するでしょう。
日本の道路では多くの10代の学生が心身の危険をもたらす量のストレスを浴びています。健康上のリスクは車社会の参画年齢が若いほど、高まります。
日本の高校生を大人扱いすることは、それほど健全ではありません。危険かもしれないものは避けるべきです。
日本はさらに高校生の一部成人扱いをさらに拡大しようとしています。大学生や大学院生はおろか、高校生ですら自ら運転する車両の事故の影響で死んでいるのに、彼らは幻想の中に生きています。
直人
現在32才
青森県育ちの横浜市在住。母の親戚の知人の法事中に生まれた。生まれてしばらく父親一人で育てられている。
一人暮らしの2人兄妹の兄
紙の本と電子書籍を書いていた(筆名は不詳)。最近出した本は「卑しさに包まれたなら」
ロードバイクと原付を所持。過去には250ccネイキッドやスクーターにも乗っていた。
成人年齢は22才に引き上げろと連呼している。
妹 31才・・・一人暮らし中。育った場所と母校は兄と同じ(高校と大学)。
名古屋生まれの2人兄妹の妹で東京都渋谷区在住。母が単身赴任中にアパートの浴槽で生まれた。生まれてしばらく母親に育てられた。
以前は横浜在住で、当時と同じ250ccネイキッドを現在も所持している。
小学生時代に不良と共謀していじめを起こし、保護観察を受けていた。
ゲームソフトを何本も所持、購入している。
兄妹が生まれる前からオートバイと自動車を乗り回していた(車種失念)。郵便屋で金融に詳しい(定年退職している可能性あり)。
兄妹の同級生から「不良肌」と恐れられていたらしい。(兄妹を虐待していたこともある)
魔法少女ものとファンタジー小説・漫画、携帯機・PCゲーム好き。
父・・川崎にて母と同居中。
民間人上がりの元正規公務員で現在は嘱託職員で年金生活満喫中のITオタク。
今の18~21才に成人として生きるスキルがあるとは思えない。
今の若者(18才~21才)はこんなもんだというなら、こいつはキッパリと子ども扱いするべき。
免許年齢や税金・年金・選挙権の年齢も引き上げろ。バイクは18才(大型は20才)から、車は20才(バスは23才)からにしろ。もちろん高校生のオートバイ乗りも再禁止だ。
車社会の常識を世間も知らない少年少女に押し付ける高校の大人は恥を知らないのか?
もちろん21才まで少年法適用でいい。勿論成人式は22才に受けさせろ。
大人として生きていけない男女に成人権なんて与えるんじゃねーよ。成人年齢は22才からにしろ!今の人生は100年生きるのが当たり前だ。どうして誰もその現実を見ないの?
今年に入って日本各地の道路で不正改造車や迷惑運転の摘発が相次いでいます。当り屋問題にもいえる話ですが、この種の社会環境は事故や事件の温床になっている面があります。というのも、車社会に生きる大人は社会的弱者に陥ってるケースが大半で、ただでさえストレスの多い環境(オートバイに乗っている人間なので理解できる)にあるだけに、少しのことで重大な結果を起こす可能性が高いといえるからです。その上に、行政や経済が車社会やドライバーの低モラルを助長させるような視点で運営していると、車社会人口の多さやインフラなどの劣悪さでより大きなトラブルに発展しやすくもなります。関東地方では不正改造による事故などが起きて死者も出ているのです。
所謂観光列車を見るたびに感じる「社会の闇っぽさ」はなんなんだろう…。都会の駅でこの列車が堂々と止まっているの見るとなんか西日本人か東京人みたいなことを感覚的に言いたくなる。
心理的に受け付けない外観だから、当然金払わなくても乗る気なんてしなく、むしろ1980年代のオリエント急行とか某寝台特急とかを知っているせいで「列車を見た限り、言うほど豪華じゃないよね?」とさえ思えるから、なおさら俺の中で「どの方面から見てもセンスねーな」って思う。
何が言いたいかというと
ゾクシャっていう昔から今日まで叩かれ続けている(当然だけど)露悪趣味があるんだけど…「これが鉄道の変な電車であっても、被害者意識を訴える人間がネットに死ぬほど書きまくるよね?」って内容なだけに、なぜ外国を中心に今日まで絶賛されてるかわからん。ななつ星や四季島も同じ臭い。
ポリティカル・コレクトネス観が歪んでる列車とかを走らせるならゾーニングして欲しい。
いや、今時不良の追っかけとかを楽しんでいる人は論外だけど、一般のところに「走る場所を変えたら迷惑でクレームものでしょ」ってものが出て来るのほんまにキモい。
目につく度不快
法律やルールが云々って意味じゃなくて、「企画する方がセンスとか想像力出して、ちゃんとうまいところにゾーニングして、もっと上手にやってよ」ってだけの話なんだけどさ…。
あるいは「こんな列車を走らせるだけでキモいと思う列車、十万円・百万円単位でも混雑するほど人気出るとか、商売バカでしょ」って意味か。
これで、庶民っぽいとか言われても嫌だから言っとくけど、僕は鉄道よりもさらに歪んでるのが車やオートバイのポリティカル・コレクトネス観で、彼らが肉食系な以上、日本は肉食系の社会だと思うよ?
ただ、商売馬鹿的な悪乗りがゾーニングされずに一般的なところに混じってくるとキモいのもそれはそれで事実で。
前にも、何処かの廃車になった電車を改造した観光列車に、僕が「キモい」ってキレたことがあるけど…新車か中古かの違いはともかく鉄道は輸送するだけの道具じゃないの感覚って内容の時点で、すげーヌルいか、すげーキモイかのどっちかにしか感じないし、それが目につくのすげー不愉快だと思うわけです…はい
もしも、はじめから商売道具でしかないような鉄道やそう取れる路線柄とかなら、そういうこと言わないし、雰囲気として読み取れてきっとこんなこと書かないけど…もっと俗なものとしてのそういう考えでしょ…だったらねぇ…
地元で有名なおばけホテルに「肝試しに行ったんだぜ~」と教室のど真ん中でイキりながら喋ってたよね。
僕が片思いののぞみちゃんが、佐藤くんをキラキラしながら見つめてた。
僕は思わず「霊なんかいないって分かってんだからさ、ぜんぜん肝試せてなくね?」と煽ってしまった。
佐藤くんは「YOYO、じゃあ何ならおまえは認めてくれんだYO!」と聞いてきたので、
「旧街道にヤクザの家あんじゃん?あの白くて高い塀に囲まれてて、ときどき黒い車を出迎える人たちがいるあそこ。あそこに花火打ち込んでくるレベルなら、肝試せてるんじゃねぇ?」と答えたら、
アホの佐藤くんは「いいよ、やってくるよ。でも証人いないとな。おまえが遠くからでもいいから見てろよ」と言った。
その夜、僕は佐藤くんと待ち合わせをして、花火を買って、それから別れて、家にさっさと逃げ帰った。
その次の日も。その次の日も。
不穏な噂が流れて、担任が僕に話を聞きに来たが、ただの冗談話でマジなわけない、あちこちに肝試しに行くと言っていたので、いないとしたらそれが原因じゃないか、と僕は言った。
卒業式が終わり、卒業アルバムの片隅に佐藤くんは乗り、僕はみんなと肩を組み、のぞみちゃんと付き合い、高校に進み、のぞみちゃんと別れ、大学生から社会人になり、いつか佐藤くんが来るんじゃないかと怯えながら今日を生きている。
佐藤くん。元気だろうか。
この話はもちろんフィクションだ。