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「発達障害は親のせい」はデマ。発達障害の診断は、これからを考えるためのステップ 児童精神科医・姜昌勲さんインタビュー - messy|メッシー
「発達障害は、親の育て方によらない、生まれつきの生物学的疾患です。だから親のしつけなんて関係ない。大間違いなんですよ。もう、アホかバカかって感じなんですけど(怒)。」
確かに、「診断結果と療育を受けることを受容するまでは」という条件付きなら正しいと思いますよ。
しかし、その後も「しつけなんて関係ない」と言えるのか甚だ疑問ですね。
もちろん、生まれつき=遺伝=親のせいという短絡的な話は論外として、親には「しつけ」る義務があるはず。
「当事者」と「親」、そして、「身近な支援者」が望んでいるのは、生き辛い状況を汲み取って=発達障害の特性を勘案して、世間の秩序と折り合いをつけて「当事者」が生きていくということのはず。
専門家の視点では、発達障害の特性を勘案して折り合いをつけられようにすることは「しつけ」ではないと言うかもしれない。
しかし、それは学術的に定義された用語を使用して表現をしなければ正確な議論が出来ないからであって、「当事者」と「親」、その他「悪意のある第三者」も含めた「周囲の人々」から構成される現実社会の実践の場では、「定義された」"それ"と「しつけ」を区別することに何の意味もないんじゃないか。
むしろ、「しつけ」という言葉を、「何が正しくて、何が正しくないかを教えて、世間の秩序と折り合いをつけられるようにすること」と再定義しなおして、『「当事者」の特性に応じた方法で、「親」や「身近な支援者」が「しつけ」を行えるように支援することが必要です』といった方が議論がしっくりと来るのではないのか、と思うのだが。
あと、インタビューでこの人が言っていることは正しいけど、デマを打ち消す意味では、少なくとも「もう、アホかバカかって感じなんですけど(怒)」はないんじゃないかと。
正直、「当事者」の問題行動は、対処方法があったら、「なーんだそんなことか」って場合もあるんですよ。
金八先生みたいな熱血先生に相談して「先生ありがとうございました」とかじゃなくても、幼稚園、保育園、小学校の先生などの「身近な支援者」に、ちょっと腹を割って話をして、「うちの子取説」を渡したら上手くいくケースも結構あるはずなんですよね。
それなのに、良く勘違いしている「当事者」の「親」達が居て、「発達障害についての勉強をして、ちゃんと支援してくれなきゃ困る」とか、ネットで仕入れた知識を振りかざして言いたい放題。
味方にしなきゃいけない「身近な支援者」を敵に回してどうするんですか??
幼稚園、保育園、小学校の先生などの「身近な支援者」は「運命共同体的な関係者」ですよ!!
頭下げてお願いして、一緒に「当事者」と向き合っていかなきゃだめでしょう。
ちょっと考えてみてくださいよ。
法整備がされて「発達障害」が特別扱いされる前のほんの10年くらい前までは、園長先生や校長先生に頭を下げてお願いしていたはずなんですよ。(まあ、所謂モンスターペアレントなるものはありましたが・・・)
10年前まで出来ていたことが、今出来ないっておかしくないですか? (まあ、出来てなかったかもしれないが・・・)
ちなみ、「周りの支援者」は「運命共同体的な関係者」なので、半年か1年に一回相談に乗ってくれる程度の専門家は入らないと思いますよ。
実際、幼稚園、保育園、小学校などの先生は上手く「しつけ」出来ないと現場で困るが、たまに相談に乗る専門家は全く困らないから。
つまり、専門家の意見は第三者的な助言であり、それを以て、「当事者」と「親」の運命を決定するなどというのはあり得ないということは、「当事者」の「親」には、気を付けてもらいたいと思っていますね。
さすがに診断下りた日はショックだったのでそういうのつっこんで聞く余裕はなかった
親族にそういう傾向のある人はいないからあとはもう確率の問題で誰にでも起こりうることだからしょうがないなって納得したつもりだった
親からのダメ、靴履くから足出して、おいで、とかはなんとなくわかる
おむつが汚れていたりしても親に訴えかけてくることがない
抱っこする?って聞けば両手をバッて上げて抱っこ体勢がかわいい
ソニー損保のくりぃむしちゅーがピンポイントで好きでおおはしゃぎするのもかわいい
笑顔になることをたくさんしてあげて、療育(コミュニケーション能力を伸ばすための訓練のようなもの)がんばって、なんとか社会で生きていけるような道を一緒に探していこう、とか決心して毎日を過ごしているんですけども
刺激を与えなければ、と子供が喜ぶ場所に行けば当然おなじくらいの子供が沢山いて、やっぱ比べてしまう
よその子は喋ってる、楽しいって気持ちをお母さんと共有したいんだなってはた目で見てもわかる
やっぱりうちの子は異質だ
歩き始めはちょっとおかしいなくらいだったけど2歳になるとやっぱり違いが顕著で、どうしても目に入ってしまうから落ち込むし他の人に迷惑かけたくないから外に出るのが億劫→なんてダメお母さんなんだろうと自分を責めてまたなんか行動するための気力が削られるの悪循環がひどい
お母さん大好きとか言われてみたいな
わからないことがあったら図書館で調べたりして一緒にわかるようになれたらすてき
ある程度大きくなったら予算提示して自分で調べて夏休みの旅行の計画を立ててもらおうとか
いくつかはできるようになるのかもしれないけど、先が全然見えないから小さな希望を抱いた瞬間に「期待するな、後がつらいぞ」っていう待ったをかけてしまう
子供ももう一人くらいほしかったけど、もう一人作って大丈夫かもって判断できる(小学生くらい?)頃には高年齢出産枠
二人目も自閉症だったらって思うともう無理だ
真面目で誠実で優しくて頑張り屋なのになんでこんな目に合わせてしまっているんだろう
恩を仇で返してしまったって罪悪感がすごい
脳が成長する今の時期が一番大事だからぐだぐだしてちゃだめなんでどっかに宣言しないとと思って増田しにきたのでした
シャボン玉して遊ぶんだ
ミスドに寄ってお父さんの好きなポンデダブルチョコレート買って帰ろうね
だから寝る
4歳の自閉症スペクトラム児が家にいる。
一度パニックを起こしたり、ふざけはじめると、口でいかなる注意をしても全く通用しない。
子の頭を握り拳で力一杯殴らないと止まらない。
「頭は叩くな」とか「打ち所が悪かったら…」と言う人もいるだろう。
一歩外に連れて出れば、心ない罵声を赤の他人から浴びせられる日々。
我が子に人権がない事を実感させられる。
自閉症の相談をした療育機関の職員からも、「外に出すの大変なら家から出すな」と言われた。
療育機関って、結局は自閉症の子供の対応が嫌いなのだ。仕事だからやってるだけで。
数年後には小学生だが、うちは親の義務として、自閉症の我が子を学校に通わせるつもりはない。
介助員も足りない。外には出すな。
自分中心の奴らとも関わりたくない。
ポンコツ親子はポンコツらしく、自死するのが日本の為のようだ。
あぁ、生きるの疲れた。
家も通ってるけど五人に一人くらいは行くように声かけされるらしいよ
空気を読めないとかどんくさいとか落ち着きがないとか思いやりがないとか得意分野と不得意分野の能力の波が強いとか人付き合いが苦手とかボーッとしてるとか、昔は個性のうちとして放置されてたとこを、早めの発見療育で生きやすいように教育したり、苛めなどで鬱引きこもりなどの問題が出る前にサポートしないとダメだってなったそうだ
えっ
人の話聞いてないとかドン臭いとか落ち着きがないとかは一通り言われたよ
他は勉強”は”出来るとか大人しいとか優しいという破壊的な方向のあれがなかったからスルーされたんだけど
どうすりゃいいんだろう
また、子を通じて支援学級に関わり、発達障害の子を多く見てきました。
今、妻を横にしてこれを書いています。
また、児童相談所に通う他の親達からも同様の話を聞いたこともあります。
それら踏まえて以下。
まず、日本の社会において、自分達の置かれている境遇を周囲に伝える際に、
本音ではなく愚痴のようにいうことが美徳とする向きがあります。
しかし、この考え方は捨ててください。
児童相談所にしても周囲の人も、
愚痴では本当に必要としている支援が何なのか判断がつきません。
困っていること、どういう支援が欲しいのかを話してみてください。
本当に困っていると伝えてください。
明らかに支援を必要としていると判断できれば児相も動いてくれると思います。
愚痴の場合、支援を必要としているのかただ話を聞いて欲しいのか、
後者の場合、支援に乗り出すと逆に親が怒って児相へ来なくなることもあり、
容易に支援に乗り出せないそうです。
取り得るあらゆる手を使って支援に最善を尽くしてくれるはずです。
本音を話すのに抵抗があるかもしれません。
ここだけほんの少しの勇気を振り絞って本音を話してみてください。
また、これは近所も含めた周囲の人も同じです。
何らかの障害を持っていると周りの人が気付いていても
動きたくても動けないのです。
実際、「何か助けてあげたいけどどうしたら良いのかわからなかったけど
ちょっと思い出してみてください。
電車で座っている時に、
席を譲るべきなのかどうか
迷ったことはありませんか?
譲ろうか、譲ったら逆に何か言われないだろうか、
そう考えたことはありませんか?
児相も周囲の方々もそういう状況になっているんじゃないかと思います。
最後に。
お子さんが大きくなるにつれ、また色々あると思います。
ただ、今回のことでも今後起こりうることでも、
でも、後でそれを思い出して後悔することはないですよ。
障害のあるなしに関わらずどの親でも感じることです。
http://anond.hatelabo.jp/20161215103020
その通りですね。
酔っ払って寝る直前に元増田を読み始め、
急いで返信しないといけないと思い
日本には徐々に浸透しているところです。
このため、今は用語が混乱しているので
あと、前述済みですが、"父親がきちんと動く"ことは
少なくとも私は未就学の時は実践できていませんでした。
どちらかの親が子供の障害に関わらない関われない理由は様々です。
どちらにせよ、片方の親しか育児・療育に関われなかったとしても
それなりに整っていると思います。
離別・死別等が理由で片親だけの家庭をいくつか知っていますが、
(片親だけの経験がないため、その苦労について私は想像することしかできませんが)
苦労しつつも支援や各種制度を利用して生活を回せているようです。
自治体によりADHDの判定そのものが変わるというのは知りませんでした。
確かに自治体により支援にムラがあるのでそういうことはあるでしょうね。
ADHD自体が比較的新しい概念のため児相にもまだ浸透していないのかもしれません。
蛇足になるかもしれませんが補足すると、ADHDの存在はまだ浸透していないため、知らない親も多数です。
このような場合、片方の親が児相に療育手帳の取得を勧められ取得をしようとしても、
(これはADHDに限りませんが)
もう片方の親の反対で療育手帳の取得ができないことがかなりあります。
療育手帳を取得しないまま
このような事例があるため、障害年金が出ない療育手帳が発行されない場合でも
私達は外出の時は常に手を繋ぐようにしていました。
本人がこだわるもの(すいません、誰だかわかってしまう可能性があるためボカさせてください)を見つけると
全力・全体重をかけてそれに触れようとしたため、肩を脱臼してしまいました。
元増田様
追記4ここから
裏を返せば禁止だと現場が勝手に判断してしまう可能性があります。
追記4ここまで
お子様のことで思い悩み大変辛い日々を過ごしているかと思います。
24時間緊張の糸の張りっぱなしで体力・精神共に擦り切れているのではないかと心配しています。
提案なのですが、とりあえず一回休憩してみてはどうでしょうか。
私達の場合も、両親(子にとっての祖父母)や親戚は遠方にいるため、
ヘルパーさんには何か家事を手伝ってもらわないといけないと思う方もいますが、
ご自身の睡眠をとるために外で子供と遊んでもらうということもできます。
また、他の方も書かれているようにショートステイというものもあります。
「寝ること」が理由では支援を頼めないと思ってしまうかもしれませんが、
寝ることも立派な理由です。
睡眠をとることで元増田様とご家族の状況が改善される可能性があるのであれば
元増田への返信を追記したのですが
もしこの方法では駄目なのであれば
方法を教えてもらえないでしょうか。
横だけど山ほどいる
家も通ってるけど五人に一人くらいは行くように声かけされるらしいよ
空気を読めないとかどんくさいとか落ち着きがないとか思いやりがないとか得意分野と不得意分野の能力の波が強いとか人付き合いが苦手とかボーッとしてるとか、昔は個性のうちとして放置されてたとこを、早めの発見療育で生きやすいように教育したり、苛めなどで鬱引きこもりなどの問題が出る前にサポートしないとダメだってなったそうだ
同じく半年待ちだった。うちの子の場合、それにプラスしてかなりの弱視。
赤ちゃんの頃から人見知り場所見知りもなくて大人しくて、育てやすそうで羨ましいってよく言われた。
でも保育園に入って、集団行動が増えて、周りの子についていけなくて、
それと同じぐらいの時期から家でも癇癪を起すようになって、家でも外でもイライラしっぱなし。
いくら怒ってもニヤニヤしてるし、一回癇癪を起こすと納得するまで地面に大の字。
保育園で他の子と比べるとうちの子だけ浮いてるし、泣かせるし、
いろいろ書いたけど、病院に行ったほうがいいよ。
お子さんじゃなくて、お母さんの話を聞いてくれるところを探したほうがいいと私は思う。
幼稚園、小学校と規律が増えるにつれて、付いていけないことも増えるかもしれない。
俺は成人して就職してしばらく頑張ってたんだけど、
ある時二次障害を発症して家を出られませんみたいな状況に陥ってから、治療の過程で色々検査をしてADHDとアスペを併発していますねと診断された。
それ自体は、ああ、やっぱり俺はおかしかったのか。と割と素直に受け止めて、それならそれで親からもらった顔や体の特徴みたいなものだし、
そこでゴネても何も変わらないからあるもので何とかやっていかないと仕方ないよねと考えて、自分でも症状について調べたり、自分用の対策を考えて試したりするようにしている。
まあ、うまくハマる方法を見つけるまでは劇的に変化があったりはなかなかしないし、いい変化があってもそれを継続するのは難しいので、
なんだかんだと仕事をクビになりそうだったりならなさそうだったりしながらどうにか日々を凌いでいる感じだ。
ともあれ、自分でも色々と情報を探していたわけだけれど、診断された当初は、とりあえず最近話題の成人の発達障害だとか、発達障害そのものの記述ばかり読んでいた。
本も数冊読んだけれど、ネットの方がやっぱり手軽なので手の空いたときにふらふらと検索している。
そして最近になって、発達障害児関連の情報に割と有用なものが多いことに気付いた。
最初は内心「そうは言っても、もう俺成人してるしな……」と思いつつ読んでいたのだけれど、
「こういう部分が理解しづらくてつまづくことがあるので、その場合はこうやって教えていくと理解しやすいかも」といった記述を読んで、
そういうことだったの!?それでいいの!?と驚いたり腑に落ちたりすることが、とても多かったのだ。
そこには、幼少期にいくら言い聞かせられても、なぜそうしなければならないのかピンとこなかったようなことについて、
「それならそうと初めから言ってくれればよかったのにー」と言いたくなるような、すんなりと頭に入ってきて自然に受け止められる言葉の数々が並んでいた。
このことから考えると、どうやら自分の発達レベルが幼児レベルで早々につまづいていて、
なんとなく腑に落ちないまま表面上だけ誤魔化してきたけど、実際の理解はそのままそこで止まっていたということらしい。
30歳近くなって、自分の発達レベルがところどころ幼児レベルだと思い知らされるのは正直なかなかクるものがあるが、現実なんだから仕方ない。
というか、いくつかの情報を得たときの目の前のモヤが晴れていくような感覚がショックすぎたので、60や70になる前に気付いただけいいじゃないかと開き直って考えている。
この調子で目から鱗がボロボロ落ちていくようだと、俺は自分でも気付いてないだけでまだまだたくさん取りこぼしてきているのだろう。
現在直面している不都合の直接的な解決策ではないけれど、そういった問題が起こる根本の原因として、
どうやら自分はここでつまづいていたようだ、ということが段々わかってくるので随分と助かっている。
というわけで、似た様な状況で、なんとかしたいなーと「発達障害 成人」とかでググってみても「あー、あるある」以上のものがあまりみつからない人は、
発達障害児向けの療育の事例について具体的に書いている記事に触れてみると、俺のように思いがけない発見があるかもしれない。
それにしても、何度かあった療育を受けるチャンスを、親が「ウチの子はまだマシでそこまでする必要はない」と判断せずにいれば、
人生のもっと早い段階でこういったことに気付けて習得できていたかもしれないなというのは、少しだけ口惜しい。
(追記)
でも誘導とかしたいわけじゃないし、既に長いし、というか正直ちょっと恥ずかしいし……と思っていたのだけれど、
ブコメでも例がないとイメージしづらいという指摘をもらったので、やっぱり一番強烈だったやつを一つだけ追記しておく。
「衝動性が強くルールが守れない子にルールを守る大切さを理解させるには、
衝動を抑えてルールを守ることが、結果的に自分の利益になる。と利益を強調して伝えてみます。」
こんな一文を読んで、誇張ではなく涙があふれてきた。
うわー!なるほど!なるほど!!確かに考えてみれば利益になる!なってる!うわぁ!そう言われるとめっちゃルール守りたい!!もうルール守る!俺がんばる!!
と泣きながら机をバンバン叩きそうになったけど、夜中だったからハッとなって机を叩くのをギリギリで我慢した。
先生、俺衝動を抑えられたよ……!こうすることで階下の住人からヘイトを集めることが回避できるんだね……!不利益を受けないという利益を!!
いい年したおっさんが何言ってんだとか、そう考えないとルールも守れないのかよ……と引かれるかもしれないが、
俺のようなタイプは本当に「こんなレベルのこと」が「わかってない」まま大人になってしまっている可能性があるのだ、恐ろしいことに。
それまで自分にとって法律も含めた他者との間のルールというものは、
「なぜか押し付けられて守らないとやたら怒られるから、しょうがないのでよくわかんないけどなるべく守っとくもの」
でしかなくて、言ってしまえばなにかと我慢を強いられる障害であり敵だった。
ああしろこうしろ。あれはするなこれはするな。本当に窮屈で仕方ない。世紀末はよこい。でも、ルールは別に敵じゃなかった。
(中には完全に制約をかける側だけに有利で、制約を受ける側にとって純粋に"敵"なルールも世の中にあるとは思うけど、そういう力関係の不平等さえなければキレてよさそうな案件は一旦おいておく。)
「とにかくルールを守れ!」「ルールとはそういうものだ!」「みんな守っている!」「なぜルールを守れないんだ!」
(怒鳴られる度に、思い出せませんでした!とか、守る意味がわからないからです!と正直に返事をしていたのはいつだったか……)
というようなことだけを何度も何度も言われたから、まあ世の中的にはそんなものなんかな?よくわかんねーな。みんな我慢して守ってるのすげーな、謎だわー。とだけ思って、
なんだったらルール違反を咎められない範囲でギリギリを突いたり、想定外のことをするのに血道を上げる感じで生きてきた。
そうやって、ルールや制約によって我慢を強いられるストレスと、ルールを守れなかった時の不利益ばかりに注目していたけれど、
ルールを守ることで自分にどんないい影響があるかとか、ルールを守ることで何らかのメリットが享受できるとか、そんな視点では一度も考えたことがなかったことにこの一文で気付かされた。
そうか、ルールはルールだから守るとかじゃなくて、内心自分のためってモチベーションでも、ルールを守っていいんだ!!
翌日から俺は、自分の意志に反することをルールに強制されたときに、そのルールを守ることのメリットについて考えられるようになった。
子供がもうすぐ二歳なのに発語がない。
指差しはしない。「ちょうだい」「どうぞ」などのやりとりもできない。
20代での出産だったし夫も同年代なので、巷で言うリスクのある出産ではなかった。
それでも何かあった時の為に下調べはしてあった。覚悟もあった。二歳を過ぎたら然るべき機関で検査を受けられる手配はしてある。
何らかの診断が下りたとしても、通う事になるであろう療育センターは徒歩で行ける場所にあるし、専業でいる事を許してもらえる環境にあるので子供の療育には全力で打ち込める。
あとは検査の日までに報告漏れのないように注意深く子供の様子を観察しつつ、色々な所に出かけて刺激を与えて、彼女が興味を持ったものを一緒に楽しんで毎日を穏やかに過ごすだけだ。
今のところ出来る事はやれていると思う。
頭では分かっているのだが、どうも心が追い付かない。
児童館や公園で同月齢の子供は楽しそうに母親とお喋りしている。この時期の成長は個人差があるのは解っているがどうしても比べてしまう。
家に帰って落ち込んで泣く私を見て子供は笑っている。
知り合いの家の子供は母親が泣いていると抱きしめに来てくれるらしい。
勝手な話だが子供に共感してもらえない事に腹を立ててしまう。立てた自分を恥じて落ち込む。
子供は外では大人しく、加えてそこそこ愛らしい顔立ちをしているので、外で褒められる。それで自尊心を満たしている。
スーパーを走り回るあまりかわいくない子供を見下して、子育てを頑張る燃料にしている。
こんなに性格の悪い母親だからこの子はこうなのかと後で落ち込むくせにやめられない。
ばいばいと言うと後をついてくるようになった。
紙を破る音が好きでげらげらわらってくれる。
篩を必死に使った結果みつかるのは、砂金のようなささやかな幸せだけだが、それに出会うのは楽しい。
しかし、顔を上げると首から金の延べ棒をぶら下げてそれが大した価値ではないような顔をしている他の母親が目に入る。
むろんそう見えるだけで、誰だって何かしらあるだろう。そこまでの考えに至れずに、目にした瞬間に嫉妬してしまう。
周りなど見なければいいのだが、子供の発育を促すためには外出しなくてはいけない。本当は家にずっと閉じこもっていたい。
自分が死んで、一応人並程度あった自分の対人スキルが子供に備わるようになって、臓器は何処かに売り飛ばしてそのお金が夫に養育費として振り込まれる仕組みがあったら喜んで死ぬのにという妄想をしてしまう。
社会で一人で生きていけない子になって、自分が老いて子供を養えなくなった時、夫に迷惑かけないように子供と死ぬ方法を必死に考えている。
彼氏からは結婚申し込まれててさ、彼氏はいい人だしもったいないくらいの人、
でもなんだかひっかかるところがずっとあって、今までの言動を検索してみたらアスペルガーって出て、
特徴見たら「あ、これだわ」てすとんと落ちて。
もし彼氏と結婚して子供が出来て、子供が彼より酷いアスペルガーだとして、(確率はわからない)
http://www.eonet.ne.jp/~sakifoo/6pddas.htm
予定がはっきりとわかるような環境を設定してあげる。
視覚的な手がかりを示してあげるとよい。
思春期になってくると、どうして自分はこんなふうに苦手なことが多いんだろう?とか
どうして自分はダメ人間なんだろう?などという言葉が珍しくなく出てきます。
生きていくのには不自由な特性ですが、精神的な特性に付き合っていかなくてはなりません。
人と違ってもいいんだと、サポートしていくことが必要です。家族はストレスが多いです。
療育に熱心な家庭ほど、その子供中心にまわってしまい、ふと気づくと兄弟が不適応を起こしてたなどということが珍しくありません。
兄弟にも目を向けてあげることが大切です。
特例を作ってしまうと社会性が育たないという心配も出てくるが、何でも普通にやろうとするのは難しいです。
特例を作ってあげながら、その子のペースで社会性が育つのを待つというのが大事です。
仕事中心ではない生活になる人が多いが、趣味を見つけられるように。
趣味があるかないかでは学校をでてからの生活がずいぶん違ってきます。
知的に低い人も、何かひとりでできる趣味を考えるといいです。(紙をちぎるなど)
いい環境を設定しても、環境設定だけではなかなか解決しきれないものもあります。
これ、彼はわかるんだろうか???
彼は自分の子供にがこういう風になるかもって可能性わかってて、私と結婚しようって
言ってくるの?今読んだ限り、怖い。
もし彼が子供に興味を持てなかったら?私の感情を伝えたときに言われる
あーー。
息子は3歳になったとこで、おうむ返しが多かったり、会話が成り立たなかったりと典型的な発達障害の疑いあり。
うつ病と診断された経験があり、今では受け入れて自分の無理のない範囲で生きてくれてる。
でも、積極的に外出したり他所の子と遊べるようないわゆる遊び場に行ったりするのは苦手、かつ頑張り過ぎると電池切れになっちゃうので息子を日中1人で遊ばせてる、もしくはDVD見せて放って置いてしまうこともしばしばとのこと。
他所の子と触れ合ったりするのが大事だとか、市のやってる相談センターみたいなとこに行くとかした方がいいのは嫁もわかっているだけに、それが出来ない自分にネガティブモードになっているらしく、最近抑うつ傾向がまた強くなって来ている。
なんとかしないとと思うんだけど、いったい何ができるのか。
そもそも、そういうところを利用しようというのも上手く言わないと、自分がしっかり見れてないからだ、ってネガティブスパイラルになる。
そもそも定常的に面倒見られない訳じゃないんだから、気軽にというか、今日はちょっと子供見るのがしんどいなって時に見てくれるところがあればいいのに、と思う。
嫁の実家の近くに暮らしてはいるけど、嫁の両親は嫁の病気に理解がないのでしんどい時だけ頼るとかはしにくく、自分も日中働いててどうにも手が出せない。
嫁にうまいこと言うプラス自分が休みを取って発達障害の診断書をもらい、療育施設にお願いするのがいいのかなぁと思っているけど、正直どうなるのかわからず不安。
もし周囲の環境によっては未然に防げたのだとしたら、何ができたのか、何をすべきだったのかを考えないといけなくなってくる。それは自分が行動を変えなければいけないような気がしてとっても居心地が悪くなることだ。そんなことには耐えられない。みんな気持ちよく毎日を生きたいのだ。
だから、生まれつきおかしかったと信じたい。生まれつきなら、自分が何をしても無駄だろうから、自分に責任はない。自分の行動を変える必要もない。しかも自分は正常な側、相手は異常な側にいて、その間には絶対に越えられない溝がある。いくら石を投げつけたって自分は安全だ。
だから、異常な事件が起こるとみんな、決定的に自分と犯人を隔てる、人の手を超えて変えられない何かを探す事に必死になる。
最近は、とても便利な道具ができた。発達障害と言うやつだ。今なら子供のうちから療育をほどこすため、スクリーニングでどんどんあぶり出されるようになっているから分かりやすい。これは実に申し分なく越えられない溝の役目を果たしてくれる。正常者と異常者の割合もちょうどよい具合で、誰でも身近に一人は発達障害者を知っている。「ああ、ああいう…」と実感もできる。「あの子も何かしでかすかも…怖いなぁ…」と、事件の当事者感覚を楽しむこともできる。何より、そいつが異常であり、自分達とは決定的に違う存在だということは、お医者様によるお墨付きだ。だから自分がその相手を犯罪者予備軍として見ることは、謂れのない偏見とは違う。医学が自分の正しさを担保してくれる。
だから堂々と発達障害者を警戒しよう。仲間たちに注意を呼び掛けよう。あの子もきっと、おかしなことをするよと。仲間に入れないようにしよう。距離をとろう。安全のために。そうしたらきっと、いつかその子は暴発し、警戒を呼び掛けたあなたの正しさが証明されることになる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140604-00000087-san-pol
ってのはいいんだが、
現行の幼稚園、保育所、こども園などの枠組みを維持したまま、最終学年の5歳児のみを無償にすることで義務教育化する方針を固めた。
って、てきとーだなおい。
とりあえず
辺りはすぐ考え付いたんだがどうすんだ。
かと言って、小学校入学年引き下げとすると幼保団体の反発以前に
という辺りが思い浮かぶんだが。
まずは育児お疲れ様。療育が必要だと、大変なことも多いと思います。
そりゃあ、元増田だって人間だもの。差別の意識が(多かれ少なかれ)あるのは社会的人間なら当たり前のことだし、そのことに対して自己嫌悪するのも健全なことだと思う。心のなかに湧き上がってくることを完全にコントロールするのは難しい。
でも、ほんとうに大事なのかは「どう振る舞うか」ではないだろうか。心の中でどんな気持ちがわいてこようとも、実際に何をするかが一番大事だと自分は思う。元増田は前を向いて頑張っているんだし、旦那さんだって心の中で思うことはあるかもしれないけど一緒に頑張ってくれてる、ってことだと思うよ。
増田に書いて発散できるなら、ここに言いたいこと・もやもやすることを書き散らせばいい。ホントお疲れ様。応援してます。
あと、道行く「普通」の人たちの中でも、ぱっと見てわかる・わからないにかかわらず、障碍のあるこどもとその家族をサポートしようっていう人たちが必ずいるから、それを信じててほしいです。
自分の家族は一見「普通」なんだけど小さいときから難病を抱えてて、生活は安定しないし、何年かにいっぺんは死にかけるし、色んな事があります。おたがい人生がんばろう。
今の世の中、共働きが当たり前。
専業主婦なんてただの怠け者。
収入は少なくても真面目で温厚な人と結婚して、共働きで頑張っていくのが幸せ。
そんな風に思っていた時代が私にもありました。
夫は年収400万だけど、家事もよく手伝ってくれるし、いつも私を立ててくれる優しい人。
私の職場は、年収350万程度だけど、産休や育休制度もちゃんとしてる。
出産して1年で復職して、十分余裕ある生活が出来る予定だった。
生まれてきた子には重い障害があった。
受け入れてくれる保育園が見つからず、仮にあったとしても週に2回も病院だの療育だのに通うのに、仕事との両立は到底無理だと分かり、私は退職せざるを得なかった。
夫の年収だけでは、家のローンを払うと貯金もまともに出来ない。
子どもはかわいいけれど、もしもタイムスリップ出来るのなら、昔の私に言いたい。