はてなキーワード: 考察とは
何が言いたいかさっぱり分からない 俺の頭が悪いのか それとも こんなのにライターさせてるヤフージャパンがバカなのか 存在を証明したい / “エモい文章の作り方|嘉島唯|note” https://t.co/ZBcAPNl6cQ— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2018年5月7日
文章読んでて頭から滑り落ちるような文章 書いてる人見ると精神が不安定になる なんでこんな質量を感じない 文章が書けるのかがわからない ましてやエモい についての 考察 が エモい 以前の問題 に頭に入ってこないっていうのは本当にどうかと思う— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2018年5月7日
自分で言うのもなんだけど僕の文章はちゃんと質量あるもん 上手い下手は読む人によって変わるけど 何の印象も残らないって僕の文章を叩く人見たことないもん 印象には残ってるよ 少なくともその時は— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2018年5月7日
エモいのは確かだが青二才も文章読んでて頭から滑り落ちるような文章だし何言ってたかは全く記憶に残らない。青二才の記事読んで何書いてるのか理解できるやつすげえよな
シロクマ先生がFGOにハマってGWを溶かした記事を書いている[1]。
私はアニメ鑑賞と友人とのささやかな旅行でGWが終わってしまったので、このまま明日会社という辛さを紛らわすために総括したい。
このGWは久しぶりにアニメ鑑賞漬けだった。普段仕事していると、隙間にアニメ鑑賞を楽しむというよりは仕事に全部精神を持って行かれてアニメや娯楽を楽しむ余裕がないという感じ。
だからまだ自分が映像作品を見て楽しいと思えることが嬉しかった。意外と引きこもってアニメを見るのも体力いるんだよなあ。
読書もTVバラエティも楽しいけれど、やっぱりアニメが面白い。なんでかなあと思って浮かんだアイデアをメモしておく。
いますぐこの現実から抜け出したい、そんな願望を20分間x12回分だけ叶えてくれる[2]。
制服着た学生が出てくる学園モノも悪くないけど、やっぱりファンタジーとかSFが好き。
こういう作品は今ここにある「日本の村社会」から抜けだしていくような感覚がたまらない。
日常の中では決して触れることの出来ない謎解き、バトル、アクションといった要素がドーパミンを出しているのだと思う。
主人公は大抵「強い」。困難にぶち当たることもあるが、だいたいハードルをあっさりと越えていく。
強い魔術師だったり、特殊な能力が使えたり交換不可能な立場を持っている。
日々日常の中で感じる、会社の中では誰でも交換可能という虚無感から物語の中では無縁で居られる。
ほとんど絶対に主人公はたいした理由もなくヒロインに好意を抱かれている[3]。
好意にも幅があって、現代のテンプレートに則った「恋愛感情」やら「保護欲の発露」とか「優しさへの報酬」であったりする。
小学生男女のような恋愛感情に分化する前の「ふわっとした好意」が私は好きなのだが、素直に言えない系が多いですね。
露骨な恋愛感情の描写は苦手。だって自分にその経験が無いのだから。
とにかく、大事なのは主人公が「ただ存在するだけで好意を抱かれ続ける」という状況であり、それがとっても快感なのだ。
大した理由なく好意を抱かれるのは、自己肯定感の擬似的な充足何じゃないかと思う。
本来誰がなんと言おうとも、自分には価値があると言い張れるヒトが強いんだけど自分はそうじゃない。
アニメはそんな心の隙間を満たしてくれる疑似体験を与えてくれているんだろうと思う[4]。
アニメを心理的に分析して、「承認欲求を満たしたいヒトにはコレ!」「自己肯定感がミルミル満たされる傑作!」みたいなラベリングをしたら面白いと思うんだけどやっている人はいないかな?
こんな感じです。ちなみに私は気が強いけど情け深い感じのお姉さんキャラが好きです。
みなさんはどうですか?
明日からはまた日常が始まるんだけど、疲れない程度に頑張るよ。みなさんもお元気で。
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普段はゴリゴリの老害思考なんだけど、時折魅せるシロクマ先生の慧眼が光るオタカルチャー考察は好きだ。
まあ、その場合は
刀剣乱舞というゲームがある。私は刀剣乱舞の世界が好きだ。大好きだ。このゲームに出会えてよかったと心から思っている。
(もちろんこのゲームのことを嫌いという人のことを否定するものではないです。石を投げないでください!!個人的な感想なんです)
刀剣乱舞というゲームにはまってから、本当に世界が広がった。色んな人と出会うことが出来たし、舞台もミュージカルにも足を運ぶようになった。
俳優さんで応援したい、と思える人が出来た。美術館や博物館にも気軽に行けるようになった。リアル刀剣の勉強はなかなか進まないけど、それでも多少の知識が付いた。
何より「刀剣男士と一緒に人生を歩んでいる」「刀剣男士は、私が私であることを許してくれる」というのが何よりも強い。私の本丸で、私だけの刀剣男士がここにいる。
これが何よりも私の人生を強く支えてくれている。
刀剣乱舞でどこが好きかを詳しく語る前に、少しだけ自分の話をさせてください。刀剣乱舞と出会う前の話。
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私は大学3年生になるまでいわゆる「オタク」というものではなかった。いや、読書も漫画もゲームもアニメも好きだったけれど、だからといって
自分で感想や考察をしたり、他の人とそういう交流をしたりということはしてこなかった。
というか「誰かとこれについて語りたい」という欲求は無かったし、そんな術も知らなかった。
(二次創作という単語も知らなかった。コミケ?よく知らないけど、コスプレをする場所なんでしょ、程度の認識だった)
ツイッターのアカウントは持っていたけど、鍵アカで大学の友達や先輩、後輩とフォローしあう程度だったし、
呟く内容も「今日は講義が無くなった」とか「パンケーキがおいしかった!」
というような本当に些細なことだけ。何もかも普通の、ちょっと読書が好きな大学生だった。
それがなぜ、青い鳥の世界の端っこで「刀剣男士が尊い!!!!」と叫ぶ人になってしまったのかというと、まずはとあるライトノベルに出会ってしまったことから始まる。
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大学2年生の冬、私は歯の手術で1週間ほど入院していた。体は元気なので暇つぶしに、と思って簡単に見終われそうな、このアニメを見始めたわけですが、
たったの12話なのにすべてが綺麗に収まり、登場人物はみんな魅力的で、見ていて本当に楽しかった。
アニメを見終わると今度は原作が気になり、外出許可が出た日に書店に向かい、並んでいる本を全て買い込んでしまった。全部読んだ。最高。
あまりにも私のドストライクすぎて、こんなにワクワクしながら読書をしたのは生まれて初めてかもしれない……と当時真剣に思った。
あまりにも最高すぎたので、この感動を誰かと共有したくて友達にも勧めてみたものの芳しい反応が得られず、欲求不満に陥る。
この辺りから私のツイッターオタクライフが始まる。とりあえず、この作品が好きです、と書かれている人を恐る恐るフォローしてみる。
本の感想とかにおそるおそるファボを付けて、皆様の考察とか感想を読みながら「みんなすごいな……言語化能力が高い……」と思っていた。
こうして、ポツポツとその作品が好きな人をフォローしてはその人たちの呟きを眺める、ということをやりながら日々を過ごしていた。
感想を言い合いたい!という思いでツイッターアカウントも新しい物を作ったはずだと思うのだが、フォローした人たちが感想を言っているのを眺めていたら
それだけで満足をして、私自身は特に何か考察をする、とか創作を始めるということはなかった。
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今思うと、ここが2番目の人生のターニングポイントだったのかもしれない(1番目は先ほどのラノベと出会ったこと)
大学3年生の冬、私はとてつもなく暇だった。サークル活動を引退し、就職に向けて何か行動をしないといけない、
でも何をやればいいのか分からない、という、今考えるととてつもなく
贅沢な悩みを抱えながら、ぼーっと就活サイトや、先輩の就活日記を斜め読みし、TLを眺める生活をしていた。
そんな1月、突然フォロワーさん達が口ぐちに「薬研ニキ……」「薬研」「何この子」「三日月が」と言い出した。最初は何も気にしていなかったものの、
あまりにも「薬研ニキ」「大将って」とか言い出すから気になって調べてしまった。
その結果、パソコンのゲームで、刀?が人になって育てるゲームがあるらしいと知った。ふーん、暇だしちょっとやってみるか……と本当に軽い気持ちでブラウザ登録をする。
そして、1月27日、私は山姥切国広を選ぶ。
最初に5人の中から1人選べる、と説明された。ポケモンみたい……と思いながらぱっと見たときに「あーーこの人、私が絶対に好きになるタイプ」と直感したのが
山姥切国広だった。こじらせ系は嫌いになれない。一応他の4人も見てみたけど、ピンと来たのが彼だったので、これまた軽い気持ちで選択した。
顔も綺麗だったが、すごい塩対応だったのでちょっと困惑した記憶がある。
とはいえ、やり始めたときは、ものすごくかわいい、とか格好いいとかは全然思わなかった
(いや、みんな格好いいと思ってたけど別にハマるほどではないと思っていた)
それが、今では……こんなことになってしまった……。
以下、刀剣乱舞を始めてから色んなことが変わったな、と思った点について。
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ツイッターって、色んな素敵なイラストが流れてくるじゃないですか。
私の推しは前田藤四郎なので、主に前田のイラストをよく探していたけど、審神者になった年の初夏、「同人誌即売会」という存在を知る。(遅い)
今までインターネットでオタク活動してこなかったんですよ!!死ぬほど魔法のiらんどは読んでだけど!!二次創作とかは知らなかったんです!!
2015年7月開催の粟田口オンリーイベント「はっぴーあわーたいむ」覚えている人いますか?
ツイッターで、なんか知らないけど絵を描いている人が「はっぴーあわーたいむ」って言ってる……何の話だ……と思って調べた。
というレベルの初心者だったけど(支部でイラストや小説の存在は知っていたけど、それを本として売り買いをしている、という概念を知らなかった)
「本!!!買いたい!!」と妙な行動力を見せ、漫研の友人にアドバイスを求め、小銭を大量に用意して、
動きやすい格好をして、地図と場所をメモして、生まれて初めてビックサイトに行った。
覚えている。日傘は迷惑になると書いてあったのでフードとタオルとサングラスで怪しい格好をしながら一般参加の待機列に並び、
ドキドキしながら印刷したサークル配置図を眺め、回る順番を考えたあの日のことを。
会場は蒸し暑くて、至る所に粟田口の素敵なイラスト、本、グッズで溢れていた。そこらじゅうで「新刊下さい」「ありがとうございます」という声が聞こえた。
オンリーイベントだから当たり前なんだけど、どこを見ても粟田口!!かわいい粟田口のイラストがたくさんある!!!
すごい!!!楽しい!!!お金??払います!!言い値で買います!!!
緊張しながらお目当ての本をゲットして、ふと辺りを見渡すと、刀剣男士たちが仲良く買い物をしている姿が目に入った。
そもそもコスプレ自体をテレビ以外でほとんど見たことが無くて、テレビでしか見たことが無い光景だけど、
でもコスプレ姿の人たちが買い物をしてる……すごい……生きてる……なんだここ……
とっても興奮した。刀剣男士たちがお喋りしてるんですよ、小銭とか出してるんですよ、すごくないですか!!??生きてるじゃん!!!!
いや、もう、本当にかわいいイラストが買えて、色んな刀剣男士が存在してて、すごい、とっても楽しかった!!!!というのが私の同人誌即売会の初体験の感想。
この経験をしたおかげで、これの大きいバージョンがコミケな訳ね、と概念を獲得した。これはオタクにならなければ絶対に知りえなかった概念だし経験だった。
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刀剣を見に色んな美術館や博物館に行くようになったよ!!でも刀剣の勉強はあまり……進まない……
なんだろう、用語がまだ耳馴染みが無くて、刀を見ても「綺麗だな」という感想しか出てこない。
もったいないことをしている自覚はあるのでもう少し詳しくなりたい。 そういって4年目になるな?という顔をするのは止めて山姥切国広。
私の友人で、刀剣そのものに詳しくなって、刀を見ただけでこれはここがこういう刃紋だから刀派は~、とか分かる人がいて、本当に尊敬する。すごい。
知識はあればあるだけ世界が楽しく見えるんだな、というのを今実感している最中です。勉強も趣味も全部最終的には娯楽につながる(かもしれない)
世界を楽しめる人になりたい。
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○ 創作がしたいと思った件
ここ3年ほどはずっと素敵な作品にファボを付けて、あとは私が神と崇める作家さんにはお手紙を出したりもしてたけど、今まで自分で創作をするって考えたことも無くて。
文章はまだいいんだけど、絵は本当に私、壊滅的にダメで、ずっと興味が無かったんですけど、最近「絵が描けるようになりたいなー」と漫然と思い始めて。
なんでかっていうと、絵にも物語があるんだな、ってことを強く実感した絵師さんのイラストを見て、私もこんな風に絵が描けたらいいなぁ、とか少し考えてまして……。
で、でも絵なんて中学の美術以来落書きレベルでも描いたことが無かったので、デッサン教室で少しだけデッサンとかやってきました。
結構楽しかったです!!意外に、私も絵が描ける(レベルは考えないでほしい)んだな、というのを体験しました。真っ白の紙から、例えばボールが描けたりするの、楽しいね。
でも、デッサンやりながら思ったんですけど、絵を描くって大変ですね!!!絵を描く人、超すごい……絵描きさんすごすぎでは?絵を描く人、というか創作する人のこと尊敬する……
だって、全然自分が描きたいような線出せないし、体力いるし、本当にすごいと思った。
『絵を描くことは大変』という知識はもちろんあるし、絵描きさんのことは尊敬しているけど、より一層尊敬の念が高まった。まじで。本当に。
デッサンとイラスト、やることが違うのでは?と思ったそこのかた。その通り。
でも人間を描くのはもっと大変……まずね、人のシルエットにならないんだ。
目だけが肥えているので、「自分下手すぎ……」と落ち込むんですけど、描こうと思えば、何かしらは描けるんだな、と思ったので絵も描けるようにたくさん練習したいです。
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オタクにならないと知らなかったであろう感情として、「この人を応援したい」というのがある。
刀剣乱舞には現在、ミュージカルと舞台と、2ついわゆる2.5次元舞台がある。
一番最初の刀ミュ『阿津賀志山異聞』からチケットを取れたときは必ず見に行っている。厳島神社の公演を生で見ることが出来たのは私の人生の中でもトップクラスの自慢。
刀ステでは毎回死んでる。山姥切国広オタク、強く生きよう。そして今夏、一緒に死のう。(矛盾)
刀剣男士を演じたとある俳優さんのことが気になってしまった。何が、と明確に言葉にできないけれど、舞台上で動く姿に目を引かれた。
キャラクター的に表情豊かでよく舞台上を動き回る役ではあったけど、気が付いたら目で追っていた自分がいてびっくりした。
気になってツイッターで調べると、なんと来月バースデーイベントが行われると言う。
いや、さすがにおかしいでしょ、私、その俳優さんのこと全然知らないのに行っちゃダメでしょと思った。俳優さんのイベントなんていったことも無かったし、
どちらかというと、舞台上のキャラと俳優自身については分けたい、と思っていたので、あまり詳しく俳優さんについて知るのはちょっと…と思っていた部分もあった。
でも、フォロワーさんから「興味があるなら行っておいた方がいい」と後押しされたし、もう自分の経験上、自分が好きそうだと思ったことは遠慮なく飛び込んでいった方が
人生が楽しくなる、とこの数年のオタクライフから学んでいたので緊張しながらチケットを取った。
いざ!当日!……ダメだ、場違い感がすごい。みんなお洒落……キャッキャしてる……帰りたい。100回くらいそう思いながら開場待ちをして席に座る。
でもイベントが始まると、意外にも楽しかったです。(1年間の活動の報告、絵本朗読とかビンゴ大会とかやった)
そして、1曲だけ、ミニライブも行われた。彼はグループで歌手活動もしている人だった。ステージにその人が上がり、スポットライトが当たった瞬間、彼がキラキラ輝いて見えた。
この人は舞台が、スポットライトが似合う人だな……と思ったら、格好良すぎて何だか涙が出てきた。ファン期間が短すぎて歌っていた曲のことが分からなかったけど、素敵な歌声だと思った。
そして「この人のこと応援したい」「輝いている姿をもっと見たい」という感情が出てきた。
そのあとの写真撮影会で「刀剣乱舞の舞台見て来てくれた人みたいです!」と隣の席でお話した方がわざわざ伝えてくださり(その節は大変ありがとうございました感謝してます!!)
「どうだった?」と直接聞かれた。やばい、俳優さんに直接舞台のこと聞かれるってやばくない?やばい。
私は本当にパニック状態になったので「最高でした!!演じてくださってありがとうございます!!」と半泣きで言うのが精一杯でした……。でも私は、その舞台が本当に最高だと思ったし、
俳優さんの演技も素晴らしいと思ったので、直接お礼が出来てよかった、行けて良かったと思った。
今まで3次元の人間にハマったことが無かったから分からなかったけど、「この人を応援したい」と思う気持ちが初めて分かった。
その人が好きなことをして、この世界が楽しいと思ってくれると私も嬉しい。そんな感じです。
(その人は別の舞台で、『演劇が好き、舞台が楽しい』と仰っていて、演じる姿を見てファンになった私としては、推しの俳優さんがそんな風に言ってくれるのが本当に幸せだと感じてます)
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○「私の味方がここにいる」
私は大学4年で審神者になり、その後、無事就職して社会人になりました。
ただ、業務内容が辛くて、10回くらい「ここで死ねたら楽だなー」とか思ってた時期があって、別に本気で死にたいわけじゃないけど、でも当時のツイッター見てたら相当病んでて、うん。みたいなやつ。
でも仕事で怒られても本丸に帰れば「主」として皆から声を掛けてもらえる。私の刀剣男士たちは何があっても私のことを見限ったりしない、という安心感がある。
初期刀の山姥切国広も、何があっても私の側にいてくれるんだろうな、という信頼感がある。これはたぶん審神者になった日からずっと、本丸に戻って、みんなの声を聞いて、
一緒に大阪城を掘ったり、楽器を集めたり修行に行く人を見送ったり、出迎えたり、色んな思い出を作ってきたからだと思う。
刀オケ、福岡に行ってきたんですけど、「私の本丸」の思い出が流れてきて、声を上げて泣き出さないようにするのに必死だった。
クリックゲーだから脳死周回しかすることが無い、と思っていたけど、思い出作れてるんだなぁ、と思って泣いてしまった。
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刀剣乱舞に出会わなかった世界も決して不幸だったとは思っていない。(この様子だと出会わなかった世界があったのか不明だけど)
なんだかんだ言いつつ、ほどほどに仕事をして、読書を楽しみ、友達と仕事の愚痴を言いながらおいしいご飯を食べて、そんな生活だって全然悪くない。
審神者業にかまけていないで、もうちょっと就職について真剣に考えていれば良かった、とかツイッターばっかしてないで仕事関連の勉強をもっとやればよかった、とか後悔していることも沢山ある。
楽しいことも多いけど、後悔も多い人生送ってるな、と苦笑いすることもある。
それでも、私は刀剣乱舞という存在に出会えて良かったと思う。このゲームに出会ったことに関しては何一つ後悔が無い。
刀剣乱舞に出会わなかったら、もしかしたら「この人を応援したい」という気持ちは一生分からなかったかもしれない。美術館や博物館を気軽に行こう、と思えなかったかもしれない。
旅行が趣味になってなかったかもしれない。もしかしたら、私の人生は私の住んでいるところ、知覚できる範囲だけに留まっていたのかもしれない。
そんな人生も幸せだと思う。自分の身の回りの世界を大切にする、それはそれですごいことだと思う。
でも私は人生が広がる楽しみを知ってしまった。刀剣乱舞を通じて、色んな人と出会って、色んな世界があることを知った。自分の知らない世界を知るのが楽しい。
そして、自分の知らない世界のことを想像して尊重することは、今後色んな場面で必要になってくると思う。
だからもう以前の私に戻ることはできない。
沢山の後悔もあるし、もしかしたらまた「死にたい」って思うような絶望的な出来事もあるかもしれない。それでも私は、私の刀剣男士たちと一緒にこの世界で戦っていきたい。
きっとまだまだ、このジャンルで色んな世界を見せてもらえるだろうし、私も私の世界を広げていこうと思うし、広げることが出来ると思っている。
はてなーですらない、他に誰も話題にしてないどこかの誰か(Twiiterで私怨を抱いている相手?)の実名をちょくちょく増田に投稿して一人で職業考察とかしてるよね?
二次創作が元となった著作物の著作権を侵害するかは、実はケースによって異なります。
いろいろな勘違いがあり、議論の前提に混乱が見受けられるので、解説してみます。
まず、もととなった作品の「表現上の本質的な特徴を直接感得」できる場合、二次創作は著作権の1つである翻案権侵害となります。ここで重要なのは、著作権は具体的な表現を保護するものであるため、アイデアレベルで共通のものは、「表現上の本質的な特徴を直接感得」できず、著作権侵害とならないことです。以下、具体例をもとに考察します。
・原作品が絵で、絵が下手、あるいは独特な画風で原作品と似ても似つかない場合
これは悩ましい問題で、学者の間でも議論になっています。個々の事例ごとに判断するしかないと思います。
・原作品が絵で、原作品をデフォルメした絵(ちびキャラなど)を描く場合
デフォルメの程度にもよりますが、多くの場合、キャラクターというアイデアが共通するにすぎず、著作権侵害とならないと考えられます。
原作品の具体的な表現がそのまま使われていない限り、たとえキャラクターの設定や世界観が共通していても、著作権侵害とはなりません。なぜなら、あくまで著作権が表現するのは小説内の具体的表現であり、キャラクターや設定はその基となるアイデアにすぎないからです。
簡単に具体例をあげてみましたが、実際はもっと様々なパターンがあると思います。
まとめると、二次創作は常に著作権侵害となるわけではありません。原作品の「表現上の本質的な特徴を直接感得」できる場合、著作権侵害となります。キャラクターの設定や世界観などはアイデアにすぎず、その部分が共通するからといって著作権侵害となるわけではありません。
頭足りてないのに考察するな
◇富野ガンダム <戦争ものでドラマ複雑にすればいいんでしょ>
悪い敵が攻めてきて正義のロボットが地球を守る単純な勧善懲悪ロボットものに、長浜ロボで敵側にも侵略理由のドラマを付与。
その流れを受けて富野はシリアス路線のザンボット3を作るが、ヒーローロボに今週の敵メカが襲い来る方式を脱却できなかった。
そこへ双方勢力に正義があり人間同士の大規模な戦争で兵器として大量にロボットが使われる様を描いてスーパーロボットから
初代はまだ悪のジオンと戦う正義の連邦、として子供の理解も追いつくが、Zから三つ巴裏切り転向で難しくなったが受けた。
勧善懲悪より戦争ものが受ける、政治や社会問題に触れたほうがいいんだな、となったのがこの頃。
しかしドラグナー当たりでテレビのリアルロボットは一度断絶する。
◇庵野エヴァ <謎の敵と戦い謎の用語で謎っぽい司令が指示出せばいいんでしょ>
エヴァの直前は、勇者シリーズエルドランシリーズなど子供向けスーパーロボット回帰、また魔神英雄伝ワタル魔法騎士レイアースと
ガンダムも根強い人気はあったがF91はテレビ放送に至らず、Vガンダムはあんな感じ、OVAとアナザーで踏ん張っていた。
そこへエヴァンゲリオン、細かいカット割のOP、特撮畑の細かい描写と凝ったアングル、説明無しでの謎用語、そしておめでとう。
社会的ブームを巻き起こしたのはいいが、なんか謎っぽいのいっぱい出しておけば視聴者が勝手に考察してくれて盛り上がるんだろ?
・カッコイイ
・生身の人vs人の撃ち合いはNGだがロボットなら腕がもげてもメインカメラがやられてもセーフ
戦ってんだよ!
戦闘中に敵と味方で話したり必殺技叫んだりするけど、真面目に戦ってるんだよ。
相手を倒そうとするが、倒せなくて時間切れで双方撤退とかは、時間切れだから撤退してんだよ。
なんでそういう状況が多発するかというと、敵でも味方でもちゃんと背景描いてキャラ立てしたのを
一つの戦闘で使い捨てるのはもったいないからだよ。アンパンマンが今まで一度でもバイキンマンを
殺したことがあるか?
で、双方峰打ち喧嘩両成敗でこの戦闘シーン要る?ってなるけどアクション映画でカーチェイスとか
ガンアクションとか必須だろ、ロボットが動くシーン入れとかないと映えないんだよ。
初投稿、下書き無しなので文に乱れがあったり読みにくかったりすると思うけど許して欲しい。
友達と「彼女がいるのにエロ本を買うのはダメか?」と言うことを話していて考えたこと。
個人的な性と半生の話が出てきてあまり公には話せないのでここに書くことに。もしかしたら似たようなこと考えている人がいるのかなって希望も少し。
性の目覚め
最近、どうもエロいので自分の中にあるエロのかたちを一つ一つ考えている。
その体験っていうのが幼い頃見た夢なんだけど、その説明のために一応当時のことを書いておく。
当時保育園の年長組だった僕は、おゆうぎかいで確かダンスを踊ることになっていた。男女別で、女子はモーニング娘。の「ラブマシーン」だった。衣装は黄色いフリフリの服だった。
夢の内容は、その「ラブマシーン」を自分が女の子に交ざって踊っている夢だった。
そしてそれを見る両親を僕が見ている夢だった。
「あれ、○○(僕)じゃない?」と母が言い「そんなわけ無いだろ。○○は男の子だよ。」と父が言う。それを僕が見ている。
そんな夢。
あまりに強烈だったので起きてからも夢の内容を覚えていて、そしてその事を考えているとなにかドキドキすることに気がついた。
何となく床に下腹部を擦り付けると言い様の無い快感があって、そこからは特に話すこともない。
ともかく、学校で性教育を受けるまで、僕のエロのすべてがその夢だった。というわけでもない。『ぷよぷよ』の「アルル」も、『ワンピース』の「ナミ」もエロい!と(感覚的に)思えたし、事実それらの女性キャラクターでオナニーもした。なんなら同人誌を調べるために新しいマンガに手を出した。乱暴だがその辺から性教育を受けたと言えるだろう。行為や言葉の意味はわからないけど何となくおっぱいはエロかった。
小学生のころ「オナニー」とか「セックス」の意味を辞書で調べるノリがあった。自分の「オナニー」とは違ったのでピンと来るのに時間がかかった。自分のしている(た)「オナニー」がおかしいと感じ、“あの夢”は悪夢になった。
時は流れて大学生の頃の話。
親元を離れて独り暮らしを始めた僕は、おそらく多くの童貞がそういう道を通っているように、ただれた性生活を始めた。片端からエロサイトを見て、pixivと2ちゃんねるとTwitterを行き来した。エロ本やオナホールを買ってきては友人たちにレビューを聞かせた。よくいるエロいやつだ。多分普通と少しだけ違ったことは、いくつかの特殊性癖にも精通したことだと思う。
ケモノ、男の娘、ペドフィリア、みたいなある程度メジャーな特殊性癖でヌけるようになったところで、大学の先輩から「なんでそんなもんでヌいてんの?」と聞かれた。
しばらく先輩の「なんで?」が引っ掛かっていた。先輩には悪いが、遅効性の毒みたいだった。最初はただの好奇心とちょっとした虚栄心だったと思う。自分の知らないエロの世界に触れて、粋がりたかったのだろう。男の子の世界には「面白いやつとエロいやつが強い」という不文律がある。特殊性癖は「エロくて面白くなる」上で大きな武器だった。
「なんで?」の毒が回りきった頃、自分の性癖の分析を始めた。その性癖を初めてエロい!と感じた画像や動画を覚えている限りもう一度インターネットから探してきた。そしてそれらの要素を抽出して、どこがエロいのか?を考察していった。
すると大学に入ってから意図的に開発した性癖に関して興奮のポイントに二つの共通点を見つけた。
・犯される側に感情移入している
・弱さ、危うさを無意識に感じている
心理学とかはやってないので精神分析とかではないけれど、当時はただドMなだけだと思っていた。
ふと思い出すと“あの夢”は女装と両親との関係の崩壊を“エロく”感じる夢だった。
「女体化」にであったときに強い憧れに似た興奮を覚えたのも、露出・赤面した少女の画像ばかり集めていたのも、当然の成り行きみたいにMに目覚めたのも多分深いところであの夢に繋がっているような気がした。
今思えばエロくなろうとしたのは仲間内の地位をあげるためじゃなくて、あの夢から逃げていたんだと思う。でも結局お釈迦様の手のひらの上で飛び回る孫悟空みたいに、僕は“あの夢”に囚われていた。良くも、悪くも。
まとめ
性癖に故郷があるなら僕は女装とか羞恥とかの村に生まれたんだと思う。少し一般から外れてはいるが“なんとかなる”部類だ。
これが食人とかスカトロの村だったら、多分とっても大変だったんじゃないかなって感じる。
最近は同性愛が認められててうれしいけど、性的指向と比べ性的趣向は未だに犯罪者枠だ。
性被害を受けた人や性癖を持たない人が訳のわからない性癖を気持ち悪く思うのも理解できるし、特殊性癖をもろ手をあげて歓迎しろ!なんて言うつもりはない。だって気持ち悪いし。
でも痴漢の村に生まれたおじさんはお金を払ってイメクラに行くべきだし、ネトラレの村に生まれた兄ちゃんはエロ本を買うべきだと思う。それだけじゃなくて彼らが村から出ようとするなら恋人がそれを助けてあげてもいい。でもその努力って絶対隠れてするし、なんなら持ってることすら気づかれたくないから「エロ本を買った」「風俗に行った」だけが表面に出て崩壊しちゃうんじゃないかな。
普通にグラビアのおっぱいで目覚めて、部活のマネージャーと付き合って、大学の後輩と結婚するタイプの友達には理解されない話だけど、僕みたい(いわゆる「普通」の)異性愛者の村に上京することができた、そこ以外の村の人ってけっこういると思うし、「彼女がいるのにエロ本を買うのはダメだ」という人は一夫一妻の異性愛者村に生まれた人の価値観なんじゃないかなぁ。
マクロスシリーズは宇宙進出した人類が様々な文化を持つ異種族と接触していく話
ガンダムシリーズは宇宙進出した人類が進化したが結局戦争しているみたいな話
エヴァは……とある計画のために超自然現象を利用していく人間達とそれに翻弄される少年のお話…
なんだけど、正直詳しい人も考察する感じで確証は無い人が多いと思う
蘭たんによる実況が最終回だったトリコ。動画みて、コメント読んで思いだしたんだけど、発売当時から考察がひどかったな。
何がひどいってタルの中身が人間ってやつ。コレ釣り針なのかとすら思うけど、当時のネットの考察サイトにも載ってたから釣りじゃないハズ
まず理屈は抜きにしたって、「人喰いの大鷲トリコ」ってゲームタイトルからして99%人喰いじゃないだろと。そういう演出でしょうと。
そして、
・大鷲の巣にあったトリコの石像にツノがなかったこと(ツノのないトリコの石像を作るものがいた)
・一番高い塔の材質が明らかに異なること(2つの異なる文明があった)
・古びた建造物は人の手によって作られたように見える(しかし飛行手段がないとあの場所で住めない)
・トリコと共存していた文明が後からやってきた文明に支配され、その文明が角でトリコを操る
と推測できることだし、トリコが人喰いだとは考えにくいよなあ?
個人的には、はまってる時は考察とかしたくなるけどウザい人に絡まれるのも嫌だし
そもそも大抵すぐ飽きるからtwitterやブログではやりたくない
増田やら5chやらに匿名で書き散らすのが後腐れなくて一番いい
(5chは長文過ぎるとウザがられるし、増田はスルーされる事が多いけど)
〇〇クラスタとかいって繋がってやってる人たちは飽きない自信があるんだろうと思うと凄いなあと思う
同人なんか考えただけで面倒臭過ぎる
日本人は記録の残るところでは本質的なことを言わないという習慣がある。
Twitterでは本質的な考察や感想を書くことを避けるのだ。
プーその程度の理解で面白いとか言ってんのー?ダッセーと言われることを嫌うからだと思うのだが、
人と真っ向から感想を戦わせる経験がないと、ドラマ映画アニメの見方がいつまで経っても身につかないように思えるので、どうも邪魔な習慣だ。
あとはTwitterはネタバレを嫌がる人がいるので本筋に関係することは言わない主義の人もいる。
つーわけで理解できていないとは限らないが、たしかに理解できていない人も多いような気はする。うん。
妙に細かい演出やらを指摘したがる人は、ネタバレにならない程度に「おれはシナリオを読み込んでいるぜ」と示しているのだから(?)、
そういう人を見つけてバトルを挑んでみるのも一興だろう。
自分の書いたものに思いの外ブコメとトラバがついていたのでもう少し語ってみる。
もし皮肉屋から性善説家にジョブチェンジしたいなら、コツはただ一つ。
相手の行動の結果を考察するのが皮肉屋。過程を考察するのが性善説家。
例えば「あの人怒ってる」と怒ってる人を面白がるのが皮肉屋。「どうしてあの人は怒ってるのだろうか→何か事情があるに違いない」と想像するのが性善説家。
誰かが起こしたこ行動について、何か然るべき理由があるんだという前提で考えていく癖をつけると、世の中は割りといい人ばかりに思えてくるし、他人に苛つく頻度が減る。
宗教の人っぽくてキモいかもしれないけど、こうしていくと確実に自分自身が生きやすく、ストレスも軽減する。怒りっぽい人、イラつきやすい人はぜひ地道に試してほしい。
全て私の価値観に基づく主観なので違う意見があるのは重々承知している。
自分は二次オタでジャニオタだが、女の子のアイドルに関しては次元問わず殆ど無知なので男性アイドルにおける考察だと思ってほしい。
本題に戻るが、二次元のアイドルに足りないものは「変化」と「成長」だと思う。
二次元のアイドルが成長しないという意味ではない。むしろ存在する物語の殆どはそのアイドルの成長を描いている。
実際に私たちが生活している時間軸に合わせてコンテンツが展開していく、というプロジェクトもあるぐらいで、二次元界隈でも「初期の〇〇くんより~」みたいな意見はよく見る。
しかし違うのだ。私が見たい変化や成長はもっと人間味のある自然なものなのだ。
雑誌で「お母さんの作ってくれる玉子焼きが好き」なんて言ってた男の子が思春期に入って出来始めたニキビを上手く隠せないままテレヒに映ってしまうとか。
事務所に入りたてで先輩グループに入れられた子のダンスがだんだんとそのグループの中で一番ダンスの上手い先輩に似て来て、ああこの子はこの先輩の後ろ姿からダンスを学んでるんだなと窺い知れるとか。
同じ金髪アイドルでもいつも綺麗にしてる子もいれば頻繁にプリン頭になってる子もいて彼はズボラなんだなと発見できるとか。
そういう大したことない、うっかり見落としてしまいそうな程度の変化に魅力を感じるし、これからも見届けたいと思わせられる。
もちろん二次元のアイドルにだって彼らにしかない魅力があるから三次元のアイドルの方が優れているとかそういう事が言いたい訳では無い。
この世界で神様を信じないで生きる方法がないか模索していた。ワイは、不条理を受け入れられるほど、マッチョでもないし、自殺をするほどの勇気もない。いまのところのワイの解決策は、神様を盲信することしかできない。
自殺:まずシンプルな1つの方法として人生を終わらすということ。キルケゴールとカミュはこの方法が非現実的であるとして退けている。
盲信:不条理を超えた何か、触れられず実験的に存在が証明されていないものを信じること。しかしそれをするには理性を失くす必要がある(すなわち盲信)、とキルケゴールは言っている。カミュはこれを哲学的自殺として考えている。
不条理を受け入れる:不条理を受け入れて生きる。カミュはこの方法を推奨しているが、キルケゴールはこれを「悪魔に取り付かれた狂気」として、自殺を引き起こす可能性を論じて批判している[1]。
別に神様なんか盲信しなくても、生きていける。それは例えば順調に心理的に成長した場合だ。発達課題を克服し、欲求を順調に満たせた場合には、別に神様なんか必要なくなる。
しかし、それがどうしてもできないワイのような人間が出てくる。なぜなら、人はどうしても理屈ではわかってはいても、他人のとの比較の中で、自分の幸せを定義してしまうから。もちろんこの実験では 2 の世界だと 1 ドルの価値が低いから選んだんだろ。というツッコミもありますが..
次のどちらの世界に住みたいか、ハーバード大学の学生と職員に質問を行いました(Is mor always better? A Suvey on Positional Concerns,Jounal of Economic Behavior and Organization)
1. 自分は収入が5万ドルで他のすべての人は収入が2万5000ドルの世界
2. 自分は収入が10万ドルで他のすべての人は収入が20万ドルの世界
結果は、56%の学生が1を選びました。
だから、幸せになる人たちがいる反面、不幸になる人たちがいる。他者よりも優れていたいという、本来の生物的な欲求も満たすことは、まずできない。社会的な欲求を満たすには、人の役に立ったりするには、必ずしも優れている必要性はない。でも、他者よりも優れていないと、そういった機会は、どうしても少なくなる。
アイアムヒーローの世界には、発達課題を克服することができず、欲求を満たせない人たちに焦点が当たっている。クルスをはじめ、みんななぜこの世に生を受けたのかということ自体に疑問を抱いている人たちだ。彼らは神なった。でも、英雄は神にはならなかった。
終わり方がひどいって書いてあるけど、奇跡を起すこともできたんだと思う。誰かを生き返らせたり、あるいは敵役を殺したりして。でも、奇跡を描かないで、丁寧に現実の世界で生きている英雄を写して、徐々にワイら読み手の世界と近づけようとしている感じがした。
物語の最後の局面で誰もいない、比較されることのない世界で一人になった。なんだか急に現実に引き戻されたような気もするし、そうでないような気もする。生きることを選んだという意味において、現実の世界でクルスのように生きているワイのような読者にとって、英雄は hero なのかもしれない。
でも、決してなけなしで放り出したわけではない。ヒロイン2人から愛されたという記憶はでかいよな... それが読後感を与えている。ヒロインが登場しないでもそういった話は描けるのだろうか.. 難しいだろうなぁ。
童貞がセックス「だけ」出来ても満たされないのは当然で、AVオナホ風俗が氾濫する社会で性愛に苦悩する男が求めているのは「異性の承認」であって膣ではない
童貞を苦しめているのは性交体験の欠如ではなく、雄の自尊を構成する「自らが女に求められand/or受け入れられた」という成功体験の欠如なのだ— 脱税レイヤー風呂屋さん (@557dg4) March 27, 2018
ドストエフスキーの罪と罰でも、ソーニャがいて、ラスコーリニコフは普通になった。結局は可愛い女の子との記憶がないと楽しくないなんて、なんだか寂しい気もする...。
そういった成功体験、物語、あるいは神様と、そしてその成功体験、物語、神様を確実なものにするために、社会生活からの隔絶されて初めて、英雄は生きているのかもしれない。また、奇跡が起こって元の人のいる社会になったら、そういう辛い世界に戻ってしまう。
結局、我々は物語という神様から逃れられないのではないだろうか。でも、ある意味、生物学的に優れている人も、そういう自分は優れているという物語の中に生きているのかもしれない。その物語も、所詮は相対的なものでしかない。絶対的な基準ではない。
神様なんかいないんだ、という姿勢は、結局、俺はすごいんだぞ、という自分の物語、世界を押し付けているだけで、どこか、酷い気もする。
人間は(信じたいと)望むことを信じる。
Homines id quod volunt credunt.
逃げられないというより、作るしかないのかもしれない。自分が、いま生きている世界を。ある種の不条理、社会的な不条理は、物語を作ることによって、乗り越えることができるのだろうか。それは自分ができる範囲でということか。
クルスくらい追い詰められた人間にも希望を与えるというのは、正直かなり厳しい気がする。クルスは神様になるしかない。普通の人間ならできるだろうか。もう少し文章をまとめたい。
レベルの低い作品のダメさに引っかからずに楽しめてしまう人の人生が豊かだとはあまり思わない。
本当に良いものを知っていたらほとんどの作品がゴミに見えて当然。
別に粗探しするわけでもなく、漫然と見てるだけでもダメなものはダメとわかる。
見る側にある程度哲学芸術方面の理論体系についての理解やその他専門分野の知識あるいは古典芸術に対する教養があれば作り手のレベルなどすぐわかってしまう。
オタクは雑学には強いが、あまり本質的な部分をわかっていない。
与えられたものをただ受け入れ絶賛するだけの人間は知的ではないし、そういう人間が「オタク」などと言われるのはおかしい。
オタクなら偏執狂的なこだわりを持つべきだし、こだわりや哲学があるからこそ批判だってする。