我が子がADHDで療育中なのだが、私自身も診断こそないものの、これまでの生きにくさから考えると何かしらの障害を抱えていると思う。
先日のニュースを見て、自分だって一歩間違えばこのての人間になっていたかもしれないと感じた。
我が子も、接し方次第ではそんな大人になりかねない。
メディアでの批判の嵐を見て、まるで自分が批判されているかのように心が痛んだ。
あの人に障害があるかないかはさておき、あの人が「横領しなければ死んでいた」と言うならそれが事実なのだろう。
あの人が清々しいほどのバカな大人に育ったのは、決して本人だけの責任ではないと思う。生まれもった性質や、生きてきた環境は自分ではどうしようもないのだから。
能力のない人、常識からずれている人というのは、なにかしら生きにくさを抱えていると思う。
その生きにくさは、あたりまえの事をあたり前にできる人間には理解できないのだろうし、あたりまえのように常識ある行動を求めてくる。
周りの常識に合わせようともがき苦しみ続けるか、開き直るか。
この人は開き直った、それだけのこと。
「横領しなければ死んでた?じゃあ死ねば?」なんて言われるような人間が存在していて、その意見がもっともだと思われている現実。
この人だって、悪いこととわかってて横領に走るくらいなら、死んでた方が楽だったろうにと思うけど。
それでも死なずにいたのは、この人に「死なないで」という誰かがいたからではないのか。
「お前みたいなろくでなしは死ねばいい」という人がいる。「死なないで、がんばって」という人がいる。
「何をやっても怒られる。自分なんかいない方がよい」などと思いながら、「自分が死ねば悲しむ人がいる。なんとかがんばらなければ」ともがく。