はてなキーワード: 考察とは
あのエンディング自体は別に文句はない。そういたる背景は微妙にあったし考察もできなくもない。
でもプレイヤー全否定のエンディングを最後の最後でいきなりブチこんでくるのは本当にやめてほしい。
まだ残ってるミッションや施設の奪還とかそれ以上にゲームに対するやる気すらあのエンディングで削がれた。
でも広告とかで「カルト教団をぶっ潰せ!」みたいに散々煽った結果がこれってどういうことだよと
ゲーム内でもプレイヤーがそれに至るかもしれないって考える余裕と余地を与えてないのはほんとに勘弁してほしい。
「お前のせいだ」的なエンディングだけど全然フェアじゃない、まったくもって俺のせいじゃない。
他でちょっと書いたら、ちら裏に書けと信者の人に言われたので、もう少し考えた上でここに書く。
どうもこういう事らしい。
ろくに武器もない単なる女子高生が、ガチの越冬隊に混じって南極に行くという大きなハードルに向かっていた。
しらせの動機にしたところで、本人には一生の重大事でも、南極チャレンジ班にとっては「それは個人の動機でしょうが」で一蹴できる程度のものでしかなかった。
次から次に立ちはだかる問題・障害に立ち向かう雄々しい物語として、俺はこの作品を楽しんでいた。
ところが南極についてからは、内輪でなんかごちょごちょ感情のやり取りをしてるだけで、なんだか困難に立ち向かってなかった。
周囲も彼女らの個人的な感情について大変理解があり、助力者だらけだった。
例えるなら、万難を排してラストダンジョンに到達したと思ったら、ラストダンジョンもラスボスも妙に難易度低かった感覚というのか、
何か南極ぬるくねえ? って所に集約されると思う。
そんな感じ。
その本質は「恐怖」なのではなかろうか。
あそこであのアナウンスをしなければ上司にドヤされるという考えがよぎった事、それが直接の理由だと私は考える。
相撲協会では常日頃から伝統が重んじられ、その文脈を味方につければあらゆる暴力や不条理が許されてきていた。
つまり、相撲協会にとっては伝統が絶対であり、本来であればその伝統を破ることは許されないはずだ。
伝統を重んじるという行為は、今現在そこに起きている現実を軽んじることに他ならない。
今そこで何が起きているかそれが現代のモラルや法律と照らし合わせて正しいか否か、そういった事柄を徹底的に軽んじた果てにあるものが伝統の重視である。
そして、相撲業界が生み出した伝統の中に息づいているのは「相撲は神事である」という宗教観だ。
これがまさに地獄を産んだのだ。
神や精霊という形而上学的故に理解の及ばぬ存在のご機嫌を伺うために、ありとあらゆる理不尽を受け入れることが宗教のあるべき姿なのだ。
相撲を奉納する相手たる神が何を望むのか、それを必死に考察(もうそう)した結果として産まれた女人禁制の掟。
故に、あの場でああいったアナウンスが流れたことは相撲としては「正しい」のだ。
それをトップの人間が「人の生死がかかっている状況では掟も絶対ではない」などと軽々しく言うことの方がおかしいぐらいのはずだ。
なぜなら、彼らは今まで散々相撲というカルト的な伝統の力を借りて好き放題を繰り返してきたのだ。
それを今になって引っ込めるのに言う言葉がそんなに軽くていいものだろうか?
今回の事件は決定的だ。
相撲という宗教が現代という社会の中でその神性を失った事の象徴だ。
https://www.asahi.com/articles/ASL3S5VPYL3SUTIL014.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASL3S5VPYL3SUTIL014.html
のブコメには
この「やむを得ない」はゆとりのない親の諦めかもしれない
6割ってことは、これ回答した保護者自身が必ずしも優遇された側ではないってことだと思う。一種諦めみたいなものがあるのだろうか……
という疑問が当然出てくる。こういう疑問が出ることは調査側も分かっているようで
https://www.asahi.com/articles/ASL3X77LVL3XUTIL05R.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASL3X77LVL3XUTIL05R.html
そしたら今度は
「当然だ」と「やむえない」には、意識に大きな差があるように思えるが、大雑把に一括りにして、金持ちは容認してるとか、社会分断だとかと記事にするのはミスリーディング狙いにしか思えない。
なんでこの人らってちょっと横にある記事やすぐ下のブコメにすら目を通さないの?
大抵すぐにソースを誰かが貼ってくれるし
https://berd.benesse.jp/up_images/research/Hogosya_2018_web_all.pdf
良く分からんな、と思えば少し検索してみりゃいいじゃない。いやもちろん面倒だからそこまでやってられんと思うのはいいよ。でもそうであるなら「まだ良く分からんから判断保留」とあなたも待とうよ。そんな大雑把な把握状態でコメント書いちゃうのもまたミスリーディングだろ。
調査の中身や一番言いたい点をきちんと理解しているブコメもあるんだからできないことじゃないよ。
この「やむを得ない」はゆとりのない親の諦めかもしれないと元データに当たったら、ゆとりがあると言ってる家庭の方がよりこれに同調してた
聞き方ガーは脇においても、「当然だ」が増えた、「問題だ」が半分から三分の一になった、ってのは問題だろ。やむを得ないが諦めなのか何なのかは読み取れないのでそこを問題にしても何の結論でないんやで。
問.『所得の多い家庭の子どものほうが、よりよい教育を受けられる傾向があると言われます。こうした傾向について、あなたはどう思いますか』
「最低限の教育」のレベルを上げる話ならともかく、経済的に豊かであれば私的に教育に回せるお金も増える事実に対して「やむをえない」と捉えるのは当然
この問いは「経済格差は次の世代に連鎖し、貧乏人は貧乏のままである傾向がある」という誰でも知っている社会問題についての質問だ。
それを「お金持ちはお金持ちになるのは「事実」なんだから」と「事実なんだからやむを得ないよね」なんて答えてしまうなら、最近話題の「問題文が読み取れないから正しい回答ができない子供」と変わらないじゃないか。
問題. 社会格差の連鎖があり、経済的に貧しい人が教育のレベルをなかなか上げられないことが問題となっています、どう思いますか?
回答. 最低限の教育のレベルを上げる必要があります。社会格差があるのは事実です。事実に対して「やむをえない」と捉えるのは当然です。
ね、回答になってないでしょ。世の中のあらゆる問題は事実そこに存在するが「やむをえない」かどうかはその事実の"原因"によるんだから。
がんばってお金を稼ぐことが、子供に教育を沢山受けさせ、良い大学に入って良い会社に就職して良い人生を過ごしてもらうことに繋がるってのはとてもいいことだし、この良い連鎖は切れることなく続いてほしいと思う。
「やむをえない」が5割ということは、その中身は多様で、上記問題点など当然理解したうえで回答し「貧乏人は貧乏なままでいろなんて思ってるわけないじゃないか。5割をひとまとめに語るのはやめてくれ」って文句を言いたくなる人はハテナだけでもそりゃ沢山いるだろう。
問題が悪文で回答がこの三択って……となるのも分かる。明らかに誤答を誘う問題を指摘するのは正しいけど、今回のは分かるじゃん。「金持ちは貧乏になれって言うのか!」とかそういう突っ込み入れるんじゃなくて、なぜ近年「教育格差を許容する人の割合が増えてきているのか」の考察をしようよ。
プリパラでは「年頃の女の子のもとにプリチケが届く」という設定がある。
その届く時期はその子によって年齢もバラバラだったりするのだが、その設定上プリチケが届く=初潮なのではないかというそこそこ有名な考察が存在する。
正直、最初にその考察を聞いた時はキモイと思ったけれど、今考えると本当にそうなんじゃないかと思えてくる。
自分が拒否しようとも女性性を獲得していく身体と、まだアイデンティティを確立していない心。
プリパラの中では、「普段は厳しい委員長だけどプリパラの世界では語尾をつけて話すポップなアイドル」「自分のことを”ボク”と呼ぶアイドル」「男の子だけどまるで女の子のようなアイドル」(この子に関しては例外的にプリチケが届き正規に出入りしているほぼ唯一の男子)「男のように振る舞うアイドル」など、たくさんの少女が登場する。それはある意味では成長していく自分への抵抗でもあり、自己表現なのだろう。
その自己表現の場が、自らが受け入れ獲得したわけでもない「女性」をもたらしたものだと思うと、皮肉でもありそれが一種の真実なのではと思える。
身体は女性になってしまったけれども、心はあくまで自分の好きなままでいい。
私が一番好きで、憧れている紫京院ひびきはまさしくその体現者だと思う。彼女は「男性性の裏に女性性を隠す」のようなアニメによくある男装キャラではないから。
自分がそうしたいから、自分にとってそれが当たり前だから、男性として生きている。そこに、自分が好きで手に入れた訳ではない「女性性」は関係していないのだ。だから、私は彼女が大好きだ。
こうして文にしてみるとプリチケ初潮説がちょっとガチっぽいことも見えてくるし、公式側が本当にそれを裏コンセプトとして入れたのか知る余地もないがそんな風に捉えられるこのコンテンツはなかなかキモイと思う。と同時に、自分の認識よりずっと早く女性性を獲得していってしまう「女の子」にとって、ある種の救いとなってくれているとも思える。だって自分がそうだったもん。
といえでも毎月イベントに出るわけじゃなく、
不定期に支部に更新して、年に一回イベントに参加する島中文字書きサークルだ。毎月イベントに出るほど本作る体力ないし。
「同人で本作ってる」と言うと、必ず「赤字にならない?」と金について聞いてくる輩がいる。必ずだ。「あ、◯◯◯円の赤字だね」と計算してくる輩もいる。
「そりゃまあ赤字になるよ。少数部数でページ数だけはやたら多いし」と穏やかに返しているが、
心中では「うるせえ!!!!!金のために本作ってるわけないだろ!!!!!!!!!!黙れ!!!!!!」と荒れ狂っているのである。
好きな推しのやりとりとか、こんな会話とか場面とか、当方考察人間なので脳から溢れ出しそうな想いとか考えとかあるんだ。
ありすぎて早口になってしまいそうな熱を紙に、インクに込めて、一冊の本をだしているんだよ。
自分頑張った料として値段設定しているわけで、儲けるために同人やっているわけじゃねえんだよ。好きでやっている。趣味なんだよこれは。
たったいま、痴漢に遭った。
近所の女友達とこの時間まで2人で飲んでて、お互い徒歩で家に帰れる距離だから、飲み終わって「おやすみ〜」といつものように解散。
家まであと3分位の距離。歩いてたのはトラックも車もひっきりなしに走る大通り。飛び出したら死ぬなっていうくらい、猛スピードでみんな走ってる。
この時間だから人はほとんど歩いてなくて、油断してた私がいけなかった。
後ろからきた自転車を避けようと、歩道の端にそれた瞬間、ブレーキ音とともに「ガシッ!」とお尻を鷲掴みにされた。男の指が尻の割れ目に食い込んだ感覚がした。気持ち悪かった。
痴漢に遭った人の体験談で「怖くて声も出なかった」というけど私はとっさに声が出た。なぜか「Fu*k you!!!!!!!」と道路中に響き渡るバカでかい声で叫んだ。
自転車痴漢野郎はシャーーーッと車輪音をたてて立ちこぎで逃げ去って追いかけるのは無理だったけど、曲がった角めがけて走った。
角に着いても自転車痴漢野郎の姿はとっくに見えなかった。どんだけこぐの速いんだよ。つーか、逃げ去るくらい弱気から痴漢なんかするんじゃねえよ。次あったらまじでこ●す。玉という玉を握りつぶす。
五臓六腑が煮えくり返りそうな怒りがわいてきたんだけど、冷静になったらいきなり虚しくなった。
これだけ怒っても逃げたやつの顔も分からなければ、痴漢された証拠すらない。
大声で叫んでやったと思ったけど、聞こえた人は誰もいない。
これから先の人生、痴漢に遭った事実を知っているのは世界で私と、クソ自転車痴漢野郎の2人だけ。
悔しい。悔しくてたまらない。行き場のない怒りと虚しさと物悲しさで体が震える。いまでも震えてる。なんであんなやつのために私の貴重な細胞が震えなければならないのだ。
じゃあどうすれば良いのか。
警察に電話する?不審者情報として流してもらう?たしかにパトロールはしてくれるかもしれないし、自転車痴漢野郎がその情報を見ていたとしたら危機感じて他の人にはしなくなるかもしれない。
でも、通報したところで「そんな時間に女1人で歩いてたあなたが悪いです」と言われるのは目に見えてる。そりゃあ悪いよ。でも露出度は極めて低い、身体のラインなんて一切わかりそうもない服装だった。それでも痴漢に遭ったあなたが悪いですと言われるのかもしれない。
気弱なクソ自転車痴漢野郎。逃げたお前は恥そのものだが、結果としてそれはお前の勝ちだった。無意味に叫ぶこと意外、なにもできずにこうして匿名ダイアリーに書き捨てるしかない私の負け。
清く正しく真面目に生きていたところで、卑しくも逃げて生き延びて得する人がいる。
明日からの私の人生には、夜中に自転車痴漢に遭ったという汚点だけが人知れず残る。
一方でお前は「姉ちゃんのケツ触れてうまく逃げられたぜラッキー」とか大したことない幸運を感じて明日からの人生送るんだな。
以前、若者の果物の消費量が減っているのは貧困化が原因でないかという考察の記事があって、それに「かんけいねーよ。ただ食わないだけ」というブコメが殺到してた。
でもさ、果物ってスーパーの入り口の一番目立つところに華やかに陳列されてる、超おすすめ商品じゃん。
「お、このイチゴうまそう。食ってみよう」とかなるよな。
けいおんからじわじわと感じていたストーリーの不要性、求められるのはキャラクターの可愛さ・関係性と舞台装置。
その後艦これ、刀剣乱舞あたりが流行し、二次創作という場で大流行した。
キャラクターの見た目と方向性と舞台装置である世界観だけが用意され、
多くは語られない。
キャラクターと舞台だけは共通しているのでオリジナルとも言い難い。
それに、多くの人が手に取れる仕組みだ。
最初にあらわれたキズナアイはただユーチューバーの見た目を2次元に落とし込んだものだったが、
ここに来て鳩羽つぐが登場。
世界観とキャラクターのみの提示を、アニメの枠を超えてしてきた。
ただそこにいるだけで、雰囲気を作ってしまったので、あとは勝手にファンが妄想や考察を繰り広げるだろう。
ストーリーの死というべきか、「誰かと共有すること」が前提でありそこが全面に出たからこそ時代に合っているのか。
楽しんだあとで、誰かと共有するのだ。
今まではそうだった。
そしてストーリー→共有の流れが変わる。
ただの「共有」だけ、それだけでいいのだ。
ストーリーを楽しむ、ということ自体がアニメやオタク界隈から切り離されていく感覚がある。
もはや別物なのかもしれない。
アニメは同時放映という強みがある。
ストーリーがなければネタバレ禁止だとか、他人への配慮の煩わしさもなくなるのでは。
コンテンツの消化スピードが上がり続けてここまで来たかという感じ。
まだ未知すぎる
女性専用車両とかではないんだけど、
ホームで並んでる時も、女性が意外と固まってら気がしたんだよね。
考察としては
1 : ホームで並んでる時に、女性が固まりやすい。安心感かな。
海外ブログから原書の該当部分の引用だけ拾ってきたので考察は任せた
In the early days of airmail flying, the mail pilots came to believe that their crash rate was unacceptable, even for people accustomed to danger. Finally, a group of them convinced the U.S. Air Mail Service that postal supervisors at the airports were ordering them aloft in bad storms and poor visibility. The solution? Not a new regulation spelling out what weather was safe and unsafe, but rather this simple order: if an outgoing pilot desired, his supervisor had to join him in the cockpit to fly a circuit around the airport before the pilot went off on his mail run. Quickly the supervisors’ tolerance for bad weather dropped.
先程400ぐらいブクマついて
ブコメと増田合わせて300レスは議論が出た増田エントリが消えた。
それなりに意義のある話題だったしネットのログとして残すべき価値があったと自分は思う。
だって300人から発言したい人間を集めてコメント貰おうとしたら結構なコスト掛かるよ?ログとして残しておけばこの時期に於ける日本の社会考察としてライブラリとなったはずだ。
いや止めようが無いし消す自由は当然あるよ。それが増田だから。
だけど議論に参加した人々のコストは参照元が消え去ったことで直接ワードのサーチに引っかからないログの奥底に埋没してしまった。今までも繰り返されてきたし増田が変わらない限り繰り返すだろう。