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2017-09-12

anond:20170912092121

1.君主がいない。

であってる。

イギリスには女王がいて、日本には天皇がいるので、両国とも共和制ではない。(立憲君主制

ちなみに、君主というのは、血統で代々引き継がれる者と思ったら良い。

アメリカフランスには、そういう君主は居ないので、共和制

Wikipedia元首 の項がわかりやすい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E9%A6%96

2017-07-15

連邦議会・党試案 2

https://anond.hatelabo.jp/20170715102110

↑1「連邦議会・党試案」

ベンチャー政党

党員数が多い順に掲載・1~10ランク付け。10は1万人以上。

選挙前に調整があった場合は「事前協定」と記載

連邦各地で活動する大きめなベンチャー政党政治組織

同胞

(→穏健な複数宗教団体が共同で結成した救貧運動団体

宗教保守主義地域家族の絆、反新自由主義を掲げる。

連邦レベルでは、保守共和党リベラル派や緑の協同体と連携している。

郡部や小都市の地方議会議席を持つ。与党のケースも多い。

「反新自由主義、反無神論、反ファシスト」を掲げており

示威行動の一環として、国政選挙出馬したこともある。10)

実践家同盟(反資本主義者党、共同体党が中心)

(→反資本主義左派(毛沢東思想)グループ

直接行動を得意とするが、地方議会には党員を送り込み

地方にまず合法的事実上解放区を作る方針も持つ。郡部では半ば成功している。

都市では労組組織化企業組合の設立と地方では共同体建設も行う。

へき地など、経済的に貧しい地域では保守層にも浸透を図っている。8)

③公民ファーストの党

(→行政議会改革福祉国家建設など穏健な政策を並べているが

実は移民反対派のファシスト

都市部支持層が多い。

隠れた国家革新党の別働隊との声が高い。

一見すると穏健で柔らかそうなイメージ

革新党住み分ける形で近年、国政選挙にも出馬し始めている。

同時に地方議会でも議席を増やしている。8)

地方改革同盟

(→自由改新党を除名された地域主義者の集まり。中道右派

行政改革を掲げるが、中央集権を必ずしも志向しない。

各地の地方議会議席を持つ。連邦議会には議席を持たない。

連邦レベルでは、保守共和党民主中道同盟に所属する一部の連邦議員を非公式支援している。7)

地域生産同盟

(→特定地方州に基盤を持つ小政党農民や漁民など「生産者」のための政党

地方議会や公益農業漁業法人、福祉法人、土地改良区などの議員、役員にメンバーを送り込む。

農民と漁民のネットワークを持つ。

農本主義政党。緑風共生党や緑風社稷党とは共栄関係にある。6)

⑥新○○連合

(→連邦西部地域独立過激派

直接行動をしつつも「合法部門」が一部の州や郡部の議会議席を持つ。6)

自由改革連絡会(リバタリアン党・急進減税改革党表現の自由党)

(→3党はそれぞれ自由改新党から急進主義を理由に分離したグループ

平和裏に分離したため、除名されたわけではない。

今でも非公式のつながりはあるため、改新党の「別働隊」という見方もある。

夜警国家経済的自由放任主義。減税を掲げる。

都市部に支持者が多い。連邦議員はいないものの、若干の地方議員がいる。

連邦レベルでは、非公式自由改新党を支持している。5)

⑧生存のための共闘

(→マイノリティ主体の運動。全国的活動

非暴力の直接行動をモットーとする。

行政や半公的組織が設立した「差別に関する諮問組織」には若干の役員を送っている。

人民戦線」とは、相互に協力している。5)

解放戦線

(→アナルサンディカリストかつトロツキー主義者政党

街頭や職場労組での直接行動を得意とする。都市部に支持者が多い。

国境線の廃止と政府の解体を呼びかけており、世界革命志向する。

労組組織率はかなり高く、ストライキなどの中核を担う場面も多い。5)

10.女性の権利

(→左派系のフェミニスト団体

左派各党に入らず、独自の動きをするメンバーが結成。

役所企業に対しての直接抗議がモットー

行政や半公的組織が設立した「性差に関する諮問組織」には若干の役員を送っている。社民党の一部政治家を支持している。5)

11.地球戦線(動物の権利党・反炭素党・菜食者党)

(→環境グループトロツキー主義的な左派全国的活動

時に直接行動(街頭活動対象企業への直接抗議)をモットーとする。

過去に数度選挙擁立例があるもの

現在は他の緑系の政党のような議会主義は取らない。

ただし、一部の地方議会には少し議席がある。4)

12.スポーツ新党

(→スポーツの普及のために結成。健康志向地方議員が若干いる。

タレント性のある選手を選挙擁立して闘い始めた。3)

13.連邦進歩同盟

(→古い時代連邦政党の生き残り。

中道政党連邦主義進歩主義を掲げる。

現在は名目名誉存在に近い。

国政から遥か昔に議席を失っている。

余り独自の動きを取らず、事実上中道系の地方議員交流会となっている。

国政では民主中道同盟に協力。

今後も最低限度の地域ネットワークは、維持し続ける方針。3)

14.王党派連盟

(→連邦建国功労者宗教権威に「王位」や「爵位」を授与するべく活動する団体

右派。王党派貴族制の創設、立憲君主制派。

ただし、当の当事者の多くは君主制には興味がないため、活動は一部にとどまる。3)

15.連邦前衛党

(→連邦政府が積極に対外進出することを求める。前衛右派。

世界中を「連邦」の枠組みに取り込み、「世界新秩序」の確立を目指す。

現状の社会スターリズム規定しており、それに反対している。

自らを「前衛政治集団」と規定しており、街頭活動を盛んに行う。3)

16.自由教会(連邦シェアスぺース連絡会議隠者当事者連合

労働時間短縮会議・最低所得保障を求める市民の会・教育制度を考える会)

(→自由主義者福祉国家を求める者、宗教リベラルグループ

自由な働き方、学び方を求める。最低所得保障多文化共生も求めている。

既存の労働学校批判的な教育者市民連合体。3)

17.セックス新党

(性風俗業界に勤める人たちの団体性風俗業界の正しい認知の拡大や雇用環境向上を掲げる。雑民の党とは友党関係にある。3)

≪小さなベンチャー政党組織

連邦議会選挙に参加経験が一度でもある組織。≫

①理性会議

(→理性主義を掲げる。科学者哲学者団体

社会的アピールのための「選挙への出馬」であり

そのたび毎に活動している。2)

②愛酒・愛煙家同盟

(→いわゆる「民酒主義」を掲げる。

アルコール飲料たばこ販売や消費の推進を呼びかける。

夜の社交場こそが民主主義の原点という信念も持つ。2)

愛国会議愛国団体国家夜明け」など右派各団体。)

(→右派、直接行動主義

右派各党から金銭的援助を受けて

左派系への政治妨害目的とした政治ゴロ団体

独特の示威スタイルは一部で話題になっている。2)

④自然大麻

(→大麻合法化を目指す団体環境保護派、アニミズム

都市中心の街頭活動から山間部、離島コミューンを作る方向にシフトし始めた。

郡部の議会に隠れた支持者を送り込んでいる。2)

快楽至上党(正式名:ポゴ無政府主義者耽美主義者のための政党

(→反議会制民主主義反資本主義、脱労働耽美主義を掲げる。

労働小国寡民ブロック国家論)、快楽至上主義を掲げる

支持層サブカル層やアーティスト、ニヒリストが多い。都市部が拠点。2)

⑥憂国無境輪

(→万物尊いとするアミニズム政党。1)

禁欲

(→禁欲主義を掲げる。

アルコールタバコ販売停止は勿論、ポルノ雑誌性風俗禁止を求めている。

宗教右派系の影響を受けている。1)

意識電脳化党

(→自身意識インターネット移植して、実質的不老不死可能とする

ことを求めている党。1)

銀河連邦連邦支部(宇宙人民党、宇宙神秘党、次元同盟)

(→前衛的な宇宙人肯定派の集まり。

主張としては…

「開星」して「銀河連邦」へ加入すべきと訴える。

宇宙人次元超越者に対する連邦政府人権保護を訴える。

宇宙港」と「タイムトラベル駅」の建設を呼びかける。

突飛な主張で話題さらう。

オカルト雑誌の発行や示威行為選挙活動マス・メディアへの露出を図る。1)

10.反文明党

(→現状の世界は文明発展を急ぎすぎ、このまま行くと世界破滅が起きると信じる集団。

文明を退化させ、人口を減らして、人は自然に還るべきと主張する。1)

2017-06-29

改憲自民党

憲法押し付けって言ってる国会議員の方々

明らかに不勉強なのに国民大多数が無関心なのをいいことに事実を顧みない主張を続けている。

仮に押し付けられたから変えるという発想も幼稚だし。そういう自覚がないのかな。

それともそういう無知を利用したプロパガンダ戦略なのか。洗脳かよ。

自民党安倍総理の言う、憲法96条改正の主張もおかしい。 3分の2以上の賛成があれば国民投票を開けるというのは「ハードルが高すぎ」てダメだと言っている。それは国会議員の言っていいセリフじゃない。

立憲君主制に反するからだ。(自分立憲君主制について受け入れているからだけど、これを受け入れられない人って多いのかな? どうなんだろう。)

安倍総理は「国民過半数改正したいと思ているのに、国会議員の三分の一が反対しただけで改正できないのはおかしい」などと発言したらしい。

有権者の30%以下の投票与党になってる所が言いそうな事ではある(もちろん皮肉

それにしても論理の飛躍が過ぎるとは思いませんか? <論理的思考が極端にできない人に改憲とか政治とか任せていいと思ってるの? それは大きな損失ですよ。 いろんな機会を失ってますよ。>

現行の政治制度理解しているのか、だって国会議員を選ぶのは国民であるから、その議員を通じて民意は反映される。

国会議員の三分の二が憲法改正すべきだとなる状況は普通に考えられるでしょう。

今において憲法改正について多数の賛成が得られないのは、それが最優先事項ではないという事と理解できないのだろうか。

思い込みによってなのか理解できていないように見える。

どうしても自分の我を通そうとするような、他人を顧みることができない、我儘な子供のやるような議論

与党は大きな権力を持つ。人がある条件下で簡単暴走する事は有名。だからこそ、与党になった後は増長しないように気を付けてほしい。

誠実な議論をしてほしい。

本当に不勉強なだけなのか、確信犯なのか。自分さえよければという人に人の上に立ってほしくない。

また、人が暴走することを自覚している人そういう人がいいと思う。

稲田さんとか極右団体アジテーションしたり、芸人程度なら、普通に面白い人で良かったんだけど、国政にあげちゃだめだろ、我々国民の選択ってなんなのもうヤダこんな国、草生える

2017-05-02

これだけ見ても、日本終わってるなと実感できる。

まず国民が分断されまくっていて自公も僅差でしか野党に勝てない。

から世論調査でも、例えば戦争挑発問題だけとっても意見が分かれる。

1980年代前生まれ世代だけで、右翼支持者の大半を占めてしまう。経済成長バブル期子供青春時代を過ごした中高年が十分な政治思想教育を受けていない。

確かにゆとり世代以降の若者富裕層系の高学歴層に左翼層がいるみたいだが、 それも日本社会陳腐化と老朽化する日本から人口流出(少子化ではない)で、これから日本国全体が更に凋落するだろう。

そもそも日本全体を見渡した時、日本でなければならないものがない。あの立憲君主制イギリスの真似。

強いて挙げれば天皇制なんだろうが、それとて国民が惰性的に支持しているに過ぎず、保守政権で反対者が少ないだけで、国民問題点に気づいて怒れば流れは一気に共和制に転落する。

また民間などでは質の高い社会システムを維持できないのも事実。使いづらさを嫌った国民公的機関に泣きつき、負債けが積み上がる現実

日本風景アジアラストベルトに、日本の政治トランプ政権になるだろう。10年後、15年後、いや、天皇制崩壊外国人首相誕生兆しから地獄が目に見えている。

懸命な高学歴ゆとり世代勝ち組諸君らに対しては、日本から脱出することを強くお勧めしたい。

2017-03-20

最近の若者をみて思うこと

昔の道路写真警察資料を見ると、気付くことがある。免許を持つ若者が少ないということだ。徒歩が多くいたほか、自転車を使う人がかなりいたし、駐車場駐輪場コンパクトだ。今の日本のように、公共交通マイカーオートバイかの構造はない。寛容性があるから選択肢も多かったのだ。

また、今では考えられない程に車やバイクを持つ若者も多かったが、たとえばそれで通学する者はいなかった。もし今のような非寛容主義論理昭和に当てはめれば、都市部の一部を除いて学校駐輪場学生の乗り物ばかりになっていなければおかしい。しかし当時の若者空気を読むことの前に普遍的価値があることをわかっていた。

今の自転車乗りが四六時中ずっと子供貧乏人だらけで、理由が「持つものにふさわしくないから」というのは、そもそも気がくるっている。若者向け二輪車の数が減ってるにもかかわらずユーザー数が2012年以降突然増えたのも、今時の風潮の影響だからだろうが、そもそもその前に普遍的倫理常識文化価値に立ち返るべきだ。

たとえば1990年代2000年代がそうであったように、バイク所持そのものを止めさせるのもいい。道路交通の数を減らし、当然公共交通への負担は増えるわけだが、今はバスがあるので誰も困らない。

そして、大人交通も、例えば自転車制限されても誰も困らない。どうせ今の大人は貧しい人や自転車すきでもない限り自転車ロードバイクなんてみっともないから乗らないんだし。自転車は全部若者に渡したほうがいいし、実際アジア自転車乗りの大人は一部地域を除いて少ない。欧米は危ういけど。

平民ないし持つ層も、公共交通の混雑や車内での外国語の多さに辟易する暇があったら、そんな風習を改め、自転車オートバイマイカーで移動した方がいい。

鉄道交通業界商売根性の件のようなことがあるくらいなら、鉄道既得権を守ることは無謀で限界なので諦めるべきで、公共性ありきに回帰することでゆるやかに最適化していくほうがいい。そうして他の公共交通などでカバーしつつインフラへの負荷を緩やかに減らそうよ。

2011年原発業界と同時に鉄道公共交通ビジネスは突然死した。福島原発地震津波や爆発で死んだら、日本各地の原発が止まり原発だけでなく、鉄道みたいな電気依存する交通インフラバブルも一端全て終わった。2012年に「所謂暴走族がほぼ撲滅状態になった」という建前の元にバイク3ない運動事実上死んだ。いまはJR九州のあの列車成功バブルが復活し、一部の原発運転再開したが、多分この状況も決して安泰ではないだろうと思う。

今度、突然死が起きるとしたら、それだけの話ではなく、社会が、文化が、そしてそれらすべてを束ねる現代文明が倒れるリスクがある。というか、日本右派立憲君主制度が倒れれば連鎖的にその庇護にある日本の伝統社会が一気に終わる。これは本当に怖いことなので、「終活」と「進化」を始めてほしい。

2017-03-05

現代社会をみていると

2010年代後半は1990年代の焼き直しではないかとも思えてくる。

アメリカを見ればゴルバチョフ並みの革新政権

韓国を見れば北朝鮮崩壊予兆

日本を見れば立憲君主制危機

そうやって、大国としてのアメリカ崩壊して、韓半島統一されて、日本共和化して…。

結局1990年代と同じことがおきているということか。

嫌な予感しかしない。

(※2017年3月安倍政権自公政権については終了の、鉄道に関しては第二次世界大戦時並の統廃合・公営化、モータリゼーションの再来、景気回復フラグが立ちました。ますます憂鬱になる。)

2016-08-28

今の「日本」が出来たのはいつ?

神武天皇即位した時?

大日本帝国憲法施行され、立憲君主制となった時?

日本国憲法施行され、主権天皇から国民に移動した時?

サンフランシスコ講和条約が発効され、日本国民主権回復された時?

2015-07-20

徴兵とか徴用される順番

現在兵器は、パソコンサーバーや高速通信機器総合体なので、北関東ヤンキー風の体力派のあんちゃんよりも、SEとか運用の人とかプログラマとかが真っ先に軍に取られていくと考えられる。

兵器オペレーション以外にもサイバー戦争要員としても利用価値が高い。

海を渡った戦地へ赴く必要がないとしたら、企業ごと徴用されるかもしれない。

運輸関係は、真っ先に徴用されるだろう。日通とかクロネコとか佐川とか日本郵政とか軍需輸送受託するようになる。

次に建機メーカー。造船メーカー自動車メーカーも準国策企業になるように法改正されるかもしれない。

この法改正というのがポイントで、日中戦争日米戦争当時の日本法律に基づいて国家運営されており、あの「国家総動員法」ですら国会議決によって施行されている。

戦前日本軍事国家ではなく、立憲君主制に基づく民主主義国家だった。なのに戦争を止めることはできなかった。

世界恐慌に端を発する不景気対策をどうするのか、食い扶持がない人々をどうするのか、エネルギー政策をどうするのか、欧米列強植民地をとして屈するのかといろいろな要因が重なって、誰も責任を取らない体制ができてしまってあのようになってしまったのだろう。

戦争に敗れた原因の研究とそれを補っていく国家目標必要だ。

戦争をしないという決意は、大切だろうけど、周りのいじめっ子が隙あらばけんかを仕掛けている状態で己を守るにはどうすればいいのかという問いに対しては常に考えを深めて、実力行使にならない道を探ってしかなくてはならない。

2015-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20150116000036

俺には日蓮の教えはモロにヘイトスピーチしか聞こえないし、頭がオカシイとまで思う。

今の日蓮宗マイルドだが、かつての日蓮宗はそりゃ凄かった。

天皇折伏し、日蓮の教えに帰依させることにより、日本を真の神国とならしめ、臣民、そして世界人類教化することにより理想世界を作る、と真面目に考えてたらしい。

戦前だって立憲君主制だし、一応は議会制民主主義だったわけだが、その辺のことをすっ飛ばして、絶対君主制しか君主の上に宗教があることを目指すとか、もうクラクラするくらいな連中だったようだ。

そんな日蓮の教えに狂信的な信者として、有名どころだと石原莞爾やら宮沢賢治などがいる。

石原莞爾面白い人物だと思うし、宮沢賢治童話は好きだ。

彼らとと共存できないかと言われたら、共存できるように思う。

2014-06-10

立憲君主制成功例は、実はレアケースでは?

タイクーデター政変が起こったが、その背景には「現国王の高齢化」(いつ崩御してもおかしくない)と、「王位継承の争い」がある。

また、スペイン王室代替わりし、国内に王政廃止論が高まっているらしい。

ということで、立憲君主制の2国が、状況次第では「立憲君主制の危機」「共和制移行の可能性」という事態になっている。

最近では、ネパールが、あっさりと王政から共和制に移行した。

このように眺めてみると、実は「立憲君主制」というのは、政治学が想定しているような安定的制度ではなく、

実は「極めてイレギュラーな、極めてローカル政治形態」なんじゃないか、という気がする。

共和制移行過程の過渡期の政体で、最終的には共和制に移行してしまうんじゃないか、と。

言い方を変えれば、立憲君主制君主存在意義が、以前と今では変わっている、だから立憲君主制不安定になっているのかもしれない。

かつては「立憲君主制の国と絶対君主制の国」で国際社会が成り立っていたから、外交儀礼君主存在意義があったが、

今は「立憲君主制の国と共和制の国」で国際社会が成り立っているから、君主存在意義を発揮しづらいのでは?

ところで、この文脈において、日本は「立憲君主制」なのか?「共和制」なのか?

2014-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20140223140809

日本自力民主化できずってお前歴史知らないバカなの?

戦前から立憲君主制民主主義でしたけど?

普通選挙フランスと同年だったけどフランス民主主義じゃなっかったって言いたいの?

歴史も知らない無知がしゃべるなアホが

2013-09-23

なぜフランス革命は分かりにくいのか

フランス革命は、平民(第三身分)が旧体制を打破した革命である

のように説明されることがあります。この説明は間違っているわけではありませんが、「平民」という均質な集団一丸となって何かをしたかのような誤解を与える点で、フランス革命の内容を分かりにくくもしています

平民(第三身分)は、農民都市の下層住民を総称した民衆と、民衆よりも裕福な中間層であるブルジョワからなります(職人を雇わず家族だけで仕事をしている親方や店主ぐらいが下層のブルジョワ民衆との境界層です)。しかブルジョワ民衆意識の上でも利害的にもあまり仲がよくありません。

ブルジョワ民衆は協力関係にあるよりもむしろ敵対しており、それぞれ自律的に行動していたととらえる方が、フランス革命の動向が分かりやすくなります

実際にフランス革命の流れを追ってみます

革命が始まるまで

普通フランス革命の期間は、バスティーユが襲撃される1789年7月からロベスピエールが処刑され恐怖政治が終わる1794年7月までの5年間、またはナポレオン総裁政府軍事クーデターで倒す1799年11月までの10年間とされます

しかしその当時フランス社会構造がどのようなものフランス革命が始まるまでどのような進展があったを知っていた方が、フランス革命の推移もわかりやすくなります

わかりやすくなるのですが、ここではバッサリはぶきますブルジョワ民衆がそれぞれ自律的な勢力であるという複合革命論の考え方を前提にして書かれた

などを読んでみてください。

またもっと伝統的な、革命の精神を称揚するタイプの解説として

があります。こちらのタイプの説明の方が分かりやすいという人もいるでしょう。

革命の始まり(1789年 5月~10月)

(ヴェルサイユで開かれた全国三部会は、第三身分強硬姿勢により憲法制定の議会に変身し、バスティーユ襲撃後の国内混乱を利用し封建的特権の廃止に至ります)

1789年5月5日ヴェルサイユ(パリから約25キロ)で始まった全国三部会は、採決形式でもめ審議に入らないまま紛糾します。第三身分強硬姿勢を崩さず、特権身分の中にも第三身分への同調者が出たこともあり、7月9日に憲法制定国民会議として再出発します。

しか7月11日に第三身分に融和的な財務長官ネッケルが罷免され、これがパリが伝わるとパリ市民は王の軍事行動が近いと恐れ、自衛のための食料調達武器調達に動き、焼き討ちや略奪が発生します。富裕市民政府軍隊への対抗と秩序維持のため常設委員会を設置し民兵組織します。

7月14日にはバスティーユの要塞に武器の引き渡しを求めて民衆殺到し、バスティーユ内で交渉が続くさなか襲撃が始まりバスティーユは陥落します。市庁舎まで連行された司令官ドローネーは群集に引き込まれて殺され、市長フレッセルも射殺されます

新たに組織されたパリ市当局ブルジョワ民兵(国民衛兵)を国王政府は追認せざるをえず、他のほとんどの都市でもブルジョワが市政の実権を握ることになります

一方バスティーユ占拠の報を受けた農村では、貴族が浮浪者を雇って報復をおこなうという噂が広がり、その恐怖から各地で領主の館の襲撃が行われ、「大恐怖」と呼ばれるパニック状態になります

自由主義貴族だけでなくブルジョワ議員の多くも地主であるため民衆の騒乱は早急に鎮める必要がありますが、正規の軍隊に頼ることは王や保守貴族の立場を強めることになるのでできません。そうしたなか8月4日の決議が行われます

8月4日閉会後の夜に抜き打ち的に再開された議会で、自由派貴族によって領主特権の廃止が提案され、熱狂的興奮のなか課税特権の廃止など諸特権の廃止が次々と宣言されます。大恐怖の圧力を利用して封建的特権の廃止に成功し、農民の騒乱も沈静化していきます

これで憲法の議論が進むようになり、8月26日には人権宣言が採択されます

しかし王は特権廃止の法令人権宣言批准せず、9月末には治安維持名目ヴェルサイユ軍隊を集結させます

10月5日食糧危機を訴えるパリ民衆ヴェルサイユに行進し国民衛兵がそれに続き、民衆は窮状を訴え国民衛兵は王に圧力を加えます。王は法令人権宣言批准、翌日には王一家はパリのテュイルリ宮に移されます。続いて議会パリに移り、ここから憲法と法令の議論が本格化していきます。一方で亡命する貴族が増えていき、国内政治分裂も本格化していきます

91年憲法の制定まで(89年末~91年9月) (革命勃発後1年目、2年目)

(91年半ばまではフランス革命期としては平穏な時期ですが、この時期に国内の対立が進んでいきます。また国王の逃亡未遂が発覚するヴァレンヌ逃亡事件(91年6月)によって王の威信が失墜し戦争を望む声が高まります)

議会パリに移り、諸特権廃止の内容や具体的な法律が決められていきます。ヴァレンヌ事件が起こるまで比較平穏とされる時期ですが、国内にさまざまな対立が生じていきます

1789年後半から91年にかけて、議会外に政治組織が形成されていき対立の構図ができていきます

また各地で反領主騒乱が発生していますが、そうした騒乱は徐々に革命反革命かという政治的な枠組みで解釈されていくようになります

さらに聖職者民事基本法をめぐって宣誓拒否問題が起こりますカトリック聖職者の多くは革命には好意的でしたが、叙任式における宣誓義務に対して大多数が拒否をします。議会からの警告が出されますが、地方によって大きくバラツキがあるものフランス全体で約半数の司祭が拒否します。教皇ピウス6世が民事基本法を否認したこともあってカトリックは内部分裂する事態になります。宣誓拒否司祭とそのもとにあるカトリック民衆は「反革命」に押しやられ、のちのヴァンデの反乱(ヴァンデ戦争 1793年3月~)の原因の一つになります

91年6月に国王一家がパリから逃亡し途中で発見されるというヴァレンヌ逃亡事件が起こります

これを受けて、外国支援された亡命貴族が攻めてくる、外国侵略が始まるという考えが広がり、国王救出を目的とした外国人が侵入してくるという予想から国民衛兵による警戒体制しかます

7月には主要な政治組織であるジャコバンクラブが、王の廃位共和制要求する請願書をめぐって分裂し、多数派の穏健グループはフイヤン・クラブとして分離します。

8月にオーストリアプロイセンが、フランス国王のために武力介入もありえるとするピルニッツ宣言を出したため、亡命貴族陰謀説にさらに拍車がかかり、外国との戦争を望む声が高まっていきます

そうしたなか9月3日立憲君主制にもとづく1791年憲法が制定され、9月30日に憲法制定国民議会は解散します。

開戦、王権停止(1791年10月~1792年8月) (革命勃発後3年目)

(インフレ物価上昇により食料問題が悪化し民衆の不満は増大していきます国内の多数が開戦を支持するなかオーストリア宣戦布告し(92年4月)、続いてプロイセンとも戦争状態になりますが、フランス軍の劣勢となります軍事的危機と国王への不満が積み重なり、パリに集結していた連盟兵やパリ民衆恐慌的な敵意が王に向けられ、王の廃位要求され、8月10日テュイルリ宮が武力制圧されます(8月10日事件)。これを受けて議会王権の停止を宣言し、新たな憲法制定のための国民公会召集を決議します)

憲法制定議会が解散した翌日91年10月1日に、9月までの選挙で選ばれた議員達による立法議会が開会します。再選が禁止されたため全て新人議員で、貴族がほとんど選挙に立たなかったため議員ほとんどは裕福なブルジョワです。立憲君主制を守りたい穏健派フイヤン派議会の最大勢力、共和制を主張するジロンド派(ジャコバンクラブのこの頃の多数派)がそれに続きます

なお同業組合や団結を禁止したル・シャプリエ法(91年6月)に抵触する恐れがあるため、政党存在しません。そのため、どの派でもない、審議内容ごとに立場を変える中間派(平原派)が、この時期に限らず常に議員の多数を占めます。そのため派閥議員数だけでなく、中間派の動向(またその動きに影響を与える議会外の動向)が重要になります

また議会内の各派の勢力数自体も確定したものではなく常に流動的で、各勢力をどう呼ぶかにかんしても文章によって違うことがあります

議会の中心的課題は、周辺諸国からの脅威にどう対処するかです。(それと穀物価格の上昇に対する価格統制の要求に対して、革命後の基本原則である自由主義あくまで守るのか、民衆要求を受け入れるのかも問題になっていきます)

これに対してジロンド派は、国内の不満をそらして(インフレにより物価が上昇し各地で食料暴動が発生していた)政治イニシアティブを獲得するために「自由の十字軍」などの言葉対外戦争あおります民衆の多くも「外国と共謀する亡命貴族」への脅威と愛国感情の高揚から戦争を望んでいました。

92年3月、フイヤン派大臣が王によって解任されジロンド派内閣が成立し、4月にオーストリア宣戦布告、数週間後にはプロイセンとも戦争に入ります(戦争ナポレオンが二度目の失脚をする1815年まで中断もありつつ続くことになります)。

しかし緒戦から敗戦が続き、「反革命」者へのより強力な措置を求める声や宮廷への不信から共和制を求める声が高まっていきます。またセクション(区)の政治活動を通じて民衆政治的組織化されていきます

そうした流れが最終的に民衆と連盟兵による8月10日のテュイルリ宮の襲撃に行き着くのですが、この事件偶発的に起こったバスティーユ襲撃とは異なり王の廃位を求めての組織された行動だったにもかかわらず、そこに至る決定的な原因があるわけではないので要約しづらく、フランス革命の大きな転換点の一つのわりに説明しにくい事件です。

ここでは事件の結果だけ述べると、立法議会は蜂起側の勝利がはっきりした後、王権の停止を宣言し、新たな憲法を制定するための国民公会召集を決議します。これでフランス共和制に向かうことが確定します。また国王一家はタンプル塔に幽閉されることになります

王の処刑、戦争の拡大、ジロンド派の没落(1792年8月~1793年6月) (革命勃発後4年目)

(戦争フランス軍の劣勢から優勢に変わり周辺領土占領します。93年1月には国民公会裁判結果により国王が処刑されます。周辺領土占領国王の処刑を原因として周辺諸国の多くと戦争突入し、さらに国内ではヴァンデ地方を中心に大規模な反乱が起こります議会ではジロンド派山岳派の対立が深まっていき、国内外の諸問題への対応のまずさからジロンド派民衆の支持を失い、93年6月ジロンド派逮捕議会から追放されます)

8月10日王権が停止しますがフランス軍が劣勢の状況にあることは変わりません。義勇兵がつどわれ前線への準備がなされる一方、反革命裏切り者排除する空気が広がり、家宅捜索がなされ多くの反革命容疑者逮捕されます。さらにパリへの侵攻の脅威が高まり義勇兵が出発したあと反革命者がパリ住民を虐殺するという噂も流れ出します。

そうした不穏な情勢のなかヴェルダン要塞陥落のニュースパリに届きます。これをきっかけとして、囚人の多くが殺されるいわゆる九月虐殺が発生します。

この事件の結果、内の脅威が消えたと民衆が大挙して義勇兵に参加し兵数万を増やすことになります

一方、この事件国外からの印象を非常に悪いものします。宥和政策を取っていた隣国スペイン首相宥和政策撤回せざるをえなくなり、またフランス革命開始時には革命好意的だった知識人たちも国王一家の幽閉と九月虐殺で決定的に革命嫌悪に転じます

戦況にも変化が生じますフランス軍はヴァルミーの戦いで勝利し、戦況が優勢に転じていきます。なお多くの本でこの勝利はフランス兵の志気の高さによるものと説明されていますが、志気が影響するような戦いではなく兵と砲台の数の差によるものといった指摘もあります(たとえば『近代ヨーロッパ情熱と苦悩』)。

そのヴァルミーの戦いと同日、国民公会が開会します。

普通選挙でしたが投票率は悪く、ほぼブルジョワ議員で占められていますフイヤン派出馬していないので議会におらず、共和制穏健派ジロンド派共和制急進派の山岳派、それに中間派という構図です。(ジロンド派ジャコバンクラブを脱退していくので、山岳派=ジャコバン派とも呼ばれます)

ジロンド派経済的政治的自由主義を維持し議会主導で政治をおこなうという近代的な原則あくまで重視し、山岳派革命の推進と防衛のためには民衆要求も受け入れ民衆運動の利用もありと考える現実路線です。

……とまだまだフランス革命の時期は続いていくわけですが、予想外に長くなったので中途はんぱなところですがここまでとします。

93年1月に国王が処刑され、6月ジロンド派の追放で山岳派一党独裁(ただし基盤の脆弱独裁)になり、恐怖政治の時代が翌94年7月まで続き、ここで一区切りとなります

2012-10-16

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、英語: United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、通称イギリスは、イングランドスコットランドウェールズ北アイルランドの4つの国(イギリスカントリーから構成される立憲君主制国家であり、英連邦王国の一国である。また、国際関係について責任を負う地域として、王室属領及び海外領土があるが、これらは厳密には「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」には含まれておらず、これらを含む正式な名称存在しない。

つのから構成されて通称イギリスと読んでいる事を知らない人って結構いるだろうね。

2012-08-29

韓国にとって、天皇制否定は国家のレーゾンレートル、天皇謝罪要求は第二の独立運動

大石英司氏が、

従軍慰安婦問題や竹島問題は、韓国にとっては付属利益本質的利益ではない)だが、

 天皇制否定は、韓国国家体制にとっては「体制正統性のレーゾンレートル」なので、

 この部分で韓国側が妥協することはありえない、この泥沼は数十年間に及ぶ」と看破していた。

一方の日本にとっては、(立憲君主制ではあるが)天皇制、もとい「国体」は、

日本の、少なくとも保守派にとっては国家のレーゾンレートルになっている。

韓国大統領天皇制に言及した時点で、

国家のレーゾンレートルの正面衝突」という事態に発展してしまった。

以前知人が

韓国は自力で独立を達成できなかった原罪を抱えている」と投稿していたが、

あの書き込みは本質を言い当てていると思う。

別の言い方をすれば、今回の天皇謝罪要求は「韓国にとっての、第二の独立運動」となる。

普通植民地独立は、宗主国との直接交渉によって勝ち取る。

(その過程で武力を伴うケースも多い)

しか韓国場合は「宗主国(=日本)の消滅」という特殊な独立形態を辿ったため、

独立時点で、宗主国独立国を関係付ける条約類が一切不在」という特殊状態に陥った。

それゆえ、旧宗主国独立国の関係を、後付けで現状追認する必要が出てきて、

現状追認的な条項が多い日韓基本条約で誤魔化すことになった。

その典型が「日韓併合条約は『もはや』無効」という条項

これが後々の日韓関係に影響してしまっている。

天皇に謝罪を要求する、ということは、韓国にとっては

日韓基本条約の「日韓併合条約は『もはや』無効」条項の仕切り直しを意味する。

まり「原初的に無効」であり、それゆえ、不法支配した天皇は謝罪責任が生じる、というロジックである

その意味では韓国独立レジティマシーの再確認、第二の独立運動なのである

あと自分過去

日本は自力で民主化できなかった原罪を抱えている」と投稿したことあるが、

それに関係づいた話をすると、韓国市民側は

「俺達は自力で民主化した」という自負のようなものを、持っているのでは?

そういう韓国市民から見ると、

日本民主主義国家自称しているが、天皇を抱えていて、天皇タブーがあったりして、

 民主化は不充分、俺達の方が民主化している」

と内心思っていたりしているのでは?

さら脱線するが、韓国大統領天皇謝罪要求は、

あれは意図的に戦線を拡大拡散させた気がする。

論点が「竹島」だけに限定されると、国際司法裁判所で不利な立場になるが、

話を天皇責任まで拡散させると、その辺がウヤムヤになる。

加えて、天皇責任まで持ちこんだことで、日本国内の足並みが乱れることになった。

現に、韓国非難決議に、社共は反対した。

竹島問題だけなら、社共も非難決議に賛成できたのだろうが、

論点が天皇制是非まで拡大すると、天皇タブーに反対している社共としては、

韓国非難決議に乗れなくなってしまう。

2012-08-17

絶対王政共和制しか体験したことない国民に、立憲君主制の知恵は理解できない

韓国大統領の発言が波紋を呼んでいる。

日本感覚では

天皇政治的発言を要求するのは無理筋」となるが、

韓国国民から見れば、どうなのか?

日本伝統的に

天皇権威を司り、政治的実権は将軍なり首相なりが握る」という

権威権力分離」が伝統的であり、それゆえに

権威を司る天皇に、過度に政治的マターにタッチさせてはいけない」の論理が働く。

権威を護るための知恵」である

しかし、「権威権力の分離」、或いは「立憲君主制」は、アジア的には少数派である

ヨーロッパは永年の争いの上で、立憲君主制国家のみが王室を維持できているが、

ドイツでは絶対王権戦争を指揮し、その結果ウィルヘルム2世は退位に追い込まれた。

ロシアに至っては、退位どころか処刑である

比較政治タッチしていなかったイタリア王室ですら、退位を余儀なくされた。

フランスは言うまでもない。

結局、立憲君主制がうまく行ったのは、イギリス北欧程度でしかなく、

ヨーロッパ的にも少数派である

アジアを眺めても、比較的「立憲君主的」と見なされているタイ王室も、

結構王室政治に関与している。

立憲君主的だったネパール王室親政に転じた結果、逆に王室廃止に追い込まれた。

アラブ諸国絶対王政ぶりは言うまでもない。

ということで、立憲君主制比較的うまく行っているのは

日本イギリス程度であり、全世界的には「君主制は失敗しやすい」というのが

コモンセンスではないか

で、韓国朝鮮半島を見てみると、歴史的には

立憲君主政体」を経験せず、「絶対王政」と「共和制しか経験していない。

そういう国民が、「立憲君主制を肌感覚で理解する」ことは、至難の技だ。

国民感覚として「なぜ君主政治的に責任を取らないのか?責任を取れないのか?」と

感じても、不思議ではない。

日本学生韓国学生に「なぜ日本には天皇がいるのに首相もいるのか?」と聞かれ、

返答に窮した、というエピソードがあるらしい。

民主主義君主制は両立できる」と考える韓国人の方が少数派で、

君主制というからには、相当程度、政治的権能を有していないと不自然」と考える韓国人の方が、

多数派ではないか

また、韓国で「権威」と「権力」が未分化なのは、元大統領処遇を見てもわかる。

日本なら「元首相」は権力は少なくても、「権威」として遇されるが、

韓国では元大統領は「権力」も「権威」もない。だから末路は悲惨である

ということで、

韓国人による天皇侮辱は許せない」とヒートアップする前に、

一歩引いて

「まずどうやって韓国の人たちに天皇制立憲君主制を理解させられるのか?」を

考えた方がいい。

立憲君主制は、日本的には「常識」でも、韓国的には「異形の政治形態である

2010-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20100630162218

王政支持は右、身分制反対は左で、王様は身分制の象徴。それだけの事だよ。とはいえ立憲君主制下の民主主義なので、そのあたりあまり感じないだけさ。

というか、君、もしかして右翼を悪いものだと考えてるんじゃないか?

2009-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20090321150008

横だけど

カナダニュージーランドはどっちも立憲君主制だな。日本も。

日本立憲君主制ではなくて共和制なんだという意見もあるよ。

天皇憲法にあるように国民の象徴なので、国家国民の所有者たる王ではないのがその論拠らしい。

この辺を『日本は特殊』だと自分は思っている。

http://anond.hatelabo.jp/20090321115454

カナダニュージーランドはどっちも立憲君主制だな。日本も。

日本は特殊、なんてのは大抵の場合ただの無知だよ。

という紋切り型の教訓話はありがたく拝聴つかまっておきますが、

しかし王国ってところにキーはあるんじゃないかな。

国名に「王国」とつけないのには、何か理由はあるんじゃないか?

2008-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20081128223017

こいつはお笑いだ。

民主主義を全面否定か?


2世3世だけでやっていったほうがいいのであれば、専制君主制か立憲君主制のほうがいいだろう。

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