はてなキーワード: 療育とは
そういえばこんな日記書いたなと読み返したら優しいコメントが沢山ついていて少し泣けた。
結局子供は自閉症スペクトラムの診断がおりて、中度の知的障害も併発していた。
年少の歳なんだけど幼稚園も保育園も入らないで二人で療育とか児童発達支援に通っている。
来年の事とかそういう施設の人と話すんだけど、言葉の感じから、現時点では小学校から支援学校に入るのがあたりまえだと思われているんだなというのを感じ取ってしまい、少し落ち込んでいる。
あまり先の事を考えすぎないようにしてたんだけど、なんとなく小学校くらいは学校の端っこにある、ちょっと変な子の集まる教室に通うのかなとか思っていたんだよね。そこもだめなのか。
来年の年中で幼稚園も受け入れてもらえるか怪しくて、どうしたらいいんだろう。
人並みの扱いを、人権ガー!ってわけじゃなくて、子供の療育を並行して行う上で幼稚園が一番時間の自由が親に出来るからそうしたかったんだけどさ。お遊戯会だって運動会だって、みんなの邪魔になるなら出席するつもりはないんだよ。
しょうがないんだけどさ。
あーあ。
疲れちゃった。
喋んないけど数字と文字と色の見分けはついて、ものの名前もいっぱいわかるのに駄目なんだって。
クラスの人気者になんかならなくていいから、汚いとか意地悪とか、そういう落ち度がないなら嫌われる事のない子に産んで育ててあげたかったなー。
ごめんね、増田がお母さんでほんとうにごめんね。
手遊びとか、人とのコミュニケーションとか、自分が周りと比べて出来ていない事はうちの子どもは理解している雰囲気で、それに劣等感を感じているのを見るとたまらなくなる。
本格的に人との違いに苦しみだす前にわけわかんないうちに一緒に死んじゃった方がいいのかな。
でも死ぬ時まで、死んだ後も一緒の墓でこの子の面倒みないといけないの正直やだなとか頭の隅で思ってしまう最低なお母さんでもある。
どうするかはそのお母さんの自由だけどさ、覚悟とか、選択する自由があるといい。
毎日しんどすぎて困る。
たまに奇跡が起こってうちの子がべらべら喋れるようになる夢とか見ちゃうんだ。
朝起きたら絶望なんだけど、それでもあの幸福な気持ちは何にも代えがたい。
今日もあの夢がみれるといいな。
はっきりと見た目からヤバい子がいた。小学生くらいで大柄でこぶとり、目が吊り上がり、落ち着きなく待合室の中をあちらこちらへ移動していた。周りの人たちは、はっきり出さないまでも少し警戒している。
しばらくすると明らかに年齢差があり、ふつうの小学生なら視野にも入れないであろううちの娘の隣へ来て、べったりくっついて絵本を覗き込んできた。ああこれどうしようかなぁ、と思ったら診察に呼ばれたので逃げられたけれど。
立ち上がりながら、保護者なにやってんだ、と待合室を見渡すと、それらしき方がいた。落ち着いた服装でおそらく30代くらいで、ぐったりとソファの背もたれに寄りかかってものすごく疲れた顔をして、でも自分の子どもをしっかりと見ていた。目が合ったので会釈すると、会釈が返ってきた。
ああそうか、このお母さんは精一杯やっているのか。たぶん目を離さないようにするのでやっとなんだ。子どもの対応で疲れ果てているけどそれでも義務はきちんと果たさないといけない。ほんとうはきちんと声をかけるべきところ、癇癪を起こされないことのほうが優先されるということだと思われる。
なんてつらいんだろう。
おなかの中にやってくる子どもはおおよそ親の気質を受け継ぐ。よく寝る子、寝ない子、おっとりした子、神経質な子、静かな子、うるさい子。そのなかには、いろんな精神的疾患(これで呼び名合ってるかはわからない、間違っていたらごめん)を持って産まれてくる子がいる。これは気質と似て非なるもので、療育や投薬でうまくつきあっていくものではあるけれど、治るものではない。
このあたりのことは難しい。
療育がうまくいけばいい、でもうまくいかなかったら?ただのモンスターだ。ひどい言い方かもしれないけど、意思の疎通ができず、欲望のおさえがきかない人間を四六時中みていなければいけないとなったら、それは愛だけでなんとかなるものではない。
ほんと、どうしたらいいんだろね。
イクメンっていう言葉の響きは気持ち悪いなと思うんだけどさ、良い父親であるかどうかってのは資質の問題であって善悪で断じても仕方ないだろうという気がしている。
俺には小学生の子供達がいる。発達障害があるんで2歳から療育に取り組んでいる。
遠い病院や療育施設に通ったり、自宅で自分で療育したりとかいろいろしてきた。
ただ、料理はほとんどしないので、所謂イクメンと言っていいのかわからないけれど、家庭を蔑ろにするタイプではない。休日は子供達の用事でほとんど埋まってしまう。
このことは大変ではある。ただ、嫌なのかと言われるとそんなことはない。何故なら子供達が好きなので。
独身時代の自分を知る人には変わったと言われる。自分としては実は変わっていない。
独身時代は趣味が一番大事なものだった。だから没頭した。他はどうでも良かった。
今は子育てが一番大事で他はどうでも良い。自分の中で大事なものが変わっただけで自分自身は何も変わっていない。
子供たちを大事にする一方で親や妻への配慮は足りないんだろうと思う。大事なものはいつもひとつだけで他に配慮が足りないのは変わっていない。
別に責任感とかそういうので子育てをしているわけではない。子供達が好きなだけ。好きになるのは努力ではなくて、自然とそうなっただけ。好きなものには自然と力が入るもんだ。
だから世の中の奥さんの夫に対する溢れる怨念を聞いてもその夫が悪いとは思えない。
自分だって自然に子供を好きになれなかったら独身時代と同様に趣味にかまけていたのかもしれない。
良い父親になれた人はラッキーなだけで偉いわけではないんだよな。
全部バランス取れている嫌われる勇気な人が理想なんだろうけど、なかなかそう上手くはいかんよね。
父親に責任感の下での理想的なあり方を求めるよりも、子供を好きになってもらうためのメソッドを考えた方がいいと思うの。
どうしたら良いかはお前ら考えろや。
ここ最近、発達障害の人が増えてる、と話題になっている。学習障害やADHD、アスペルガーなど
いろいろあるみたいで、大人になってから診断を受けた人も増えているんだとか。で、こういうのって、
生まれつきの脳の障害が原因らしく、適切に療育を受けることが肝心だと言われているようだ。
でも、こういう人って、今は発達障害だって言われるけど、昔からいたよなあ、と思う。ただ、
昔は単に「ちょっと変わった人」だと片付けられていただけで…。クラスに数人は、こういう人たちって
いただろう。
僕自身も、アスペルガー気質を持っている。実際に診断を受けたことはないけど、あまり空気が読めないし
正直者だし、数字好きだし、鉄道好きだし…。今の自分は30代後半だけど、もし子供時代に「発達障害」なんて
いう障害が今のように問題視されていたら、自分にも診断が下って障害者として生きていたのかもしれない。実際に社会人になってから、
周囲と自分とがあまりに違いすぎることに対して生きづらさを感じてきたし、それゆえに、サラリーマンであることを
でも、アスペルガーの人って、「言葉を言葉通り受け取る」ことが問題のようだけど、個人的には
言葉通り受け取って何が悪いんだ?と思う。そもそも誤解させるような言葉を発する方が悪いのでは?と
思うし。例えば、職場の上司に「やる気ないんなら帰れ!」と言われたとして、「はい、分かりました」と言って
帰るのが問題だと言われるけど、そもそも、そんな風に怒る方が悪いのでは??ただ、これに関しては
僕も1回、言葉通り受け取ったことで、かなり痛い目に逢ったし、以後は、こういう怒り方をされた
場合でも帰ってはいけない、ということを学習したので、帰らないようになったけど…。
まあ、アスペルガーの人であっても、このように1つ1つ「この場合はこうしてはいけないんだ」という
ことを学習していくことで、徐々に生きやすくなっていくのかなあ、と思う。また、たとえ発達障害で
あっても、少人数でも気心が知れた友達がいるんだったら、それは「障害」じゃなくて「個性」と呼んでもいいような
気がする。実際に僕にもそういう友達や仲間がいる。発達障害って問題だと言われている
けれど、本当に問題なのは、学習能力が無い人や、友達が1人もいない人なのではないだろうか…。
僕は、もうすぐ独立してフリーで働くことになるけれど、フリーだったら、集団の空気を読まなくて良いし、自分の
目の前にいるお客さんのことだけを考えて仕事ができるので、これだったら何とかやっていけそうだ、という気がする。
2ケタの繰り下がりのある引き算を教えるのは、小1の終わりぐらいじゃなかったっけ。これから入学ならそこまで焦らなくてもいいような気もするが、その辺は療育の先生と相談か。
お子さんがマイナスの意味が理解できたのなら増田の方法でもいいけど、そうじゃない場合は教科書通りのオーソドックスな方法の方が、学校の先生や教え方との調和は取りやすいかもしれない。10をいったん借りてきて後で返す方法が一般的のような。
あとは自閉症の症状の出方にもよるが記憶型ならいっそ暗記させるのも手という気もする。自分が教わっていたころは、繰り上がり繰り下がりの加減解は20+20、20-20までは、九九と一緒で暗記すべしだった。暗記しなかったから今でも割と引き算嫌いだ笑
春から小学生の子供に引き算を教えているんだけどね、どっちの方向で教えるか悩んでるんだよ。
うちの子自閉症でな。療育の結果、ほぼ普通っぽくなってるんだけど、お医者さんに小学一年生で学ぶ漢字と足し算引き算は入学前にできるようにしておけって言われてやってるわけ。
まあ、それは余談でここからが本題。
例えば、16-9ってどうやってる?
俺はね。6-9=-3だから、10-3=7って感じの暗算でずっと生きてきたんよ。
でもさ、どうやら、10-9+6って考える方が一般的みたいじゃん?
はてなーのみんなはどうやってる?
みんなの最終学歴とか、なんとなく数学力がわかる指標とともにアドバイスもらえると嬉しい。
どっちがいいと思う?
うちの母はスラッとしたカッコいい女性が憧れだが自分はチビデブ(母の談)だからそういう格好ができないといつも口癖のように言っていた。そのせいか、娘である私にボーイッシュな格好をさせたがったし、そんな格好をさせられた3歳の私が道であった外国人に「ボーイ?」とニコニコ声をかけられたというのが、母からもう何千回と聞かされた自慢話だった。
でもその裏で、幼児だった私が欲しいと言ったお姫様ドレスも、みんなが履いていた段フリルのスカートも発表会の花柄ドレスも全部罵倒の対象だった。笑ってバカにして、私にさせてる男の子っぽい格好やスッキリとしたデザインの服が一番可愛いと何度も言った。うちの子が一番可愛い他の子は全く可愛くないと。他の子はダサくて芋くさくてどうしようもないと。私は常に誰かへの否定を聞いて育った。
◇
私は発達の早い子供で、文字が読めるようになるのも抜群に早かった。賢い子ってのが小さい頃からの周りの評価で、周りの多くの人達が「ご両親に似たのね」と言った。母にはそれが最高の自慢だった。でも、私は高学年になる頃には落ちこぼれて、勉強について行けなくなった。
勉強しろと何度も言われたけど、勉強のやり方もわかっておらず、結果は出なかった。そんな中でも自分なりに考えてテスト前に一生懸命作ったノートを母に見せたら「今更そんなことしてんの」とまたバカにされた。机に向かえば「明日は雨が降るんじゃないか」と、わざわざ私の部屋を覗いては、母は何度も笑った。
中3の頃、教室で私立高校の案内本の制服特集を眺めていたら、担任が「ここの制服可愛いよな?どうや?」と私に勧めてきた。可愛い制服がウリの偏差値はお世辞にも高くない学校。今思えば私の学力にちょうどいいレベル。
でも私の答えは「制服がバカっぽいから嫌」担任がものすごく驚いた顔をしたのを見て、自分がひどい事を言ったことに気づいた。二度と口にしなかった。でもこれは母からずっと言われ続けてきた事そのままだった。バカっぽい制服。そんなところには行くな、と。
◇
結局、私は高校は地元の底辺校に進んだ。その程度の成績しかなかったからだ。入学説明会の日、同じ高校に進む事になった近所の小学校からの同級生の子のママさんが「お互い良かったですね」と母に声をかけたんだそうだ。そのママさんは高校合格を素直におめでとうという気持ちだったんだろう。
入学説明会からの帰りの車の中で「なんであんな子の親に『一緒でよかった』なんていわれなくちゃいけないんだ。恥だ。」と殴られた。この件はさすがに母も後からやり過ぎたんだと思ったんだろう。数年が経った頃に「あの時は悪かった」と潤んだ目で唐突に謝られた。「別にいいよ」と私は小さな声で答えたけど、それ以外の返事が許されただろうか?
◇
大学は家を出て、実家から離れたところで一人暮らしをした。相変わらず私の成績は悪く勉強も好きではなかったが、大学進学は幼い頃からずっと母に言われ続けてきた進路だった(短大、専門、就職は母の激しいdisりの対象だった)し、一人暮らしも母がそうさせたいと強く希望した事でもあった。なぜなら、母自身がそういう学生生活を送ったからだ。
一人暮らしを始めてから、バイトをしたいと何度も言ったし、実際いくつかしたけど、その度に母は「学生のうちから働くな」「金なら全部出してやる」と繰り返し、実際私がシフトがあるから実家に帰れないといえば「そんな事より家族を大事にすべき」「親不孝だ」と私がバイトを続ける事を良しとしなかった。
それに乗って「じゃあいいか」と甘えた私にも問題はあったのだろう。しかし、それからはずっと「あんたは親に全部金を出させた親不孝者」「あんたは恵まれている。親に感謝すべき」「すねかじりが偉そうに金返せ」と言われ続けている。
自分が認めなかった事も、自分がそうするように私にいい続けた事も、母の中では全部なかったことになって、私の希望を全部言われるままに叶えてあげた優しい親だと自分の事を思っている。そして「子供の犠牲になったかわいそうな私」と繰り返しアピールするのが母のいつものパターンだった。
◇
同じ頃、父の浮気騒動があった。母は荒れた。何度も実家に呼び戻され、家族のための時間を過ごせと言われた。当時高校生の弟と二人で、母から涙ながらに「お父さんは『エッチはしてない』と泣きながら話した」と聞かされた。何で自分の親のそんな話を聞かなくてはいけないのだろう。心底気持ち悪いし聞きたくもないと思ったが、黙っていた。弟も何も言わなかった。
泣いて喚く母の話を何度も聞き、母を否定しないように過ごした。少しでも母を否定するニュアンスのことを言えば「あんたまで私をコケにするのか」と罵られるからだ。散々罵倒されたあとは「あんなことを言って悪かったね」と泣かれる。そして「いいよ」と私は言わなければならない。おきまりのパターン。そんな気持ちの悪いやりとりをできるだけ避けたかった。
両親はその後関係を修復したようで、この頃の事はなかった事のように蒸し返されることのない家族のタブーになった。
◇
母は当時はまだ少数派のフルタイムWMだった。父も一流企業の研究者で、高給取りだったので、母は止むに止まれず働きたくないのに働いていた…というわけではない。母も仕事がしたかった人だった。それは別に生き方の一つの選択だと私は思う。
でも母はそうは思ってなかった。働く自分は最高で、専業主婦がいかに無駄で無能か、そんな選択はバカだ、そんなだから○○ちゃんの母親や××ちゃんの母親は…と友達の親の非難を何度も子供だった私に聞かせた。
私が学生の頃も社会人になったあとも母と同じ職を選べと何度も言われたけど、それは断った。資格を取るための金も出してやると言われたけど、その職に興味がないからと避け続けたのは、今となっては本当によかったと思う。
私は妊娠した時に、仕事も辞めて一旦専業主婦になる道を選んだ。旦那の希望でもあったし、私の希望でもあったから、私たち夫婦の中ではそれで問題はなかった。
でも、母は自分が散々バカにしてきた専業主婦の道を自分の娘が選んだことが面白くなかったようで、私が悪阻が辛いと寝ていると聞けば「私は仕事をしていて悪阻なんかで倒れていられなかった」と電話をしてきては繰り返した。
産後、初めての育児がしんどいといえば「専業主婦がしんどいわけあるか」「専業主婦のくせに忙しいわけがない」とバカにして笑った。その後にはいかに自分が働きながらの育児に苦労したか辛かったか、そんな思いをさせたあんたは親不孝、感謝すべきという言葉が必ず並んだ。
◇
産まれたうちの子供は障害児だった。たくさん本を読んでネットでもたくさんの親子に関する情報に触れた。親子で療育にも通い、子供への接し方についても多く学んだ。そんな事をしながらの第二子の妊娠出産。ここまでそれなりに大変な育児だったように思う。
そして、そんな子育ての中で薄皮を剥がすように少しずつ少しずつ、母の私に対するあれこれはおかしかったのではないか?そういう思いが私の中で浮かんでは消えていた。
◇
数年前に実家はリフォームをした。私はインテリアや住宅特集を見るのが子供の頃から好きで得意だったのでアドバイスをして欲しいと言われ、何度も実家に通った。担当の営業マンと、ここはこういう風にした方が…なんて話を一生懸命していたら横で聞いていた母が「はっ。偉そうに。」と吐き捨てるように言い放ったのは今も鮮明に蘇る。
自分が手伝ってくれと呼びつけておいたものの、娘が自分を差し置いてイキイキと一人前に話をする姿に耐えられなかったんだろう。思えば、子供の頃から私が何をするにも「偉そうに」「いっちょまえに」「でも○○はできない」という言葉が付いてきたな、と思った。この頃から違和感がはっきりしてきたように思う。
◇
定年を迎えた母は頻繁に我が家に来るようになった。孫へと過剰なほどの物を抱えて「ここに来ると金がかかる」と口癖のように言っていたが、どこにでもいる孫に甘すぎる祖母の姿だと思っていた。
母は会うたびに、私の掃除の仕方、家事の仕方、夕飯のおかずの品数、体型、服装、生活全てを笑いながら否定し、自分はいかに頑張っているかを語っていたが、私は黙って聞いていた。母にとってそれは最高に面白いジョークのつもりだったからだ。
内心では苛立つ事もあったけど、それを表に出せば、それ以上の言葉で否定されるのがわかっていた。母のその性格が治る日が来るとは思えなかった。老いていく母にもうそれを指摘するのも酷だと思っていた。だから私は何も言わなかった。
他人からみれば、楽しそうに会話する仲のいい母娘に見えていただろう。
◇
しかしついに母と揉めた。きっかけは些細な売り言葉に買い言葉だった。私の中で剥がれ落ちた薄皮は相当な量に達していたのだろう。違和感に私が我慢しきれなかったのだ。
私に反発された事で、母は発狂した。浴びせられるマシンガンのような暴言と否定。今までの私の人生を否定し、いかに親不孝かを叫び怒鳴り散らしながら、自分は子供(私)のせいで我慢を強いられているんだと喚き散らす母に「私にだってずっと我慢してきた事はある」と初めて言った。母はその内容を聞く事なく「お前のなにが我慢だ。親不孝め」と、また暴言と否定を吐き続けた。
その場に居合わせたうちの娘たちは、自分の母親(私)が目の前で罵倒される姿を見て、驚いて固まっていた。そして不安がって泣いた。その間も母の暴言は止まらず、うちの娘の障害名まで母は私への罵倒の言葉に使った。娘たちの前でだ。無理だと思った。もう無理だと思った。
母は自分で「どうせ私は毒親だ」と叫んでいた。そんなふうに考えた事は今まで一度もなかったが、その時初めてそうかもしれないと思った。そしてまた、もう無理だと思った。
◇
この先、私はどうするのか。もう答えは決まっているのではないか。本当にそれができるのか。いまはまだ立ち止まっている。
しかし目の前の扉は開いてしまった。扉の向こうの世界は明るいだろうか。険しいだろうか。一歩を踏み出す決意をしたい。それが娘である私の今年の抱負。
ずっと違和感があった。
18で実家を出てほどなくして父と姉とは分かり合えなくなった。
自分が言ったこと、メールしたことは文言そのままで受け止めてくれれば問題ないはずなのに曲解され、あちらから言われたことを文言そのままに受け取ると、怒られることが多々あった。
それは凄く悲しいことで、なんとか分かり合えないものかと寂しい気持ちにもなったが、自分にも子供ができて家族を持ち、自分と父が上手く行っていないことが表面化しては子供たちに申し訳ないと思い、相互理解は断念した。
父や姉とは分かり合えないという前提のもとで付き合うことにより、表面上のイザコザは少なくなった。
うちの子供達には自閉症・発達障害があり、早期療育をしたりなどで多少その辺の知識得ることになったのだが…
おそらく父と姉はASDだ。アスペルガーとかそういうやつだな。
丸い物を見たらそれが球だと信じてしまい、円柱かもしれないとか円錐かもしれないとかは考えられない。
球じゃないかもしれない、という人の意見は絶対に受け入れない。
にも関わらず、一旦それが円錐であることがわかると、自分があれほど頑なに球であると主張していたのは完全に忘れてしまう。
つかず離れず、年に2.3回くらい会うような関係を頑張って保っていこう。
あのエントリを書いた頃に比べると、発達障害についての知見はそれなりに広まりつつあるようです。
非常に遅い歩みだとは思うが、世の中は確実に変わってきていると思う。
しかしこの件については、そんな流れとは全く関係ない結末になってしまったことを書かなければならなくなった。
例の彼だが、ほぼADHDと思しき障害特性(?)は全く改善することなく、少し前に急病で亡くなった。
仕事のストレスから不摂生に陥ったことで生活習慣病を発症、治療もいい加減に済ましていたという既往が積み重なった結果の、突然死だった。
自分は既に転職していたので、最近のことはお通夜でかつての同僚に訊いたのだが、なまじ経験年数だけはベテランに差し掛かってしまったことから、待遇は最低クラスの飼い殺し状態となってたそうだ。
実際、どんな仕事をやらせても、仕事の細かい内容や手順をどんどん忘れてしまい、遂には進捗の把握もままらならなくなって、3ヶ月と保たずに破綻をきたすのだから、クビにならないだけで充分な温情と言えるし、実際上司からもそのように言われていたようだ。
上司の方針として、「誰かのパシリをやってるとかは勿論、一担当者であっても上司のフォローが都度必要なうちは半人前。正社員がそれでは稼げない」という方針で、彼に対して親身に話をしつつ、「今度の仕事なら一人前になるかな」と色々やらせていたようだが、状況は全く好転しなかった。
そして亡くなる直前も、例によって数ヶ月前から着任した仕事で大ポカをやらかし、撤退が確定した矢先だったと。
生活習慣病のこともあり、上司は休職による治療の専念を指示しようか迷っていたらしいが、間に合わなかった。
ようやく気持ちが落ち着いて振り返ると、今回のことは様々な不幸が重なった結果だと思う。
まず彼のポリシーが、いわゆる「長男教」信者だったことは、明らかに治療を妨げる第一要因だろう。
「一家の長男として家を継がなかればならない。親父が既に他界、俺にも妻子がいるのだから尚更だ。だから俺が何かの障害とか絶対にあってはならない、もしそうだったら家族親戚や世間に対して申し訳が立たない」
「まあ、会社のことはめんどくさいけど、なんだかんだ言って『鈍感力』で上手く回ってるというかクビになってないし。病気だって全然自覚症状ないし、そんな怖がってもしょうがない」
という、結構ダメダメな思考パターンで、厳しいことを言わせてもらうと、自分の人生に真面目に向き合っていない感じである。
しがらみにがんじがらめなことを差っ引いても、「先生助けてー!!!」と真逆のスタンスでは、誰も助けられない。
この人はコミュ力も社会性も超一級レベルの人なのだが、だからこそ、他人とのコミュニケーションを「座学的なスタンスで勉強するものではない、そんなこと意味が無い」という思想で出来上がっていた。
言い換えるなら「専門書を読んだり、見ず知らずの専門家のアドバイスを聞いたところで、それが何になるんだ。そんなことより、目の前にいる相手の声や仕草が第一だろ、てかそれが全てだろ」ということである。
そしてこれこそが、結果的に当事者たる彼の改善に繋がらなかったのだと思わずにはいられない。
確かに、コミュニケーションは基本的に経験から身につけるものである。
これらは「マニュアルを読んでその通りにする」とか「教科書と授業」といった、明らかに知識先行の「勉強」ではなく、むしろスポーツ・楽器演奏・歌唱・演技・調理といった「動いてる中で身につける系」である。
例えるなら、ケーキ焼くのに「メイラード反応」を座学で勉強するところから入っても仕方ないじゃん、もっと先に身につけるものがあるだろって話ね。
というわけで、残念ながらなまじ得意な人ほど、座学ベースの勉強を軽視するのである。
だって意識せずに歩けているのに、スポーツ生理学や物理学の知見をいちいち参照する?大抵そういうのって、出来ない人が悩み、苦しむ過程で手を出す物という感じだよね。
即ち、どんな考えも「百害あって一利なし」なら皆即座に改めるのでむしろ話は簡単なのだが、こういう「49の害と51の利がある」くらいだと中々改まらないので、ことは厄介だ。
だからこそ、スポーツだって科学の知見が導入されるのにかなりの時間を要したわけで。
コミュニケーションの問題で言うなら、どんなコミュ強者であっても経験ベースで行けるのは99%までで、残り1%の「生きてる世界が違いすぎる」相手には、多分通用しない。
そしてそうなったとき、大抵「もう俺には分からねえ、どうしたらいいんだよ」となって放置、最悪虐待というルートを辿り、いずれにしても治療や療育に繋がらない結果になると。
例の彼に当てはめるなら、いっそクビにしたほうが良かったと痛感する。
自分としては、もし今後その元上司に会ったら、「今度どっかで彼みたいなのに遭遇したら、5分でいいから専門家の話を聞いてみて下さい」と言ってみるくらいだと思う。
まあ専門家もプロなので、5分じゃ終わらないように話に引き込み、考えを改めさせることを期待したい。
https://anond.hatelabo.jp/20171026133336
https://anond.hatelabo.jp/20171026180918
これまでFBのタイムラインに流れてくる記事をたまに読むくらいで自分で書くには至らなかったけど、上二つ読んではてなアカウント作ってしまった。で、書いてる。
私は育休とって3年になる。一人目の子が三歳になる少し前に二人目が産まれた。
育休をさらに3年、ぶっ通しで6年とる予定。
なんでこんなに長く休職するのか?
本当に戻る気あるのか?
戻る気なければ辞めるのが筋じゃないか?
3年間自問自答してる。
仕事で徹夜する気力体力が衰えてきて、さらに自分はこれまで学歴なんかを背負って仕事できる気になってたけどどうやらあまり仕事が得意でないらしい、と気づいた頃に結婚出産した。それで子育てと家事にどっぷりはまってみたかった。
と、夫がちょうどキャリアのヤマを越えなきゃならない時期に差し掛かってて、冷静に夫が仕事、私が家事育児がんばるのが合理的だよねと夫婦間で暗黙裡に合意してるからだ。
結果、子供がかわいいのとブランクが長すぎて仕事に戻れる気がしなくなってる。
産後長くても一年ちょっとで復職するべく保活の波にのって、まだよちよち歩くか歩かないかのかわいいわが子と離れる辛さを乗り越えて、いろいろ割り切って仕事に戻らないと、復職が遠のくばかりだ。
なぜかって?
上の子が一歳を過ぎると子育てが一気に楽しくなった。歩けるようになり、言葉が少しずつ出てきたからだ。一緒にお出かけできる。意思疎通がはかれる。家事もはかどるようになる。
そのうち二人目を妊娠した。上の子と二歳差だ。また2年くらい育休とって、二人まとめて保育所に入れて復職するつもりだった。そしてその頃には夫の今後のキャリアパスがほぼ見えてるはずで、私が復職する前提で都内に家でも買おうかみたいな思惑も交ざってた。
だったんだけど、二人目を死産した。
辛かった。年取ってから子供に恵まれたので、一人でも十分幸せだと思っていたけど、二人目を喪ってみると、どうしても諦めきれなかった。
そして信じられないくらいすぐに、また妊娠した。三人目(実質二人目)が産まれた時には上の子が三歳になってた。
正直、育休を続けて取るとき「私これでもう2年か3年休んだら会社に戻れないんじゃないかな」と思った。
その時点で会社にはもう3年間足を踏み入れていなかったんだ。いつのまにかオフィスが移転し、社員数がどっと増え、自分の居場所なんてあるわけないだろうと思っていた。
上の子はたっぷり3年間一緒にいた。多くの保育所ママが「おむつなんて園に外してもらったようなものよ〜」と話す傍ら、家庭内でトイレトレーニングをやり切った。
夫は月の半分くらい出張でいない。さらに平常でも職場に泊まり込むことが多い。
ワンオペ育児は辛かった。子供の笑顔を間近で見られる幸せで乗り切ったけれど、
育児素人の私がやるより保育士さんに見てもらう方がいいんじゃない?
復職して多少なりとも稼ぐ方が短期的、長期的に経済合理性高い?
何より私が精神的に楽じゃない?子育てを一人で抱え込まなくていいもん。仕事して外の世界と関わりたいよ。。
ちょっといいコーヒーを一人で飲みに行きたい。仕事用にスーツ着たい。毎日自分のために化粧して、仕事にアタマを使いたい。
なんて悶々としていた。
だから次の子は一歳すぎた頃に復職しようと考えた。念のため3年間とって、それより早いタイミングをうかがおうかなと。
でも、下の子が産まれてみるとすんごくかわいい。授乳でも何でも、上の子の時はひたすら辛かったことが驚くほど楽になった。
もうすぐ4ヶ月になるけど、本当に天からの授かり物を育ててる思いだ。
上の子と同じだけ見てやりたいと思うと同時に、今度は上の子が赤ちゃん返りもあってだんだん難しくなり、これって発達障害じゃないの?といった性格が出始めた。
自治体を通じてカウンセラーに相談し、今度再検査することになってる。
「お母さんが復職されるまでに専門医や療育関係の機関を回られるといいかもしれませんね」とカウンセラーの言。
上の子はいつまでたっても初めてのことだらけだ。子供が成長すればするほど手がかかることを知った。
自分も会社の制度と女性が輝く社会を目指すスローガンにぶら下がってるように見えるんだろうなと思った。
と同時に、恵まれた環境の人は、仕事に対するモチベーションがそんなに強くなくても、復職後十分にやっていける、むしろそれくらいの方がうまくいくのは本当だろうと思う。
そして私のように、自力以外に頼れる人手がなく(親は地方在住)、仕事に対するモチベーションも立派なものではない、そんな働き手は誰が見てもお荷物だろうと。
念のため、育休中は無給だ。とはいえ一人目のときは雇用保険からの給付金を受け取り、二人目、三人目も健保から出産手当金をもらってる。
でも子供は手がかかる一方で、とくに上の子のことを考えると、会社より子供を優先させたい。復職してもパフォーマンス悪すぎだろう。
だらだら独り言を書き連ねたけれど、そうだね、ぶら下がってるように見えるよね。
雑誌のVERYってあるでしょ。VERYは去年かそれより前くらいから「リーマム」の造語を使ってる。週5オフィスに出勤する素敵なママのことらしい。
週5働けば、当然子供に割く時間が限られる。どんなに優れた外部の保育者を通しても
子供のことを全部把握するのは難しいと思う。
そのぶん自分の価値を高めることにエネルギー配分できる、というかせざるを得ない。
そして子供に還元するなら、自然とお金で買えるモノコトになる。洗練された服、上質なおもちゃ、英語やピアノの習い事に幼児教室。旅行かもしれない。
親がいいと思えて子供が十分に愛情を感じるならばそれでいいのではないか、と思う。
でも私はそれができずにいる。
割り切ってしまえばいい。育児を外注すればいい。夫婦の老後や子供の教育など備えはいくらでも必要だ。
それでも私は、毎朝3時に起きて家事をして、5時半に夫を送り出し、下の子の世話をしながら7時に起きる上の子の食事の支度をする。日中は公園と児童館をはしごする。
夕方5時にはお風呂に入れて、6時に夕食。7時半に寝かしつける。
子供が好きで会社に戻れないならいっそ辞めれば、との声を聞いた気がした。
子供への愛情と復職は違う話だろうとのツッコミが当然あると思うけど。
中途半端に戻っても育児を楽しみながら会社に貢献するなんて実現不可能な幻想かもしれない。
育児そして自分自身を充実させながら仕事を続けることで足を引っ張ってしまうならば。
休職前はたいして仕事力がないなりに、精いっぱいがんばってきたつもりで、自分にできることがあればどんな仕事でもいいからまた働かせてほしいと思っていたが、ふつっと糸が切れた気がした。
それでも何か糸口を探したいよ。別に自分が輝かなくてもいいけど、家族を満足させられて、社会貢献可能な道筋を。
大学出てるし(税金つかってる)社会人になってからはいろいろな人に世話になった。皆さん口を揃えて「別に自分に恩を感じることはない。後輩社員達に同じようにしてあげて」と言っていた。まだ私は何もできてない。育児の区切りがつけば会社で恩返ししたかったけど、区切りをつけられなければ外ですべきなのか。
何を取捨選択しても自由だけど自己満足にならないように、とあらためて思う記事だった。
追記)
コメントありがとうございます。恐縮してます。
夫ときちんと話し合っていないのではないのかのご指摘がありましたので追記します。
確かに書いた内容そのままを直接ぶつけたことはありません。また明日から出張なのでフライト中にでも読んどいてと言っとこうと思います。
ただ、子供のことこれからのことはわりとよく話してるかもしれません。
何がしかの隔たりを感じさせるとしたら、夫と私の働く業界が全く異なることが一因かと思います。
(夫は公務員で今は中央、全国転勤あり。男性の育休制度はあっても運用実態ほぼゼロ。同僚家庭の専業主婦率すごく高い。私は都内のIT関連企業)
自分に答えがないので話すのをためらっていましたがいい機会かもしれませんね。
人間は、子育てに時間が掛かるから。女は清潔な方がいいんだよ。それで。
男は、母乳出せないし、女が不潔だったら赤ちゃんが病気になりやすそう。
直ぐに子供が独り立ちして、自分の生活の糧を得るには、女性からの愛情や療育が必要だから。その時に不潔だと、困らない?
他の動物と違うのは。
(1). 発情期がなくて、男も女も季節に関係なく、致すことが出来る。
(3). 赤ちゃんから成人するまでの時間が長い。ニホンザルとかは、グループで子育てするのだったかな。
腕力でってのがあるし。
...女は、子孫残すには、選ぶ立場だかれではないのか。
男は、母乳出せないし、女が不潔だったら赤ちゃんが病気になりやすそう。
発達障害じゃね?ってコメントが散見されるけどそれって小学校に入って急に表面化するものだったのか。知らなかった。
私の周りだともっと小さい頃から発達の子は特徴が行動に現れてて療育や支援を受けている場合が多い様なんだけど、就学前に大丈夫そうでも安心は出来ないのかな。
うちの子供は年長さんだが最近になって思い込みで猪突猛進してドジ踏んだり人に迷惑をかけることがやけに多くなって、「あわて過ぎ!」「ちゃんと話を最後まで聞いて!」と注意する機会が多いんだけど、単に自主性が芽生えて来ただけだと思ったら違うのかな。もっと心配しといた方がいいのだろうか。
娘さんには不注意性のADHDの疑いがあります。私はADHDを持ち、毎日半分の鉛筆をなくしながら小学校に通いました。毎日親と先生に怒られていました。朝になって「これが必要」や「こういう宿題があった」と伝えることも多く、そのたびに親をいら立たせていました。
私は、子供ながらに、「忘れてた/見つからなかったんだからしょうがないじゃん。」と思いながら親の怒りに付き合っていました。今三十過ぎですが、別に親のことは怨んでいません。大変だったろうな、といたわる気持ちがあります。
ただ、私が親になってみると、もう少し私の身になって考えて、怒るだけじゃなくて具体的なアドバイスくれたらよかったのにな、と思います。義足の人がマラソンできないように、ADHDの人は、忘れ物を頑張りにより防ぐことはできません。
ADHDの最も多い合併症は、自分の否定からなるうつ病です。毎日毎日何度も現れるADHDの症状に、親が、「バカなの?」を連発すると、うつ病になるリスクが高まります。親の否定を乗り越えるのは、子供にとっては大変なことなので、そんな重荷は娘さんには背負わせてほしくないな、と同じADHDを持つ人としては思います。
まずは、お近くの地域療育センターに相談してみることをお勧めします。支援機関は当たりはずれあるので、会うところがみつかるまで、数か所あたってるのをおすすめします。無理やり支援学級に入れされられるとか、支援機関に相談した事実が第三者に知られるとか、そういう怖いことは何も起きないので、気軽にいってみるのをお勧めします。娘さんとお母さんの生活が楽になると思います。
追記:
id:hinail で増田は精神科医なの?素人が気軽に障害の名前を持ち出すことでいい気持ちしない人がいることは、当事者であれば理解できなくないものだと思うんだけどね
私は、「覚える気がないから忘れるんだ。大事なことじゃないと思ってるから失敗するんだ」って言い続けられてきたので、大人になってADHDの確定診断を受け、対処法の存在も知ることでとても安心しました。私のやる気の問題じゃないんだ、ってわかったので。ADHDの本は数十冊読みましたが、多くの人も私と同じなようです。ただ、障碍者を差別する心を持っている人にとっては、障害の存在をにおわされるだけで嫌な思いをするようですね。自分の近しい人が障害を持っているなんて耐えられないから、障害の存在を否定する、という人は私の周りにも残念ながらいます。
子供は二人。上の子は自閉症の診断あり。下の子は自閉症かどうかはよくわからない、というかたぶん違う?けれども言葉の発達が遅く、なかなかに育てづらいタイプの子。
妻が上の子の問題に気づくのは早く、1歳くらいにはもうおかしいと言っていた。
増田は初めての子で、他に乳児と積極的に接触を持ったことがなかったし、自分の子に障害があるなんて夢にも思わないので、まぁこんなもんだろ、と思っていたが、両親にも発達の問題を指摘されたことで、
「おぉ。そうか。妻が正しいのね。こいつには問題があるのか。」と認識。
実はその前に、妊娠中にもいろいろ問題があって、もっと重篤な奇形かもと言われたこともあり、
というよくあるパターンには陥らず、
「発達障害ってやつなのはほぼ間違いなさそうだな。じゃあ、どうすりゃいいのだろう。」
と素直に考えられた。
と、いうことで、amazonで本を買って、インターネットで情報収集して、自閉症の早期療育の親の会に 入った。
本の著者の医師の診察を受けるために県外の病院を受診し、地元の地域の自治体の療育センターも受診。
早期療育親の会の本を参考に家庭で療育を開始。自宅から1-1.5時間かけて毎週療育エージェントにも通い始めた。
小学校入学を控える現在、彼のIQは100を超え、日常生活で困ることはほぼない。
社会性の問題は多少あるのだろうが、もはや彼を見て自閉症だと思う人はいないだろう。
そして、下の子。
健常なのかなぁと期待していたが、明らかに言葉が遅く、また発音が不明瞭。
この子もか…と思い、上の子同様県外の専門医にも地域の療育センターの医師にも診てもらったが、お二人とも自閉症とは違うようだ、という見解。
しかし、同じように行かない。
家庭での療育も全然思うように行かないし、エージェンシーでのトレーニングも何かあんまり効果があるんだかないんだか。
逆に、幼稚園での他の子との関わりではいろいろと良い刺激があるよう。
そんなこんなで、今も毎週5日間働きその次の日は療育エージェンシーへ行く。
上の子での通所終了から下の子の通所開始までに数ヶ月はあったけど、その時期もまた別のところに通わせたりしていたので、こんな生活になって、もう3年以上だ。
週休2日のうち、もう1日は休めることもあるけれど、今は子供たちが夏休み中なので元気ならそれはそれで遊びに連れていかなきゃならん。
普通に5日働いて、翌日はいつも通り療育へ。高速使って車で。少し渋滞があったので行きは1.5時間ほど。昼ごはんをファミレスで食べて、療育中の待ち時間はPC開いてお仕事。帰りは渋滞なしで1時間くらい。
帰宅したら連れていった下の子が発熱しており、妻が解熱剤のませたり夜の看病。
診察待ち会計待ち処方待ちで疲労が蓄積。
午後はもともと予約してあった上の子の眼科の受診。自閉症で診てもらっている先生に斜視を指摘されてご紹介いただいた眼科さんで、これまた遠い。高速使って1時間くらい。
そしてこの眼科さん、評判が評判を呼び激混み。待っている時に座るところがないくらい。
検査待ち診察待ち会計待ちを終えて、また1時間かけてようやく帰宅。はぁ…
俺は良い父親だ。沸点高いので基本的にあまり怒らないし、稼ぎはたいして良くはないが悪くもない。
タバコは吸わないし、家でお酒を飲むことはほぼないし、かといって外で飲む機会も月に1回あるかないかくらい。
これといって趣味もなく、休日はほぼ子供達のために使っている。
別に無理してやっているわけではないし、遊びたいわけでも飲みに行きたいわけでもないんだけど、体力がなくて貧弱なのでもう少し休みたい。
そんで、休みを休むことに使えるのであれば、例えばジムとかで運動して健康的になりたい。
でも、今の状態では、ただでさえ疲労困憊で鍛える余裕なんてない。
健康維持のために運動するのって、体力と時間に余裕がないとできないのな。貴族のたしなみだな。
子供を持つとこんなことになったり、生命保険額を上げなきゃいかなくなったり、家を買うか、とかなったり、いろいろ大変だ。とても大変。
あぁ、でも違うな。やんなきゃいけないっていうんじゃなくて、やりたいんだよな。
だから俺がやりたいだけなんだな。
あれだ、ほら、マザーテレサとかもさ、もちろん偉いっちゃた偉いんだけど、あの人はああいう生き方を自分がしたいだけとも言えるじゃん。
親もそういう感じだよな。聖人じゃないので他人の子供は知ったことではないが。
6歳の息子が「パパに叩かれるのがいや」と涙ぐみながら訴えてきました。 私が見ていないときに、言うことを聞かなかったりして何度か叩かれたそうです。 夫は普段は子煩悩でおとなしいけれど、プライドが高く ちょっとしたきっかけでかっとなりやすいタイプ。 息子はしばらく前から幼稚園の友達の影響で言動が生意気になってきました。 感情のコントロールが苦手で興奮しやすかったり、相手の反応おかまいなしに 不快な言動を繰り返すことがあります。 ちなみに3歳の時にアスペルガーと診断済み。 私もそんな息子に手を焼いていらいらしてしまうことが少なくないし、 思い切り叩きたい衝動にかられたことも何度もあります。 だから夫の気持ちが全く理解できないわけではありません。 だけど、そこは踏みとどまってきました。 幼い頃2年間療育にまで通わせて、少しずつ積み上げてきたものが台無しに なってしまう気がしたからです。 息子は叩かれたことに傷つき、悔しさと夫への不信感でいっぱいになっていました。 「大人は子供に「お友達を叩いてはだめ」というのにどうしてパパは叩くのか」 と言うのです。 叱られた内容はさておき、大人の理不尽さがどうしても許せないようでした。 そこで私は息子に、 ・パパは○○(息子)にわかってほしいという強い気持ちがあったんだと思うよ。 それを上手に表せなくてつい叩いてしまったんじゃないかな。 ・だけど、大人だからって叩くのはよくないよね。それはパパに伝えておくよ。 と伝えました。そして夫に ・叩くことがしつけだと考えているのなら効果があるどころか 逆効果になっているから今すぐにやめてほしい。 ・叩いたことは、感情的な暴力に過ぎないと自覚してほしい。 とメールしました。口頭だと口下手な私では考えが整理できないし、 お互いに感情的になってけんかになってしまうからです。 夫からは「今後気をつける」とだけ返信がありました。 息子は物事をあまり引きずるタイプではないので、すぐにいつも通り 明るく元気になり、夫とも良い関係に戻ったように見えました。 それが半月ほど前。 ところが、一昨日、夫はまた息子を叩いてしまったようです。 それも私が見ていないところでだったので、息子の訴えで知りました。 夫は息子を叩く心理的ハードルがすっかり下がってしまっているように感じます。 毎回私の見ていないところで手をあげるということは、多少の罪悪感が あるんだろうか…。 夫に「とにかく叩くことはしつけにはならないからやめてほしい」と言うと 「わかったから!!」と大声でどなり、その後は一切会話できなくなりました。 メールにも返信がありません。 叩くといっても、身体にあとが残るほど強く叩いているわけではないし、 昔なら「しつけ」で済んだ話。おおごとにする必要はないのかもしれません。 だけど子供が叩かれる姿も、夫が叩いている姿も、想像するだけで胸が痛くなるし こんなことが続くのは耐えられないです。 けれど、夫のプライドを傷つけず、息子がこれ以上叩かれずに済む方法が 見つかりません。 ※これまでの経緯と自分の考えを整理したくて初めてここに書いています。
我が子がADHDで療育中なのだが、私自身も診断こそないものの、これまでの生きにくさから考えると何かしらの障害を抱えていると思う。
先日のニュースを見て、自分だって一歩間違えばこのての人間になっていたかもしれないと感じた。
我が子も、接し方次第ではそんな大人になりかねない。
メディアでの批判の嵐を見て、まるで自分が批判されているかのように心が痛んだ。
あの人に障害があるかないかはさておき、あの人が「横領しなければ死んでいた」と言うならそれが事実なのだろう。
あの人が清々しいほどのバカな大人に育ったのは、決して本人だけの責任ではないと思う。生まれもった性質や、生きてきた環境は自分ではどうしようもないのだから。
能力のない人、常識からずれている人というのは、なにかしら生きにくさを抱えていると思う。
その生きにくさは、あたりまえの事をあたり前にできる人間には理解できないのだろうし、あたりまえのように常識ある行動を求めてくる。
周りの常識に合わせようともがき苦しみ続けるか、開き直るか。
この人は開き直った、それだけのこと。
「横領しなければ死んでた?じゃあ死ねば?」なんて言われるような人間が存在していて、その意見がもっともだと思われている現実。
この人だって、悪いこととわかってて横領に走るくらいなら、死んでた方が楽だったろうにと思うけど。
それでも死なずにいたのは、この人に「死なないで」という誰かがいたからではないのか。
「お前みたいなろくでなしは死ねばいい」という人がいる。「死なないで、がんばって」という人がいる。
「何をやっても怒られる。自分なんかいない方がよい」などと思いながら、「自分が死ねば悲しむ人がいる。なんとかがんばらなければ」ともがく。
発達障害型コミュ障の治し方を具体的に教えてくれるブログを読んだ。
HyogoKurumi.Scribble
http://hyogokurumi.hatenablog.com/entry/2016/03/30/003242
自分は常々、
「アスペって自分の中でトライ&エラーを繰り返して記憶してコミュ障を修正するらしい。
と思っていた。
まさにこのブログがそれ。
感想を三行で表すなら、
すごい。
わかる。
ありがとう……!
・悪意はない
・むしろみんなと仲良くしたい
という流れがあるあるでとても切なくなった。
周囲に迷惑をかけている
=自宅や職場や学校などの和やかな雰囲気を乱している自覚がある
このような場合、
→自死
つらかった。
周囲もつらかったと思う。
「生きるのはつらいことだ」と言われても納得できないくらい、つらかった。
コミュ障を治せたら、社会と普通に関われたら、自分は今より幸せだと思う。
このブログにたどり着つくまで
ヒグコハ
http://www.higukoha.com/entry/2016/06/09/172128
→ヴィパッサナー瞑想と発達障害への対処方法が近しいことへの驚き
ヒグコハ
http://www.higukoha.com/entry/2016/04/01/230955
HyogoKurumi.Scribble
http://hyogokurumi.hatenablog.com/entry/2016/03/21/025003
HyogoKurumi.Scribble
去年願書を貰いに行ったときは、まだ診断を受けていなかった。
息子については、「言葉が遅いけど3歳になったら出るようになるだろう」という楽観的な思いと、「障害があったらどうしよう」という不安な気持ちが同居していた。
3歳児検診でひっかかり、診断を受けるまで3ヶ月ほどかかった。
診断してくださった医師は50代くらいの女性で、とてもクールな方だったが、「お子さんはまだ小さいので療育で改善される可能性は充分にある」と励ましてくださった。
この時期に見つかって良かった、とも。
診断を聞いたときは、やはり、という思いと、この子はこれからきちんと社会生活を送れるんだろうか、という言いようのない不安にかられた。
それでも、嘆いても現状が変わるわけでもない。その場ですぐに、療育に申し込んだ。
今年の1月から月に一度の療育に通った。本当は週一度のペースが良かったが、定員がいっぱいだったそうだ。
月に一度で何か変わるのかと不安だったが、集団生活を過ごす息子を見られたのは新鮮だった。
また、同じ立場のお母さん方と過ごせたことが予想以上の癒しになった。先生方もみなさんとても優しかった。
4月からどうされますか、と療育の先生に尋ねられ、迷わず「通います」とお願いをした。
責任者の先生はとても穏やかな話し方をされる方で、そのお声を聴いているだけで心が温かくなる。
「子どもたちはみんなとても楽しく通いますよ」と優しく仰っていたのが印象的だ。息子も楽しみに通ってくれるようになるだろうか。
幼稚園は今の所拒否している。毎朝「ようちえんいかない」と泣いている。
先生方には療育に通っていることは伝えてある。ご負担をかけてしまって申し訳ないが、先生方は優しく見てくださる。ありがたい。
息子は偏食がひどい。決まったものしか食べない。他のものを食べさせようとすると酷く泣いて拒否をする。
幼稚園は給食だ。これが一番不安だったが、案の定息子は一口も食べなかったそうだ。お腹が空いていたのだろう、降園時はひどく機嫌が悪かった。
このままではいけない、と思い息子に「給食食べなきゃいけないから、おうちで練習しようか」と話をした。最初はやはり拒否をされた
しかし「みんな幼稚園でごはん食べてるよ。◯◯くんもみんなと一緒に食べられるようになろうよ。」と呼びかけると、「れんしゅうする」と言ってくれた。
初めてのことだった
食事は、私たち夫婦のものと、息子が食べられるものを別途作る必要があるので非常に手間だった。
はじめは、「たべない」と拒否をされた。
やはり……と思ったが、とにかく新しいものを食べられるようになって欲しかったので、「じゃあお母さんと一緒に食べてみようか」と膝の上に座らせると、従ってくれた。
そして、私がスプーンを持ち、今日の食事、肉じゃがを息子の口元に運ぶと、なんと口を開けてくれたではないか。しかも、すんなりと食べてくれた。
本当に驚いた。これまで、どんなに促しても食べてくれることはなかったのに。
息子は肉じゃがを「おいしい」と言ってくれた。そして横にある味噌汁を自分から飲んだ。
再び、すごく驚いてしまった
こちらも「おいしい」と言っていた。
そうだよ、おいしいよ。なぜ食べてくれなかったんだよ。
息子が言ってくれた「おいしい」、こんなに嬉しかった言葉はない。
結局、肉じゃがと味噌汁はほんの少し食べただけで、あとはいつもの食事を取っていたが、それでも大きな一歩だったと思う。
あまりに嬉しかったので、どうにか記録に残しておきたくて、はてなに登録までしてしまった。
明日からまた少しずつ練習をして、幼稚園のお友達と一緒に、給食を食べられるようになってくれたらと思う。
息子もゆっくりだが、確実に成長している。そう思えた一日だった。
息子よ、ありがとう。
健やかに大きくなってください。
母より。
5歳の我が子が自閉症スペクトラム。
脳障害と分かりつつも、これ以上は耐えられない。
とにかく注意が全く聞けない。
ニヤニヤしながら人を叩く、首を絞める、押す。
優しく注意しても、厳しく注意しても、ふざけ続けるクソ我が子。
最終的にはクソ我が子の頭部を力いっぱい拳で殴って、力ずくで引きずり離さねばいけない。
クソ我が子は絶叫しながら暴れる。
クソ我が子のせいで、周りが迷惑する。
約束が全く守れないクソ我が子。
生きる価値のないクソ我が子。
悪い事が理解できない。
人の話が聞けない。
こだわりが強く、自分の欲のまま生きてやがる。
外に連れて歩きたくない。
一緒に暮らしたくない。
自閉症スペクトラムは、親の意思により殺処分を可能にしてほしい。
自閉症スペクトラムの人権を守る事により、身内や周りの人間が疲弊する現実。
綺麗事で育てられない。
どうせクソ我が子の人生は終わっているんだ。
周りに嫌われている事すら分からないクソ我が子。