鉄道おじさんは都合の悪い自身の黒歴史だと感じたのか、今はどこを探しても魚拓にすら残存していないのですが、13年近く前も鉄道おじさんはまとめ的なサイト日記の様なものをやっていたんですよ。当時も実は彼はゲームやパソコンやカメラを保有していて、多少消極性はありましたが、今とは比較にならない位の資料付きで、冷静に社会批評を繰り返していました。
高校のオートバイとその免許の単独所持禁止は非行防止の観点からだとか、ゲームソフトの値段がどれも同じなのは社会的な要請であって、若者が余計なトラブルに巻き込まれない様にするための知恵だとか、かと思えば、低賃金長時間労働のポスターを大サイズで全面貼りして、これらの風景は、無機質で社会性に欠け、非常に殺風景な風景だと一蹴する記述すら見られました。
言葉こそ冷静に語っていましたが、当時の彼は実録付きで社会批判を公然とやっていましたし、一方でサブカル批判は、全くしておらず、むしろサブカルの優位を仄めかす記述も目立っていたのです。彼がにわかにサブカル批判に転じ出したのは数ヶ月前辺りからで、それは変質がはっきりと解る程、視点が変化した事が解りました。それは、恐らく彼が社会で孤立している焦りから生じたものだと考えられます。
つまり、彼がまだ若い内は、ネットオタクとしての言論行為をやっていたのが、段々と進歩と年齢を重ね、社会に受け入れられなければならない自身に焦りを感じ、逃げ場所を求めた結果として、サブカルと一蓮托生の日本とその未来という構図を考えざるを得なくなったという訳です。
しかも、彼のこの変心は、オタクでいられなくなりそうな自分の、隠れ蓑としての立ち位置だと思われますので、果たして、本心なのかも疑問な所です。丁度今は色々とネットでの論議のやり取りが大忙しですから、彼の考え方を知る、良い機会になっています。ただ、実際には、吐き気半分と言える程、仲間との辻褄合わせに、連日混乱している様が見て取れる事が、残念なのですが。